徒然なるままに

2018.9.27-


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かつて護念さんがくれた「ガンバレ和尚」のgif
WitとParodyとCaricatureとInvectiveに付いていくのは大変だろうね

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2019.4.24

篠山の郷土史を研究していく上で欠かせないのは『篠山領地志』『封彊志』『多紀郡明細記』などの古記録である。『丹波志』は全部そろっていなくて、一部欠本があるが、筆写本を再刊された方がある。『篠山藩日記』と言う物があるが、刊行物がなくて、原本を読んで行くことはなかなか大変。閲覧も大変だ。先賢の著物を参考にしていくことが近道である。

 そんな中で、もう一度読み返した『今田村史稿』の中に、たびたび『両県指掌』という物が参考資料として引用がされていることであった。『両県指掌』とはいったい何物なのかという疑問(好奇心)が湧いていたが、やっと重い腰を上げて図書館へ行った。

 「両県指掌は多紀郡の『物知り帳』のような物だとは想像するが、今まで見たことがない。郷土資料の中にあるかなぁ?」とリファレンスサービスを受けることにした。すべての資料がデータ化されているのであれば直ぐにヒットするが出てこない。

 引用の中で「嘉永年間に書かれたもの」というわずかな手掛かりがあるのみであった。「気にしておいてもらって、わかったら今度来たときに・・・」と館をあとにしたのだが、小1時間程して館から電話があった。

 「国会図書館のデータを検索していたら、それらしき物がヒットした。『両県指掌(多紀郡明細記4)』とある。今度来られたら、そのヒット画面を見てほしい」ということであった。

 まだ画面を確認していないが、どうやら同じ書物に違う名前が付けられているのではないかと考えている。『多紀郡明細記』は嘉永5年に書かれたものだ。同一内容の物ではないかと思う。先賢に確認してみようと思うが、『両県指掌』の「両県」とは江戸時代においてどういうことを指すのか。「指掌」はなんとなく「詳しい説明」というようにも思う。こういう「ことば」からしてなかなか難しいものだ。

 いまとなっては直ぐに意味を調べることは可能だが、「別業」とは何か?と随分考えたことがあった。「副業」のことなのかと・・・。いやそうではなくて、今で言うと「別荘」のことだった。「別業を廃して庵とする」というのだが、「自分の別荘を寺にした」ということであった。あの時「大辞典」で調べておけばよかったのだった。今の常識的な知識ではチンプンカンプンの言葉であった。

 こういうデータの公開は研究する者にとっては甚だ便利な世の中になったが、個人情報の流出は、詐欺や強盗の材料にもなるというから恐ろしい世の中でもある。


2019.4.22

運転免許の切替講習。つまり「高齢者講習」である。視野角度は30代の平均値。動体視力0.6、夜間視力0.5だという。こういう測定値が出て、運転免許よりもドローン操縦がまずまず大丈夫だと、変なことに納得したものだった。

 教習所で貰った「修了証」を持って警察に行く。有効期間の延長手続きをしていた。写真も視力検査も既に終わっており、「今度修了証を持って来られた時には、新しい免許証が出来ていますからね」と言われていた。

いや、しかし「怖いなぁ」と思う。先日から高齢者の人身事故があり、市バスの人身事故があり、スクールバスの事故も報道されていた。

 「自分は大丈夫だ」とは思わないことにしている。若い頃には「ブーっ」とアクセルを踏んで広い道に出ていたが、左右から来る車の間隔を充分に確かめていると、なかなか道へ出られない。そんな時いつも思うのは「狭い日本 そんなに急いで何処いくの?」という標語だった。いや、昨夜風呂に浸かってふと思い出したのは、「おみやげは 無事故でいいよ お父さん」というのがあったなぁと。

教習所のコースを走って、一人ずつ教官から講評を受けた。ほとんどの人が「一反停止」が難しいという。「止まったつもり」が、「ちょっと動いておる」ということだった。日本一親切な、素敵な教習所での半日であった。最後に教官から、
 「お気を付けてお帰り下さい。教習所を出た途端に事故に遭わないようにね」と。
これにはみんな大爆笑であった。

もう運転することはないだろうが、大型自動車、大型自動二輪がついておる。若き日の思い出の一つなのだ。もう一つおまけは、有効期限が「令和」だと思っていたが「平成」だった。


2019.4.20

 中之島の香雪美術館へ行ってきた。「明恵の夢と高山寺」という展示だ。自分が見た夢を40年間、『夢記』として書き続けたものが展示されていた。フロイトの精神分析学や心理学、夢に関する精神分析などと関連付けて考えてしまう。

 心理学と言えば篠山出身の河合隼雄(京大教授)は、フロイトの『夢判断』を読んで心理学に出会ったということを聞いたことがあった。

 『鳥獣戯画』が一緒に展示してあった。実はこっちの方が主目的だった。

 「法要の場面」で、カエルが仏の役を演じ、猿が僧侶の役をしている場面がある。ここを見るといつも『天狗草紙』と重なって見えてしまう。

 『天狗草紙』は鎌倉時代、『鳥獣戯画』は平安末期-鎌倉初期と言われているので、ついつい世相を揶揄したものと見てしまう。猿が袈裟を着けてカエルをに向かって念仏している姿は、どう見ても世相の揶揄としか見えない。

 『天狗草紙』は『鳥獣戯画』の影響を受けて描かれたのかな?とも想像して見入ったのであった。実物を見ておくのも冥土の土産には話の種になる。鄙には鄙の良さがあるが、鄙では「戯画」を見る機会はない。こういう実物は通販やネットでは出会えないから、ノコノコの出かけねばならない。

 それにしても、土曜日とあって多くの見学者であふれていた。場外休憩所で「おにぎり」を味わっていた初老の人もいた。駅の「時空の広場」もだ。それぞれがそれぞれの土曜日を楽しんだのであった。


2019.4.18

 昨日は京都。会議が意外に延びて帰りが少し遅くなった。老骨に鞭打ってではないが、新大阪から特急で帰ることとした。いや、世間は狭いようで広い。始発のフォームに並んでいるのは近くに勤めておられる方であった。奥さんと二人連れでの遠出の様子だった。

 遠出の時は鞄の中にチョコレートなどを持っていると空腹凌ぎになる。お二人にもちょっとお裾分けだ。

 ドイツからやっと楽譜が送られてきた。2月に頼んだのが2ヶ月ぶりに到着した。宛名シールをよく見ると、配達出来ないでドイツに返送されて、「Bitte dorthin!」と読むらしい手書きがあった。「ここへ配達して!」という意味らしい。もう一度飛行機に乗ってやって来た形跡がある。宛名はアルファベットで書いてあったし、郵便番号も合っている。郵便物は日本とドイツを往復したらしい。天正時代の遣欧少年使節団の旅は気の遠くなるような日程だったのだろうなぁ。

 マーチなので、楽譜が面白い形になっている。全部がパート譜で、複数楽器になっているパートは楽器の編成数だけ譜面がある。しかも管楽器に着ける小さな譜面台の大きさの楽譜なのだ。老眼ではこの距離の楽譜はピンボケになって・・・。著作権とか出版権の関係なのだろうが、すべての頁に「通し番号」が印刷されており、購入者ごとの「ID番号」も、購入日の日付も着けられていた。

 https://www.youtube.com/watch?v=aH6A8-yvlt8&list=RDaH6A8-yvlt8&start_radio=1

この曲だ。

 とにかく聞いて見る。余り難しくはない編曲で、ほぼユニゾン風になっている。これならみんなも楽に吹けそうだ。管楽器のオンパレードになっているが、Sax6重奏の部分のみを取り出すことにした。またレパートリーが増えることになる。が、先月からはじめた『旧友』は、メロディーは聞き慣れているが、バックは意外と吹きにくい。メロディーは聞き慣れすぎているからだ。ちっと手こずっているのだ。

 どうせ「ジジイ」のバンドだから、ハナから「音学」ではなくて「音楽」だ。それらしく苦闘して、それらしく楽しめばよいのだ。


2019.4.14

 昨日はお天気も良くてお花見日和だった。「とある」会のバス旅行は、カミさんの調子も良くないし、私もイマイチだったので欠席した。遠出して体調が悪くなってしまうと、みんなに迷惑がかかってしまうことを心配した。
 が、それでも今年最後のチャンスかと、ドローンとビデオカメラを持って近くの桜を撮影して来た。

 あちこちの桜の根本でお弁当を広げ、友人連れやら家族連れやら、それぞれが楽しんで過ごしていた。市の中心部を外れた所に素敵な場所があるのだった。近寄らないで景色を撮影。

 篠山川に架かる「渡瀬橋」のシンボルの「イノシシ」にも桜の首飾りがしてあった。近所の「粋な方」のパーフォーマンスなんだろう。橋の両側だから4頭のイノシシの首飾だ。よく見ると本物の桜の小枝だった。江戸時代には橋がなく、浅瀬を渡ったので「渡瀬」という。お隣りの三木市にも「渡瀬」というところがある。

 一夜明けて朝から小雨。平成を見送るがごときの桜だった。「篠山市」も5月からは「丹波篠山市」になる。間もなく遠山金四郎になる。桜吹雪も、季節の移りを感じさせてくれる。あちこちの水田に水が入りだした。田植えの準備が進んでいるのであった。次はホタルの季節になる。


2019.4.9

 桜が満開になった。来年も生きているかなぁ?と、チョットだけ心配した昨年の桜との出会いだったが、何とか今年も生きておる。午前中は小学校の入学式に招かれて「一言」。「雨にも負けず 風にも負けず 学校へおいでよ」と、お祝の気持ちを託した。

 午後からは桜を撮影すべくドローンを持って出かけた。が、以外と風が強い。地上では風速5㍍ほどだから、ちょっと上に行くと、もっと強いかも知れない。風にあおられて事故になっては大変だから、様子を見ていたが一向におさまらない。無理は禁物だ。

 田圃の手入れをしていた旧知に出会う。日の当たる場所で暫く話しに花が咲く。先週、関テレの『報道ランナー』にピックアップされて説明をしていた。「変なところに石の鳥居が・・・」という中味だった。「思わぬ所から同級生が便りを寄こして来た」という。その前に地元の新聞に大きく取り上げられていた。「よかった よかった」と・・・・。

 そんな四方山話と、「地域の歴史をどのように次代に伝えるか」ということに話は展開して行った。小1時間、日向ぼっこをしながらのひとときが過ぎて行ったのだ。

 一人暮らしのお年寄りが二人。老人施設へ行った。寂しいかぎりだ。山積する施策の中で、この村では高齢者対応が何よりも急務になって来た。施設をたくさん作って入所を促すのも一つの方法だろうが、現代版「姥捨山」のように思えて、はなはだ寂しい思いをする。元気な人が考えてはくれるのだが、自分が入所して、個室でテレビ相手の毎日というと、「寂しい」ものがあるのではないかと思う。さりとて、昔のように付きっきりで相手が出来る状況ではない。現実と理想が合致しない「くやしさ」がある。

夜、風がおさまっている。ドローンをとりだし、バッテリーを温めて「夜桜」の撮影。というても、垂直に上げたり降ろしたりだ。それでよい。夜の空をあちこち飛び回ってはおっかない。昼間の映像と組み合わせれば「ポエム」は出来る。ハナからケツまでドローン画像でなければならないことはないのだ。1シーンだけクレーンショットがあれば良いのだ。

 養護老人ホームへ入所した人が記念にくれたハサミ。このハサミを使って身を立てていたのだ。取り出してしみじみと眺める。花冷えの風がソヨと吹き始めた。


2019.4.7

 自動運転車などはとても買えない経済力だから、長年乗り馴れたのを車検に出すが、オイル漏れがあったりして、高くついて長く入院することになった。もっぱら田舎のベンツで移動だ。3気筒なのに軽トラは意外と燃費が悪い。

 カーラジオを聞いていて思ったことがある。最近の若い人の好みの音楽のメロディーが、私らの年配とは違うのだが、どう違うのか?

 カルテットの演奏の時にセカンドがやっているあの主メロと外れたトンチンカンに思えるようなのが今時の主メロになっているらしい。リチャード・クレイダーマンのメロディーとはおよそ真逆なのだ。
 私などは、ついつい主メロに引き込まれて、カルテットの楽譜が吹けないのだ。セカンドを歌うなどとは、音感がスゴイのだなぁと思う。

 私の周囲に、「物忘れ」が進んでいる人いる。昔に身につけたことは難なく出来るのだが、今この時間のことが記憶できない。
 「Aの次にBだよ」と言うと、「わかった」という。
が、次の瞬間、「どっちが先だった?」と聞いてくる。
 「Aの次にBだよ」と言うと、「わかった」という。
が、次の瞬間また、「どっちが先だった?」と聞いてくる。

 もしかしたら、この人は「Bが先でAが後だ」という思いが定着しているのかも知れない
 しかし、他のどんな難しいことも、過去に憶えていることは動作も言葉も普通なのだ。会話も不自然ではない。ただ、話題が進行しにくいので同じ所をグルグルと回る。
 本人は「もどかしさ」を感じていないようなのが救いかも知れない。

 「昨夜は何を喰ったか?」と問われても思い出せない。そういう時はこう言うのだ。「印象に残る程の晩餐会ではなかったのぉ」と。

 40年前のSPレコードが棚から出てきた。高校の同級生が指揮をしている地元の「混声合唱団」77結成30周年ライブだった。ジャケットの写真には懐かしい顔がある。限定非売品だった。今ならCDだろうが、そんな物はなかった時代だ。が、保存状態は極めて「良」だった。

 音響と照明のグループを作っていた。録音は38㎝オープンデッキ。エンジニアは禅宗の坊さんだった。舞台照明は私。ジャケットの写真を見ると、ソフトフォーカスの地明かりが調和よく効いている。CDにダウンして何人かに持って行った。みんな懐かしんでくれた。

 歳をとると、「きちんと伝えておきたい」と思うから話がくどくなる。お節介なことも出て来る。が、
もはや「プライベード歴史博物館」の様相を呈してきた。興味のない人にはゴミにしか見えないであろうが「歴史資料」も随分の量になったものだ。資料はデータベースも大事だが「紙」は歴史を伝えてくれる。データベースは便利だが、一瞬にしてパーになることがあるからだ。

 あっそうそう。午後にちょっとドローンを飛ばしてみた。数ヶ月ぶりだ。いえなに、夜桜ライトアップを撮影しようとおもって、間隔を取り戻すのであった。ちょっと風が強い。夜、やってみようかなぁと外へ出るとやっぱり風が強い。事故ったら大変だから今夜は見送る。でもエライもんだなぁ。操縦感覚は衰えていなかった。


2019.4.6

 もしもピアノが弾けたなら・・・という歌があった。右手で丸、左手で三角を描く練習がマジックの基礎と頑張ったのは60年近くも前のことだった。そんなことに熟達せずともマジックはできることがわかった。
 しかしピアノを自在に弾いている人を見ると羨ましい。左手と右手では違う音程と違う長さを弾いているのだから。『星のセレナーデ』を中学生が上手に弾いている。あういうことができるのが不思議に思えてならない。

 歳をとってからのリチャード・クレイダーマンの演奏はまた格別だ。楽しんでいる表情がなんとも言えない。あういう表情はサックスでは不可能だ。微笑む口元などは不可能なのだ。微笑むとアンブシュアが崩れて音が出なくなる。サックスの吹き語りなどという曲芸は管見にない。ピアノやギターのように弾き語りができたらいいなぁと思うが。

 もしもピアノが弾けたなら、もしも蒸気機関が中国で発明されていたら、もしもエジソンがエジプト人だったら、もしもネアンデルタール人がホモサピエンスにとってかわっていたら、きっと世界は今とは違うことになっていたかも知れない。

「もしも、もしも」と、自分には起こり得ないことを期待するのが人間だそうだ。

今年も隣りの公民館の老桜をライトアップした。誰か見ているらしい。「綺麗だった」という話が伝わってくる。醤油の焦げた香りを撒き散らして食欲をそそる夜店の「イカ焼き」がないのが寂しいが、今夜は8分咲きになった。『星のセレナーデ』を口ずさみながらの夜桜はまた格別だ。


2019.4.3

 長野パラリンピックがあったのは 1998年。もう20年も前のことであった。
観客席で起こったウエーブに、ロイヤル席で観覧されていた美智子皇后がウエーブに参加された。今までに見たことのない無邪気な、なによりも楽しさが破裂するような笑顔であった。先頃の特集番組で初めて知った。膝をついて被災者に寄り添う姿とが重なって、豊かなお人柄を思わずにはおれない。、

 お隣の丹波市に植野記念美術館がある。数年前、新美南吉の展示会があって、その時に、『手袋を買いに』と『デンデンムシノカナシミ』という絵本を買った。

 美智子皇后が本を贈られる本の中に、この『デンデンムシノカナシミ』がいつもあると言う。
『デンデンムシノカナシミ』は、幼稚園ではちょっと無理かな?と思って、『手袋を買いに』を読んだことがあった。ちょっぴり部屋を暗くして、プロジェクターで挿絵を映しながらであった。それこそ雪のちらつきそうな日であったが、園児達は一生懸命に聞き入ってくれたのだった。

 この二つの絵本のお話をしながらのコンサートが出来ないかなぁと考えてしまった。ウインナーソーセージみたいな「ちゅっちゅアイス」を味わいながら、何10年も前を想い出しながら・・・。美智子皇后も「ちゅっちゅアイス」を味わわれたかなぁ?

『家に帰ろう』『Try to remember』『愛燦々』『Annie Laurie』などの静かな曲を、群青色のライトの中で、しんみりできる小さな小さなコンサートをイメージするのである。別名「ちゅっちゅコンサート」なんてのは?

 もしもピアノが弾けたなら、フランク・ミルズの『愛のオルゴール』や、リチャード・グレイダーマンの『渚のアデリーヌ』なんかも良いよなぁ。しっくり聞けるよなぁ。

 どっかで聴いた秋のシャンソンみたいな曲があった。
https://www.youtube.com/watch?v=YHEZAzntgK8
なのだが、ユーチューバーはロシアの人らしく、コメントすべてロシア語である。耳にした曲だが、日本ではどういう曲名なのか? いや、絶対に聴いているのだが思い出せないこのまどろこしさだ。

 昔の記録映画のことで市の視聴覚ライブラリーから問い合わせがあった。行ってみると、昭和初期に撮影された35ミリ記録映画(無声)に、私がナレーション解説しているものだった。題名は『高城山・・・』ということだった。篠山の八上城の波多野秀治の記念碑が設置された時の記録映画であった。ナレーションを聞くと、私そのものだった。バックに流れているのはフランク・ミルズの『愛のオルゴール』であった。

 この映画にナレーションを入れたのは? 『愛のオルゴール』のレコードが売られ、VHSビデオが手に入る頃だから、昭和49年から3年ほどの間である。ライブラリーの記録にはなくて、私の記憶にもさっぱりなくなっていた。が、実物の動画があるのだから間違いない。もう45年も前のことであった。


2019.3.31

 2019年4月1日に新しい元号が発表され、2019年5月1日から施行されることになっています。

 宗玄寺が無償提供しています「寺院過去帳管理システム」は、元号から西暦変換してデータの管理をおこなうようにプログラムが作成されています。西暦ではデータが入力できませんので、「新元号」が発表されましたら、ご利用の方ご自身で元号の追加改訂をしてください。

 改訂作業の方法は下記をクリックすると表示しますので、表示にしたがって実施して下さい。


http://www.gem.hi-ho.ne.jp/sogenji/download/gengoukaisei.html

 なお、個別の対応はいたしかねますのでご了承ください。

 また、このシステムで、元号を使用せず、西暦のみで入力や処理をする改変は計画しておりませんので、あわせてご承知おきください。


2019.3.29

 とうとうお役所の「年度末」がやって来た。例年より2日早い。今日で退官の日を迎えた後輩もおる。今はどうか知らんが、私の頃は、「決済伝票」の処理が、退官の日までに出来ないので、決済用のハンコを託して役所を後にしたものであった。「不正」とかどうとかということではない。3月31日付け迄の決済は任期中のこととて「せねばならない」ということだった。

 午前中から溜まった空き缶などをベンツに積んで清掃センターへ運ぶ。「篠山山南線」という県道に3本のバイパストンネルが完成して通り易い道になっていた。ゴミを満載したオンボロ軽トラでは大変失礼ではあるが、新しい道を通ることができた。

 帰りに友人の職場へ寄り道をする。4月1日には別の施設への人事異動の内示が出ているが、最後の忙しい?日に、年寄の訪問を受けて、それはそれなりの楽しい時間が過ぎて行った。いえなに、用事は「ライン」の仕方を教わることであった。何しろ返事がラインでは出来ない。まして、「スタンプ」なんてのは、いったいどうやってどうするのかはさっぱりわからんのだから。

 昨夜はラインでメールをくれた友人に、わざわざ電話で返事をせねばならないから、困ったことになっておったのだった。スタンプは好きなテーマを「買う」のだと。いやはや、セットから何から、全部して貰うことになった。ついでに、ピッピ・ピッピと鳴りまくるのを止めて貰うことにした。携帯電話に縛られるのは「まっぴらゴメン」だからだが、これで心置きなく大事なことに没頭できる。退職してタイムカードと縁が切れた時、「こういう世界があったのだ」と開放感に浸れたのと同じだった。

 夕方、ご近所の方の希望していた商品がウチへ配達されてきた。品物はネットで見付けたが、注文の方法や支払いの方法がわからんということだった。2個で5000円という品物だったが、到着したのを二人で開けてみると、1パック6個。つまり12個だった。ビックリしたなぁと、意外と1個当たりの安さに歓声だ。

 初めてのことは「わからない」のだ。何度かやってみると「簡単」なことであっても初体験というものは難しいのだ。

 サイクリングを趣味にしている友人の望みで、あの小さなゴープロ・カメラを持って行ってあげた。「猫に鰹節」どころか「豚に真珠」になっているカメラだから、これで楽しんでくれればよい。が、言うといたのは、「使い方がわからんと言われても、こっちもわからんからなぁ」と。

 iPadの中に「ボイス・メモ」というアプリが入っている。ふと思い付いたことを録音してみた。この音声をメールで送れるのであった。世の中には便利なものがあるが、使い方がわからん。

 最近気になっているのは、ドローン撮影での綺麗な動画をアップしていた方が、とんとアップが遠のいていることだ。年令も私よりちょっと上のようだったので・・・。コメントも止まったままだ。


2019.3.28

 先進国のドイツの郵便事情は日本の60年以上も前と同じに思えて来た。ここで他国の批判をするつもりは毛頭ない。

 前回はドイツから10日ほどでやって来たものが、今回は1ヶ月を経てもやってこない。ネットでドイツの郵便事情が書き込んであるが、郵便物がどこへ行ってしまったのかすらわからなくなる例があるという。

 マグロの刺身を注文すれば、新鮮なままで夕方の食卓に乗るなどというのは、日本だけの配送事情なのではないか。しかも、通販の品物は配送状況をネットで確認すら出来るのだ。

 「航空便扱い」などはすごいなぁと早とちりしてはいけないのだそうだ。飛行機の貨物室に余裕があれば積み込むが、そうでなければ飛行場でほったらかしになっているのではというのだ。ほったらかしになった郵便物は、もしかしたら忘れ去られる可能制だってなくはない。ドイツからフランスへ7週間かかって郵便が届いたというから、もはや私の常識では考えられない。

 日本の鉄道が10秒単位で動いているなどとは、彼等の世界では「驚愕」そのものだろう。それにしても、かつての「ライカ」や「アリフレックス」などの名器といわれたカメラが創られた国とは想像できない。ゼンハイザーのヘッドホーンやガンマイクは「あこがれの的」であったのだが。

 行方不明の郵便物は探し出しようがないという。日本でも年賀状が竹藪の中に捨てられていたこともあったのは事実だが。

 ラインをやっとこさインストールしたものの、これも「面倒くさい代物」だ。かつての塩月八重子の『冠婚葬祭辞典』を想いだす。この面倒なものよりも、メールの一斉送信でも十分だ。「見た」という返信をしなくても良いというのであればこっちの方が良いかもしれないが、グループ内の誰かが、「見たよ」という意味の返信をしたら、私にまで「ピンポン」と通知してくる。

 ピンポンの「押し逃げ」というのがある。ピンポンが鳴ったので、ゴソゴソと出て行くと、誰もいないのだ。「親機」の画像を見ると記録が残っている。郵便ポストに投函するだけなら、ピンポンを押さなくても良いではないか? イソップ物語の「オオカミが来た」ということになりかねない。

 ラインのグループ通信で、夜中に、中味は個人的なことをする人がおって大迷惑なのだそうだ。本人は特定の人に宛てたつもりなのだろうが、文明の利器は時として大迷惑をかけることになる。

 フェイスブックも、「をとこ(男)もすなる日記といふものを をむな(女)もしてみんとてするなり」と、紀貫之の『土佐日記』のようにやってはみたものの、一ヶ月でホトホト飽いてしまった。何で「ヨイショ」や「いいね」をクリックせねばならんのか。こんなことに時間を費やしている時間はない。「し残しているもの」は一杯ある。

 美味そうな「天丼」の写真が載っていても、この丼を食えん生活を余儀なくされている若者もおる。栗良平の『一杯のかけそば』という話がある。実話か創作かと、いろいろ論義はあるし、作者への批判もあるというが、「タモリが言った」「オッコが言った」というだけで絶対視するのはおかしい。そんなのはそういう人達の世界の中だけでやっとれば良いのだ。しかし、現実の社会では、辛いことは実在している。経済的だけではなくても、ネグレストにならざるを得ない親もいる。ネグレストになる前に「自立支援」していくシステムはできていないのだ。

 毎日のように報道される「児童虐待」も「モグラ叩き」みたいな対策しかできえない「人的・財政的」な現実がある。「一人の子ども」を救うことがどれほど難しいか。一杯の美味そうな「天丼」を食うのは「自由」だ。が、せめて1年に1枚のコインを、晴れ晴れと募金箱に入れて欲しいと思うのだ。

 「一億総中流」と言われ、自分は「セレブ」だと思っていても、実は「学力は親の収入に比例する」というのは現実化している。「格差社会」は現実に広がっている。「・・・・させて頂きます」などと、舌を噛みそうな「サシスセソ」のへりくだった言葉だけは普及したが、中味はそうではない。「巧言令色少なし仁」という言葉がある。「歯の浮くような言葉の裏にはたくらみがある」と言われて来た。
 
 言葉を美味いこと言うのには「原価」はいらない。植木等の『ゴマスリ行進曲』という歌がある。♪手間もかからず 元手もいらず♪♪♪♪エライヤッチャ おだてろ ゴマすってのせろ♪♪ と。


2019.3.27

 右を向いて左を向いたと思ったら、あっと言う間に日が過ぎていく。所用があって大阪へ出る。春休みとあって、若い子が一杯だった。エネルギーを貰ったつもりだが、やっぱり歳は歳だ。駅のベンチで一服する。いや、一服しているのは年寄だけでなく、若い人も一服していたので一安心だ。

 「ブルートゥース・イヤホーン」か「ブルートゥース・ヘッドホーン」がと思って店を覗いて、やっぱりやめといた。良いなぁと思う品物は、ものすごい値段がついている。たかがヘッドホーン、されどヘッドホーンだ。30万円もするのがあった。加齢現象で聞き取りがおかしくingなのに、ヘッドホーンだけ最高級品を着けたって所詮は・・・・だ。「憧れ」だけの世界だ。

 大阪へ行っていつも感心するのは、あの胃袋だ。食い物屋がよくもあれだけの数があるものだと思う。が、人がウヨウヨしているのは梅田界隈と難波界隈だけかも知れないが。それにしても、飯を食いながらもケータイと睨めっこでは、まるでニワトリが餌を食っているようだ。「もちょっと楽しんで喰えよ!」と言いたいが、あそこまでケータイの虜になっている人間が悲しいよなぁ。世の中からケータイがなくなったら、もっと人間性が復活するかも知れん。

 3月のダイヤ改正で「ウン?」と思うことが起こっていた。電車の扉が開かないのだ。ボタンを押したら開く。乗る時も降りる時も。乗降客の少ない区間は省エネ対策なのだろうか、それとも寒い外気が入ってくるのを防ぐための対策なのか、よくわからん。

 高校生の吹奏楽ってのはスゴイねぇ。「暗譜」なんだ。ビートたけしの書いているのに、「60を過ぎてから始めた趣味なんて碌な結果にならない」という意味だったが、まさにその通りだ。高校生の能力を、耳かき一杯で良いから貰いたいものだ。


2019.3.22

イチローが引退した。ホームランもさることながら、守備の空いている所へポトリと打つのはなかなか難しいと思う。好きな野球を続けられたことは良かったのではないか。これからは後進のアドバイザーとして活躍されんことをと思う。

 昨日は二つの「彼岸法要」。さすがに疲れた。やっぱり後期高齢者だ。免許証の更新も書類上は終わった。後は教習所での受講と運転がある。免許の期間延長だけのつもりが、写真も視力検査もということになって、「髭を剃っておくのだった」と思ったが、まぁええか。「深視力検査」というのがあって、今更大型トラックを運転することはないが、折角だから持っておくことにする。

 若い頃、大型免許はピンチヒッターでの給食配送車や通学バスの運転には役に立ったが、乗れもしない「大型自動二輪」は宝の持ち腐れだ。スクーター免許が法改正でこんな所へ行ってしまったのだった。こんな物に乗ろうものなら「脊椎圧迫骨折」は避けられんだろうなぁ。大形を取った頃は、パワーハンドルやブースターブレーキなどはなかった。ボンネット型のトラックにしがみついての実地試験だったなぁ。

 10数年前、郷土史を研究していると、古文書が読める事が大事なことがわかった。読めるようになりたいなぁと、欠席勝ちながらも「古文書を読む会」に入れて貰ったのだった。どこで手に入れられるのか、今見直すと、意外と篠山の古文書がテキストに多く使われていた。

 たくさんの資料を読み返して見ると、神社の再建や神号授与に大きな関わりを持った陰陽師のことや、1650年の宗旨人別帳などがあった。熱心なリーダーの努力のたまものだと、あらためて感心している次第だ。キリシタン禁制の篠山藩の高札のコピーもあった。

 1650年とは徳川家光将軍最晩年の年だ。「島原の乱」が起こって13年。「5人組」などが作られ、「人別帳」が施行されていた。「5人組」には「組頭」がおかれている。「5人組」は「相互扶助」でもあったし「相互監視」でもあった。家光政権は、とにかくキリシタンには困ったのだと思う。

 今でこそ結婚の相手が全国エリアであったり、外国であったりするが、1650年頃は殆どが同じ村の者同士が多いのにビックリしつつも、「さもありなん」と思った。「幼なじみ」同志の夫婦が多かった。♪誰かさんと誰かさんが麦畑♪ みたいなことだったのだろう。村祭か盆踊りが出会いの場であったと想像すると、隣近所に無関心な現代とは違った豊かなコミュニティーがあったんだと想像する。村の中がほぼ親戚になっているのではと思う。やがてこの村も百姓一揆の中心になっていくことが起こるであろうなど、ここに記載されている人達は夢にも思わなかったことだろう。

 幕府が諸藩に「宗門人別改」を命じたのは1665年だというが、それよりも15年も前に行われていたというのだから、実に不思議な篠山藩である。岡山の「渋染一揆」で知られる「着衣の規制」が篠山藩ではそれより4年も前に実施しようとしたことが記録に残されている。どうやら篠山藩は幕府政策の臨床実験をしていたのではないかと思える。

 今日は少々寒かったので、我が家の猫は一日コタツの中に潜っていた。夕方目を覚ましたのか私の部屋へやって来た。私がパソコンに向かって仕事をしていると、深夜になっても終わるまでずっと傍にいる。「相棒」みたいだ。


2019.3.17

 昨夜からの雨が朝も続いていた。郷土史の研究のために、山へフィールドワークに行く予定だったが、足下が滑るだろうし、濡れた熊笹を掻き分けて行くのも大変なことになるので見送りになった。

 一日ゴロゴロと資料の印刷や編曲の手直しに時間を充てるのであった。音楽というのはリズムが重要な要素になっていて、読経も一種そういう部分がある。他宗では、鉦・太鼓・木魚などが軽快に2/4のようなテンポで打たれるが、我が宗旨にはそういうテンポ的な楽器がない。

 音木(拍子木)が文節ごとに入るが、間隔が一定ではない。リズム感はもっぱら口誦しかない。メジャーだから気分が落ち込む。「ハ長調」か「イ長調」なら気分がスーッとするかも知れない。岡晴夫の『あこがれのハワイ航路』みたいなメロディーだと、手拍子が出て具合が悪いかも?

 漢字の棒読みのお経は、有難そうに聞こえるが、意味はわかっとるんやろうかなぁ。「除夜の鐘」も ♪キンコンカンコン♪ で始まる「鐘の鳴る丘」の主題歌『とんがり帽子』みたいだと、情緒がないと言われるかも知れないが、大晦日の真夜中に、ソフトクリームをなめながらの鐘つきなどは発想の転換で面白いかも知れない。近所から「やかましーい!」と苦情が来るだろうて。それでなくても「除午の鐘」の寺もあるというから。

 坊様の世界は「唐」の時代の官僚制度を踏襲しているのか、「位」によって「衣の色」が違う。平安時代の殿上人のような「長袖」では、オートバイやスクーターはとうてい無理だ。布袍・間衣・道衣など宗旨によって呼び方が違うが、坊様の寄り合いで、黒の間衣一色の集まりを見ると、「カラスの総会」に見えてビックリしたのはもう50年も前のことだった。「黒」は高貴な色と言われたそうだが、一発で真っ黒に染めることはできないという。70数年前、従軍僧のために「教衣」というコートのような物が作られたが、今では誰も着なくなってしまった。

 「世界に一つだけの花」ではないが、各々勝手に好きな「色」を着てはあかんのかなぁ。いや、黒には黒の理由があるのは知っているが、「ノーネクタイはあかん」「ハイネックのセータはあかん」のと、着る物に案外難しい。阿弥陀経には、「池中蓮華 大如車輪 青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光 微妙香潔」と書いてあるが・・・。着物の規制は宗教的儀礼なのだろうなぁ。外側よりも中味だと思うがなぁ。とにかく「色」は「冠位十二階」にさかのぼるのだ。

 陛下・殿下・閣下・猊下というのがあって、猊下とは宗旨のトップに付ける敬称なんだそうだ。馬は、乗る人を見極めているらしいとのこと。我が村には、馬に跳ね落とされた「サーベルを帯びた閣下」がおったという。「馬に乗っているのではなくて、馬に乗せてもらっていた」という逸話があるが、知っている者は極めて少なくなった。70年以上も昔のことやった。


2019.3.14

 今年度末で退職する公務員は、残すところあと10日の出勤になってしまった。と言っても、今話題の有給休暇を使用する事も儘ならず、有給の残日数は権利放棄みたいな結果になる。

 思い返せば、16年?前の平成14年度末、14人が退職して「14会」という親睦グループを作った。今残るのは9人になってしまったが、年に一度の食事会で旧交を温める。

 3月31日に、担当する施設の竣工式があった。同期退職の者は、それぞれ関係先へ挨拶回りをして、早々にバッチを返して家路についていたが、私がバッチを返しに行ったのはとっくに夜の帷が降りていた時間であった。
 「記念にバッチは持っておかれても良いですよ」と言われたが、「ケジメ」を付けるには返しておく方が良いと思った。

 人生は一つ一つの節目を越えていく。それを「ケジメ」とも言う。「大きなケジメ」はいつか必ずやって来るが、やっぱりその「ケジメ」が来るということは嫌だねぇ。

 「サックス6重奏への編曲」に没頭したためか、ついぞサックスを吹くのが煩わしくなっている。「編曲」の次は、宿題として抱えていた「郷土史」のデータを集めること。これも、思い出したように手を付けないとそのままになってしまう。気になりつつ日延べをしていくと、知っている人が居なくなっていくのだ。

 「郷土史」は次々と伝承が途絶え、「知らない」人が圧倒的多数の状況になってしまっている。どこに史料が存在しているのかもわからなくなってしまうので、ツイッターの「拡散」ではないが、広げて行くことも大事なライフワークの一つだ。「郷土史」は本当の真実を赤裸々にできない部分もあって、「綱渡り」のような場面もある。今の社会では「公開OUT」という物事もあって、そのライン引きは難しい。

 まとまった物は体裁はどうあれ、とにかく製本らしき物にして図書館へ「郷土資料」として持って行けば、後学の人達の参考に供される。「古本」ではなくて「史料」としての物に限るが。以前、県立図書館や国会図書館にも送ったら、ちゃんと受領書が届いた。

 ドイツから2便の楽譜が届かない。「普通航空便」での発送だが、最長7週間もかかった例があるという。日常に、「宅配便」を利用しての通販では、翌日の夕方には配達されるという便利さに馴れてしまっている。飛行機に積み込まれるまで、税関を通過するまで、郵便局に届くまで、それぞれのゲートをクリアしなければならないから急ぐことはない。昔の「船便」なら半年もかかるかも知れない。何しろ日本とは昼夜逆転のドイツからやって来るのだから。「慌てるコ◇キは貰いが少ない」と言われたものだ。

 「天正遣欧少年使節」らは、長い航海の末にローマへ行ったのだから、今からはとても想像もつかない。便利さに馴れ切ったファーストライフよりも、本当は、のんびりとしたスローライフの方が良いのだろうと思う。
 「刺身が宅配便で来る」などと聞いたら、きっとあの世の爺様たちは度肝を抜かすことだろうて。


2019.3.11

 8年目の「3.11」を迎えた。10名ほどの人がやって来て「追弔の鐘」を撞く。遙かに東北に向かって手を合わせる。今年で7回目の「追弔の鐘」が村の中に響いた。「追弔」だけではない。「怨念」も含まれている。

 地震と津波は村々を破壊してしまった。復興は進んでいるが、それを阻むものがある。ふるさとへ帰れないのは「放射能」だった。

 8年もの避難生活は、新たな地での再出発を決断せざるを得ない人がいるのは察して余り有る。

 あの時、「大丈夫です」とTVで言っていた「学者」は、今どうしておるのだろうか? 「専門家」とか「有識者」とか「学識経験者」などという肩書きは信用していない。取り立てる側の都合によって「専門家」は創られる。いわば「バーチャル」とか「幻影」みたいなものだ。

 「安全ならば、家族を現地に住まわせたら?」と言った人もおった。デブリの取り出しが今の技術では不可能に近いのは既に紹介されたところだ。

 イギリスの理論物理学のスティーヴン・ホーキング氏が「100年以内に人類は滅ぶ」という警告を残して76才で逝った。人類を破滅に向かわせるのは天変地異ではなくて、科学が人類を終焉に導くと言うのだ。

 AIやロボットは便利だが、人工知能の危険性を指摘している。便利さの追求によって出て来る「核のゴミ」の処理方法は構築されていないし、人工知能の自己増殖についての言及は、鉄腕アトムの時代にもあったし、シュワルツネッガーが出ている『ターミネーター』という映画でも取り上げられた。『猿の惑星』もそうだった。「地球」という大きな「生命体」にとって、人間の欲望は「天然痘ウィルス」以上に、遙かに危険な生命体である。

 人間の限りなき「欲望」が人類を破滅に導いているのは事実だと思う。蒸気機関の発明と産業革命がそもそもの発端であり、核融合反応の成功はパンドラの箱を開けてしまったのだ。

 8年前、のどかに『ラ・メール』を練習していたが、津波の実況を見てしまって以来、『ラ・メール』は吹けなくなってしまった。


2019.3.9

 トイレに入っていて、「狭い世間を狭くする?。いやそうではない。何んと言ったっけ?」と、またまた『興味学』が出てくる。「広い世間を狭くする」という諺があったと『諺辞典』を取り出して見る。「ことわざ」もだが、この言葉が入った流行歌があったはずだ・・・と。調べて見たら、五木ひろしの『旅鴉』という「股旅もの」の歌だった。昔に聞いた懐かしい曲のひとつである。村の敬老会でも三度笠を振り回して踊った芸達者がおった。

 「旅」と言えば「三人旅 ひとり乞食ということがあってのぉ」と、爺様がよく言っていた。遠い遠い昔のことで、私が小学5年生の時だったなぁ。三人で旅をすると、話題に入れない者が一人出来て来るというのだ。マジョリティとマイノリティが生じるということだ。

 そういえば、いろんなグループの中で同業種の人がいると、その業界の話が盛り上がるから、隣の席の者は話に入れない。

 「とある」会では、「同業者を入れない」という原則もあるそうだ。話題が固定しないように、除け者が出ないように配慮しているのかも知れない。

 世間の人が一番ウンザリするのは「出身校」云々と「元社長」云々だ。浦島太郎に龍宮城でのモテぶりを聞かされても、シラケ鳥が南の空へ飛んで行くだけだ。

 「うん?」と香りを嗅ぐ。境内の沈丁花の蕾が一つだけ開いて楚々と香りを放っていた。村で一番遅い老梅も咲き始め、蕾と花とが絶好の写真に収まる。昨日は中学校の卒業式だった。60年前の卒業式での校長の式辞が忘れられない。

 「卒業すると、また一つ山の上に出る。上に登ればより広い世界が見えてくる。人生の山を一つずつ登って行け」という内容だった。校長式辞は最後の訓示である。教育委員会告辞は卒業証書授与を確認する意味だ。どちらも「祝辞」ではない。祝辞は来賓が述べるものである。どっか勘違いをしとる者がおる。


2019.3.6

 忙中閑あり。明日からまた忙しい。チョット手術の後が気になる。メスが入ったところは寒い日には痛むのだ。今日はゆっくり休養だった。

 注文していたCDが送られててきた。何処かで聞いた曲だがと友人を煩わせて曲名を探してもらったあの『ふるえて眠れ』。「パティ・ペイジ」が歌っている。CDの20曲のどこを聞いても「嗚呼 思い出した」という懐かしい曲ばかりだった。若かった時代にラジオから聞いたのかも知れない。こういう具合に「懐古」をやっていると若い者に嫌われる。「また言うとる」と・・・。
 
 ニュースは「アポ電」の話で持ちきりのようだ。こういう悪知恵に頭を使わずにもうちょっと違う方向に使えないのかなぁと残念だ。夕方には「ゴーン釈放」、「籠池初公判」と伝えていた。先日からは「ヤケドの子どもをラップに巻いて放置」も。どうなっちゃってるのかねぇ。


2019.3.2

 「春うらら」とまではいかないが、木々のつぼみも大きくなった。ミツマタは満開。白梅も紅梅も満開。沈丁花のつぼみも大きくなった。2㎞ばかり散歩をする。農家はいよいよ田圃の準備が始まった。

 今年の啓蟄は3月6日という。虫が目を覚まして出て来るというが、人間も外に出て来た。庭先の手入れをしたり散歩をしたり。遠くの田圃では老夫婦が畑の手入れをしていた。ちょっと煙が立ち上り、牧歌的な風景が写真になる。久方ぶりにあちこちに人の気配を感じる。

 蕗の薹が芽を出す。これを擂り鉢で擦って味噌和えにすると何とも美味しい。4月になると山椒の花が咲く。この花を醤油で炊くと、メチャクチャ美味なる「箸休め」ができる。熱燗の添え物としても抜群だが、ドッチボールほどの量からできるのはせいぜい小さな湯飲み一杯ほど。「青菜は男に見せるな」という諺の通り。蕗の薹の佃煮も、山椒の佃煮も、どちらも手間のかかる逸品だ。若者に言わせれば、「何これー やべー」というだろうなぁ。

 「そんな面倒くさいことは・・・」
と言われるかもしれないが、逸品・美味と言われるものは手間暇かけた物がよいのだ。レトルトの物にはない。因みに山椒の葉っぱは「蓴菜のおすまし」に浮かべても香りがよいし、茶碗蒸しが蒸し上がった時に1枚乗せると香りが良い。葉っぱの佃煮もある。山椒の実も佃煮にすると絶品だわなぁ。その「面倒くさい物」が住職の大好物だと言うことを知っている檀家のばあちゃんが、「おいしいよー」とあちこちから持って来てくれる。一件づつ味に微妙な差があるのもうれしいねぇ。

 巻き寿司の味も家によって違う。味噌汁の味もだ。昔から法事の時の味噌汁には、ちょっと香り付けに生姜が擦っていれてあって、仄かな甘みがあって美味しかった物だが、今は滅多に出会えない。「ジンジャエール」なんてのは今頃出てきたのではなくて、200年も前から法事の味噌汁にはなくてはならないものだったのだ。

 北大路魯山人などは、如何に美味く喰うかというために食器も作っていたのではないかとさえ思う。
 言っちゃ悪いが、「食は器に有り」いう言葉もある。百円ショップの食器でも「用」は足せる。紙コップや紙皿でも充分「用」は足せるが、そういうものではない。高価な食器を使えと言うのではない。「こころ」を豊にしていくのは「用さえ足せればそれで良い」というケチくさい根性ではないということだ。食器ダンスの中において置くだけでは何もならない。道具は使ってこそ本来の仕事をしてくれる。
 スーパーのトレイのまま食卓に出すのは、皿を洗わず合理敵的かも知れないが、何かに付けて「損得」で物事を判断するのはやめとこうではないか。

 春は田舎に美味を言付けてくれる季節だ。

 透き通った綺麗な水の川に「モロコ」がいたのだが、今日はまだ姿を見かけなかった。ご飯粒をエサにするとよく釣れたのだが、水槽では飼えなかった。綺麗な水が流れていないと生きられないらしい。「水清くして魚棲まず」というものの、「モロコ」は違うようだ。そういえば「ヤマメ」も渓流に棲んでいるなぁ。

 大きな取っておきのお皿に、モロコの塩焼きを3匹ほど乗せ、旬のタケノコを湯掻いたのお2切れ、ひとつまみほどの花山椒の佃煮が添えられたフランス風の盛り付けになった「春の味わい」などは、もしかしたら魯山人はやっていたかも知れない。春の宵にただよう沈丁花の香りを愛でながら、ちょっと辛めの熱燗を傾けるなどは粋なものだよ。あーそれから。ぼたん鍋という「猪肉」は、噌を入れた「ぼたん鍋」が一番みたいに言うが、5ミリほどの厚さに切った猪肉を鉄板(フライパンで可)で焼いて頂くのも乙なものだ。ちょっと塩か胡椒を振りかけ、常温の日本酒が合うねぇ。

 魯山人は「美味い物を喰った」のではなくて、目の前にある食材を何とか上手く食う方法を考えていたのだと思う、腹が膨れりゃ良い、栄養があれば良いというだけでは、むかしの宇宙食を啜ってるようなものだ。体に良い理由だけては、喰う気にならない。「これはおいしいねぇ」と言われると、視覚と味覚と触覚が脳のアドレナリンを分泌させて、こころ豊にしてくれる。

 食はガツガツ喰うものではない。ゆっくり味わって、話を交えて時間を楽しむのだ。たとえコンパの「割り勘」であっても、「出した分は元を取らねば」とやると品格が落ちる。

 散歩をしていたら、子どもたちの集団に出会った。田舎の「こだわり農家」へやって来たらしい。オーナーはウチの息子ほどの年令だが、親しくなって・・・。どうも遠くからやって来たらしい。「軽トラ」が珍しい乗り物に見えていたようだった。

 そうそう、昨日は「おついたち」。境内のお地蔵様に「お赤飯」をお供えしていた方がおった。新しい「月」を迎えての「習わし」なのだろう。何とも微笑ましいではないか。


2019.2.28

 一昨日の小骨が取れた。「こういう曲なんだが・・・?」と、昨深夜にメールを送って探して欲しい旨を伝えたところ、朝一番には返事が返って来た。
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 わかりましたよ。今は便利ですよ。曲を携帯のアプリで認識(聞かせる)だけで、曲名などが出てきます。
 実は、できることは知ってましたが、うちの課のKくんの協力を得て、Kくんの携帯にアプリをダウンロードして、
 私の携帯で曲を再生したら、約5秒ほどでわかりました。曲名  ふるえて眠れ 歌手  パティ・ペイジです。
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だった。

 鼻歌を聴かせれば曲を探してくれるアプリがあるとは聞いていたが、昨日は思い浮かばなかった。友人は、同僚の携帯にそのアプリをインストールして、自分の携帯へ送られてきた曲を聞かせたら、たちどころに曲名が出て来たというのだ。

 『ふるえて眠れ』という1964年のアメリカ映画。映画ではアル・マルティーノが歌っているというが、パティ・ペイジの歌の方がよく知られている。
 https://www.youtube.com/watch?v=a2fl6JlxW_g
 とかなんとかウンチクを書くのもの、曲名が分かってこそだ。
  しかし、懐かしい曲の一つだ。

 頼まれて、自分では解決できないことはたくさんあるが、そういう時は、知り合いに連絡して、困っているのであろうから、力になれたらと思うので、「お互い様」だと友人に輪を広げることがよくある。

 が、今回のように翌朝に「成否」が帰って来ればよいが、いつまで経っても成否の返事が来ない人もある。ツテをたどって行けば何んとかなることがあるのになぁと思うのは私の身勝手か?。

 かつて、もう目にすることもなくなった『書院』や『文豪』の機械を探して欲しいと依頼されたことがあった。フロッピーに残された貴重な資料を取り出したいというのだった。それも「いますぐに」ということであった。

 あちこちイモヅル式に探し巻くったら、数日後に持っている人に辿り着いた。骨董品的値打ちの物を、訳を話して借りて来た。早速届けたら、「有り難う」の一言だけだった。1ヶ月ほど経て、「あのデーターは取り出せましたか?」と訊ねたら、「まだ手を付けていない」との返事だった。
 「今でなければならない」と切迫したような言い方だったから、こっちも一生懸命に探したのだったが。大砂荒らしに巻きこまれたのは私に手助けしてくれた人もだった。「器用貧乏 隣の阿呆に使われる」を地で行ったようなものだ。しばらくはPTSDになったことがあった。

 が、また反対のこともある。「待てど暮らせど」結果を出してくれない人もおる。「あかんのならあかんと返事をくれたら、ほかのルートも当たるのに」と。

 小骨がとれると同時に、過去の「嬉しかったこと」と抱き合わせに、「失望したこと」が同時に思い出されてしまった。「よい評価」を付けられたら、一度や二度の失敗は大目に見てもらえるが、「悪い評価」を付けられると、信用回復は並大抵なことではない。もうどだい最初から色眼鏡で見られているのだから。

 「白猫でも黒猫でも ネズミを捕る猫がよい猫だ」と言ったのは鄧小平だ。
 「流行る飯屋は、注文してからタバコ1本吸う間に出て来る店だ」と言った人は忘れた。


019.2.26

 データ書架をサーフィンしていた。数百枚ものDVDやCDが、一応は分類されているのだが、音楽は発見が難しい。

 2003年頃に京都会館(現:ロームシアター京都)で京都のアマチュアマジシャンが、年に一度の「マジック・フェスティバル」をやっていた。その時の動画をアップしようと準備していてたのだ。本番のBGMは『アンチェインドメロディー』のような感じのハイトーンの歌のある音源を使っていた。『I Can't Stop Loving You』の出だしによく似た始まりの曲だ。思い出せない。 ♪♪…Geoge Cry…♪♪ と歌っている。悲しい別れの内容だった気がする。また小骨が喉に刺さった。【2/28の午前中にわかった(^O^)(^O^)(^O^)】

 https://www.youtube.com/watch?v=SxPof1cQ4CQ

 動画のもとの音源には著作権があるのでフリー・ユース・ミュージックに差し替えいていたが、元の音源が確かにCDにあるはずだと、片っ端から見て行くが、鼻歌ではメロディーが口ずさめても、題名を忘れたので、さっぱり見当たらない。VHSが元なのでピンボケみたいに見えるが・・・。

 探しまくっていたら、「ザ・キング・トーンズ」のCDが出てきた。『家に帰ろう』も収録されていた。きっと、『グッド・ナイト・ベイビー』が欲しくて買ったCDだったような気がする。

 先日の文化祭の写真を持って来てくれた友人がいた。早速この頁にリンクさせるが、いやー、やっぱり年寄りになっている。持ち時間最後のお茶目ぷりを出したのだが・・・。


2019.2.24

 久し振りの上天気。昨日は校区のコミセンの「文化活動発表会」。カミさんはコーラスで「昴」をみんなと歌っていた。私はサックス漫談。総入れ歯状況になって、アンブシャーが・・・・。で、演奏よりもお話で・・・・。が、大爆笑だった。電灯が消され、50本のペンライトが振られる。

 会場は年配者の交流会だ。まあ、いわば「後期高齢者演芸会」だ。それで良いのだ。元気な顔が見られれば、それに越したことはない。

 今日はご法事。曾孫が来て、曾婆ちゃんのご法事だ。生まれる前に亡くなった婆ちゃんだから、ご遺影でしか知らない。

 お話は、難しい言葉でいうと「人間は関係性の中で生きて行く生き物」ということをテーマにした。

 「あなたと出会うことは、余程のご縁があってのことだ」ということだ。

 あぐらをかいていた若者が、途中から正座し始めた。でも、難しい仏教用語は使わない。だって、私たち老人は、若者の言葉が理解できないのだから、若者にしたら、鎌倉時代や室町時代の四文字熟語なんて理解できないわなぁ。わからん言葉を使って話をしても共通理解できるわけがない。

 まだ年寄の奮闘の日程は詰まっている。その隙間を狙って、近所のアツコ姫(婆ちゃん)に「ウイスキーボンボン」を買ってこないと行けないことになっている。これが好物だという。日頃のお返しをせねば・・・。通販ではアカンのだ。梅田界隈へ行きたいのだが・・・。行って買ってくるという心を大事にしたいのだ。

 貸りたり返したり。そういう関係が「人を大事にしていく」生き方だと思う。

 何処かの大学の教授が、随分前に、「人は死んだらゴミになる」と言うたが、確かに物体はゴミだろう。が、ゴミになるために苦労して生きているわけではない。

 あなた? ゴミ扱いされたいですか??
 ゴミになるためにこの世に生まれ、ゴミになるために家族を守り、ゴミになるために会社勤めをしているのですか? 自分の「いのち」に何の意味を見ているのですか?


2019.2.19

昨夜はサックスの練習日だった。急用があって2人が欠席。ベースが欠けた練習はリズムが無茶苦茶になる。「たけし」が言うように、60歳を過ぎての趣味は大変だ。練習よりも雑談に花が咲く始末だ。

 病床にあるとは薄々知り得ていたが、今朝の新聞に「ザ・キングトーン」の内田正人が亡くなったと掲載されていた。
 「ザ・キングトーン」と言えば『グッド・ナイト・ベイビー』が有名だが、つい先日に、『家に帰ろう』という歌を知った。

 この歌も、あの独特の音程で歌うことなど到底できない。が、心に響いてくる「お母さん」のことや「ふるさと」のことを思い出させる。manjyuji2001さんの自分のお母さんのことを織り交ぜた動画は何度見ても目頭が潤む。
 https://www.youtube.com/watch?v=muiDwuitFxo&start_radio=1&list=RDmuiDwuitFxo
動画を上げているmanjyuji2001さんは、この曲を聞いては両親を思い出すという。たどって行くと、「お母さん特集」のような所に行くが、懐かしいお母さんの姿がよく表現されている。こんなお母さんが回りにたくさんいたものだ。
https://www.youtube.com/watch?v=bHXMCsFqeU0
 『昴』のカラオケ、出だしは難しいのだから!!

 ピンポーンと鳴るから出てみると、しっかりと首にマフラーをした女性の郵便局員さんが。冷たい小雨の降る中に「書留郵便」を配達して来てくれたのだ。ハンコを押して受け取る。

 話には聞いていたが、「ついに来たか?!」。まるで「あの世からの招集令状」みたいな感じがする。中味は「後期高齢者医療被保険者証」だ。

我が村には「後期高齢者」が多い。それが日常の風景だが、我が身にいよいよ宣告されると、また別の感状が湧いてくる。元気を出してものを言いまくっているが、実は「ナイーブ」なのだろうて。

「冬のなごり雨」なのか、冷たい雨が降っている。内田正人の訃報と後期高齢者証のダブルパンチを受けて、「さみしさ」が一入(ひとしお)だ。


2019.2.17

 「辿って」などと、親切にボードに板書すると、直ぐにスマホを取り出して確認しよるヤツがおる。
 「おーっさん。一画たらんでー」と。
 そういうことは大した問題ではない。今話をしている中味が大事なんやが・・・。
「スマホを触るな!!」

 話変わって、
 「レオナルド熊」さんの論理展開に、客席が大爆笑。「笑っている」ということは、「身に覚えがある」から笑えるのである。身に覚えがなければ、おかしくも悲しくもないわなぁ。

 ビートたけし著の『さみしさの研究』を通読した。歳をとると「さみしさ」がヒタヒタとやって来る。まあ、「小うるさいジジイ」だから、まともに相手にもしてもらえない。寂しさが余計に募るのだ。

 「たけし」の言うていることは「まとも」だと思うねぇ。「レオナルド熊」もだ。
 私は常々、「世の中の5%のまともな意見は、95%のノンポリの意見には負けるのだ」と言ってきたが、「たけし」は、「民主主義とは1%の賢いヤツが99%のバカのために犠牲になる社会」と、『さみしさの研究』の中に書いている。

 篠山市の選挙の投票有権者は35,000人ほどである。議員定数は18人である。一人が議長に選ばれるから、賛否同数の採決になることはまずない。議長は投票しないから過半数の最低賛成数とは「9」である。

 ということは、提案者の市長(1人)+9/18(9人)=10人の同意があれば物事の方向が決まる可能制が高い論理になる。つまりは有権者の10/35,000≒0.029%が同意すれば良いという論理も成立する。これは考えようによっては恐ろしいことではないか? レオナルド熊さん的論理の展開だが。
 「選択の選択」とでも言うのか、「皆の決めたことだから仕方がない」と言ったのはヒトラーだと聞いた。「みんなが選んだ議員たちが選んだ幹部が選択したことであって、わたしが独裁的に決めたのではない」という意味だ。どこかで読んだ。

「コント・レオナルド」も面白いが、『さみしさの研究』(税込821円 円未満の端数は切り上げ)も面白かった。

 『大智度論』という仏教の論文(2世紀のインドの僧の著物)に、「私は指をさして名月が昇っているのをあなたに教えようとしているのに、何であなたは私の指だけを見て、指さしている方向にある月を見ようとしないのか」ということが書かれている。(親鸞引用分より意訳)

 これは落語にも引用されていて、
 「あそこを見てみろ きれいな月が出とる」
 「どこに?」
 「わしの指の先を見てみろ!」
 「指の先? 爪が生える」
 「その先や!」
 「垢がついとる」
というくだりだ。

 そうやって歳をとって行く。

「老後なんてのは、くだらなくて、みすぼらしいのが当然だ。それを、すばらしいもの、いいものにしようなんて思うから、かえって辛くなってしまうんだよ。」と、たけしは「はじめ」のところに書いている。 
「音楽にしろ、芸術にしろ、60歳になるまでやろうともしなかったものにいきなり手を出して、最初から上手くいくわけがない。・・・・相当ハードルが高いはずだ。それをわかって手を出すならいいけど、そこまでの覚悟がないのにやろうとするから、大体結果は無惨なことになる。自分に過度な期待をしちゃいけない。」
と言う。その通りだねぇ。


2019.2.16

 先日の「ザ・キングトーン」の『家に帰ろう』の右端で、サングラスに髭のシンガーが誰なのかと必死に検索した。手掛かりをちょっとずつ広げていく。まるで刑事みたいだ・・・。

 シンガーソング・ライターの上田正樹だ。ほぼ100%間違いない。『悲しい色やね』 がヒットし、『悲しい色やねん』の映画の主題歌になった。いやいや、この曲から映画になっていったらしい。

 喉の小骨が取れた。辿って、辿って検索していくのだった。

 話変わって、「コント・レオナルド」という二人のコントがあった。ユーチューブに上がっている。話のテーマは無茶苦茶?なのだが、「レオナルド熊」さんの論理展開はそれなりに筋が通っているのだ。客席も腹を抱えて笑っている。今はそんな面白いものもなくなってしまった。60になる前に病気で亡くなってしまったが、相方の石倉三郎は元気で活躍している。この二人のコントは風刺が効きすぎている程にメチャクチャおもしろい。

 「ボヤキ万歳」の人生行幸朗もおもしろかったなぁ。こういう芸を見聞して、腹を抱えて憂さを晴らしていたんだ。

 ビートたけし著の『さみしさの研究』を発注した。歳をとると「さみしさ」がヒタヒタとやって来る。まあ、「小うるさいジジイ」だから、まともに相手にもしてもらえない。寂しさが余計に募るのだ。


2019.2.15

 ぜーんぶ昨日の話

 バレンタインチョコを貰ってベリーうれしいかった。いやなに、ラジオから「今日はバレンタインデー」だと盛んに言うから・・・。後期高齢者の言うことかねぇ?

 本山で開かれた「人権パネルディスカッション ~経典の中で語られた差別 「是旃陀羅」問題と被差別民衆の闘い~」というのがあって参加してきた。旃陀羅との関わり、五障三従のこと、ジェンダーのこと、インドのカースト制度のことなど幅が広かったが、「被差別民衆の闘い」というところまでの展開には時間がなかった感じがした。会場が満席で、資料も慌てて増し刷りみたいな感じだった。不特定なフリーな人達のもたくさん参加されていたのがよかった。特定の関係者の中だけで議論される時代は過ぎたのだ。

 今も「障害者用トイレ」という表示のあるところがある。「多目的トイレ」という表示もある。「多用途トイレ」という表示もある。しかしこれらの言葉はやがて「死語」になるかもしれない。男性トイレの「大」の中には、小児用の「ベンチ(?)」が設置されており、子育てはパートナーと協力して行くということが社会の実情となっている証左だ。「車いす用トイレ」というのも変だ。「広対応トイレ」という表示はいかがか? こういうことを人様に言うと「アンタは変わっとる。変人だ」と言われる。

 木津市の知人がパネラーになっていたので、応援も兼ねてだったが、「この人のお話は知らんだろうなぁ」と思って、随分前の講義録をコピーして渡したら、もう30年も前からその人の寺でのお話会にずっと招かれていたというから、「世間は広いようで狭いなぁ」と大笑いであった。もう亡くなられた方だが、お話は「十二縁起と差別」というテーマだった。

 無茶苦茶難しいのだった。現実の人生の苦悩の根源を絶つことによって苦悩を滅する十二の条件を系列化して、無明、行、識、名色、六処、触、受、愛、取、有、生、老死とわけ、無明によって行が生じ、行によって識が生じ・・・・という順観と、無明が消滅すれば行も消滅するという逆観という仏教の根本の考え方と、「差別」が生じ、その苦悩が生じて来ることを講じられたのだが、なかなか言葉と話の展開について行くのが大変だった。

 アートマンやブラーフマなどという仏教の起こってきたもっと前の、バラモン教の考え方も、用語や中味の理解が難しかった。「仏教学」というものが必須科目だったが、さっぱりわからなかった50数年前を思い出す。

 木津の彼女と、「あの先生の話は難しかったー」と思い出したのであった。

 ディスカッションの中で出ていた一部に、「女性は不浄な存在である。ましてインドの不可触民とされている女性は、触ることさえ忌避されているのに、夜になるとレイブをしに来る」というのだった。「昼間はケガレているが、夜はケガレがなくなるのだ」というのは実に勝手な「不浄観」というか、つまりは「不浄観」というものの根拠が極めてアヤフヤなものであるということなのだなぁと、もう一度確認したものだった。

 ドボルザークの第9番第2楽章の旋律に『家路』というのがある。日本でもよく歌われている曲だ。この曲をイントロに使って作られた曲がある。ドゥ-・ワップの「ザ・キングトーンズ」の歌で、『家(うち)に帰ろう』というのが動画で出ている。リードテナーの内田正人(ラグビーの監督ではない)が60歳前ぐらいの時の録画なのか? 動画のイントロとラストシーンに出てくるお母ちゃんの顔を「どっかで見たのだが?」と考えていたら、年に一度お参りに行くお家のお婆ちゃんの、もう少し若い頃にそっくりだった。
 
 なぜかしんみりと聞かせる曲だ。収録風景の動画だが。
https://www.youtube.com/watch?v=muiDwuitFxo&list=RDmuiDwuitFxo&start_radio=1
右端でバンダナをして髭を生やしてサングラスをしている人は??
 いろいろ聞いてみるが知らないという。年代が合わないという。

 「かまやつひろし」ではないか?と思ったりするが、どうでも良いことながら、わからないと小骨が喉に刺さったようになる。「わからないことはわからないまま」にしておくのが性に合わないから困ったものだ。知っている方があったらご一報いただければうれしい。【わかった。『悲しい色やね』の上田正樹に間違いなかろう!! 一報していただかなくて良い】


2019.2.12

 「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」という句がある。芭蕉の生前最後の句だ。先日、堺屋太一氏がなくなられた。『平成30年』という、統計から読み取った少子化やAI時代を予見した「近未来小説」が有名だ。

 そういえば、手塚治虫の『鉄腕アトム』に描かれたものの殆どが実現している。堺屋も手塚も「夢は枯野」を駆け巡っていたのだろう。

 次々と知っている人がいなくなるのは極めて淋しい。ひとりぼっちになっていくような気持ちになるのだ。若い人に優しい言葉を掛けられると、「詐欺では?」と思う前にコロリとイカレてしまう気持ちはわからないではない。枯野の中にひとりぼっちでいると、優しい言葉はうれしいのだ。

 そんな冷静なことを言いながらも、ついつい新しい曲はないものかと探す。「探す」と言っても、もはや「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」式で、次々とユーチューブをサーフィンして行くのだ。ところが、ドイツ語で書かれていると、どの部分が曲名なのか検討がつかない。「第2外国語」などといって、強制的に単位を取らされたが、憶えているのは「イヒ リーべ ディヒ」しかない。

 『Fuhrmannsmarsch』なのか『Egerländer Straßenmarsch』なのか、どっちも「マーチ」と後ろにくっついていることだけはわかる。しかし、どういう発音で読むのか、今やさっぱりチンプンカンプンだ。「フールマンス・マーチ」とか「エーゲルレンデル・ストラッセン・マーチ」と読むんだろうか? 何せ50数年前に、「ローマ字式に読め」と言われたことだけしか記憶に残っていないのだ。同期に、フランス語やイタリア語を選択した者がおったが、わかっていたのかなー?

 随分以前に来日演奏した「アルフレッド・ハウゼ・タンゴオーケストラ」の『ヘ調のメロディー』の冒頭で、ハウゼが何を言っているのか意味がわからなかったが、何度も見ていて思い出した。「イチ・ニイ・サン・シー」と言っていたのであった。「アイン・ツバイ・ドライ・フィーア」だった。私のドイツ語はこの程度なのだ。音楽の国といわれるオーストリアもドイツ語だ。
https://www.youtube.com/watch?v=aH6A8-yvlt8
で、何が始まったのかよく理解できず、回りの手拍子に合わせていたが、振り向くとバンドが行進して来るのを発見し、思わず隣の母親に知らせている観客がおった。動画もよく見ると、意外なシーンを残しているのであった。

 お隣の市に住んでいる知人から手紙が来た。新年のビデオメッセージのDVDも同封されていた。もう30年以上も前からの知己で、ビデオをやっていた方である。喜寿を迎えるが、現役で高校の英語と音楽の講師をやっているという。吹奏楽団に入り、合唱団の指導もやっているという。懐かしい人からのメッセージであった。


2019.2.10

 「もしも寝過ごしたら・・・」と、たまに目覚し時計を掛けることがある。寝る前に目覚ましのスイッチをいれると、「目覚ましセットして!」と女性の声で呼びかけてくる。時刻を合わせてセットし、アラームのスイッチをONにすると、「明日ーも、がんばーって 起しまーす!」と言ってくる。

 昨今のAIではないが、音声の対応はもうかれこれ20年も前の目覚し時計に組み込まれていた。秒針は外れてしまってはいるものの、まだ使えるから不思議なものだ。

 セットした時間までに目が覚めて、果たして目覚ましは何と言って起してくれるのかと時間が来るまで待っていた。

 「ビーー! 時間ですよー! 起きてくださーい!」と、起きてスイッチを切るまで言い続けるのであった。スイッチをOFFにすると、「起きたかなー??」と確認をして来るのは、まさにAI的だ。この時計の発想は大したもんだ。

 ユーチューブをサーフィンしていたら、「Siriの使い方」という動画があった。「話しかければ良いのか?」と。何かそんなものが以前にあったような気がする。

 で、早速Siriをセットしてやってみた。「ヘイ! Siri!」と呼びかけると、「ご用は何でしょうか?」と返してくる。携帯をよく置き忘れるので、「携帯を探して!」というと、携帯がメロディーを奏でて在りかを教えてくれた。

 友人が、「変なことを注文したら困りよるで」と言っていたのを思い出して難問を出してみると、「私にはわかりませーん」と返してくる。たいていのことは音声だけでできるのだから、これをやっていると指の運動不足で、ますます老化が進みそうだ。一長一短か?

 講演会に行って、「ヘイ! Siri! 重要な部分だけメモして!」と言うと、講演会のメモノートがバッチリできあがるかも知れない。音声認識機能がものすごい進歩になっているのだった。丹波弁のナマリも聞き分けているようだから不思議。うれしくて、一人で夜中の時間を楽しんだ。
 町中を「ヘイ! Siri!」と言いながら歩く人達でいっぱいにるかも知れないねぇ。「1億総Siri」時代がくるかも知れない。

 先日いよいよ歯が悪くなって、前の差し歯を全摘された。その場で入れ歯の補綴をして、見た目も食事も何ともないのだが、サックスのリードを咥える感じがちょっと変になった。馴れるまでは違和感が・・・・。

 それで思い出したのは、随分の年令の爺様たちでやっていた「大沢楽隊」のことだ。石巻市北村大沢地区にあって、『疾風怒濤』とタイトルされていた。

 小学校の運動会で、レコードの代わりに生バンドでのリレーなどは誠に贅沢だが、彼の地の小学校ではそれが恒例。DVDも出され、ユーチューブにも出ているが、あるとき、本番演奏中に、リーダーの「総入れ歯」がころりと足下に落ちた。メロディーをやっているフルートだ。

 「アッと驚く為五郎」ではないが、拾ってそのまま口に押し込んで演奏を続けた。リーダーが亡くなられて今は解散されているようだが、スゴイ評価が出されている。いやなに、そういう大先輩もいたことだから、そのうち何事もなく吹けるようになるだろうて。


2019.2.6

 午後から快晴。新しいキーボードにはなかなか馴れない。老眼が進んで、ディスプレイの字がにじむ。眼鏡を取っ替え引っ替え。さらには天眼鏡も登場だ。指のタッチを基礎から憶えていないので、適当にアットランダムな指使いをするからミスタッチも多くなる。

 昨日は地元の幼稚園へ出かけた。サックスの仲間と人権擁護委員のいつもの構成だ。童謡唱歌、綿菓子、お遊戯、手品、紙芝居などなど。「人権まもるくん・あゆみちゃん」のチェーン人形もプレゼント。盛り上がったのは、「ハッピー・バースデー・トゥー・ユー」だった。

 練習を重ねて来た『アンパンマンのマーチ』は、途中からてんでんばらばら。まるで老人会のマラソン大会のようなゴールになって、みんな大爆笑だった。最後は、市内でも制定されているところが極わずかな「幼稚園歌(古市幼稚園歌)」を、ベートーベンの「第9」みたいに大合唱。サックス合奏に先生のピアノも入って、ウィーンフィルの「ニュー・イヤー・コンサート」のように盛り上がった。

1人の婆ちゃまと5人の爺ちゃまのいつもの組み合わせだったが、ミカンと綿菓子とマスコットのプレゼントに園児達は「忖度」をしてくれたのかなぁ?

 『枕草子』に「うつくしきものは・・・」とある。いやいや「小さきもの」もだ。入園式の時には「借りてきた猫」のようだったのに、すっかり元気に、無邪気に遊んでいる。「初心忘るるべからず」いうが、無垢な心が真っ黒になっていく人間の浅ましさを感じるねぇ。

ドイツからはるばる飛行機でやって来た。開封して読み込む。こういう具合にやりたいものだ。

https://www.youtube.com/watch?v=H_sBjG7pCRQ&list=RDH_sBjG7pCRQ&start_radio=1

気持ち良いだろうねぇ!!  命があるかどうかだが。

 知らないことはたくさんあるものだ。チューバには右巻と左巻があるということ。バルブが3つのや6つのがあるということ。それもピストン式やロータリー式があると・・・。不思議だねぇ。


2019.2.3

 今日は節分。さぞやあちこちで「豆まき」が行われたことだろう。そして今夜は「百鬼夜行」。絵巻物や物語で広められた。今夜はみんな外に出なかったという。それよりもなによりも、こんな季節の夜の外出はたまったものではない。寒さが骨身に沁みる。

 昔の人たちは「霊感」があったのか、それとも「純朴」であったのか、たくさんの絵巻物に、敬うことと恐れることとが織りなして語られている。節分の夜は、静まりかえった夜だったのだなぁと想像が広がる。

 古い習わしで、節分には「ヒイラギの枝にイワシをくっつけて玄関に飾っておくと災いが入ってこない」と言って、今もやっておられるお家があるようだが、「迷信」と一言で片付けるのはいかがなものかと思う。「幸せでありたい、今のままでおりたい」と思うのは人の根底の願いかも知れないから。

 「丹波篠山ビデオ大賞」というアマチュア・ビデオ・コンクールの発表会があった。今年で30回目だから、30年も続いて来た催しである。阪神淡路大地震の年は開催を見送ったので、31年になるのか。

 第1回目から関わって来たから、区切りの年は是非にと、客席の後ろから見て来た。アマチュアの作品で、しかも7分間という制限があるから、お話を展開するのは大変だ。「寸足らず」になったり「冗長」になったりするのは仕方がない。アマチュアだから、企画も編集もなにもかも自分一人でやらねばならない。

 若い人の作品は2本、年配の人の作品は5本が「グランプリ」にノミネートされていた。それぞれ時間をかけてまとめられているので、甲乙は付けがたい。高得点での「僅差」ではなくて、中得点での「僅差」であろう。アマチュアの作品だ。しかし、審査の講評は辛い。「こーしたらもっと良くなる。あーしたらもっと良くなる」と言う。が、「言うは易し」だ。かくいう私も長い間審査をしてきたから、今更言うと「天に唾吐く」ようなものだが。

 「グランプリ」になったTさんが、思わず小さなガッツをした気持ちがよく伝わって来た。ずーっと応募し続けて来たのだから、「花道」を行くように思えてならなかった。

それぞれの「賞」が決まり、閉会には「豆まき」が行われた。小さな袋に入った豆?だった。「節分だから」ということではなくて、なにやらもっと「想い」のある事柄が伝わって来たねぇ。

 高校生のクラブもスタッフとして活躍していた。温泉の割引券も、コーヒーサービスもあった。郷土料理の「豆腐飯」も出ていた。篠山人が心を込めた「お・も・て・な・し」の一日であった。それぞれの作品は、近いうちにユーチューブにアップされると。

今夜は是非とも「百鬼夜行」を見てみたいものだ。


2019.1.31

 先日は大阪へ。尼崎で東西線に乗り換え「北新地」で降りる。改札を出ると大阪第2ビルのB2へ直行できるのだ。
 
 昼時になっていたので、サラリーマンが行列を作ってる。「間口2間のポンタの店」という歌詞の歌があったが、まさにそういう店が連なっている。大阪の胃袋を満たしているのだからすごいなぁと思う。あのB1だけに集まってくる人が我が町にも毎日来てくれるとスゴイ経済効果になるのになぁと思ってしまうのだった。

 これ、一人前? と思うほどにテンコ盛りになったカラアゲ定食もあったが、実物の量を見てとても注文できなかった。あれは3分の1も食えない量だ。我が家の大食漢なら平らげるだろうが・・・。

 カツ丼+ウドン=¥490というが、味は結構上等である。隣に腰掛けた女性は、ウドンと握り飯の定食だったが、あれも美味そうだった。税込み¥490というのが小憎らしいねぇ。¥500と¥490では印象が違う。大阪は「粉もん」+「粉もん」が昼飯になる。飯とウドン、飯とタコ焼きなどはその最たるものだ。

 目的の店よりも先にブラブラとあちこちを見て回る。中古レコード店、中古カメラ店、チケット店、靴屋、散髪屋、刀剣、古銭、楽器店など、何んでもある。さらに「自習室」という看板の店もある。退屈しないが、座って一休みできる場所が極めて少ない。みんな足腰が丈夫なのだろう。大阪駅の北と南では街の様相が随分違うのだ。ざっくり偏見で分けると、北は若者の街、南はサラリーマンや年配者の街なのかも知れない。夕方から夜はまた違った雰囲気になるのだろう。北はスイーツの香りが漂い、南はカラアゲやカレーの香りが満ちている。大阪駅の南北で違うのだ。

 次期の「香雪美術館」の前売り券が格安で並んでいたのでゲット。わざわざ買に来ると高くつくが、ついでにだと結構安い買い物になる。NHKの『ドキュメント72時間』の題材になるような雰囲気が良いねぇ。ヨレヨレのズック(新品の時はカジュアルシューズと言った)+毛糸の冬帽子+防寒着+ジーパンが似合う街だねぇ。

 そういえば、何が本命なのかわからないお店に、ブリキのヘリコプターのオモチャが置いてあった。ゼンマイを巻くような品物だから飛ばないであろうが、面白くて見入った。カメラレンズもたくさんあった7.アリフレックス16の広角単玉がないかになぁと探したがなかった。いや、有るわけない。テレビ局用にニコンが受注で数10個ほどしか生産しなかったと聞いた。あったらベラボウな値段がついているかもしれない。

 本命の品物を探しに行ったが無かった。事前にネットで探しまくったが無かったので、大阪へ行くともしかしたら・・・と思ったまでだ。探すのがこれまた一苦労。何せドイツ語しか書いてないのだから。最終的にはドイツへ直接注文することになった。為替レートは「ユーロ建て」だ。1ユーロは¥125弱だが、日にも時刻によっても違う。ややこしい。1円違うと、貿易では大きな額になると言うからエライコッチャ。

 知人の住職さんから「寺報」が届いた。「本を楽しむ」というコーナーに「おもしろそうな本が紹介されていた。『京都ぎらい』を書いた井上章一作だ。いわく『大阪的 「おもろいおばはん」はこうしてつくられた』という本だ。早速注文。明日には届く。ビートたけし著の『「さみしさ」の研究』というのも紹介されていた。読後感想文付きだから、この住職はみんな読了しているのだねぇ。


2019.1.26

 朝から雪がチラチラ続いている。植木もうっすら綿帽子だ。真っ白い雪と、葉っぱの緑と、赤い実の晴れ姿を「万両」などが見せてくれる。写真の色配置にはきれいだ。明日の朝にはもうちょっと積もっているかも知れない。

 久し振り出会った近所の婆ちゃん。いや、お嫁に行ってから滅多に出会っていなかったのだ。半世紀ぶりに話に花が咲いた。膝が痛いと言う。もうお互い様の歳になった。

 「子どもの頃は、ストーブなどというものはなくて、「十能」で残りの素灰を「掘りごたつ」に入れてもらったものだった」とか・・・。そんな話ばっかりだ。
 
 雪もたくさん積もって、雪まみれになって遊んだ。もっと寒かったのだろうが、今は寄る年波が身に堪える。達者なのは「口」だけだ。だから若い人には嫌われる。

 「明日の話はない。過去の話ばっかりだ」
と若い人に言われて返す言葉がない。「老いの繰り言」と言って、昔から言われて来たことだ。「来た道 行く道」だ。

 「バラバラで一緒」というテーマがあるが、「バラバラで別々」に向かっているような気がしない訳ではない。分子間引力が減少しているのか?

 「個」に偏重して行くと、「コミュニティーの果たす役割」を再確認しないと、「精神的に孤独な年寄」が一杯になって来る。もう半年以上も見かけない人が私の住む地域もいる。元気なのだろうが、すれ違っているのかも知れない。

 嗚呼、何としたことか。


2019.1.22

 すでに大寒に突入。丹波はこれからしばらく凍てつくように寒さがつのる。♪鍋焼きーうどん♪ などという売り声を、落語以外では聞いたこともないのに、その雰囲気を思い出すのであった。そういえばかつてTV時代劇でラストに毎回い使われているショットに、冬の夜に屋台でウドンをすすり込んでいる場面があった。

 歯医者さんへ行く。いよいよ前歯の差し歯の部分も壊れ始め、入れ歯を修理して細工してもらうことになった。その後、ウドン定食を頂いて市役所へ顔を出して・・・。

 注文していた「つぶつぶジュース」が来たので、郵便局さんとひとしきり会話が弾んで、「同病相憐れむ」ではないが、近所の婆ちゃん(本人はそうは思っていない)に一箱プレゼント。とにかく術後は食欲が出ず、「藁を噛む」というぐらいに味覚がなくなるので、スカッとしたジュースは良かったので・・・。「これを飲んで、元気を出せよー!」と。

 大阪で見つけたワイヤレス・キーボードはなかなか使い心地が良い。ちょっと小さめで、今までの「役物」の配置が違うので馴れるまでは時間を取ったが、タッチの力加減も、選んで選んだ甲斐もあって甚だ快適である。夜の間にUSBを繋いでおくと充電もできる。机の上が広くなった。

『ごごラジ』を聞きながら快適に作業が進む。今日のゲストは丸山明宏。リスナーへの助言はいつもながら素晴らしい。迷っている人には決断の一押しになっただろう。言うてもあかん人と言うのは世の中にたくさんおるが・・・。

 来客の応対などを挟んで、またラジオを聞きながら作業を始める。マイケル・ジャクソンの歌がかかる。ズンズンズンズンというリズムは心臓の鼓動のようだ。みんなたがマイケルの歌に陶酔したのがよくわかる。

 堂島の香雪美術館で『物語とうたにあそぶ』が開催中。観に行った。来月は『明恵の夢と高山寺』の予定という。かの『鳥獣戯画』が公開される。これも楽しみだ。冬の堂島界隈をそぞろ歩くのも良いものだ。フェスティバルホールの前だった。


2019.1.17

 24年前の今日、阪神淡路大震災が起こった、突き上げる揺れに、只々布団をかぶるのみであった。「もう駄目か?」とすら思った。
 揺れが収まって本堂を見に行く。異常はなかった。テレビを付けたが放送局も混乱していて、傾いたビルが写っているのに、何が起こったのかすら把握できていないようだった。

 当時は町の文化ホールに勤務していたが、ロビーのガラスは? いや町役場の庁舎は? と次の心配であった。出勤するとどちらも大丈夫だったが、その後に、被災証明を出さねばならない家屋がたくさんあった。

 支援体制が組まれ、支援物資や人員の手配が直ちに始まった。たくさんの物資やお米も集まって来た。役場には対策本部が設置され、私も毎日詰めるようになった。

 ご縁のある門徒さんが神戸に数軒有るので、カミさんと見舞いにも行った。町の一画が全て崩壊し、どうやって逃げたか思い出せないという方もいた。新神戸駅近くの公園にはたくさんの被災者が集まっておられた。とにかく命があったことへのお見舞いを言うのが精一杯で、何も具体的にできなかったのは誠に歯がゆい思いであった。

 行政支援の面では、災害に対してどのように対処すれば良いのかをたくさん得ることができた。
 毎朝5時から給食センターの施設を使って、被災地への「おにぎり」を大量に作って届けることもやった。女性のボランティア達が大きな力を出してくれた。消防団も搬送の手伝いをしてくれた。
 送り出す側の思いと、受ける側の思いが少しずつ変化して行くことも体験した。支援ルートが確保され、多くの組織が活動できるようになると物資も豊富に集まるようになったのだ。支援は物質的なことだけではなかったのだった。

支援本部は「空き家探し」にも間口を開けて行った。知人が一時避難をするというので、仲間が行ってくれた。久方ぶりの暖かい場所でのナベに皆ほっとしたこともあった。

 被災地への行政支援は、支援物資の仕分けや被災証明の交付などにも広がり、1ルートしかない電車に乗り込んで職員が班別に支援に行った。その時から始まったのがリュックを背負うというスタイルであった。あの時の防寒着が今もそのまま使えるから不思議なものだ。

 それから2年。今度は福井県三国海岸にロシアタンカーが漂着して大量の油流出事故が起こった。これも寒い1月のことであった。機械で処理できない場所は「人海戦術」。町役場で支援隊が設定されて派遣された。

 東北の震災にもたくさんの市民が支援に行った。1年間派遣で現地の町役場に若手職員が派遣されることにもなった。

 1月になると思い出す。雪の中、寒さに震えながらの消防団による行方不明捜索活動が3日間も続いたこともあった。地元の方達がおにぎりや味噌汁を振る舞ってくれた。

 「困った時はお互い様」ということをたくさん経験してきた。そして何よりも「初動」が大事だと言うことだった。

 12月、1月は何かと気ぜわしい。ここ1週間は鼻風邪。久し振りにサックスを吹いて見る。吹けるが、少し息が・・・。もうすぐ本当に後期高齢者になる日がやって来る。「もうアカン」と思っていたら、83才のトローンボーン奏者が率いるジャズバンドと寄席のお囃子メンバーのコラボのことを放送していた。「やればできるのだなぁ」と思い直した。


2019.1.13

 一月も早くも半分過ぎて行こうとしている。今夜は俳句会の句集を出すので写真をとってほしいという。マフラーを巻いて、重装備で会場へ出かけた。みなさん私より年寄りの筈なのに、以外と元気なのだ。あちこち痛むとは言いながらも、夜に集まっての句会なのだから。

 昨夜ふと思い出したのは、もう50年も前の時代。男声四重奏が盛んであった。デュークエイセス、ダークダックス、ザ・キングトーンズ、ボニージャックス等だ。日本の歌、ロシア民謡などたくさんの曲を知ったものだった。♪京都大原三千院♪なんて歌い出しだった。
歌声喫茶というのもあって、みんなで一緒に歌えた。近頃の歌はとても歌えない。歳のせいかも知れないが。


2019.1.2

 1時間だけに濃縮された時間が過ぎて行った。接待のぜんざいもお茶席も、記念品も全部きれいに。
 全部無料。「盆得正損」と聞いて来たが、ま、住職のお正月のご挨拶だ。

 境内には沢山の人達が除夜の鐘を撞きにやってきた。戦争に行って、帰って来なかった梵鐘が昭和50年に再建された。平成を過ぎ、5月には次の時代が来る。

 「70年代」、「80年代」と言ったり、「明治」、「大正」、「昭和」と言ったりするが、人は区切りを付けて次の時間を生み出して生きて来た。

 境内では、年に一度のミニ同級会の塊があったり、ぜんざいを味わったり。本堂ではお茶席も続いて来た。40年の歳月は三世代にもなっている。過疎の田舎の寺も除夜の夜は賑わうのであった。

 若い世代に時間が移り行くのに、自分はまだまだ現役のつもりだから、どうにも始末が悪い。

 兼務寺の修正会も穏やかに過ぎて、今年もウイーンの「ニュー・イヤー・コンサート」のテレビも見た。本場のラデッキー行進曲はやっぱり素敵だ。

 「フルートをやっている」とか、「クラリネットをやっている」という賀状があった。それこそ40年も前からの知り合いなのに、いつから始めたのかな?と、ビックリのお正月であった。

 みんな元気なのが良い。サザン・オールスター。変な発音の桑田佳祐に、最初の頃は親しめなかったが、彼ってよく見るとガニ股のおっさんになっていたねぇ。メンバーのみんなは、彼の病気を乗り越えてやってきたから素晴らしい。


2018.12.29

 TVコマーシャルを見てチョットびっくりした。一杯100円で飲める時間帯のあるお店があるということだ。

 今から50年以上も昔。京都の鴨川沿いの木屋町というところに「ワインリバー」というバーがあった。川が流れるかのように、店の中にカウンターが設置されていて、カクテルも何でも、とにかく1杯100円だった。カウンターの向こうには、蝶ネクタイに黒のチョッキを着こなしたバーテンダーが何人かいた。新京極には、1皿10円の寿司屋があった。今の回転寿しの元祖だった。
1000円を握りしめて出かけると、いっぱい食えて、いっぱい呑んで、ものすごく上機嫌で帰って来ることができたものだった。市電代の15円だけは残してだが。
 そんなのも、みんな先輩から教えられて、恐る恐る同期生と行くのであった。もしかしたら、「やしきたかじん」と出会っていたかも知れないねぇ。いや、5つ「たかじん」の方が若いから、出会っていないと思うねぇ。

 当時の1000円は今の1万円ぐらいの価値があったとは思うが、今時1杯100円という酒があるとは思わなかった。ひさかたぶりに、50年も前のことを思い出した。

 木屋町には、サザエの壺焼きという屋台も出ていて、醤油の焦げるなんとも言えない香りが漂っていた。中身は本物のサザエだったかどうかわからぬままだが、貝殻は確かにサザエだった。
香りに誘われて、爪楊枝で身を取り出しながらコップ酒。それもそれ。銭湯の前に立ち飲み屋があった。

 湯上りのコップ酒は格別だったなぁ。烏丸六条下ルのコンビニの横に今も立ち飲み屋がある。帰路につくサラリーマンの人たちが一杯引っ掛けているのがみえる。50年前も今も、やってるのは酒屋さんだ。グッとひっかけて、前のバス停から家路につくのだろう。

 鰻の蒲焼きのお店が道に面してあって、バタバタと渋ウチワを煽いで蒲焼きを焼いているのも、実は「醤油の焦げる香り」が客寄せの妙理なのだそうだ。「サザエの壺焼き」も同じ理屈だったのだ。

 「回転饅頭」も「醤油焦げ味」というのをやるとウケるかも知れない。ぐい飲みほどの大きさのガラスコップに灌がれた「ジンジャエール」とセットにすると、お腹をすかしての下校の高校生にはウケるかも。そして、舟木一夫の『高校三年生』のような思い出になるかも知れないねぇ。

 お好み焼き屋の「焼きそば」も、ソーズが焦げる香りと青海苔の粉が何とも言えないものだった。そんな「焼きそば屋」は、「お婆ちゃんのやっている小さな店」の記憶なのだ。

 先日、1992年のヒット曲ということで『もう恋なんてしない』というのが紹介されていた。このフレーズは何処かで聞いたがなぁと探したら、槇原敬之の歌だという。が、私のイメージの中の曲ではない。やっと思い出したのは「にしきのあきら」の『もう恋なのか』だった。よく似た曲名だが、歌のスタイルが違っている。これはテナーで吹くとサマになりそうな曲だ。やっぱりほぼ50年も前のことだったのだ。思い出して「喉の小骨」が降りて行った。

 大晦日の「除夜の鐘」はすぐそこになった。大方の準備ができていく。年をとると ♪早く来る来るお正月♪ だ。


2018.12.16

 今年最後のご法事を勤める。が、今年いちばんの冷え込みで、手水鉢の水は凍り、自動車は真っ白。窓の霜が融けるまで暫し立ち往生になってしまった。これから春までは「今年いちばん」がいくつもやって来そうだ。

 サンデー毎日になっていると曜日がわからなくなってくる。日曜が祝日になると翌日は振り替え休日ということで休みになるんだ。今や休日であろうが平日であろうが、この村の年寄り達は毎日が休日みたいなものだが、この寒さではさすがに誰も見かけない。一昨日の義士祭とは天と地ほどの差がある。

 昨夜のテレビの場面で、キーボードを打っているシーンを見た。いや、再確認させられた。両手の指を使って素早く打ち込んでいるのだ。まるでピアノを弾いているように自在に打てるのだねぇ。フル機能の人は、キーボードには視線が行っていない。何処かでピアノのレッスンのようなものを受けているのだろうかと思う。

 私などは、両手を使うものの、頑張っても、合わせて左右3本ずつ程度。元々は右で1本、左で1本しか使えていなかった。きっちりできていないのでミスタッチばかり。老眼も影響してか、誤変換がいっぱい出てくる。キーボード初体験から35年ほどの年月が経っているのに・・・。

 仮名打ちだと、「ち」は1文字打てば良いが、ローマ字打ちでは「chi」と3文字打ちになる。3倍の時間がかかりそうだが、配列を憶える数は倍ほど違うのだなぁと。かつての「英文タイプ」と同じ配列になっているから、憶えてしまえば早いのかも知れない。「えーと、あーと」と、サックスの運指を考えながら吹いていた頃を思い出す。馴れてくれば勝手に指が動くようになったものの、実戦では難しいがねぇ。

 いや、それにしても、スマホを操る人の左手の親指の動きには感心する。腱鞘炎にならないことを念じてあげたいが・・・。

 1時間ばかりの読経のあと、「よっこらしょ」と立ちあがるのに閑がかかる。特に痛いことはないのだが、正座から立ち上がるにはやっぱり筋肉が老化しているのだ。いや、それよりも、後ろで座っていた婆ちゃんも、足を投げ出して、暫し膝をさすっていた。二人して大笑いだった。もちろん、若い人はなおさら正座はできていなかったが・・・。

 生活様式が「イス式」になって来たから、座布団の上でも「座る」ということがなくなって来たのだ。が、イスに腰掛けては読経に力が入らないねぇ。立つか正座をしないとお腹に力が入らないのは不思議だ。

 「背筋を伸ばして!」と言われたものだが、姿勢というものはいろいろ影響する。猫背でうつむいて歌うオペラ歌手は見たことがない。みんな「しゃん」と背筋を伸ばしている。

 サックスを始めた頃、「サックスはうつむいて吹くものなのだ」と間違った見本を見てしまっていた。姿勢良く吹くのは難しい。目線のやり場が・・・。でも、姿勢良く吹く方が音色は良いねぇ。


2018.12.14

 たまに空からピリッと滴が落ちて来る中で「古市義士祭」が行われた。今年の「子ども義士たち」は15人ほど。衣装に着替え、速成の振り付けを習った後は、義士の倍以上のカメラマンに囲まれて、AKB48ほどのモテようであった。持ってるカメラはすごかったよ。

 いつもは猫の子一匹通らないような時間に、こんなに人出があるのは年に1-2度のことなのだ。
 いよいよパレードとなると、「一天にわかに晴れ上がり・・・」と寒風の中にも上天気となった。

 「顔を上げてー!!」と言うと、「もっとやんわり言うたら?」と言う人がおった。
 「大丈夫。みんな知っている間柄なんやでー。かっこいい写真を撮ってやりたいからね」と。

 モデルになってくれた子どもたちは、90分ほどのパレードの後で、「討入り蕎麦」に舌鼓を打った。いや、4杯目のおかわりをし、「回転饅頭」もパクついていた。「別腹」なんやねぇ。

 「いっぱい喰って大きくなるんだぞー」

露天商のおじさん達が数軒お店を出し、生け花展、句展、無料のコーヒーコーナーも。もちろん無料の「討ち入り蕎麦」も賑わった。300食が胃袋に入るのだ。子どもたちの絵画展やクラブ活動で習った「子ども生け花展」もあった。

 市長も、篠山のキャラの「まるいの」もやって来た。「まるいの」とは「よく肥えて丸々したイノシシ」ということだ。

 師走半ばの篠山は、子どもも大人も、年寄も、みんなで楽しんだ一日であった。篠山の「特産アンテナショップ」も出るようになったら良いのになぁと。

 そして何よりもは、わが小学校の子どもたちは写真に撮られるのに馴れていて、とっても素敵な無意識の笑顔を出してくれる。「はい チーズ」の子どもたちは居ないのだ。いわゆる「カメラ目線」がないから、バツグンの写真が撮れるのだ。

 子どもたちよりもカメラマンの腕前が太刀打ち出来るかどうか?(~o~)(~o~)(~o~)

 因みに、「浪士」というと嫌がられて「義士」と言うのだと教えられたことがあったが、三波春夫の『俵星玄蕃』を「義士」に言い変えるとどうも歌いにくい。
 まあ、あんまり隅をほじくると、真実は意外な展開になるので止めとくことにするが・・・。そういえば50年以上も前の「東京五輪音頭」でいちばん売れたのは三波春夫版だったという。今度は、誰の版がヒットするのかなぁ。


2018.12.7

 寒くなった。北海道では雪が積もっているとラジオが報じていた。今日は薄着ではチョットばかり堪える。

 昨日は草津市へ。人権についてのお話に行った。駅に着いてまずお昼をばと入った小さなショッピングモール。カレーライスの「こだわりのお店」であった。「小盛り」というのがあって、いや実に美味しかった。

 「カレーライス+ラッキョウ」というのが定番のようだが、ここのお店は、千枚漬けのようなそうではない、横文字の「漬け物?」の小さなのが2切れ程付いていた。

「これを食べて、舌の感覚をリセットして、次の一口を味わってください」というから、オーナーの「こだわり」の心意気が伝わって来た。

「カレーライス+ラッキョウ」という組み合わせは日本の発明だそうだ。「スパゲッティー・ナポリタン」も実は日本で始めたものだそうだ。イタリアで通用するかどうか、行ったことがないからわからない。

 で、1コマ60-90分が普通なのに、お話はどうしたことか、初めからフルスロットになってしまった。カレーライスが原因ではない。いろいろと話の中を検討して準備していたのに2時間半の長丁場になってしまったのだった。

 しかし、誰も帰らずに、笑ったり、フリーズしたりと、テーマにしては楽しいお話になったはずだ。最後は歌の思い出。みんな普通に、懐かしさを込めての定番としての『ふるさと』のお話。チョット歌い出すと、会場の人たちも歌ってくれた。

 が、「実はねぇ」と、この歌にまつわることを紹介したのだった。それは個人的なことではあるが、そのことを講演の中で語ったご本人のことを。

「辛い辛い青春を送った故郷を思い出すのは苦痛なのです。わたしにとって"ふるさと"という歌は、辛い過去しか思い出せないのです」と言われた方のことだった。「"住んでいる場所"、"生まれた場所"というだけでレッテルを貼り付けて、どこまでも追いかけて行く差別観念はもう捨てましょうよ」と。

 みんな、普段、何気なく見過ごしている日常のことに気付いて頂けたと思ったのであった。

 帰りに入った駅のトイレに張り紙があった。
 「人の心を傷つける落書きはやめましょう」
というニュアンスのことが書いてあった。

 そして今日は「高齢者運転免許更新」の「認知症検査」の日であった。イラストを憶えたり、時間の感覚、日時や曜日を書いたりと、数種類のテストが30分ほどあった。人様のことはわからないが、いちばん「困ったなぁ」と思ったのはイラストを思い出して書き上げることであった。16種類はそんなに多くはないのだが、書き始める時は憶えていたつもりが、書いている途中で忘れて行くのだ。

 次のページに入ると、イラストのヒントが書いてあって、思い出して書き込めるようなっていた。ヒントがあると先ほどの絵が直ぐに思い浮かぶ。えらいもんだ。アドバイスというものは。

 この教習所のみなさんはとても親切だった。年寄も若い人も分け隔てなく、みんなを笑顔で迎えてくれたのだった。

 嗚呼、しかし何という両極の二日間であったことよなぁ。

『アニー・ローリー』と『Try to Remember』の採譜をする。お手本になるソプラノサックスの演奏を聞きながらだ。途中で移調しているので、キーを探しながら・・・。我が家のニャンコは子どもの頃からサックスの音に付き合って来たので、いつも傍にいてくれるのだ。名前を呼ぶと耳で返事をしてくれるのである。


2018.12.1

 今日は「おついたち」と言って、年寄の人たちの間では特別な日である。お地蔵さんには「お赤飯」が供えられ、川の土手にも供えてあった。

 こういう風習は、都市部では壊滅しているかも知れない。かつての農村部では、「亥の子餅」などという行事があってお祝いをした。 ♪亥の子の餅祝いましょ♪ などと歌った。「きつねがえり」という行事もあった。記憶では、夜になって子どもたちが稲束を地面に叩き付けながら歌を歌って家々をまわった。ちょっぴりお小遣いがもらえるのであった。

 ユネスコ無形文化財に登録された「来訪神」のような子ども版の世界であった。もう50年も前に16ミリ映画で撮影したが、いつの季節だったか、どんな歌を歌っていたかはすっかり失念してしまった。

 先日より読み解いているのは明治維新前後の篠山藩で起こった事柄。
 安政7年のロシアの来航から起こって来る開国への課程と「禁門の変」「鳥羽伏見の戦い」「山陰道鎮撫使の通過」「明治維新の混乱」などなどである。読んで行くと実に大変な事柄を乗り切って行ったのであった。いや、乗り越えさせられたのは、農民の莫大な人的・税的負担であった。武士の世界は廃止になり、農村への「散居」という移住が行われたが、「武士の商法」の如く、農村に定着出来る者は少なかったという。笑い話のようではあるが、「売ってください」「売ってつかわす」というのが何となくあったのは今から60年も前だったなぁ。

 で、「禁門の変」では、「郷夫」と言われ、荷物運びの人足として徴用された百姓が、藩邸で竹槍を持たされ、戦闘訓練を一夜漬でさせられたことであった。
 「兵農分離」と言って、武士の役割と農民の役割が明確に区分されていたのに、突然「兵」に仕立てられようとしたことであった。幸いにも、農民達は竹槍で闘うこともなく、何とかかんとか郷里へ帰る事が出来た。
 因みに「郷夫」の延べ人数は農村人口よりも遙かに多かったと言う。僅かに150年ほど前後の出来事であったのだ。

 明治11年には朝令暮改の変遷の末、太政官布告で「郡区町村編制法」が制定され、今の篠山の元になる町村が区画された。それが今の「小学校区単位」という行政区分になる。

 いや、ビックリしたのは、それから10年弱、「明治20年度役場部内連合村費議案」である。さしずめ今で言うと「広域行政連合会予算案」というものであろう。

 この中に「衛生費」として「81円50銭」という『種痘施術経費』が組まれていることであった。
今は「ワクチン」が再製造されているやに聞くが、明治のこの時に、「衛生対策」として重要な関心と実践が行われていたことに認識を新たにしたのであった。

 「風疹」や「梅毒」も広がっているという。衛生に対する関心が極めて薄くなっている世情に警鐘が鳴らされているのではないかと思う。「歴史は繰り返す」という。人間というものは「歴史に学ぶ」事はしないで、歴史年表を暗記するだけなのかも知れない。最早「暗記」は不要だ。「暗記」はネットで見れば良い。「智慧}が大事なのだ。「智慧」っていう事が何なのか判るかどうかだが・・・。


2018.11.28

 昨夜は「大逮夜」と言って、門徒さんたちが大事にして来た「日」である。正信偈をお勤めし、しばしの時間を一緒に過ごす。集まった門徒さんは7人。このうち、老人の一人暮らしのお家が2戸ある。でも、元々2桁になったのは一時期だけで、ずーっと1桁の門徒さんの寺である。

 いつも、何があっても、参拝率は100%を超える。こうやってこの寺の本堂は200年ほど経て来たのだ。開け閉めが繰り返された「折り障子」が、敷居に年輪を刻んでいた。

 「おーっさん! 20年後には全国の寺は1/3になると言うとった」と。
 「そうなるやろうなぁ。まあ、わしらは生きとらんわなぁ」と。

 そして、私らの年代が生きた時代をみんなで振り返るのだった。
 「あと何年か生きとったら・・・」という前提だが、

 「オリンピックが2度見られる」
 「万博も2度見られるなぁ。月の石は見なかった」
 「どこのパビリオンに入ったかはすっかり忘れた。ごっつい人やった」
 「皇太子結婚のパレードがあった」
 「天皇即位も2度見られるなぁ」
 「即位パレードも2度になるか」
 「携帯電話はなかったなぁ」
 「キャンデー売りが回って来ていたなぁ」
 「水道もなかった。ゴミ収集もなかった」

などなど、生きて来た半世紀以上の時間をみんなで振り返るのであった。そんな「大逮夜」だった。

 ある。ある。何んでもある。

 が、「無いだろう」と思って入ったお店に、品物は「ヤッパリなかった」
 「お取り寄せ致しますが・・・」
と言われて、購買意欲がガックリした。「取り寄せ」なんて言葉は、50年も前のお店の言葉だ。これでは客が離れるなぁとあらためて思い知った。「アウトレット・モール」へ行った方が良かったのかなぁ。

 先日、とある会議の時に、後輩の女性職員に「それ、パンタロンというのか?」と訊ねたら、「ワイドパンツと言うんやでー」と教えてくれた。
 裾を踏みそうな丈だが、「大根足が隠れて良いねぇ」とは言わなかった。言ったらセクハラになっちゃうから。

 が、なかなか「イカス」ではないか。どこで買ったんや?と再質問すると、ネットで「ピっ」だという。

 レディースのワイド・パンツはイカスだが、メンズのは「腰パン」みたいでダサイなぁ。世の中、性別概念を越えて、メンズのももっとカラフルで、もっといろいろあったら良いのにねぇ。どうして男物は「ドブネズミ」みたいな物ばっかりなんや? モンペの時代とちゃうで!! センスが無いのも甚だしいぞ。

 今日、大阪航空局から、例の「ドローン」の「航空法第132条但し書き」の飛行許可承認が届いた。「料金不足」になっていたが、〒局員に確認してもらって返信切手も貼って貰ったのだが、湿度の関係で目方が増えたのか?

 とにかく、1年間の「包括申請」だ。今回は市域を増やして、さらなる撮影範囲が可能になった。がんばっとるんであります。

 『The Entertainer』のテナーパートも何とか行けそうになった。こいつは「裏拍」になっているのでやりにくいのだ。

 が、人間は欲が深い。『12番街のラグ』もジャズの定番として知っている人が多そうだから、これもやってみたい。随分前、クレイジー・キャッツと共演でペットを吹いているタモリの動画がある。やって見たいねぇ。が、「命が持つかどうかやなぁ」と、また友人に言われそうだ(^O^)(^O^)。
「この曲の出だしはどっかで聞いたような・・・」と考えていたら、「そうだ! 吉本のテーマ曲にそっくりではないか!」。


2018.11.25

 昨夜は京都ロームのイルミネーションを見に行った。恒例の見事なイルミネーションが開かれ、本社前の特設ステージで、今年も社員のコンサートがあったのだ。

 夕方になって、「行こうか?」とカミさんに声をかけると、「行く!」と言う。

 真っ赤なジャケットを着こなした16人の社内バンド。20分ほどではあったが、イルミネーションのオープニングを飾っていた。
 「どこかで聞いた曲だなぁ」とは思うが曲名は知らない。唯一知っていたのは『デイ・ドリーム・ビリーバー』だけだった。

 土曜日ともあって、たくさんの家族連れでにぎわって、前の名倉公園ではピエロが登場して子どもたちを楽しませ、コーヒーショップも開かれていた。年年歳歳大きくなっている。

 「地蔵盆たそがれコンサート」に来てくれているH君も颯爽と演奏だ。何年か前に「ソロをしなくてはならないので緊張しています」と言っていたが、そんな気配もない。

 ライブが終わって3ヶ月ぶりの再会。彼のご両親とも初めて出会った。私より1つ年下というが、こういう場で出会うのも人生の一里塚だ。名刺を交換して、仲を取り持ってくれた彼を囲んで写真をば・・・。

 帰り道に入ったレストランでの「鍋焼き味噌ウドン」と「握り寿司5つ入り」が美味かったねぇ。

 他所のコンサートを訪問するのは良いものだ。なんと言っても実はこのバンドはあの小沢征爾の指導を受けているというから、私らのとは「月とすっぽん」だなぁ。

 このイルミネーションとコンサートとは12年もの出会いになる。年をとるわけだわなぁ。
 
遅ればせながら、今年の地蔵盆のライブもアップした。中味はやっぱり年寄の楽しみだなぁ。


2018.11.22

 テレビのニュースでやっていた。大学教授で、認知症を専門にしていた人が、自分が認知症になったという。
 当事者になってわかった事があるという。常に続いているのではなくて、正常なのと変なのとが混ぜこぜに起こるという。
 いや、それはよくわかる。そういう人をたくさん知っておる。お話をすると、「普通の人」なのだが、行動が時々おかしい。

 自分でもそういう時がある気がし始めた。ずっーと以前に、「話の中で大事な事は、話の構成の中で三度言うことが大切だ」という「話の組み立て方」を教えてもらった事がある。だからそれをずっーとやって来たら、「話がくどい」と言われることがあった。
 最近益々、「これはしっかり伝えておきたい」と思うので、意識して話をすると、相手が異常に反応をする。「くどい」と。
 「とうとう認知症がやって来たのか?」と自分を疑ってしまう。

 ニュースに登場した教授が言っていた。「だから余計に寡黙になる」と。
 明日はもっと進行して行くのではないかと思うと「怖い」と言う。

 年をとると、そういう心配をするようになる。65歳以上の5人に一人が認知症になる社会が来るというではないか。エライコッチャー。

 昨夜、「歴史秘話」で、「鳥羽伏見の戦いと徳川慶喜」のことをやっていた。「あれ?待てよ。この事で篠山藩の詳しい話を何処かで読んだが・・・」とメモっておいた。朝から、昨日の会議記録を読み込むのと平行して資料を探したら出て来た。

 家茂上洛の警護接待役に始まって、大津助郷、孝明天皇葬送警護役、禁門の変、鳥羽伏見の戦い、山陰道鎮撫使との経緯、廃藩置県にまで至る、それこそ「篠山の歴史秘話」であった。

 山陰道鎮撫使は西園寺公望(18歳)。護衛は家来18人、薩州111人、長州130人、大砲2門、馬2騎、剣・鉄砲を所持し、異人の風体(洋装軍服か?)で京都を出立したという。滞在中に掛かる費用と人足は莫大なもので、費用と人足負担をさせられた村からは「悲鳴」に近い報告書が出されている。全て地元に賦課されたのであった。今も昔も変わらない。「自立」だとか「自主運営」などと言い変えられてはいるものの、つまるところは「丸投げ」なのかも知れないねぇ。

 こんな大変な経費と労力を課せられた幕末から維新に掛けてのことは、ほとんどの人が知らないと思う。古文書をたくさん紹介しながら詳しく書かれているものだった。読み込んだ者もだが、資料を残していた人も貴重な存在だったのだ。

 篠山城は石垣と大書院だけが残ったが、明治6年の「廃城令」が出た時に、大書院は解体費用が掛かるために着手されなかったが、その他の建物は、近くの農家の人達が焚物(燃料)として壊して持ち帰ったという。誠に大着な対応だったと言えるなぁ。

 「俺はもう知らん」と、家老職をはじめ、多くの武家は篠山から出て行き、残っていたのは下級武士だけになった。廃藩後は「藩士散居」と言って、家禄の低い藩士は農村部へ引き取って貰うことになったが、「士族」とは言いながらも大変な時代があったのだ。

 それにしても、「新政府を藩主が受け入れなければ、弟を立ててでも新政府に帰順する」と、藩主が江戸詰で留守の中でも決めて行かざるを得なかったというから、鎮撫使の権限は絶大だったのかも知れない。鎮撫使の動きは、それこそ当時の警察機構のような組織で逐一速報されていたというから大した物である。
 
 この組織は、黒船来航の2年後の安政2年には、領内各寺院の釣鐘を極秘に悉皆調査をしている。おそらくは、大砲の弾に鋳直す場合を考えてではなかったかと思われる。昭和17年の「金属供出令」は、これを手本にしたのかも知れない。

 家茂上洛の際から鎮撫使通過後まで、負担した経費と賦役の割り当ては莫大なものであった。朝鮮通信使の通過の時もそうだが、藩の隣時的経費は全て民衆に割り当てられた。

 時を経て読み直してみると、読み飛ばしていた部分もあって、また新鮮な気持ちになった。まだしばらくは認知症になってはおれない。ドローンの飛行中に突如発症したりするとエライコッチャになる。


2018.11.21

 先日大阪駅に行って来た。特に目的はない。テーラーコートがあればいいなぁと思ったが、探すのが面倒になった。

 目的もなく歩いているのは私だけでなく、初老の男性のほとんどが、かつてのサラリーマン時代の習癖として歩いているように見えた。

 こういう状況は、認知症の前兆現象かも知れない。気が短くなる。前日のおかずは何だったか憶えていない。などなど。
チェック項目を見ると随分と該当する事項が多い。来月になると高齢者運転免許の条件として「認知症テスト」が自動車教習所で行われる。これをパスしないと免許が更新されない。果たして結果や如何?

 で、大阪駅でビックリした事がある。前から「柱」が私の方へ向かって来るのだ。一瞬の時間だったが実に驚いた。
 私の方へやって来たのは「柱」ではなくて、20歳を少し出たかなと思われる青年だった。サラリーマン風の身のこなしであった。

 私の身長は172㎝。それが遙か上を見上げないと様子ががわからなかった。バスケやバレーの選手には背の高い人がいるとは聞いてはいたが、テレビではほとんどの選手は背が高いので、一人だけを見るとびっくりした。240㎝ぐらいあったと思った。電車の乗り降りも頭を低くしないととても無理に思えた。あの身長では、バレーのネットは遙かに越えるし、バスケの籠も・・・。

 74年の経験の中で、こんなに背の高い人を目の前にしたのは初めてであった。びっくりしたのは私だけで、回りの人達は気にしていなかったねぇ。田舎に住んでいると、やっぱり「井の中の蛙」なのかも知れないねぇ。


2018.11.16

 昨夜遅くに窓の外を見ると濃い霧が立ちこめていた。これは朝には「丹波霧」になって景色が良いかも知れないと楽しみにした。

 案の定、朝には濃霧になっていた。ドローンを持って撮影に出かける。篠山での撮影ポイントは「多紀連山」を南北に横切る峠道があって、峠のテッペンは「おおたわ」というところで、駐車場もあり、トイレもあるという便利な場所がある。峠は篠山盆地のほぼ真ん中あたりで周囲が見渡せたのだが、最近は木々が生い茂って「絶景」のポイントが狭くなってしまった。

 それでも、ドローンを上げると雲海が良く見えた。ナイヤガラの滝のようなスケールではないが、篠山盆地をすっかり埋め尽くし、霧の上に頭を出している山々は、前川清の歌う『西海ブルース』に連想される島々のようだ。

 紅葉がいっぱいで、まさに♪山の麓の裾模様♪の歌詞のようだった。撮影を終えて山を下っていると、早朝の散歩の二人連れを見かけた。高校時代の同級生夫婦だった。「ひさしぶりだねぇ」と声を掛けて暫しの歓談。
 が、出て来るのは「訃報」だ。「年年歳歳花相似たり 歳歳年年人同じからず」だ。「いつまでも あると思うな親と金」と言われたものだが、今や「いつまでもあると思うな わが命」だった。

 上手からステージに出て来て下手に引っ込んでしまう「旅人A」みたいなものだなぁ。そんな思いを噛みしめながら、ご近所さんのお見舞いに病院へ行った。骨折だから日にち薬で快方に向かう。リハビリで歩く練習が始まったという。耳が遠いのでもっぱら「筆談」だ。歳をとると「さみしさ」が募るねぇ。庇ぶりに人に出会うと、「うれしさ」が高まるのか、年寄は誰しも「たくさん話す」ようになるが、若い人はこれが「面倒」なのだろうて。が、「やがて行く道」だけどね。


2018.11.13

 毎日忙しい。疲れる。この年になると1日に1つのスケジュールで精一杯だ。昨日は兼ねて予定のドローン撮影にK氏と一緒に美山町へ行った。「かやぶきの里」を訪問する。あいにくの曇り空で、ぽつりと落ちて来るので、紅葉の色彩はイマイチだった。

 美山町は「茅葺き」や、茅葺きにトタンを葺いた屋根が多い。被写体としてはバツグンの「ふるさと」を連想させるが、これの維持は大変だなぁと推察する。

 夜はサックスの練習会。『The Entertainer』のカルテットは難しい。テナーは意外と簡単な譜面なのだが、頭に休止譜が付くので吹けないのだ。メロディーは聞き慣れているのだが・・・・。

 そして今日は研修会があって、久しぶりにみんなが集まった。丹波市立上野記念美術館が会場だ。午前中は研修室を借りての「説明会」。お昼は館内食堂が借り切り状態。豪華なお弁当は食べきれない。弁当代は自己負担なのだが、みんな食べ切れたかどうかは誠に怪しい。午後からは「フィールドワーク」だ。3カ所の現地をバスで回った。

 最後は美術館へ戻って、開催中の「ミュシャ展」をば。「アール・ヌーボー」の中心を為した画家の作品展であった。

 難しいテーマの研修会であったが、みんなと出会え、一緒に食事をし、フィールドワークで新たな事跡を知るのはとても楽しいものだ。委員の中で研究されている方が講師を務めた。専門的に研究されているから深みのある内容だった。講師を務めた方とは30年近くの知友でもある。「官制研修」の中身の薄さとは比べようもないものであったなぁ。

 明日もまた朝から学校へ行くことになっている。11月になって連日のスケジュールだ。あっそうそう、この「ミュシャ展」は12月24日間で開催されている。私達以外にもたくさんの観覧者が来ておられた。評判の企画と言われているので、、、、。


2018.11.5

 もうすぐ立冬だ。月日の経つのが早い。友人の会葬に行った。もう随分の付き合いになるが、OB達(故人の現職時代の同僚・後輩)の会葬者に混じって、思いがけない人とも出会うことが出来た。
 お葬式というものは、故人がどういう範囲の方々と親交があったかということがよくわかる。10年前に、私にサックスを見繕って手配してくれた元音楽専科の方も来ていた。昔の「同志」にも出会えた。
 仏教は「出会い」だという。「出会いを大切にする」という。
お気に入りの帽子を被っている故人に、たくさんの方がお別れの花を入れた。皆が長髪だったあの時代の写真もあった。暫し昔を懐かしんだものだった。「ご苦労さんでした。また逢おうねぇ」と。

 1年前の今日、大手術の入院生活を終えて、なんとか退院した日であった。もう1年が過ぎたのだった。漸くモミジが色づき始めた。去年はそんなことも思う余裕はなかったねぇ。
1年に2度ばかり、山と山の間に夕日が沈む。写真を写すのも「偶然」のチャンスであった。


2018.10.28

 霧が出始めた。知人のYouTube動画に新潟県魚沼市の枝折峠の雲海や福井県大野市の雲海の動画が登場している。もうそんな季節になっているのだ。

 このところの数日、朝起きると霧が出ているので、先日はドローンを持って篠山の霧の撮影ポイントへ出かけた。豪雨などで通行止めになっていた道だったが、あちこち修復されて通れるようになっていた。
 峠の頂上には広い駐車場があり、ここから御嶽や小金岳へ登山する人たちも多い。が、この日は思いついたように行ったから雲海は文字通り雲散霧消だった。

 もう40年も前、この駐車場から、車載のリグとホイップアンテナで、福井市の学友と2メーターでの交信に成功したのものだった。直線距離では150㎞ほどだから、山の上からだと繋がるのだねぇ。

 ドローンのバッテリーがチョット減り気味だったので、シガレットライターからDC-ACコンバータを使って充電を試みるも、どうもうまく動作しない。貧弱なコンバータではインスパイアの充電器に負けてしまうようだ。

 この日は下調べということで下山だ。撮影ポイントはあちこち見渡せた場所であったが、15年も経ると樹木が育って、見晴らしも悪くなっていた。
 もう暫く様子を見てからにしよう。山の紅葉も進むであろうから。いつもは鮮やかに、真っ赤に紅葉するモミジも、今年は何となく色が悪い。真っ赤にはならないかも知れない。猛暑・長雨などの気象が影響しているようだ。

 秋の味覚を求めてかどうかは知らないが、NHKの「」ええトコ」という番組が篠山へやって来た。ベッキーが案内するのだ。それこそ旅の宿で放送を見た。1週間後、今度は京都府美山町を錦野旦と宇梶剛士が案内する。この町もよく知っているので懐かしさを感じながら見入る。

 美山で注連縄作りをしている90歳の爺様がドローンもやっているというから、人はいつまでも好奇心を持ち続けることが長寿の秘訣の一つかも知れない。

 さて、先日断念したドローンのイベント上空飛行の申請だが、よくよく調べると、inspire1は、イベント上空も許可される機種であった。inspire1 v2がイベント上空が駄目なのだ。私の勘違い入力だった。別の機体を買わなくても良いことになった。「あわてん坊」になるところだった。

 次回、美山へ行ったら、自分で蕎麦を育て、谷間でワサビを育ててのあの蕎麦を頂きたいものだ。月-金が定休日と紹介されているので、うまく日程が・・・。
 今日辺りは美山への街道はツーリングの人達で賑わっているのではなかろうか。来月は報恩講のお話に招かれている。早く出発しないと、渋滞に巻き込まれるかも知れないねぇ。

 今夜は隣時の報恩講。これから報恩講が続く。高齢化で、チョビットずつお参りの方が減っているような気がする。


2018.10.22

 秋晴れが続く。二泊三日で本山の法話に召されて行って来た。全国から納骨に来られる方々にお出会いしてお話をする。「あなたがお骨を持って来たのではない。お骨があなたをこの場へ連れて来たのだよ」と。

 春と秋はたくさんの人数になるというが、一座の法話に300人もの方であった。いつもの場所からホールに会場が変わって開かれる。合計8回の法座を担当する。年末年始等は一組のご家族だけの場合もあるが、それはそれでゆったりした気分の中でのお話になる。

 お勤めを終わって帰って来ると、国道の車列はまだまだシーズンが終わっていない。延々と続く行楽客の車が生活道路にまで入って来て、道幅の狭い所で溝に脱輪。抜け道を使ったつもりが、かえって渋滞の元になっている有様だ。朝夕の出勤ラッシュ並が延々と一日中続くのだった。
 どこからやって来て、どこへ帰るのか。もう車での外出は道へ出ることが出来ないので、ヒッソリと閉じこもる以外に方法がない。

 メインになる様々な秋の行事が一段落。あちこちの秋祭りも賑わったようだ。黒豆の「枝豆」も右から左へ行列待ちだった。あちこちの一大イベントも終わり、国道もこれで暫し楽になりそうだ。

 「イベント上空」のドローン撮影の許可承認を得べく、アレコレと「電子申請」に挑戦。国土地理院の地図にどのように飛行ルートなどを記入するのか方法がわからない。大阪航空局へ問い合わせ、東京の窓口を紹介してもらった。

 いや、実に簡単に必要事項が記入できる仕掛けにビックリ。やっと終わり頃に辿り着いて、飛行の機種を選択すると、「この機種はイベント上空の認定は出来ません」という旨の表示が出現。「ガックリ」来たねぇ。せっかく四苦八苦して電子申請の記入をして行ったのに。いや、電子申請といっても、最初にアカウントを登録しておいて、後はチェックボタンをクリックして行けば良いだけなのだが。

 当時は最新の機種だったが、続々と新しい製品が発売され、しかも「イベント」の飛行で「事故」があったため、自動操縦や障害物検知機能の保有が厳しくなった。「30メートル以内」や「目視外飛行」や「夜間飛行」の許可は出ているが、「イベント上空」は、その都度、個別に申請することになっているのだった。

 イベント上空の許可を満たす機種をゲットすべくか、どうするか、大いに悩む。コツコツとネズミが引くように蓄えたヘソクリだ。サックスがもう一本欲しいが、それとて上手く吹けるわけはない。天秤に掛けて判断するような「レベル」のことではない。要するに「物欲」の世界に過ぎないから、我ながら「浅ましい根性」が剥き出しだ。

 村の役員たちが「ふれあいセンター」という市からの借り物の屋根のペンキ塗りをしている。屋根の状況は通常では写真に撮れない。ドローンの出番だ。ややこしい庭。三方に電線が走っていて、自立安定性能が物を言うケースだ。ちょっとばかり「そよ風」があって、自動的に「当て舵」を打ってくれるが、そのたびに機体がちょっと揺れる。気分は「オットットット」だ。
 が、きれいな写真をたくさん撮すことが出来た。下校の子どもたちもドローンを発見して見上げていた。写真とデータは自治会長さんにプレゼント。市への報告に役立つことだろう。

 航空法の制限の枠外の申請が厳しくなったように感じるが、諸外国では随分厳しいらしい。違反するとそれこそ「とんでもない罰金」などが来ると聞いたことがある。日本はまだ規制が「ゆるい」という。
 
 年寄のサックスの仲間は、前回から『The Entertainer』のカルテットに挑戦することになった。せめて一年に2曲ぐらいはアンサンブルで吹けるようになりたいとは思うが、達成出来るまで命が持つかどうかだ。
 アンサンブルというのは大変だ。各パートに別れていて「ユニゾン」ではないから、誰か一人でも欠席すると「成立」しない。
 「ちょっと都合が悪くなったので練習会に参加出来ない」と連絡が来ると、もう全部がパーなのだ。これはもう「みんなは一人のために」ということではなくて、「一人はみんなのために」というになる。そして、一人の上達の遅れは皆に影響する。「口三味線」といって、鼻歌などは上手く合わせられても、サックスは・・・。難しいものだ。合奏以前の段階からいろいろ条件があるのだった。「練習会をいつ持つか?」ということが最大の調整事項になるのだった。


2018.10.14

 秋の土日は味覚を求めてなのか、国道は大変な状態。もう自動車が数珠つなぎになってしまう。よくまあこれほど車があるのかと思ってしまう。

 今年は台風のために花が落ちて、黒豆の実入りが少ないと言いながらも、沿道には随所にテントが張られて「枝豆」が産直販売されている。

 いつもは人気がないのに、土日の田圃にはそこかしこに人だかりが出来て、畑から自分達で豆を収穫している人達の姿が見える。

 このシーズンが終わるとまた閑散たる田園風景に戻るのだ。

 そんな中、新聞に出ていた「コスモス畑」を見に行った。隣の市なのだが、生まれて初めて訪問する集落だ。

 広い畑に咲いているコスモスを愛でるべく、遠来の人もたくさんだ。

 お昼になってお腹が空いたが、適当なお店がなくて、とうとう市街地まで戻って来て、セルフウドンに舌鼓をうった。

 コスモス畑は、今から30年前、「1988食と緑の博覧会」の時に、会場の前の畑を借りて植栽したが、なかなか大変だった。肥料もやらねばならないし、最後の始末も大変。もう「草」ではなくて「木」にもなる程の幹になり、畑を持ち主に返すためには随分と後始末のかかることであった。

 他所から愛でに訪れるのは良いが、主催者側の苦労もわかるので、「こりゃ大変だぞ-」と思った。

 村のコミュニティーの中心になる建物の屋根が随分赤くなって来た。屋根のトタンが経年変化でサビが無数に出ている。様子をドローンで空撮するが、風が・・・。無風状態を確かめて撮影する。何しろ狭い敷地で電線も三方に通っているから始末に悪い。GPS利用の自動安定操縦を信頼してだ。

 秋の土日にこんなことをしている坊主の寺が如何に閑散としているか・・・。味覚を求めて通って行く「観光客?」の多さに比べて、地元の人は一人も見かけないというこの「異常」な様子は、年ごとに顕著になっていく。「市名」が変更されようとされようまいと、「限界集落」への途は後戻りしそうにない。

 免許更新に際しての「認知機能検査・高齢者講習」の案内が届いた。明日は一番に予約を申し込まないと・・・。いやもう、自分自身が「限界集落」の状況になってきたのだ。「認知症」などは他人事と思っていたのにねぇ。


2018.10.10

 かつては「体育の日」だった。「体育の日」が変更になって久しいが、いまだに「10月10日は体育の日」と頭が固まっている。神様の祭日もお寺の法要も「曜日」で行われる所が多くなったようだ。「日」で決めると、平日での参加が困難な世の中になって来たという。これで行くと、クリスマスもお正月も花まつり(お釈迦さまの誕生日)なども、やがては日・祝日に変更されるのかなぁ?

 と言いながらも、田舎の日曜日は結構忙しい。いわゆる町内会でのいろんな行事がある。拙寺などは、春秋の「お彼岸法要」は、春分・秋分の祝日に執り行っているが、集落によっては「春の溝掃除」「秋の道造り」などと、昔からの行事があるので、一部の方はお参りが出来ないことも。土日祝日は、過疎化が進むのと反比例して忙しくなるのではないかと思うねぇ。

 満93歳のお婆ちゃんが亡くなられた。大正14年生まれというから、三つの時代を生きたことになる。もうちょっとだけ長生きされたら、新しい元号に出会って、四つの時代を生きることになったのに。

 明治・大正・昭和・平成と四つの時代を生きた方はつい最近までたくさんおられた。災害に遭遇し、戦争の世も経験され、大事な大事なこの世の命を終えられて行った。たくさんの子どももすっかりシルバー世代になり、曾孫もたくさんになっていた。命が引き渡されていた。

 10年前に亡くなられたこの方の夫は、戦争で中国へ行ったと言われていた。ある時のご法事で戦争の体験を話してくれた。たった一度、その時だけしか他人には言わなかったようだが、「あの時のことが夢枕に出て来る」と言われていた。60年近くも前のことが鮮明に残っていると・・・。

 「昔のことは忘れてしまった」と言われる方もあるが、いやいや、最近のことは憶えられずとも、昔のことは脳裏に刻まれているものだねぇ。つくづくそう感じる日々になった。そして、老人特有の状況がやって来た。「話がくどい」のだ。相手に理解して欲しいから、何度も同じことを言うようになった。

 来週はご本山での「法話」に召されている。ちゃんとお話ができるかどうか、些か心配だ。講題を求められていて、『私を支えているもりは確かなものか?』と付けた。他人さまのことではない。私自身のことなのだ。

 今日の新聞に「明石のタコが不漁」と出ていた。いや、海だけではない。柿の実も黒豆も実りが悪いという。かつての名産?だったマツタケなどは、ついぞお目にかかったことはない。

 山川草木転荒涼か。


2018.10.1

 台風がまたやって来た。実りを迎える秋の作物に大きな被害がなければ良いがと心配したが・・・。

 今日は「台風一過」。植木の刈り込みや雨漏りの修繕をする。横殴りの雨は隙間から入り込んでくる。屋根に登って、シリコンシーリングで隙間を埋める。

 先日、久しぶりの秋晴れの中、『餅米」の刈り取り作業が行われていた。暫くドローンを使っていなかったので撮影に行く。
 ちょっとした「ポエム」に仕上がった。
https://www.youtube.com/watch?v=YmzDHonUCsk&t=103s

 私がこの世に居なくなっても、登場人物がこの世に居なくなっても、記録はしっかりと残っていく。
たかが「短い動画」であっても、やがて貴重な記録となっていくのだ。

 編集中にふと思い出したのは「百人一首」の句であった。

 「秋の田の 仮庵の庵の苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ」(天智天皇1番)
だ。

 動画を撮影する時は、そんなことは思わなかったが、編集でよくよく見ると、田圃の端にトタン葺の小さな小屋が写り込んでいる。今ではさしずめ「農作業小屋」というか道具の保管場所か。

 この小屋こそ、この句に出て来る「「仮庵の庵」(かりほのいほ)」というものだったのだ。「苫(とま)」とは茅で葺いた粗末な「庇(ひさし)」というから、昭和20年代後半まで目にした農家のたたずまいそのものだ。

 『われは海の子』の歌詞に、♪煙たなびくとまやこそ♪と歌われている「とま(苫)」も、海辺の農村のたたずまいの様子が描かれているのか。
「苫」は今から1350年以前からあった言葉ということになるから、田園風景というものは、ずーっと引き継がれて来た景色だということだなぁ。


2018.9.27

 秋の風がそよと吹くと、どこからかあの懐かしい香りが漂ってくる。そうだ。あの香りがすると、昔はマツタケがたくさん生えて来たのだというが、今はもう・・・・。

 ♪鳶色のひとみに 誘惑のかげり 金木犀の咲く道を♪
だ。マツタケよりも堀内孝雄の『君のひとみは10000ボルト』の歌を思いおこさせる。

 この香りはどこからやってた来るのか? 我が家の前栽の木犀は未だ咲いていない。夕方、探索に出かけると、100メートル程離れたお家の庭の金木犀が満開であった。

 世の中の慌ただしさに巻き込まれ、ついぞこういう風情を忘れてしまいそうになる。
 こりゃいかん。人間を忘れそうになってはいかん。

 何かにつけて、高いか安いか、損か得かと、そういう判断ではあかんなぁ。
 ひとを憂う、思いをいたす、そういう心をどこに置き忘れて来たのだろうか?

 倫理の喪失の時代になったのかなぁ。
 「恋する」なんて心はどこに忘れたのかなぁ?

 今夜は親鸞さんの月命日のお逮夜の日だ。え? 教えよりもお布施?
 仏道も仏教もどっかへ行っちゃって、仏業になっちゃっているのか?

 そう言えば、地蔵盆の「たそがれコンサート」の時、いったい何人の方が、本堂の阿弥陀様に向かって、そっと手を合わせたかなぁ。
 仏様に手を合わせるということが出来ないのが「異常」なことではないかと思うねぇ。