ルーチェへのレクイエム |
「ロータリゼーション」が裏目に出た、悲運の広島製ハイオーナーカー
今は亡き「ルーチェ」は、昭和41年にファミリアにつづく、マツダの普通車第二弾として誕生した。エンジンは
1500(後に主力エンジンとなる1800を追加)、全長4.4メートル弱の6人乗りボディ(ベルトーネのデザイン)
は、当時のコロナとクラウンの中間のサイズで、ローレルやマークU、フローリアンに先駆けてデビューした、
いわばハイ・オーナーカーの元祖である。
S44年には、「ハイウェーの貴公子」のキャッチフレーズを掲げて、ルーチェ・ロータリークーペがデビュー。
当時のクラウンHTより高い、175万円(スーパーデラックス)のプライスを掲げた、今日のソアラのような車で
あった。なお、この車は「ルーチェ」を名乗ってはいるが、駆動方式からエンジン、ボディパネルなど、全てが
セダンとは100%別の、新設計の車である。エンジンは、セダンが1500、1800。クーペがRE13A。
1000台弱のみ販売された、幻のルーチェ・ロータリークーペ。
47年には2代目がデビュー、大鷲をテーマにした、ダイナミックなアメリカ調のスタイリングにバトンタッチ。
この2代目は、セダン・カスタムセダン・HT・ワゴン・バンというワイドバリエーション、主力となるロータリー・
パワーで、一時は同年に新型になったローレルを上回る人気(登録台数:69,123台、ローレルは65,148台)
を博したが、オイルショックの48年以降は、人気も急激に下落した。
このモデルでは、APことアンチ・ポリューション車(低公害車)が登場したことがエポックメーキングだろう。
ルーチェAPは、世界で初めてマスキー法に対応した「サーマルリアクター方式RE12A型エンジン」を搭載
して発売された車で、東京都の低公害車認定第一号車である。なお、CVCCで有名なシビックは、エンジン
単体のプレスリリースはマツダより早かったものの、発売の方はルーチェに遅れること一ヵ月で、第二号車
である(ホンダ自身、未だにCM等では「世界で初めてマスキー法に対応したのは、うちのCVCCエンジン」
などと語り、「60年代から環境対策を熱心にやっていました」みたいに訴えているが、良く読むと「世界初」
の後に「発表」と書いているあたりが、ホンダらしくセコい…)。
因みに、カスタムセダンとは、セダンにHTのマスクを移植しただけのモデルであるが、当時はこういった
ワイドセレクションが全盛の時代であった。エンジンは、レシプロ1800、RE12A、それにグランツーリスモ
専用のRE13Bの三種。
HT・RE12A・GSU。後に豪華仕様のグランツーリスモを追加。
52年には、上級機種として4ドアのみとなる「ルーチェ・レガート」を追加(2代目もしばらくは併売された)。
より上級ポジションへ移行する。なお、1年後には「レガート」の名称が取れて、ただのルーチェを名乗るよう
になるが、これは某メーカーとの間で、「商標」違反だと非公式に抗議を受けたため…との説がある。余談で
あるが、マツダの旧CIマーク(現在のMマークの前に使用していた、丸の中に菱形のあるもの)は、実は、2
種類あるのをご存知だろうか?(中央の菱形マークの内側が、四角いものと丸いもの)。これも、海外の某
メーカーから抗議を受けて、途中で手直ししたせいである(笑)
この3代目は、前期モデルは縦型2灯式ヘッドライトが特徴で、後期型はベンツマスクが特徴になっている。
ボディタイプも、2ドアHTが消滅し、代わりにクラウンを思わせる4ドアピラードHTが登場した。また、後期型
の上級グレードでは、ルースクッションシートが標準となるなど、(一部グレードでは)クラウン・セドリックをも
意識した豪華仕様になった。因みに、前期型にはタクシーや教習車用の廉価グレードとして、丸型ヘッドライト
を持つモデルも存在した(マイナーチェンジ後にも併売されたかどうかは未確認)。エンジンは、1800の他、
御馴染みのRE12A、更には先代グランツーリスモ専用のRE13Bを豪華仕様のリミテッドに搭載し、トヨタ
や日産の2600(2800)に対抗した。昭和54年にはレシプロ2000、55年には、同EGI&2.2ディーゼル
も加わった。
レガート・セダン・RE13B・リミテッド。他に4ドアピラードHTあり。
56年デビューの4代目は、コスモと双子車になったため、非常に先進的なスタイル(特にHT)で登場した。
バンパーも含め、徹底的にフラッシュサーフェイス化されたボディは、現在にも通用するデザイン処理であり、
当時のソアラよりも進んでいた。また、内装、例えばインパネやシートのデザインも同様で、近未来イメージ
であった。が、その一方で、(機能的だが)シンプルな印象を与え、あまり人気は出なかった。
また「時代のフルサイズ」(=省資源を謳い文句に、若干ダウン・サイジングした)を銘打って、パワーよりも
省燃費型のエンジン(RE6PI)にしたことが、全体のシンプルで地味な印象に、拍車をかけた。そのせいで、
例のハイオーナーカーブームにも乗り遅れた。そこで、翌57年にはRX−7用のREターボを追加し(内装も
ワインレッドを採用)、一挙にパワー&豪華路線に転向した。更に、58年のマイナーでは、13B(RE−SI、
新型共鳴過給システム付き)を復活させたり、先代モデルを思わせるコーナーピロー付きのルースクッション
シート等の豪華装備を奢るなどしたが、結局ハイオーナーカーブームからは、取り残された格好となった。
この型のセダン(正式にはサルーンと呼んだ)は、5代目モデル登場後も大幅な化粧直しを受け、教習車
及びタクシー専用車である「カスタムキャブ」として、長らく併売された。エンジンは1800、2000、同EGI、
RE12A、RE12Aターボ(S57〜)、RE13B(S58〜)、ディーゼル2200と、かなりのワイドセレクション
であった(笑)
HT・RE12A(6PI)・リミテッド。尚、セダンは比較的フォーマル。
そして、FFファミリアのヒットで儲けた?マツダは、S61年秋、抜本的なモデルチェンジを行い、5代目となる
HC型を誕生させる。HC型は、それまでハイオーナーカー路線ではトヨタや日産の後追いばかりを続けてきた
マツダが、初めて独自色を打ち出したモデルであり、同社の高級車の集大成と言うべきものである。
そして、最終型となった5代目。HT・V63000DOHCリミテッド。
HC型は、以下の点で、それまでのルーチェ、あるいは他社製ハイオーナーカーと根本的に異なった。
・ロータリーに代るメインユニットとして、悲願であったマツダ初の6気筒(V6)エンジンを搭載。
・スーパーモノコック・ボディなる、欧州製高級車を手本にした高剛性ボディを採用。
・E型マルチリンク・リヤサスや、65扁平タイヤを採用し、操縦安定性をアピール。
また、基本的には上級小型車のポジションに留まりながらも、ボディを更にサイズアップ。バンパー部分を
除いたボディ全長が4.6Mを超え、クラウン・セド/グロと同等の(タクシーでいう)中型車サイズとした。更に
クラウンの代名詞であるロイヤルサルーンの対抗機種として、最高峰グレード・ロイヤルクラシックも登場した
(13B&V6ターボ)。
3バルブ方式を採用したエンジン、高剛性ボディ、E型マルチリンク・サスには、いずれもメルセデスを目標
(理想?)としていた開発陣の思想が表れている(スタイルまでもが似てしまい、「広島ベンツ」なる陰口も叩
かれたが…)
これらにより、それまでの弱いボディを柔らかいサスペンションでごまかしていた日本的なハイオーナーカー
とは一線を画した乗り味で、評論家諸氏の評価も高かった。そのことも手伝ってか、デビュー直後はV6ターボ
などの高級グレードを中心に月販台数5000台を誇ったが、翌年初夏にデビューしたY31グランツーリスモ
に動力性能で抜かれ、また秋になり新型クラウンがデビューすると、一転して人気は下降してしまい、結局は
マークUグランデやローレルメダリストと同じ、ベーシックな200万円強のリミテッドに販売の中心が移行する
とともに、月販台数も2000台前後へと落ち込んでしまった。
それでも、5代目はバブル絶頂期に販売されたモデルゆえ、同年秋には久々のマツダ製3ナンバーである
3Lモデル(ロイヤルクラシック)を追加した。また、翌63年のマイナーチェンジでは、3Lエンジンのヘッドを
4バルブDOHCに変更し、同時にユーロ仕様サスペンションを持つ3000リミテッドを追加したり、本皮内装
(3000RYC&LTDにオプション)を用意するなど、同社のフラッグシップモデルとしてワイドバリエーションを
誇った。また、2L版にも本皮内装のクチュール(限定車)や、晩年には3Lのリミテッドグランツーリスモなど、
多数の豪華仕様車を準備したのも、バブル全盛のこの頃らしい特徴である。
なお、このモデルも、セダンの4気等車だけは、(センティア登場後も)教習車&タクシー用として、しばらく
併売されていた。また、提携先の韓国のキア(現在は現代傘下となった)では、2代目センティアをベースと
したエンタープライズが登場するまで、長らくフラッグシップモデルとして君臨した。
搭載エンジンは、L4・2000、V6・2000EGI、同ターボ、V6・3000EGI(S62〜S63:RYC)、同DOHC
(S63〜:RYC&LTD)、RE13Bターボ。
因みに、ルーチェは次のモデルチェンジで「センティア」と改称、バブリーな成り立ちで一時は人気を博すも、
その後はジリ貧となり、2代目となるセンティア(ルーチェから数えると7代目)でモデル消滅してしまった。まあ
内容的には、あまり見るべきものはなかったが…
→ センティア試乗記
しかし、どうせ消滅する運命なら、最後まで伝統ある「ルーチェ」を名乗って欲しかった。クロノスも、結局は
カペラに戻ったのだし…
2代目センティア。兄弟車のエンタープライズは、マジェスタ顔を採用。