Novel 1


《〜第一次ロストール戦前》



掛け心地の良い極上のソファに腰を下ろして、ジルは豪奢な室内を眺めた。ゆらめく蝋燭の炎に、磨き上げられた樫材の床が美しい光沢を放つ。神々の戦いを描いた精緻な絵画。暖炉の上に置かれた精巧な工芸品の数々。戦闘で受けた刀傷も生々しい白銀の甲冑は、リューガ家の始祖である七竜士の一人の愛用の品なのだろうか。さりげないが細心の注意を傾けて品良く配置されているそれらの室内装飾は、半年前までは目にする機会すらない品々のはずであった。いや、このような豪奢な品々が存在するということすら、想像も及ばなかったかもしれない。

大陸でも1、2位の版図を誇るロストール王国。その王国で、国王家に比肩する力を有するリューガ家の一員として、彼女は今この邸内に自由に出入りできる身となっている。半年前まではそのリューガ家の代官ボルボラが統治するノーブルの、一農民の娘に過ぎなかった。圧政に立ち向かおうと反乱を組織し、反乱を鎮圧しようと単身ノーブルを訪れたリューガ家当主レムオン・リューガと出会い、現在は彼の異母妹でノーブル伯という身分を与えられてこの屋敷に入ることを許されている。

―――運命の女神はいたずら好き・・・。

猫屋敷の賢者の言葉を思い起こしながら、改めて室内を見渡す。



「ジル様。」

 突然声をかけられて、驚いて振り返る。人の気配など感じなかったのに、いつのまにか現れたのか執事のセバスチャンが人当たりのよい笑顔を浮かべている。

「お元気そうでいらっしゃいますね。このたびの冒険はいかがでしたか。」

「こんにちは。今回はアミラルからリベンダムを回ってきたんです。とても大きい都市で、色々な物が売っているので驚いたわ。それから・・・。」

柔和な笑みと丁寧な相槌につられて、これまでの旅の話にも自然に熱がこもる。

「そう、ところでこれ・・・。」

半刻ほど話が盛り上がったところで、懐から小さななめし革の袋を取り出す。

「お兄様に、お土産なの。渡して頂けますか?」

「レムオン様は執務室にいらっしゃいますから、直接お渡しに行かれたらいかがでしょうか。」

「え、でも・・・。」

この応接間で偶然顔を合わせることはあったが、これまでに執務室を訪れたことはなかった。

「ご様子を心配しておられるようでしたから。お顔をお見せになれば喜ばれるかと。」

応接室から邸内に続く扉を開け、セバスチャンが慇懃に頭を下げる。レムオンは、かつてこの忠実な執事をこの館で一番の実力者と称したことがあった。当時は理解できなかったその言葉が、今になって腑に落ちる。腰の低い物腰と人懐こい微笑の影で、この半年間冷静に彼女を観察していたのだろう。彼女がこの館の当主に相応しい人物であるのかを。人を容易には寄せ付けない用心深いレムオンが、深い信頼を寄せるわけだ。新たな発見がおかしくて、彼女は小さな笑みを漏らした。邸内を先導する後姿からは、彼女の笑いとその意味に気が付いたのかは読み取れない。

長い廊下はやがて、重厚な木の扉に突き当たった。

「レムオン様、ジル様がお見えになりましたが。」

「入れ。」

セバスチャンが扉を開けて、ジルの背中を押す。そっと室内に踏み出した彼女に、執務机に向かっていたレムオンが顔を上げる。

「我が妹、ジルか。ずいぶん久しぶりの訪問だな。冒険が楽しくてうるさい兄のいる屋敷に足を運ぶのは億劫だったとみえる。」

「あら、私は屋敷にはよく顔を出していたのよ。お兄様がお忙しくて、私に会う暇などなかったのでしょう。」

彼一流の親しみの表現ともいえる厭味と冷笑が混じる口調に、即座に切り返すと、レムオンが片方の眉を小さく上げる。

「妹の不興を買ったようだな。」

「ええ、でも許してあげます。」

「寛大な妹を持って、何よりだ。」

軽口を交わしてから、先ほどセバスチャンに渡そうとしたなめし革の袋を取り出す。

「そう、これはお兄様へのお土産。」

白く長い指先が、優雅な動きで袋の口を縛る紐をほどく。袋を傾けると、広げた掌に宝玉を埋め込んだ銀細工の腕輪が転がり落ちる。

「見事な品だな。ずいぶんな年代物のようだが。」

親指と人差し指で目の高さまで持ち上げると、その価値を見定めようとでもするようにゆっくりと視線を沿わせる。精巧な細工が、窓からの光を反射して、柔らかな銀白色の光を放つ。中央の宝石が、深い蒼から翠へと微妙に色を変える。

「リベンダムの近くの洞窟で見つけたの。フゴー家に鑑定してもらったら、守護の力があるのですって。」

「俺の土産にするよりも、売却して冒険の資金の足しにした方が良いのではないか。」

「ご心配には及ばないわ。お金には困っていませんから。」

「それは心強いことだ。では、ありがたく受け取っておこう。」

執務机に置かれた腕輪が、かたりと小さな音を立てる。身に着けてもらえなかったことに一瞬感じた失望を隠して、ジルは晴れやかな笑顔を見せた。

「じゃあ、私はそろそろ失礼するわ。お兄様の政務のお邪魔でしょうから。」

「・・・俺はこれから、王宮に向かう。館の外まで一緒に来い。」

ジルの様子に気が付いたのか、あるいは偶然なのか。机の上に置かれた腕輪を取り上げると、さりげない様子で腕輪を身に付ける。

自然に浮かぶ笑みを抑えながら、扉に向かう道を譲る。毛足の長い絨毯に足を踏み出したレムオンに、半歩ほど離れてついて歩きながら、その後ろ姿に声をかける。

「今日は、女王陛下との会食?」

「元老院だ。ディンガル帝国のロストール侵攻が近いという情報がある。」

「・・・戦争ね。」

ディンガル帝国皇帝として即位したネメアが、大陸統一を目指して兵力を増強させているという噂は冒険中にも耳にしている。青竜将軍カルラがロセンを陥落させ、次は朱雀将軍アンギルダンがロストール攻略に向けて準備を進めていることは、もはや大陸中の周知の事実となっている。知己である彼らと剣を交えることになるのは、楽しいことではない。

「俺は王都守備軍を統括することになる。お前にも、日頃の成果を存分に見せてもらうぞ。」

「・・・。」

「浮かぬ顔だな。戦争には反対、というわけか。」

「えぇ。」

「相変わらず、甘い奴だ。」

「どうせ、甘っちょろい冒険者です。」

「自覚しているとは結構なことだ。」

「もう。」

レムオンがふと足を止めて、軽く怒ってみせるジルに向き直る。

「もしも参加したくないなら、参加しなければいい。」

「・・・え?どうして・・・。」

意外な言葉に、思わず疑問の言葉が漏れる。

「やる気のない奴が陣営にいても、士気が下がるだけだからな。」

突き放しているのか、気遣っているのか。彫刻のような端整で無表情の顔からは、その真意は読み取れない。それでもジルは、顔をほころばせる。

「・・・やっぱりお兄様は優しいのね。」

「何を馬鹿なことを言っている。」

再び廊下をすばやい足取りで歩き始めるレムオンに、あわててその後を追う。館の前まで辿り着くと、門番が二人に気が付いて敬礼を送る。それに軽く答えてから、レムオンがもう一度ジルに声をかける。

「では、お前もあまり無茶をするな。・・・依頼に失敗したとあっては、リューガ家の名に傷がつくからな。」

「はい。」

「珍しく素直だな。悪いことでも起こらなければいいが。」

馬車に乗り込む後姿に顔をしかめて見せると、愉快そうな笑い声を残して馬車が動き出す。

王宮に向かう坂道を登り小さくなっていく馬車を見送ると、ジルはロストールの広場に向かって歩き始めた。





高く昇った太陽が、ロストール王宮前の白い石畳に強い日差しを投げかけている。馬車からその陽光の中に降り立ったレムオンは、視線の先に一番出会いたくない人物を認めて眉をひそめる。

「・・・ゼネテス。」

「よ、久しぶりだな。相変わらず仕事漬けの多忙な毎日を送っているようだな。」

「そういうお前こそ、毎日酒と女に明け暮れているようだが。そのお前が王宮に現れるとは、世界が滅びに瀕しているという噂が流布するわけだ。」

レムオンの鋭い舌鋒を、無造作に頭を掻く仕草で軽く受け流す。さりげない視線が、ふと貴族服の袖口から覗く銀の腕輪に落ちる。

「・・・珍しいといや、お前さんもずいぶん珍しく洒落たものをつけているな。例のサラミスの腕輪か。」

「サラミスの腕輪?」

「へぇ。ジルはお前さんに何も言わなかったのか。あいつらしいな。」

「どういうことだ。」

気安い口調に苛立ちを募らせたレムオンが、語気を強める。

「いや、お前さんも神聖王サラミスは知ってんだろ?」

「当然だ。・・・まさかこれが?」

神聖王国時代、女王サラミスは徹底的な宗教改革を行い、その一環として商人達を排斥する勅命を発した。これにより王国内の商人達は処刑されることとなったが、その際に聖堂騎士団長イグザクスが商人達を助け、国を脱し、現在の自由都市リベンダムの礎を築いたとされる。バイアシオン大陸で多少なりとも歴史に造詣を持つ人間であれば、誰でも知っている歴史上の事実だ。

「神聖王サラミスが、騎士団長イグザクスに贈った腕輪だそうだ。イグザクスはサラミスに恋をしていた。二人は結局別れることになるが、サラミスは別れ際にイグザクスに腕輪を守護の力を持つ腕輪を贈った。イグザクスはリベンダムを興した後、前線に立って神聖王国の猛攻を退け続けた。イグザクスを守ったのが、その腕輪だそうだ。」

「あてにならん話だ。イグザクスは結局戦場で倒れたはずだ。」

「何でも、イグザクスとサラミスの内通を疑う商人達に責められて、イグザクスは腕輪を外して戦場に立った。その日に、イグザクスは心臓を貫く一本の矢を受けて倒れた、ってことだ。」

「・・・。」

「リベンダムの豪商フゴーは、珍品に目がない。ささやかに暮らす小市民が卒倒するような値段を提示したらしいが、あいつは首を振らなかったらしい。冒険者の間じゃ、ちょっとした話題になっていた。」

「・・・何も考えていないのだろう。とぼけた奴だからな。」

「かもな。ま、お前さんみたいに八方敵ばかりって奴にはちょうどいい土産だとでも思ったんだろうな。」

揶揄するように、にやにやとした笑みを浮かべるゼネテスに、レムオンが険しく眉根を寄せる。

「この際だから、はっきり言っておく。」

「うい。」

「妹に近づくな。お前のように風紀の乱れた男にジルの周りをうろつかれては迷惑だ。」

「お義兄様にはすまないが、ジルとはこれからデートってことになりそうだぜ。」

「ゼネテス!」

手が両腰に下げた愛剣に伸ばされる様子を見て、ゼネテスが落ち着けというように両手を上げてみせる。

「戦場で、な。」

ゼネテスの言葉に一瞬意表をつかれたレムオンが、次の瞬間には言葉の意味を理解して、罵倒の言葉を吐き捨てる。

「・・・あの雌狐!!」

「ま、そういうこった。王領軍が戦場に出ている間、王都守備軍を預かるお前さんが悪さをしないよう牽制のための人質ってわけだ。」

「・・・。」

荒々しく踵を返しかけたレムオンに、ゼネテスが後ろから言葉を投げかける。

「なぁ、レムオンちゃん。」

「そういうふざけた呼び方をするな!」

「冗談だよ、エリエナイ公。そう怒るな。」

「貴様のつまらない冗談に付き合っている暇はない。」

再び立ち去ろうとする様子に、ゼネテスがやや真剣さが混じる声で応じる。

「お前さんも竜王の咆哮を聞いたろう。ネメアが皇帝として即位し、無限のソウルを持つ者が現れる。・・・そして、闇が動き始めているって噂もある。・・・一体これから何が起こるかはわからんが、お前さんも気を付けた方がいいぜ。」

「余計な心配をしなくても、貴様は俺がこの手で地獄に送ってやる。貴様の敬愛する叔母君とともに、な。」

「そりゃご親切に。人のために掘った墓穴に、自分が落ちないように気を付けた方がいいぜ。・・・もっとも、お前さんはそれがある限り大丈夫かもな。」

「・・・。」

「じゃあな、かわいい妹君によろしくな。」

言い返す間もなく、軽く手を振って早足で立ち去る。その様子を、無言でレムオンが見送る。



不意に。

王宮から一陣の突風が、服と髪を乱し、石畳を抜け、空へと吹き上がる。



―――ふふ、くくく・・・。



その風の中に、少年の笑い声を、聞いた気がした。

闇が動き始めている・・・。

その言葉が、再び鮮烈に蘇る。



無言で立ち尽くすレムオンに、まばゆい新緑の若葉が春の陽光をさえぎり、暗い影を落としていた。





ちなみにこの話は、いつも館の居間にしかいれてもらえないので思いつきましたです(笑)。ゲーム中では入れてもらえないけど、親密度が上がれば館の中まで入れてもらえるはず〜(笑)。私的には、信頼以上で執務室、熱愛以上で夕食、激愛以上で館に泊めてもらえるのではと思ってマス。

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