隠れ宝塚のひとりごと

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花組宝塚大劇場公演 「ザッツ・レビュー」

植田 神爾 脚本・演出
石田 昌也 演出


観劇日  9月6日
観劇時間 午前11時からの部、及び午後3時からの部の2回
観劇場所 午前11時の部 2階13列25番(A席)
     午後3時の部 1階21列21番(A席)


−全体的な印象−


 今回の作品はテーマ曲から凄まじい。
「花のレビュー 夢のレビュー 人は汝を讃え
 花のレビュー 夢のレビュー 明日への希望が燃え盛る」
あまりに臭すぎるこの宝塚の自画自賛に、僕は引いてしまった。
 プログラムを見て、思わず観劇をせずに同じ宝塚市内の阪神競馬場にでも行ってしまおうかと考えたほどだ。
 それでも、大劇場で2回観劇など、滅多に出来ないことだからと、思いとどまって観劇したが、絵に描いたような典型的植田作品で、何度となく何とかしてくれと言いたくなった。
 まずは第5場「聖天座の舞台裏」。セリフの半分は「レビュー」というものについての説明に割かれているが、これが冗長かつ退屈。そこまでして観客にこの芝居の中での「レビュー」という言葉の定義を示す必要があるのかはなはだ疑問だ。もっと簡単に出来なかったものか。
 次が第1部の最後となる第13場「迎宝橋」。ここで真矢みき演ずる春風泰平が、視力の衰えを告白するのだが、真矢の芝居は臭くなっているし、他の面々の泣き声は大袈裟かつ白々しいと、見ていて嫌になりそうな場面だった。
 第2部に移り、第4場「建設中の東京宝塚劇場前」の前半部分の女学生の会話と、第10場「新装なった東京宝塚劇場前」の中盤部分の学生の会話。どう考えてもこの場面を挿入する必要性も見あたらず、ただうるさいだけで見ていて辟易させられた。
 いい加減、植田にペンを持たせるのはやめた方がいいのではと思った。


−しかし、ほさちファンとしては−


 全体的には全く評価できない作品ではあったが、千ほさちファンの僕としては、割といい舞台だった。
 まずは何と言っても、エトワール。今回は、トップ娘役でありながら、千ほさちがエトワールだった。
 フィナーレの最初にエトワールとして千ほさちが出てきた瞬間、感激のあまり、「ほさちさーーーん」と心の中で叫んでしまっていた (^^;。さすがに声には出さなかったが (^^;。
 本来エトワールはトップ娘役がするものではないとわかってはいるが、やはりファンとしては嬉しくてたまらない。
 あの可愛らしい声でのエトワールで、この公演への評価が「最低」から「中の上」にまで上がった (^^; 最高だった。
 2回目など、このエトワールのために観劇しているようなものだった。
 千ほさちのすばらしさは、全てのことに、自分の出しうる全ての力を出していることだ。
 それはエトワールだけでなく、芝居においても言えた。2回目の芝居の最後の部分で、オペラグラス越しに千ほさちを見つめているうちに、涙が溢れてきた。芝居自体は泣いてしまう要素など一つも持ち合わせていない失敗作であるが、千ほさちは涙を流しながら迫真の演技をしていた。その姿が、美しく、しかも何かを確実に訴えかけていた。そんな千ほさちの姿に、涙せずにはいられなかったのだ。この場面のみならず、千ほさちは常にいい演技をしていた。
 まだ、千ほさちの出ている舞台は、今回の「ザッツ・レビュー」と、前作の「失われた楽園」/「サザンクロス・レビュー」しか見ていないが、それでも確実に僕は千ほさちにのめり込んでいっている。
 凛とした美しさがあり、可愛らしさも持ち合わせ、いつも誰よりも一生懸命に演技をしている。だから千ほさちは好きだ。
 千ほさちを見ると、この作品を「最悪」と片づけてしまうことは出来ない。


−ショーの部分は見物−


 「ザッツ・レビュー」を見るに当たっては、芝居とショーを切り離して考えた方がいいかもしれない。
 今回、第2部の最後の約30分という結構長い時間を、「花詩集」を現代風にアレンジしたショーに割り当てているが、こちらの方はなかなかの見物だ。
 個人的おすすめは、第2部の第13場Jから第13場M「花詩集C」と第16場「すみれの花咲く頃」。
 第13場Jから第13場Mでは、真矢みきが娘役になるのだが、これがなかなか美しい。たまにはこういう場面もいいものだ。
 第16場では、ボレロのリズムにアレンジされた「すみれの花咲く頃」にあわせて黒燕尾姿の男役がそろって踊るのだが、「さすがダンスの花組」とうなりたくなる。


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