《リューガの変後、最終決戦前》
「パーティーを離れる?どういうことだ。」
エンシャントの城門前。湿度を含む大気と、雲に覆われた空。そのどことなく怪しい雲行きにふさわしく、怒気の混じる厳しい叱責が飛ぶ。
「悪いが、実はギルドの親父にどうしてもって泣きつかれてた救出依頼があってな。どうせ今回はロセンにアイテムを売りに行くだけだ、二人だって問題ないだろう?」
相手の不機嫌を意に介さない様子で、ゼネテスが頭をかく。
「そういう問題ではない。お前はいいかげんすぎるのだ、そもそも・・・。」
「レムオン。そうじゃないの・・・。」
長くなりそうな話を遮って、ジルがレムオンとゼネテスを交互に見比べる。
「本当は、その依頼、私達3人に頼まれていたの。だけど、ネメアさんを早く救出に行かないといけないから時間はないし、アイテムを売却して装備を強化したいし。そうしたら、ゼネテスさんがそっちの依頼を1人で引き受けてくれるって。ロセンまでだもの、二人で大丈夫でしょう?」
「・・・そういうことであれば、仕方がないな。」
レムオンが不承不承頷くのに構わず、ゼネテスがジルの方を向き直る。
「まぁ、二人じゃ不安かもしれないが、紳士で潔癖で奥手のお兄様だ・・・。」
ゼネテスの言葉を最後まで待たずに、レムオンの拳が腹にのめりこむ。
「・・・てぇ。」
「とっとと行くぞ、ジル。」
レムオンが後ろも見ずに街道を歩き始める。ジルがゼネテスを心配そうに見上げるのに、手をふってみせる。
「大丈夫だって。早く行かないと、やっこさんの機嫌がますます悪くなるぜ。」
「ギルドの件、ありがとうございます。じゃ、また。」
手を振ると、ジルはレムオンの後を追って駆け出す。
「・・・それにしても、ずいぶんマジないいパンチもらっちまったな。『ヤバいくらい最強に盛り上がってる』って奴かねぇ。」
二人を見送ったゼネテスが、頭を掻きながら呟いた。
考えてみれば、二人で冒険をしたことなどない。傍らを歩くレムオンを横目で窺いながら、歩調を合わせる。
「・・・そういえば、昔ね、ロセンでカルラさんに会ったの。」
「あのディンガル帝国青竜将軍の、か?」
「えぇ、まだペウダがロセンを支配していた頃。ネメアさんも皇帝じゃなかったから、カルラさんも将軍じゃなかった頃で・・・。」
ロセンの城門前でカルラと出会い、暗愚王と称されたペウダが攫った村娘を救い出した話をしながら街道を歩く。こんな風に、ゆっくりと冒険の話をしたこともなかった。ゼネテスにひそかに感謝しながら、冒険談を語り終える。
「・・・本当に、お前はずいぶん広い世界を見てきたのだな。」
レムオンが、感慨深げに呟く。
「ふふ。昔、そんなこと言ってたわよね。・・・忠実な部下より、ともに歩ける同志が欲しいって。」
「確かに、今は十分過ぎるほど信頼に足りる同士だ。」
「昔は頼りなかったでしょうけどね。」
「あぁ。全くだ。・・・今だから言うが、初めて見たときは可能性の女神がいればこんな感じかと思った。あの時の予感は正しかったということか。」
「め、女神?」
思わぬ賞賛に、ジルが思わず聞き返す。それには答えず、レムオンが顔を上げる。つられて空を見上げたジルの頬に、小さな雨粒が落ちた。
「雨・・・。」
ぽつり、ぽつりと。小さく乾いた地面に茶色の跡を残していた雨粒は、見る間に数を増し周囲の色を変えてゆく。いくらかもたたないうちに、二人は滝のように降り注ぐ水の中に取り残されていた。
雨よけのためにマントを羽織ったレムオンが、もう一度空を見上げる。
「しばらく待てば弱まるだろう。少し雨宿りをしていくか。」
エンシャントとロセンを結ぶ街道は、この数年間で何度も往復している。雨宿りに都合のよい場所をすぐに思い浮かべることができた。かつての住民が去ってからどのぐらいの時間がたっているのだろうか。ぼろぼろに朽ち、今にも崩れ落ちそうな廃屋。
火を起こそうと暖炉にかがみこむが、湿った木には中々火がつかない。
「貸してみろ。」
隣で見ていたレムオンが、ジルから火打石を取り上げると器用に火花を散らす。程なくして、赤々と焔を上げる暖炉が、部屋を暖め始める。
「上手なのね。最初に会ったときもそうだったけど。」
優雅な身のこなしで、あっという間に野営の支度をしてみせた様子を思い出して、ジルが暖炉の前に腰を下ろしながら呟く。レムオンが、その隣に座った。
「・・・父に連れられて所領の見回りに行くことも多かったからな。あまり贅沢を好む性格でもなかったから、こんなことにも慣れている。・・・あの男と冒険にでかけたこともあるしな。」
「ゼネテスさんと?」
「まだ、俺が幼い頃だ。あの男が本格的に冒険を始める前の話だ。剣の手ほどきを受けたこともある。」
「そんな頃もあったんだ。」
「・・・人間とは不自由なものだな。」
ジルが顔を上げて、おそらくはゼネテス、ファーロス家、そして彼がリューガの変で自ら命を奪ったエリス王妃に思いを巡らせているであろう横顔を見つめる。
言葉を見つけかねて黙り込むジルから、雨に濡れた髪と服が体温を奪う。小さくくしゃみに、レムオンがくすりと笑った。
「きちんと拭かないからだ。」
ジルの頭と肩を乾いた布でくるむと、優しくジルの身体から水分を拭う。そのまま肩を抱き寄せられて、ジルの身体が緊張で固まる。
「・・・体調を崩して寝込みでもしたら冒険者の名折れだからな。温まるまでこうしていろ。」
「え、ええ。」
背中に当たる鎧越しに響く声の甘い響きに、眩暈を感じる。
「・・・。」
「あ、あのそういえば。」
沈黙に耐えられずに、ジルが必死で話題を探す。
「あぁ。」
「レムオンって、何でもできるわよね。だって、剣も達人だし、政務もこなして、冒険もできて・・・。」
「・・・。」
かすかに伝わった震えに気が付いて、後ろを振り向いたジルは意外な表情を見つけて驚く。
「何がおかしいの?」
久しぶりの愉快そうな笑顔を見て、ジルが困惑する。
「・・・お前には、醜態ばかりさらしていると思っていたが。」
「えぇ?」
レムオンの言葉に、記憶を辿る。そういえば、ティアナ王女への想いを打ち明けたときもそんなことを言っていた気がする。そして、彼にとってはリューガの変を引き起こしたことも到底自分を許すことができない、救いがたい醜態なのかもしれない。
何もかも心の鎧に隠して、自らが誰よりも強く完璧であろうとする。自分にも他人にも理想を求める姿こそが、自らを縛る呪縛なのだと。その事に気付く事ができない。いや、気付き始めているのかもしれない。そんな不器用な姿に気が付いて、ジルは微笑む。
「そんな事、思ってたんだ。」
「・・・そうだな。」
再び暖炉の方を向くと、レムオンの肩に頭を乗せる。触れ合う体温の温かさに、心まで融けて混ざり合うような心地よさがジルを包む。
「私、うれしかった。貴方が強いだけじゃなくて。悩んだり、苦しんだり、辛かったり、そんな素顔を私に・・・私だけに見せてくれたこと。」
「・・・誰にも弱みをさらしてはいけないと思っていた。常に強く完璧であらねばならないと。だがお前には・・・。」
暖炉の火がぱちぱちと立てる音を聞きながら、ジルが目を閉じる。甘美な、少し胸がしめつけられるような沈黙。
雨が草木を打つ音が、次第に柔らかくなりいつしか消える。
レムオンが立ち上がると、窓を開ける。
「どうやら、雨もやんだようだな。そろそろ行くか。」
「えぇ。」
立ち上がって、暖炉に弱々しく残る火を消すと装備品を手にする。いつの間にか、雲間から陽光が漏れている。雨に洗われた草木が、美しい新緑の葉を輝かせている。その中を、二人は再び並んで歩き始めた。
「何だと?」
エンシャントのベランダで。すでに安らかな寝息を立てるジルを起こさないように、小声でレムオンが尋ねる。
「だからさ、誕生日プレゼントってやつだ。二人きりの冒険。まぁ、ギルドの依頼は本当だけどな。ちったぁ進展があったかい?」
「・・・貴様。」
押し殺した声で拳を固めかけたレムオンに、ゼネテスが先手を打つ。
「おっと、照れ隠しに殴るのは、前回限りにしてもらいたいね。」
「・・・。」
図星をさされて黙り込む。その様子に、ゼネテスが喉の奥で笑う。
「いや〜、お前さんも可愛いところがあるな。」
再び顔を狙って無言で繰り出された拳をかわすと、ゼネテスが部屋に向かう。追いかけようとしたレムオンに、ゼネテスが釘を刺す。
「あんまり騒ぐと、ジルが起きるぜ。」
「この話は明日、片を付けてやる・・・。」
ぎりぎりと歯を食いしばるのに、ゼネテスが再び笑う。
「別に、礼はいいぜ。じゃ、お休み。」
部屋に消えるゼネテスの後姿を、レムオンは形容しがたい表情で見送った。