本文へスキップ

太刀が迫物語は本州の西の端の隠里の物語です。

TEL. 083-786-1617

〒759-5241 山口県下関市豊北町阿川2298

浜出祭山口県指定無形民俗文化財

趣意書より

 浜出祭と呼ばれるこの祭りは、七年ごとに行われる豊北町に残る大祭典であり大民俗行事です。
豊北町で最も山の中にある田耕神社を発した行列は、延々18キロの道を 花巫女(はなみこ)将家(しょうが)伝御(おとな)等が、馬上の装いも美しく海辺の土井が浜に向かって御神行します。
一方、花巫女・山伏等を伴い、海辺の神功皇后神社を発した神玉神官付き行列は途中山田佐平治付き行列と合流し、
中間点の滝部境 堀切の陣屋で出迎え田耕側と対峙します。
 神官と伝御長の古式の口上挨拶がそれぞれにあり、それが終わると合図とともに両者の行列は人馬、物具、数百人の
共奉員が古式豊かに祭場の土井が浜を目指して御神幸します。
 道中の行列は美観を呈し、まさに古式の大絵巻であり、近郷の人々はもちろん遠方からも多くの人々が参集して奉迎の誠を捧げます。
 浜出祭の中でも、土井が浜で行われる神事「浜殿祭」は
七浦(粟野、阿川、島戸、角島、特牛、肥中、和久、矢玉、二見)の塩の清めに始まり、大鰤を供え、鰤切り神事、悪気退散の蟇目行事、神子の舞、神酒三献、魚裾等が行われます。
 諸行事は使者奏者の口上が違えば諸事進められず、坐詮議、御幣振り等は広く知られたところです。
伝説によると浜出際(浜殿祭)は蒙古襲来に際し敵国降伏の祈願を行ったところ、その神意により土井が浜および田耕の
鬼ケ原にて敵兵が全滅したといわれています。
 この困難を乗り越えることができたのもひとえに神慮によるところと、外敵退散の神事として土井が浜に御神幸の典を挙げることとなったのが始まりです。
 ところがその後祭事は廃れ、江戸時代に凶作疫病がはやり、これを占うと蒙古兵のたたりとのご神託があり、撃退のゆかりの両神社において再会の神事を行ったところ、さしもの疫病もやみ、その年(享保18年)より豊作豊漁が続いたことから、祭祀重きを加え今日に至るといわれております。


 堀切の陣屋で対峙

 口上を申す。

 返礼をする。

 出発。

 主役。

 神輿。

 神子。



 神輿到着
 神事始まる。

バナースペース

太刀が迫農園

〒759-5241
山口県下関市豊北町阿川2298

TEL 083-786-1617
FAX 083-786-1617