お弁当の果てに

藤田教官と結ばれて暫く後のことです。

「…あれ?」
トースターの影に隠れた袋を見つけ、佐藤は首を傾げた。
歩み寄りその袋の中身を確認すると目を大きくさせた。
「わーっ、徹さんてばお弁当忘れてる!」
パタパタと慌てて玄関の外へ出るが、定刻どおり出掛けたこの家の主は影もなく…。

今日は日曜日、いつもは登校で賑わう子供達も、まだ夢の中のようだ。
しかし自動車学校の教官である藤田徹にとっては、人が休みのときこそ仕事であり、
夏の満員時を超えた今でも、休みの日はいつもどおり仕事であった。
それにも慣れてきた今日この頃、まだ静かな住宅街の道端にて、は袋片手に考え事を始めた。

(さてどうしよう…、
今日は私休みだし、昼に間に合うように持って行けばいいかな…
それにしても珍しい…あの徹さんが忘れ物をするなんて…、…、
…はっ!
もしかして私のお弁当があまりに不味くて最初のうちは我慢してたけど、
いいかげん付き合いきれなく…というか気付けよ! って事!?)
は顔をさっと青くさせると、慌てて 弁当を開いて口に運んだ。
別に道端で食べんでもいーだろうが…
と思われるが、思いたったら即行動、が佐藤の長所であり欠点でもある。

(うん…別にまずくは…)
と、思いかけて、治りかけた顔色を、また青くもどした。
(しまった! 自分で食べてどーすんのよっ作り直さなきゃっ)
頬にご飯粒を残したまま、は慌てて家へと戻っていった。

その頃、かの想い人はと言うと…
「…しまった…俺としたことが」
仕事場に着き、すっかり弁当を忘れていたことに気付くのだった。

そうとは知らず佐藤さん、自分の食べた弁当の埋め合わせをしながら
(くぅ~っ不味いなら不味いって言えばいいじゃないっ
もー絶対自校におしかけてコレ食わせてやるんだから!!)
勘違いはとりあえず、鬼教官との同棲で心身ともに逞しく(?)なっているのだった。

正午前、予定通りは自校の門の前にやってきていた。
(さ~てどうやって渡してやろうか…っと…
それにしても、懐かしいなぁ…ここ)
大学と同じ敷地内にあるとはいえ、
広大な土地を所有する證河学園では、用がない限り他の施設など目に移らず、
はしばし自校の風景を眺めながら、思い出にふけっていた。
と、突然、
ドンッ
と体当たりをくらわせられ、その相手ごと尻餅をついてしまった。
「った~…何!?」
状況が飲み込めず、は自分の目の前にいる人物を見やる。
綺麗な黒髪が光を受けて輝いていた。
(…女?)
は俯いたままの顔を覗き込もうとすると、上の方から懐かしい声で呼ばれた。
ちゃん…!?」
「…あ、拓巳さーん。お久しぶりです」
藍色の髪にきちっと着こなした制服で、證河拓巳は藍色の目を見開いていた。
「久しぶりだね…今日はどーしたの?」
「いえ、どうもこうも…、…あ゛――――――!!!!」
突然の大声に拓巳は怯んで後ずさり…すると、べちゃ、と何かが潰れる音がした。
「え…?」
拓巳が振り向いたそこには、が作り直した弁当が悲惨な姿をさらしていた。
「あちゃー…、これってもしかしなくても…」
拓巳がゆっくりとに目線を合わせると、は口をヘの字の歪めて、ひたすら頷いていた。
「それもこれも、この人が―」
と、自分が抱きとめてしまっている女の肩を掴むと、女は突然
「わ―――んっ!!」
と泣き始めたのだった。それを誰よりも驚いたのはであり、
(な、なによー!? 私が何したって!? 泣きたいのはこっちよ~!!)
と心の中で涙するのだった。

「なんやー騒がしぃ…」
その声を聞きつけたのか、見るからに派手な男が首をコキコキッとさせながらやってきた。
「蒲生先輩!」
またもや懐かしい姿には半ばすがりつく様な声でその名を呼んだ。
赤毛の男は”おぉっ”と声をあげるとニコニコしながら近づいてくると
「よー、いつの間に趣味変えたんや」
と言った。”はいぃ?”とが蒲生を見返すと、
「随分べっぴんさん抱いとるやないか」
と、黒髪の女を指差した。
「ちっが――うっ」
が蒲生を睨むと、”冗談やて”と蒲生は両手を前に出して”おちつけ”のジェスチャーをした。
その様子を立ち見していた拓巳は”ああ”と手を打った。
「そうそう、瑞姫(みずき)さん、大丈夫…かな?」
と、黒髪の女の肩に手をかける。
「拓巳さーん、下敷きになってるのは私なんですけどー」
と、は抗議の手をあげる。
”ああっごめんっ大丈夫!?”を焦る拓巳に”いえいえ”とは冗談だと笑って見せた。
「ほ~、なんや逞しゅーなったなぁ? 
蒲生は手をあごに置き感心している。
「…そりゃー鬼と同居してますからね~」
そうが笑いながら言うと
「おーそーやそーや、夫の不始末は妻の不始末、その子なんとかせーや」
と蒲生は女を指差した。
「…はいぃ?」
はしっかりと顔を歪ませた。

「…と、ゆーわけなんよ」
そう蒲生が経緯を話し終えたの正午過ぎ。
場所を移動し、噴水に腰掛けた蒲生は足を組み替えた。
瑞姫と言う黒髪の女はと言うと、相変わらず顔を俯けたまま自分の膝を見つめていた。
拓巳は受付の仕事があるためもういない。
「えーと…つまり、藤田先生が厳しくて厳しくて逃げ出した、と…」
公園の野外売店で買った(というか、蒲生に3人分おごらせた)サンドイッチを頬張り、はそう要約した。
「…エラい省略しとるけど、まぁそーゆーことやな」
少し不満そうに蒲生が頷く。
「へぇ…まぁ…厳しいけど…」
がそう呟くと、瑞姫は急に顔をあげて訴えた。
「厳しい!? 厳しいなんてもんじゃありませんっ! あれは人権侵害です!!」
いきなり目を見つめられたはついたじろいだ。
「じ…じんけん、しんがい…スか」
は蒲生に目をやると、お手上げポーズを決め込んでいた。
「ま、そーゆーことやから、よろしゅーなぁ奥さん」
「だーかーらっ違いますって」
「そやかて、もう長いやろ? そろそろとちゃうの?」
ニヤニヤとそう言ったかと思うと、”ほな、午後の教習始まるやさかい”と行ってしまった。
「蒲生せんぱ~い…」
あとはの情けなさげな声が響くだけだった…。

一方、今日のの災厄の根源とも言える男は、自校で注文した弁当を食べていた。
それを見つけた拓巳は声をかける。
「すいません、藤田先生。僕がもっとしっかりしてればちゃんのお弁当食べられたのに」
「?」
藤田が眉をよせるのを見て拓巳は”あ!”と思い出す。
「そっか…ちゃんあの後蒲生くんと行っちゃったから、先生に会ってないのか…」
「…あいつが来たのか?」
「あ、はい、お弁当持って…。だけど入り口のとこでダメにしちゃって」
「どこか怪我したのか?」
藤田の顔が一層険しくなったのを見て、拓巳は”いえいえ”と首をふった。
「実は―――」
そう拓巳が経緯を話そうとしたときだった、受付のほうから呼び声がかかる。
「あっもうこんな時間だ! 先生も早くっ午後始まりますよっ」
そうばたばたと拓巳は呼ばれたほうへ走っていた。
「ああ…」
藤田は心ここにあらずという様子で返事をした。

さんはあそこの卒業生なんですか?」
「うん。…まぁこの前やっとペーパーとれたところなんだけど」
は噴水で瑞姫と話していた。
…そんなに変な子じゃない。
それがの感想だった。
確かに”人権侵害”発言にはびっくりしたが、話してみるとなんてことはない、友達にいてもおかしくないような女子大生だった。
「じゃぁあの鬼教官とは1年以上…」
「ああまぁ…そう、なるね…」
先ほどから瑞姫は一度たりとも"藤田先生"とは言わず”鬼教官”で通している。
(…まぁ自他共に認めてることだし、構わないだろうけど…)
ついは明後日の方向を見つけてしまう――今さだけど、そんな”鬼”と1年以上同棲してる私って…
「まぁ教官も色々いるからさ…ちょっと我慢すれば済むんじゃないの?」
”鬼”であることは否定できないので、は別の方向に説得に出た、が。
「私も最初はそう思ってました…けどっもう5回も連続でアイツでっ今日は特に機嫌が悪くて~っ」
”取って食われるんです!”と言い出さんばかりに瑞姫は涙ぐんでいた。
(あはは…私なんか毎日乗ってた気がするけど…)
遠い日を思い出し、ついほおけそうになるを瑞姫は新たな質問で呼び戻す。
先輩はあの人のどこが好きなんですか!?」
「え!?」
いつの間にか先輩になってしまったことより、その後の言葉にはびっくりした。
どこが…好き…?
――若いカップルなら、”ねぇ、私のどこが好き?”なんてセリフはありきたりであるが、藤田佐藤ペアにとっては縁のない言葉だった。
「どこ…どこ…って聞かれると…う~ん」
つい腕組みをして唸ってしまう。
「あの…じゃぁどうしてすぐ同棲なんて…」
なかなか答えの出ないに瑞姫は別角度から聞いてきた。
「うーん…。それは…自校に通ってて、最初はかなり怖かったけど…」
記憶の糸を辿りながら、は出会った頃を思い出した。
「…あるとき、どうしても出来ないトコがあって、怒られるの覚悟で思い切って聞いてみたら、結構普通に…というか、丁寧に教えてくれて…それからかな…、なんか人間味を感じるようになったって言うか…」
そう――思い切って一歩踏み出したら…いつの間にかあの人が好きになっていた…
色んなことを思い出し、は”ああそうだ”と思い出したように続けた。
「そうだ、どこっていうわけじゃないけど…笑顔が好き…かな」
それは自分に踏み出す勇気をくれたような気がするから…と少し頬を緩ませていたを、瑞姫は訝しげに見ていた。
「えがお…ですか…」
今にも身震いを起こさんばかりに、その顔は青ざめていた。
「あははっ、まぁさ、鬼って言ってもやっぱり人間だし…悪気があるわけじゃないから…」
がそう話しかけると、瑞姫は少し頷いた。
「先輩みたいな人が奥さんなんだから、そんなに悪い奴じゃないと思います」
「だ~か~らっ違うってっ!!」
全面否定するの顔は、少し紅潮していた。

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