ミックという名前の女の子の実らない夢の話を主旋律に主人公シンガーと
町の住人たちの孤独が浮き彫りにされていくちょっとシンドいお話です。
私は若いときに読んだのでおかげで今は○○○○。(~_~;
マッカラーズははじめてのダンス・パーティーでも誰にも誘われることもなく
背が高いせいで子供たちからは「上のほうは涼しいかい?」とからかわれ、
大人たちには「頭の上に煉瓦をのせておくといいよ」と言われたりする少女時代をすごし
最初の作品は15歳のときに書いたということです。
当然のことながら(~_~;あまり幸福でない結婚生活(同じ相手と二度の結婚、旦那さんは薬と
アルコール漬けになり後に自殺、その前には心中をせまったりも(~_~;←三回目の登場)を過ごし
亡くなったのは今の私と同じ歳。
少し早すぎるというのかよくもったというのかはワタシニモヨクワカラナイトコロデス。
タイトルの元になったフィオナ・マクラウドの詩、全文は私は未読。男性なのですが女性名での
ペンネームでも、ものを書いたりとなかなかおもしろそうな人らしいです。
私の手持ちは河野一郎さん訳の新潮文庫版なのですがどうやら絶版らしく(最近知りました)
今のところ日本語訳は手にはいらないみたい。生まれた国アメリカでは今も評価は高く
Webサイトなども幾つかあるようですが・・・。
でもなんとなく私の住むこの国での彼女の扱われ方を思うとき私は前にも書いた
ローランサンの「鎮静剤」の「死んだ女よりもっと哀れなのは忘れられた女です」
などというフレーズを思い出してしまい、
忘れられそうなことこそ唄いたいというヘソマガリでもあるのでこのように長くなった次第。
追記 1
「愛すれど心淋しく」というタイトルで映画化もされていますが私は原題のほうが好き
※というよりもこちらではこのタイトルで公開と書いてもよかったかも。
映画の画面ではもちろん「The Heart is
a Lonely Hunter」と大写しになります。2006/10/6更に追記
追記 2
この作品「心は孤独な狩人」が今、手に入らないのは主人公シンガーが
名前は「唄うたい」でありながら口の不自由な男という設定のため
小説の中ではいわゆる「差別語」も使われているのでそのあたり
かなとも思います。ゴダールの有名な映画もこの頃は新聞などでは
原題で表記されていたりしますから。
(結局ウレナイカラというのが一番の理由のような気もしますが)
追記
3 私は「カースン・マッカラーズ」で馴染んでいるのですが最近は「カーソン・マッカラーズ」
と表記されることも多いようです。(検索のご参考に)
←今回は彼女の種族のことには触れずじまい(^o^)
(新潮文庫版の河野一郎さんによる解説を参考にさせていただきました。お話の解釈は私です。)
※「〜を主旋律に」というのは一度は使ってみたかったフレーズ。デモナイカ。
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