Novel 番外2


《ロストール王国、10年前》



行く手を阻むように、重厚にそびえる大きな木の扉。その金属の取手を回し、ティアナは小さく開いた隙間から部屋を覗く。



部屋の中には、背を向けた一人の男性と、一段高い場所に立つ豪華な衣装に身を包む女性の姿が目に入る。

「・・・それでは、ルブルグ伯もどうしようもあるまいな。」

「はい。すでに拘束され、貴族法に則り処刑されるのも時間の問題かと存じます。」

「フリント、よくやってくれた。」

「いえ。」

ティアナの耳に、明晰で力強い女性の声が流れ込む。

「誰だ!?」

部屋に入ろうとした瞬間に、鋭い誰何が飛んだ。

「お母様・・・。」

「・・・ティアナ、か。」

ティアナの母。そして、ロストール王国の王妃にして、実質的な王国の支配者であるエリスが、目を細める。

「この部屋に来てはならぬと、何度言えばわかるのだ?」

「でも、お母様・・・。」

エリスが、ティアナから傍らの侍女に視線を移す。

「タッチストーン、ティアナを部屋まで連れて行け。」

「・・・一人で、帰ります。」

ティアナは、エリスに背を向けると部屋の外へと駆け出す。慌てて、タッチストーンと呼ばれた侍女が後を追った。



その一部始終を見守っていたフリントと呼ばれた男が、エリスに何か物言いたげな表情を浮かべる。それに気付いて、薄く唇が上がる。

「冷酷な母と思うだろうな。」

「・・・いえ。」

「・・・テジャワの変から6年。未だ、貴族制復活を願う貴族達は、ファーロス家の失脚を虎視眈々と狙っている・・・。まずは、我がファーロス家の命を守ることだ。ティアナはまだ幼い。今はわからぬかもしれぬ。・・・だが、生き延びればティアナがいずれ理解する時も来よう。」

「はい。私もエリス様を・・・ファーロス家をお守りする所存であります。この命に代えましても。」

「忠誠、感謝している。いずれ、その恩に報いよう。」

再び深々と頭を下げるフリントに、エリスが手で退出を合図する。一人部屋に取り残されたエリスは、ティアナの消えた扉を見つめ続けていた。





エリスの部屋を後にしたティアナは、中庭の奥の小さなベンチに腰掛けて膝を抱える。丁寧に刈り込まれ、手入れの行き届いた背の高い樹木に囲まれ、周囲から見えることもない。お気に入りの場所だ。

冷たい母の言葉を思い返し、ティアナは大きな溜息をつく。

―――やっぱり、私はお母様の子ではないのかもしれない。

扇で口元を隠した貴婦人達が、忍び笑いとともに交わす会話が思い返される。



「・・・女王陛下には、秘密の恋人がいらっしゃるらしいですわ。」

「・・・まぁ、そんな。ですが、それも無理ないことかもしれませんわね。だってあの国王陛下は・・・。失礼ですけど、寝室でもあのような無気力では・・・。」

楽しげな笑い声が上がる。

「・・・でも、それでしたらティアナ様は・・・?」

「・・・滅多なことをおっしゃると、首が飛びますわよ。ルブルグ伯のように・・・。」

「・・・恐ろしいこと・・・。エリエナイ公はすさまじい剣幕だったらしいですわ・・・。」

華やかなドレスをまとった貴婦人たちが残した言葉は、ティアナの心に疑惑という名の毒を流し込み、心を凍らせていた。



「ティアナ。そこで何をしている?」

「レムオン様・・・。」

貴族服に身を包んだ一人の少年が立っていた。少女と見間違えそうな美しい顔立ちを、しかし鋭い眼光が裏切る。先日10歳の誕生日を迎えたばかりのこの少年は、6歳のティアナにとって唯一兄のように心を許せる存在だった。

「・・・。」

ティアナが無言で首を振る。レムオンが、ティアナの隣に腰を下ろした。

「また、宮廷のおしゃべりどもに何か言われたのか。・・・気にすることはない。俺はいつでもティアナの味方だからな。」

「ありがとうございます。」

微笑むティアナに、レムオンが立ち上がる。

「・・・俺はもう行かなければならない。父上に呼ばれているのだ。・・・また様子を見に来る。」





貴族達が集まる謁見の間へと続く廊下を抜け、扉の前に立つ背の高い眼光の鋭い男に近づく。

「父上。」

「レムオンか。遅かったな。」

「申し訳ありません。」

頭を下げると、レムオンの父、エリエナイ公は苛立たしげに首を振る。

「お前も聞いていよう。我が弟、ルブルグ伯がディンガル帝国との内通を告発され処刑された。・・・あの雌狐の仕業だ。」

「はい。」

従順に頭を下げるレムオンに、エリエナイ公がひときわ鋭い眼光を投げる。

「お前も、ファーロスの娘やらノヴィンのドラ息子やらと仲良くしているらしいが。」

「・・・。」

「忘れぬことだ。奴らは、雌狐の血を引く者達だ。油断をすれば、こちらが喉元に食い付かれることになるのだぞ。わかったな。」

「・・・わかりました。」

仮面を付けたような無表情で、レムオンが小さく頷いた。





「あら、こんな所でどうしたの?」

場違いな明るい少女の声に、ティアナが顔を上げる。長いウェーブのかかった茶色の髪と、はしばみ色の大きな瞳をした少女が、覗き込んでいた。普段、王宮で見かける長い裾のドレスではなく、短いスカートとブーツ、金属の胸当てという兵士のような格好だ。

「あ、あの・・・。あなたは?」

「私は、ミディア。冒険者よ。」

「冒険者・・・。」

その言葉には、聞き覚えがあった。最近は滅多に顔を合わせることはないが、従兄弟のゼネテスが家を飛び出し冒険者になったと耳にしたことがある。

「今日は友達と一緒にここに来たんだけど、お庭があんまり気持ちいいからちょっとお散歩してたの。そうしたら、あなたが目に入ったってわけ。別に怪しい者じゃないわよ。」

ミディアの言葉に、くすりと笑う。その様子を見て、ミディアが目を細めてティアナの隣に腰を下ろす。

「笑ったわね。無理することはないけど、笑った方がいいわ。・・・何があっても、魂を曇らせないようにね。」

ティアナが、顔を上げる。それに気が付いて、ミディアが照れたように笑う。

「あ、また変な事言っちゃった。友達によく言われるんだ、変なことばっかり言うって。」

ミディアが、手を伸ばしてティアナの髪を撫でる。

「でも本当に、自分を愛することを忘れないようにね。」

「・・・はい。」

ティアナが、ミディアの脇に頭をもたれる。まるで母親に胸に抱かれているような、優しい気持ちが胸を満たしていた。





考えに沈みながら再び庭園の奥に足を運んだレムオンは、予想していない光景に驚いて足をとめる。冒険者の衣装に身を包んだ女性が、ベンチに腰掛けている。その膝を枕にして、ティアナが気持ちよさそうに寝息を立てていた。

「・・・あなたは?」

「あら、こんにちは。私はミディア。この子の様子を見に来たの?」

先程の父親の言葉を思い出しながら、複雑な心境でレムオンは頷く。

「気持ちよさそうに眠っているわ。部屋まで送りましょうか。ティアナ王女でしょう?この子。」

ミディアが抱き上げると、ティアナがミディアの首に強く腕を回す。その様子に優しい微笑を浮かべてから、ミディアがレムオンを見下ろした。

「さて、じゃ、部屋まで案内してくれる?」



ティアナを部屋に戻した後、そのまま中庭を連れ立って歩くミディアとレムオンが、のっそりとした人影を見つけて立ち止まる。

「ミディア。お前さん、こんなところにいたのか。何だ、レムオンも一緒か。だいぶ背が伸びたな。こないだの剣術大会に優勝したんだってな。おめでとさん。」

「・・・あまり馴れ馴れしくしないでもらおうか。」

レムオンの言葉に、ゼネテスが眉を上げる。

「ちょっと、その言い方は・・・。」

「いいって。人にはそれぞれ事情があるさ。」

ゼネテスが、手を振ってミディアの言葉を遮る。

「そうね。まぁ、いいわ。ついでに紹介すると、この人が私のお友達のゼネテス。あと、ツェラツェルっていう口が悪いのがいるんだけど、いつもこの三人で冒険をしているの。」

「おや、俺は友達か?もっと仲が良いと思ってたんだがな。」

「何よ、いつも色気がないとかタイプじゃないとか言っているくせに。」

「・・・仲が良くて結構なことだな。では、俺はこれで失礼する。」

すたすたと歩き去るレムオンを見届けると、ミディアがゼネテスを見上げる。



「一体どうしたの?感じがいい、かわいい子だったのに。急にむっつりしちゃって。」

「・・・ま、王宮ってのは色々面倒なことがあるんだろうな。それよりお前さんも、元気になったみたいだな。ちょっと前まで元気がなかったが。」

ゼネテスの数歩前を歩いて、階段を上りかけていたミディアが、ゼネテスを振り返る。

「・・・心配してくれるんだ。ありがと。」

二人の頭上を覆う青空のように晴れやかなミディアの笑顔に、一瞬ゼネテスがミディアに向かって手を伸ばしかける。

「・・・どうしたの?」

「いや、何でもない。」



―――透き通るような笑顔に、そのまま消えてしまいそうな気がした。



自分でも馬鹿げていると思うことを口にしかけて、ゼネテスは頭を振る。



「さて、用事も済んだし、そろそろ次の冒険にでも行くとするか。」

「そう、ね。」



中庭には、暖かく柔らかな春の日差しが満ち溢れている。平和で、心静かな日常生活。だが、その平和な日々を脅かすように。バイアシオン大陸に戦乱と激動の時代が忍び寄ろうとしていた。


ゼネテスさんとレムオン様は、16歳と10歳。この年の差だと、完全に兄ちゃんと坊やだよね。レムオン様、立派に育って・・・(←違う(笑))。昔はそれなりに仲が良かったのでは。剣を教えてもらったり。で、次第にファーロス家とリューガ家の対立が表面化するとともに仲が悪くなり、ゼネとティアナ婚約で決定的に悪くなったのかなぁとか思って書いてみました。でも仲悪いっていっても、単にレムオン様が噛み付いているだけで、ゼネテスさんはいつも淡々と受け流しているような感じですね(笑)。


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