徒然なるままに

2018.1.1-


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かつて護念さんがくれた「ガンバレ和尚」のgif
WitとParodyとCaricatureとInvectiveに付いていくのは大変だろうね


2018.5.20

 せっかく空欄が多かった5月のカレンダーも、結局のところは毎日何かが入ってしまった。それでも田植えの風景などをビデオやドローンに収録したり、急に役所へ行って一日中時間を使ってしまったり、ペースケ(ネコ)の通院にも時間が取られていく。

 田舎は何かと用事が多い。何も無いはずの今日は、公民館などの公共施設の掃除当番が当たっていたが、カミさんに出てもらって、私はビデオカメラを下げて電車に乗った。京都駅で開かれる『駅の音楽会-春-』を楽しみに行ったのであった。そんなこともあろうかと、1週間ほど前に除草剤を撒いておいた。

 本当はサックス仲間にも声を掛けたいところだが、田舎は土・日に用事が多い。おまけに春の農繁期だ。「それどころではない」と言われかねないから「忖度」をしてしまう。「ことわられる」と、「言うのではなかった(-_-)(-_-)」といじけてしまうから、一度ことわられた人には、ついぞ誘いの声は出なくなるのだ。

 『駅の音楽会-春-』には、『たそがれコンサート』にゲストで来てくれるハマちゃんが所属するバンドが出演する。目立たぬように厚かましく正面からビデオを撮って帰った。彼は、バンドの人たちとあれこれ忙しくやっているので「忖度」して、声も掛けずに帰り着いてからメールを出した。

 京都駅の「大階段」は「コロセウム」を模して作られているのだろう。上の方からではなかなかアップが撮れないから、徐々に下へと移動して、ついに3列目の正面をゲット。

 が、ステージになっている前が通路として確保されているので、ウロチョロと人が横切るのですなぁ。これにはもう「辟易」の言葉以外にはない。せめて「曲間」とか「入れ替え中」まで辛抱出来んのかなぁ・・・と。あちこちに「整理係」としてスタッフが配置されているにも関わらずだったので、帰り際に一言クレームをつけておいた。ビデオの邪魔どころか、最早初歩のマナーなのだがねぇ。

 午前中のちょっとの時間に伏見稲荷まで電車を乗り継いで行った。お目当ては「狐の面の煎餅」である。50年以上も前の学生時代から知っている「狐の面の煎餅」は健在であった。お店の何代目?かの人が目の前で焼いている。オートメーションではできないので、大変なことではあろうが、この煎餅は珍しいのだ。

 私が初めて訪れた50数年前は、焼いている当代はまだこの世に生まれていなかったのではと思うと不思議な感じがしたねぇ。「あなたよりも私の方が先にこのお店を知っているのだよ」と。

 そして、50数年ぶりに見たのは「雀の丸焼き」の「焼き鳥」だ。羽根をむしったままの姿で醤油焼にされている。これはさすがに頭からかじる勇気が出てこない。50数年前もおんなじ気持ちであった。「おんなじ気持ち」と言えば、北原謙二の『さよなら さよなら さようなら』の歌を思い出すねぇ。今日のことは忘れても、昔のことは憶えているというのは「認知症」になったのかなぁ?

 参道は観光客であふれ返っている。半分以上はインバウンド(外国からの観光客)だ。50年前と道幅は変わっていないのに人が一杯なのだから・・・。


2018.5.10

 「お花まつり」も終わり、市の仏教会の総会も終わった。退院してまだ半年。やっぱり何となく疲れる。午後からは国会中継を見ながらウトウトと過ごす。仏教会の総会は一年に一度開かれるが、改めて見直すと、世代交代が進んでいる。若い住職が半分以上になっているのだ。顔見知りの住職もすっかり老境に入られた。仏教各宗が集まるのだから、日頃のお付き合いが全くない方もいる。まさに『方丈記』の冒頭のとおりだ。

 今年の「お花まつり」も、みんなお参りにやって来た。以前は、亡くなられた方のご家族だけのお参りであったが、もう20年以上も前から「全員参加」に切り換えた。

「お花祭り」には別名がある。「卯月参り」「誕生会(え)」そして「灌仏会(かんぶつえ)」とも言う。昔は家々の庭に竹竿の先に赤い花を入れて空高く飾る?「天道花(てんとうばな)」という風習もあった。

 時代が移り行くと、「クリスマス」のことは知っているが「灌仏会」のことは知らないのだ。今年もまた、その由緒からお話をすることにした。

 お釈迦様は誕生直後に立ち上がって「七歩」歩いて、右手で天を指し、左手で地を指して「天上天下唯我独尊」と言ったというお話が作られている。因みに誕生直後に立ち上がって歩くのは、サバンナに生きる動物たちや、鶏の雛である。命を守るためには、モタモタしてはおれないのだよ。

 「天上天下唯我独尊」という言葉は、「お釈迦様」が、「私はこの世の中で一番尊いのだ」という意味だと教えられて来た人もいるが、いや、そうではなくて、「地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天という六つの世界を踏み越えて(超越して)、この世に生まれて来た尊い自分の命を大事に生きて行け!」という「教え」を「誕生仏」に表し、「七歩」歩む話で人々を諭したのです。

 お釈迦様は「阿弥陀仏の誓願」を私たちに伝えた人であり、この世の命が終わる時には、阿弥陀仏の力で極楽浄土に導かれて行くということを伝えてくださった方である。教えてくれた方であるから、お釈迦様は「教主」と呼ばれ、私たちを極楽浄土に導き連れて行ってくださる阿弥陀仏を「救主」というのです。多くの宗教が「教主・救主」という「二尊」を立てています。

 お釈迦様が生まれたときに、天地は鳴動し、鳥はさえずり、花は咲き誇り、天からは甘露の雨が降り、地からは渾渾と綺麗な水が湧き出して、生きとし生けるものが、命を大事に、幸せにこの世を生き抜いて行く大事なことを教えてくださる方の誕生を喜んだと喩られていることを再現しようとしたのが「灌仏会」である。

 お参りに来た者は、まずは「誕生仏」に「甘茶を灌(そそ)ぎ、お祝い」をするのである。親族を亡くされた方は、亡くなられた方が阿弥陀仏の「願」の「はたらき」で極楽往生して行ったことの「お礼」をお釈迦様にするのであり、生きている「私」は、「“次は私が極楽往生させてもらう番”になることを自覚して、“極楽往生は阿弥陀の誓願である”ということを私に伝えてくださったお釈迦様にお礼をするのが灌仏会である」と、何度も繰り返してお話をした。

 もうわかったであろうと安心してはいけない。みんな耳が綺麗に掃除されているから、右から左へ抜けていく。
 法要がお開きになって、「あっ!! 甘茶や!!」と思い出したのはまだ良い。来年はすっかり忘れてやって来るだろう。人間はそうして「土壇場」まで来ても気づかずに行ってしまう者が多いという。(「土壇場」とは首を切る刑場に築かれた土の壇で、前には切り落とされた首がはまる穴が掘ってある場所を言う。)

 さて、今日はまた新しいことを発見した。サックスの音色や音の出方には、楽器本体の良し悪しがあるのは良く言われているが、これは絶対にそうだと言うことではない。YouTubeに「葉加瀬太郎」が仲間達と釣りに出かけた帰りに立ち寄った楽器店で、バイオリンを試奏して、家に帰ってからちょっとした合奏?をする動画が上げられている。葉加瀬太郎が3万円のバイオリンを試奏して仲間が買って行く場面に遭遇した店員は、相当びっくりしたらしい。

 バイオリンを買ったのはスタッフの一人で、どうも初めてバイオリンを手にするらしい。予算は3万円まで。葉加瀬が手にとって鳴らすと結構音が出る。「これで良いでしょう」と葉加瀬が言うのだから、それなりに使い物になるのだと思う。私たち素人がストラディバリウスを手に入れたって「豚に真珠」なんだからねぇ。葉加瀬と二人で何とか合奏らしきものが出来て、その人は大変な喜び方であった。

 で、サックスに戻って。「吹きやすさと音色」ということは「相関関係」にあって、楽器本体もさることながら、マウスピースとリードとリガチャーの組み合わせが大いに影響する。こればかりは、どんなに逆立ちしても、「自分に合った物」を「通販」でゲットすることは不可能に近いし、いや、むしろ「無謀」という行為である。

 大きな楽器店に行くと、「試奏」させてくれる。何種類かのマウスピースと、何種類かのリガチャーを選んでくれ、普段自分の使い慣れている番手のリードを着けて、「防音室」のような小さな部屋でゆっくり品定めが出来る。もちろん楽器は自分の使っている物を持参するのは当然だよねぇ。

 それでも「しまったなぁ」と思う選択もないではない。見てくれに惚れ込んではいけないねぇ。植木等の歌にあったなぁ。『ハイそれまでヨ』というのが。

 音色は頭蓋骨の形がまずは第一条件になる。つまり、口腔という洞穴の形状が、リードの音をどのように共鳴させているかが最初の条件のひとつだ。「
 次にマウスピースだ。「マッピーは◇◇社の△番が良い」というのは、その人にとっては良い組み合わせであるだけのことで、金太郎飴の切り口のように、万民に共通する物ではない。万民に共通するのであれば、その一種類だけこの世に存在すれば良いのであるからねぇ。

 次にリガチャー。これも様々なものが存在する。判らなければ店員さんにアドバイスをもらうのも一つの方法だ。大きな楽器店の楽器別コーナーにいる店員さんは、他の種類のお店の店員さんとは違って、大方が音楽大学で「器楽」を勉強して来た人が付いている。そういう人を採用しているから、「耳かじり」の私たち「ど素人」とはわけが違うということを頭に入れておくことだねぇ。ファッションのお店には、そういう分野の専門学校を出た人を採用しているから、やっぱり田舎のお店が太刀打ち出来ないのだねぇ。

 昨夜のテレビ『TOKIOカケル』で「23区23時の女達」というのをやっていた。23時に夕食のラーメンをすすっているホットドック店主の女性、仕事帰りに落ち合って励まし合う美容師の二人など、「みんながっんばっているのだなぁ」と見ていた。美容師の女性などは、新しい技を会得するために、3時間しか睡眠がとれないという。若いから出来るのかも知れないが、都会での競争に付いて行くには、やはり努力が必要なのだろう。

 「安ければお客は満足する」という時代ではない。少々高くても、センスの良い品物やセンスの良い技量を求めて店を選ぶ時代になっている。そして恐ろしいのは、口から口へと店の評判が伝染するのだ。フェースブックなどが評価を瞬く間に広げている。梅田界隈を散歩すると、「スイーツ」のお店は掃いて捨てるほどある。不味くて高くてセンスの悪い店はあっという間になくなっている。「義理」で買いに来るお客はいないのだねぇ。

 お寺も間もなくそうなる予感がする。「納得出来るお寺のあり方」を模索しないと、10年1日のごときでは、「厄介者」にしかならないかも知れない。

 で、今日の発見は、オットーリンクの7番のメタルマッピーにラボーズのソフトのリードにハリソンのオットーリンクメタル用TOというリガチャーをセットして使って来た。もともとのオットーリンクのマッピに付いていたリガチャーと比べると、見違えるような音の変化があったことは確かなのだが、それにも増して、今日の発見は、まさに「コロンブスの卵」であった。

 要は、リガチャーの「取り付け位置」が、音の出やすさにものすごい関係があることが判った。「フラジオ」も楽に出る。リガチャーをゲットした時に一緒にゲットした樹脂製のリードは、フラジオは出やすいが、イマイチ他の所が段々と気になって来ていたので、先月半ばからまたケーン製のに変えていたのだが…。

 今まで一度だけ「先生」にリガチャーの位置を教えてもらったが、それは「おまけ」のリガチャー時代のこと。

 どのようにリガチャーを付ければ、最低音からフラジオまでスムースに出るのか、音色が各段に良くなるのかは「書かない」ことにする。私の口腔形状と、楽器(パーツ)の組み合わせの中での成果であって、他の人が、「私の飴の切り口」のようには行かないだろうから。

 人という生き物は、正しいことは信じないで、迷信を信じる生き物なのです。!(^^)!!(^^)!!(^^)!。そして上手くなれないから、たくさんの教室が成り立ち、たくさんのレクチャー動画があふれているのですなぁ。「お経」というものは84000もあると言われていますが、一つの言い方では理解出来ない人がいるから、「あーでもない こーでもない」と説明していたら84000にもなってしまったのですなぁ。「上手くなるまで命が持ちますように」(^_-)(^_-)(^_-)。


2018.5.3

入れ歯と言うものは中々馴れないものだ。「入れ歯の辛抱が出来ると、どんなことでも辛抱出来る」という言葉があるそうだ。私の友人は総入れ歯で、寝る時も外していなかったが…。いや、実によく辛抱できる人だった。

 私の場合は殆ど総入れ歯に近い。前歯だけが残っていて奥歯はないのだ。「入れ歯を作りましょう」と歯医者さんに言われて作ってもらったものの、辛抱が出来ずにいたら、アゴの形が変化して入らなくなった。
 2個目をまた作ってもらったものの、これも辛抱が出来なかった。リューターであちこち削り、なるべく薄くなるようにやったものの、やっぱり辛抱が出来ないのだ。

 先月初めに3個目の入れ歯を作ってもらった。これが実はどういうわけか、しっくりしていて、苦にならないのだ。

 そんなことを思っていたらつい鼻歌が出る。♪三遍目の入れ歯なら辛抱出来る♪ 何処かで聞いたような歌だなぁと検索したら、「ヒロシ&キーボー」というデュエットの歌だった。もう随分以前、1982年というから36年も前のヒット曲だった。このユニットは僅かに2年だけだったようだ。

 因みにヒロシというのは黒沢年男の弟だという。知らなかったなぁ。東京スカパラダイスオーケストラでバリサクを吹いている人と似た顔立ちの、私の感覚でのイケメンだ。ユニットの時代は、時の流行の「ロンゲ」だったので印象はなかったが…。もう、右も左も、みんなロンゲだったねぇ。とてもみんなが似合っていたとはお世辞にも言えないが…。

 LEDキャップライトをホームセンターでゲットし、プラスティックの大きなクリップにくっつけて、それをドローン(インスパイア)のランディングギアに挟むと「ヘッドライト」になる。
 今夜も離発着の習熟訓練をする。高く上げたり、遠くへ移動させるのは甚だ不安であるから、「蠅叩き」で落とせる程度の範囲?での練習だ。それでも、屋内練習を重ねて「航空局」の「許可承認」を得ての上である。10メートルほど上げると、鄙びた宿場町にも夜の灯りがあって、それなりに綺麗な景色が撮影出来る。

 もう30年以上も前、花巻空港から伊丹へ帰って来る時に、大阪の「ネオンうずまく十三(じゅうそう)」あたりの上を滑走路に向かって降りて行くのだが、家々の灯りや外灯などが手に取るように綺麗に見えた。その時、ふと思ったのは、「それぞれの灯りの下に、悲喜交々の人生があるのだなぁ」と…。

 ドローンが記録した動画を見ると、灯りこそ「ネオンうずまく十三」とは比べものにはならないが、鄙びた村にもそれなりに、それぞれの暮らしがあるのだったねぇ。

 白い大きな野良ちゃんネコがやって来る。ネコの鳴き声を夜に聞くと、なんとも切なく聞こえてくる。今夜はどこを塒(ねぐら)にしているのだろうか? 菊池章子の『星の流れに』を、またまた想い起こす。


2018.5.1

 先日、中学校の同級生がわざわざ寄ってくれて、「これ読んどいて…」と大きなコピーをくれた。新聞1ページ分丸々の大きさなので、如何にモノクロとは言え、少々高く付いたであろう。どういう意図があってくれたのかはわからない。

 A新聞が4回にわたって企画した『弔いのあり方』というものであった。1回目は「お葬式」。2回目は「誰のために」。3回目は「お墓の悩み」。4回目は「変わる死生観」であった。

 A社の企画を見て思ったのは、取り上げられている「読者の意見」もジャーナリズムの常道としていろんな意見が取り上げられていたが、端的に言ってしまえば、「宗教的な観念の有無」ということが、基本にあると思った。いや、つまり、「死生観」の変化が生じているということである。

 そもそも、「お葬式」というものは「宗教的儀礼」である。仏教徒は仏式、キリスト教徒はキリスト教式である。無宗教の人は宗教儀式は必要ないのだ。

 寺の存在についていろんな意見がある。不味くて下手くそな寿司屋もおる。坊主もいろんなのがおる。いろんな寺もあるのだ。
 「自分にとって寺が不要」であれば、檀家から「脱退」すればよい。
「自分にとって寺が必要」であれば、檀家として「寺を維持」せねばならない。
「寺に住職の常駐が不要」であれば、無住寺にすればよい。
「寺に住職の常駐が必要」であれば、住職が生活出来るようにせねばならない。

 昼の定食屋で、10円値上げすると客が離れるという。しかし、値上げしないとやっていけないこともある。何にしても「二者択一」だ。
 何のかんのと言ったって、その内、寺はどんどん無くなって行くだろう。残るのは「名刹」と言われる「観光寺」だけかも知れない。どんなに頑張っても、大型のショッピングモールがやって来たら、小さな小売店はひとたまりもない。次々とお店が消え去って、廃屋となっている所もある。今日から5月。五月の空は真っ青に透き通っていた。

 因みに、天台宗の第3代座主となった圓仁(自覚大師)さんは、最後の遣唐使の中に入って唐(中国)へ渡り、9年6ヶ月の唐での様子を『入唐求法巡礼行記』という日記で残しているが、 民家を泊り継いで五台山や長安へ旅の宿の亭主のもてなしについても子細に書かれている。
 「どこそこの誰々の家に泊まったら、その家の亭主はけちん坊で、大変粗末な夕食であった」と書かれている。1000年以上も過ぎ去ったが、けちん坊のことは残ってしまった。

 仏教や寺は、本来は葬式のためのものではない。同じ「教え」を信じて生きて来た朋輩が亡くなったことに対して、別れを惜しみ、極楽浄土での再会を念じて行われることであって、「葬式」が全てではないのだ。

昨夜に続いてドローンの夜間飛行の練習をする。いえなに、揚げたり降ろしたりという程度のこと。航空局の許可承認を得ているのは当然だよ。


2018.4.18

 昨日は「梅ブラ」。春休みも終わってJK年代がいなくなった。一番のんびり出来る春休みから一転しての生活だろう。

 先日、欲しいなぁと思っていたが買えなかった物があった。梅田に来れば、もしかしたら?と探し回ったがなかったねぇ。和服をほどいて、他の生地と上手く組み合わせての女性用のノースリーブロングコートだ。

 仁和寺の庭に出ていたたくさんの屋台店の中に、手作りの着物屋さんがあったのだ。まあ、考えてみれば、そういうオリジナル物が梅田界隈のビルの中にある方がおかしいかも知れない。

 女性用だが、ボタンが付いていないので、これを羽織るとステージ衣装にはもって来いのセンスだった。何人かが袖を通して思案していたので、横からかっさらって行くのも如何なものかと躊躇していたら時間が来てしまったのだった。

 「良いなぁと思ったら、その時に買っておかないと二度と出合うことがない」とは、カミさんの助言であった。

 いや、これは決して「衝動買い」を言っているのではない。「こんな物があれば良いのになぁ」と、いつも頭の隅に置いていて、お店の商品を見て行くのだ。学生時代に始めたマジックは、とうとう「卒論」にまでなってしまったが、金物屋などへ行くと、マジックの道具に使えないかと思いながら品物を見て回ったものだった。

 道具本体ではなくて、ルーティンの途中で、「添え」として使う「塩ビン」を探したことがあった。ピカピカに光ったクリスタルガラスの塩ビンがないか?と。「塩ビン」その物は何の役にも立っていないと言えばそれまでだが、マジックの流れにちょっと味を付ける「添え物」になる。

 子どもが面白がるような品物を置いている店があって、見ていたら、500円のハート型のサングラスがあった。人に間違われて差して帰られない、「ど派手」なコウモリ傘があった。1000円。差すにはちょっと勇気か要りそうだが、お葬式以外なら特に顰蹙を買うような物ではない。

 演奏のオファーがあった時に気の利いたおめかしの衣装になる物はないかなぁと。それも高価なものではなくて、それこそ、昔、農村部からバスに乗って町へ買い物や「誓文払い」に行く時に、ちょっぴりおめかしをしたような程度で良いのだから。

 こういう物は、ネットで見つけるのは極めて大変。たまたま見つけることがあっても、チョット羽織って鏡の前に立つことが出来ない。たまに、そういう目的をメモして、ブラブラとウインドウショッピングをしないと見つけることは難しい。

 「スタイリスト」という職業があるが、あの人たちは、「どこの店には何がある」ということが頭の中に蓄えられているのかも知れない。

 ただのジーパンにTシャツであっても、「田舎っぺ」が着ると、なんとも「ダサイ」ものになるが、「スタイリスト」がアレンジすると、1品のアクセサリーの追加で、素敵な舞台衣装に大変身するのだから、やっぱり「クリエーター」という人は「センス」が「命」なのだと思うねぇ。

 造園師・フラワーデザイナー・ヘアーデザイナー・植木職・など、できあがりを見ると、時に「月とすっぽん」ほどの技量の差が出て来ることがある。こういう人たちは、内に閉じこもらずに、同業者の技を観察しにあちこちへ出かけて勉強する。図書館へ行って本を漁り、美術館へ行って絵画を見たり、音楽会で名演奏を聴いたりと、内面を磨くのに相当の時間と経費を掛けているようだ。そうして幅広く内側を磨かれている方が多い。

 梅田の商業ビルには、あの界隈をぶらつく人の為にたくさんの飲食店がある。上の階は味はどうかは判らぬが、得てして高い印象を受ける。地下へ入ると東南アジアの夜店の飲食街を連想するような店がひしめき合って、そこそこの値段。地上へ上がって、今では路地になっている昔ながらの飲食街は、それ相応の値段だ。

 商業ビルの飲食店は、出来てから未だそれほどの年月が経っていない。働いている人も若い。これはどうやら「学生アルバイト」の類ではないか? 昔の路地へ入って行くと、もう何10年来も厨房に入っているおじさんが作っているから、相当年季もあるし腕もある。こういうお店は、やっぱり美味いと思ってしまう。

 若いスタッフのお店はマニュアル通りだから、作り損なうことはないだろうが、なんとも「締まりの無い味」の料理だ。まるで病院食。昨秋に入院して喰った病院食は、何もかも同じ味付けだった。「美味しいなぁ」と思ったのは「大根下ろし」だけだった。メニューの写真とは違うのが出て来た。豚の角煮にゆで卵が1個(半分に切ったのが2個)がメニューの写真だったが、本物は豚の脂身の角煮と熱湯の中に落とした半熟卵であった。底の方は出汁が浸透していなくて、白米がそのまま。

 ラーメンを作り始めて2-3年の若い店長がラーメンの「ウンチク」を言うのはなんとも不思議な光景だ。「ウンチク」を言うような「格」が出来ているとは到底思えないねぇ。〝蕎麦〟も〝うどん〟も〝ラーメン〟も、本体は元々単純な粉物に過ぎない。チャーシューを入れたり卵を入れたり、揚げを入れたり、カマボコを入れたりと、それぞれにアレンジをし、〝汁〟に一工夫をしたりするのだが、〝ウンチク〟を言わないとおれないというのは・・・? 元来は単純な食い物なのだ。

 「その日の気候などの条件で、麺の仕上がりが違う」と言うが、それはおかしな話だ。プロならどんな条件でも、いつも同じに仕上げねば。毎日違うのは「ド素人」だからだ。
 かつて、「玉川カルテット」という4人組の浪曲風バンドがいた。彼らはどんな場所でも寸分違わぬ芸を披露していた。プロとはそういう物なのだ。

 リバイバル放送されている「テレビ時代劇」のエンディングに毎回使われているのは「四季の風物詩」だ。夏は屋台の前でしゃがんで〝うどん〟をすすり込んでいる町人、冬は〝蕎麦〟をすす込んでいる町人の姿が数秒間出て来る。この役者は、〝うどん〟や〝蕎麦〟を喰うだけのための配役である。この役者と〝うどん〟や〝蕎麦〟は決して表舞台に晴れやかに登場してくるスターでも脇役でもない。〝うどん〟や〝蕎麦〟は「メインディッシュ」ではない。台本には「町人A」とか「食い物B」と出て来る。

 それを、まるで「奇声」とも言える声を上げ、目を剥いて、初めて「食い物らしき物を喰った」かの如くに演じている駆け出しの「芸人」がおるねぇ。〝うどん〟や〝蕎麦〟の類いは、お世辞を言わねば喰えない「食い物」なのかねぇ?

 私は〝うどん〟や〝蕎麦〟や〝ラーメン〟を非難しているのではない。美味さの表現力の乏しさと、あまりに「ヨイショ」する風潮が嫌いなのである。

 昨今の「次官」のセクハラ問題は時代の落とし子だ。「した方」の理屈が「された方」の辛さを上回っているかのごとき「思考の後進性」は「土俵問題」とも相通じている。世界が笑っているかもね。

 午後は穏やかなお天気になった。浜松基地には「ブルーインパルス」が、青森空港には「ホワイトインパルス」が、篠山の古市には「アーシーインパルス」がいる。こっちは至って素朴。軽トラの後にH鋼をロープで引っ張って、小学校の運動場を走り回るのだ。2時間ほど走ると、運動場はきれいになって、駆け回るのも憚りたくなる。足跡を付けないように仕上げる。明日は児童達が気持ち良く走り回ってくれることだろう。


2018.4.16

 朝からカミさんの眼科の送迎だ。もちろん老化現象で、白内障が出始めたらしく、夜の車の運転はまぶしいと言っていた。
 私の手術の時は散々お世話になったので、目医者へ行くことぐらいはお安い御用だ。瞳孔を広げて検査するから連れて来てもらうようにということであった。

 午前の時間を何処かで暇つぶしをと思ったが、差し当たる所はない。先日の小旅行の写真をプリントしていたので会長さん宅へ一括して届けた。ここの奥さんは、実は高校の時に隣のクラスにいた人であった。「何処かで見たことがあるなぁ」と高校のアルバムを探したら「やっぱり!」であった。3年も前のことであった。

 小旅行に参加したのは22名。「家族旅行」と言うことで、それぞれパートナーも参加。みなさん「自分はまだ若い」と思っているようだが、写真は正直だ。まだ、前からの姿は、お世辞を言えば「若く見える」と辛抱出来るが、後姿は誠に・・・だ。チンパンジーが歩いている後姿を連想する。いやはや、歳はとりたくないものだ。そんなことを談笑して写真を渡したのであった。

 カミさんとソフトクリームを舐めて帰る。午後からは、チョット早いが除草剤を散布。2時間ばかり掛かってあちこちの広場とお墓にも。腕が痛くなって、今日はサックスは出来ないかも・・・と思っていたが、やれるものだ。

 今日の練習曲は、もう随分昔に大流行した〝黛ジュン〟の『天使の誘惑』。第10回日本レコード大賞をとった曲だ。50年前の曲だった。20代半ばの頃だったねぇ。〝黛ジュン=ミニスカート〟というイメージだった。

 その5年前には〝梓みちよ〟の『こんにちは赤ちゃん』が大ヒット。こっちは「六八」だ。作詞〝永六輔〟、作曲〝中村八大〟。その後〝坂本九〟という歌手が加わって「六八九」と言われた。

 譜面を見ながらカラオケを掛けて吹いてみる。歌のイメージが強いので、どうも譜面通りに吹くのが難しい。歌詞の終盤近くの♪恋の意味さえー♪という所が楽譜通りに嵌まらないのだ。とにかく何度も繰り返して指に憶え込ませる。うっかりすると歌に引き込まれてノッペラボーになるのだ。

 やっと出来るようになったら「お夕事」の時刻になった。今日はこれで一曲をモノにした。50年の歳月は長かったが、振り返るとすぐに隣りに、影のように存在する思い出であった。


2018.4.15

 昨秋の台風の為か、あちこちの山で木が無慚な姿をさらしている。風で揺られた杉や檜の木が入り乱れて倒れているのだ。「植林をした木は根が浅いので弱い」と昔から言われている。見事になぎ倒されて、小崩落が起こったのか山畑が赤い。植林の木が根を充分に地中に伸ばす事が出来ないのか、地上はよく育っているが、昨今の労働力不足で、用材としての手入れも放置されているからかもしれない。

 昨日は京都国立美術館で『池大雅展』を観賞した。たくさんの画や書があった。中でも初めて知ったのは「パーツ画帳」とでも言うようなものが展示してあったことだ。今で言えば『イラスト集』だ。それらを組み合わせることによって『画』がて来ているように思えた。私の浅学の致すところだが、どれも同じように見えてしまう。「山」「川」「船」「滝」「釣り人」と、、。

次に向かったのは御室の仁和寺。桜がまだあるという思い込みであったが、もうシーズンが過ぎていた。それでもたくさんの観光客がバスでやって来ていた。

 とにかく「やって来た記念」にと、集合写真をそれぞれのところで撮る。が、撮ってる本人が入れない。自動シャッターにするには三脚が必要だが、持ち歩くには邪魔。センスがありそうで頼みやすそうな人を見つけてシャッターを押してもらう。意外と頼まれてくれるものだ。

 それにしても、被写体の皆さんは、それ相応の老境という手すりに掴まっているのが写真をプリントすると出て来るから面白いねぇ。いえなに、「少年易老学難成 一寸光陰不可軽 未覚池塘春草夢 階前梧葉已秋声」だ。そう言えば、『邯鄲夢の枕』という中国のお話もあったなぁ。

 そうこうして「魔の一週間」が過ぎて行った。明日からは思いっきり長閑な日々が過ぎて行きそうだ。また「梅ブラ」でも行こうかなぁ。


2018.4.8

今日は「お釈迦さまの誕生日」と言われている。本当に確かめた人がいたのかどうかを私は知らないが、昔からそう言われているという。(この言い方はちょっと無責任だなぁ!(^^)!!(^^)!!(^^)!)

篠山では「旧歴」でお祝いをする。5月8日だ。「卯月参り」という。レンゲの花やサツキの花々で小さな「お御堂」の屋根を葺き、中には「誕生仏」が祭られ、本物の「甘茶」をかけてお釈迦様のお誕生をお祝いする。

 この日は、その一年間に亡くなられた方のご家族や親戚もお参りされ、お焼香をする。それには「由来」があるのだ。

 大乗仏教では、「阿弥陀如来の誓願により、念仏申す者は、この世の生を終わったら、必ず浄土に往生する」という教えがある。この教えを私たちに伝えて頂いたのはお釈迦様である。

 「今は亡き親族が、お浄土へ往生したのは、お釈迦様の教えに出会えたからでした。お釈迦様 有り難うございました」という「お礼参り」なのである。「お礼参り」は特定の方々の専売ではなくて、そもそもの根拠・出典は浄土往生を説いた大乗の教えにある。(大乗経典は『仏説△△△経』と題されているが、大乗思想は釈迦滅後に出来てきた仏教理論であるが、お釈迦様が説いた形式がとられている。)

そんなおめでたい日にご法事が勤まった。初めて出合って二日後に事故で亡くなられた方と、私を坊さんに導いてくれたお婆ちゃんの法事だ。25回忌と7回忌のご法事に、近所の方も参られ、親戚の方もたくさん参られた。

 私も、思い出一入(ひとしお)の方のご法事なので、法話にも思わず力がこもるのであった。

 春の嵐が過ぎたが、庭には花々がたくさん咲いていた。

 「親父のお葬式の時は、このスモモの花が満開やった」と、息子が25年前の事を思い出してくれた。その時、まだお腹の中にいた子が、今は立派な娘になっている。それぞれの人生が25年を刻み、7年を刻んで来たのだった。

 「卯月八日は寺参り」と昔から言う。しかし、「卯月に寺に参らないと、お釈迦さんが焼き餅を焼くから」などという、とんでもない理由付けなどはしない。

 先日のバラエティーで、元力士がコメンテーターとして出ていた。「女性が土俵に上がると、アマテラスの神が焼き餅を焼くから」と、女人禁制を知ったかぶって言っていた。

 そうではない。そんな理由ではない。もっと相撲の歴史を研究されてはいかがなものか。「女性は穢れた存在である」という男尊女卑の観念が、土俵に女性を上げない本当の理由である。「傷口に塩を塗る」ようなことを言っていては、協会の立ち直りは先が遠いのではないか?。しっかりと「来た道 行く末」を考えないと、総スカンを喰らうぞ。

この世に存在する「差別」は、その根源は「ケガレ意識」である。「ケガレが自分に感染(うつ)らないように」と、塩を撒いて清め、「ケガレた者」と「ケガレていない者」を分け隔てしてやって来た。

 「ケガレ」というものの実態は一度も見たことはない。「親族が亡くなったので、私はケガレています」いう人がいるが、一緒に風呂に入ってつぶさに観察しても、どこにも異常はない。異常があるのは、そういう「観念」に束縛されている「思考形成」なのだ。

 福島の放射能事故の後、「福島の方の入店お断り」や「福島の子に近づくと放射能が感染する」と、科学的根拠もなく差別したのはつい最近のことではなかったか? 元ハンセン病患者に対する差別も、障がい者に対する差別も、その根底に流れている意識意識の構造は、土の中を張り巡っている竹の根のようなものなのである。

 どんなに言い訳をし、説明をしようとも、差別された者にしか、「これは差別だ」ということは直感できない。女性差別であるのに、それを看過し、受け入れていること自体が異常ではないか? 宝塚市長は、土俵の下に立って、相撲巡業の歓迎の挨拶ではなくて、「どうして同じ人間として見てくれないのか!?!」と、哀しみを込めて相撲協会の態度を批判したのだと受け取った。「差別をしないでください」と訴えて行くことが大事なのである。

 因みに、ボクシングやレスリングでは、リングの上で血が流れることもある。しかし、今だかつて、「塩を撒いた」ということは見たことがない。

 「セクハラ」も「パワハラ」も、している側にはそんな感覚はないかも知れないが、された側にとっては敏感にそれを感じる。

 「セクハラ」も「パワハラ」も「差別」なのだ。「しつけのつもりだった」と言うが、それはまさに「児童虐待」そのものである場合が殆どだ。

 残念なことに、私の年代ではまだそういう観念がある。「どう伝えるのか」ということを教わらなかった。まさに「アメとムチ」の手法は教わったが。

 偉そうに書いたが、私などはいつも「差別する側」にいるのだと思う。「蔑まれたこと」があるのにも関わらずだ。自分自身がマトリョーシカみたいな構造なのだ。


2018.4.5

武庫川の岸に沿ってズーっと続く「桜並木」。今から30年ほど前、兵庫県の瀬戸内海と日本海を繋ぐ桜を植えようとの提唱があり、地域の人たちが植樹をした。丁度その頃に「1988食と緑の博覧会」が丹南町(今の篠山市の一部)で開催され、道端では農家が初めて自分の作った豆に値段を付けて売った。それが「丹波の黒豆の枝豆」の始まりである。1995年には「食糧管理法」が廃止となった。それでも農家が生産した作物は全て農協へ出して、農協の指定した価格で買い取られていたという。
 私にとっては、「食と緑の博覧会=黒豆の枝豆の自主販売=桜並木の植樹」というものがセットで記憶されている。いやその他にも、「舞鶴自動車道」が博覧会を前にして開通したことであった。

 先日、その武庫川の桜並木に沿ってドローンを飛行させた。ムービーのスイッチを入れ、目視とモニターとを見比べながら撮影して行く。

 昨年は樹に引っかかって修繕に出していたので桜は撮れなかったが、今年は存分に撮影出来た。それでも朝から夜まで撮影をし、編集でボツになったのは95%にもなった。

 普通は、「せっかく苦労して撮影したのだから」と、無理にくっつけたり、カットできずに垂れ流したり、あるいは廃棄データの再利用とばかりに「二番煎じ」にまとめたりする方がいるが、セオリーを意識してまとめることが大事だ。曲は3分の長さがあれば十分だし、俳句は17文字あれば充分に表現出来る。TVニュースは80秒あれば説明出来る。

 「せっかく遠くまで出かけて撮影したのだから、捨てるに忍びない」という思いはよくわかるが、コイツを捨てることで作品が光ってくる。「蛇足」に「蛇足」を付けると駄目なんだよねぇ。

 夜間の上空を8時字飛行させるのが目的ではなくて、夜間での姿勢制御の習熟のために、この夜桜を撮影するために体育館を借り、本堂で飛ばして特訓を重ねて来た。国交省(航空局)の許可も得てである。出来あがったのは『桜が咲いた』という3分弱の動画。早速YouTubeにアップした
 

 サックスのリードを見ていてしげしげと思ったのは、どうして「2か1/2」という分数表示になっているのか?
 「2.5」では駄目なのか? 「1/2」と言うからには「1/3」もあっても当然と思うが、それはないらしい。「1/3」などというのは見たことがない。ペーパーやカッターナイフの刃を立てて、ちょっとばかり削って調整すると「2か1/3」になるにはなるが・・・。

 この数字の標記はどうして分数になっているのか? フランスでの数字の読み方は独特の読み方があって、掛けたり足したりして数字を表すという。独特の数字に関する考え方があるのだろう。リードはランス物が有名だが、2と3の間の堅さということで「2か1/2」という描き方なのだろうか?
 ちなみに、今は学校では「2と1/2」と教えているらしい。「と」というのは「+」ということらしい。以前は「2か1/2」といっていた。ある年を境にかわったという。日本語はそもそも全て漢字に由来する。では「2か1/2」という場合の「か」とは何か? どんな漢字が使われるのか? 調べて見たらわかった。「荷」という字が使われるのだった。。「荷重・荷担/負荷」という事にも使われる。つまりは、「2に1/2を付け加えてる」と言うことらしい。が、「2と1/2」の方が判り易い。いや、2.5という方が判りやすいねー。「この紐は 10と1/2㎝の長さです」といわれると、即座にピンと来るだろうか? 「この紐は 10.5㎝の長さです」という方が慣れ親しんでいる。「慣れ親しむ」という事はよく考えないと、とんでもないことになる。

 市長が土俵の上で挨拶をしている最中に後に転倒した。ビックリしたであろうが、すかさず女性が心臓マッサージを始めた。が、土俵の下から「女性が土俵にあがっても良いのか?」との声がかかったと。若い行事が、「女性は土俵から降りて下さい」とアナウンスしたという。

 女性が土俵にあがってはいけないと慣れ親しんで来たが、これは、女性は「不浄な存在」という女性差別の「常識的馴れ」の帰するところである。

 今の「世紀」に、まだこんなことを言っている人たちがたくさんいるのだ。もう今の世の中は「男女平等」であり、「男女共同参画」である。殆どの職業において男女の差別はなくなっている。

 ダンプの運転手も、電車の運転士も、飛行機のパイロットも、お医者さんも、看護師も、保育士も、ジェット戦闘機のパイロットも、消防士も、クレーンのオペレーターもだ。

 相撲協会も「女性の行司」を誕生させる位の大変身をしてはどうか? 「男優先・女性排除」を堅持したいのなら、もうその存在を認めてもらえない日は遠くないぞ。
 世界中の哺乳類は、みんな女性から生まれて来るのだ。自分の命の源を「穢れた物」として見て行くというのは、どういう思考の構造になっているのかねぇ。


2018.4.1

 4月1日は公務員の辞令交付の日である。昇給辞令や異動辞令が出される。給料表や内示などがあって事前に判るのであるが、それでも辞令交付はドキドキだった。一度遅れて行ったことがあったが、お咎めはなかったねぇ。
 もうそういうこととはご縁がなくなってしまった。昇給などはないし、異動もない。次は極楽浄土へ異動するのみか(>_<)(>_<)。

 「イチリンソウ」や「アズマイチゲ」を見に行って、サックスのリード調整をし、ドローンの訓練も。買ってきたままではなくて、チョット調整すると楽に吹けるリードになる。迷信を信じるから、私の言うことは信じない。「精神論」ではサックスは上手くならない。

 昭和天皇即位記念に植樹された桜が、今年も咲き始めた。毎年ライトアップをする。今日は3分咲きというところか。
 昼間に充分訓練しておいて、周りが暗くなった時分を見計らって夜間空撮をする。もちろん、国交省の「飛行マニュアル」に従っての飛行である。いわばこの日のために体育館で飛行訓練をし、200g以下のオモチャで訓練をして来たのである。「夜間」「30m」「DID」の許可承認は得てある。
 
 念の為に「プロペラガード」も装着してだ。「インスパイア」の安定性は良い。3分咲きではあるが、ライトに生えてきれいに写る。遠くを夜汽車(今は電車だが)が通って行くのも写り込んでいる。夜汽車の窓の明かりというものは、何とも切ないものを感じるねぇ。

 「あーだこーだ」と20分弱を撮影して、満開の日にもう一度挑戦することにした。出来あがりは「こういう風にモンタージュ(画像の組み立て=編集)して・・・」と、完成動画を頭に入れての撮影だ。

 何となく撮影しても、きれいな風景であっても、延々とワンショットで続いていては、見るのに飽きる。動画というものは「シーンの組み立て」ということが大事であるのだねぇ。切って切って切りまくると良い作品になる。

 近頃は4Kなどといって、とてもきれいに写るカメラと、姿勢制御の素晴らしいドローンがあって、落ち着いて操縦すればかなりの迫力のある動画が撮影出来るが、如何に素晴らしい「滝」であっても、延々その「滝」だけが撮られているのを見ると、「牛の小便」を見ているようになる。
 目をそらさずに注視できる時間というのは意外と短い。その事を考えて編集すると作品の「格」があがるのだ。

 こんな所で映像理論を講釈するつもりはないが、「動・静・遠・近」を組み合わせ、「インサートショット」を入れながら、主体となる対象物を主張させていくのが映像理論の基礎である。美味い物ばかりを並べられても美味くなくなるのである。ゲーテは、「光の多い所には、強い影がある」と経済理論を言ったが、映像も、明るさを強調するためには影を取り込む。暗さを強調するには明るい一筋の光を隅っこに取り込むことだという。

 これって「お説教(法話)」にも通じる。どんなに良いことを並べ立てても、「お話の技術」が悪いと、「右の耳から左の耳へ直通」なのだ。「喜怒哀楽」というが、「笑・涙」が入り交じり、笑顔と渋面がいり混じって感動が起こるのである。「感動」が「目からウロコを剥がす」のである。「目からウロコが落ちる」ことを「廻心(えしん)」という。これを「笑涙哀れみの例」という??。言わない。

 「楽譜を見ながら吹くのと、楽譜を見ないで吹くのとでは、どちらが良い音になるか」というのを動画で紹介していた方がいる。もちろん後者の方であった。
 オーケストラは楽譜どおりに演奏しているように思えるが、あれって、「指揮者」によって随分と「違う」のである。楽譜どおりだと、誰が棒を振っても「全く同じ」になるのに? つまり、「楽譜どおり」には演奏されていないということだわなぁ。楽譜どおりだと「無味乾燥」みたいな音楽になって来るよなぁ。それは「音楽」とは言わない。「音苦」というのだ。

 世の中は面白いよー。「手を合わせるのですよ」と言っても合わさない。「念仏を申すのですよー」と言っても言わない。親鸞は「おのおののご勝手」と言った。「あなたのことなど 知りたくないの」と菅原洋一は歌った。


2018.3.30

 晴天が続き、桜の蕾も大きくなって色づいて来た。やっとお仕事の合間ができた。手術してから5ヶ月、退院してから4ヶ月半。「ボツボツやりや!」と言われても、「ボツボツ」やったら取りこぼす「事」が生じる。何とか「動ける」のであれば、代わってもらうことの出来ない「事」もある。「ボツボツやりや!」というのは優しい声がけではあるが、実態は「代行」してもらえないことが多いのだ。

 そんな事を「ボソボソ」と思いながら、赤いセーターにアスコットタイを結んで「梅ブラ」に行った。春休みともあって、若い人が一杯だった。JKも精一杯のおしゃれをして友達と「梅ブラ」をしている。(梅ブラ=梅田界隈をブラブラ歩く)

 梅田の「D楽器店」に行って、MPのリガチャーをゲットするのが目的の一つだ。MPに付属しているのは何ともチャチな品物が多い場合がある。「オットーリンク メタルMP」のリガチャーは独特の形をしているが、きっと、もうちょっとましな代行品があるはずだと。当然MPは現物を持って行った。

 中年の男性店員さんと若い女性店員さんが探してくれる。展示棚の引き出しの中をいろいろ見てくれて、「ハリソン」の「オットーリンク メタル用」というのを探し出してくれた。金メッキがしてある素敵なリガチャーであった。ネジは2本で、MPの上で締め付けるようになっている。

もう1本、「ヤナギサワ」のメタルMP用のリガチャーも探してもらった。このMPに付いていたリガチャーは、「夜店で売っているブリキのオモチャ」みたいなもので、何とも気色の悪いものであった。 「ヤナギサワ」のメタルMPは、デキシージャズのような派手な音がする。フラジオをやるべく、この店で試吹してゲットしたものだった。

 店員さんが探してくれたのは「ウッドストーン オットーリンクGP」という物であった。これも金メッキで上締めになっている。銀色のMPに金色のリガチャーになって、ちょっと見た目はステキなファッションになる。

 帰宅して、ワクワクしながら試吹する。「オットー」の音は格別に上がったねぇ。「ヤナギサワ」は益々派手な音になったが、2オクターブの上の方に行くとリードの裏返りを起こす。いやそれは私がこのMPに馴れていないから、上手くコントロールができないだけであろう。

 リガチャー2個をゲットして、管楽器の並んでいる店内をウインドーショッピングをする。トロンボーンを見ていて思い出したのは「クレイジーキャッツ」の谷啓さん。彼は中々のトロンボーン奏者だった。「これが彼が使っていたのと同じ物ですよ。一番シンプルに作られているトロンボーンです」と説明されて思わず見とれてしまった。

 「おっ そうそう」と思い出したのは30年ほど前から年賀状の交換をしているY・Hが、この楽器店でフルートの講師をしているということが数年前にわかったのだが、「どういうご関係ですか?」と問われて、「いや、その、演奏に来てもらったことがあったのですよ」と。「問われて困ること」は何もないのが「良い」ではないか。『フルートアンサンブル サクラジェンヌ』で検索するとYouTubeに公開されている。30年前の記憶よりは「ややポッチャリ」になっているのは、お互いに仕方のない年月なのよねぇ。

 またまた思い出したのは「カーボン・リード」だ。まだ日本では手に入らないかも知れないとのことであったが、それでもと訊ねてみたらやっぱり無かった。「レジュール」の樹脂製のがいろいろあった。いつも愛用している「ラ・ボーズ」の「ソフト」に近いものは?と…。「2.5」というのが最も近いということでこれもゲット。以前にもゲットしていたが、その時はそんなに「番手」がなくて、適当にゲットしたものだから、ちょっとだけ使ってからは何処かへ紛れ込んでしまった。
 樹脂製のは湿らさずにすぐ使えるし寿命も長い。ただ、これも「振動疲労」するので、耐用は1年チョットかも知れないということであった。

 「篠山から来られたのですか?」と言われ、「春風に誘われて〝梅ブラ〟です。大阪は美味い物が安くて…」と店員さんと談笑だ。会員割引で随分と割り引きしてもらったが、それでもウン万円になった。

 時々行く芝田町のビルの中華店で「日替わり」を注文。ここのは肉焼売・小籠包がどの料理にも付いていて、これがまた美味しいのである。本日のお勧めは「桜エビ入りチャーハン」がメインであった。
 正面向こうの席で食事をしている若い女性が、「健康推奨」のようによく咬んで食べていた。デザートに出て来るプリンはどうするか?と見ていたら、これもよく咬んで召し上がっていた。「きっとよく咬んで喰うだろうなぁ」と想像していたら、てっきり的中だった。

 しかし「大阪のおばさん」は勇壮だ。時間待ちに喫茶店で珈琲を飲んでいると、私の珈琲を横の席へ持って行って、「席を移れ」と言う。店員さんが言うのなら違和感がないが、3人連れのおばさんに言われるとちょっとムッとするねぇ。「俺の珈琲を触るな!」と思った。

 樹脂製のリードとケーン(葦)製のリードの違いは、樹脂の方はスベスベになっていて引っかかり感がない。ケーンの方は繊維のトゲトゲ感があって咥えた感じが保持がし易いように思える。まあこれも使い慣れると特に問題は無いと思うが…。

 電車の窓からは、早くも満開になっている桜。ついウトウトとしてしまう帰り途であった。


2018.3.27

 「プロフェッショナル」2題

 26日の夜の放送を2本続けて視聴した。一つは『プロフェッショナル 吹奏楽のカリスマ登場 まるで嵐…指導の極意 少女達と挑む2カ月 〝奇跡〟を起こせるか』。もう一本は、続いて放送された『ノーナレ 日本一雪の多い空港で密着!除雪隊と整備士 ホワイトアウトで何が』だ。

 最近は長いタイトルの番組が多いが、中身が予想されて便利だが、どうもタイトル負けしているように思えてならない。長くて良いのなら「寿限無寿限無五劫のすりきれ…」という話がある。

『プロフェッショナル……』は、後でネットで見ると、長崎県にある中高一貫の私学。全国大会を目指して猛特訓を展開する「吹奏楽部」の様子をドキュメントした番組であった。こういうのはよくテーマとして取り上げられる。ほとぼりが冷めた頃に出て来る「二番煎じ」みたいな企画である。

 指導者の力量は当然なのだが、ここで「はた」と思ったのは、彼女ら生徒の力量であった。私らの年代では、譜面と睨めっこをして演奏するというのが既成概念にある。地元の吹奏楽団でもまさにその通りだ。
 しかし、これは、もしかしたら中高生の「マーチンングバンド」では「当然のこと」として、譜面は全部「暗譜」であり、複雑な「隊形」を演技しながら、しかも音楽表現が素晴らしいものであるということが前提らしい。「らしい」と言うのは私が実体験していないからの表現だ。

 番組の中で、生徒達に配布される譜面は、県大会の1週間前であった。それまでは、隊列を整え、形を展開していく練習と共に、今までやって来た曲の復習?のようであった。

 しかしまあ、何んと言っても、1週間前に譜面を渡されて、譜を憶え、堂々とマーチングができるというのには恐れ入った。

 いや、プロというものは、メロディー譜をもらって即座にコンボとして演奏するという「スタジオミュージシャン」という存在は知っていたが、もう何んとも「情けない」と思うのは、この歳で一緒にやっている爺達の四重奏が、どうしても暗譜でできないということだ。もうかれこれ6年ほどになるというのにだ。

 ムード歌謡などは、要するに1番の曲だけを暗譜すれば、延々30番まで演奏しようと、吹く箇所は一緒なのだがそれができない。譜面に穴が開くほど睨みつけて演奏するから、聞いている方はたまったものではない。

 私などは、16分7連符などの場所は、繰り返し繰り返しやって、1ヶ月も練習しなければ指が付いてこない。彼女達の、いや、マーチングバンドやスタジオミュージシャンの脳味噌の構造はどうなっているのだろうか。

 『ラデッキー行進曲』も『津軽海峡冬景色』も、みんなで練習し始めて2年以上の歳月が流れた。それでも、「おしまいが合ったねぇ」と、最後を何とかごまかして、一緒に終わったのをうれしがっている程度だから、もうこれは「上手になるまで命が持つかどうか?」という範疇だ。実に情けない。

 歳を取ると「吹きたい曲と吹ける曲」の判断がごちゃ混ぜになって、「吹けるのではないか」という幻覚症状が起こるらしい。

 「活水マーチングバンド」を見てつくづくと思った。そして、歳をとると、練習しなかった「言い訳け」だけは見事に展開できるのだから「年の功」は素晴らしい。

 もう一本の『…津軽雪空港…』は、以前に見たことがあった。隊員の一人は農家の冬場の仕事としていると言う。
 滑走路の除雪や機体の除雪をして、「欠航」を起こさないという空港の話だ。この除雪隊を「ホワイト・インパルス」と言うのだそうだ。
 限られた時間の中で、高速で滑走路を除雪する大型のスノープラウというトラックが一斉に動いて行く。まさに「阿吽の呼吸」という言葉通りである。

 さすがに「プロの仕事」だと見入ってしまった。番組のタイトルが『ノーナレ…』とあるのは「ノー・ナレーション」と言うことで、ナレーターが延々しゃべるのではなくて、現場音を巧みに取り入れて構成されていた。
 これで、BGMがなければもっと中身の練られた番組になったのではと思ったねぇ。番組制作者よりも、大型ドーザー除雪車を見事に操るホワイト・インパルスの人たちの方がプロとしては1枚も2枚も上であった。「Nスペ」なる番組は、ナレーターが喋り続け、やかましいBGMにはほとほと着いて行けない。現場音に勝る音はないのだがねぇ。

 どちらもネットで紹介されている。で、「楽しみでやっている」と言うのは、所詮は「言い訳け」である。そして、「たしなんでいる」と言うのは、「チョットばかり趣味としてお粗末ながらやっている」という意味ではなくて、本来は、「脇目も振らずに一生懸命にやっている」という意味である。長崎のJKや青森の除雪隊の人たちがやっていることことを指して「た・し・な・む」と言うのだと思うが…。(^O^)。


2018.3.23

 春という字の下に虫という字を二つ並べると「うごめく」という字になる。「蠢」だ。久しぶりのお天気になった。修理から返って来ていたドローンを持ち出して「訓練飛行」をする。

 春になると虫も蠢くが、人間も蠢く。訓練飛行に使わせてもらっている田圃からちょっと離れた田圃にも、野菜の植え付けをしている人がいた。
 仕事を小休止して私の方へやって来た。ドローンという物を始めて見たという。その人は未だ若くて、エンジニアをしていたというから、こういう物に興味が湧くのだろう。

 「郷土史」にも興味が湧いて来ているとの事で、暫くの間、いろいろと話をした。私の書いた「郷土史」の本をプレゼントすることになった。何か役にたてばと思った。

 京都からUターンして、新学期からは2人の子どもが小学校に転入するという。子どもが一人でも増えることは(^O^)だ。横の栗林では、元肥を撒いていた。この人達とも顔馴染み。世間話に花が咲くのであった。大きな美味しい栗を収穫するのが目標だと言っていた。それぞれに目標があるのは良いことだねぇ。

 来月は「観音講」があって、お婆ちゃん達か集まってお祭りをするという。金箔の、それも相当の時代物の「お薬師さん」も開帳される。山の中にあった庚申さんなどの小社も移設されたという。長閑な村の優しい人たちの話を聞いた。来月はカメラを持ってお参りに行こうと思っている。

境内の植木鉢の桜も開いた。隣の桜の古木もライトアップの用意が完了した。毎年写真を撮りに来る人がいる。

 木瓜も沈丁花も開き始めた。まさに春が蠢いている。蕗の薹はすっかり大きくなってしまった。「蕗の薹の天ぷら」を味わったので、75日も寿命が伸びた。「初物を食うと75日寿命が延びる」という。そう言えばあの若いファーマーも「菜の花の天ぷらが美味しい」と言っていた。目の前の田圃には菜の花が咲いていた。蕗の薹や菜の花の天ぷらは、ちょっと一杯には持って来いのアテになるのだ。♪ちょいと一杯のつもりで飲んで、いつの間にやらはしご酒♪ となったものだが、もう最近は・・・・。

 子どもの頃、4月3日の節句の日には、男の子は高い山へ、女の子やお年寄りは低い山に登って節句のお弁当を楽しんだ。低い山から見下ろすと、一面に菜の花が咲いていた光景が忘れられない。ここらでは一月遅れで行事があった。端午の節句は6月なのだ。お風呂に菖蒲を入れて入るのだ。もちろん「柏餅」も頂くのだ。

 サックスの指もまさに蠢いている。16分音符の7連符などというのは、まさに曲芸の範疇だ。もう理屈ではない。指が憶えてくれるまでだ。2拍の間に16個もの連符になるところもある。いや、ピアノにはもっとスゴイのがあるようだ。年寄には良い訓練になる。


2018.3.19

 篠山市のホールに「東京大衆歌謡楽団」がやって来た。入場券を買っていたので聞きに行く。観客の殆どがシルバー世代である。何しろ件の宣伝の主力が老人会だったというから。

 YouTubeでみるのと、生を見るのはやっぱり違う。が、いつも見ているから、何となく身近な人に感じてしまうねぇ。

 次から次へと昭和の歌が歌われていく。観客も手拍子。おひねりも飛んで行くという状況だ。CDの印刷物にサインをしたてもらった。もうすっかり老人会の爺様になってしまった。

 約2時間。いよいよ終わりになって、みんながアンコールを出す。『梅と兵隊!』と。この曲は案外知られていないのだが、彼らのレパートリーになっている。
周りを見渡すと、あちこちに顔見知りが一杯だ。春のひとときを昭和の名曲に浸ったのであった。


2018.3.15

 昨日は10年ぶりの知人に出会いに行った。山里の村も10年経つと「閉店」になっているところもあって、「いずこも同じ里の夕暮れ」であった。
 古い事を知っているのではないかと訊ねたのだが、バッチリ「想定のウチ」であった。現地フィールドの案内をしてもらった。これがもうちょっと数年先になると、果たして実現できたかどうかはあやしい。

 そして今日は「梅田界隈ブラリ・ブラブラ」。電車に乗りに行くと、もう50年以上も使われて来て、最近は戸締になってしまっていた「タクシー待ち合わせ所」の解体作業に出くわした。小型の重機で解体されていく様子を、電車の来るまで見学。最後の様子も携帯で写真に撮れた。村の中の名残の物がこうして少しずつ無くなって行くのだ。

 梅田は春の花が咲いていた。高校を出たのか、中学を出たのか、長い春休みを満喫している若者が一杯いる。
 「ほほー、この春はこんな色が流行っているのか」と、行き交う若者の着ている物を眺める。「お初天神」へ行くと、一生懸命お願いしている若者の姿があった。どんなお願いなのか、ちょっぴり気になるねぇ。

 昼食は、「お初天神通り」の飲食街で品定めだ。サラリーマンの昼食でよく賑わっている。「カツトジ定食」というのがあった。大阪は「食い倒れ」というからに、「上手くて安くて」だ。

 お腹を満たして、トコトコと歩道のベンチで休み休みしながら紀伊國屋へ向かう。3冊ばかり本を買って、これで「ブラブラ」は満足。大阪駅の「時空の広場」で一休みしてから帰りの電車に乗った。このシーズンは、「時空の広場」は人工芝が敷き詰められ、ベンチや童話に出て来るような「お家の屋根」などがしつらえられて、子ども連れのママさん達がたくさん。就活中?の若い人たちも、芝生に足を投げ出してしばし憩っていた。

 田舎に住んでいると、時々都会の空気を吸いたくなるものだ。
 都会の生活に馴染むと、「ふるさとは 遠くにありて想うもの」となるのも無理はない。

 帰り着いてホームを出たら、今朝方に解体工事をしていたのがすっかり終わって、水が撒かれている最中だった。現場監督さんと、「また一つ建物が消えちゃった」と暫しの会話だ。


2018.3.13

 隣のお宮さんの梅が、チラリと咲き始めた。大正天皇即位記念にと植樹された樹だから随分の年月になる。枝を剪定しているので背は高くないが、毎年新芽が出て蕾を付ける。ちょっとばかり肌寒いものの、梅の蕾と花を見ると、あの歌を思い出す。
 田端義夫が歌った『梅と兵隊』だ。この歌の存在を知ったのはそんなに以前の事ではない。つい3年ほど前のことである。

 ♪明日 出ていく前線で いずれが華と散ろうとて
    武士の誉れじゃ白梅を 戦闘帽(ぼうし)に挿して 行こうじゃないか♪  

何故かほろ苦く、切ない歌である。梅に罪はない。西行法師のように一枝を背中に挿して、村のカフェに行った。

この歌をレパートリーの一つにしようと思ったが楽譜がない。何せ「70年以上」も前の歌である。そんなに難しいメロディーではないので「耳コピー」をすることにした。
 「ミソ」は「3連符」だった。これを上手く使い分けると小節の中に上手くはまり込むのであった。

 春の夜はこうして更けて行った。テナーサックスでカラオケに合わせて吹いてみる。いやいや、なかなかどうして。哀愁ある曲がまたひとつ、レパートリーに入ったのであった。

 2週間ほど、薄い風邪をもらったのか、鼻水が少々。いや、熱はないので「花粉症」なのか?
しかし、サックスの息が続かない。暫く休んでいたら、てきめんにアンブシャーの力が弱まる。歳は取りたくないものだ。

3月はそれにしても淋しい月である。せっかく知己になったのに、異動で転勤されて行く。もしかしたら、もう二度とこの世で再会することはないかも知れない。「一期一会」というのか「これが今生の判れ」というのであろうか。

 ここ2-3年、花が一緒になる。桜の蕾も膨らんだ。梅も咲き始めた。桃の蕾も大きくなった。沈丁花も木瓜も蕾をたくさん着けている。桜の開花は、2月1日からの温度の累計が600℃になると咲くのだという。「日照時間」によるとは聞いていたが、累積温度ということだったのだ。因みに花粉症も、花粉にさらされる累積時間によって、ある年に突然に発症するいわれている。昔々にも花粉症というものはあったのだろうか?


2018.3.10

 7年前、春曇りの中、本を読みながらテレビの音を聞いていた。けたたましい警報音がテレビから鳴った。
 「防災訓練は9月1日だったがなぁ」とテレビに目を向けたら、大きな揺れを放送していた。

 やがて、とんでもない光景を見ることになった。押し寄せる津波をヘリコプターが撮影。飲み込まれていく車。なぎ倒されていく畑のビニールハウス。

 その頃は『ラ・メール』を練習していた。長閑に打ち寄せる波の音を聞きながらという風景を連想しつつ。が、次々に伝えられる惨状に引き込まれてしまった。神戸の地震も、現地へ入って間近に被災の状況を見たが、津波の恐怖は筆舌に尽くせない。

 それから数ヶ月。とてもサックスなどの練習はできなかった。トラウマになっているのだ。それ以後『ラ・メール』を聞くと津波を連想してしまうようになった。
 明日は「追弔の鐘」を撞く。早くも風化した人もいるだろうが、教訓は伝えて行きたいと思う。

 昨夜、北斎をテーマにしたドラマを何となく見ていた。上手く画が描けない弟子達?の台詞の中に、
 「一流の素人より三流の玄人の方がすごい」
ということばが出て来た。
 一流の素人は、「俺は上手い」と思っている。三流の玄人は、「どうしてうまくできないのか」と、いつもいつも悶々としているというのだ。

 物事を成し遂げていくプロセスでの「向き合い方」が、まるで違うのだ。素人は「どうせ素人だ」と慰み程度。玄人は「命がかかっている」と言う真剣さがある。

 買う方も、「素人さんにしてはすごいですね」とご祝儀を奮発してくれるが、これが玄人となると、「玄人のくせに、いつまで下手なのか」と蔑まれるという。全くその通りだ。

 素人というものは恐ろしい。まともに演奏出来ないものを観客の前で堂々と吹くのだから。思い返すと、「穴があったら入りたい」ものだ。

 それにしても、3月9日は大砂荒のような一日であった。米朝会談へ・財務省関連。


2018.3.3

 最近の「敬語」の使い方が気になって仕方がない。そもそも「敬語」というものは「立場の相対関係」によって表現が違う。
 「あの方が…………とおっしゃった」
   (「おっしゃられた」と言うのは二重敬語になり不適切)
 「あの方が…………と言われた」
 「あの人が…………と言った」
 「あの人が…………とぬかした」
と一例を示すことが出来る。
「おっしゃった」は、完全に相手が自分より上に位置する関係。
 「言われた」は、自分と対等か、あるいは相手が上に位置する関係。
 「言った」は、自分と対等か、あるいは相手が下に位置する関係。
「ぬかした」は、相手を完全に見下した関係。
となる。

 これが、会社等の勤務先で、自分の上司と来客との間に入っての関係ではまたややこしいことになる。
「ただいま社長は外出しております。ご来社のことをお伝え致しますが………」
となる。
「ただいま社長さんは外出されておりますので、来られたことを言うておきますが………」
となると、主客転倒になってしまうわなぁ。

 そこへさして、最近は自分の子どもやペットに対する言葉が千々に乱れておる。
 「子どもたちに御飯をあげげて来たのですが……」と言うのは随分耳慣れてきたが、やっぱり「あげる」という表現は上位関係にある人に対して行動を起こしたときの表現で、こういう使い方を聞くと「親バカちゃんりん」となる。
 「ネコに御飯をあげる」と言うのもいかがなものかと思う。
 「ネコにエサをやる」で良いのだ。

 「ただいまから………を開催させて頂きたいと思います。私は本日の司会をさせて頂きます…………と申します」と、とにかく舌を噛みそうな謙り下り過ぎた言葉を使う。近江商人が使ったのが原点だというが、そこまで言うことはない。

 「間もなく電車が左右に揺れます。お立ちのお客様はお足下にご注意下さい」と、車掌がアナウンスをする。誠にご丁寧ではあるが、「間もなく電車が揺れますので、お立ちのお客様はご注意下さい」で良いのではないか?
 日本の車掌はよくしゃべるという。ドアが開くので気をつけろ、ホームとの間が空いている所があるから気をつけろ。何かあってイチャモンを付けられると困るので、仏教の「戒律」のように、ドンドンと「アナウンス」の項目が増えて来る。
 いつも思うのは、「ドアが閉まりますのでご注意下さい」というアナウンスだ。エレベータではあるまいし、電車ではドアが勝手に閉まるわけがない。車掌がドアスイッチを操作して閉めるのだから、「ドアを閉めますのでご注意ください」と言えば良いのだ。最近の車掌のマイクは便利になっていて、1個のマイクで車内とホームの放送の使い分けが出来る。
 ホームに対しては、「間もなくドアが閉まります。次の電車をご利用下さい」
 車内の客に対しては、「ドアを閉めます。ご注意ください」
で良いのではないか? 細かい事を「グチャグチャ」と言うが、「外出を控えるように」と言われる中で狩猟に行った人も、徒歩で雪の中を一人で迎えに行かせた者も、もうちょっと状況判断が出来なかったのかねぇ。言葉遣い、敬語をどのように使いこなすかということは、まさに「状況」を判断しないと、「何んでもかんでも丁寧に言えば良い」というものではない。「失笑」を買うのが精一杯であろう。 敬語というものは、普段から使っていないと、急に使わねばならないことになっても使えない。プロでも、ちょっとした揺らぎで、「緊張」し、「あがる」と、意図的ではないのに、とんでもないことを口にする。
『埴生の宿』を「はにわのやど」と読んでみたり、「祝電」を「弔電」と言い、「祝辞」を「弔辞」と言った司会者がおった。とある叙勲の祝賀会でのできごとであった。ことほどさように「緊張」するとハプニングを起こすのが人間であるから、人様の前に出る時は、「充分に自信のあるもの」を引っさげて行くことだ。


2018.3.1

 久しぶりに大阪へ出る。目的は「本」と「本町」だ。
地下鉄に乗って「本町」へ行くと丁度お昼。駅の上にはいわゆる「船場ビル」というのか、服屋さんが連なる所だ。阪神高速道路の下に出来ているが、ここの地下には食堂街がある。トンカツも良いが、どうも量が多そうだ。うどん屋はないか?と探していたらあったねぇ。お昼時のサラリーマンが次々と入って来た。

 お昼を済ませて向かいの南御堂へ行く。本堂の中には子ども連れのお母さんやサラリーマンも静かに座っている。中央には焼香卓があって、煙が上っている。次々と入って来る人たちが、みなさん焼香をし、合掌して席についていた。癒やし系の音楽が静かに流れており、お昼休みのひとときをここで心を休めるらしい。土足のママで入れ、全席が椅子になっている。

 内陣には、親鸞さんの得度の様子の襖絵と、親鸞さんの亡くなられて行く時の様子の襖絵が両側にあった。そして、歌舞伎でいう花道みたいな場所がしつらえてあって、そこには小型のパイプオルガンもあった。
 かつての御門は取り壊され、17階建のビルが建つとのこと。1-2階は南御堂関連が使い、3-17階はホテルになるらしいと聞いた。さすが大阪のど真ん中だなぁと感心しきりであった。

 ゆっくりと本堂で過ごしての帰り道。工事で狭くなった歩道を歩いていたら、向こうからやって来た若い女性が道を譲ってくれる。が、彼女、工事の塀と電柱の隙間を通ろうとしたのだが、大きな紙バッグが電柱に挟まってしまって・・・。「(せっかく道を譲ってくれたのに)ごめんねぇ」とお互いに小平選手みたいになった。(500メートル女子スケートの後の出来事)。

 知人がここに勤めているのだが、あいにく他出中で逢えなかった。来たことを同僚さんから伝えてもらうことにして再び地下鉄に乗って梅田へ。いつもの本屋さんへ行って目的の本を探す。今は、店内の本は、検索すれば棚の場所まで在庫の表示をしてくれるので助かる。が、いくら探しても見つからない。店員さんに助けてもらうことにしたら、なんと、書架の下の、いわゆるバックヤードに納まっていた。そしてもう一冊。ドキュメンタリーというか、ノンフィクションの本をゲット。
 「何かないかな?」と本を探すのはやっぱり書店だ。ネットではパラパラとめくって見ることが出来ない。

 夜は保育所へ演奏に行く者でリハーサルをした。保育園児に飽きられないようにと、ムード歌謡は選曲外だ。なかなか難しいものだ。来週からカレンダーの予定が詰まる。閑なのも困るが、予定が入るのもなかなか大変だ。


2018.2.24

 昔は役所に「宿直」というものがあった。「不寝の番」ではなくて、何事もなければ適当に寝られた。
が、前日にポマードを塗りたくった人が当番にあたっていると、もうその匂いたるや……。
 独立していた教育委員会の宿直はのんびり。近所の銭湯へ行って……と。いや、それまでは宿直室での麻雀が毎日あったという。小学校も中学校も「宿直室」というのがあって、先生も当番で宿直をしていた。今は学校の「宿直」は聞かない。どんな理由で学校も宿直をしていたのだろうか? 実に長閑な時代であった。

 一般行政の役所は、宿直二人制の時代もあり、これには少々困ったこ。それは「イビキ」である。相棒がイビキをかくと寝付けない。相手より先に寝ようと思えば思うほど寝付けなくなる。
 職場の慰安旅行の時もそうだったなぁ。イビキをかく者をみんなでそーっと廊下へ移動させて…。
廊下に出された者は、てっきり寒さで風邪を引いてしまった。

 修理に出していたドローンが帰って来た。今回は意外に早かった。送信機(リモートコントローラー)の具合も悪かったようで、そっくり新品に交換されていた。プロペラを付けずに部屋の中であれこれ設定をしたり確認をする。今年は満開の桜並木が撮影できそうだ。

 ♪春は名のみの風の寒さやー♪ の毎日だ。「三寒四温」とまではまだ早いが、早くも幼稚園と小学校の卒園卒業式の案内が来た。4月から、村の小学生は2人だけになってしまう。「鄙」というが、まさに……。国道が2本通り、JRの駅があり、かつては宿場町として誠に賑わった街道筋なのにねぇ。

 4月からの自治会の役員を選ぶのも大変だ。老人会の維持も大変だ。100年前の人がひょっこり帰って来たらビックリするだろうねぇ。

篠山市からは「魚市場」が消滅することになった。かつてはお城の近所に「魚の棚」という軽便鉄道の停車場があったり、「魚屋町」という大字は今も存在する。
 が、今や築地市場のような「魚市場」という仲買問屋は維持出来なくなった。産直なのかどうかは知らないが、大型スーパーでは新鮮な魚が主婦に大モテだ。昔ながらの「魚屋さん」はもう1軒もない。時代は大きくターンしているのがわかる。

【追記:2/25付の新聞には、「魚市場」は、農家の野菜などの出荷を受け付けていたが、閉鎖になると出荷先が遠くなって、生産者にとってはかなり大変になるので、別の場所に「仲買市場」の設置に向けての支援を検討すると報道された。「仲買市場」の経営が成り立たなくなったので閉鎖の方向が出されたが、支援をすると生き返るかどうかは難しそうに思える。流通システムが根本的に変化している構造の中では、中小規模の出荷量(流通量)では、果たして仲買としての運営が出来るかどうか。一方、「減反政策の廃止」ということがある。作業効率の悪い野菜や豆の栽培から米作」に戻っても、米の消費量は右肩下がりになっている。国家間の交渉も関係して、日本の食料は大半が輸入されている。大型スーパーは、生産者と個別契約をしての産直のシステムで、品質の管理や安定供給を実施している。私たちの目にとまる「花」も、海外から航空便でやって来るというではないか。家庭菜園なら何とかなるだろうが、爺ちゃん婆ちゃんの「2ちゃん農業」は大変だ。機械化をすると、ローンに終われて、何をしているのかわからないという。まさに負のスパイラルに入っているのではと思う。「光が強ければ影もまた濃い」(ゲーテ)のは事実だ。経済が発展すると貧富の格差も発展する。地球という一つの入れ物の中での物のやりとりであるから、半分以上ははじき出されていく。所得倍増の裏に出て来たのは「炭鉱廃止」などによる失業の増加と町の荒廃であった。要するに、人がいなくなると寂れるのである。オリンピックが開かれた所は、その後、ペンペン草が生える廃墟になっているのはよく知られているところである。対象療法的にやっても「モグラ叩き」だ。わが村も、かつて「養蚕」をやった。が、蚕の食欲を満たす桑の葉の供が間に合わず、他所から買い求めて蚕に食わせた。結局は、大きな借金だけが残ってしまったという事実がある。どうすれば良いのかねぇ。「机上の空論」では解決しない「人の欲望」の為せることなのだろうが。】

 人口は一向に右肩上がりになりそうにはない。アパート・マンションは特定のエリアに増えてはいるものの、核家族化による「世帯分離」であって、農業後継者のいない中で、農地の用途変更もあるようだ。「限界集落」というが「限界市町」になるのではないか?と、年寄は何も出来ないのに心配だけは……。

 お隣の市に出来てもう数十年のニュータウンも、老人が増えて、毎朝、公園での開かれる「太極拳」が楽しみだと言う。が、リーダーがインフルにかかると、しばらくはお休みになると……。リーダーの代行者は? と訊ねるのだが……。ロブノールやインダス文明のように、砂に埋ずもれるのは何年先のことか……。そんなに遠い先のことではなさそうだ。今から20年前に同じことを言ったら「悲観的なことを言うな」と友人が言った。が、その友人はもう逝ってしまった。「悲観的な話」は現実のものとしてヒタヒタヒと打ち寄せて来ている。

 過疎地のお坊様は、「もう先が見えて来た」と言う。集落に残っている人数がわかっているから、「後何回お葬式をしたら寺じまいになる」というのがわかっているというのだ。

 大型スーパーが独り勝ちになっているのをとやかく言うべきことではない。年寄は、そこへ行けば、たとえタクシーの相乗りであっても、何もかもが揃うのだ。昔の「小売店」は太刀打ちできない。
 いや、もうすぐ、コンビニがドローンで配達してくれるようになるらしい。すでに実験では実用段階のレベルに来ているという。

次々と逝く人を知ると、それが真理であったとしても、淋しくもあり、儚くもあり……だ。


2018.2.20

 昨夜は半年ぶりのサックスの練習会であった。みんな練習していたのか、していなかったのかはわからない。
 それでも、何とか頑張って練習をした。
 「上手くなるまで 命が持つかどうかだねぇ」と言われたのは10年前のことだった。命は大手術を乗り越えて何とか持っている。

 命が何とか持っているとなると、次々にスケジュールが入って来て、カレンダーは真っ黒だ。「先着順優先」なので、本職のスケジュールの合間に、次々と入って来る。明日からは京都・病院・京都と月末まで続く。演奏のオファーも入って来た。

 そんな中に、ドローンの修理のやりとりをサポートセンターとし、保険代理店と交わし、役所のドローン担当とも情報交換をする。突如としてコントロールを失うのだから、「空飛ぶものは必ず落ちる」ニュートンの法則だ。次からは、「大丈夫か?」と疑いながら飛ばすことになりそうだ。見た目よりも意外と損傷箇所があるものだ。見積書を見てびっくりしたが、保険が支えてくれる。

 「認知症予防薬」というものがあるらしい。「保険適用外」だが、1日の経費は100円ほどという。「私が試してみますから、住職さんにはその効果を知らせますから」と門徒の婆ちゃんがお医者の待合室で言った。ほんまに効果があるのかどうかは本人もわからないかも知れないが、そういう物が世の中にあるということだねぇ。

 ネットを見ていたら、「人類滅亡後の地球では何が起こる? 3億年後までシュミレーションすると・・・」というのを見た。
 眉唾ではないと思う。
https://www.gizmodo.jp/2016/06/if_humans_disappeared.html
サルは1億年-7千万年前に出現したという。旧人類(ネアンデルタール人)は50万年-30万年前。新人類は20万年前の出現という。
 産業革命の最たる最初は、実用になる「蒸気機関の発明」というが、これはたかだか250年前のこと。エジソンの電球は140年前のこと。

 それから人類は猛スピードで文明を開いて行った。が、後始末の方法もわからずに「原子力」を使い始めた。「走りながら考える」というが、そうは行くまい。

 人類が滅亡するのは間違いない。永久に地球を我が物にはできまい。人間は「天動説」の生き物である。いつも「自分を中心に世界が回る」と思っている。いや、思っていたいのだ。


2018.2.1

 久しぶりの晴天。福井市の友人の所は大雪で大変だろうが、篠山は山陰げにうっすらと残雪が残っているだけ。庭にはもう蕗の薹が出た。隣の神社の梅の古木にも蕾が頭を出して来た。もうそろそろ春なのだ。

 「節分草」が咲いていないかと「とある場所「を訪れたが、今年はまだちょっと早いらしい。3月中頃と案内に書いてあるが、そんな時期だったかなー?と。
真っ赤なポンチョを着て行ったが、これが結構暖かいのだねぇ。

 しかし、行く先々で「風邪のたより」だ。風邪で寝込むわけにはいかない。つまりは「一人親方」の家業?だから、この節は土日もウィークデイも詰まりに詰まっている。

 人混みを避けている。「手術の後だから、用心して!!」と知人達は気遣ってくれる。そんな中で、YouTubeをサーフィンしていると、いつか何処かで聞いたメロディーがあった。題名は『スーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャス』という。絶対に憶えられない。が、いろんなグループが演奏している。

因みに楽譜は?と探すと「あった」ねぇ。大阪まで出かけなくても良かった。いや、良かったのか悪かったのか? ウインドーショッピングも、車窓からの景色もお預けになったねぇ。

 『スーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャス』とは、これ一つで「固有名詞」だというが、意味はサッパリ解らない。「寿限無寿限無」みたいなものなのかねぇ。

 おおかた2ヶ月弱。『メリー・ウイドー・ワルツ』が通るようになった。「アクセル」の部分がしんどかったが、通るようになると、そんなに焦らなくても行けるようになった。結局はこれも、何度も何度も繰り返し練習することだったねぇ。

 明けても暮れても、来る日も来る日も、性懲りもなく、延べ250回以上練習した。スポーツは、ゴール前になるとヘトヘトに疲れてしまうだろうが、これは、ゴールが近づくのがわかる。確実に昨日よりもスムースに難関を通ることが出来るからだ。

 スキーの回転競技のように、旗門を素早く通れるようになる感じだねぇ。思わずあの「トニー・ザイラー」を思い出した。そして、『白銀は招くよ』という映画。一部分だが、YouTubeで見られるから、便利な世の中になったものだ。スキーブームがあって、神辺スキー場へ向かう下りの列車の網棚にはたくさんのスキーが乗せられていた。もう60年も前のことだった。


2018.2.10

 「予感」というのか「虫の知らせ」というのか、そういうことは何となくあるような気もする。一概に「迷信」というのではないが、過去の「経験則」から、何となく脳が思い出すのかも知れない。

 昨日、久方ぶりのお天気と無風状態なので、知人の畑に出かけてドローンの練習をした。いつもの通りに準備をしたが、何となく「おかしい 変」なのだ。

 今日は「慎重に」と、10メートル程の高度で、四角形や8の字コースの練習をゆっくりしたスピードで始めた。20分ほど過ぎたところでモニターからけたたましい「警報」が出た。、モニターを見れば、警報の中身が判るのであろうが、目は機体を追いかける。前後と左右のコントロールが暴走し、かろうじて操縦出来るのは、ラダー(左右回転)と昇降操作であった。
 
 とにかく畑の中に降ろそうとするのだが、いわゆる「ダッチロール」になっている。横滑りが立て直しにくいのだ。
 やっとこさ着地したものの、あちこち破損した。またまた「機体保険」のお世話になることになった。が、修理の日にちが随分とかかる。春の桜並木は撮影出来るのであろうか? 原因は不詳だ。

 銀座の公立小学校の標準服(制服のことか?)が話題になっている。お父さんの背広は、洋服の◆山」では4着ほど買えそうな値段だ。

 何とも言いようがないねぇ。この後始末がどうなるか、眺めていようではないか?。

 「トカゲの尻尾」は誰になるのかねぇ?

 貧富の格差が広がっている。「貧乏人は麦を食え」といった宰相がおったなぁ。


2018.2.8

 NHKで『課外授業』という番組があった。正式には『課外授業 ようこそ先輩』というのだそうだ。もう放送が終わったのかも知れない。最近は見ないようになった。いろんな人が、自分の母校を訪れて、自分の仕事と関係することを子どもたちに授業をしていた。

 私は今、古市小学校のクラブ活動で『郷土史』を子どもたちと一緒に研究している。今年のテーマは「自分の住んでいる地域の名前はどうして付けられたのか」という地名の由来を研究するのだ。そして、その息抜きに、今日は学校の小さな裏山に登ることにした。

 今から70年以上も前、都会から空襲を避けて「学童疎開」がたくさんやって来た。当然、教室も不足したので、あちらのお宮さん、こちらのお堂を借りて勉強をした。学校の裏の低い山の頂には「妙見堂」が朽ちながらも持ちこたえている。中はとても入れた状況ではないが、ここでかつての子どもたちは勉強したということを紹介した。「古市小学校第2校舎」ということであったのか・・・。

 ここまでの山道の途中には、江戸時代にあった「焼き物」の原料となる白い石が採取されていた場所も通る。何気なく見落としているが、よく見ると人の手が加わった場所と、災害で変化した場所は違うことがわかる。

 ついついいつもの「雑学」を披露することになった。

 原則として、ご本尊(仏像・ご神体)に向かって右側に手水鉢があると、そこはには神様が祀られており、右側に手水鉢がある所は仏様が祀られていると。

 これは若い日に、古老から教えられたことであった。こうして次第送りに伝えて行くこともある。

 いったい何人の子どもたちが憶えていてくれるかは、はなはだ疑問だが、とにかく期待しておこう。「何んでだろう?」と疑問を持って、いつの日か「あっ そうだったんだ!」という巡り会いが出来る人生を送って欲しいと、子どもたちに思いを寄せている。

 「1+1=2」ということをおぼえるのではなく、今有る条件の中で、「2」にするにはどうすれば良いかと頭をひねる人になって欲しいと思うのだ。

 来月はいよいよ子どもたちが「プレゼンテーション」をしてくれる。
 「これからは、相手に如何に伝えるかということが、生きて行く上でも、学校でも、職場でも、とても大事に要素になる。しっかりと原稿を見直すことが大事だぞー」と、今回の終礼は終わった。


2018.2.6

 北陸も大雪。福井市内で136㎝というではないか。「大丈夫かー? 何もしてあげられることはないが、無理をするなよー」と、友人達にメールを出した。広島の北も大雪。自然の猛威は何とも手の打ちようがない。

 東京で10㎝も積もったら、「日本沈没」のように大騒ぎをするマスコミも、東京以外のことは目も向けないとの書き込みがある。いや、その通りだ。自衛隊に出動要請をし、1500台もの車が立ち往生しているとも言う。そういう地方こそ、過疎であり、高齢化が進んでいるから、雪かきも出来ない。まるで「氷室」中にいるような状態だと思う。

どうして「東京」なのか? 「地方は切り捨て」というのが、まさにその通りだ。名護市の選挙も、その地方の方々が選んだ道だから、どうこう言う筋合いはないが、ここにも「苦渋の決断」をした人が多かったかも知れない。「金」という弾と「数」という弾が永田町から飛んで行ったであろうことは私の知らないことだったが・・・。

 大変な量の売れ残りが出たので、「もう恵方巻はやめにしよう!」と大阪から声が出たという。もともとは大阪が発祥の「こじつけ販売品」だった。東京も賛同しているらしい。「恵方巻」を煽り立てたのはマスコミだったねぇ。
 迷信を信じると、結局は自分の所に返って来る。巻き寿司を丸かじりしたら、幸せよりも救急車がやって来る確率の方が高い。
 ウン万もする巻き寿司まで出て来るというのは「過剰」過ぎる。一方では貧富の格差が広がり「子ども食堂」などというものまで開かれているのが「同じ国」の出来事なのだろうか?

節分に「豆まき」をしたものだ。あの「豆」を、「歳の数+1粒食べると幸せが来る」という。では、80歳の人が、幸せが来て欲しいとなると、81粒の豆を食う理屈になる。81粒も食べると、もしかしたら「入れ歯」は壊れるかも知れない。消化不良を起こすかも知れない。それこそ、幸せよりも先に救急車の来訪になる可能性が高い。正月の雑煮の餅が喉に詰まって亡くなられる方も少なくない。

 芸能人が不倫をした。女子アナが亡くなった。そんなことはこの世界では毎日起こっていることだ。いちいち「鬼の首を取った」が如く報道する必要がどこにある? 芸能人も女子アナも、たかが一つの職業ではないか? 「仰げば尊きお方」とは限らない。

 「ネタ切れ」なのかは知らぬが、もうチョット「ましなこと」を報道したらどうか? 他人の家の板塀に空いた節穴から覗くようなことは、もう飽き飽きしたねぇ。

 因みに、塀にわざと穴を空けておいて、「この穴覗くな」と書いておけば、覗く人が多い。「万華鏡」というオモチャがあった。あの、覗く側の筒の縁に炭の粉を塗っておいた。覗いた人は目の周りに黒い輪が出来た。みんなで「きゃっきゃっ」と大笑いをしたものだった。

 別の話だが、
「あんた、自分の顔を見てみろ!」
と言った人がおった。私はすかさず言い返したねぇ。
「デンデンムシではないので、自分の目で自分の顔は見られないんだよ!」
と。


2018.2.5

 坊さんも今は一種のサラリーマン。お布施は丸々懐には入らない。坊さんの給料は、その所属する寺から、それぞれの寺の決める基準によって支払われる。殆どの方は、「お布施」などは全部直接坊さんの懐に入るように思っておられるであろうが、そうは問屋が卸さないのである。お布施収入が少ないと、「ない袖は振れない」ので、中には、他で働いて寺へ貢いでいる坊さんもおる。

 お布施は一度法人会計に入って、諸々の事務費や荘厳費(花やロウソク等)、小修理などなどの経費も含まれた中の経費として「給与」という形で支払われる。もちろん、給与の額に応じて源泉徴収があり、その他の所得(年金や講演料など)があれば確定申告をすることになる。よって、「坊主丸儲け」というのは余程大きな寺の住職のことであって、役僧や、過疎の田舎の寺はでとても「ご縁のない話」である。

 私などは、サックスを吹いたりドローンを飛ばしたりと、のんびりしているようだが、他の寺を掛け持ちし、役所勤めをした延長線上の最終ラウンドなのだ。

 で、確定申告には未だ早いが、国税局のHPでの「申告書」で作成にとりかかった。心当たりの所からは全て「源泉徴収票」が届いたからである。

 先日から「高額医療費の手続きをしてください」と役所から案内があったので出かけて行った。そのとき、「確定申告」で「医療費控除が出来る」というから、領収書を掻き集めて試算をしてみた。
 友人が長い間病気と向き合っていて、奥さんが、「領収書をしっかり持っていないと、確定申告に必要だから」と言っていたのも思い出した。

 私の場合は保険の給付もあったのと、自己負担に対する「限度額制度」というのがあって、無茶苦茶の高額支払いはなかったが、それでも保険の給付とお見舞いを頂いたのが随分助かった。

 が、いくら領収書をひねくり廻しても「医療費控除額」は0円しか出てこない。医療費控除は出なくても良いと思うことにした。欲深い坊主でない方が良いかも知れないねぇ。まあそれでもちょっとだけだが源泉徴収額からの還付金が出る計算になった。

 地元の小学校の課外授業。「郷土の地名を調べる」という課題である。子どもたちはグループで自分の住んでいる集落の名前の由来を探訪するのだ。

 私は答えを出さない。が、それでも最終回には私の研究のまとめを紹介しようと思った。篠山藩の西の関所跡を確認しに行って写真も撮った。

 一つのことにこだわると、次々に新しい発見がある。子どもたちに、そんな面白い方法を伝えようとしている。「勉強とは暗記することではない」ということを伝えたい。

 いやなに、とにかく忙しい。フィールドワークも、お勤めも、何とか委員会も、サックスもだ。深夜に作業が終わるまで、ペースケも傍を離れない。自分も「家族の一員」だと思っているようだ。我が家のモフモフは赤ちゃんの時から「触られ馴れ」しているのだ。,ネコの髭は一体何本生えているのか数えてみた。短いのも入れると14本だった。


2018.2.1

 戦後20年が経過して(と言っても、いつの戦争だか知らない人が過半数になった)、日本も復興が進み、安保条約が締結され、改定され、東京オリンピックが開かれ、皇太子と美智子さんが結婚されお馬車のパレードがあり、カラーテレビが売り出され、大阪万博が開かれ、右肩上がりの社会情勢になっていた。

 ベトナム戦争が大きな話題になり、学生や若者達の中には「反戦」が広がって行った。海外から入ってくる音楽は耳に新しいものであった。

 ビートルズがやって来た。そして、「フォークソング」が世界に広まり、ロックンロールが後を追い上げて行った。

 ラジオではリクエストに応えてレコードをかけてくれる番組に若者は耳を傾け、「名曲喫茶」や「歌声喫茶」も流行した。そしてあのディスコ「ジュリアナ東京」へと繋がって行った。ジュリアナの「お立ち台」にいた人たちは「アラサー」か「アラフォー」になっているのだろうなぁ。

 ふと思い出すのは『ハチのムサトは死んだのさ』『涙をこえて』『風』『戦争を知らない子供たち』など。50年という月日は、あっと言う間に過ぎて行った。そしてその間に、世界はものすごい勢いで変化した。あの当時の歌は「新鮮」に感じたなぁ。今はもう、メロディーも歌詞も出尽くしたのではと思う。のっぺらぼうのメロディーで、「詩」ではなくて「御託」みたいな歌詞だなぁ。

 「医師法」という法律に『応召義務』という項目があるということを先日初めて知った。昔から「医は仁術である」という言葉だけは知っていた。が、いつか、あるいは、いつの日か、いつの時期かに「医は算術である」という時があったらしい。

 『医師法』を見た
第19条 診療に従事する医師は、診察治療の求があった場合には、正当な事由がなければ、これを拒んではならない。
2 診察若しくは検案をし、又は出産に立ち会つた医師は、診断書若しくは検案書又は出生証明書若しくは死産証書の交付の求があつた場合には、正当の事由がなければ、これを拒んではならない。

 「この条文は明治41年の『警察処罰令』3条7号から引き継いでいて、当時は個人開業医が殆どであって、現在の医療体制は大きく進歩している。なので、この「応召義務」は医師の労働条件を侵奪するようなものであって、規定を設けることは如何なものか」という意見もある。

 医師の「応召義務」は多分に「医の倫理観」に基づいているものだと思う。緊急性のあるもの、貧者の要請、などなど、具体的に義務の内容を検討されている意見もある。

 医の倫理については、1999年6月23日に東北大学病院の前で交通事故にあった女子高生が、その病院に運ばれずに、他の施設へ救急車で運ばれ、3時間後に亡くなったということがあった。

 医師1000人、1300のベッドを有する有数の大学病院が、目の前で起こった「応召」を結果的には拒絶したのであった。

 この大学病院は、社会からの「非難」を受けて、医療のあり方を変革したという。いつも誰かの命が犠牲になって目を覚ます。ホームのドアーもそうだ。歩道の点字ブロックもそうだ。

 「医師の応召義務」というものは、医が「白い巨塔」ではなくて、「患者の目線に立て!」と示していることだと思う。「正統な事由」とは「言いわけ」ではなくて、誰が見ても納得する医師のその時の状況ということになる。医は医師の精一杯の仁術なのだと思う。

 私などの医療費は、私が払う個人負担分は1割であるから、窓口で「200円です」と言われて思わず聞き返すこともあったが、その時の私の医療費は2000円なのだ。聴診器で胸の音を聞いて、口の中を診て、「風邪やなぁ。うがいをして消炎剤を飲んで…」と診断が下りる。

 「医薬分業」になったので、また時間がかかる。つまりまた薬剤師が「お加減はどうですか? 熱はありますか?」などと「問診」をするのだ。

 「診察は先ほど終わっているから、あなたは医薬品が重複して処方されていないか、量は安全な範囲なのかを薬剤的に判断すれば良いのであって、あなたにもう一度問診を受けることはないのだ」と最初の頃は言いたかったが最近は馴れた。

 医薬分業になって、消費される紙の量が増えた。処方箋に領収書eyc+ビニール袋。

 処方箋の代わりに、SDカード(チップ)にすれば、パチンコの景品を買い取ってくれるあの循環方式がとれると思うが?

 因みにパチンコの景品は「ライターの石」であったり、夜店の「バッチ」見たいな、通常は価格に相応しない物だったねぇ。

 全国共通で共同利用をすれば、1億2千万個ほどの需要になるので、1メガほどの容量もあれば十分だから(それ以上の容量にすると、他に転用されるから)、1個50円もしないで製品が出来ると思う。そうすると、貴重な森林資源の消費を抑え、プリンターのインクの消費も抑え、転記の手間も抑えられると思う。

 「薬九層倍」というから、医薬業界で提供してはどうかねぇ。

 「セカンド・オピニオン」も「インフォームド・コンセント」も、患者をたらい回しをしたり、我が物のように引き寄せたりする「算術」に抗していく社会の声によって生み出されて来た。

 翻って、「寺」をみると、「寺(仏事)」にも「セカンド・オピニオン」や「インフォームド・コンセント」が必要だと思うねぇ。

 「檀家を変わること」(寺を変えること)は、とんでもないことではない。

それぞれの人の「宗教」というものへの見方も変化しているであろうし、当然「必要性」も個々に違うだろう。

 今は「西方浄土という所に阿弥陀仏がいて…」ということは知っていても、「東方浄土には薬師仏がいて…」ということはあまり知られていない。「薬師仏のはたらき」は「医薬の進歩によって取って変わられた」と言われた方があった。

 科学の進歩によって「死」の問題が解決すると「西方浄土…」も役割が終わるかも知れないねぇ。

 明治という時代になる迄は、それこそあちこちの村に「陰陽師」という職業の人が業界免許を得て、呪術的なこともやっていたのだから、時代が変わると、人々の宗教観も変化して行く可能性ある。

 100年も後になると、「あちこちの村々に寺というものがあって、僧侶という人が住んでいて、人が亡くなると葬式という儀式をしていたものだ」という具合になるかも知れない。

 お葬式や法事の「儀式」の部分だけをやっていたら、早晩、「寺は不用」ということになる可能性は高い。

 昨日の朝からネットに繋がらなくなった。突如である。11月の退院直後にもそういうことが起こった。「あーでも、こーでも」とやるが、とどのつまりは「ブロードバンドルーター」を認識しない。

 「またあの時と一緒か」と思ってお店に買いに行った。夕方から取り換えてやっていると、やっとネットと接続した。
 配線の煩雑さを整理して再びアクセスすると「元の木阿弥」になっているではないか。「月食」も見たいし、PCとルーターの間を言ったり来たり。こういうことを一人でやると効率が悪い。

 結局昨晩は回復しなかった。

 今朝からもう一度、「ケーブル・テスター」を使って一本一本のLANケーブルをテスト。ルーターに1本づつ繋いで行って、やっと具合の悪い回路を見つけた。昨夜は正常だった「無線LAN」が入っている回路がおかしい。これを取っ払うとLAN全体が正常になる。端末に入ってる物が全体に影響するなどとは考えなかった。端末にはそれぞれ3台の「無線LAN」が入っているが、こんなことは初めてであった。

 ルーターやハブは、高速でスイッチングされているのであるから、影響が逆流して来るとは思わなかったねぇ。

 夜な夜な、iPadで「ラジオ深夜便」を聴き、カミさんがネットに繋いでいるので「無線LAN」は必要。またまた物入りになってしまった。「ブロードバンドルーター」は結果的には異常はなかった。


2018.1.29

 穏やかなお天気になったので、久しぶりにドローンの練習に出かけることにした。冷え切っているバッテリーをファンヒーターの前に置いて暖めていたら、ちょっと暖まりすぎて、プラスチックが曲がった。しかし、機体には何とか装着できたので慎重に離陸する。

 雪も大方溶けて、土筆や蕗の薹が頭を出しそうな土の感触であった。農家の方はもう栗の木の世話に掛かっていた。
 「木を大きくしないで実を付ける方法が今は奨励されているが、一度大きくなってしまった木を低くするには3年ほど収穫を諦めないと…」とのことであった。篠山の栗はよく手入れされていて美味しい。脚立から落ちないように…。

 田圃の上で飛行訓練をしていると、電車がよく通る。「丹波路快速」、「特急こうのとり」だ。余り近づくとエライコトになるので、離れた所から画面に納める。
 上空120メートルからの眺望は、相変わらず「平々凡々」である。何事も「平々凡々」がよい。


2018.1.23

 大きな牡丹雪が舞い落ちて来たので、大雪が来ては大変と、灯油が乏しくなった夕暮れの中をガソリンスタンドへ行く。一夜明けて「さぞかし…」と表を見ると普段通りの景色だった。「備えあれば憂いなし」か。長靴を履いてお参りに行かねばと覚悟していたが、普段の雪駄で充分であった。

 それにしても東京の雪は大変だねぇ。雪国と大都会とでは経験則も違うから、それぞれ個人も対策が違うのかも知れない。が、雪国も少子高齢化は避けられず、除雪作業もままならないというから、大変な世の中になって来た。80歳にもなった女性が一人でコツコツと除雪をしている姿など、想像に絶する。

 そんな中に草津温泉の近くで火山が噴火したという。被害がこれ以上広がらないことを念ずるのみだ。そしてまた「不倫」のニュース。「論文の不正」と、あんまり気持ちの良くないことが取り上げられる。いえなに、私は個人的には鈴木雅之の歌は大好きなのです。芸能人は素晴らしい芸を提供してくれれば良いと思うのです。

 京大の山中さんは大変だ。リーダーとしての立場が彼を辛い目に合わせる。「監督責任」と言われても、全てが見えているわけではない。ポジションが上がると、まるで毎日が「綱渡り」になって来る。どこで「ヘマ」を打たれるか判らないのが多いから。
 「何を考えとるのか判からん奴」という言葉があるが、時折そういうのがおると意思の疎通が損なわれる。つまり「風穴」が詰まるのである。
 「自動車を運転してはならない」と訓示をし、誓約書をとっていても「やる」から困ったものだ。仏教では、「人間という生き物は困った存在だ」ということが前提になっている。

 昨日、キーボードの大掃除をした。蓋を開け、バラバラに分解する。細かいゴミが一杯だ。台所用洗剤を使ってきれいに水洗いをする。摺動部に「プラスチック用グリス」を少量塗って組み上げると、キーが軋まずにスムースに動いてくれるようになった。これで随分と楽になった。「一手間」かけることで身の回りが解決するねぇ。サキソフォーンも吹きっぱなしではなくて、その都度丁寧に拭いておくことが大事。

 サキソフォーンという楽器は「レ」が出にくいと教わったし、自分でもそう思っている。何となく中間部の「レ」が出にくい時がある。前の音階との関係があるようだ。管体が共鳴しているところへ「レ」を吹くと、無理矢理共鳴を変えようとすることによる「管の反抗」が起こっているかのようである。どうもサキソフォーンの「レ」は、海でいうと「潮目」のような所なのかも知れない。

 が、ちょっとややこしいが、左手の掌の中に居るサイドキーの一番下(サムレストに近いサイドキー)を押すと、「レ」がきれいに出る。何となくこもったような、鼻づまりのような「レ」ではなくて、すかっとした秋晴れのような音色の「レ」が出る。これってへんなのかなぁ? テナーでの挑戦で『メリー・ウイドー・ワルツ』の「ト調」は「レ」が一杯出て来るのです。

「シ・ド・シー」(16分・16分・4分1)となる所を左手でやると、「人差し指」と「中指」が交互に動くことになる。が、これがソプラノサックスの管体を揺らし、リードが揺れて音がびびってくる。いえなに、老人になると管体を保持する力が不足して来るのですなぁ。左手の「人差し指」で「シ」を出し、そのままで右手でサイドキーの真ん中のキーを押すと「ド」が出るのですなぁ。ジュリアン・スミスの『サムウエアー』に出て来る場所なのです。

と言いながら。また一日が過ぎて行ったのであります。

 昨夜の『はぐれ署長の殺人急行 3時間スペシャル』は面白かった。他に見るべき物がなかったのも一因かも知れないが、推理小説的なのが目を離せなかった。「ヒチコック的展開」と「ピーター・フォークの刑事物」との二種類の展開があるが、今回は前者のように視聴者に最初に犯人をわからせない手法だった。

 「ピーター・フォークの刑事物」は、最初に犯人が誰であるかを視聴者に見せてしまい、それを刑事のピーター・フォークが探り出して行くという手法だから、視聴者は気楽に展開を見ていれば良いが、ヒチコック的な手法は場を外すことが出来ない。

 見落としたのかどうかは解らないが、25年前の事件に起因する事件だったが、同年にあった「誘拐事件」のことが触れられたのに、その結果は何も出て来なかったのは何故だろう。

 小節には「伏線」というものが張られているもので、未解決の、それも警察内部での情報漏洩により身代金をまんまと取られた事件であることを出しておきながら、その事件は宙ぶらりんの結末だった。

 視聴者をその事件に誘導するかのように展開しながら、そうではない事件へと変わって行く。「カナエ」という画家(イラストレーター)の恋人が、25年前に誘拐された少年だったのでは?と推理していたが、何も触れられなかったのは少々「消化不良」を生じたねぇ。「ハッピーエンド」に馴らされたのか、「あれはどうなった?」と思わざるを得なかった。

「憎しみが憎しみを再生産する」という言葉があるが、まさにそのような「筋」であった。「ループを断ち切る」ということは心情的に難しいことではあるが、「児童虐待」も「負の連鎖」の一因であると言われている。

 浄土宗の祖である法然上人は、幼少の頃に父が夜襲にあって殺されるのだが、彼の父は、「仇討ちはするな。仇を討つとまた仇が生じる」と、法然に仇討ちをするなと言い残したと言われる。「負の連鎖」を何処かで断ち切るということが大事なのだが。これは全ての事柄に通じることである。


2018.1.20

 ちょっと見は何も変わっていないが、世の中は少しずつわからないような形で変化している。コンビニのおにぎりの飯の量が少なくなった。竹輪が少し細く短くなった。そう言えば、法事のお斎の仕出し料理の刺身のマグロが小さくなった。いや、マグロがいない刺身もある。

 回転鮨の経営も大変だと言う。イカの不漁、マグロの高値。モヤシは中国産の豆を使っているが、これも高値になって採算が合わないとか。
 量を小さくできる所はまだ対応ができても、その設備を改良するということまで行けない業種もあるという。
 「お父さん このインスタントうどんは、 大きい方も小さい方も値段が一緒だよ」
という。
 「まあ、作る手間は一緒だから、うどんが少しばかり少なくても、値段を一緒にしないと採算があわんのやろう」
と言わざるを得ない。
どこの居酒屋へ行っても、メニューは殆ど一緒だし、どうも板場にいるのは修行をした料理人ではなくて、マニュアル通りにやっている「学生バイト」に見えて仕方がない。素人の料理?を金を払って食うのかねぇ?

 どっぷりと「タバスコ」をぶっかけないと食えない「ピザ」なんて存在していて良いのか?
 キャベツの千切りで量をごまかしているってのは「許容範囲」なのか? 生の千切りではなくて、キャベツのシチューは出せないのかねぇ。出せないねぇ。採算に合わないから。

 嗚呼、もうみんなレトルト食品というエサを食っているのだねぇ。レトルトが「あかん」と言っているのではない。しかし、かつて母親が作ってくれた、ホッペタが落ちる思いで食べたロールキャベツはどこにもなくなってしまったのだ。
 人の脳は、幼い頃に食べたものを憶えていて、歳を取ったら幼い時に食べた物を好んで食うようになるという。
 
 いつだったか、コンビニに美味そうな「おでん」が並んでいた。カミさんもそう思ったと言う。食卓に出て来て、熱燗を一杯飲んでパクついたら、何とも味気ないものであった。二人して、
「買うのではなかった」
と。

 「食」というものは、ただ腹が満たされれば良いということではない。「栄養価」が足りていれば良いというものでもない。
 「早飯早糞芸の内」というが、ガサガサと飯をかき込むのも大変宜しくない。贅沢な物を喰うことでもない。「めざしに冷や飯」でも良いのだ。「食」はその人をどんな「人」にするかという大事な要素を持っている。贅沢な物を喰うことでもない。要は、「エサ」を食う環境で食事をしないということである。

 かつてイタリアの昼の休みの時間は長くて、家に帰って昼食をとったという。大きな皿に薄く切ったハムが2枚ほど盛られている。パンをちぎり、ナイフとフォークを使って、このハムを楽しんでいる姿を紹介していた番組があった。
 試しに朝の食パンと目玉焼きを、ナイフとフォークで食ってみた。いや、実に豪勢な気分になった。が、これって要するに「不器用」な民族が考えた食器である。自分で切って食うというのだから、調理人は「大ざっぱ」だったということだ。挟むと言うことが出来ないから「突き刺す」。「先割れスプーン」は民族文化を台無しにしてしまうねぇ。いや、台無しの人間に食わせる手段として出て来たのかもしれない。

 最近は丼にもスプーンがついて来る。これはきれいにすくえて便利だが、鉛筆も削れない、箸も鉛筆もまともに握れなくなっている現状に拍車をかけるようなものだ。ねじ回しが使えない大卒がおるという。世は「末世」を越えて「滅世」に突入している。

 因みに料理の中で一番簡単なのは「卵かけごはん」だと。が、これで結構客が来るというから不思議だ。これを「料理」というのかねぇ?。
 が、子どもの頃、「卵かけご飯」という物は贅沢なものだった。とにかく「卵」「季節外れのミカン」「バナナ」「牛肉」「巻き寿司」などという物は、年に一度出て来ればラッキーなのである。「水蜜桃」の缶詰、「パイナップルの缶詰」などという物が世の中に存在すること自体知らなかった。


2018.1.19

 先日、随分時間が経ってからの「『たそがれコンサート』の打ち上げ」兼「私の快気?祝い?」兼「新年会」が居酒屋で開かれた。チョットだけアルコールも頂いての「懇親会」であった。

 「総胆管癌」という病気が見つかり、十二指腸や胆嚢を切除し膵臓も膵頭部を切除するという大手術だったが、腹部の違和感は一生続くと言われた。神戸淡路大地震の翌年に肺気腫の開胸手術を受けたが、そのあと、寒さや雨天ではきっちり何となく傷跡が疼く。実際は傷跡ではなくて、脳が記憶しているのだという。

 アナウンサーの辛抱治郎氏が同じ病気だったということを発見したと以前に書いたが、今日はテレビの番組で安藤忠雄氏も同じ病だという。「病名を聞かされた時は動転したが、腹を括った」と言った。私もそうだった。「いつかは死ぬのだが、もうちょっと此の世におりたいものだ」と思ったねぇ。

 安藤氏は膵臓も摘出し、血糖値を毎日測り、インシュリンの注射で対応しているという。そんな中で、 毎週1回は東京に出向き、病と向き合いながら元気に仕事もこなしていると。しかも一日1万歩も歩くという。「内臓がないので、身体全体でおぎなうのだ」と言っていた。

 「同病相憐れむ」というが、前に向いて生きている人のことを知ると「私も頑張ろう」という思いが湧いてくる。

 『メリー・ウイドー・ワルツ』も、毎日毎日練習していると随分進歩して来た。プロではないから「初見」で演奏するなどと言うことは絶対不可能だし、「accel」でぶっ飛ばしていく所などは、まだまだ「亀にブレーキ」みたいだが、目下はイメージをたたき込む所までやって来た。オクターブ上げて行くところなどはなかなか快調になって来た。
 「ワルツ」なのだから、3拍子が均等にかかれているものの、それではダンスが踊れない。「ブンチャッチャ ブンチャッチャ」というリズムなのだ。それに気がついたのはつい先日のことだ。

 このバージョンを採譜してくれたピアニストは、「この曲をあなたが吹くのですか?」とビックリしていたが、いえなに、元気で練習していれば夏には流暢に吹けるようになるだろうて。

昨夜は京都の山科で懇親会があった。豪勢な「すき焼き」と「しゃぶしゃぶ」であった。チョットだけ会費が集められ、後は何処かからお金が回ったのかも知れない。みんなが小さな歓声を上げたのは、大皿に山盛りの野菜が出て来たからだ。昨今白菜が高値で品薄なのだ。盛られたテッペンには直径10㎝もあろうかと思う椎茸。白菜がどっさり。お肉はお皿にボタンの花のように盛り付けてあった。柔らかなお肉であったが、セールスポイントは「美味しそうに見せる演出」であるねぇ。

 帰りが大変。少々ビールを頂いたのでトイレが近くなる。料亭で・山科駅で・新大阪での特急で・乗り換えの駅でと、帰宅するまでに4回もだ。歳は取りたくないねぇ。
 
 季節外れ(?)の食事会がまた入る。春までに3-4回はありそうだ。「会費貧乏」になる。量は要らないから飛びきり美味い物を味わいたい。

 最近はどこも同じ味になっているように思える。半日以上も火にかけて仕上げた野菜シチューや、コトコトと煮詰めたビーフシチューなど、ついぞ味わうことがなくなった。ことに、まずくなったのが「ロールキャベツ」だ、母親が手作りでやっていたロールキャベツは「美味」であった。黒胡椒を振りかけた分厚いビーフステーキなどはどこへ行ったのだろうか。

こういうことを書くと大変不謹慎になるご時世だが、テレビは「食う物」ばっかりやっているよう思えてならない。制作費が乏しくなると、お笑いの楽屋話で「尺」を稼ぎ、「食い物」でコマを埋める。「民放はタダ」と思うだろうが、スポンサーの放送料はきっちり商品に上乗せされていることを忘れないことだ。「タダより高いものはない」と昔から言うぞ。


2018.1.14

 午前中は満中陰の法事。本堂でお勤めが終わり、お墓へ納骨に行く。余りの寒さに、お骨を入れる前の石が凍り付いて動かない。
あれこれ工夫して何とか石が動いて無事に納骨が終わった。長い間住職をして、何度も納骨に立ち会ったが、こんなことは初めてのことであった。

 午後からは「湯治」に行く。篠山市の一番北の所にある「草山温泉観音湯」へ行って来た。篠山口からは、平日は6往復、土日祝日は3往復のバスが運行している。

 温泉の営業は、以前は毎日だったように記憶するが、改築があってから暫く営業が止まっており、今は金・土・日だけのようだ。(祝日の標記はない。)
 運営は「一般社団法人大谷草山地域振興会」という地域住民らの参加する団体である。近くには「大谷西紀記念館」やグランドゴルフ場、宿泊施設などがある鄙びた地域の一画にある温泉だ。

 京都(福知山市)との県境に近いので、お客さんの車のナンバーは「京都」が殆どだった。中高年カップルの休日の癒やしには持って来いかも知れない。

 ゆったりと湯船に浸かってを暖たまると、「湯治」に来たような気分になる。休憩室で横になり、テレビの音を聴きつつ、30分ほど寝入ってしまった。

 帰りの道へ出たところに農家の「無人販売店」があった。白菜が並んでいて、「1パック100円」だ。枯れた竹筒があって100円玉を入れるようになっている。野菜が不足して…と言われているので1パックを買い求めた。

「お湯」は11時から17時まで。コーヒー100円、お水は無料だ。かつては簡易食堂があったが今はない。自分が食べるものは持参するか、隣にレストランがあるのでそこを利用するかだ。

 が、とにかくゆったりとお湯に浸かれる温泉であった。実は、営業が金土日であるというのは昨夜知ったのだった。
 
 三田の南、神戸市北区の北にある「鹿の子温泉」もよく行ったものだった。ここには電気風呂がって、腰痛に効いた気持ちがしたものだった。また足を延ばして訪れることにしよう。


2018.1.13

 お昼を頂いて、ふと時計を見ると。「まだ大丈夫だなぁ」と着替えて駅に向かう。先日卸したバンドレンのリードがやっぱり馴染めない。

 順調に走っていた電車が尼崎でつっかえた。先を走る電車が遅れているから、閉塞区間へ入れない。やっと動いて、いよいよ大阪駅に到着するも、先ほどの電車がホームで立ち往生している。その先が赤だから進めないのだ。こっちの電車も目の前にホームがあるのに進入できないのだ。
 湖西線がたびたび風の影響で遅れるが、それが京都から神戸線にまで及ぶらしい。先日の雪の中での15時間の立ち往生と比較すればちょっとした時間だが、乗客の中には苛つく人もあった。「狭い日本 そんなに急いでどこへ行く」というのがあったが、それぞれそれなりの急ぎの用事があるらしい。

 駅の北側の歩道では、寒風の中にあってもストリート・ミュージシャンが二組演奏していた。いつもやっているプレーヤーであった。

 テクテクと地下街を歩いて(風をさけて)店に行く。リコのソフトを2箱ゲットする。この中に1枚ずつでも良いのがあればラッキーなのだ。もうまるで「福袋」みたいな感じだ。

 補聴器の落下防止にイヤリングの金具を使って工夫しているが、着いている宝石(人造宝石)を珊瑚に変えて欲しいとのカミさんの希望。装飾品のパーツ屋さんで探すが、なかなか具合の良いのがない。こういう物は嗜好品だから、本人を連れてこないと…。が、花の都で爺様と婆様が歩くのは大変だ。とにかく、歳をとるとお互いに歩くスピードが違うのだ。迷子にさせぬように連れ歩くのは大変だぞー。

 とにかく目的の物はゲットして夕方のお勤めの時間までに帰れた。「なむー」だ。


2018.1.11

 歳をとると一日が誠に「せわしい」と言うのか「のんびり」と言うのか良くわからない。朝から歯医者さんへ行く。入れ歯の調整という名目だが、入れ歯になじめない。「奮闘努力」をしても2-3時間。歯医者さんは既にお見通しだ。歯の根元が細くなって、時折「ビビっ」と来る。レントゲンを撮って、電気刺激で神経の状況を調べてもらったら、「生きている」とのこと。合成樹脂で根元を補強してもらう。
 「痛かったら手を挙げて合図して下さい」と言われ、どんな痛さかと心配していたら、電気に触れて感電したときと同じ痛さの味であった。手が忙しい。
 お医者さんはどこで聞いたのか、私の大手術のことを知っていた。「回復は食うことから」と、歯のことと絡めて暫し雑談であった。
 
 その後、「高額医療費」のことで市役所へ行く。健康保険での支払いと「限度額制度」があるので、病院へ支払ったのは昔のように「目を剥く」ような金額ではなかったが、それでも払い戻しがあるという。

 その後、今度は「情報政策係」のところへ。ここはドローンも担当しているのだ。インスパイアー1が2機配備されている。時折情報交換したり教えてもらったり。今日は「プロペラガード」についてだ。ゲットしたのを持って行って、「まだ試運転していないけど、良さそうだ」などと…。

 午後からは寒風ソヨソヨと吹き通るいつものフライト場へ。車の暖気吹き出し口近くにバッテリーを置いて保温しつつ、プロペラガード着装の試運転をする。
 「プロペラガード」を付けると、心なしかゆったりした舵の利き具合に感じる。意外とこの「プロペラガード」は良く見えて、機体の姿勢認識が高くなる。前後の標識灯とあいまって、頭方向もよくわかる。
 チョット高度を稼いで地表100メートルほど上げても見失うことはない。着けたり外したりと面倒ではあるが、それなりの利点は充分ある。

 「おー寒む!!」と帰って来て、今度はサックスの練習だ。具合の良かったリードも、半年も使うとへたって来た。替え時だなぁと新品を卸す。が、「ハズレ」であった。どうもスムースに音階が出ない。「レ」が出にくいリードは、どんなに削っても駄目であるということは経験して来た。
 もう一枚を卸す。これは良い音色で全ての音階がスムースに出る。3オクターブ高い「フラジオ」直前の音程も良く通る。リードはどこのメーカーであっても1箱に2枚良いのがあればラッキーなのだ。因みに今回卸したのバンドレンの「#2」である。

 こうして今日のお日様のある時間が暮れていった。


2018.1.10

◆第1話
 今日は村の「十日戎」だった。昔は賑やかに行われ、参拝客もひっきりなしの状況だったが、準備する側も参る側も歳をとったのだろう。誠に静かな一日であった。祭りの「幟」が上がっていなければ「十日戎」とは気が付かない。
 露天商が「回転焼」の店を出していたので、カミさんと1個ずついただこうかと買いに行ったら、客も少なかったのか、早々に店じまいをしていた。
 祝儀物の「吉兆笹」は予定通りに売れたのか? こういう行事がいつまで続けられるか、田舎の将来は誠に危惧大きものがある。


◆第2話
 「バツ1」という言葉があるが、そもそもどこから出て来たのかということだ。

 かつて「戸籍」というものは手書きで書かれていた。「ネズミ筆」という極細の毛筆を使って書いていた。役場の戸籍係は、出勤すると墨を擦ることから仕事が始まった。

 そんな時代であるから、1角多い字や1角少ない字、偏と旁が違っていて、実際には無い字が書き込まれたりということが多く、戸籍のコンピュータ化の時に大変困ったものであった。手書きから一気にコンピュータに移ったのではなくて、「和文タイプ」の時代があった。ややこしい「活字に無い字」は空けておいて、後で手書きをしたものであった。人偏に名と言う字が実際に届けられたというが、これは「いたろう」と読むのだそうだ。こんな字は「有りそうで無い」のである。

 戸籍簿の上2/3ほどは「縦罫」になっており、「身分事項」という、事実が生じたことや日付が記載される。たとえば、
 「明治参拾弐年壱拾壱月弐拾弐日広島県三原郡下滝村大字小滝壱拾四番地ニテ出生父栄治郎届出㊞」
というように書かれる。地名以外の数字の1.2.3は改竄(かいざん)されないように漢字で書かれ、文末には小さな村長の印鑑が押される。この印鑑のことを「文末印」とか「止め印」と言って、文字が書き加えられないように押されたものである。
 「訂正印」という小さな小判形のハンコがあったが、文末印は「丸」か「四角」であった。

下の欄には枠があって、戸籍筆頭者、父、母、子などの家族(同一戸籍内の者)の名前が、父母の名前と生年月日と共にその枠の中に書かれていた。
この下欄の中で、結婚してこの戸籍から出て行った者や、死去した者、あるいは離婚して戸籍から外れていった者は、この枠に「×」の線が書かれ、上欄にその事実の発生した日などが書き加えられる。

 この「×」の線が、やがて「バツイチ」という言葉の発生になる。が、仮に離婚して戸籍から除かれた者は「バツ1」になっても、再婚すると、新しい戸籍が作られるか、相手の戸籍に入ると、「バツ1」のことは書かれない。
 「×」が残るのは「戸籍筆頭者」の戸籍に残って行く者の戸籍の記載に存在するのである。
 「パっと見」は不公平な記述である。
 「バツイチ」という言葉が独立して用いられるようになってから「バツ2」などという言葉が派生して来た。
今の時代は戸籍がコンピュータ化されたので「×」などは書き込まれず、「除籍」と表示され、死去や離婚や結婚して戸籍を離れていった日付けが記録されることになる。もちろん、これも筆頭者の戸籍だけに記載され、戸籍から外れて行った者の新たな戸籍には記載されない。
20年程も前に、戸籍も担当する部署の課長だったが、随分と仕組みも忘れたことがある。
 「戸籍」とはつまりは「家制度」であり、「家籍」ということである。「新宅」「分家」なども同様の観念である。
 「バツイチ」という言葉は、コンピュータ化される前の戸籍の記載方法から出現した言葉である。


◆第3話
 元気な間に自分のお葬式の用意をされる方が時々おられる。これも「終活」のひとつだろう。素敵な笑顔の大きな写真があった。しかも額に入っている。
 「“これをワシの葬式の写真にしてくれ”とお爺ちゃんが言っていた」と家族が言う。
 「この笑顔はステキだねぇ」と私も見入ったのであった。

 ところが、「お通夜」にお参りして、ふと顔を上げると、昨日見た写真と違うのだ。いかめしい顔をして、しかも八方睨みの顔が、違う服の上に貼り付けられている。昔よくあった「顔のすげ替え」というやつだ。爺様の遺言はどこへ行ったのか? 彼の「終活」は無視されてしまったことになる。

 お婆ちゃんが亡くなった。例によって「遺影」の写真を探す。お花畑の中で、花にかこまれた笑顔の写真があった。
 「これが良い これがステキだ」と。

 が、「お通夜」に行ってビックリした。背景の花はどこへ行ったのか? 着物もすげ替えられてしまっている。これも一夜の出来事だ。『花はどこへ行った』というフォークソングがあった。

 どっちの遺影も一夜の出来事であった。
 「またあんたの仕業か?!!」と。

 遺族は経験がない。
 「遺影はこうするものです」と言い張られると、仕方なく従うようになるのかも知れない。「赤子の手をひねる」ような営業が時々ある。


◆第4話
 昨年末も例年の如く「喪中はがき」がたくさん来た。

 そもそも「喪中はがき」というものは、「家族が亡くなって哀しみを引きずりながら、在りし日のことを思い、他人がワイワイと賑やかに暮らしていることとは別の観念空間でひっそりと慎みながら暮らしていますよと」いうことを伝えるたるめのものであって、単純に「年賀状を出しません」ということではない。

 何故年賀状を出さないのかという意味があるのですなぁ。

 年賀状を出さないと、相手は、
 「あの人 亡くなったのかな?」とか、
 「何か気に障ることがあって年賀状をくれなかったのかな?」
などと、いろいろ気を巡らすのである。いや、私などは現実にどちらの場合も、何度も経験している。

 みんなは楽しい?お正月を過ごしているが、きっとあの人はひっそりと普通の日を送っているだろうから、年頭にあたって「寒中見舞い」でも送って、近況を疎通させようかと思うのである。

 ところが世の中は不思議なもので、満中陰も済まないうちからカラオケに行き、スナックに通い、海外旅行に行き、孫の結婚式の祝宴に出席し…。
 これでは何のための「喪中」なのか? 日本郵便会社の売り上げに協力しているに過ぎない。

 そもそも本来はどういうことが元になっているのかということを知らないと、やることなすことが「トンチンカン」になってしまう。これを厳しい言葉で言うと「節操がない」というのである。
 出来もしない「喪中」や「忌中」は、初めからしなければよいのだ。しないからといって、今まで天罰が下った者はいない。といって、タガを外した生活をしていると、「天知る 地知る 己知る」ということになるわなぁ。


◆第5話
 ビックリしたのは「ドーピング」だ。仲間の水筒に筋力増強剤を粉末にしてコッソリ入れたという。試合後のドーピング検査できっちり出場停止処分になった。用具を隠したこともあったというではないか。
 「今日の友は明日の敵」か?
 「泥棒を捕らえてみれば我が子なり」
という諺もある。

 自分の順位が上がることだけを考えたふとした「魔」かも知れないが、回りに及ぼした影響は大きなものがある。恐くなって申し出たそうだが、その時は最早…。

 戦国時代に有名な話がある。
 「敵に塩を送る」ということがあった。
 回りを取り囲まれ「経済封鎖」になって「塩」に困っている武田信玄に対して、普段は敵対している上杉謙信が武田に「塩」を送ったというのである。

 芸能人やスポーツ人がやたらと世界のコメンテーターみたいにテレビに出て来る。「出てはいかん」と言うのではなくて、彼らの言葉を「鵜呑み」にしてはいけない。「えーじゃないか」と浮かれている場合ではない。


2018.1.7

 1969年、『涙をこえて』という歌がヒットした。私は当時まだ25歳。青春の真っ最中だった。「シングアウト」というグループが歌い、翌年に「ステージ101」というNHKの番組が始まって歌われた。やがて合唱曲としても歌われるようになった。

 『ラジオ深夜便』の中で久しぶりにこの歌を聞いて、懐かしい50年前を思い出した。当時ミニスカでステージにいた世代の人も、今ではもう「お婆ちゃん」と言われているに違いない。
 早速YouTubeを検索すると、やっぱりアップされていた。たくさんの人のコメントがあった。みんなこの50年ほどの間に、楽しいことや悲しいことを乗り越えて生きて来たんだなぁと想像する。

 ご近所の「アツコ姫」に出合った。殻付きの牡蠣を毎年お裾分け頂くのだが、今回はお互いに体調が悪くて、半年ほど顔を見なかった。が、年相応に元気な顔を見て、お互いに安心しあった。ご近所でもそんな出会いの田舎になって来たなぁ。

 練習している『メリー・ウイドー・ワルツ』の楽譜を2ページの見開きに修正した。3ページになると譜面台から外れる。3ページ目をめくる(?)動作をすると、どうもその部分から後へ進行しない。いつも2ページの終わりで止まってしまうのだ。

 篠崎氏は譜面をめくっていない。ということは2ページに納めてあるということらしい。1段の小節数も多くして2ページにまとめると、「めくらねば…」という意識をしなくて良いから、何となく最後まで進むことが出来る。途中のスピードを上げる場所は多少こんがらがるが、そのうち指も着いて来るだろう。楽譜ソフトを使うと簡単に仕上げることが出来る。

 僅かな工夫で、練習の効率を上げることが出来ることになった。これって、誰かにちょっとアドバイスをしてもらえれば良かったのだが、こういうことは誰も教えてはくれない。

 「見開きの視野」に入っていると、余計なことに脳味噌の回路を使わなくて良いから、その分、他のことへシナプスを使うことが出来るということに…?


2018.1.6

 インスパイア(ドローン)のプロペラガードが配達された。そんなに手の込んだ仕組みの物ではない。金型にプラスチックを流し込んで作られた物だ。「メイドイン」は何処か表示されていない。これは金型を作る費用のほうが高いと思った。安くて軽くて実用性があれば問題ない。お天気の日に装着して試してみることにする。

 星野仙一氏の訃報を知った。何とも残念だ。歳が近い人の訃報は嫌なものだ。そう言えば、「同級生のお葬式には行きたくない」と言っていた人がいたが、その気持ちがよくわかるようになった。

 夕食後、カミさんとネットを見る。衣のたたみ方、仏華の立て方などなど。二人して「へぇー?」と・・・。
 「知ってるつもりが知らなかった」のではなくて、「そういう方法もあったか!」ということであった。何年か前に、「蓮の水揚げは秘伝中の秘伝だ」と言っていたカミさんに、ネットでの動画を見せたらビックリしていた。
 「世の中には、知ったら教えたい人と、知っても教えたくない人が半分ずつ居るのや」と言ったものであった。

 新聞のテレビ欄を見てラッキー。1月1日放送のウイーン・フィルの『ニュー・イヤー・コンサート』の再放送があった。寒いので布団に潜り込んでの3時間ほどを楽しんだ。除夜の鐘からの疲れですっかり忘れて寝込んでいたのだった。
 あそこの入場料は立ち見から良い席までの格差がものすごいようだ。いやそれどころか、大方のチケットはすぐに売り切れになるというから大したものだ。まあ、世の中はいろいろだ。

 例によって、最後(アンコール)は『ラデッキー行進曲』だ。この曲もだが、音楽というものは指揮者によって微妙に違う仕上がりになるのが不思議だ。

 テナーサックスのMPを変えて練習してみた。YouTubeのサックスのおじさんは、ヤナギサワの6番が合っていると言う。オットーの7番はイマイチとコメントしている。私はあれこれ試したが、結局オットーの7番に落ち着いている。

 フラジオをやるべく楽器店で試吹してゲットしたのはヤナギサワの6番であったが、長らく引き出しに入っていて、ちょっと吹きにくい。リードは同じものだから、やっぱりMPによって違うのだ。オットーの音は柔らかく、ヤナギサワの音は派手に聞こえる。おまけに「レ」が出にくい。形状によるのだろう。「ピーっ」と音が裏返るよりも、慣れ親しんでいる物が自分にとっては良いということかも知れない。「あれが良い、これが良い」とさまよい歩いても、結局は馴れることかも知れない。「隣の花はきれいに見える」というが、いやはや、結局は同じだよ。


2018.1.5

 新年の第1週の週末が目の前に来た。時間の過ぎるのは早いものだ。朽ち木を運ぼうと軽トラに満載してエンジンをかけたら「ブス」と音がしただけで反応しなくなった。何となくラジオは鳴るのだが、ONに廻すとそれも止まる。

無茶苦茶安かった中古車だが「随分役に立ってくれたものよなぁ」と半ば諦めた。『鬼平犯科帳』が終わったら荷台の荷物を降ろそうとしていたところにK君がやって来た。軽トラに乗って来たので積み替えて捨て場に行ってくれることになった。タイヤがヘコムほどに積まれたものを無事に積み替えて空き地へ移動させることが出来た。

 後の課題は、軽トラを修理するかどうするかだ。自動車屋さんの仕事始めに来てもらったら、バッテリーが駄目。発電機も駄目かも知れないということに。早速持ち帰って修理してもらうことになった。結果は、バッテリーが駄目なのと、メインケーブルが断線状態になっていたという。福沢さん1枚ほどで助かったなぁ。もうちょっと頑張って動いてもらえることになった。

 軽トラの中古はなかなか高くて買い換えるなどは論外に近い。農家の人達は自分の交通手段としての日常性も高く、修理が利かなくなるまで乗り繋いで行くので中古車市場へ出て来ること自体が少ない。新車ともなるとエアコン・パワーハンドル・ナビなどが付いているものもあるという。よって軽トラは「田舎のベンツ」とも言われる。

 一見落着して、ドローン(インスパイアー)のプロペラガードがないものかと探した。1件は見つけていたが、何しろべらぼうに高い。それなりの「値打ち」があるからと言っても、材料などを見ると、如何に少数生産品といえども「やめとこか」となる。閑に任せて探すと、同じような物が1桁下の価格で売られていた。野口さん3枚でおつりが来るのだ。

 ネットが普及して、情報が入り易くなった。パソコンを始めた40年ほども前は、ソフトも殆ど無くて、N88BASICでプログラムを組んだものだった。

 ドローンのプロペラガードもさることながら、サックスなどもYouTubeであふれるほど出て来るからお手本にするには誠に便利である。

「白衣・色服のたたみ方」「黒衣のたたみ方」「袴のたたみ方」までアップされている。いやそれどころか「葬儀式」も「お経」もだ。これでは衣も満足にたためない坊さん、音程の取れない坊さん、メロディーが取れない坊さんたちは裸足で逃げるより仕方がない。理屈抜きに、「下手な坊主にお経をあげてもらっても、有り難くも何ともない」のだから。

 こういう時代であるからこそ、「関係性」を得ることが大事になってくる。一昔前は、病気になっても「隠して隠して」いたが、今は「言う」方がそれぞれの経験を話してくれて、入院生活も大いに参考になった。
 サックスの練習もそうだ。私など10年前に始めたときはコッソリとやったつもりだった。どこへ行けば教えてもらえるかも知らなかった。しかし、音の出るものは「こっそり」ということは出来ない。

 知人が、「いくら独学を重ねても絶対に上手にはならないから、レッスンを受けに行くことだ」と紹介してくれた。躊躇しながら、やっと重い腰を上げて行ったら、「今までの練習のことはすっかり忘れてください」と言われた。つまり「独学」は何の役にも立たず、かえって上達の障げにしかなっていなかったということだった。

どの世界でも「先輩」は必ず居るもので、悪戦苦闘の結果モノにした「経験則」が存在する。ドローンも一緒だ。お経も一緒だ。着物のたたみ方も一緒だ。世の中には自分より腕の立つ者は「掃いて捨てる」ほど居るのだから、ネットででも、YouTubeでても、いや、直接出合ってでも教えを請えば得るものは必ずある。

 ところが、これを邪魔するものが存在する。いわゆる「沽券」とか「見栄」とか「自負」とか「プライド」とかである。

「所さん大変です」ではないが、これが己の進歩を邪魔する。どの世界(分野)においてでもだ。

 「お前 そんな事も知らんのか?」と言われるのがオチになることはワンサとあるのだ。

 直接出合って教えてもらう時には、相手は必ずといって良いほど「控えめ」に言ってくれる。つまり、「私の助言を聞くか聞かないかはあなたのご勝手ですから、後で私が失望しない程度にしか言いません」ということである。

 親鸞さんは、「念仏申したら往生極楽できると、私は法然さんから聞いて、それを信じてやっている。・・・念仏を申すか捨てるかは、あなたたちのご勝手だ」と言った。(『歎異抄2の超意訳』 本文はネットにも出ていますからご自分でどうぞ)

 「独学」というものは難しい。仲間でやるといろんな情報が出て来て大いに参考になる。「短歌会」も「サックス練習会」も「ドローンクラブ」もそうだ。ただ、「傾向」というものがあって、いわば「流派」というか、「お茶」で言えば「裏」「表」やいろんな流派があるのと一緒で、クラシックを目指す人が歌謡曲をやっている所へ行ってもチグハグになるということは知っておくことだ。

 「偏見」で言うのだが、「吹奏楽」を長年やっているからといって「ソロ」が上手いとは必ずしも言えない。「吹奏楽」は「一糸乱れず合わすこと」が至上命題であり、「ソロ」は「聞かせること」が命題であるから、ちょっとニュアンスが違うのだ。「初見」でやれるということは最早プロの世界。そんなことはこの老骨には到底余命がない。

 毎日毎日、必死で繰り返しているのが『メリー・ウイドー・ワルツ』だ。身体が覚えたものは身に付くねぇ。昨夜の『ラジオ深夜便』に井上揚水がゲストで出ていた。思い出して久しぶりに『少年時代』を吹いてみたら、半音階の塊りみたいで難しかった。

 「日本音楽コンクール」(?)でのトップを目指している人達のドキュメンタリーをやっていた。この一週間ほどの間である。ピアノのトップを目指して一次・二次・三次と予選に挑戦して行く。トップになったのは某音楽系高校の2年生の男子生徒だった。最終本選には4人がノミネートされて競い合う。最後の時に初めてバックを演奏するプロのオーケストラに出合うのだ。

 前日にリハーサルが行われる。時間が限られているから、合わせたいところだけに集中してオケとやる。
 「生まれて初めてオーケストラと一緒に演奏する」と、はにかんでいた高2生君だった。緊張していたが、「でも楽しかった」と言っていたのが印象的だった。
 本戦で見事に弾き終わった時の何とも言えない「破顔」がクローズアップされた。指揮者に抱きつかんばかりに手を差し出していた。
 
 オケの指揮者が、「楽しんで弾いてください。私たちはあなた達を完全にバックアップしますから」と4人の挑戦者に言っていた。4人が4人とも「楽しかった!」と感想を吐露していた。トップになった高2生くんは、毎日9時間ピアノに向かって練習しているという。

 余生は短いかも知れないが、「よーし ワシもやるぞー」と思った。「前に向かって生きること」が大事なのだから。


2018.1.1

 「謹賀新年」だ。夜になってやっと「去年糞」が出た。気になっていたお天気も大晦日の夜には丸いお月様が雲の間から顔を出していた。除夜の鐘の振る舞いの「ぜんざい」は100杯。記念品も100個。お茶席の「おまんじゅう」も100個。と言うことは100人ほどが集まって除夜の鐘を撞いたということになる。

 都市部だけではなくて、農村部でも最近は除夜の鐘が「やかましい!」と苦情が出る地域もあるらしい。困った寺が考えたのは「除午の鐘」。昼間にやっておこうということだ。ある所では、住職夫婦が高齢化して、「お・も・て・な・し」が出来なくなって、除夜の鐘を廃止したというから、高齢化は今や蔓延しているのだ。

 元旦は冷え込むとの予想だったが、意外とそうでもなくて、しのぎ易い年越しであった。

 学友から今年も賀状が届いた。50数年ぶりに家族の写真入りの賀状にビックリした。少しも変わっていなくて、学生時代そのままなのだ。「ちょびひげ」を少しだけ蓄えているのがなかなかユーモラスであった。

 年末年始のテレビやラジオは「キャーキャー」というだけで面白くも何ともない。「面白いなぁ」と思う番組を探すのに一苦労だ。ラジオでは、松平定知氏の朗読番組が面白かった。徳川慶喜のことを取り上げた本?だったようだ。

 テレビでは「ろう者」の交流を取り上げたドキュメンタリーがステキだったねぇ。
 「賑やかで静かな居酒屋」というタイトルだったか?

 店の中にはたくさんのお客が入っているが、みんな「手話」で話をしている。常連の中には、そんな交流を求めてやって来ている健常者もいる。「手話」の話が店内を錯綜して飛び交っているのだが、じっくり番組を見終わることが出来た。
 手話というものは、相手の顔さえ見えていれば、とんでもない遠くの席の人とも話が出来るのだということを改て知ったねぇ。

 見終わった時に、ちょっぴり、「これなら自分もやってみたらできるようになるかも知れない」と思った。
 じっくり腰を据えて取り組んだ番組は、聴いても見ても感動するものだ。

 さて、今年は人生にどんな「色」を塗り込められるか楽しみだ。