徒然なるままに

2016.4.1-2016.12.18
2016年後半部はこれにて終わりにしました。


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かつて護念さんがくれた「ガンバレ和尚」のgif
WitとParodyとCaricatureとInvectiveに付いていくのは大変だろうね

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2016.12.18

 本日は快晴。午前中のご法事が終わって、午後はのんびりと寛ぐ。そうだそうだ、あのドローンの写真や動画の設定に挑戦するか…。

 MOVはV編でフリーズ気味になる。やっぱりMP4だ。静止画の連写の設定もやってみる。この設定はどうやら「そのたんび」にする必要があるらしい。最新設定を維持するには機体と送信機のリンクをしておかねばならないらしい。まぁえーか。要領がわかればその都度設定すれば良いのだ。が、この「連写」はなかなか曲者だ。3枚設定にすると3枚撮ってくれる。露出を変えても撮ってくれる。が、後の整理が3倍になる。安直な撮影ではなくて、せっかくのモニターがあるのだから、送信機のジョグダイアルで露出を変えられるから、そういう方法で撮影すれば後処理に無駄なことをしなくて良いのだ。

 ムービーは、「ホンチャン」でシャッターを押す前にリハーサルをしておけば、後はタイミングを待つだけ。イメージトレーニングというのは随分昔にやったものだ。
 
 かってのムービー(動画/映画)というものはフィルムを回していた。16ミリフィルムでは3分20秒(100フィート)回すと、フィルムと現像代で1万円かかった。
 今はビデオテープを超えてメモリーになっているから、いくらでも使い回しが出来る。その分、みんな腕前が落ちた。イメージが作れないカメラマンがたくさん出て来たのだ。

 すっかり紅葉の季節が終わった冬の空。「真っ青」を背景に旅客機が西に向いて飛んでいく。篠山は航路の要衝でもある。時には自衛隊のUH1ヘリが数機編隊で飛んで来る。ドッドッドッドッという爆音が響く。

 それにしても意外と大きいのはドローンの風切り音だ。近所にはよく聞こえているらしい。

 快晴の空に向かって垂直上昇。真下を見たらなんとも「箱庭」みたいだったねぇ。そして、棒を必要としない「自撮り」も。


2016.12.17

 朝からお医者へ。ご飯を食べると胃がもたれる。焼酎を飲むと酔っ払う。また診てもらうかと胃カメラを入れてもらった。

 「健康な胃です」と言われて、焼酎が美味くなった。待合室では村の年寄りばっかり。「元気そうで何より!」と、けったいな挨拶が飛び交う。元気であればお医者へはあまり行かないであろうに、「常備薬」をもらいに来る。無料(ただ)では「もらえぬ」のだが。こうして国保は逼迫するのであろうか?

 午後からは忙しい。いや、土日はいろいろとお寺の用事がありそうなものだが、拙寺はみんなが元気に暮らしているから、住職は人生を楽しんでいるのであります。と言いつつも、年末と年始には、ご本山から法話のご指名がありまして、かの有名な「寒い京都」へ泊まりがけで行かねばならぬのであります。

 余りの寒さに「電気シーツ」はもちろん、「ホカロン」も持参。防寒用の「トンビ」(インバネスコート)も以前にゲットしたのであります。インバネスにハットを着して京都の町を歩いていますと、若いウーマンが、素敵な笑顔で見てくれたことがありました。
 
 午後、江戸時代からの「紺屋」の母屋が解体され、仕事場の土間の全容が出て来ましたねぇ。土間一面に伏せられた「丹波焼」とおぼしき大きな甕の中には、「藍」の色が染みこんでいるのが写真にも綺麗に撮りましたねぇ。

 ひとしきり歴史との「別れ」を偲んで、次はドローンの飛行訓練。

  電車の時刻表と睨めっこをしながら離陸。「丹波路快速」を捉える。空からの「撮り鉄」みたいだか、画面にアクセントがないと面白くない。

 電車に上手くパンニングをして、その後をどのように逃げるかという撮影スキル。三脚に載ったキャメラであれば少々腕に覚えがあるが・・・。

 ナンチャラカンチャラとやっていたら、地元の人たちが通りかかる。

 「ドローンの実物は初めて見た」と、

ナントカナントカひとしきり代わる代わるにお話の機会があった。

対面にしてディスプレイを見せると、「わぁー 私らが映っている!!」と、大喜びであった。地元の方にドローンに馴染んでもらって、来る春の畑仕事の風景を撮影させてもらうのだ。菜の花・代掻き・田植え・レンゲ畑と、素材はいっぱいあるのです。

 世の中はクリスマスシーズン。こんなランプシェードを作った友人がいます。


2016.12.14

 今日は『義士祭』。赤穂浪士の「不破数右衛門」に大変ゆかりのある宗玄寺の周辺では、寒村ながらも「義士祭」が行われた。小学校も全員参加だ。校長先生を始め、先生も全員参加。「忠臣蔵」の「是非」はさておいて、古市小学校ならではの体験である。
 とにかく、村の婆ちゃん達の必死の一日の「討入り蕎麦」の大歓迎が待ち受けている。子どもたちも先生も、「町おこし」ならぬ、「少年(少女)時代」の記憶を深層心理の中に植え込もうと、もう、ファインダーを通して切々と伝わって来たのだった。
 こどもの頃に知った『二十四の瞳』さながらの先生たちの心であった。
 
 「ごめんなさい」。私はあなたたちより此の世を先に卒業するかも知れません。でも、先生たちが、心を込めて育ててくれた子どもたちが、きっと、未来の世界を、幸せな世の中にしてくれると信じています。

 「もう勘弁して!!」と、カメラを向けた子どもが言いましたが、「この時」は二度と出会うことは出来ないのです。

人というものは「たった一度の出会い」を大事にして行く生き物なのです。今年でもう二度と出会うことがない6年生もいることでしょう。
 そんな大事な子どもたちを見守ってくれている先生を、宇宙の星のように思うのです。

 老僧の願いであります。


2016.12.13

 雨。夕方、ペースケをお医者さんに連れて行く。週2の皮下点滴だ。お医者さんと話しをしながら時間を過ごす。「もう止めた と、通院を止めると、この猫の命が短くなるかも知れない。そうすると、私はこの猫に対して、この猫の命に対して傲慢な自分に出会うことになる。道義的に後ろ髪が引かれる」と。

 雨の日の獣医院はみんな出にくいのか、比較的空いている。ペットといえども「尻尾のある家族」だよ。

 どんなクスリかとしっかり記憶して来た。「ソルラクト」と書いてあった。調べてみると、成分は「塩化ナトリウムリ」や「塩化カリウム」が主で、要するに「ポカリスエット」の親類みたいな物だ。猫の腎不全の特効薬は無いとのことだが、東大が原因を突き止めたというので、クスリの開発を待っている次第だ。猫に効くのであるから、人間にも効くであろう。腎不全の人のためにも、一日でも早くクスリを開発してもらいたいものだ。

 点滴の時間を持てあましながらの医師との会話は、

 「歯周炎のワクチンは何故出来ないのだろうか」
と。
 「ワクチンが出来ると歯医者が成り立たないのでは?」
とか、
 「歯ブラシメーカーが倒産するのでは?」
とか。

 最近目につきにくくなったのが歯ブラシのCMだ。まさにペテンとでも言うべきCMが流されていたねぇ。

 「歯肉と歯の間のポケットに入って、歯垢を掻き出す歯ブラシ・・・」と。

「毛」のようなブラシの一本一本が、歯肉との間の隙間に入って歯垢を掻き出すことなど出来ようはずがない。ワイヤーブラシならいざ知らず・・・。歯科医で歯垢を取ってもらうのには、超音波振動の釣り針のような金属の道具でやってもらう。ナイロンの毛で取れようはずがない。

 さて、毎年この季節には「歳末助け合い運動」が催される。
 「ご家庭での不用品を持ち寄ってご協力ください」
と。

 かつて20年前、「阪神淡路大震災」が起こった直後、私は町の対策本部の末席にいた。町民の方々から、救援物資がたくさん寄せられた。ビニール袋に包装された「新品の肌着」もあった。真新しい「毛布」もあった。

 しかし、中には「今、脱ぎ捨てた」といわんばかりの汚れた下着も寄せられた。「ゴミ出し忘れ」かのような衣服もあった。
 大半がやがて「清掃センター」へ行ったのは当然であった。
 「被災者が品選びをしていた」との発言もあった。が、被災者が品選びをして何が悪いのか?!。と。

 歳末助け合いにあたって、「お心づくしの品々をお寄せください」というふうには表現出来ないのであろうか?と。

 「この季節に、何が喜ばれるであろうか?」と、持ち寄る品に思案を巡らすのも良いではないか?

 随分前に、今は亡きT氏が、東南アジアの人々の支援活動を行っていた。現地は水に恵まれず、「水汲み」が大変な仕事であると言うのだ。しかもエンジンやモーターを使った物は故障した時に修理出来る資金がないという。誰でも修理して、すぐに回復できる物は「ガッチャンポンプ」だというのだ。

 私は「なるほど!」と思った。

 彼の思いは、その場に立たされている人々の「視座」の高さに合わせた活動であった。たくさんのガッチャンポンプが次々と東南アジアへ送られて行った。

 「不要品を恵めば良い」という「旧態依然」の意識に、なんとも言いようのない侘しさを感じる。

いつか、モンペをはいてバスに乗ったら
隣座席の人が「おばはん」と呼んだ
よそ行きの着物に羽織を着て汽車に乗ったら
人は私を「奥さん」と呼んだ
どうやら人の値打ちは
  着ている着物で決まるらしい

講演会が開かれる
有名な大学の先生だといえば
内容が退屈でも
人は耳をすませて聞き
良かったという
  どうやら人の値打ちは
  肩書きで決まるらしい

名もない人の話には
人々はそわそわして
帰りをやたらと急ぐ
話より買い物が先と
  どうやら人の値打ちは
  学歴で決まるらしい
         (「江口いと」さんの詩 抜粋)


2016.12.10

猛烈爺ちゃんは今日も時間がフルスロットルでしたねぇ。

 お医者を二つ回って、大急ぎで電車に乗って大阪へ。梅田界隈は土曜日とあって大混雑。何処の食堂も行列の出来るお店になっている。これだけの人が「うちの村」へ毎週来てくれたら、さぞや「まちおこし」になるだろうに・・・と。久しぶりに若者の大集団?を見た。篠山の商店街も恒例の「誓文払い」が開かれ、ガードマンもいて、歩行者天国になっていましたが、通販と宅配の時代になって、売り上げはいかほどであったかと、ちょっと気になる次第。

 で、大阪での「遅いお昼」は、逡巡の挙げ句にいつものカレー専門店。が、注文してから出て来るのに時間がかかったのです。「時は金なり」と言いますが、年寄りは時間をもてあます時があるので、ゆっくりと観察をしましたねぇ。観察こそが探求の原点なのであります。お客の中には「ツーブロックヘアー」の人もいましたねぇ。年寄りもツーブロックヘアーでがんばってみる勇気は? 無いでしょうなぁ。

 「歳を取るほど着る物は派手にせよ」とは、江戸時代から言われているファッション感性なのですが。。。。。老僧の、しかも「位」の高いお方は「緋の衣」を着ることが出来るのでありますが、歳は取っておりますが「位」が低いので「緋の衣」とは無縁なのであります。。。。

 で、カレー店。何種類かのメニューがあるのですが、当然、カレー以外の物はないのです。スペシャルとスタンダードの2種類があって、これは「ルー」の違い。色で言えば「黄色」か「茶色」。次は「トッピング」で種類がわかれているのです。カツか牡蛎かビーフか野菜か・・・。つまりは「組み合わせ」であって、「リーグ戦表」のようになっているのです。オーダーに合わせてカレー粉から作るのではないのです。オーダーを受けて30秒以内に出て来てもおかしくない仕組みなのに、なぜか今日は時間がかかったのです。「大阪の七不思議」でした。因みにビーフと言っても、端くれがチョット入っているだけです。固い固い、親指の爪先ほどのが4-5個入っているのであります。でも、入っていますから「ビーフカレー」と言えるのですなぁ。

 目の前の箱にはデザート用のスプーンとフォークしか残っていなかったのです。店員さんと思わず顔を見合わせてクスリと笑い合ったのですねぇ。つまりは「お昼どき」にたくさんのお客でテンテコマイをしていた後だったらしいのです。

 バックヤードを見たらあきまへんでー。カレーのルーはどうやら業務用ですなぁ。店のシェフの手作りではないようでしたなぁ。「らっきょう」も大きなビニール袋(30×20㎝ぐらい)に詰められた物を小分けに。一日にどれほどのラッキョウが胃袋へ入って行くのでしょうかねぇ?

 いや、「業務用」をとやかく言うのではないのです。「業務用」こそ美味しいのです。不味ければ製造業者は3日も持たずに潰れるのです。主婦(?)のあれこれ「蛇足」のついたカレーほど「化け物」みたいになっていることは既に証明済みで、「腕自慢」の下に、実は「天下一不味いカレー」を食わされている諸士は「百年の不作」であったと諦めて、せめて「サラメシ」は「業務用素材」で暖められたカレーを満喫されんことを・・・。

 因みに「焼き肉」はタレが勝負なのです。饂飩は「汁(つゆ)」が勝負なのです。奴豆腐は「柚」が勝負なのです。ラーメンは「ウンチク(小理屈)」が勝負なのです。コンニャクは「辛し」が勝負なのです。わからん方に付けるクスリは持ち合わせていませんので悪しからず・・・。

 大阪駅の北の歩道では今日もストリートライブをしていましたねぇ。南米の笛の音楽は中々ステキな腕前。CDも並んでいましたねぇ。前の小箱には、幾許かのお金が入れられていました。あーゆー具合にライブが出来るというのは相当に「腕に覚え」がないとダメですなぁ。あーなると最早、「聞いて頂く」を超越して「聞かせ参らせ候う」という様相です。しばし柱にもたれて聞き入ったのでありました。

 そういう観点から見ると、幼稚園児たちは余程辛抱が良いのか、綿菓子に欺されたのか、とにかくヘタクソ爺いたちのサックス演奏を、先生の絶大なリードと園児への励ましのもとに聞いて(?)くれたのですから、「思い上がらない」ようにせねばならないですねぇ。

 みっともないのは音程の外れた(キーが外れ、メロディーが崩れ、ありがたくない感じ)調子でお経を唱えるお坊さんと一緒で、ヘタクソの演奏は、やっぱりどう見ても「フジカラー」ですなぁ。「糠味噌が腐る」と言われたものですが、自分ではわからんのです。第一、表情が「のっぺらぼー」なのですなぁ。人様の前に出たら「芸人」になりきらねばならんのですなぁ。芸人さんも楽屋で一緒に過ごしていると、普通の陰気くさい人です。舞台に出て、カメラのタリーライトが点ると、満面の笑みに大変身するのです。笑みは商売のタネなのですから、ノーギャラで愛想を振りまくことはないわけです。

 講師も一緒ですなぁ。講師紹介があって、演台に向かう時に大変身するのです。「素敵な講師さん」と思っても、控え室ではサービスはしないのです。そんなことをしていたら「身が持たない」のです。

 この変身が出来るかどうかが大事なポイントなのです。「身をさらす」とか「ありのまま」とか言いますが、それも計算された演出であります。いわゆる「公私」が違うのが見せ所であって、「公私」が一緒なのは「みっともない」という範疇になるのです。練習と本番では、なにもかも違えるのが「本職」であり、「けじめ」を付けると言うことであります。

 坊さんも一緒ですなぁ。田圃から出て来たような作業衣で、いくら有難いお経を、有難い調子で唱えても、誰も有難いとは感じないのです。それなりの装束を身に着け、立居振舞も見せることで「サマ」になるのですねぇ。

 で、大阪から帰って今度はペースケを連れて週二回の獣医さんへ。田舎の国道を獣医さんへとベンツ(廃車寸前の軽トラ)で走っていると、あちこちの田圃から煙が立ち登っているのです。初冬の夕暮れ、ペースケも窓から周りを眺めて、大声で何かを言っているが、猫語はサッパリわからない。

 煙の元は、秋の収穫が終わった黒豆や山の芋の殻を燃やしているのでしたねぇ。一筋に登って行く煙は、やがて春の霞のようにゆっくりと広まっている。

 高き屋に のぼりて見れば 煙立つ 民のかまどは にぎはひにけり

みたいな光景を連想するのでありました。

 その光景を見てふと思い出したのは『たき火』という唱歌です。

 ♪垣根の垣根の曲がり角♪ というから、町並の中の生け垣がある風景を想像しますねぇ。
 ♪落ち葉焚き♪ というから、枯れ葉を集めて燃やしているのだろうと・・・。
 が、最後の行は、
 ♪北風ぴーぷー吹いている♪ というのです。

 北風がピープー吹いている時に落ち葉を燃やしたら、火の点いた葉っぱが風に吹かれて飛んで行くのです。これは危ないと思うのですが・・・。風のある日に落ち葉焚きをしてはいけませんぞ。いやなに、別にイチャモンを付けているのではないのです。農家の土手焼きをしくじって、消防車が出て来る羽目になるのは、風のある時に火を点けたからであります。北風がぴーぷー吹く時は、たいてい乾燥注意報が出ているような状況なのでありますぞ。

 先日の小学生のクラブ活動のフィールドワークが地方新聞のトップになったのです。子どもたちには初めで最後に見ることになる『七十一番職人歌合』と同じ光景を体験したのでした。明日付の新聞が前日の夕方に配達されるのです。のどかでしょう?

 USB3.0対応の基板を買って来たのてあります。CPUは抜群なのですか、USBはちょっと古るかった。「水冷式CPU」で、当時は最先端のマシンだったのです。が、シリアル電源ケーブルがチョット短かったが、BDユニットを一段下げたりと工夫。一番安かったアンドロイドのタブレットにDJIGOをインストール。何やかやと3時間も費やしてしまったのであります。若い頃はこんなことは「お茶の子さいさい」だったのに・・・。USB3.0用延長がないとカードリーダーが・・・。ついでに電源ケーブルの延長も注文することになったのであります。つまりはみんな「インスパイヤー」が原因なのです。4Kの動画をコピペするのは、旧式のUSBバージョンでは時間がかかるのです。年寄りは気が短くなっているからなおさらなのです。

 大きなiPadでは疲れる。スマホにアプリを入れて使うと設定が何故かおかしくなる。カメラのチルトが出来なくなったり、「瞬時正面向き」の設定が飛んでいたりと・・・。カメラ操作の設定がおかしくなる。ドローン専用にと一番安価なのをゲットしたのだったのでした。が、イマイチ上手くいかないのであります。


2016.12.8

 75年前の今日は朝から臨時ニュースで日本中がテンヤワンヤだったとか。冷静に受け止めたか、はたまた歓迎を表していたかは、その時を迎えた人が学んで来た「方向」によっただろう。

 奇しくも?、今日は小学校のクラブ活動の日。Aコース・Bコースと2つのコースが用意され、一方は「生花」、もう一方は「地域の歴史」を研究する。今日は4日ある内の2日目だ。

 私は「歴史コース」を担当。いわゆる「課外講師」だ。普段、何も気に留めていなかったちょっとした事柄から、先人の暮らしを発見するという見方を子どもたちに伝えた。

 今日のメインディッシュは「家屋の解体現場」である。全員が自転車に乗る時のヘルメットを持っていたので被って行く。
少子高齢、過疎が進む村にあっては、次々と空き家が解体されていく。実は「歴史のお宝」「歴史の生き証人」なのだ、そんじょそこらのタワーマンションとは「歴史のシワ」が違うのですなぁ。

 「ここは何故、道幅が膨らんでいるのか?」と、実際に歩幅で体験させる。「ここは何故、家の地面より道の方が高いのか?」と周囲を観察させる。「ここは何故、交叉点にアールが付いているのか?」などなど。そしていよいよメインディッシュの「解体取りかかり中」の家屋へ到着する。

 このお家は江戸時代中頃からから昭和初期(大正末期かも)まで、代々「紺屋」をしていた。かつての仕事場には床が張られ、部屋に改装されていたが、解体に当たって床をめくってみたら、大きな瓶(かめ)が12個も並んで地面に設置されていた。「七十一番職人歌合わせ」に出て来る情景と全く一緒だ。それでも、出現したのは半分らしい。隣の部屋の床はめくられていないが、その部屋の下にも瓶がありそうだ。「その部分」を保存するか解体するかと持ち主は逡巡しているが、子どもたちには歴史の参考書に出て来る「実物」を目の前にすることになった。
 嫁に来て、つらい毎日を送ったかも知れない奥さんの手の跡が、今は黒光りする建具となって何10年という歴史を厳然として残していた。

 これを見る児童たちは最初で最後かも知れない。だって、80才近くの持ち主も見た記憶がないというから・・・。

 歴史に興味のある教師は、子どもたちが帰って行った後も居残り、「電話室」などというものを実物で体験し、森鴎外や夏目漱石が執筆していそうな部屋を満喫していた。

 紙切れ一枚に残されたメモ書きの中に、「重要な決定に至る経過の裏話」を発見することもある。

 「語呂合せで憶えた年表」が「歴史を学ぶこと」ではなかった。その時、人々はどういう生活をしていたか。何を考えていたか。そんなことに思いを馳せられる「歴史」が大事なのである。

 奇しくも「真珠湾攻撃」が始まり「日米開戦」になった日に、子どもたちは江戸から昭和に至る状況を、ほんのちょっぴりだけ襖を開けて覗いたのだった。これからは自分の手でその襖を大きく開け、大事なことを学んで欲しいと願うばかりである。

 「老僧は去りがたく 語り多く伝え残したい」のであった。「老兵は語らず ただ去るのみ」であってはならないと思う。戦争というものはどれほど悲惨なものであるかを、若い人にも、子どもたちにも伝えて欲しい。

「我が子さえ良ければそれで良い」という親が増加している気がしてならない。「我が子は、みんなの中で育っていくのだ」という「周囲を見る目」が劣ろえているように思えてならない。

 運動会もマラソン大会も、我が子だけを撮影し、我が子の出番が終わると、ペチャクチャと雑談に興じ、ややもすると走路に迷惑をかけている。

 菊池章子の歌に『星の流れに』というのがある。従軍看護婦として「お国のため」に兵士と共に戦地で頑張って来た。
 終戦になって東京に帰って来たら、東京は焼け野原になり、両親は亡くなっていた。妹は何処に居るやらまったく見当も付かない。そんな中で、彼女が生きて行ける世界がどういうことかは詳しく書く必要はなかろう。「こんな女に誰がした・・・」という歌詞がある。

 『ガード下の靴磨き』という歌もある。この子たちも「戦争の犠牲者」だった。決して「見下げる存在」ではなかったのだったが、当時の多くの人たちは、優しい心を持ち合わせている人ばかりではなかった。戦後の親は、見下げることを教えてしまったのかも知れない。

 私の祖母は沖縄戦で息子を亡くした。たった一人の男の子であった。嫁に行った末娘の他は、みんな若死にしてしまっていた。
 戦死の公報が届いても、冬の夜風に鳴る表戸の音を聞く度に、寝間着の裾をかいつろぎ、戸を開けては息子の帰りを待っていた。それも、80才を過ぎてもなお。二葉百合子の『岸壁の母』を聞くと、ついこの前のような思いがする。もう60年以上も前のことだったのに。

 極端に右傾化した政治の下で、犠牲になって行った多くの国民の事実なのだ。そんな世界は二度と再現してはならない。ユニセフから「シリアの緊急支援」がやって来た。シリアのこどもたちに幾許かを送りたい。

 それらに引っかけるつもりは「更々ある」が、「我が子さえ・・・」という「こんな親に誰がした」のであろうか。「我が子さえ良ければ・・」という中で育てられた子は、やがて周囲の友達から疎遠にされて行ったことを70数年の人生で見て来たことか。

 人間は「共に支え合う」ところに大切な意義がある。仏教という釈迦の「教え」は、「我を捨てよ」という。「おのれさえ良ければそれで良いということは、自分で自分を潰していく元凶である」と言う。その通りだ。


2016.12.5
 何もない。昼間は何もない。夕方は兼務寺の門徒さんの4七日の逮夜にお参りする。、お天気だ。では、「ドローンの練習をば」と思うが、適当な場所がない。野良仕事をされて居る近くはヤバイ。「危険」ということではなくて、「坊さん、余程閑なのか?」と・・・。その通りなのだが、何か「腰」が引ける。出来得ることなら、人様の目につきにくい所で練習したいものだ。
 坊さんというものは、土・日・祝日。彼岸・お盆が忙しくて、平日の午前中は時間が出来る。いや、都会の大きなお寺は、「月参り」ということがあって、役僧さんなどは「てんてこ舞い」だそうだが、田舎の寺は・・・。
そんな事を思いながら練習場所を探して・・・。目視とモニターとの両方が出来る実践を兼ねた場所を探す。初冬ともなると太陽高度が低いので、どうしても順光と逆光のギャップが大きい。感度調整もさることながら、モニターでの飛行訓練に重点を置く。「ドローン爺ちゃん 武庫川で練習」が1本できた。
 夕方には逮夜のお参り。曾孫が毎回やって来ている。お茶菓子をみんなに配ってくれるのだ。近所の爺や婆も喜ぶ。


2016.12.4

 日曜日。何もない。昨日は篠山市の「人権フェスタ」があって朝から参加。正午前には次々と市民が集まって来る。1年ぶりに出会う人もいる。とにかく久しぶりの再会のひとときである。
 500人のホールは満杯になって、中学生の人権作文の表彰式があり、続いて優秀作3編が本人によって朗読される。みんな堂々として、まるで昔の「弁論部」のようだ。ペーパーによる作文の審査とはまた違って、声に出されて読み上げられると訴求力が数倍も上がって来る。
控室での仲間との雑談に、何やら「阿弥陀経」の話が出て来た。「拙ホームページの『阿弥陀経』をお読みいただければ・・・」と。そんな一日を共に過ごした。そして日曜日。

 いわゆる現状一般認識では、お寺に何も用事がないのは良いことだ。住職としてのお勤めはもちろんしているが、その他のことは何もない。一般企業なら倒産かも知れないが・・・。
 
 午後からは雨というので、隣の広場(狭場)でドローンを試してみる。先日からの課題であった「ドローンにワルツのステップを踏ませる」ということだ。ドローン自体をワルツのステップやチャチャチャのステップのように動かすのはそんなに難しいことではない。「動画」に撮る目の前の景色が、あたかもワルツのステップを踏んだ時に見えるような感じのカメラ側の動きをどのようにすれば良いかということだ。

 あれこれ試してみる。ヨー軸だけではそういう具合には撮らない。ローリンクとヨーとを同時に大きく瞬時に当て舵を打つような具合に当てると、機体は誠にとんでもない動きをするが、ジンバル補正との相乗効果で、被写体はワルツのステップになって来る。もうちょっとの所だが、この練習の動画を見続けると目眩いが起きる。

 動画構成の中の1ショットとして使う「隠し味」だ。映像構成というものは、こういう「隠し味」を所々にちょっと使うことで素敵な構成になる。「美味い物はチョットだけ食う」から美味いのであって、たらふく食ったら美味さの価値がなくなるのと同じだ。
 「8の字飛行」はドローンの場合、ピッチ・ヨー・ローリングの3つの舵をバランス良く当てると綺麗な8の字になるねぇ。ヘリとはまた違った微妙な舵加減だ。


2016.12.2

 大阪へ出る。書店巡りだ。ついでにドローンの操縦の裏技みたいな本はないかと思ったが、こういうのはないねぇ。いや別に今更。腕には多少のキャリアはあるのだ。

 私と同じようなのか、お爺んもお婆んもウロウロと歩いとる。どこも同じなのだろうが「働き蟻」もいれば「サボリ蟻」もおる。どう見ても現役サラリーマンが、あちらこちらでサボっておる。青春を謳歌している若者もおれば、大阪駅前の歩道でライブをやっている人もおる。チラシ撒きのバイトに精を出しとるおっさんもおった。いや、それぞれ、それぞれ、生きておる。

 ウトウトと帰りの電車に揺られていて思い出した。もう60年も前のことだ。

 あの頃のお葬式は、何んとも言えない昔の習慣を残していた。嫁に来た人は、実家のお寺さんを、嫁に行った娘は嫁ぎ先のお寺さんを「諷経僧」として招聘し、僧は「一口引導(いっくいんどう)」というものをする。「何んの誰兵衛の招請により、ナンナトカカントカ寺の住職、一口葬送の辞を・・・・」と。

 お葬式には数名の僧を招いて行なったものであった。食事は近所の人たちが作る。大根煮・芋煮・油揚・コンニャクなどなどであった。そして、お酒が振る舞われた。それが「施主の供応」であった。順繰りに、みんながその役目を担って助け合った生活をしていたのだった。
 みんな貧しかったのか、それとも「布施」という「供応」に素直に応じたのか、この日の僧たちはたくさんのお酒を頂いて、最早「酩酊状態」でお葬式の経を唱えたものであった。僧にたくさんのお酒を出すのが死者への最大の供養だったのかも知れない。そういう場面は『入唐求法巡礼行記』(圓仁著)にそれらしきことが垣間見られる。

 家のお仏壇(お内仏)に向かっての葬儀のあと、親族や近所の爺々ぃや婆々ぁ達が、花などを持って行列を組んで墓場へと歩いて行った。棺桶にくくりつけられた「先の綱(ぜんのつな)」と「後の綱」を、村の「講」の人たちが引いて行くのだった。墓場(野辺の荼毘所)に着いて、そこで「告別式」が行われ、みんなが焼香して亡き人を送ったものだった。

 秋風の吹く中を、野辺送りの行列が遠くに見えると、野良仕事の手を止め、麦わら帽子を脱ぎ、姉さん被りを脱いで、誰もが手を合わせて葬列を見送ったものだった。

 それが今は・・・・。何んと薄情な世の中になってしまったものか。手など合わせている人をついぞ見かけたことはない。自分は絶対に死なないとでも思っているのか、「死は他人事」のように思っているらしい。葬式などというものは、使者を心から送ることではなくて、「焼却処分」の前の「まじない」とでも思っているのであろうかのぉ。

 「ゴミ」のように親を捨てれば、それはやがて自分も、まだ生きているのに「ゴミ」のように捨てられることに直結するのだ。今はまたもや「姥捨山」の時代に戻ったのかのぉ。が、その「姥捨山」にはなかなか行けない。待期老人がたくさんいるのだと・・・。

 電車に乗り込んでくる下校途中の女子高生。「娘18 番茶も出花」というが、誠に初々しくて、命が輝いてはいるが、「これ、あと数10年すると・・・・」と思って見ると、たしかに「婆々ぁ予備軍」に間違いない。「別嬪」だと言われていた某国会議員も、アップになれば「皺くちゃ顔」だったよねぇ。

 「人間50年、化天の内を比ぶれば、夢幻の如くなり ひとたび生をうけ 滅せぬもののあるべきか」だ。化天の一昼夜は人間世界の50年と仏教で言う。
 シワが寄り、背中が丸くなり、「鏡よ鏡 世界のうちで・・・」と思わず言いたくなるが、まぁみんな、やがて自分の身の上に必ず降りかかって来ることだわなぁ。
 YouTubeで、加山雄三の『君といつまでも』のサックス版を聞きながらタイピングする。若き頃の作品だが、夕暮れが近づいている爺々ぃにとっては、なんとも言えない懐かしい思いがするものだ。


2011.11.30

 午前中は市役所へ。ちょっとばかり忙しそうな「ドローン・チーム」を捕まえて雑談。ジンバル感度の調整についてだ。が、邪魔は出来ない。今から撮影の予定があるとのこと。早々に話を切り上げた「つ・も・り」。続いて「難しい中身」の会議に出席。中身は「墓の中」まで持って行かねばならない。

 お昼に終わって、「お昼ご飯をいかが?」と誘われて、「児童委員+中学教師+刑事課長+私」という誠に取り合わせの不思議な4人でイタリアンのお店へ行く。
 このお店は市役所の隣にあり、ピザやパスタ(私等の爺いはスパゲッチーという物)を注文すると、チョットしたバイキングが頂き放題のお店がある。

 私は「お坊様」には見えないらしい。「そうだよねー」。歓談1時間。次回は焼酎の美味い居酒屋での再会になるかも知れない。

 「お坊様」とは、私のイメージでは、物静かで、いつも衣を着ていて、いつも口癖にナマンダブーと言っており、もちろん頭はツンツルテンに剃り上げて、思わず「なんまんだぶー」と言いたくなる外見を想像する。
 私はそういうイメージからはまさに真逆だねー。「帰ってからブラックリストを見てご覧!」と、思わず言ってしまったねー。昔なら「特高」にフォローされていたかも知れない。

 午後はドローンの練習。「ワルツのステップを踏ませたい」と思って、ジンバル設定を色々やってみたが、どうも上手くいかない。バッテリーの持つ間にと、周回自動航法の練習をあれこれやってみる。後で動画を見たら目が回ってしまった。

 ステップの要領は、どうやらヨー軸操作ではないらしいことがわかった。次回は「ローリング軸+ヨー軸」でやってみようと思う。因みに「初心者設定」にすると、地表高度30㍍から上には絶対に上昇しない。首相官邸や善光寺に墜落して以来、厳しい自己規制がプログラムされている。因みに各種の自動航法は「初心者モード」では出来ない。上手いこと出来ているものだ。

 ここ何日か以上サックスを練習していない。先日、練習会があった。以前に仕上げた曲の合奏は何とか皆んなが合うが、目下の課題曲、ベートーベンの『悲愴』のカルテットはなかなか上手くはいかない。次回の練習会まで持ち越すことになった。夕方、お勤めを終わって「復習って」みる。

 かくて、田舎寺の坊様の一日は過ぎて行った。


2011.11.29

 スケートリンクに5000尾もの魚を埋め凍らせた施設についての非難がたくさんあったそうだ。田舎に居ては、そういう物を見る機会はないが、ネットに載っていた写真を見て、想像するだけでも何んとも「おぞましい」気持ちがする。
 金魚や錦鯉や、その他諸々の魚を鑑賞したければ、水族館へ行けば「いのち」として目の前で出会える。
 「いのち」というものは、形を成しては「この世」にたった1回のみ出て来たもの。二度と同じ姿で出て来ることは不可能だ。この地球は、そういう「いのち」の出会う場所である。ああいう形で「いのち」を見世物にするのは「残虐」な行為だ。

 子どもNGO「懐」の高森拓也さんが、日本の子どもたちをモンゴルへ連れて行った。「夢第4便(モンゴル)」の企画だ。
 遊牧民に「羊の解体を」と依頼したら、「命を取るのだから、残らず食べてあげられるか?」と聞かれたそうだ。
 「いのち」の大切さを実感させるために、羊の解体を間近に子どもたちに見せ、生暖かい生肉を食べさせた。
 飲み込めずに嘔吐く子ども。涙を一杯に流しながら口に運ぶ子どもたちの様子を、高森さんはプロジェクターで画面を提示しながら生々しく、切々と語ってくれた。

 篠山市内で、何年間かの間に4回も、「人権セミナー」に来て頂いたことであった。
 今まで一緒に戯れていた羊が、人間の食料として解体され、今は肉片となって目の前に並べられている。
 「食わないのなら、自分の命として頂けないのなら、生き物を殺してはならない」と遊牧民は語ってくれたと・・・。

 「釣ることだけが趣味」の人がいるが、釣った魚は元に戻してやったとしても、針に貫かれた口の痛さと、釣り上げられる「恐怖」に対して、どういう具合に謝ったら良いのだろうか?
 「いのち」をもてあそんではならない。

「自分が凍り漬けにされたり、釣り上げられる遊びの種にされたら」と、立場を置き替えてみれば、「いのち」の尊さがわかる。

 この歳になって、私の「いのち」は、もうカウントダウンに入っていることを実感するからこそ、私は「いのち」を大事に生きて行きたいのだ。

坂村真民さんの詩に、『あとからくる者のために』というのがある。次の世代、その次の世代に、美しく、健やかな背景を残しておいてやりたい。

 お釈迦さまは、我が身の終わりにあたって、「この世は美しい」と言ったと伝わる。一休さんは、「もっと生きておりたい」と言ったという。西行法師は「ねかはくは はなのもとにて 春しなん そのきさらきの 望月の比」と言ったという。(「願わくば 満開の桜がまさに散り始める時に、その桜の下で死にたいものだ 春の満月の宵になぁ」)

 何んでこういう現代語訳を付け加えねばならないかということは、実に国語力の低下の嘆かわしきことがあるからだが。

 私の言っていることがまともに通じない時がある。「あんた 異星人か?」と聞き返したくなる。私が「老人性痴呆症」になっているって? そうは思わんがねぇ。

 ただ、固有名詞や相手の姓名がすぐには言えないが、思考回路はまだ断線していないつもりだ。
 だって、ドローンは自由に操れるし、ビデオ編集も出来るぞ。小学校のクラブ活動の講師もやってるぞ。お昼に何を食ったかは憶えていない。そういうものを憶えるメモリー領域は消費したくない。どうせ、いつもの定番のメザシに味噌汁が付いていれば上々なのだから。

 私も、もっと生きておりたいとは思うが、そうもいくまい。

 学生時代の同期の訃報が奥さんの名前で届いた。

 入試の日に割り当てられた旅館の一室で、僅か一日、共に寝食をした仲だ。そして春には、大学の寮も一緒だった。部活も何故か「YBA(仏教青年会)」という、私にはほぼ縁のない分野であったが、彼が誘ってくれて入部した。夏休みの研修には広島へ行った。

 寒霞渓の近くの寺に同宿し、何故かみんな、ステテコとシャツの、まさに「フーテンの寅さん」みたいな格好で肩を組んでいる写真がある。もう50年以上も前のことであった。

 私は、この合宿で初めて「生卵」の白身が食べられるようになった。生卵の白身が食べられなかったのは、幼児期に呑まされた「ひまし油」(下剤)の強烈な印象だった。そして次は、鶏の肉であった。これも幼児期に鶏の解体を見てしまったからだった。

 しかし、大学の「合宿行」は贅沢は言われない。みんな貧乏寺の息子達だったから、汽車賃がせいぜいのことで、夜行の「準急 ななうら」に乗っての広島行きであった。
 卵や、安い鶏肉が唯一のものであった。一夜の宿を貸してくれた真宗のお寺の住職が、どんな話をしてくれたかはサッパリ記憶にない。しかし、その合宿は、私に「いのち」というものを教えてくれたのかも知れない。

 その時の学友が逝ってしまった。今年はたくさんの友人を失った。彼らの過ごしたかった大事な「時」を、私は、彼らから預かって生きて行きたいと思う。

 子どもたちに、スケートリンクの「氷漬けにされた魚」を見せないでほしい。そして、「釣ることのみが楽しい」ということを子どもに植えつけないで欲しい。

 命を見世物にしないでください。命をもてあそばないでください。私は生まれてこの方、何100万という命を嚙み殺して来たことか。チリメンジャコを一口頂いたら、何10匹の命を頂いて来たことか。多くの「いのち」に支えられて来た「私のいのち」だ。

 「いのちは尊いものだ」ということを言い伝え続けて欲しい。


2016.11.27

 合間を縫ってバッテリーケースを細工した。ドローンの「インテリジェンス・バッテリー」という物は、自己管理をするようになっているらしい。
 「バッテリーの温度が15度以下の場合はモーターが回りません」というのだ。なるほど、ヒンヤリした所に置いていたものを、いきなり野外へ持ち出していざ起動をかけると、他のことは動作するがモーターが回らないので当然のごとく離陸しない。
 バッテリー対策はいろいろやっておられる方のを参考にする。かつてTVの番組の中で、雪の中を撮影するために、バッテリーの保温対策をしていた人のことを見た。
 弁当の保温バッグは、3個のバッテリーを入れると窮屈だ。一個ずつに布の巾着袋に分けて入れないと、バックの中で衝突を繰り返す。「ヤクルトおばさん」が持っているバッグはチョット大きいが、こういう形のは使い易そうだが、ホームセンターには手頃な物は弁当保温バッグしかなかった。
アルミケースを買って来て、発泡スチロール板とスポンジを使って、バッテリーがきっちり入るケースの内装を自作した。結構時間がかかった。余分のスペースの所にホカロンみたいな物を入れると保温も充分だろう。断熱効果は「空気」が一番。発泡スチロールやスポンジは保温効果が期待できる。
 
 飛行してバッテリーが消費される時は化学反応が起こり、バッテリー自体が発熱するので、飛び上がった後のことは心配しないで良いようだ。ドローンの胴体に犬の着物のような物を巻き付けないと・・・と心配したが、それは杞憂でありそうだ。
 
 日曜日。午前中からご法事があって、御斎に一杯をしたいのでと、わざわざお迎えに来て頂いた。ビール少々。熱燗少々。ちょっと午睡をして、今夜は「大逮夜」。つまり、親鸞さんの祥月命日の「お逮夜」だ。お酒はすっかり抜ける程度しか頂かなかったが、「寒い夜は御酒などを・・・」との蓮如さんのお言葉に従って・・・。だ。
 そういう一日の合間を縫っての工作であった。手品・ヘリコプター・蒸気機関車・サックス・ドローンと、何処まで行くのであろうか?


2016.11.26

 報恩講の御法話も終え、幼稚園児との交流も終え、自坊の報恩講も終え、晩秋のドローン空撮も終え、ほっとひと息でビデオを編集中。mp4にへ変換中のひとときだ。
 ご近所にお家を解体することになった方があって、写真を撮らせてもらった。昭和を彷彿とさせる硝子戸。60年も前のグラビア雑誌も出て来た。昭和30年代の風景がいっぱいの雑誌は頂いて帰った。
 まだ硝子板が精密に出来なかった頃の硝子戸なのか、波打ったような硝子の反射が素晴らしい。天井の板の年輪の模様は素晴らしいの一言だ。庭から見ると、スリガラスや模様硝子の向う側には、チョット時代は違うが、夏目漱石が机に向かってペンを走らせているかのごとき風景だった。
 床が一部めくられていて、このお家は江戸時代から「紺屋」をされていた跡がくっきり。大きな藍染め用の瓶が床一面にたくさん埋め込まれていた。写真に収めた。今年亡くなった友人がいつも話題にしていた「紺屋の仕事場」を見たのだった。もうおばあちゃんになったが、「お嫁に来た時から、この戸のカラ拭きをするのが毎朝の日課だった」と言われる通り、すだれのような縦縞に組まれた板戸は艶が出て光っている。大正昭和の家がまた一つなくなっていくのだった。古材に興味のある人には垂涎の的かも知れないねぇ。

 「三日見ぬ間の桜」というが、すっかり晩秋になった。今のうちにと、河原一面に茂っているススキを撮りに出かけた。絶好の撮影チャンスというのはなかなかやって来ない。天気が良ければ都合が悪い。都合が良ければ天気が悪いのだ。
 横に停まったダンプの運転席から、「ドローン爺ちゃんのユーチューブを見ましたよ」と声をかけてもらった。インスパイアーが空を飛んでいる最中なので、ゆっくりお話は出来なかったが、空撮中にご挨拶を交わすなどとはびっくりしたものたった。軽トラ道端に止めていたのだが、チョット窮屈になっていてごめんなさい。

 相変わらずペースケの病院通いだ。週2回の点滴が続く。犬や猫をかわいがっていて、病気になるとお医者へやって来るのだ。待合室はいつも満員だ。血液検査が月に1回。クレアチンの数値が中々下がらない。いや、せめてこのままであれば良いということだが、油断するとあがってしまうとのこと。「尻尾のある家族」だから。夜なべをして間もなく午前1時。ずっと横にへばりついているから、何んとも健気というか、愛おしいというか・・・。夜なべの碑はいつもこういう具合なのだ。


2016.11.19

 83歳のナベサダ(渡辺貞夫)がネパールを訪問してコンサートをやったという特集ニュースを見た。「まだやれるかも知んねぇなぁー」と自分を励ました。サックスを初めてもうすぐ丸10年を迎える。いや、我ながら実に上手くなったと自画自賛であるが。

 昨日は京都の大学のセミナーを聴きに行った。朝早く出て本山の事務所へ寄っていろいろ雑事を済ませてからキャンバスへ向かう。
 430円の学食定食を頂く。300人は充分入れそうな学食だ。隣に座っていた6人の女子学生たちは、それぞれお手製のお弁当などを持ち込んで、お茶は無料のを頂くというから、以外としっかりと生活をしているのが窺えた。
 大きな三角お握りを頬張っている女子学生の手元を見ると、「おにぎりケース」なるジーンズにファスナーの付いた入れ物であった。「こんなグッズもあるんだねぇ」と感心した。田舎にすっこんでいると、世間の様子がわからない。こうして孫のような学生たちと一緒に「直段相応」の学食を頂くのも社会への見学になる。そういえば、「大飯」は格安の盛り付けになっている。友人同士でしゃべっている男子学生。どうやら野球部らしい。「お前、ようそんな大飯のカレーライスが食えるなー。カレーがなくなった飯はどうして食うのや?」と冷やかしていたら、「そうか。残りの飯は味噌汁で食うのか」と仲間が感心していた。かくて学食は学生たちの胃袋を満たしていた。

 今から50年以上も前、学食で「白飯」のおかずに「五目飯」の取り合わせで食っていた同期がいた。みんな慎ましやかに暮らしていたのだった。

 大学セミナーは「草原の王国 契丹の皇帝陵と仏塔」という講義であった。契丹とは今の中国の「内モンゴル自治区」のことである。草原の民、遊牧民の王国と仏教の関わりを見ていく内容だ。
 契丹にある慶陵という契丹王の墓と、それを守る為の慶州とその城内にある「白塔」についての話であった。
 「白塔」は、契丹王国第6代皇帝の第二夫人であった章聖皇太后が建てた塔で、今も綺麗に保存されているが、建立の目的の一つは、亡くなった夫、聖宗の菩提を供養するためと、この塔を見た者は、五逆と一切の悪業が破壊されて、極楽世界に行けるという「願い」があったという。塔内から発見された『無垢浄光大陀羅尼教』から読み取れるということであった。
 みんな亡き人の供養をし、自らの往生を願っていたんだなぁと。


2016.11.17

 「猫とお留守番」の午前中、たまたま持っていた携帯電話が振動する。いつも「不携帯」なのだが今日に限って持っていた。自治消防のメールが入って来る。

 この自治消防メールは、地元の消防団が出動したり、近隣の集落で火災があったりした場合に、自治会長としてはまさに八幡の藪のようにサッパリ解らなくて困ったことがあったので、消防団員の出動要請メールと共に、登録した者に限って、メールを送信してもらうシステムを市役所と交渉して実現したのだ。私の市役所リタイヤ後ではあるが、もう10数年になる。

 「古市で建物火災発生」というので、「これはえらいこっちゃ!!」とストーブを消し、エアコンも消して運動靴に履き替えて街道に飛び出した。
 見える範囲には火の手も煙も見えない。誰かが慌てふためいている様子は微塵もない。「さては誤報か?」と思いつつ街道を歩いて行くと、後ろから自治会長が長靴を履いて追いついて来た。二人とも、若い頃は消防団のバリバリであった。

 そうこうしていると、息子が携帯をかけて来た。「何処か解らんが、ぼやかも知れんが、とにかく今探している」と返事をする。集落の外れまで探し歩いていた時に再度息子から「◇□さんの所や」と。役所で調べたらしい。奴も地元の消防団員で、「すぐに帰る」と言って来た。

 「◇□さんの所」はもう目と鼻の先だ。近くの消防車庫からは未だ出動していない。消防署もまだ来ていない。近くには消火栓がある。万一の時は「昔取った杵柄」で、元バリバリの消防団員二人でもナントカなると。元消防団員で元自治会長であったから、まだ記憶の中にしっかりと消火栓の位置は刻まれている。

 早々到着すると、幸いなことに隣のおっちゃんが消化器を持って入り口にいた。中へ入ると台所が白い粉で一杯になつている。天ぷら鍋に火が入って、ビックリして隣へ伝えたら、119番通報してくれて、商売必携の消化器を引っさげて駆けつけてくれたのだという。

 被害は消化器の粉だけで済んだ。とにかく「良かった!!」。現場で一件落着を見届けていると、消防署や消防団、警察や電力会社など関係する所が続々と集まって来た。ドローンで秋の景色の撮影をしていた市役所のチームも撮影現場から駆けつけて来た。
 ドローンについて、いつもアドバイスをしてくれる後輩が、実は地元の消防団の幹部でもある。一段落して、消防団の解散にあたって、彼(あっちゃん)が大統領のように前に立って団員の「頭(かしら)ー 中!!」を受けていた。みんな「頼もしくなったものだ」と、「老害の域」に入った元消防団員は、感心と敬意をもってその様子を傍で眺めていたのであった。

 お昼を猫と共にインスタント饂飩をいただいて、ドローンで秋の山の極彩色の撮影に出かけた。

 特急「こうのとり」もバッチリ。気がつくと隣村の爺様が田舎のベンツで畑にやって来ていた。ひとしきり畦で話し込んでいるとまた一人。秋の薄雲の中に顔を出しているお日様の下で「世間話」に花が咲く。「黒豆」から「山の芋」へ。ラジコンでの肥料や農薬散布の話と、話題が尽きることはない。
 帰ってからネットを見たら「姫路城にドローンが墜落」とあった。あそこは許可が必要な場所だし、あーゆー所で飛行させる自信はないねぇ。
 4Kではパソコンが反応しない時がある。今日は「フルハイビジョン方式」で撮ってみた。バッチリであった。『ドローン爺ちゃん 里の秋を飛ぶ』だ。


2016.11.16

 篠山市の「要保護児童対策協議会」や「民生委員協議会」が共催する研修会に参加した。11月は「児童虐待防止推進月間」で、毎年研修会が開かれる。開会のご挨拶をする。この時に、1年ぶりに出会う旧知がたくさんいる。「元気そうやねぇ」とか「背が縮んで来たねぇ」とか、忌憚のない会話とハグだ。それぞれが、自分の出来る範囲のことを、半歩ずつやっているのは嬉しい限りだ。
 
 帰ってからユーチューブで音楽を聴く。『ミスター・ロンリー』は「レターメン」の曲かと思っていたら、「ボブ・ビントン」の曲だったということを初めて知った。林先生の「初耳」だ。
 残念ながら、城卓也の『ジェットストリーム』の記憶はないが、この曲は何となく心の奥に残っている。
 ユーチューブのコメントの中に、「当時、深夜ラジオを拝聴しながら受験勉強していた頃を思いだし懐かしさが込み上げます我が青春の一曲」とか、「同じく若い頃、大阪四ツ橋の厚生年金会館に当時の恋人とコンサートに行きました。音楽の趣味が良く似た女性でした。その後、お嫁に来てもらいました。」というのがある。
 「受験勉強」の記憶はないが、「お嫁に来てもらいました。」というのは、何となくほのぼのとした景色を連想しますねぇ。過ぎ去った過去のことは、いっぱい心の底に残っていますねぇ。爺様と婆様の思い出になっちゃったなぁ。


2016.11.13

 秋の空が少し曇り始めた頃、ドローンを練習する。MOV形式の動画はW-10ではどうも上手く再生出来ない場合がある。設定を変えてMPEG4形式にした。その実験を兼ねての飛行訓練だ。

 いや、こればかりに明け暮れているのではない。門徒さんの孫に赤ちゃんが出来て、その「初参り」というから、朝からずーっと待ち焦がれていた。村に新しい若者が一人増えたのだ。「おひもつなぎ」と可愛い「念珠」を用意してだ。

 お寺は「死」だけではない。この世に生を受けてから、この世とお別れして、お浄土へ行くまでの間、阿弥陀様と共に生きていく時間の「出会いの場」なのだ。「阿弥陀」とは「尊いいのち」という意味なのだが、知っている人は意外に少ない。何遍言うても「馬の面に小便」だ。

「どこで」、「誰が」間違ったのか、「お寺」=「お葬式(死)」という概念は、お釈迦様が聞いたら「嘆き心頭」だろうねぇ。お寺は「生きて行く勇気を体得する場」なのにねぇ。葬式だけが主目的なら、アマゾンに任せておけば良いのだ。大きな伽藍も不用だ。檀家・信徒などという組織も不用だ。「焼却前儀式」をする場所と、胡散臭い儀式執行人がいればこと足りる。「教義」も「仏教」も最早必要ではない。まさに「末世」だねぇ。

「団地内では挨拶をしない」という取り決めをしたという記事があった。ネットでも賛否が投稿されている。
篠山市は、市の「市是」として「あいさつ運動」を展開している。「不審者を見分ける力」、「逃れる力」を付けることが大事であって、「避ける」ということを優先していては、最早「人間」としての「豊かさ」や「協調」などは何処へ行ってしまうのかねぇ。これって「エゴ」以外の何物でもない。

 「あいさつ」が嫌なら嫌でよい。皆んで「決める」必要はないのだ。「挨拶をしない人」という目で見られるのが嫌だから、周りを誘っているに過ぎないのではないか?
  時たま境内に現れる野良猫も、私の顔をみると「にゃー」と言う。何を言っているのかはわからないが、それでも「にゃー」と言われると嬉しいものだ。

 子どもの「いじめ」は、分類すると2種類に分けることが出来る。1つは「パシリ」だ。奴隷のように誰かを「こき使う」のだ。もう1つは「シカトする」だ。「存在を無視する」のだ。「挨拶をしない」ということを決めたと言うことは、「存在を意識しない」ということを決めたと言うことになる。

 一方では「あいさつをしましよう」と、市ぐるみ、学校ぐるみで取り組んでいる。もう一方では「あいさつは止めましょう」という取り組みをみると、本当はどちらがあるべき姿なのか、一人一人でもう一度振り返って考えてみる必要がある。

 坂村真民の詩に『あとからくるもののために』というのがある。後から来る可愛い者たちのために、何をどのように伝え、残して行くべきかをしっかり考える必要がある。

 次々と友人や旧知が逝く。寂しい限りだ。「あいさつ」をし、「世間話」にひとときを過ごせる人が去って逝く。大事なことを伝えない年寄りが多い。それこそ「老害」だ。


2016.11.12

 澄み渡った秋の空にドローンを上げる。山々が紅葉を始めもうチョットというところだが、場所によっては真っ赤な紅葉や真っ黄色の銀杏が秋の風情を楽しませてくれる。こういう景色を見ると、フランク永井の『公園の手品師』を思い浮かべる。今週末は京都へ出かける。北山通りも秋をプレゼントしてくれるだろうし、美山町は全山紅葉で迎えてくれる。ウオークマンで『公園の手品師』を聴きながらの移動だ。
 2週間ほど鼻風邪に悩まされた。法事あり、お葬式あり、講演ありと、七転八倒であった。今年は鼻風邪が大流行だという。ペースケが点滴に通っているお医者さんもマスクでグズグズ言っている。マスクをしてお経を上げると、瞬間的ブレスが湿ったマスクで蓋をされて、どうにもこうにも具合が悪いものだ。線香の煙は超微粒子なので、これも喉に突き刺さって始末に悪い。
 当然サックスは吹けない。もう今更プロになるわけでもあるまいし。残り少ない時間になった爺さんだが、あれもこれも、ちょっとずつ味わっておきたい。気がつくと11月のカレンダーは予定でびっしりに埋まっている。僅かな時間を、思いっきり楽しんでおこう。


2016.10.31

 曇り空の中、ドローンの訓練飛行。ヘリコプターの時は対面飛行が恐ろしかったが、ドローンにはそういう感覚がない。かつてのヘリは常に姿勢をコントロールしていなければ墜落の憂目にあった。

 ドローンの場合は、コントローラのステイックから指を離せばその位置で止まっている。対面での操作が逆になることを一瞬考える余裕ができるのだ。これは、暗譜を通り越えて、カラオケに合わせてサックス吹けるようになった時の余裕と一緒だ。アドリブも入れられるあの余裕だ。

 上空120メートルへ上げると、山越に遠くの村々がよく見える。絶景かな絶景かなだ。高度40メートルに下げて、「ポイント・オブ・インタレスト」という「自動周回飛行」に挑戦。取説では英単語になっているので、自分で解り易い手順メモを作ったが、実際にやってみると、日本語対応になっていた。周回半径や周回速度を色々試してみる。次回は「コース・ロック」をやってみよう。機首を傾げて飛行する方法だが、カメラがパンするのでこの技はあまり使うことはないだろう。

 「インテリジェント・フライト・モード」にどうやって入るかが理解できたのも今日の収穫だった。スナップスイッチの切り替えと、あとは画面のアプリに出て来る必要箇所をタップすれば良いだけのことであった。

 サックスも吹かねばアンブシュアが落ちる。お勤めも。なかなか忙しい。


2016.10.27

 先日、古市幼稚園を訪問。「サックス・グランパ」のメンバーと園児の交流会を企画した。
 『どんぐりころころ』『靴が鳴る』など、童謡を10曲ばかり。知っている歌は元気いっぱいに歌ってくれた。子どもは純真だ。下手な演奏や知らない曲は「シラケ」っ放しだった。

 メンバーは、通販の「スーパー・マリオ」の衣装を着込んで登場。これは園児たちには大歓迎であった。

 園児たちへの「お土産」は「綿菓子」と「おみかん」。「おみかん」は給食のデザートに。「綿菓子」は途中の「幕の内(おやつ)」に。皆んなで手をつないで輪になって『靴が鳴る』を歌いながら遊戯室の中を巡る。
 お遊戯の後は、同行してくれた人権擁護委員の女性が新美南吉の『きょねんの木』を読んでくれる。もちろん、「やなせたかし」デザインの「人権まもるくん」と「人権あゆみちゃん」のマスコット人形を全員にプレゼント。難しいチラシが同封してあるが、「これはお家の人に読んでもらってね」と。

 みんなで記念写真をパチリ。満面の笑顔で収まった。
 最後は「皆が一番よく知っている歌を一緒に歌おう!」と、『古市幼稚園園歌』を「サックス5重奏」と「園児たちの大合唱」で閉めくくる。実は篠山市内の幼稚園では2園だけに「園歌」があるそうだ。幼稚園の先生と小学校の音楽専科の先生の合作である。これを分解して「サックス五重奏」の譜面にした。何度か練習して吹けるようになったのだ。

 演奏会が終わって園児たちはひとりずつ「綿菓子作り」に挑戦。そして給食だ。幼稚園の一日はこんな「交流」で終わった。
 次回は「ドローン」で園児たちの伸び伸びとした園庭遊びを撮影することにしょう。12月には「全校マラソン」がある。これも写真にはもってこいの光景になる。子どもたちは私たち年寄りに「素敵なプレゼント」をしてくれるのだ。

 ネットを見ていたら、「うそをつくほど平気に-不正直に脳が適応-」というのが出ていた。「小さなウソが次第に大きな罪を犯す結果になる」という研究結果のことであった。いや、「今更何を・・・」と思う。それは昔から言われていた。「うそつきは泥棒のはじまり」と言ったものだ。「うそつき」は平気で「うそ」をつく。『狼が来た』のように誰も信用しなくなる。

 子どもたちは純真だ。子どもたちの前では「うそ」は付かないことが大事だ。「親の背中を見て子は育つ」と言う。
 昔からもう一つことわざがある。「仏の顔も三度まで」という。つまり「言い訳」も三度までで、四度目の言い訳は誰も信用しなくなる。

 言うとくが、♪♪知っていながら 知らないそぶり♪♪ は流行歌の台詞であって、ケチってかどうか、邪魔くさいのかどうかは知らんが、懸命に探し求めている事柄をやっと見つけて、「こんなのがあった!!」と言ったら、「それ、知っていたで!!」と言われた時の「あほらしさ」というか「失望」というか。「コイツはそこまでドケチが!!」と思うねぇ。

 親鸞聖人が言ったねぇ。「念仏申せば極楽へ行けるというが、それはあんたらのことではなくて私の切実な課題である。信じるか信じないかはあんたらの勝手じゃ。わしゃ知らん!! あんたのことなど構っておれんわー!」ということを思い出すねぇ。
「あてにしていた私が馬鹿だった」ということじゃなぁー。

 電車の中でお化粧をする事について、以前から兎角話題になっている。"東急電鉄の「車内での化粧はみっともない」との啓発広告に賛否両論の嵐"があると出ていた。向かいの席や隣席にいて化粧を始められると「許容範囲」ではない。ちょっと化粧が崩れたから「化粧直し」程度なら我慢も出来ようが、完全スッピンから始められるのはどうも頂けない。乗り込んでから下車まで延々の化粧の結果、「スッピン」が「ベッピン」になって降りていく。

 「電車の中で電池シェーバーで髭を剃られたら、女性客は我慢が出来るのだろうか」と、一度やって見たい誘惑に駆られていたところ、先月、ボックス席の向かい側に座った老人が、バッグからシェーバーを取り出して髭を剃り始めた。
 髭の滓は空中を舞い、なんとも言えない不潔感が漂う。「やってみたい」と思っていた手前、じっと我慢で注視していたが、結論は「化粧」も「ひげそり」も自宅で済ませておくもので、他人の面前でするものではないということだった。

 「歩きスマホ」と同じ次元だ。公衆の場でのマナーというものは守ることが大切だ。髭を剃った爺さんは、かなりの勇気のある人か、あるいは、TPOが判断出来ない性格のか、あるいは認知症の傾向があるのか。横に付いていた連れ合いさんも大変そうだったのは事実であった。
 
自分の周囲で何が進行中かということを察することが出来ない人が往々にしておる。第三者的に観察するとよくわかる。♪シラケ鳥 飛んで行く 南の空に~♪ のようだねぇ。
"
 ふっと思い出した。今から何10年か前、『欣どこ・・・』というTV番組があった。「わらべ」という3人の女の子が歌っていた。『もしも明日が・・・』『めだかの兄弟』という歌だ。思い出すねぇ。まだ「若い」と言えた頃を・・・。

 次々と身近な方が亡くなって行く。昨日出会って話をしたのに・・・。と。時代は移り変わっていく。素敵な歌を歌ってくれた歌手も、素敵な演技を見せてくれた俳優も。ぼーっとしていたら、「あっと言う間」の一生だねぇ。「人の一生は織りなす糸のようなものだ」と言う。どんな糸で、どんな布を織り上げるのか? どんな布に織り上がったかを自分では見ることは出来ない。「鶏頭となるも 牛尾となるなかれ」と言われたものだ。金魚のうんこみたいに付いていく人生はいかがなものかと・・・。


2016.10.21

 ドローンの空撮をYouTubeにアップした。『ドローン爺ちゃん 空撮に挑戦だー!』。役所のドローンチームに伝えたら、早速カウントが上がっていた。今回は「コスモス畑」と「ひつじ田」が何となく「結果的テーマ」であった。いや、要するに動画空撮の試運転だったのだ。次回は「ススキの世界」てなテーマで撮影しよう。「ポイント オブ インタレスト」という「ある一点を中心に同心円状に飛行して撮影出来る自動操縦のやり方」を教わった。この歳になっても色々とおもしろいことを知る。

 「知るは楽しみなりと申しまして」という言葉を言ったのは、今から40年ほど前、NHK『70年代われらの世界』という番組のキャスターをしていた鈴木健二アナウンサーの言葉であった。

 「ラジコ」がフォームアップされ便利になった。久しぶりに聞いたのは「ジェット・ストリーム」だ。『Mr Lonley』がテーマ曲として初めと終わりに流れる。枕元のiPadでオフタイマーを掛けて「子守唄」にしている。


2016.10.18

 歯医者と猫の通院。「入れ歯は馴れてください」と言われる。「ごもっとも」です。だいぶん馴れては来ましたが、食感がなくて、何んとも味気ない。良かったのはSaxのフラジオが素直に出るようになったこと。

 猫はそれなのに症状が安定して来たようだ。回復は出来ないらしいが。東大が解明した腎疾患の原因を改善する薬が2年後には出来るらしい。点滴の間、獣医さんとそんな話に盛り上がった。医師と看護師と保護者の三人がかりで押さえつけて血液を採取する。「がんばれ! がんばれ!」と猫を励ますが、どうやら押さえつけられるのが嫌なようだ。帰りは車中を自由にしてもらえるので景色を堪能していた。「初期の状態で見つけられて良かったですねぇ」との医師の弁。ペットと言えども「尻尾のある家族」だ。

 iPadでのマップのオフライン表示の方法がやっとわかった。日常生活では特に必要はないが、つまりは、ドローンの飛行での確認に使われているのだった。どういう具合に設定を進めていけば「マップ」を「オフライン設定」出来るのかと四苦八苦していたのだ。説明の意味が良くわからない。「老人性理解力退化症」というのであろうか? やっとわかって今日も快適にドローンを飛行させる。穏やかな秋の景色を撮影した。

 昨夜は役所の後輩でもあるI君とギターのセッションをした。「マイナスワン(カラオケ)」とはまた違って、中々ステキな雰囲気が出る。少々遅延があってもI君は上手く合わせてくれるのだ。
 「気持ち良いねぇー」
と。更けゆく秋の夜を存分に楽しんだ。
 アコースティックギターとのアンサンブルでは、Saxの音量を思いっきり低くすることだった。でないと、Saxばかりが大音量になる。低く吹くことは中々難しい。「ひそやかに吹く」ということは難しいねぇ。

 京都の友人が、「若い人は力任せに吹くが、年寄りは優しく心をこめて吹く。それが良いのですよ」と私を励ましてくれたが、ギターと合わすのは、いわゆる「吹奏楽」的なのではなくて、弦楽重奏みたいな感覚が必要なんだと・・・・。

 午後からは小学校2年生が「地域の社会探検」でやって来た。「事前通告」の質問が終わって、子どもたちは次々と質問を連発する。活発な学年だ。帰りに一人ずつ全員が梵鐘を撞いた。小さな音や大きな音など、個性豊かに釣り鐘を撞く。梵鐘を撞かせてくれる寺が少ないのだそうだ。つまり、周囲から「やかましい!」と苦情が出るとか。♪山のお寺の鐘が鳴る・・・♪ という光景は昔語りなのか? そういうことを聞くと淋しいばかりでだ。

 ♪更けゆく秋の夜♪ は、猫も昼間の奮闘の疲れか、ぐっすりと隣の椅子で寝入っている。明日は市内の小学校を訪問する。暇なようで忙しい。「閑中忙あり」の「閑」はもてあますが「忙」もなかなかだ。


2016.10.16

 子どもの頃に人気があったのは「忍術」だ。猿飛佐助や霧隠才蔵などが登場して、印を結ぶと白い煙と共に姿が見えなくなってしまう。本当にそうなるのだと必死に印を結んだが、姿は消えなかった。その時の漫画の吹き出し文字は「ドローン」であった。

 広い田圃へお邪魔してドローンを飛行させる。1枚の田圃はコスモスが一面に咲いている。花すれすれに飛行させて動画を撮ってみる。高度100㍍にも上げると、チョットばかり緊張する。無事に降りてくるのかと思うわけだ。休み休みバッテリーの加減を見ながら約1時間。丹波の空からの景色を楽しむひとときであった。

 先日の短歌に「穭田」(ひつじだ)という季語があった。恥ずかしながら「穭田」という言葉を知らなかった。稲刈りが終わり、しばらくするとその切り株から青い芽が出て来る。小粒の実が成ることがあって、小鳥の餌にしたこともあったが、そんな青い穂が出ている田圃を「穭田」という。コスモスと切り株の並んだ田圃と穭田とが市松模様になっていた。もうすぐあちこちにススキの穂が夕日を浴びて綺麗に光る頃になる。ススキの穂の「ナメショット」もいいかも知れない。カメラに翼が付くと思いがけないショットが撮影出来るのだねぇ。♪♪翼をください♪♪ の鼻歌が出て来る。


2016.10.15

 秋日和。行楽の車の渋滞が起こっている。おまけにピーポー・ピーポーと走っている。せっかくの楽しみの中で、交通事故なのか急病なのか。
 「ラジコン保険」の通知がやって来た。この保険のお世話にはなりたくないがひとまずちょっとだけ安心だ。
 「渋滞の模様や如何」とドローンを100㍍ばかりに上げる。時間帯にもよったのであろうか、思ったほどではなかった。当分ドローンだ。ススキの原っぱやコスモスの原っぱを撮影に出かけることにしようと。
 何故か土日の本業(?)がすっかり暇で、ウイークデイはぎっしり詰まっている。


2016.10.14

 大学のセミナーを聴講に行った。いつものメニューは『世界の仏教』だ。今年は『草原の王朝・契丹 その社会・仏教文化の受容』だ。年内に3回の講義がある。もちろん「有料だが・・・。
 このシリーズの講座は、自分が知らなかったことを知る機会になって大変興味が沸き立つ。

久しぶりに行った大学のキャンパスはあちこち改築され、煉瓦造りの旧館を除いて、様変わりをしていた。
 配置は一緒だったが「学食」の内装はすっかり変わり、スタッフも変わっていた。「あのおばちゃんはどこへいったのだろうか?」と。
 お手頃の「かけうどん ¥100」は売り切れていた。学生の生活費を少しでも軽減すべく、設置者の「宗門」が補助しているのだ。全国のご門徒さん、ありがとうございます。

 講義には、もう90歳を過ぎたのではないかと思える高齢の女性がリュックを背負ってやって来て講義を聴いていた。多くの資料が配付され、プロジェクターでも写真などが投影される。それとなく見ていると、彼女は資料にしっかり目を通し、メモも取っていた。「人は命の有る限り勉強をすることが大事なのだ」と教えてくれたねぇ。

 世の中は「分析」時代なのか、「このシリーズを聴講している遠くからの方があります
」と最初に紹介していた。見渡すと、今までの「シリーズ」では見覚えのある方は居なかったので、「これは私のことであったのか」と思った。ここまで見抜かれると、しっかり聴かねばと・・・・。

 キャンパスは若者で一杯。「こんな光景は久しぶりだ!」とパワーを頂いた。こういう若者に囲まれている大学の講師や教授たちが老けるわけがないと思ったねぇ。思わず50年も前のことを思い出して、素敵なベンチでキャンバスの空気を吸った。「ティファニーで朝食を」を連想するような椅子が彼方此方に置かれていた。

 帰りは地下鉄を1駅手前で降りて御本山へお参りする。近くに大きな予備校があったが、少子化が原因なのかホテルに改装され、間もなくオープンされようとしていた。七条警察署の跡地の工事も終わって、「運転免許更新センター」がオープンしていた。時代は少しずつ移り変わり変化していた。鴨長明の『方丈記』を思い起こすねぇ。

 ボブ・ディランがノーベル賞を受賞することになった。若い時に彼の歌を知った。私たちの青春はフォークソングだった。それは「反体制」であり、「反戦」であった。「ベトナム戦争」に対する反発であった。今の彼の容貌は「好々爺」みたいだが、『風に吹かれて』は半世紀前の自分を思い出させてくれる。「政治や反原発の話は嫌いだ」という考え方を私は受け入れられない。「命の尊厳」ということを、もう一度振り返って欲しいと思う。仏教は単純な「先祖供養」ではない。「いのち」という自分の存在に対しての「生き様」というか、「生きた証」を自分に問いつ続けて行く「旅」である。そういえば。「シールズ関西」の集会に参加したのは去年のことだったねぇ。

 「いつの世も、若者が世界を変えていく羅針盤」である。方向を学び、一度の「いのち」を大事に使って行く地図を身に着けて欲しいと思う。


2016.10.11

 先日、ドローンがやって来た。息子のスマホにアプリをダウンして、「あーでも?、こーでも?」と設定。いや、そういうややこしいことは若い人に任せる。若い頃は「取説」を見ながら自分でやっていたが、最近は「取説」を読むのが嫌になった。そういう「時間」は使いたくないのだ。因みに息子は職場でドローン・パイロットとして登録されている。ラジコンヘリの経験は十二分にあるが、「老いては子に従え」か?
 それにしてもこの歳でドローンとは? 59で蒸気機関車。63でサックス。72でドローン。今も大学のオープンセミナーに通う。「丹波ささやまの怪僧」だって?!。

 やって来たドローンは、GPSとジャイロと超音波センサーが機能しているから、障害物に気を付けてさえおれば、極めて安定して飛行する。ラジコンヘリのように猛スピードでは飛ばない。「帰投ボタン」を押せば設定高度を維持して出発点の上に戻り、自動で着陸する。ラジコンヘリは飛行に神経の集中を要したが、ドローンは専ら写真撮影に集中できる。まさに「空飛ぶ写真機」だ。送信機から手を離すと、3次元的に一定の場所に自動でホバリングをしている。送信機の電波が届かなくなったり、バッテリーが無くなりそうになると、自動で離陸地点へ戻って来て自動で着陸するのだから、無茶をしなければ極めてセーフティーに作ってある。「フェール・セーフ」という考え方が大事なのだ。

 首相官邸の屋上や善光寺に墜落して以来、法律が改正され、飛行空域や飛行方法が細かく規定された。ドローンは危険だと思っていたが、実機を手にして安全性を理解したものだった。
 「鉄道と電線だけは気を付けて!」と言われて、「なるほど」と。かつて、ヘリコプターで農薬散布をしていた頃があったが、しばしば電線に引っかかって墜落していたことがあった。飛行空域の障害物をあらかじめ頭にイメージしておかなかったのだろうか?と。電柱と電柱の間には必ず電線があるのだということは常識の範囲内なのだが・・・。

 ♪♪秋の日のビヨロンの♪♪ 穏やかな空を見上げながら、しばしの時間の試運転を過ごす。トンビが空域を侵犯されたと思ったのか、つきまとって来たが、とうとう諦めて飛び去って行った。ネットから「取説」をダウンして読んでいると、「この機体はおもちゃではありません」と書いてあった。4Kカメラの画像はとにかく綺麗だ。もう20年も使っているデジタル一眼レフの画質を上回る。

 息子のスマホに頼るわけにはいかない。iPadが装着できればとやってみる。チョット大きくて上手いこと行かないと言っていた役所のベテランの言葉であったが、やってみるときっちり装着出来た。アプリをダウンロードしてくる。プロポとUSBで繋ぎ、電源を入れると、先日の設定がそのまま出て来る。

 これって、機体とプロポ(送信機)にそれぞれに設定が記録されているのだった。「1台送信機設定」(操縦とカメラ操作で送信機を2台設定が出来る)では、「カメラのチルトは出来るがパンニングは出来ない。パンニングは機体をパンニングすることで操作するのだ」と言っていたが、バックレフトボタンを押すことで、パンとチルトの操作の切り替えが出来る設定になっている。これって偶然の設定なのだろうか?

 少年の頃、空撮がしたかった。当時の空撮はセスナを使う以外に方法はない。が、貧しいアマチュアはいろいろ苦心惨憺したものだ。
 大き目の「凧」の糸に、小さな滑車に軽いカメラをセットし、これに小さな帆(凧)を着けて大凧を揚げる。経験的目標高度まで上がったら、小さな帆のついたカメラを手放すと、大凧の糸に沿って風を受けて上空へ導かれて行く。大凧の糸の先端に「キー」となる針金をくっつけておく。カメラの装置がこの針金にタッチするとカメラのシャッターが切れるような、驚くべき簡単なテコを応用した装置で写真が撮れる。これを繰り返して経験値を上げて行くのだった。子どもの頃、山のテッペンから延々と凧を揚げて、見えなくなって行ってしまったことがあった。「あの凧は何処へ行ってしまったのだろうか?」。もう60年も前のこあった。ドラマ『人間の証明』の「麦藁帽子」を連想する。ドラマのストーリーではなくて、「橋の上から麦わら帽子が飛んで行った」ということだけだが。

 今は手元でどんな画像が撮れているか同時進行で行える。技術は進歩するが、根性は停滞したままだ。

 万一に備えて「ラジコン保険」に加入した。減価償却は到底出来ないだろう。郵便局へ行って手続きをしていたら局員さんも興味があるのか、しばしドローンの話に花が咲いた。
 と言いながらも、読書・散歩(体力保全)・幼稚園にご挨拶・コミセン誌の取材・お勤め・原稿執筆・サックスの練修と、なかなか忙しい。丹波の秋の年寄りの一日はこうして過ぎて行く。時間はいくらでも欲しい。


2016.10.6

 丹波はいよいよ秋の味覚シーズンになる。昨日から「黒豆の枝豆」が解禁になった。食してみるとチョット早いのか、茹で方が悪いのか少々堅い。月の半ばを過ぎるとポッテリとして来る。「初物を食うと75日長生きをする」と言うから75日寿命が延びたかもしれない。本来の寿命はいくつなのかが判らないから生きて行ける。74日目ごとに初物を頂くと、寿命はずーっと続いて行けるかしら?

これから土日ごとに丹波篠山の「味覚」を求めてのイベントがある。国道が毎年大混雑だ。軽トラに豆の枝を満載して行き来している。道端での即売も始まったようだ。

 入れ歯が馴染まない。お経も発音しにくい。口の中に溜まる唾を、ブレスの時に飲み込むのが通常だが、この嚥下動作が上手くいかない。サ行・タ行・ナ行は舌が上あごにくっついて発声するが、上顎にベッタリと土手がくっついているから感触がない。微妙な接触感触がないと、発声はもちろん、サックスのアンブシャーの力加減もさっぱりだ。

 医者は「馴れてください」と言うが、上の入れ歯を取るだけでも食事の感覚が楽になるから、果たして・・・・。

 昨日の台風は、沖縄・四国・韓国に大きな被害を残して行った。夕方から大変になるというので洗濯竿を降ろし、彼方此方に強風対策をしていたが、日本海を通り、やがて温帯低気圧になったので、一時蒸し暑い空気が漂っただけで被害は出なかった。
 こんな中でも、2七日の逮夜参りがあり、少々の吹き方ならばと覚悟していたものの無事に勤めることが出来た。

子どもの頃の台風は、銀杏の枝の折れた独特の匂と記憶が合致する。風で大銀杏の小枝が折れるのだった。稲刈りの匂は、稲の切り株から立ちこめるあの独特の香りだ。秋は、目からも舌からも鼻からもやって来たものだったねぇ。

 お年寄りの訃報が入る。「昨日は元気におしゃべりをしていたのに」と。
 「お文5帳目16通」に書かれている通りだ。「・・・朝には紅顔あって夕べには白骨となれる身なり・・・六親眷族集まって嘆き悲しめどもさらにその甲斐あるべからず・・・野外に送って夜半の煙となしはてぬれば ただ白骨のみぞ残れり・・・」だ。

 1989年と言うと今から27年も前。「食と緑の博覧会」が終わって、テーマ館が我が町のカルチャーセンターになった。郷土料理の研究、ドライブインシアターなどの数々のイベントを企画した。何処で見つけたのか忘れたが、爆風スランプの「ランナー」を宣伝カーで鳴らしながら走ったものだった。我が町のカルチェラタンであった。猫に学ランを着せ、『ランナー』に乗っての爆風スランプのようなCMを見ると、当時を思い出す。

 今ならさしずめドローンだが、当時はラジコンヘリコプターもやったねぇ。パソコンなどという物もおそらく初めて挑戦したし、そういう研究会もやったねぇ。アプリなどという物はなかった。全部自分でプログラムを組んだのだった。思い返すといろんな経験をして来たものだ。♪走る走る俺たち 流れる汗もそのままに♪ みたいな時間だった。

 筋力こそ歳相応になったが、脳ミソの底にあるポリシーは衰えていない。妥協はしない。人は私のことを「癇持ち」とか「瞬間湯沸かし器」と評する。良いではないか。太鼓持みたいな生き方は嫌なのだから。


2016.10.2

 入れ歯が入って5日目。上も下も悲惨な状態だったが、今までに2度の入れ歯は馴れることができなかった。今回もなかなかだ。特に上の入れ歯は、上あごの内側にせんべいがべったりとくっついているようで、嚥下しにくいのと、味も素っ気もない食感。一番悲惨なのはアイスクリームである。冷たさを感じないのだ。この年になって半年以上の時間と高価な治療費のナントカ言う物は減価償却が出来ないから保険の利くものだが、馴染めるかどうかだ。

 口の中の容積に微妙な変化がある。おまけに舌が馴染まないので、言葉が出にくい。そこへさして、春から愛用していたサックスのリードにとうとう寿命が来てしまった。今回のは随分相性が良くて、端っこがちょっと欠けていたが、それでも良い音色が出ていた。

 仕方なく新品と交換することにしたが、これがまあ、長い間箱の中に居るとカビが生えている。良く洗い落として、微妙な調整をしつつ吹いてみるが、前のリードのような感じにならない。入れ歯と、舌の違和感がアンブシャーにも影響しているらしい。
 「このリードはダメだ」と、もう一枚を卸してくる。これもカビが生えていた。やってみるが音が悪い。暫くコップの水に浸けて馴染ますことにした。

 秋の夜長。ユーチューブをサーフィンしていると、今夏に行われた大学でのオープンセミナーの様子がアップされていた。曰く『サキソフォーン講座 彦坂眞一郎教授 オープンキャンバス』というものだ。何人の人が受けていたのか、実技はおそらく4-5名、聴講者はいくら居たのかは写っていない。

 テーマは「最短で上達を目指すための基礎講座(遠回りをしないための奏法講座)」というものである。時間は1時間ほどだった。

 アンブシャーの形で音色と音量が変わること。口の中の形で音色が変わること。ハーフタンギングの練習法。などなどが教授の実演と受講生の実技とを織り交ぜながらの講座であった。
 随分とタメになった。今まで同じことをレッスンでも教えて貰っていたが、その時は良く理解出来ていなかった。こちらの理解力と伝え方によるのだなぁと思ったねぇ。

 「指を大きく踊らせない方が良いと聞いて来ただろうが、大きく踊らせることは決してマイナスのことではない」とか、「リードはマウスピースの先端から髪の毛1本分空けて着けるというが、それは正しいことではない」など。「なるほど なるほど」と聞いた。

 「ハーフタンギング」の練習方法を丁寧に説明されていた。リードの先に舌をどのようにタッチさせるかということなのだが、これはその動画を視聴すれば良くわかる。試しにやってみたら、「言われる通り」だった。つまり、「ヨー・ヨー・ヨー・ヨー」と言葉を発っしながら吹くということであった。
「ヨー・ヨー・ヨー・ヨー」と言おうとすると、口の中で舌が前後に動く。舌が前に動いた所にリードの先端があることに馴れるというのだ。私等は、上の前歯の付け根に舌を当てに行くような練習方法を教わったが、そういう具合に舌を上下に振動させることは結局は限界があるようだ。
 3連符や4連符が続くと舌が疲れて来る。「ヨー・ヨー・ヨー・ヨー」なら、疲れ方が違いそうだ。
 音の出ている状態の中で、舌が後退することによりリードの振動が発音する。舌がリードの振動を止めに行くのではなくて、舌が後ろに下がることでリードが瞬時に鳴るということだと理解した。これだと、遅れて音が出るということは起こらない。
 ハーフタンギングが大事だということであった。「そうだ そうだ」だ。
 とにかく入れ歯にも馴れなくてはならない。入れ歯と「ヨー・ヨー・ヨー・ヨー」との格闘が始まることになる。


2016.9.27

 日本人が箸を使って飯を食うようになったのは遣唐使が中国から持ち帰った文化だと言う。「今度は中国からの使者がやって来るので、手づかみで飯を食うようなことがないように」と国中にお触れを出して箸文化を広めたと言われている。

 最近、箸を上手に使える子どもが少なくなって来た。「先割れスプーン」のせいだという人もいるが、箸だけではない。鉛筆の握り方も変だ。あれでは万年筆は絶対に使えない。

 プリンはスプーン。茶碗蒸しにもスプーン。冷や奴はどうか? 丼にスプーンがついている店もある。スプーンの方が食べやすいのは確かだが、段々と箸使いが下手になって行く。

西洋文明が必ずしも素晴らしいとは言いたくない。「洋食という物は粗雑な荒っぽい料理だからナイフとフォークが必要なのだ」と言った人がいた。「和食は細やかに料理が完成しているから箸だけで食べられるのだ」とも。

 そういう論理展開だと、西洋人は極めて「不器用」だということになる。スープはスプーンですくう。スパゲッティーはスプーンをあてがい、フォークに巻き付けて食う。その他の物は、ナイフで切り分け、フォークで突き刺して食う。日本は箸1膳でなんでもこなす。

 スープを一滴残さずパンで掬い取って食うのは西洋流らしいが、禅では、最後はお椀に湯を注いで、タクアンで綺麗に洗って飲み干す。タクアンを思わず「ボリっ」と音を立てると警策が飛んで来る。

 不思議に思ったのは、イタリアの庶民の昼食。1枚のハムをナイフとフォークで食っている場面を見たが、あれは一度やって見ると何か素敵な文化に遭遇した気分になるから不思議なものだ。

 日本人は「すすり込み」をする。饂飩も蕎麦も「ずずずー」とすすり込む。そして、西洋料理のスープも、「ずずずー」とすすり込んで顰蹙を買うことになる。
 イタリアの家庭の食事風景を放送していた。幼い子どももスパゲッティーをフォークに巻き付けているが、フォークを回す手つきがなんともぎこちなかった。スパゲッティーではなくて、マカロニ型か、昔の蕎麦切りみたいな塊りの方が・・・と思うが、要らぬお節介だなぁ。

 ジャズなどの音の出方を勘ぐってしまう。
 私の苦手とするのは、誰かの音を聞いて初めて自分の音を出して行くスタイルだ。パート譜で見ると、小節の頭に休止譜がくっついている。「ジャズは後出しじゃんけん」みたいなものだ。
 「それが格好が良いのだ」と言うが、「よいとまけ」の手拍子に馴れている体質から言うと・・・。

 スプーンの柄は、3本の指で万年筆を持つように持つのか、それとも鎌の柄を持つように握って持つのか、どっちが「マナー」なのか。
 コーヒーカップの取っ手には指を突っ込まないことと教わった。
 トランペットのピストンの傍にくっついているJ型の金具に右手の小指を引っかけてはならないと言っていた有名なトランペッターがいた。が、大方の人は小指を引っかけている。
 ヘッドホーンは頭から被るように作られているが、聴診器のようにアゴの方向から耳へあてている、いわゆる「審査員」もおる。
 サックスの息継ぎは下あごを空けて息を吸うのだと教本にはあるが、上あごを空けて息継ぎをする人もおる。
 楽譜の用紙は何故A4より少しサイズが大きいのか。
 ハ調の譜面に何故「シ#」という表記が出て来るのか。
 電話機の数字ボタンと電卓の数字ボタンの配置がなぜ上下逆さまになっているのか。
 書類を挟むのに、なぜ「ゼムクリップ」や「ダブルクリップ」を使わずに、道具がないと再利用できない「ペーパークリップ」(ステンレス製のもの)があるのか。
 水兵の帽子はなぜレンペがついていないのか。
 なぜ書店の店員や図書館の職員はエプロンを着用し始めたのか。
 坊さんはなぜ平安時代の着物のスタイルなのか

 みんなそれぞれ理由があったのだが、一度「?」と確かめてみる事も大事だ。


2016.9.18

 屁はどうしてこんなに出るのか? とめどなく、あふれるばかりに出る。どうも原因は食べ物にあるようだ。

 ニンニク丸ごとのフライは、ジャガイモをホイルにくるんで焼き上げたようなホクホクとした味と舌触りで「美味」である。
 「火」の入っていない、「蔵出し」の「生酒」は、麹の香りに誘われてなかなかのものである。これを同時に食するのは極上だ。

 禅宗あたりでは、「葷酒山門に入るを禁ず」という意味の石柱が建っていたりするが、「裏から入るのは構わない」と言った老僧がおったなぁ。が、境内からニンニクの香りがしてくるのは何となく滑稽だ。

 こういう物を食した翌日は「屁」が機関銃のように出て来る。原因は腸内細菌のバランスが崩れるためだと聞いた。
 ニンニクの強い殺菌力によって腸内の善玉菌が劣勢になり、他の菌によって発酵が進むらしい。生酒は生きている麴菌によって発酵が続くらしい。「らしい」だ。

 「出物腫れ物ところ嫌わず」というが、やはり始末に悪い。思いっきりぶっ放したら、「屁」ではなくて「実物」であることもある。外出した時は、「屁」はトイレですることにしている。万一「実物」であっても大丈夫だから。

 最近のトイレは綺麗になっている。自動車道のパーキングエリアや大きなシッョピングモールなどはまさに隔世の感がする。
 この「実物」の話は『今物語』の中の52話・「はこの不始末」にある。屁は油断大敵なのである。

 この年になっても、感心のなかったことについては随分無知な事柄が多い。今夜の「クラシック音楽館」を見ていてふと気がついたことがあった。それは、「オーケストラの配置」であった。

 どのオーケストラも基本的に指揮者を囲む半円形の布陣は2通りであると。今夜のは、下手(左)側から、#1バイオリン・ビオラ・チェロ・#2バイオリンとなっていた。その外側は指揮者の好みらしい。

 改めて調べてみると、これは「バイオリン両翼配置」という形式だそうだ。

 下手から、#1バイオリン・#2バイオリン・ビオラ・チェロという配置もある。これは「ストコフスキー・シフト」と言うのだそうだ。ステレオ感がより大きく表現出来るらしい。「初耳学」の林先生は知っておられるかどうか?

 で、DCZのMさんからアドバイスを貰ったSax四重奏の配置は、左から#1アルト(ソプラノ)・テナー・バリトン・#2アルトであった。
 これは「バイオリン両翼配置」と一緒だ。こっちの方がベースになる音を聞き取り易いのは確かだ。素人の私たちには、離れた場所の音は聞こえにくい。自分の音を出すのに精一杯だから人様の音を聞く余裕はない。

 「ストコフスキー・シフト」はビッグバンドや吹奏楽の配置がそうなっているようだが、そういう編成の時は専任のコンダクターがいるから出来るかも知れないが、カルテットやクインテットぐらいには専任のコンダクターは用意出来ないとなると、ベースがしっかり響いて来る配置の方が全体の崩れが起きにくい。と、思う。
ちなみに、カルテットやクインテットを前にして、指揮者が棒を振っているのは見たことがない。
 
 要するに、定義的にはオーケストラの配置は2種類あるということ。どっちでも良いと言えば良いが、要は4-5人の時は隣の音がちゃんと聞こえているかどうかで勝負が決まる。

 そういうことを考えると、マイクで拾った音をモニターでプレーヤーに返すのは大事なことかも知れない。「拡声」ではなくて、プレーヤーの「確認」のためだ。小編成バンドのプレーヤーがヘッドホンをしているのをPAさんに尋ねたことがあった。
 「何を聞いているのか?」と。
 答えは、「特定のキーになるパートの音」であったり「全体の音」であったりと、2種類があるそうで、本人のチョイスだと言った。要するに、遅れたり走ったりしていないかの確認と、自分の音がバランスを保っているかということだそうだ。
 「本職なおもてモニターす 況んや素人をや」だ(?)。

 私等のようなヘタクソ爺じいは、モニタースピーカーを付けてやる方が上手く揃えるためには良いかも知れない。年寄りが懸命に譜面を追っていると。「合わす」などということは「視野の外」になってくるのだから。それでなくても年寄りは、ややもすれば「独善的傾向」になっているのだからねぇ。

 「60の手習い」がカルテットをやっていること自体が、神仏をも恐れぬ無謀と言うか「オー・マイ・ガッド!」なのだろうなぁ。
 「出だしと最後が決まったねぇ。 途中はずっこけだけどねぇ」だ。


2016.9.15

 豊洲・もんじゅ・富山市議・三菱自、最早 etc etc だ。

 築地市場の豊洲移転問題が引き金ではないだろうが、「もんじゅ」の廃止是非論が喧(かまびす)しい。廃止されると、その地の経済に影響は出るが、今まで散々にマイナスの事象が出ている物を存続したって、今の人知で好転出来るとは考えにくい。

 そもそも最終処分の方法が確立されていないにも係わらず「原子力」の利用に踏み出したこと自体に過ちがあったのだ。今さら廃炉にしても、安全無垢な状態になるには何10万年もの時間を要すると言うではないか。

 かつて数年間、日本では原発は1基も運転されていなかった。計画停電もなかった。エスカレーターや切符の自販機は、ラッシュ以外は間引かれて節電した。今も節電活動は続いている。新幹線も在来線も間引き運転はなかった。ちょっと節約すれば良いのだ。

 「原発の電気は安い」というが、「電源三法」による交付金、廃炉にかかる膨大な経費、事故処理にかかる計算不能な膨大な経費は考えられていない。全ての経費を算出合計したら、1㌗当たりいくらになるのかは誰も知らされていない。地球規模の「大詐欺」に引っかかってしまっているのだ。

 一刻も早く引き替えさねばならない。躊躇したり、目先のことだけを考えていると、詐欺の利息はものすごい勢いで増殖して行く。

 蒸気機関が発明されてからロンドンの町はスモッグで汚れ、山は裸になった。石油を原料とした製品を作るために多くの公害を起こした。「文明の発達は人間を便利にさせるが、人間を不幸にする」という言葉がある。

 「経済」の発展は、一握りの富める者と、絶対多数の貧しい者を生み出す仕組みであると言った人がある。事実、経済の発展は貧富の格差を広めて来た。経済活動というものは、無尽蔵の資源が沸き出る中での「果てのない消費活動」ではない。資源は有限であり、つまるところは一升枡の中をかき回しているに過ぎない。もっと端的に言うと、1個の財布の中の限られたお金を、右のポケットから左のポケットへ移し替え、またそれを移し替えることの連続にしか過ぎないのだ。そして、その都度、資源は確実にゴミになって排出されて行くのだ。要するに「もぐらたたきゲーム」を時間と経費と資源を掛けてやっているようなものだ。「ケインズの経済論」は「まやかし」だという論理が存在する。

 ドンと言われる議員が存在して、絶大な力を裏の世界で振り回すという。まるで時代劇ではないか?
 「政治活動費」で、茶菓子代の領収書の数字の頭に数字を書き加えたというから大したものだ。「金バッチ」を棒に振るほどの金額ではあるまいにねぇ。もうこうなれば重箱の隅をほじくられても致し方がないかも知れない。が、結局「ツケ」(補選経費)は庶民に回って来るのだ。
 「お前も悪よのぉ」と少しも変わらない。三匹の侍や桃太郎侍は出て来ないねぇ。

 チョコレートは世界中で愛用され、皆んなが楽しみにする嗜好品だが、末端のカカオ生産従事者の生活は一向に良くならないと言うではないか。
 カカオの消費と供給のバランスが崩れていると言う。「代用カカオ」の研究が進んでいるというから、太平洋戦争当時の「大豆珈琲」を思い出す。「焦げていれば何でも良い」と言うことになるねぇ。

 「人間」という生き物は、ついには自然を破壊し尽くして、自らも阿鼻叫喚の世界に堕するであろう。まさにムンクの「さけび」を連想する。他の星から地球を見ると、「人間」という虫がウジャウジャと這い回り、地球を食いつぶしている様子が見えるだろう。

 大阪のとある「帽子屋」で、秋色のハットをゲットした。帽子などは食パンのように次々と売れていく物ではない。帽子は被って行くことにした。若い店員がにっこりと微笑んで私を送ってくれた。今日一日でいくつの帽子が売れただろうか?
庶民はみんな必死で働いている。「庶民による 庶民のための政治」を目指そうではないか。「人民」というと「ドン」も含まれてしまう。「ドンによるドンのための政治」であってはならないから。


2016.9.10

 爽やかな秋空。秋のそよ風が吹いて気持ちが良い。猫の点滴に行く。最近は、帰りの車中では「キャリー」から出してやる。車内を探検して、窓から外の景色を満喫して帰宅することになった。「キャリー」に閉じ込められて、エンジン音だけではたまったものではなかったろう。

 年寄りの秋の午後はゆったりと過ぎていく。いや、要するに、世間で言うところの本業は「開店休業」なのだ。それはそれで良い。みんな健やかに生きておれば良いのだ。私が正装して出かけることはなるべくなら避けたいものだ。

 そんな中で、ドローンの体験操縦をした。高度30㍍などは「屁の河童」。かつてのラジコンヘリと比べると、なんと安定性が良いというか、GPSでピタリとホバリングをする。
 村の様子の「空撮」をば。「屋根ばっかり」だ。秋の陽に屋根が光っている。ビデオも撮ってみる。巨大なクレーン撮影のように写る。遙かな隣の村々も一望だ。
 大正時代に、山の上から村の様子を一望した「絵はがき」が残されている。平成の時は?と友人たちと同じ場所に登って撮影したのは10年ほど前のことだ。今ならドローンでわけなく撮ってしまう。技術は進歩するが、ノーミソは進歩どころか退化しつつある。

 『LAURA』を聴きながら空撮した写真を見る。なんとも感傷的な感じだ。韓国のSaxプレーヤーたちの中では、2~3年前に『ダニー・ボーイ』や『LAURA』が人気だったらしい。みんな上手だ。あーゆーふーに吹いてみたい。


2016.9.5

 NHKの「クラシック音楽館」。昨夜のプログラムは“ヒーロー&ヒロイン大集合!”だった。N響での主題歌は楽しかったねぇ。
 番組の後半は「まろ&広上淳一 学校で教えてくれないクラシック」。これが「なるほど なるほど」だった。
 「まろ」とはN響第1コンサートマスターの篠崎史紀。広上淳一は指揮者。「まろ」とは上手くニックネームを付けたものだ。お公家様のような風貌を連想する。

 いや、それよりも、彼のクラシックについての解説や、子どもたちへの公開レッスンでの教え方に感心すると共に納得した。

 「そういう風に弾いたら味も素っ気もない」というようなニュアンスを子どもに判るように教える。
 「音楽は物語になっているのだから、その場面の情景を頭に描いて弾くのです」
と。それは、作曲家のイメージではなくて、子どもがイメージ出来るお父さんやお母さんの言葉を思い出すのだと言うから、子どもにはより具体的にわかったようだった。
 思わず座り直して聞き入っていたねぇ。

 「そうだ そうだ」。「甍の波」とは何なのかが判らなくては『こいのぼり』は演奏出来ないわなぁ。

 で、『ラデッキー行進曲』だ。
これを幼稚園のピクニックになぞらえたねぇ。

 最初の4小節は「みんな 前に並へ!」
 5小節目からTrioまでは公園の中を皆んなで元気よく歩いて行く。大きな木が茂っていたり、小鳥がさえずっていたり、そんな中を仲良く手を繋いで元気よく歩いて行く。
 Trioからは、クローバーが一面に生えている広っ場に到着した場面だ。リュックを下ろしてお弁当を広げる。ウインナーだ。卵焼きだ。おミカンも入ってるぞー。

 DC all Fine の前からは、リュックに荷物を収める。そしてDCで皆んな再び手をつないで公園の探索に出発用意。

 子どもたちの歓声が木々にコダマする情景を連想して演奏すれば、とても楽しい『ラデッキー行進曲』になりそうだ。
 もっと早くに知っていたらと残念に思う。

 「まろ」さんは言わなかったが、私は私なりにこんなことを思ったねぇ。
 「f」は「強く」。「p」は「弱く」。と思っていたが、そういう解釈ではないのではないかと。
 「f」は元気よく。「p」は「優しく」。と演奏すれば、より相手に伝わる音楽になるのだと。抑揚というのは「強弱」という単純なことではなくて、「センス」の範疇だと思った。


2016.8.27

 やっと秋の気配がして来た。いや、台風10号の影響なのかどうかは判らないが。ヒグラシもツクツクボウシも終わり、秋の虫が合唱を始めた。

 恒例の『地蔵盆たそがれコンサート』も無事終了。「来年も・・・」という応援に、「生きているかどうか・・・」と。毎年聴きに来てくれた近所の婆ぁちやんが今年は顔を見せなかった。「足が痛く、腰が痛く」と。そういう意味では「一期一会」の毎日を過ごしていることになる。

 今年はJK2人が初登場。喜んだのは本人たちではなくて婆ぁちゃん。一家総出の応援だった。「来年は私も・・・」という人も出て来る。ステージは「麻薬」だねぇ。

 歳を取ると気が短くなる。先が見えて来るからかも知れない。なまっちょろいことを言われるとパチンコの玉が跳ねるような反応を起こす。公的会議でも癇癪を起こしてしまう。
 「市民のための行政か?、行政のための行政か?」と。行政経験は充分にあるから余計に行政の曖昧な答弁や見解にはカチンと来るのだ。「そういうふうに言われると心外だ」と言うから、「心外なのはこっちの方だ」と応酬する。行政と妥協していては「大政翼賛」の二の舞になる。「役人らしからぬ役人」と言われて来たプライドが許さないのだ。

 今夜のN局の歌番は懐かしかったねぇ。荒木一郎がロマンスグレーになっていた。天童よしみの歌は抜群だ。ゴダイゴも久しぶりだったがすっかりおじさんになっていた。が、みんなお客に楽しんで貰うということを第一に、精一杯のサービスを振りまいていた。自分が楽しむことも大事だが、お客に楽しんで貰うことを念頭に置いて始まることが芸事の基本だ。

 「ボロは着てても心は錦」というが、ボロを着た「門付け」はいない。人生最後のお見送りの「お葬式」では、どんなに貧乏な寺の和尚であっても精一杯の衣を纏ってお見送りをする。コンサートは「ハレ」の場だ。普段着で人様の前に立つのは百年早い。
 幼稚園ぐらいの年齢のピアノ教室の生徒が、年に一度のホールでの発表会では、ドレミファソラシドに毛の生えたようなのをやるのにも、親は福沢諭吉と惜別してドレスを買うのだ。

 「舞台には魔物がいる」などという言葉があるが、私はそうは思わない。メッキが剥がれただけのこと。「百回の練習よりも1回の本番」という言葉の通りだと思う。「1回の本番」のためにどれだけの練習をしたかということだ。

 芸事の師匠は、まずは「発表会」を設定して、その日に向かって弟子を指導する。「ハレの場」を先に設定するのである。
 目標があっての「基礎練習」であって、「基礎練習」の結果の先に「目標設定」があるのではない。「基礎練習」ほどおもしろくないものはない。

 それにしても、「むせぶようなサックスの・・・」という表現があるが、あれは要するに天童よしみの歌い方と共通するものがある。ソロで楽譜通り吹かれても、面白味も何もない。


2016.8.19

 大阪へ出かける。用事は特にない。先だっての「らららクラシック」でやっていたベートーベンの『悲愴 第2楽章』の楽譜を求めるぐらいである。

 何の気なしに枕元のメモを読むと、『藤沢周平 父の周辺』と書かれたものがあった。気のついたことはメモを取るようにしているが、これが一体何なのか、多分本の名前であろうことだけは推測出来た。

 丹波路快速を尼崎で乗り換え、東西線で「北新地」へ行く。改札を出ると、そこは目的地の大阪第2ビルだ。この2階に楽譜店がある。
 先だって、楽譜がどのように書架に並べられているかを店員に聞いていたので、ベートーベンの所を探すと出て来た。が、『悲愴』ではなくて、『ピアノ・ソナタ第8番ハ短調作品13』というのが正式らしい。ベートーベンはアルファベットを読むと「ビートホウベン」だ。幸い当たったのが背表紙に題が書いてあるものであった。そして日本語で表示してあった。
 この種の単品の楽譜は、薄っぺらで、ぎっしり書架に並んでいるので、見つけるのが大変だ。おまけに原語で書いてあり、背表紙などという物は殆どない。ドイツ語、イタリア語、フランス語が片言程度でも読めることが必須条件かも知れない。

 『悲愴』には違いないが、目的の「第2楽章」は?
 本には「第2楽章」などという表記はない。曲の解説には原語と日本語翻訳がついていたので、そこをまず読む。
 悲しいかな、こういう楽譜にはご縁がないから、ひたすら終わりの小節線を探す。1つ目の終わりの記号の次が「第2楽章」であろうと。
 日本語解説には「第2楽章 Adagio cantabile」云々とあって、検討をつけた所の頭にAdagio cantabileとある。「あった あった」という次第。
 こういう所では、「ついでにあの曲も」というわけにはいかない。誰の作曲で、原題は何かということを知っていなければ、皆目見当がつかないのだ。ちなみに、ギターかピアノとサックスのユニットでの『When i fall in love』がないかと探し始めたが見つからない。店員さんも検索してくれたが、自分の望む編成の楽譜という物はないものだ。

 メモの裏には『ブラームス バイオリンソナタ 雨』とあるが、これでは私では探せない。「また次にするか」と紀伊國屋へ向かう。

 地下街を通って行けるので途中でザルソバをば。ずらりと飲食街なので、どの店が良いか、行き当たりばったりだ。

 書店に着いて、『藤沢周平 父の周辺』はどの書架を探せば良いのか?
 店には何箇所にも検索用の端末が置かれている。題名を入れると書架の場所や番号を表示するので容易にたどり着けるのが便利だ。

 用事が終わった。下りの丹波路快速に乗って早速『藤沢周平 父の周辺』を取り出す。帯を見て思い出した。
 東山紀之と松たかこ子が出演していた『ふつうが一番』というテレビドラマになった原作の「エッセイ集」?だったのだ。書いたのは藤沢周平の一人娘の遠藤展子である。電車の中で読み進むと、ドラマに出て来たシーンを思い出した。エッセイ風なので、一つ一つのテーマは2頁ほどの量だから快適に読み進められる。

 傑作なのは、「コーヒー物語」という箇所。周平が久しぶりに母(妻)を誘ってコーヒー店に行ったが、財布を忘れて来ていて、母が往復2キロの道を走って取りに帰ったことや、「美味しいコーヒーを入れる店があるから・・・」と母を誘って出かけた喫茶店で、母が何気なくカウンター見ていたら、インスタントコーヒーの瓶をもってコーヒー入れていた。「ここのコーヒーはインスタントみたいよ」と周平に言ったら、「むむむ・・・」と言ったきりで、二度とこの店に母を誘うことはなかったそうだ。と書いてあった。

 種明かしをすれば、そんな事はアチコチでもあるようだ。

 20年ほど前。お正月に家族で猪鍋を食べに行った。我が家から片道500㍍ほどにあったレストランだ。その店は、今は交叉点拡大工事に伴って閉店して跡形もなくなっている。

 息子が大食いなものだから、「追加をしても良いか?」と聞くから、「ダメだ」とは言えずにいたら、なんと勘定が・・・。カミさんは慌てて家にお金を取りに戻った。

 昼食に立ち寄ったあるお店。厨房を覗き見る事が出来る椅子に偶然にも座った。洗い桶の中に突っ込んである「菜箸」を無造作に取り上げて盛り付けをしている。ゴミをつまんだ箸ではないものの、洗い桶からそのままというのはなんとも気持ちの良いものではない。わたしは二度とその店へ入ることはなかった。

 世の中にはよく似た経験をしている人がいるものだ。ちなみに藤沢周平は若い頃にギターをやっていたらしく、『禁じられた遊び』を素敵に弾いたという思い出が書かれていた。


2016.8.18

 地蔵盆まで残すところ6日になった。ひなびてしまった村に昔の面影はない。みんな歳を取って、かつての賑わいは想像もつかない。

 道路一杯に見物客が通り、道の両側にはおもちゃ、綿菓子、金魚すくいなど、夜店がぎっしり並んだ。アセチレン灯の匂は、まさに北原謙二の『ふるさとのはなしをしよう』の情景だった。薄暗い広場では、大人たちは『江州音頭』などの「祭文踊り」を楽しんでいた。若い男女の出会いの場でもあり、盆踊りが「縁」となって結ばれたカップルもたくさんあった。

今は閑散として、どうやら今年は「子ども縁日」と「たそがれコンサート」だけがほんのひとときの賑わいになりそうだ。

 そんなライブコンサートに京都からやって来るゲストが『When i fall in love』を演奏すると言う。
 恥ずかしながら、曲と題名は殆ど一致しない。しかし、今は便利になった。YouTubeで検索すると出て来る出て来る。

「これって どっかで聞いたことがあるなぁ」と。

 調べてみると、やっぱり有名な曲だったのだ。私の好きだった「ドリス・デイ」が最初に歌い、その後、続々とカバーされて、120人以上が録音しているようだ。かの「ナット・キング・コール」もセンスの良いスーツを着て歌っている。

 昔の「門付け芸人」は衣装もきちんとしていた。そうしないと誰もおひねりをくれない。「ラフなスタイル」というものほど本当は着こなしの難しいものはない。ポロをまとうのとは紙一重だ。「衣食足りて礼節を知る」と言われるが、それは本当のことだ。「着ている物によって人格が成り立つ」とも言われた。

『When i fall in love』。「ピアノとテナー」、「ギターとテナー」という組み合わせも素晴らしいねぇ。まさ大人の曲だ。これを次はやってみよう。ギタリストかピアニストを探さなくては!。相当難しい曲だ。指は簡単だろうが、表現がむずかしい。楽譜通りに吹くだけでは「味も素っ気」もない。


20168.16

 毎年8月15日16日は篠山の「デカンショ祭り」が開かれる。「デカンショ節」は江戸期からの「三つ節」が元で、明治期に学生のコンパから広まった。
 「デカンショ」という囃し言葉は、「デカルト・カント・ショウペンハウエルから来ている」とのもっともらしい説があるが、「どっこいしょ!」という「相の手」み、酔った勢いで「デッカンショ」になったという共同研究を40年前に発表したら、権威をつぶされたのか、あちこちから、例の「リケジョ」のように叩かれた。
 当時は江戸時代から「デカンショ節」という盆踊りの歌があったということであったが、そういうことではなくて、小松政夫や伊東四郎の『電線音頭』観たいな発生状況であった。
 しかし、今では私たちの研究の結果を認めざるを得ないことになって「通説」となった。
 この「デカンショ祭り」は、必ずと言って良いほど1日は夕立に見舞われるのも通説である。
 昨日は、とある団体の啓蒙で、ウチワとタオルを観光客に配布した。踊りにも参加して、会場から我が家への離脱には40分もかかった。 そのあと、シトシトと夜の雨が降り続いた。
 踊りの会場の上空をドローンが飛行して撮影をしていた。ピタリとホバリングして、まるでUHOのような景色であった。市役所が所有しているドローンである。
 ラジコンヘリコプターでは随分苦労した。ジャイロは登載されているが、「当て舵」と「対面飛行」が難しかった。しかし、ドローンはGPSと精密なジャイロが登載されているので操縦は極めて簡単だと息子が言う。
 昨夜の飛行は「篤っちゃん」と息子がやっていたという。どう見ても器用ではない息子だが、プロポ(操縦装置)から手を離すと、その場でじっとホバリングをし、いよいよ困ったら「帰投ボタン」を押せば手元に戻って来るという。
 触手が動いていたが、「ゲットすべぇー」と好奇心が爆発しかけた。3000円の手のひらサイズのドローンを室内で楽しんでいるが、実機は遙かに扱いが簡単だという。
 そういえば、ラジコンヘリが操縦できれば、実機のヘリなどはいとも簡単なことだと言われていた。今度、練習飛行の時にちょっとやらせて貰うことにした。市役所の広報の写真などにも活躍しているドローンである。
「雨雲レーダー」では、篠山は夕立の真っ最中だ。夜店も踊りの会場も、観光客も大変だが、自然にはどうしようもない。
「地蔵盆 たそがれコンサート」まであと1週間になった。


2016.8.14

 24時間に1冊のペースで「新書版」を読み進んでいる。注文した本が「どさっ」と配達されたので読まないわけにはいかない。

 おもしろかったのは沖浦和光の『旅芸人のいた風景』。子どもの頃に出会った旅芸人を思い出す。私の年代がかろうじて経験しているのだろう。「どさ回りの芝居」というのが、1年に1度ほどやって来た。

 村の広場に小屋がけをして、「任侠もの」を演じる。芝居が去って行った後の1ヶ月ほどは、子どもたちは「チャンバラごっこ」にどっぷり浸かるのだった。
 風呂敷を頭に巻いて鞍馬天狗の格好をしたり、背中に端折って股旅者の合羽になったりと、風呂敷一枚が衣装に早変わりの遊びであった。「印」を結べば本当に姿が消えると信じていた。今やみんな爺さんや婆さんになっているが、昭和30年代には村の青年団でも芝居をやっていた。

 駅前では万年筆売りが時たまサクラを引き連れて店を開いていた。が、子ども心に思ったのは、「あんなおっさんは知らん。ここらの人ではない」と。それがサクラの胡散臭い商売であることはわかったものだった。一日にどれほどの売り上げがあったのか。決して豊かではなかった時代であった。そして今も獅子舞はやって来る。

 『旅芸人のいた風景』の巻き表紙(カバー装丁)に印刷された「春駒」の若い女性の顔が、何とも言えない哀愁を帯びているのが心に滲みる。

 次に興味を引いたのは、泉鏡花の『蛇くい』。武川繁太郎の『風潮』。福田蘭童の『ダイナマイトを食う山窩』であった。

 どれもこれも、何となく心の片隅に記憶されている情景であった。

 お腹を空かし、人の視線を避けてうずくまる貧しさの一面はひた隠しにし、華やかな部分のみにスポットが当てられている今の世情。
 これらの研究や小説(ノンフィクション)に登場する人たちが、その世界でしか生きて行けなかった仕組みがあったことを知っていて読み進むのであった。

 「佐渡の春駒」というのが動画にアップされている。昔のままの姿が保存伝承されているのだと観た。中世から江戸時代まで、たくさんの種類の「門付け」と言われる芸能があった。
 佐渡は歴史的に特異な所であったから、全国の芸能・文化が持ち込まれた世界であり、伝承されているものは貴重な遺産である。

 お盆になると坊主は「棚経」と称して檀家を回る。これは要するに「門付け」の変化した物ではないかと考えるようになった。「棚経」と「年始回り」は私の最も嫌な仕事であった。

 仏壇や位牌は儒教にルーツがあるといわれる。仏教が儒教に触れたことで「儒教化」して行った。「輪廻転生」は仏教の根本思想と言うが、「輪廻転生」は「バラモン教」の考え方であり、せっかくバラモン教から飛び出したのに、またその考え方に戻って行った。

 こう考えると、仏教というものは、初めの理念から大きく違って来てしまったのではないかと思っている。
 仏教学を展開するつもり更々ない。しかし、見た目には、1軒ずつ回ってお布施を頂いて回るのは「門付け」と何も変わらない。「托鉢」と少し違った一種のプライドを付加させたものに思えてならない。仏教の考えは不思議だ。伝承される間にいろいろと付加され、都合よく展開されて行ったのではないか。「三種の浄肉」などはまことにご都合主義の論理展開だ。

 「寺が年に一度やって来るのだから、こちらからわざわざ寺に参らなくても良いではないか。必要に応じて寺へ出前を頼めば良い」という考え方も出て来る。いわば「寺の通販」になるのだ。

 檀家とか信徒というものは、宗教を通した「運命共同体」である。そこへ、「必要に応じて」と言うことになると、もはや信仰・信心という宗教にとっての根幹部分が欠落して行くことになる。
 関心は「お布施の額」にのみ傾斜して行くのだ。「浄土往生は、ひとえに我がこと」である。他人様のことどころではないし、亡きご先祖の冥福祈念ではない。お葬式の「引導」で、導師が美声を張り上げて、「極楽往生間違いなし!」と言うが、果たして本当に請け合えるのかな? 調子外れの下手な抑揚で言われたら、「極楽往生覚束なし!」に感じるかも知れないねぇ。武川繁太郎の『風潮』は、私に、そんなことを考えさせながら展開して行った。


2016.8.10

お盆がやって来た。関西は8月。関東は7月というが、「思いがけない初盆で・・・」という言葉がある。近所に嫁いできた同級生が、この初夏に「大好きだった夫」と死別した。落ち込み方は並大抵ではない。
 満中陰を何とか済ませてから、疲れが出たのか20日も寝付いてしまっていた。ひとりぼっちになっている彼女に、どのように励ませば良いやら戸惑ってしまう。

 私自身が、彼が逝ってしまうなどと思いもよらなかった。病の床に伏せてはいたが、小指を立てて世間話をしたのもついこの間のことだった。
 郵便局への帰り道、尋ねてみると「初盆のお祀り」がしてあった。いつかは必ず別れの日があるのは紛れもない真実なのに、いつもそのことを忘れている。いや、気に掛けようとすらしない。

 夏川りみが歌った『涙そうそう』は、初めの頃は亡くなった恋人を偲んだ歌だとばかり思っていたが、実はそうではなかった。
 作者の森山良子が、若くして亡くなった自分の兄のことを偲んで作った歌だと言うこと。どんな歌にも、本当の「裏の思い」が密かに託されている。「テレビで流れているから・・・」、「誰々が歌っているから・・・」と思ってしまうが、そんなアンチョコなことで歌は作られていなかった。

 今夏も地蔵盆に寄せて「たそがれコンサート」を開く。私にとっては最後かも知れない。来年の約束などはできないのだ。
 どんな曲を選ぼうかと随分思案を巡らす。この世で最後かも知れないと思うと、どの曲を選ぶかは、私の今の「思い」を伝え遺すことに他ならない。「下手でも良い。どうしてもこの曲をやりたい」という思いがこもってこそ人様は聞いてくれる。

 女優の「大竹しのぶ」にくっついて1年間の取材をしたドキュメントがあった。彼女は歌手ではない。ディレクターから「下手ですよ」と言われても、彼女はどうしても歌いたい歌があるという。

 音楽の素養はない。しかし、キーボードに、
 「そこはこんな風に弾いてほしい」
と、音楽用語が判らないままに必死に伝えていた。

 ホールに一杯の観客が入り、バンドが勢揃いをしている。衣装を身に着け、彼女は颯爽とステージに。
 ところが、イントロが終わって歌に入る所を間違えた。
 「間違えちゃった。もういっぺん・・・」
と言うと、観客は暖かい拍手を送った。
バンドももう一度やり直しだ。が、みんな暖かい。
 歌は、決して「上手い」というレベルではないのは確かだが、懸命に伝えようとしている姿は感動だ。

 「私の歌を聴いてくださるのだから・・・」
と、衣装替えもする。
そこらの普段着で人に聞いて貰っている輩とは随分違うねぇ。

 いつも、何に出会っても、「これが人生最後の機会だ」と思ったら、そんな失礼なことはしないと思う。

 猫が週2で点滴に行く。たかが猫。されど猫。尻尾のない家族だ。あいつがいてくれているから心が和むのだ。


2016.8.8

 Saxの練習会。ライブコンサートまで半月になった。カルテットの仕上げに向かって練習する。ソロはそれぞれ各自でやっているだろう。私の知ったことではない。

 音の上手く出ない人は、自分の楽器が名器ではないと思ってか、どうも納得しない。それは私もかつて同じことを思ったのだった。
 「もっと良い楽器を買ったら?」
と横から茶々を入れるが、そういうことではない。

 今夜は、かつてレッスンを受けていた先生が楽器持参で練習を覗きに来た。
 その人の楽器は60年前の「アメセル」の中古だ。「じゃじゃ馬」のような、所謂ビッグバンド向きの音色である。
 自信喪失している人の楽器を吹いて貰うことにした。自分の楽器に着いているMPを付けて吹いて貰うと、なんと見事な音が出るではないか!!

 決して楽器が原因で音の出が悪いのではない。要するに吹き方が悪いだけなのだ。セルマーのMPと、メイヤーのMPとの差はあるかも知れないが、詰まるところは息のコントロールに原因がある。

 楽器が重いとか軽いとか・・。軽いのは真鍮を始末しただけ。その分重厚な音ではなくて、派手なチャルメラみたいな音に近い。重いのはどっしりした共鳴になり、落ち着いた音になる。どういう音色を求めるかによるのであって、軽重が名器の判定基準ではない。
 金属屑で売る時には重い方が高く買ってくれるぞ。
 世の中には何故か「アメセル信者」みたいなのがおる。もはや「カルト」に通底する。

 下手なのを楽器のせいにするのではない。高価なアメセルを買っても上達出来なかったら、「薦めた責任」をどう取るのか?

 余生わずかと判っているのに「インプラント」を薦める歯医者は何処にもいない。

 そんな事より、背筋をしっかり伸ばして、しっかりと腹から息をコントロールして出したら、素晴らしい音が出るのだ。
 迷うのではない。自分の楽器を信じるのだ。

 地獄へ落ちるか極楽浄土に行くかは、坊主のお経の上げ方ではなくて、本人の生き様だ。「善人なおもて往生遂ぐ 況んや悪人をや」というが、「自身は救いがたき悪性を備えた人間だ」という自覚が往生の要因なのだ。お経の節回しによってありがたさが変わると思うのは全くの錯覚である。節回しよりも、説かれている中身が大事なのだ。

 「アメセル」を買ったら名プレーヤーになれるのなら、私は食う物も食わずに「アメセル」を買っていたねー。世の中はグローバルになっている。どの国の製品であっても、素人には大同小異だ。

 抹茶茶碗によって点てた抹茶の味が物理的に変化はしない。高価な茶碗で点てた茶は美味しく錯覚するだけだ。丼鉢であろうと、尿瓶であろうと同じだ。千利休は、台湾だったか沖縄だったかは忘れたが、尿瓶をさも名器みたいにして茶を入れたそうだ。

 お茶などと言うものは、所詮は茶筅のかき回し方によるのだ。ケーキのメレンゲを作るのと同じだ。
 電気ドリルの先に茶筅をくっつけてかき混ぜた方が、きっと細かい泡を作り出して、芳醇なお茶が点つかも知れない。
 そういうことを、「とある先生」に言ったら、大茶会の水屋では、いちいち手で点てられないので、「そういうこともある」と言ったねー。
 手品も種を知れば誠にお粗末限りない。

 もっともらしいことには裏があるのだ。

と、口を酸っぱくして言っても、信じている人はどうしようもない。
 昔から「道具自慢はみっともない」と言われて来たものだ。


2016.8.6

 「夕立三日」という。昨日の夕方も、雷鳴と共に雨が降ってきた。お陰さまで、夜更けになると山から涼しい風が吹いてきた。今日も昨日と同じ頃に黒い雲が空を覆い、雷鳴と共に夕立が来た。「雨雲レーダー」を見ると「真っ赤」になっていた。今夜も涼しい風が訪れることだろう。それにしてもこんな日中の暑さは70年の間に経験したことがない。

 朝から「広島の鐘」を撞いた。10人ほどがやって来た。人口の1割弱だから、まあそんなもんだ。ペースケの腎不全の点滴に出かける。「夏バテ」と美味しくないであろう「医療食」とで食欲がなく、体重が300グラムほど減っている。それでも、時たま家の中を走りまわって、元気そうにしているからちょっとは安心。何しろ「尻尾のある家族」だ。

 Saxを初めて9年目を行っている。最近ネットを見ていると、「すぐに上手になれる」というCMが入る。わっちの経験上の経験だが、
 ・基礎練よりもカラオケで吹くのは楽しくて、早く吹けるようになる。
 ・基礎練は時々で良い。それに費やす余命はないのだ。必要になった時にやれば良い。
 ・小理屈よりも吹く回数だ。それは楽しく吹くことの環境を作ること。
 ・好きな曲を見つけたら、徹底して聞くことだ。当然ウオークマンを活用する。
 ・カラオケのベースなどが聞こえるようになると占めたものだ。小節がわかって来る。
 ・譜面台は低くセットする。譜面台が高いと、写真に撮ったら、台の上の晒し首になる。みっともないの極地だねぇ。
 ・1本が上手く吹けるようになったら、他のも吹けるようになる。
   テナーが満足に吹けないのに、アルトやソプラノをやっても、どれも上手くならなかった。2兔は追えなかった。
 ・メトロノームは「糞食らえ」と思うことだ。それに頼ると、それがないと吹けなくなる。
 ・浜口親子だ。「根性だー!!」
 ・いちいちケースに収納しない。いつも手の届く範囲でスタンバイさせておく。
 ・好きなプレーヤーの真似をする。自分流は100年早いわ!! 真似てる間に上手になれる。稽古事は「真似」から始まって「真似」で終わるのだ。
・「ドングリの背比べ」という。お手本を見つけて行かないと、所詮「ドングリはドングリ」に終るのだ。
 ・名器がどうのこうのは、所詮「あこがれ」に過ぎない。そういう奴に名器を持たせても下手は下手。「弘法は筆を選ばず」という。弦楽器以外の「名器論」は迷信の域を出ない。高価な駒を持っていても、将棋が上手になれる保障は何処にもない。高価な筆を持っていても、必ず名画が描ける保障はない。高価な鍬と廉価な鍬での農作物の味は変わらない。道具自慢は反吐が出る。そんな事に惑わされないで、1回でも楽しく練習する事の方が精神衛生上も良いのだ。


2016.8.5

 猛暑の中、8月のコミュニティー新聞の取材に行った。初めは高齢者の「生き生きは塾」だ。
 高齢者が体力を保持するために、いわゆるストレッチを皆んなでするのだ。会場の関係から、定員は10人に満たないが、体重測定・血圧測定・片足立ちの時間測定など、「健康チェック」の後、歌を歌いながらストレッチをやって行く。
 体をひねるのは大事な運動で、腹横筋を丈夫にする効果があるのだそうだ。「今はどこの筋肉を動かしているのかと考えながらやってね」とトレーナーが言っていた。
 足から頭まで、全身のストレッチがゆっくり進められる。市と老健施設との共催事業だ。みんなと私は顔馴染み。私がシャッターを切っても私の存在は空気のようだ。エアコンの効いた部屋の中でゆっくりと午後の時間が過ぎて行った。
 
 次に訪問したのは「放課後児童クラブ」。夏休みは朝から放課後なので、29人ばかりの小学生がスタッフと一緒にゲームをしたり、テレビを見たり、宿題をしたりと、夕方に保護者が迎えに来るまでの時間を過ごす。コミュニティーセンターに出入りしている大人ともすっかり顔馴染みだ。

 最後は「どんぐりはうす」と名付けられた「延長保育」へ。幼稚園の放課後の保育だが、幼稚園も夏休みなので朝から子どもたちが来ている。どうやら午前中は水遊びを楽しんだようだ。持参のお弁当の後はカーテンの閉められた薄暗い部屋での「お昼寝」だ。エアコンが効き、天井の扇風機もゆっくり回っている。
 なかなか寝付けない子もいたが、4人のスタッフがそれぞれ両手で背中を撫でていると、15分もするとすっかり夢の中へ。「餅は餅屋」というが、さすがに保育のプロフェッショナルだ。私などは、毎夜「睡眠導入剤」のお世話になっているのに。
 19人の子どもたちの寝息と夢を見守るように、校庭の小さな池に可憐な睡蓮が咲いていた。

 これで3つの記事の確保が出来た。毎月「ネタ探し」に大変だ。ホッとして小学校の職員室を訪問する。午前中はプールに子どもたちがやって来て歓声が上がっているが、午後の小学校は静かだ。先生たちも教材整理などで忙しい。JJ(じじい)が邪魔をして暫くの世間話だ。

 境内の槿(むげ)も開花し始め、サルスベリ(百日紅)の花も漸く開いた。「槿」の花は朝に開いて夕方には閉じる。白居易の詩(「白居易放言」)に、「槿花一日自為栄」という段落がある。大高源吾は不破数右衛門の襦袢の背中に「槿花一朝自為栄」と書いた。槿の花が咲くと夏は真っ盛り。蝉も大合唱だ。

 明日は広島の日。8時15分に皆んなで追弔と非戦の誓いの鐘を撞く。西に向かってそっと手を合わす。篠山の小さな寺からも鐘の音が響くのだ。


2016.7.31

 猛暑だ。腎不全になっているペースケは食欲もなく、彼方此方でゴロンと寝転がっている。人間も堪らぬが、猫も堪らぬだろう。週2回、獣医さんへ行って点滴を受けている。回復はしないということだが、せめて今のままでいてくれることを願っての通院だ。「尻尾のある家族」なのだ。

 真空管プリアンプと真空管ヘッドホーンアンプのセットアップが出来た。仄かな灯りでBGMを聴きながらの仕事が出来る。

 昨夜の「らららクラシック」は3月の再放送で、『禁じられた遊び』だった。あらためて見聞きしてよくわかった。
 「和音」を同時に弾いて行くと、何ともだらしない、味のないトコロテンだが、この「和音」を分解して演奏すると曲がしまって来るというか、メロディーが素晴らしいものに変わっていく様子を確認していた。
 この分解して、本来1つの和音を連符などで順々に演奏していくのを「アルペジオ」というのだと自分で解釈した。
 これをアドリブ的に応用すると、あのジャズ的な心地よいフレーズが実現出来るのではないかと・・・。

先日午後の会議が終わって外に出たら、ぱったりと再会。と言ってもブランクは1年3ヶ月だが、古市小学校に勤務していた音楽の若い先生。今は市内の別の小学校で1年生を担任しているという。
 「私の事を覚えてくれていますか?」
という。
 憶えとりますが、とっさには下の名前が出てこない。
 「セッションしたいねぇ」
と言うと、
「是非やりたいです!」
と言ってくれた。

が、

「セッションをするためにはセッションの練習から始めないとねぇ」
と二人で大笑いになった。
「私ジャズは出来ないので・・・」
と言うので、
「わっちも出来ないが、ジャズ風ってのは?」
と。

 松田忠信(204JAZZTRIO)が弾く『夏の思い出』や『かもめはかもめ』のピアノのような掛け合いセッションをしたいものた。

 夢はいつか実現しそうだ。

 「『◇□小学校1年生の歌」とか『◇□小学校2年生の歌』なんかを作ったら、人生の足跡がいつまでも残るそ!」
と言ったら、
「やってみようかなぁ」
と笑顔で言った。ちなみに『古市幼稚園歌』は彼女の作曲で、『義士の歌』の採譜復元もしてくれた。元気な「1年生担任」の若き女先生である。


2016.7.29

 先日、何やかやと忙しい中で、時間を生み出して大阪へ出る。目的は電子パーツ。通販で買えば良いが、大阪見物も楽しみの一つだ。1時間弱を丹波路快速に揺られ、地下鉄を乗り継いで日本橋の電気街へ到着。500円にも満たないパーツを買って再び地下鉄に乗る。地下鉄の入り口は、何故か地上から風が吹き込んで来て気持ちが良い。

 50年前そのままのお店もあるが、大阪の電気街も随分違って来た。黒門市場あたりになると外国の人が多い。夫婦?連れや子ども連れは殆どが外国の人だ。話している言葉はサッパリわからない。
 地下鉄内の案内ディスプレーには、日本語・英語・中国の簡体文字・ハングルが交互に表示されるから、「橋は簡体字ではあーなるのか」と感心の連続だ。「橋」の簡体字だけではわからないが「淀屋橋」と出て来るからわかるだけだが。

 乗り継いだ先は「本町」。ここには別院がある。ちょっとお参りしてから「船場ビル」へ。ちょうどお昼になったので、並び立つ食堂を散策して、結局は「日替わり定食」だ。

 「船場ビル」は衣料品店がずらりと並んで、昔は「問屋街」だったが、最近は「素人さん受付」の店もたくさんある。店と言っても間口は2間ほどに見える。昔、「間口2間のポンタの店が・・・」という歌があったなぁ。

 しゃれた夏物のジャケットを半額にすると言うからゲット。しばし、店の親父と雑談だ。
 「あのジャケットは品物も良いが¥も良いねえ!」
とかなんとか・・・。

 鈴木雅之の黒地に小紋の入った生地のタキシードが良いねぇとなって、
 「あれは生地そのものが別注で織った一品ものですぞ」
と。プロは衣装には金の糸目を付けないという。人様の前に立ち、人よりも一歩ぬきんでるためには、それは当然のことなのだろうなぁ。

 漸く梅田へ帰り着いてY店へ寄り、LANC延長ケーブルをと尋ねたが「在庫がない」という。「無い物は無い」のだ。
 駅へ向かい始めると、なにやら音楽が聞こえて来る。JRの北側の広場?は時折路上ライブの場になっている。前にやっていた若者がバイオリンを弾いているのだった。直射日光を浴びながら演じているのを観客はピロティーから聞いている。およそ4~50人ほどいたであろうか、一曲ごとに大きな拍手が出る。20分ばかり、私も腰を下ろして聞き入った。

 こうやって腕を磨いて行くのだろう。ヘタクソだったら、誰も立ち止まって聞いてくれない。思い出したねぇ。学生時代にデパートで手品用品の実演販売のアルバイトをしていたことを。どうやればお客が手品用品を買ってくれるかは「腕次第」なのだ。あれは随分手品の修行になった。いやー、いずれにしても「衣装半分 実力半分」だ。

 前回ライブではPAのために小型の発電機を動かしていたが、今回は小型の自動車用バッテリーでアンプを動作させていた。結構大きな音が出るので実用的だなぁと感心。

 田舎の雰囲気も良いが、都会の雑踏の雰囲気も捨てたものではない。捨てた物ではないものを、時折、目一杯、耳一杯、鼻一杯に吸収しに行くのだ。「井の中の蛙」どころか、「竹筒の中の蛙」にならないためにも、ちょっぴり「パリッ」と一点決め込んで行く。
井戸の底から上を見ると、世界は直径1㍍しか見えない。竹筒の中から上を見見ると、世界は直径5㎝しか見えない。その見えた範囲が世界の全てだと思うから「おかしなこと」が起こるのだ。
 「可愛い子には旅をさせよ」と言う言葉があるが、まさにその通りだねぇ。

我が家に帰り着いたのはまだ15時。夕方からの予定は充分時間があった。


2016.7.23

 ネットサーフィンをしていると、真空管式ヘッドホン・アンプなるものに出会った。そして、真空管式プリアンプというのもあった。早速ゲット。
 今から60年も前、真空管式ラジオを組み立てて、あの仄かに光るヒーターの橙色の光を見つめつつ、マグネチックスピーカーから出て来る放送を聞いたものだった。
 そんな郷愁に近いものを蘇らせてくれるのが真空管だ。アナログレコードとは違って、デジタル音源を再生するのだから、さほど音質を云々する事ではない。

 デスクトップ・デイスプレイの下に置いて、「少年時代」を思い起こすのだ。VUメーターも良いかも知れない。メーターを見ながらゲイン調整をしていた「あの頃」を思い出すねぇ。

 昔は「帶頭式受話器」と言ったが、要するに「ヘッドホーン」である。「ミキシングアンプ」は「音声調整機」と言った。もちろん真空管の時代である。
 画期的なビデオ普及をもたらしたのは「テープ式録画機」。ベータ方式とVHS方式があった。どちらもオープンリールからカセットになったので、コンシューマーの人気が高まった。しばらくの時期、テープ方式も改良され続け、アナログのNTSC記録方式からテープにデジタルで記録されるようになり、ハイビジョンにも対応するようになったが、今はメモリーになってしまった。とうとう部品供給が難しくなって、VHSデッキも製造が中止になったという。時代が移り変わって行く事をひしひしと感じる。

 昨夜のTVの鈴木雅之の衣装が良ったねぇ。黒っぽい地に白の小紋を散りばめたジャケットが素敵だった。「シャネルズ」時代の『ランナウエイ』はもう36年も前だったのだ。
フランク永井の『公園の手品師』なんてのはどうだ!!


2016.7.22

 小学校が夏休みになった。村の小学生4人と幼い子2人。そのうち2人は遠くの母親の実家で夏を過ごすというから、朝の「ラジオ体操」は実質小学生3人と老人会の人たちだ。老人会も男は朝寝坊。婆ちゃんたちが出て来る。

 学校のある日は、下校時にミュージックが放送されるようになっていて、「大きな古時計」のメロディーが流れる。
 夕方5時の設定とは別に、祝日や長期休暇の場合は、下校吹鳴のスイッチを切れるようになっているが、これをついつい切り忘れるのだ。
 そうすると、子どもたちが下校しないのに、ミュージックだけが空しく流れる。これをまさに「昼行灯」という。

 先日、小雨の降る中を、リュックを背負った初老の方が村の中を散策していた。お話をすると、
 「古市は昔の宿場町で・・・、と紹介されていたから、絵を描こうとやって来たのですが・・・」
と言われた。

 しかし、残念なことに、大型店が出現し、昭和30年頃から経済構造が一変して、町並は廃れ、住民のほとんどがサラリーマン化してしまった。

 古い商家は新しい使い勝手の良いものに建て替えられて行くから、「絵になる風景」は、点になり、構図がとりにくい。

 おまけに、商家が絶滅してしまったので、「うどん一杯でも」と、昼食をとれる店もない。くだんの画家は、失望の色を深めて帰って行かれた。はるばる和歌山からやって来たというのに・・・。

 そんな中で唯一、8月から開店すべく準備が進む国道沿いのコンビニに、村の老人たちはほのかな期待を描いている。

 夕涼みを兼ねて、店先で「おでん」をアテに、缶ビールが飲める。
 アイスクリームも歯磨きもあるらしい。
と。
 これでは深夜にコンビニにたむろしている若者と変わりない。
 

 そんな所なのに、日常品を扱う商家は廃絶した。食事の献立の材料を配給する商売が成り立ち、メニューの中にはトイレットぺーなどの小間物もあるというから、どれほどの辺境かと思うだろう。
 信用金庫の支店が有り、郵便局が有り、JRの駅があり、医院もあり、学校もあり、バスも1日3回は通る。そんな交通の要衝であったのにねぇ。

 境内の植木剪定も完成した。後はお盆に向けての仏具の「お磨き」だけだ。

 「たそがれコンサート」に向けて、少しずつ準備が進む。
 客席用の床机も追加した。ホームセンターへ行くと「組み立て式」がある。「打ち上げテープ」の発射台も起爆装置も完成した。
 問題はソロもさることながら、カルテットが上手く演奏できるかだ。そして何よりお天気。境内でのライブはやっぱり雰囲気が良いから。


2016.7.13

 久しぶりに時間を作って大阪へ行く。我が家の猫を例年のごとくワクチン接種に連れて行って、「ついでに健康診断もしようか?」と血液検査をしたら、「腎臓がダメージを受けている」のが解った。腎臓は回復しないのだそうで、最終的には「腎臓移植」になるという。が、猫の移植は聞いた事がない。ナントカ今の状況を維持して、ちょっとでも長生きさせようということになって、週に2回の点滴を受けることになった。当の本人(本猫)は如何にも健康そうで、暑さに参っているのか、ゴロゴロと昼寝だが。よく水を飲むので、不思議には思っていたが、まさか腎不全とは・・・。

 この病院通いが予定に入り込んでいるのだ。病院から遠くて、飼い主が高齢の人には、自宅で点滴ができるように指導してあるという。が、連れて行く事にしている。

午前中は猫の通院。午後から大阪の日本橋へ。『地蔵盆たそがれコンサート』での「テープ花火」の信管起爆装置を自作するためのパーツ探しに行った。久方ぶりの日本橋には、50年前にもあったお店が健在である。真空管は見なかったが、「4球ラジオ」のコイルやバリコンがあったねぇ。

 「ふっ」と停車駅の様子を窓越しに見ると、今まで見慣れていたのとはちょっと違う物が見えた。フォームのベンチの向きが他の駅と違うのだ。
 大方の駅のベンチは線路側に向かって座るようになっているか、電車の4席が向かい合わせになるBox型だ。線路に背を向けて座るのは初めて見た。車窓から、あるいは向かいのフォームから、何気なしに目を遣ると、スカートの中まで。慌てて目をそらさねばならなくなるが、この方式だと、そういうことにはならない。が、よくよく見ると、フェンスの向こうは道路と歩道があったような?
 そうすると今度は道路側から・・・・。
 いや、そういう理由ではなくて、雨が降って来た時に、背中に雨が当たらないように?
 何かと設置方法の理由を詮索するのであった。

先日、当選した人にインタビューをしていたのを見た。
 「アピールされていた事を具体的にはどのように進められる予定ですか?」と。
答えていわく。
 「初めですので、これから勉強していきます」と言うようなニュアンスの答えであった。

 ちょっと待ってよ! 「当選したら自分は具体的にどうして行くのか」を考えなくても当選出来るんだねぇ。これじゃまるで6年間の就職活動に乗せられたに過ぎないのでは?

 被災地へお見舞いに行って、膝をついて同じ目線で「お体の様子はいかがですか?」と尋ねられているご夫妻も。
世の中さまざまだ。


2016.7.10

 今日からの土・日は法事が入る。お盆の8月を控えて「前倒し」なのだ。他の事はともかく、8月と12月は法事をしないのが昔からの習慣だ。暑くて忙しい8月、何かと気ぜわしい師走と言うことらしい。それで7月は大変なことになる。法事は前もって予定が立てられるのだから、都合をやりくりして行える。が、お葬式はそうは行かないねぇ。人生は予定通りには行かないということがあるのだ。

 そんな中、法事のお勤めの最後は皆んで寺へ参る。阿弥陀様に向かって手を合わせ、帰りには一人ずつ梵鐘を撞くのだ。これを本来「お礼参り」というのである。極楽浄土へ導いてくださった阿弥陀様に「お礼に参る」のである。(宗派や寺によっては違う場合がある)。
 
そんな親族の中の一人に、「民謡」や「デカンショ節保存会」で活躍している「締太鼓」の奏者がいる。

 彼は既に60歳を越えているが、「締太鼓」を始めた時には周囲に誰も教えてくれる人がなく、どのように打つのか、随分苦労を重ねたという。

 そんな彼が、今年の地域の文化祭の閉会のメッセージで言ったのは、

 「100回の練習よりも1回の本番です」

という言葉であった。

 「練習だと思ったら気が入らない。また何度でもやり直せると思うからだ」

という。きっと私等のサックスグループを暗に指して言ったのではないかと確信する。

 練習では私服で、音合わせを重ねるが、リハーサル(ゲネプロ)では衣装も本番同様の物を着込み、本番通りに進行させる。気持ちを「やり直しが出来ない」という土壇場に置かねばならないと言うことだが、これは何も芸能の世界だけではない。

 坊さんとしては、法事もお葬式も、「いざ出陣」ともなると、「覚悟」を決めて控え室を出て行く。事前に式場を確認し、参会者の様子も確かめ、行くべき所へも行っておくのだ。

 「講演」でも同じだ。早めに会場に到着し、場所を確認して時間が来るのを十分な余裕を持って待ち受けるのだ。いつぞやは、主催者側は誰も未だ来ていなかった事もあったが、「呑む」のと「呑まれる」のでは「月と鼈」ほどの差が出て来る。

 「100回の練習より1回の本番」ということは、人に聞いて貰う事なく、何度練習したって決して上手にならない。人前で大恥を掻いてこそ成長というものがある。人に聞いて貰うためには、それ相応(TPO)の衣装も着なければ失礼であるし、何にも増して、演っている本人の気持ちが「好い加減」になってしまう。「好い加減」とは「Good」ではなくて「NoGood」である。
 いや、「大恥」を「大恥」と感じないと、これはもうどうにもならない。

 ジャズの演奏は、それぞれ好みの服を着込んでいるように見える。オーケストラが私服で本番をするのは、特殊な野外ライブの演出以外は見た事がない。ニューオリンズの下町から起こったジャズと、宮廷の中から起こって来たオーケストラの違いだという発生の背景で見ると何となく納得する。が、一見私服に見えるジャズも、バックには「スタイリスト」が付いていて、会場・観客・曲目等を綿密に見極め、奏者を最も引き立てる衣装を選択しているのだから、私等のど素人が、あり合わせの服を着て演奏するのとでは、まさに「月と鼈」ほどの認識の「レベル差」がある。

 音楽の中で、一番失礼なのは素人のSaxかも知れない。「何んじゃ? この汚い服を着て出て来ているのは?」という場面がよくある。「衣食足りて礼節を知る」という。

 必要な栄養が摂取出来る事のみを考えるならば、「食文化」という物は成立しない。不味くてグロテスクな物を、欠けた茶碗に盛り、木の枝を折って箸として、胃袋に突っ込めば良い。中村紘子も辻久子も、世界的なプレーヤーである。なのにどうしてドレスを着て演奏するのか?

 子どもの頃に親から良く言われた。
 「きちんとした服を着るのと、だらしない服を着るのとでは人格までも変わってしまう。特に履き物には気をつけることだ。足下を見られるというが、人の品定めは履き物でされるのだぞ」と。

 先日、中学校で講演をして来た。夏の盛りの暑い体育館。板書を投影するために、前方の窓には幕が引かれて風が通らない。300人を超す生徒たちに暑さが襲う。手持ちのノートで煽ぎ、女生徒はスカートの裾をハタパタとして風を入れていた。

 「さもありなん。暑いわなぁ」

と、共感していたら、教頭先生が、

 「講師の方も暑いが、決して煽いだりはされない。君らも、不作法な態度を取らずに、しっかり聞いてほしい」

と、初めの訓示がされた。生徒たちはそれから微動だにせず話を聞いてくれることになった。

 今時、「クール・ビズ」といって、ノーネクタイが通常だが、講演など場合は些か違うのだ。何百という目玉が一人の人に向けられている。だから、『勝負服』と言って、ビシっ!と決めねば最初から勝負が決まってしまうのである。。

 夏の盛りにネクタイを締め、いつもの「勝負服」で臨んだ。聴講に来ていた仲間の一人が、「ネクタイ付けてですか?」というと、元教授だった人が、「勝負服という物があるのでして・・・」と言った。

 きっちり時計を見ながら60分の講義を終えたら「汗びっしょり」になっていたが、しかし、ここで顔から汗を噴き出させては舐められてしまうのだ。決して顔を拭いてはならないのが鉄則である。顔から汗は出ていなかった。『杜荀鶴』 の言葉に、

「心頭滅却すれば火もまた涼し」

というのがある。

 歌手や俳優や落語家や天皇さんも、本番では顔を拭かない。坊さんが読経の最中に、顔中汗を垂らしてタオルで拭きまくっているのはみっともないが、時々そんな坊さんがおる。
 尋ねてみると、「汗かきなもので・・・」と言った。

 が、だ。随分以前に、名優と言われた人の話を聞いた事がある。

 「真剣に本番をやっていると、顔に汗などは出ない。出るのはまだ真剣さが足りないからだ」

と言っていた。

 ここで「精神論」を持ち出すつもりはさらさらないが、顔の汗はコントロール出来るようになるのは事実である。夏の真っ盛りに燕尾服を着て手品をやっても、手のひらと顔だけは汗が出ない。汗が出ると手品は出来ないのだ。出来ないのはまだ「駆け出しの半人前」ということだ。学生時代から40年以上手品をやっていたから体験した。基本的に「汗かき」は手品師には向かない。

 坊主で「汗かき」は、クーラーボックスに氷を持参しておいて、懐や袖の中に、ビニル袋に「かち割り氷」を入れておくと効果がある。対策を準備しないで、タオルで顔を拭きまくっているというのは「みっともない」の極限みたいだ。最近は結構な用品が出ているから「かち割り氷」は死語になったかも知れない。

 さて、「馬子にも衣装」という。私たちの素人の爺さんサックスも、衣装をきっちり着けたいものだねぇ。

 聴衆は「老人」であったり「園児」であったりと様々だが、そんな人たちに聞いてもらえる「演奏会」は、やっぱり「本番」に違いないのだ。「本番」は大切にしたいものだ。

 先だっての『らららクラシック』では、曲も詞も歌唱力も大事だが、それと同様に大事なのは衣装だとも言っていたねぇ。

 坊さんがありがたく見えるのは、もしかしたら着ている「衣装」で「ありがたく感じる」のかも知れない。「以て他山の石」とすべしだ。

 「100回の練習よりも1回の本番

と言う言葉の裏は、

 「1回の本番は100回の練習による」

と言うことになるのは当然だ。


2016.7.6

 まだ梅雨が明けたとは思わないのにこの「猛暑」。前栽と境内の植木の剪定が終わった。刈り取った枝や葉っぱを掃除するのは明日以降になる。ちょっと水分が抜ける方が勝手が良いのだ。

 脚立やハシゴを登り降りするだけでも体力が持たない。先日お医者で診察の時の雑談に言ったら、指先に挟む装置で、血中酸素を測ってもらうことにした。
 「坂道を登ったり、階段を登と息切れがして」と。いつも「雑談」が多い患者である。 「ちょっと血中酸素が低いねぇ」
ということで、
 「何か薬は?」と。
 そうしている内に、「家庭配備薬」というのか、昔は「置き薬屋」と言っていた人がやって来た。で、その話をすると、
 「これ、ちょっと高いけど飲んでみませんか?」
と漢方薬を出して来た。「救心」という有名な漢方薬があるが、それに数種類の生薬を加えている物だという。
 元来が「薬大好き」なのでゲットすることにした。1日2粒でも良いが、朝1粒飲むと効果があるという。

 「病は気から」という。早速朝に1粒賞味した。植木の残りを剪定し、買い物に走り、炎天下でまたまた作業。ふらふらになりながらシャワーや頭を冷やしたりと。
 「お夕事」の後にSaxをば。延々1時間ぶっ通しの練習にも拘わらず、何んとも快調に行くではないか。

 いつもは1曲吹き終わると、「はぁーっ」と息継ぎになるのに何んともない。実に不思議だ。薬のセイなのか、シャワーのセイのか? 練習後のビールも格別。
 いえなに、薬屋からは何も貰っていない。わずか一日だけの感じだから、効果が継続するかどうかは解らない。

 そういえば9年前、Saxを始めた頃は、2小節吹くと息切れがして、たばこを一服、という悪循環だったが、たばこを止めてすっかり楽になっていたが、加齢現象なのかねぇ。

 午後のひととき、幼稚園へ先日の水遊びの写真を持って行く。格好の水鉄砲の標的になった。園児たちとはすっかり顔馴染み。今日は1日早い「七夕会」があって、保護者も迎えがてらに参加していた。笹に短冊を付けて、一人ずつお土産に。

 5月のピクニックの写真280枚ほどが展示してあり、ママたちと歓談。初めて、園児と保護者が結び付いた。結び付いたが、やっぱり顔と名前は脳味噌の回路では結びつかない。『古市幼稚園歌』というのがある。これをSax四重奏の譜面にしてメンバーに送った。秋には園児たちとの交流会を予定しているのだ。シャボン玉も綿菓子も、機械は揃っている。


2016.7.1

 『甲子夜話(かっしやわ)』という本がある。「東洋文庫」と題され「平凡社」から出版されている。この本は既に絶版らしく新本は少ない。全巻揃えるのは大変で、中古品を探す。こういう書物があるというのは、15年ほど前に、「とある」研修会の連続セミナーで講師の方から聞いたのであった。

 元禄文化文政時代、肥後藩城主「松浦静山」の書いた今で言う「ブログ」である。相当の長い年月の間に書き留められ、当時のあらゆる事柄が書かれている。

 「ブログ」と言うのか「日記」と言うのか、そういう類いはたくさんある。『元禄御畳奉行の日記』に書かれているのも尾張藩士の朝日文左衛門が書き記した『鸚鵡籠中記(おうむろうちゅうき)』という丁寧な日記である。松浦静山の「ブログ」と時代は重なるからおもしろい。

 この『甲子夜話』を知ったのは研修会での「松浦静山は相当な真宗嫌いであった」ということの引用に出て来たのである。以来、本を手に入れるべく試みたが、電子ブックが手に入ったのみであった。が、最近、中古本も出ているということで、早速全巻をバラバラではあるがゲットする事になった。

 「中古本」というと、アチコチに書き込みがあったり汚れていたりと思うが、案に相違して、何となく「古くさい」感じがするのみであった。新本は3000円台だが、中古は200円台だ。中身は変わらない。

 これを全て読むのは大変だが、篠山市の図書館に寄贈された「東洋文庫全巻」の中にあったので一通りは読んでいるが、今度は自宅でじっくり読むことになる。
 文左衛門も静山も相当の暇人であったらしい。このブログを書いている本人も、何となく「習慣」で書き綴っているのであるが。

 元禄から文化文政に至る頃のブログは、実に「雑学事典」の様相を呈している。「元禄時代は華やかに文化が広がった時代」という風に教わってきたが、「華やか」だったのは紀国屋文左衛門などの一部の豪商であって、庶民や武士たちは非常に厳しい「倹約令」が出され、違反しているかどうかを見て回る柿色の羽織を着た「柿羽織」という役目まであったという。おまけにこの「柿羽織」の偽物が出て来て、「役得」を笠に着て、儲けを企んだが、偽者ということが暴露して磔の刑に処せられたとか。元禄時代にも、何処かの知事のような社用族武士もいて、人は変わらぬものであるなぁと。

 大変な時代ではあったが、貧の中にもそれぞれの人生を豊かに楽しんだ様子が窺える。「豊かな人生」を貫くために、「心中」も多く、事細かに書き残されているのが、哀れを誘う。

 毎日90分ぐらいのペースで前栽や境内の植木の剪定を。長い時間をすると、昨年のように「熱中症的泥酔」になりかねないから。


2016.6.26

 『塵袋』という鎌倉時代に編纂された『日常百科辞典』のような本がある。実に多彩な項目が掲載されているのだが、その中に「刑罰」について記されている部分がある。詳細は略するが、「天竺には全身に糞を塗りたくって野に放つ刑がある」というのを発見した。

 「糞まみれ」という言葉があるが、まさにその通りで、刑を受けた者は、いくら全身を洗い清めても、「糞まみれ」に科された事を非常に恥じたという。古来、どの国でも共通して「糞」という物は嫌われる物体であったようだ。今の世にも「糞○○」と、侮蔑する言葉に付けられる。「○○坊主」と、語の後ろに坊主が付く言葉も侮蔑が込められているが、それぞれに成立の根拠があって、突き詰めて行くと面白いものだ。

 「睡眠導入剤」が底をついて来た。服用してから、ついついPCを触らねばならないと、せっかくの効用時間が経過する。そこで「もう半分」とやると処方日数を過ぎてしまうから追加処方になる。

 「具合はどうですか?」

と問診されても、何がどうなのか即答出来ない。
 何しろあれやこれやと診てもらって、「特に異常はない」と言われているが、何んとなく何処かが具合悪い。誠に落語に出て来そうなお医者通いである。医療費の無駄遣いのようにとられては誠に残念だ。年金から国民健康保険料と介護保険料は確実に天引きされている。その額たるやビックリする。本人が飢えようがどうしようが、取る物はきっちり先に取られている。

植木の剪定にかかる。物事は前倒しにかかって丁度良い。


2016.6.24

 寝そびれて、YouTubeをサーフィンする。いや、「サーフィン」などとは格好の良い言葉であって、「彷徨」の方が適切だ。

「植木等の追悼番組再編版」を見てからが「彷徨」になってしまった。伊東四朗や小松政夫の『電線音頭』、ばってん荒川の「婆ちゃん」の動画。行き着く先は「ザ・ハンダース」のドキュメンタリー番組だった。物真似スターの清水アキラも「ザ・ハンダース」のメンバーだったのだ。
 一世を風靡した「ザ・ハンダース」の面々も、今はそれぞれ別の道を歩いている。

 1960-70年代は面白かった。今のような閉塞感はなく、何んとなく未来に希望があった。 わずかに40-50年前の事ではあるが、大方の人たちはそろそろ老境にかかり、いや、多くの人たちは鬼籍に入った。

 子どもの頃、古びた工場の外周にコンクリートの安っぽい塀が巡らされており、諸処に落書きがあったのを思い出す。
 一世を風靡した人たちも、その古びた塀に、思い思いの落書きをして去って行ったのだろう。

 YouTubeは、映像の記録を見直す誠に貴重なメディアではあるが、余りにも生々しく見られるがために、自身の人生の過ぎて行くことを思い知らされて切ない思いも湧かせてしまう。 午前3時にもなっていた。

 スーパー銭湯に行って、湯上がりに60分コースのマッサージをしてもらう。
 「相当ひどい事になっていますねぇ」
と、背骨を撫でながらマッサージ師さんが言う。
 マッサージというかストレッチというか、癒やしの60分が、癒やしのBGMと共に過ぎて行く。
 「元にもどりましたよ。背筋もまっすぐになりましたよ」
と言ってくれる。
 引きずっていた足は、幼稚園の子どもたちのピクニックの時のように軽々と跳ねるようになった。
背筋がまっすぐに矯正されるとSaxの音も伸びやかに出るような錯覚をする。「お夕事」のお勤めも背筋を伸ばして勤める。

 それにしても隣のおっさんは騒々しいかったなぁ。
 「痛い! うぁー! 気持ちいいー! そこそこ!」
 マッサージ師のおっさんも、
 「どうですか? 気持ち良ろしいか? ここはどうですか?」
と言いながらやっとる。
まるで拷問を受けているのか、それとも『四畳半襖の下張』なのか?
こなた「癒やしのBGM」。かなた「絶叫のうめき声」。


2016.6.21

 読み返すと、諸処に誤変換がある。それを直していると深更となった。
 しかしまぁ、作家という人は文字や用語というものを良く知っているものだ。全ての作家とは言えないが・・・。

 「白」の下に「ハ」を付けた字は「かお」と読む事を初めて知った。『元禄御畳奉行の日記』という本を読んでいて巡り会ったのだ。
 しかし、漢和辞典をひねくり回しても、そんな字はない。『元禄御畳奉行の日記』の原文には、「貌(かお)」の本字の「皃」の下の「儿(じん)」が変化して書かれていたらしい。

 主人公の朝日文左衛門という人の芝居好きと好色が自身の日記に細かく書かれており、京都の歓楽街や大阪の北新地の店の名前などが「作字」というのか、暗号風に書かれていて、これは出版社も字を作るのは面倒な事であったと思う。

 お経をテキスト文にしようとすると、たくさんの水準外の字があって、一個ずつjpgで作っていたが、結局最後は面倒になった。
 お経というものは、今では「現代語訳」もあるが、大方の読経は「漢文」の棒読みである。ありがたそうに聞こえるが、ありがたい所はちょっとだけで、大方の部分は「自分にとって都合の悪い」、いわゆる「お説教」である。
 「本日はありがたいお経を上げて頂き・・・・」
というご挨拶を頂く事があるが、
 「何処がどのように有難かったのか」
と尋ねると、ほとんどの人がシドロモドロになる。おしまいには、
 「わからんところがありがたい」
と言った人がおった。

 「わからんところがありがたい」のであれば、この世は誠に「ありがたい世界」である。「炉心溶融」という事を言わなかった会社や、「中国服」を着ると「墨書」が上手く書けるという理屈は「ありがたい」事になるのではないか?

 この世は「ウソの重ね塗り」の状況を呈している。「ウソつきは泥棒のはじまり」と言う言葉があるが、国民を欺す大泥棒はゴメンだねぇ。
 もののついでに、日本人が一日3食になったのは「文化」(1804-18)という元号の時代だったそうだ。それまでは一日2食だったというから、さぞかしお腹が空いたことであっただろう。

 TVの飽食番組の目立つ事。一晩に出て来る残飯(売れ残りも)はものすごい量だそうだ。人間という生き物の食料の確保と排泄物の処理は大変なことだ。そのうち、「青い地球」は「黄色い地球」になるかも知れない。「ウ○コと放射性廃棄物の星」になるかもね。


2016.6.15

 昨日は、もう10年以上も召されている京都の会議に出た。年に4~5回は顔を合わせるメンバーも、気が付けば随分代替わりをしていた。私など2~3人が、頑固さを増しながら末座を勤めている。歳だけが「長老舎利弗」だ。

 会議が終わり、それこそ「割り勘」で居酒屋へ。年に一度の懇親会に参加する。話題は若者と年寄りでは合いにくい。しかし、よくよく思案を巡らすと、自分が若い頃に得意げに話していたのと何も変わらないのであった。余計な事は言わんことにした。
 不思議なのは、「乾杯!」はするが、私を含めて、誰一人「食前のことば」を言わない。門徒さんの前では殊勝に「われ今幸いに・・・・」とやっときながらだ。

 昼食に立ち寄った店では、私服に替えて、大きなスーツケースを横にした若い坊さんたちが声高に談笑していた。まさに「ワライカワセミ」みたいだった。
 「壁に耳あり 障子に目あり」だが、昼間の生ビールはさぞや美味であったろうなぁ。

 古来、「人の品格は飯を食わせると解る」と言われて来た。メッキだと、思わぬ所でボロが出るからちゃんと身につけておかねば。

帰りの電車は、仕事帰りのクタクタさんでいっぱいだった。

 今夜のテレビで、今の原宿の若者たちの様子を紹介していた。サングラスをオデコに乗せると「古くさい」のだそうだ。「所さん 大変ですよ」「イチローさん 大変ですよ」だ。ラッツ&スターの『め組の人』の振り付けのように、顔の傍でVサインのポーズも「古くさい」のだそうだ。そうすると、まさに写真を撮る時に、「ハイ チーズ」と言ってピースをするのは、最先端カルチャーからいうと「石器時代」ほどのものになるのかなぁ。幼稚園や小学校の先生に教えてあげねば。
 表情豊かな人物写真を撮ろうとしても、まともにカメラ目線をされると「ボツ」にしてしまう。
 昔は、
 「はい! こちらを向いて! 坊や 鳩が出ますぞー!」
などと言って「八方睨み」の写真ばっかりだったが、今やお葬式の「ご遺影」(?)も、そんな写真はDSIで使われていることは少ない。

 流行と言うならば、「そり込み」も「ルーズソックス」も見なくなったねぇ。歩道を歩く人の後ろをくっついて歩いて観察した。「倒れてもタダでは起きぬ根性だ」。

 がに股の人の足の繰り出し方は「ノルディックスキー」みたいに見える。体が左右に揺れている。ちょっとでも内股傾向の人の足の繰り出し方は進行方向にまっすぐに出ている。体が左右に揺れていない。後ろから見ると、DSIなのはどちらか?

 マラソンも短距離も内股気味の方が効率が良いと言われる。デューク更家のウォーキング指導も、足を絡ませるような歩き方だった。1日2万歩も巡視で歩かねばならなかった1990年代初頭に、わずか1ヶ月で「がに股歩き」が矯正された。「がに股歩き」では2万歩も歩けないのだった。
 
 今夕、またも知人の訃報が入って来た。私と同時に委員を務めるようになって、前回の改選期に引退して1年とちょっと。まさかと思うが病が急進したらしい。歯に衣着せぬ物言いで、わたしと同い年だった。彼は曹洞宗の住職。互いに「一言居士」であったから、周りの人たちは大変だったかも知れないが。

 「一言居士」と言うことなら、ことのついでに。
メールの返信にどうして「往文」が貼られたままの「返信」が来るのかねぇ。
 消すのが邪魔くさいのであろうか?
 言質をとるためなのだろうか?
私には異様に感じる。このままメールをやりとりすると、膨大な「金魚のうんこ」みたいになってくるのでは?


2016.6.12

 先日亡くなられた方の長男家族が突然来寺された。
 4人の子どもの内の2人の娘を連れて。
 肝心の話よりも横道に花が咲く。我ながら老人特有の現象が発生したねぇ。最近とみに激しくなった。
 末っ子は我が家の猫に夢中。触りたいが、ちょっと怖い。
 「大丈夫だぞ」
と言っても、猫を触った事がないから、おっかなびっくりであった。
 this bus final で、また大笑いとなった。
 いえなに、還骨勤行の後の法話で、学生時代に訪日女性から英語でしゃべられて、とっさに答えたのがこの言葉。つまりは「このバスの終点」のつもりだった。terminal という単語が浮かばなかった。が、意味は通じた。しかし、今考えると、「バスの最終処分地」ということになるわなぁ、と大笑いしたことであった。文法が正しいかどうかに気を取られていると会話が成立しない。タモリの外国語ではないが、とにかく会話を成立させる事が先決だ。1+1=2という事を覚えることも大事だろうが、2にするためにはどうすれば良いかを考える力を付けることが「勉強」というものだと話していたのであった。

 ほぼ毎日サックスの練習をする。聞くところによると、82歳でもバリバリ吹く人がおるというから大したものだ。
 フラジオを本格的にやって丸1年。ちょっとサボると元に戻るので、毎日、フラジオが出て来る『Danny Boy』を必須科目のように練習する。
 マウスピースを咥えるちょっとした角度の変化、つまりはストラップの長さの変化も微妙に影響する。慎重に挑む。高いド・ラ・ソをやっといてから取り掛かる。もう延べ5000回は吹いているかも知れない。まぁ要するに歌を覚えてしまうことも大事だ。来年の今頃は、理屈抜きにフラジオがバリバリ出るようになっているかも知れない。

 が、これって、本当は正しい練習法があるのだと思う。無闇やたらにやっても、徒労というのか回り道というのか?
 「練習回数が結果を出す」というやり方は非科学的である。「蓮の水揚げは秘伝中の秘伝である」という華道の秘密主義と何等変わらない。
 先人たちは、何かの拍子に偶然出たフラジオを、何とかかんとか「癖」のごとき習得方法で身につけたのであって、「どのようにすると出るか」という理論的追試が為されていないのではないかと思うようになった。
 ものごとは、後からやって来る人にも正確に伝承できる事が大事であって、伝えられないということは事はおかしい。文化とは伝えられ、再現できるものであって、偶然性に立脚するものは本物の文化とは言えない。文化とは包丁からトイレまでだ。

 陶器の模様で「曜変」というオーロラのような文様が出る茶碗がある。これを理論的に再現しようと挑戦している人を取り上げた放送があった。
 その人は、父の挑戦を受け継いで、「偶然出来る曜変」ではなくて、理論的に成功率を確かなものにしようと科学的な検証に基づいて挑戦していた。
 結果、何とか彼の理論による「曜変」ができるようになるところまで取材されていた。
多くの学者や研究者が国宝の「曜変天目茶碗」を科学的に測定して彼にデータを渡していた。再現性への追試である。

 津軽三味線を正確に再現するための楽譜作成のソフトも出来たという。ならば、誰でも少しの練習で、フラジオが出る指導方法というものはないのであろうか?
 虫歯や歯周病にならないワクチンはないのか?
 「そんなものが出来たら歯医者が潰れる」
というが、中国服を着ると書が上手くかけるのであろうか?

 昨夜の「らららクラシック」は、吹奏楽で『ハーリ・ヤーノシュ』がテーマであった。高校生の吹奏楽へ3人のプロがやって来て、吹き方や曲についてレクチャーをしていた。高校生は、この曲の背景や、どういうことが描かれているかを知らないで吹いていたという。ハンガリーの「大ホラ吹き」のおとぎ話を題材とした曲だということも含めて、私も初めて知った。みんな調べもしないでやっていたのだろうか? 棒を振って指導していた先生?はどうしていたの? 何か赤っ恥を曝してしまったような番組になってトホホだ。
 パート譜だけもらって練習しても、いったい自分は何をどうやっているのか解らないままではどうしようもないわなぁ。

 そういえば、「甍の波と雲の波」という、『こいのぼり』の唱歌に出て来る「甍の波」という事が全くわからずに演奏していた人がおった。オタマジャクシだけを正確になぞっても、それは音楽にはならないという事を昨夜の「らららクラシック」でも言っていたのだった。

 物事には 「1/fゆらぎ」という理論があって、「ゆらぐ」から良いのであって、「ゆらがない」と苛つくのだそうだ。
 そういえば、オーケストラの指揮者は人間だ。機械が指揮したのは見た事がない。
 「上手だけれとも味がない」
 「下手だけれども味がある」
という事もあるわなぁ。


2016.6.6

先日、近くの友人が逝った。14年の闘病生活であった。
彼の同級生も同じ病で同じ日に逝った。

一時は病気を克服したかに見えた。
山に登って山中の史跡を巡ったこともあった。
二月堂のお水取りの大松明も楽しんだ
鞍馬の山の火祭りにも行った。
祇園祭の山鉾巡行も、一番良い席で見物した。
京都のイルミネーションも一緒に見に行った。
紅葉の永源寺に行き、木地師の里も訪問した。
彼はちょっとだけハーモニカが吹けた。
北原謙二の『ふるさとの話をしよう』が大好きだった。
そんな彼が79歳で逝ってしまった。14年前に見つかった白血病があったが、元気に暮らしていたのだった。
今年も、焼酎を酌み交わしながら、お月見をしたかったのになぁ。
振り返ってみると人生は儚く短いものだ。
彼を撮したビデオが残っている。篠山市インターネットテレビでも紹介されているが、立ち上がりが遅いのでYouTubeで紹介することにした。
https://www.youtube.com/watch?v=gkjBnB2zoPo&feature=youtu.be


 突如、Windows10のデスクトップがネットにつながらなくなった。
「コンピューター上で一つ以上のネットワークプロトコルが不足しいてます」
と表示される。
さあ、困った事になった。
「プロトコルって何や?」からである。
あれこれ試したが全く解決しない。
当然、ルーターやハブや配線の点検、電源の入れ直しも試みた。
あわやイカサマサポートに引っかかりそうになりながらやっと辿り着いたのは
http://i-bitzedge.com
である。
 このサイトは、ネットワークにつながらなくなった事への対処方法の説明には、「有料ソフト」ダウンロードへの誘導がなく、トラブル解決の方法が詳しく記載されていたのである。「欺されて元々」と一応信用して試して見ることにした。
8通りの順次解決への手順が記されていて、その通りにやってみる。
1つ目で解決しなければ2つ目を試行するという具合になっている。
 1つ目を試行して、「再起動して、つながるかどうか確認する」という説明の通りにやると、「つながる」ように回復している。
しかし、念のため、シャットダウンして、再び電源を入れ直して起動すると結局は何も改善していないがごとき状況で、ネットにつながらない。2つ目を試行する。が、電源を完全に落とすとまたやっぱり期待外れになっている。
 こうして8段階の6つ目まで試行した。
 デバイスの削除、コンフィグの書き換え、レジストリーの回復などなど。
 息子を呼び出して、やってもらうがやっぱり同様だ。解決しない。
 「PCのLANケーブル差し込み口の接触不良か、基板が壊れているかも知れない。LANの差し込み口は2つあるから入れ直してみよう」
ということになって、デスクの下にあるPCを引っ張り出した。まさかそんなことが起こっていようとは考えなかったから、PCの接続チェックはしていなかった。
「あれは何か?」
と問われたのは、USB端子にLANケーブルを接続するアダプターがくっついていて、そこにLANケーブルが接続され、ハブにつながっている。
 今までそれで正常にネットワークが働いていた。何故そんなアダプターをくっつけたのか、その当時はそれなりの理由があったのだろうが、わざわざUSB端子にくっつける必要は何だったのかはすっかり忘れてしまっていた。
 アダプターを取り去り、LANケーブルを直接PCのLAN端子に接続し、電源を入れ直した。
 何と、見事にネットワークに接続するではないか。電源を完全にダウンして何度も確かめたが不具合は発生しなくなった。
 どうやら、動作が不具合になる直前にやって来たWindows10の更新プログラムが、今まで認識していた件のアダプターの存在を認知せず、電源を切らずに再起動を掛けると、幽霊のようにネットワーク接続が仮想的に成立していたらしい。
 「大山鳴動ネズミ一匹」のような出来事があった。
 人間は、「まさかそんなことが…」という先入観があるから、大騒動が先に起こってしまうのかも知れない。
 Windows10で、「コンピューター上で一つ以上のネットワークプロトコルが不足しいてます」と表示されてつながらなくなったら、まずは単純な構成に戻してみる事も回復試行の一つの手段かも知れない。
 Windows7とWindows10では、デバイスの関係性が違うのかも知れない。


2016.5.31

 夜の帳が降りて来た頃、ウォーキングシューズを履いて片道10分ほど歩く。途中で近所のお婆ちゃんたちとたまたま合流する。みんなウオーキングを続けているから早く歩く。ついていくのがやっとだ。若いが、みんな孫が居るから「お婆ちゃん」だ。
 目的地は「ホタル」。毎年見物に来るが、今年はちょっと早くて、しかも数が去年の倍ほども乱舞している。いつもは「ほたるぶくろ」が咲く頃に出て来るのに、今年は花が遅いのかも知れない。ホタルは子どもの頃からの楽しみの一コマだ。


2016.5.30

 コミュニティーセンターへ用事があって立ち寄った。事務室の中から玄関を見ていると、「児童クラブ」の子どもたちがやって来た。「児童クラブ」とは、学校の放課後に、午後6時まで皆んなで一緒に過ごす、いわゆる「放課後児童保育」の制度だ。コミュニティーセンターに今年の4月から開設された。
 「ハーイ!!」
と手を振って笑顔でやって来る。
 顔馴染みの子どもばっかりだ。が、顔と名前が一致しないのが「良いところ」である。
その前に幼稚園へ立ち寄った。先だっての遠足の写真を「スライドショー」にしてDVDにしたのをプレゼント。
 今日は、あれこれSaxの動画をYouTubeにアップした。その中に、今は「限定公開」だか「幼稚園ピクニック」のスライドショーもアップした。そのうち、幼稚園の承諾を得て【公開】にしたいと思っている。これはちょっと気に入っているのだ。
 インターナショナル・デビューした動画は、「地蔵盆たそがれコンサート」と YouTube で検索すると、【公開】のものは関連して出て来る。


2016.5.26

 先日「とある会」の総会があって、たくさんの来賓が出席された。例によって、「来賓紹介」がある。
 この「来賓紹介」。紹介の都度皆んなが拍手をする。こういう場合の拍手はマナーとして本当に「可」なのか「不可」なのか?

 国体の開会式に天皇が「お出まし」になられた時に、観客が一斉に起立して拍手でお出迎えするのとはちょっと違うのではないかと思うが?
 天皇制云々は横に置いて、あの時の拍手は「親愛の情」というか「敬愛の情」ともいうような感情が入っているが、総会の儀礼的来賓に対しては、そういう感情は湧かないねぇ。何故かテレビの「大喜利」の出演者紹介の場面が重なってしまうのである。拍手さえすれば良いというものではない。

 随分以前に大変困った事があった。議会の本会議で「提案説明」を町長が行い、詳細説明を担当課長がするのが通例であったのに、町長が事細かに詳細説明をしてしまった。提案理由の説明が終わって、議長が、
 「課長に詳細説明を求めます」
と言った。が、もう町長が詳細説明をしてしまったので補足する事項がない。

 次におかしな場面があったねぇ。
 「議案の朗読を省略し、提案理由の説明を求めます」
と議長がっ言ったのに、延々と議案書に書かれている内容を朗読した者がおった。いや、それは昔だけではない。今も、ナンチャラの会の予算や決算の説明では、延々と予算書等の表の覧を、ただ左から右に向かって読み上げていく。
 「科目、予算額、決算額、増減、適用の順に読み上げます」
と言って、時間を浪費し、挙げ句に数字の読み間違いがある。
 コキムキ(コキムキ=洗いざらい緻密に全てを)説明しておいて、事務局から補足説明をしますと振られた事務局は、また全く同じ事を言う。
 丁寧も度が過ぎると迷惑じゃ!

 「賛成の方は拍手をお願いします」

という採決の方法か取られる事がある。3人ほどがパラパラと拍手しても可決になる。厳密には原案反対の人も居るのではないか? 
 で、議案書として出されている物が「議案」であって、この「議案」は、可決・否決・修正可決の三通りしか結末はない。
 おかしいのは、「事業計画(案)」とか、「事業予算(案)」という表題のあるものだ。可決されたら、議長が言うには、
 「可決されましたので(案)を消してください」
という。
 長年、自治体の議会とお付き合いをして来たが、こんなことをいう議長はいなかった。
 そもそも、「予算書」や「事業計画書」というもの自体が議案であって、、そんな物に(案)などと核からおかしな事になってくる。
 では、「決算書」とか「決算報告書」に(案)を付けるか?

 総会で、もっとビックリしたのは、「来賓祝辞」で、滔々と「ご薫陶」を頂いたことであった。「とある」法律の成立を見越しての内容に関係しての事であったが、

 「これからは考え方を改めて頂き・・・・」

と言われた。

 「おーっ!? 私らの考え方は間違っとったのか?」

とビックリした。まるで昭和20年8月15日を境に教科書が塗りつぶされて戸惑っている教師を連想した。

 「日頃は大変お世話になっておりまして、この場をお借りして、改めて厚く御礼申し上げます。・・・・。本日は総会を迎えられまして誠におめでとうございます。」

と。

 お礼を述べて頂く側がご薫陶を頂き、総会が何故「おめでたい」のかサッパリ理解が出来ない。相撲やお芝居の「千秋楽」と間違っているのではないか?
 「本日はご卒業おめでとうございます」とはちょっと中身が違いはせんかねぇ。

 『自治功労賞』というものがある。長年にわたって地域に貢献した各分野の人に「賞」が贈られる。「賞」を渡して、市長が、
 「おめでとうございます」
とっ言った途端に、陪席していた議員が、
 「ありがとうございました、と言うべきではないか?」
と小さい声でつぶやいたのが聞こえた。
 この場合の「賞」は「お祝い」ではなくて「謝意」である。

 「日頃は何かとご尽力を賜り、行政を預かる者として、誠に感謝に耐えません」
と言いに来ている来賓(?)に、何んで私らが拍手せねばならないのか?
  来賓(?)
として招待しているのは、活動の実態を知ってもらうことであって、役所の「肩書き」にへつらうためではない。
それなのに、来賓紹介があったら、「公務のためにご退席になります」と言うのだから、何処かの知事と変わらんねぇ。(6月21日追記)
「主客転倒」とはこのことを言う。

で、ついでにもう一つ。
 卒業式や入学式にも、来賓が招かれる。
 「時間の関係」で、祝辞を述べるのは3~4人だ。それはそれで良い。
そのあと、「来賓紹介」がある。先ほど祝辞を述べた人も紹介される。またぞろ何か言わねば失礼かと思って「おめでとうございます」と言う。
これって、なにやら不思議な思いをするのは私だけか? 試しにネットを見たら、司会業をやっているという人の回答がそういう具合に書いてあった。が、それが必ずしも正しいマナーとは言い切れない。「させて頂いてよろしかったでしょうか」式の馬鹿丁寧なのだから。

 「先ほどちゃんと紹介されて、祝辞を述べたやないか。みんな今聞いたところやから、何でもういっぺん紹介されなあかんかんねん?」と。

 これ、進行の順序が違うからおかしな事になるのだ。
 
 「来賓祝辞」を先に持って来るから、祝辞を述べない「ヒラの来賓」を紹介する時に、どうして良いのか解らなくなってしまう。ならば、いっそ初めから全員を紹介すれば「事なきを得る」という浅はかな知恵の所産に過ぎない。

 先に全ての来賓を紹介してから、「上席?の来賓」数人(時間の関係&社会的立場から辿り着く人数)に祝辞を頂けばスンナリと行くのだと思うが。

 ついでに、葬式の弔電披露なるものをする場面がある。あれは電報が出来てからの産物であり、本人が参列していても読むから不思議だねぇ。本人が葬儀に間に合わないから「電報」で弔意を伝えた事がそもそもの発端であったのに。
 しかも言うことに、
 「順不同にてご拝読申し上げます」
と言う。ならばカードゲームのようにシャッフルしてからやるか?
そうはしないねぇ。喪主の希望なのか、業界の通念なのか、読み上げる順番はほぼいつも同じ立場の人からである。つまり、「順不動」なのだ。

 ナンチャラカンチャラと『冠婚葬祭マニュアル』が付加価値と美辞麗句を並べて作り上げられているから、ネットを見ても「クソ丁寧」な事が紹介されている。
 ネットに書いてある事が必ずしも正しい礼儀作法とは限らない。霊柩車に向かって「行ってらっしゃい」と言う、後から考えると滑稽な事が起こるのだ。

 ついでながら、地元の小学校の卒業式や入学式で「来賓紹介」がされても、誰も拍手はしないねぇ。

 「またあのお爺んやお婆んが来てるなぁ」

という程度だ。田舎の学校はそれで良いのだ。ハイタッチで挨拶が交わせる学校が良いのだ。


2016.5.22

 悪戦苦闘の「耳コピー」の『This is my Trial』。なんとなく休符の長さがぎこちない。かといって、そこを調整すると、小節の中からはみ出して、イカにもタコにも奇っ怪な譜面になる。

 旧知のピアニストのNさんに音源と譜面を送って添削してもらうことにした。

 時間があったのか、早速お返事を頂いた。

 「音程(音階)的には合っているが、拍の理解が違うのです。この曲は全体が3連符で構成されているのです」と、手書きの1コーラスの譜面を送ってくれた。

 なるほど、そういうことか。1/3休符などがあるから「間(ま)」が上手く取れるのだ。よくもこんなに凝った譜面が出来るものだ。3連の中にタイが散りばめられて、あっちゃもこっちゃもタイや休符で誠に「サンコ」な譜面だ。
 ≪「サンコ」とは「散らかって足の踏み場もない」とか、「サンコな奴(がさつで騒々しい人)」と言ったりする方言か?≫

 『津軽海峡冬景色』では、3連符に手こずったものだった。まさか、この曲も3連符だったとは思いもしなかった。

 耳慣れしてくると、楽譜がなくても何とか吹けるが、パンツのゴムのように小節が伸び縮みするから、やっぱり譜面の割り振りをしっかり覚えることだ。

 夕方、「回覧板」が回って来た。「○○の疑似内容」とある。
 解る解る。「議事」が「疑似」に誤変換されたままなのだ。良くあることだ。コピペで文章を作ると、何処かが違う事が多い。日付や曜日は特に見逃してしまう。

 陽が落ちて、あたりが暗くなると、やっ涼しくなって来た。毎日真夏日だ。


2016.5.21

 新語に遭遇した。
 レジで、「1000円からで宜しかったでしょうか?」と尋ねる係がおります。
 「1000円札を出しては悪かったのでしょうか?」と聞き返したくなる。
 855円の買い物に、モタモタしながら小銭をかき出す。

 ちょうど855円を渡した。

 するとレジは係は、

 「855円 ちょうどで宜しかったでしようか?」

と仰る。

 「ちょうどの金額」を「良いか?どうか?」と確認されたら、私はどうすれば良いのであろうか?

 先日、「とある」お店でたくさんの種類の品物を選び、買い物カゴに入れてレジへ行った。
スキャナーでバーコードを読んで行くたびに、レジの金額覧の数字が累計して表示される。

 「以上で宜しかったでしょうか?」

と問われ、

 「何か買い忘れをしたかなぁ?」

と、思わず迷ってしまう。

 買い物メモを取り出して、1個ずつ点検したら、並んでいる人に迷惑がかかりそうだ。が、その次だ。

 「6520円のおうかがいになります」

と仰せになられた。

 「6520円になります」

で良いではないのではないでしょうか?

 「おうかがいになります」は、この店のマニュアルではなさそうだ。隣のレジ係はそういう言い方はしなかった。
 
 何処かへ買い物に行った時に、その店の係が言ったのが「格好良く響いた」のかも知れない。

 もう3~4年も前。知人の会葬に行って、儀式が終わり、いざ斎場に向けて霊柩車が出発する時、司会の方が恭しく仰せになられた。

 「行ってらっしゃい!」

と。

なるほど、間違いはない。

が、遠足に行くのではない。
 「行ってらっしゃい」は、その時は格好よく聞こえたが、後でしみじみと思い返した。

どうも不自然だ。

これも「何んとか格好良く言う言葉はないか」と考えたのだろうが、TPOという事が抜けてたのだ。

 素人が司会をすると、お葬式の「弔電」を思わず「祝電」と言ったり、祝賀会の「祝辞」を思わず「弔辞」と言ってしまう事を見かけるが、「おうかがいになります」と「行ってらっしゃい」はどうも異種の間違いだ。考え抜いた「耳障りのよい言葉」が結果的に「場違い」になっていたのだ。

 「でんでん虫」は、所によって言い方が違う。「阿呆」や「馬鹿」も所によって言い方が違う。何故違うのか。

 「何故?」 「どうして?」

 柳田国男の『蝸牛考』や松本修の『全国アホバカ分布考』を読むとよくわかる。

 この、「何故?」、「どうして?」、という疑問が大事なのだ。
自分で疑問を持たねば、第三者の判断に委ねると何回言っても、前には進まない。

 ザ・タイガースの『銀河のロマンス』の楽譜をゲット。
 吹いてみる。
 良いね~。
 沢田研二もぐんと若かった。

 山口百恵の『This is my Trial』は市販楽譜が見つからない。
 奮闘努力の「耳コピー」。
 これもなかなか良いね~。


2016.5.13

 大忙しの一日であった。仏器(ご飯をお供えする仏具)を入れる特注の「岡持ち」の最終段階。特別あつらえの箱が完成。
 同時進行で昨日の幼稚園の写真をプリントアウトする。子どもたちの天使のようなあどけない顔を見ると「取捨選択」が出来ない。
 A4版に10枚。L版を300枚。幼稚園へことづける。昨夜は午前2時になっていた。

 広報の修正もかけて、急いで電車に乗る。カッパ横町の店から入荷の知らせがあった。品物を受け取りに出かける。楽譜の「ササヤ」へ寄って楽譜をゲット。というものの、探すのが面倒なので、店員さんに探してもらう。カッパ横町から大阪第2ピルまではなかなかだ。地下街を歩くと迷子になる。が、都会は便利だ。案内板がやたらと設置してあり、おまけに「案内所」がある。

 行き先を聞き、途中で警備のガードマンにも訊いて、やっと見覚えのあるビルに到着。ここまで来れば後は知っている。

 商売とは言え「さすが」だ。数万点の楽譜の中から素早く取りだして来る。ハイドンの『皇帝』だ。これって、そもそも ハイドンの『皇帝』は「弦楽四重奏」になっているらしい。ハイドンってよく知らないから、「らしい」らしい。こういう手合いが来店するのだから、店員さんは面食らうだろうねぇ。


 梅田滞在1時間。帰りの電車の中で、解説を読んでいると、「ハイドンの弦楽四重奏の楽譜が欲しい」と言ったのだが、どうやらそもそもハイドンという人が弦楽四重奏というスタイルを完成させたらしい。

 これをサックス四重奏でやったらどうであろうか? という発想である。とにかく、「他人の二番煎じ」というものは、クリエイティヴの世界ではあんまり評価されない。他人が安直に市販の楽譜でやっている事ではない事に挑戦したいのである。

 先日「ふっ」と聞いたのが、山口百恵の『This is my Trial』だ。カラオケはあるが、残念ながらメロディー譜が見当たらない。何度も聞いていると、吹けそうになるのだが、やっぱり楽譜が欲しいねぇ。
 仕方がないので「耳コピー」に挑戦してみようと思う。


2016.5.12

 快晴。今日は古市幼稚園の遠足だ。一ヶ月前の入園式にお呼ばれした。子どもたちはどうしているかな?と、遠足のお相伴をしたのだ。
 行き先は「ユニトピアささやま」の公園。他府県の高校生や中学生たちもやって来て、可愛い幼稚園児たちを見つけて大喜びだった。

 カメラを持って、今月のコミュニティー誌の記事取材も兼ねてだ。

 市のバス2台に乗って、園児たちは大喜び。いえなに、1台では席が足らないので、2台になったというわけだ。
 ユニトピアのゲートへ行くと、「70歳以上は無料」と記されていて、免許証を出したらOKだ。

 「お孫さんたちの・・・」

と尋ねられたので、

 「コミセン誌の取材です」

と言ったら、

 「カメラマンさんですか?」
と。

 「いえいえ、それほどの者ではありませんが・・・」
と。

 ゲートで笑顔の会話も素敵だったねぇ。

 「行くのではなかった」。280枚もの写真のどれを見ても、被写体の子どもたちがみんな素敵なので、もうメロメロになってしまう。
 子どもたちは「夢の中のカゲロフ」のように。
 まるで天使のようだ。

 夜、山口百恵の『This is my trial』を聞きながら、今日の写真の整理をする。

 全部引き延ばしたいが、280枚は到底・・・。10枚を選ぶ。残りはL版だ。

 幼稚園へプレゼントだ。

 人間、生きているということは、素晴らしい事だ。


2016.5.9

 昨日は「卯月」。「卯月8日は寺参り」と言って、「お釈迦様の誕生」をお祝いする仏教行事をする。たくさんお参りがあった。
 皆んなで「阿弥陀経」をあげ、お茶菓子を頂き、法話を聞く。遠方からも楽しみして来られる。ただし、「お寺や仏教は死んだ者への供養」という変な事を思い込んでいる人にとっては「退屈」な時間であろう。
 誕生仏を花御堂に置き、本物の甘茶をかけてお祝いする。そして、皆んなも甘茶を頂くのだ。

 夜、『NHKクラシック音楽館』を見た。パーヴォ・ヤルヴィ指揮の番組であった。
 演奏が終わってから、指揮を学ぶ学生に対しての公開レクチャーを放送していた。課題曲はモーツアルト。一楽章ずつ学生に指揮をさせていく。

 「君の指揮は素晴らしい。が、ひとつ提案がある。こういう具合にするともっと素晴らしくなる」と一人ずつにレクチャーしていた。

 「指揮者はリズムを刻むのではなくて創造していくことが大事」だと言っていた。リズムを刻むだけならメトロノームでも良い。単なる強弱だけならクレッシェンドやデクレッシェンドのマークで十分だ。オーケストラをどのように扱って行くのかという事を教えていた。

 腕を左から右にゆっくりと一直線に動かして行くだけでも、オーケストラは指揮者の思い通りに演奏してくれるとも。実演して見せる。曲は流れるようなフレーズに変わっていく。

 パーヴォ・ヤルヴィは学生に言う。
「オーケストラの人たちを信用しなさい。彼らはあなたの思う通りに演奏してくれるのだから」
とも言う。

 リズム通りに演奏をし、楽譜通りに演奏をしていては音楽にならないとも言う。

 リズム通りであって、単に迫力だけあっても、それはダメだというのだ。
 音大等で指揮を学んでいる学生に、実際にオーケストラを指揮させ、横に立って指導をしていく。

 「素晴らしい。君の指揮はベリー・グッドだ。が、ここを直したらもっと良くなる」と言葉を掛けるが、彼の言葉をよく聞いていると、結局は、
 「君の指揮はダメだ。それではこの曲をぶちこわしている」と言っているのと同じだった。
 「もっと顔の表情を豊かに、楽員と、もっとアイ・コンタクトをしなさい」とも言う。
「ベリー・グッド」という前置きは、「枕詞」に過ぎず、全て直されていく。
 
 寝転がってテレビを見ながら、世界のトップクラスのレクチャーのお相伴をした。

 私たちの世代が学校で教わったのは「音楽」ではなかったのかも知れない。いつも背景には規則正しい「ジンタ」のようなリズムの上をなぞって行くだけだったのかも知れない。そして、入試には「不用」の教科だったのか、高校では選択科目だった。ヒヤリングもスピーチも出来ない英語。が、英語の教師は「文法が大事だ」と言う。ブロークンでも意思が通じ合える事が大事だ。文法がしっかりしていても、「聞けず、話せず」では「豚に真珠」だ。

 パーヴォ・ヤルヴィは、音楽は「創造」だという。作曲家の書いた楽譜を読み込んで、それを自分はどのように表現するのかという「創造性」を豊かにする事が大事だと言う。
 登場人物を想像し、物語を想像せよという。クラシックでなくても、「ど演歌」でも、その背景を想像するかどうかによって違って来ると思う。

 童謡・唱歌も一緒だ。「春の小川」の景色を知らなくては「春の小川」の曲を理解出来ない。屋根より高く泳いでいる鯉のぼりの景色を思い浮かべられなくては「鯉のぼり」は演奏出来ない。「甍」って? を知らないと、「甍の波」と言われてもチンプンカンプンだ。

 その前日?の「らららクラシック」でやっていたのは、ハイドンの『皇帝』。弦楽四重奏だ。いろんな人たちの演奏があるので片っ端から聞いてみたら、楽譜は同じなんだろうが、メンバーごとに微妙に味が違う。

 この耳慣れたフレーズを、何処で聴いたのかと、随分思案していたら、ドイツの国歌に使われているのだった。
 
 四重奏をYouTubeで視聴していて思い出したのは、パーヴォ・ヤルヴィのレクチャーだ。
 「棒を振る前に息を大きく吸うのだ。歌を歌う前には息を吸うだろうが? 楽員はそれを察知して棒が振り始められるのに構えるのだ。リズムを刻む必要はない。あなた、一度歌ってみなさい」と、式台の上にいる学生に言った。
 学生は「もぞもぞ」と歌った。

 そういえば、山田和男やスマイリー小原などの指揮者は、リズムを振っていた記憶がない。

 京都のH君の所属するシンフォニー楽団は、小澤征爾さんに時折レクチャーを受けるという。私らにはそんな機会はない。が、たまたま遭遇したパーヴォ・ヤルヴィのレクチャーは大いに共感と納得と勉強になった。

 パーヴォ・ヤルヴィは、口には出さなかったが、要するに「センスの有無」がポイントだと言っているように聞こえて来た。
 「センス」は全てのクリエイティブ活動の根底にある。日本語では「サビ」とか「ワビ」というものかもしれない。
 音楽も同じ事なのだと思った。「センス」は教えてもらえない。自分で求めていかねば。


2016.5.4

 草が生え始めた小学校の運動場。軽トラにH鋼をつなぎ、足腰を鍛えるために少年サッカーが使っているらしいタイヤをH鋼の上に重しに乗せて走り回る。
 約3時間。運動場はきれいになった。GWは、農家以外の年寄りは至って暇らしい。暇をもてあまして、コミュニティーセンターの草刈りにやって来た人もいた。
 これぞ「一億総活躍」か?

「Sax」というHPを発見した。
  http://sax-lesson.com/
である。
 オーナーが何処の方かはわからない。「福井県」という以外には表示がない。
 サックスのリペアもしているようだ。
 Saxを独学でやる人のためのHPサービスのように受け取れる。
 無茶苦茶に幅広い紹介がある。チョックラ・チョイとは読み切れない量だ。

 ベトナム・中国・台湾の品物にも蘊蓄を傾けている。国産(?)も、安い物は海外生産させているらしいとも。
 そりゃそうだ。日本で作るより人件費の安いところの方が利ざやが出る。

 読み進んで行くとなかなか面白い。「ブランド志向の迷信好き」には信じられないかも知れないが、「調整」する事でそれなりの音色が出て来ると言う。
 とにかく「迷信臭くない」のが面白い。

 楽器には「神話」が付きものだ。馬のクソほど「ピアノを習っている子ども」がいるし、馬のクソほど中高年の「Saxあこがれ族」もおる。馬のクソほど「音楽教室」もある。
「馬のクソ」の一つが私である事は間違いない。
「馬のクソ」がおるからピアノが売れ、Saxが売れ、教室が成り立つという「連鎖システム」になっているのだ。これを「カネが回る」と言い、「経済学」の基本なのだ。

 しかし、ほとんどの人は大成せず、押し入れの中で埃にまみれて錆付いたのが忘れられている現実なのだよねぇ。

 ♪ピアノ売ってちょうだい♪ という商売が何故に成り立つかということである。

 中学校の吹奏楽部に入って暫くすると、小賢しくも「お仕着せ」(学校備品)に不満を持って、親にねだってウン10万もする楽器を買ってもらう。2年生の後半にもなると、高校受験で部活を卒業だ。高校・その上と、続いてやって行く人は極く一握り。

 あんたなぁ、そんなのがセルマーがどうのこうのと言うのは罰があたりまっせ。
 親父はコンビニでお握りとカップ麺の昼飯でクタクタになって働いて稼ぎを運んで来る。
 老後の介護などはどう考えても望み薄だと観念しているかのごとき通勤電車の様子だ。

 初心者は中国や台湾製の一番高いのを買って始めたら良いと言う。一生やって行けるようになったらセルマーを奮発すれば良いと。

 ソプラノやフォルンの良いのを買ったが、結局は仕事(毎日の生活)に追われて、それどころではなくなった。ほとんど吹かなかった楽器は「新古品」として半値で買ってもらったという人もおる。

 夢を追うのは良いことだが、楽器ばっかりは必ずしも、高価な楽器=良い音色 高価な楽器=上手に吹ける ではない。
 刺青(?)が入っているからといって、良い音色で鳴るという物理的根拠はない。「飾り」に過ぎない。キーの釦が「天然貝」であろうと「プラスチック」であろうと、「音色」と「演奏力」には関係ないのだ。

 「天然水神話」があるが、より良質なのは「水道水」であって、「天然水」と「水道水」では規制値が違う。緩いのは「天然水」、厳しいのは「水道水」だ。

 よく聞くのは、「ストラップのナスカン」のことだ。「ナスカンの材料によって音質が違う」と言われている。
 「本当かなぁ」と思う。ナスカンを変えて、シンクロスコープで波形を調べて、「ほらね!」と言われたら納得するが、「音色」というものは、息づかい・リード・マウスピース・咥え方・温度・部屋の反響 などなど、いろんな条件によって左右される。
 第一、そんなに「微妙な音色を聞き分けられる耳を持っているのか?」、「それほど音色を使い分けるほどの技量を持っているのか?」という事に首をかしげたくなる。
 第二に、音色には「好み」があるということだ。

 Saxと言う物は、触れずにならすのが一番良い音が出るかも知れないねぇ。
 手を添え、keyを握り閉めるほど管体の共振がふさがれてしまうと考える。

 ストラップも付けずに空中浮揚している常態で、マウスピースに息を吹き込むのだ。
 keyの動作は本体に組み込まれた(不動の質量的存在)装置をリモコンで動かす。

 こうすると、楽器には外的影響が最小限に抑えられるから、理想的な設計に基づく音が出るのではないか?
 
 それはまさに教会や贅沢なホールにある「パイプオルガン」そのものになってしまう。
 いや、「電子サックス」という物がある。
 これらは「人の癖」や「小物の影響」という議論の余地外になる。

 「神話」を言う人は、さも本当らしく言うから面白い。
 「私が無知だったのだ」と錯覚するように言う。
 「Sax」のHPが言う。
 「以下の専門用語は覚える必要がない。そんな時間があったら1回でも多く練習することだ」と。

 「お説ごもっとも!!」

 悪魔は「恐ろしい顔」をしてはやって来ない。「恐ろしい顔」をしていれば、誰もがすぐに気がついて逃げる。」
 悪魔は「優しくほほえんで」近づいてくる。悲しみに暮れている時に、優しい言葉を掛けながらやって来る。時にはプレゼントも携えて来る。
 「真実」と「神話」には大きなギャップがあるのだ。

 「緊急事態条項」を悪用したのが「チーム・ヒトラー」であった。誰のチェックも受けずに「独走」出来るのだから、そりゃ権力側は「欲しい」わなぁ。
 しかし、「悪魔のささやき」に乗ったらあきまへん。私たちは「結末」を確かに経験したのだから。


2016.5.3

 世の中は「ゴールデン・ウィーク」。私は「ゴールデン・閑古鳥」だ。ぶらりと梅田へ出る。
 ごった返すような人出だ。シジイもババアも若いのも、皆んな入り乱れて歩き回っとる。砂糖の上に蟻をばらまいたような光景だ。
 その内の1匹が私だが、人につられてブラブラと歩き回るのも良いものだ。惜しげもなく披露されている美脚は、田舎ではまともに見られない。見惚れていたら「変態爺い」と言われるのが関の山だが、都会では満腹するほどだから、まさに「健康ドリンク」みたいなものだ。

 大阪駅の北の歩道では2組が「ストリート・ライブ」をやっていた。一人は南米出身のように見えるが日本語が充分話せる。近頃「日本語」を充分話せない人が多くなったがねぇ。

 小さな発電機を動かして、パワード・ミキサー(増幅機内蔵型音声混合器)でスピーカー(拡声器)を鳴らす。演奏する曲は南米系だ。『コンドルは飛んでいく』みたいな、笛がメインの曲である。
 パン・フルートを2本、ケーナを1本。素早く持ち替えつつ曲をこなしていく。自作のCDを並べていた。何人かが買って行く。

 が、その演奏たるや「なかなかのもの」であった。ストリート・ライブで通行人を止めて聴かせるということは、相当に「腕に覚え」がないと不可能なのだ。

 学生時代に「マジック用品」の実演販売のバイトを4年やったが、あれって、香具師の「寅さん」のような「気合い」と「コツ」と「実力」がないと客の足は止まらないのだ。

 4~5㍍離れて待機しているのはもう一人のストリート・ライブのプレーヤーだ。順番待ちをしているのだ。こちらも発電機とPAを持参。楽器はマイク内蔵型のバイオリンで、マイクコードがつながっている。
 演奏した曲は、YouYubeにアップされているバイオリンのストリート・ライブの曲とよく似ていた。が、やっぱり腕前はそれなりにスゴイねぇ。
 こちらも自分のCDを並べていた。

 これだけの荷物を持ち込んで来るのは大変だろうが、キャリアーを上手に使っていたねぇ。

 何10人かの人だかりの中で1時間ほど傾聴した。「若けりゃ俺もやってみたい」と。

 聴いてる人たちの年齢は様々だが、プレーヤーはいつも「若人」だ。「年寄り」のストリート・ライブにはまだ遭遇したことがない。東京大衆歌謡楽団も大したものだ。

 行きつけの書店へ。読書は「習慣」みたいなもので、読書癖がつくと続くのだ。本日のゲット本は『元禄御畳奉行の日記』『もの言うキャスター 大越健介がみた現代』『カネを積まれても使いたくない日本語』『新美南吉 でんでんむしのかなしみ』の4冊。『元禄・・・』は歴史資料によって書かれているもの。『もの言う・・・』はご存じ「ニュース9」の前のキャスター。『カネを・・・』は元横綱審議会委員でもあった脚本家の内館牧子氏の「ら抜き言葉」から「させて頂く・・・」のおかしな日本語についてだ。『でんでんむし・・』は絵本。次回の幼稚園交流の時の読み聞かせにと・・・。

 で、ふと目にとまった1冊があったので、それも追加でゲット。

 座ってアルトサックスを吹く時に、「股ぐら」の間に挟んで演奏するスタイルがある。バス・クラリネットもそうだが、バスクラはそうは感じないが、アルトサックスは、何んとなく「違和感」があるというか、「変な感じ」に見えて仕方がない。昨夜、「グランパ(サックスアンサンブル)」の練習会でふと思い出したのだ。「違和感」というか「変な感じ」の「元」になっているものをだ。

 江戸時代の絵で有名なのは「浮世絵」と「春画」だ。
 股ぐらからドッカーンとそそり立つ「一物」を抱えているあの情景が「違和感」と「変な感じ」を想起させていたのだった。
 「前から見てみー! 春画を連想するぞ」と言ったら理解出来たらしい。

 で、まさにたくさんの春画の入った『わらう春画』というのを追加ゲット。イスラエル生まれの古美術研究家、オルフェ・シャガンという人の著作だ。
 次回にこの本を持参して、サックスの「構え」と「一物」の相似性を見てもらおうと思っとる。
 コンサートというものは、音さえ出ていれば良いというものではない。「見栄え」も大事な要素だ。
 声が綺麗で歌が上手けりゃ良いのであれば、歌手が綺麗な長袖の和服でステージへ出て来る必要はない。他人様に「聞いて頂く」のであるから、「気の入れ方」もあろうし、「エチケット」もあるだろうて。

 ついでに、
 外国の要人がやって来て会談をしている時に、足を組む人は男女ともにあるが、大股開いて座っているのは日本のエライさんだけみたいに記憶する。
 聞くところによると、大股開いて椅子に掛けているのは「インキン」を煩っているかも知れないと思われるのだそうだ。

 さてさて、またまた脱線をば。

 他所ではたくさんあるが、篠山市に1箇所しかないホット・スポットがある。大型スーパーにあるエスカレーターだ。この店以外には動いている物はない。もう1店あるようだが、2階が閉鎖されているようで、動いているのを見た事がない。

 吉幾三の『俺ら東京さ行ぐだ』の歌詞ほどではないが、猪・鹿・熊とも出会う原風景だ。年を取ると誰もが足腰おぼつかなくなる。せめて駅のホームには・・・と思ったらエレベータがついている駅が5駅の中の1駅だけにあった。が、年寄りではなくて若い人の利用率が・・・。年寄りはリハビリのために階段を歩くのだ。「元気で長生き」は「日常の鍛え」にあるぞー。シルバーシートに高校生がふんぞり返って寝ていたのを「学割は立て!!」と怒った年寄りがおったが、、、。

 「が」だ。とりもなおさず「費用対効果」というものが現実の生活における「利便性格差」を生じさせていることは間違いない。「ふるさとは 遠くにありて憶うもの」だ。かつてのニュータウンがエライ事になっとると言うが、田舎も負けとりまへん。

 大都市の「人的バックヤード」もそろそろ資源が尽き始めた。大都市へ送り込める若人を生産できなくなるのではないか?
 「一億総活躍社会」などと70数年前の大日本帝国の「国家総動員法」みたいなアホは休み休みに言いたまえ。「後期高齢者」もこき使わねばこの国は滅ぶのか?


2015.5.1

 今日は「お一日(おついたち)」と言って、律儀な人は「お赤飯」を炊いて、神様やお地蔵様などに供えて回る。
 「今月も元気でがんばりますよー!」と誓って回るのだ。
 ただし、「律儀な方は」という事で、「そうではない人」は、ボヨヨーンと「日暮らし」をするわけですなぁ。

 昨夜から娘夫婦がやって来た。京都・姫路と散策をして、「一夜の宿」に里帰り。
 まあ、それも宜しかろうて。

 「竹田城を見たい」と言うが、「それはなかなか大変だぞ」と、お昼を頂いてから、市内のホットスポット、ミステリースポットを案内する事にした。

 いやなに、かつて研究した「郷土史」の「秘地」である。誰も普段は興味を示さないが、大事なスポットだ。
 曰く、「女畷」「乙女塚」「刑場跡」「義経旧跡」などなど。

 くたびれ果てたが、二人は大満足であった。

 表舞台の観光もさることながら、庶民が残した「裏の事実」を見て回る事も大事な事だ。ただし、しっかりした解説者が随伴する事が大事。

 夕方、二人は「丹波路快速」に乗って帰って行った。埼玉へ帰る。

 『流転の波止場』と『演歌道中 旅がらす』は二日目だ。歌いやすい曲だから、吹きやすいのだねぇ。カラオケに沿ってなんとなく行けそうだ。

 どうも「歌」と言うものは「パーツ」があって、それを上手く組み合わせると「一丁あがり」というのではないか。。。
フレーズを分解して聞くと、何処かで聞いた記憶がよみがえって来る。

 「フレーズ」の「定石」みたいなものを知っていると、案外、演奏は楽に出来るのかも知れないねぇ。

 碁も将棋の「定石」と言うものが長年の経験値から作られている。素人が何人でかかろうとも、「定石」を知っている棋士には絶対に勝てないのだ。「赤子の手をひねる」という言葉があるが、まさにそういうことであろう。

 上手に「定石」を教えれば、みんな早くに上達するのであろうが、日本の「家元制度」や「教え方」は、「飯を食うタネ」なのか、それとも「教え方のスキル」がないのか、まことに「ヘタクソ」だ。要するに「種明かし」をしないのだ。

 料理の世界もそうだ。寿司を握るのにどうしてあんなに「修行」が必要なのか。「寿司職人速成学校」がかつて紹介されたことがあった。

 どんな銘柄の米・どんな炊き方・どんなネタ・どんな握り方 と、論理的に教えれば、寿司職人を育成する事が出来るという。

 「1貫がいくら(請求額)になるのか」と、「時価」と書いてあるのを心配しながら喰って何が美味いか? 
 「ぼったくられないか?」と心配せねばならないようでは、寿司は「健全な食文化」とは言えない。

 寿司・和菓子・茶 などというものは信用していない。一杯の茶を飲むのに、茶碗をひねくり回し、何度頭を下げねばならない事か。
 判りもしない床の間の掛け軸を、知ったかぶりして褒めちぎり、焼き損ないみたいな茶碗の底をためつすがめつひねくり見て、これまた誉めねばならないという。

 こういうやり方では、「上手になるまで命が持つかどうか」と言われても当然だ。

 この年になって思うのは、「あんたみたいな教師に担任してもらったから、何も理解出来なかった。あんたのことを月給泥棒というのだ」と言いたいことは山ほどある。

 何んであんなにラーメンやソバに蘊蓄を言うのか?

 ここのラーメンは良い。
  味付海苔が付いている。
  ゆで卵が2切れ付いている。
  チャーシューが3枚付いている。

それしか誉める事がないのかねぇ。

 かつて、食べ歩き番組のレポーターをしていたタレントと知り合った。サンテレビのバラエティーで毎週逢っていた。
彼も未だ売り出し前。楽屋は大部屋で一緒だった。現職の役場職員がテレビのバラエティーのコーナーを持っていたなどというのは信用されないだろうが、「公認」の事実であったのだ。

「酒井さん、そりゃ私にとっては喰いたくない物も出て来るんですよ。後ろを向いて吐き出す事もしょっちゅうあるんですよ」と。

ある漫画で、
「リポーターは、名物だと言うたら何んでも喰いよる。ゴミ箱の生ゴミを鍋物にしたら喰うだろうか?。美味いというて喰いよったなぁー」
というのがあった。

 「世の中は、狐と狸の欺しあい」と言うが、まんざらウソではない。

 クソ腹の立つのは、何んにも知らんくせに、知ったか顔をする「若い坊主」だねぇ。「坊主」は「年寄り」の方が人生経験を積んでいる分、それなりに光っとる。「七光り」を食い物にしている坊主がおる。
 「うちの『若が』・・・」などと言いよる「寺のおばはん」を見ると反吐が出るねぇ。

 この時代に「族」という人間がおる。
「皇族」「寺族」
だってねぇ。
 赤絨毯の永田町では、「農水族」とか「水産族」とか「なんたら族」とかがウヨウヨたむろしている。国民を食い物にしている化け物の世界かも知れないねぇ。

ちなみに、「寺庭婦人」などという言葉があった。「寺の庭に住んでいる女性」とは、どういう立場であったかは、仏教のかつての「戒律」と、「坊主」が「男」である事から想像すれば?

 あっ、ついでながら横道へ。
 あのレギュラー番組で、「天童よしみ」と一緒になったことがある。カメラの後ろで出番待ちで並んで立っていたのだ。「古手川祐子」も一緒だった。透けるような白魚のような肌だった。「さすが」だ。

 彼女たちは、人知れぬ「苦労」を積み重ねて来たのだ。人生は、そうは安直に手に入れる事は出来ないのだ。

 みなはん それなりにがんばりなはれやー。
 (「みなはん」というのは高橋圭三アナウンサーの訛りである。)


2016.4.30

 4月も終わりだ。いや、この世の人生の終わりも間もなくやって来そうだ。入院している友人もいる。
 嫌だねえー
かつて、かの、覚りを開いたであろう一休さんも、この世への名残は尽きなかったのだったというから、凡夫同然の坊主としては、もっぱら「この世」にしがみついていたいものだ。

 昨日レッスンの先生を訪問した。
 こっちがなかなかレッスンに通う気持ちになれなかったから、暫くお休みにしていたのだが、寄る年波(?)か、体力的にも・・・と、レッスンをお休みにすることになったと言う。
 「無理したらあきまへんでー」
と、年寄りが後輩の年寄りを慰めることになった。ついでに「坊主の愚痴」も聞いてもらった。

 車中でFMを聞いていたら、大内惠介という若いイケメン演歌歌手の『流転の波止場』というのが流れて来た。今年の「紅白」は、これを引っさげて出場するんだと、がんばっている。
 帰り着いてYouTubeを検索したらアップされていた。
 「これ、なかなか良いぞー」と早速耳コピーで譜面を書き始めたが、もうちょっと調べたら、CDが出ているのだった。
 今年の3月23日に公開されたというから、まだ出来たての湯気が出ている。茶屋町のNUビル8階の中華の、湯気が出ている「小籠包」みたいだ。
 このCDには楽譜も付いているというのだ。早速、通販へ。とにかく、決断は早いのだ。一日・一時間がもったいないのだ。
 もう今日には配達されて来た。

 いわゆる「A面」の『流転の波止場』ももちろん良いが、「B面」に入っている『演歌道中 旅がらす』もなかなかだ。快適なテンポで歌いあげる。オリジナルカラオケも付いている。
テナーサックスで吹くと、『流転の波止場』は♭2つ、『演歌道中 旅がらす』はCだ。
これは手拍子を打ちながら、皆んなで歌いながら楽しめそうな曲だ。

 医者から、控えるようにと言われているアルコール。茶碗酒を味わいながら聞いていると、「うつうつ」とした気分が吹っ飛んで行った。
 『津軽海峡冬景色』や『北の宿から』も良いが、あのジメジメしたのとは違って、こっちは気分が晴れ晴れするねぇ。
 年寄りは先が短い。

パー!! と、明るく生きたいねぇ。

 ちょっと脱線。

 篠山市役所に「フランク永井」にそっくりの若者がいる。いや「山内惠介」にそっくりなのもいるなぁ。
 世の中は面白いのだ。

 この曲を「編曲」したのは「伊戸のりお」という人だ。土曜日のNHKのお昼のテレビで『バラエティー生活笑百科』というのがあって、そこに顧問弁護士で出ていた弁護士で三瀬顕という人がいたが、なんとなく似ている。
 いや、顔の話ではなくて、「編曲」という頭の構造に感心するのだ。こういう才能があれば、どんな曲でも、どんな風にでも「編曲」して楽しめるのにねぇ。と。

得てした昔から、本命のA面の曲よりも、B面の曲が大ヒットしたという事がある。楽しみだねぇ。

 話は180度ターン。この夏にまた選挙があるのか、ポスタースが貼られ出した。落ちても落ちても、一度味わった赤絨毯は忘れられないのだねぇ。「チーム・アホノミクス」には近づかれませんようにと、「老爺心」ながら。。。。

 昨夜、NHKの『ドキュメント 72時間』を見た。秋田港の「うどんの自販機」を72時間取材して、訪れる人の人生を垣間見るのだ。この自販機は移譲先が見つかって営業再開したというから、これからも秋田の人々を癒やしてくれることだろう。

 この番組はとっても面白い。人生の「悲喜こもごも」を見せてくれる。同じNHKの特集もののあのBGMのやかましいのとは「月とすっぽん」だ。ディレクターの「センス」の問題なのだろうて。


2016.4.29

 合間を縫って大阪へ出る。行って帰って来るのに3時間もあれば良い。本屋さんで「ブック・サーチ」をする。背表紙の題名を見て、これは?と思うとパラパラとめくって見る。
 前書きと目次を読むとほぼ中身の検討が付く。本はどうもネットでは買いにくい。直に本棚から漁らねば中身がもうひとつよく解らない。

 一冊目は『昭和の消えた仕事図鑑』という題の本。150種の消え去った職種がイラストと共に紹介されている。一日の日当がいくらであったかも調べているからたいしたものだ。
 9割方の職業(?)を知っていた。何しろ昭和世代なのだから。

「こうもり傘の修繕」「エレベーターガール」「電話交換手」などなど。
 時代の推移、技術の進歩などによって、これからも消滅する仕事が出て来るだろう。

 もう一冊は少々パンチが効いていそうな本だ。TVニュースのコメンテーターにも良く出ている浜矩子さんの『みんなで行こう アホノミクスの向う側』。
 老眼鏡を掛けてじっくり読んで行くことにする。

 一文字変えるだけで無茶苦茶パロディーになるセンテンスがある。面白い!!

 「今から役場へ行く」といった高齢者(?)がいた。

 「間違わんように!!」
 と言ったら、本人は全く気づかなかった。

 隣にいた人は素早く気づいて大笑いをしていた。
 「ヤクバ」と「ヤキバ」のパロディーだったのだが?

 ちなみに、「ヤクバ」=「市役所」
  「ヤキバ」=「火葬場」
のことだ。

 それにしても、都会は初夏の装いに変わっている。「就活」の女子学生が黒い服を着て、スマホを片手にあっちにもこっちにも。

 アパレルには初夏の装いが今を盛りに並んでいる。素敵な色(ワインカラー)の帽子があったが、しっかり値段が付いていた。
 隣の時計屋には、大き目のすっきりしたデザインの腕時計が並んでいる。「いーなー!!」と見とれる。が、余命から計算すると「減価償却」がなかなかだ。シルバー世代はアップルの腕時計(?)も良いが、年相応のセンスの良さを「さりげなく」身につけるのが良いのだという。
 が、どちらも諦めて。サックスの「ピン・アクセサリー」があったのでそれをゲット。
 爺じぃも婆ばぁもいっぱいウロチョロしていたが、白魚のような手足を惜しみなく出して颯爽と歩いているギャルは「旬のもの」だねぇ。

 初夏だ。京都の駿河屋では、季節の旬のものとして。若竹の「水羊羹(丁稚羊羹とも言った)」が出始めた。毎年ゲットしに行くので、いつもの店員さんは、それとなく覚えていたらしい。
 が、あの若き彼女は「お嫁」に行ってしまったのかねぇ?
 店番をしていた娘は、昨年から見なくなった。

 鴨長明の『方丈記』の冒頭を思い浮かべる。
  ゆく川の流れは絶えずして しかも もとの水にあらず
   よどみに浮かぶうたかたは かつ消え かつ結びて
    久しくとどまりたるためしなし。
だ。
 しあわせに暮らしていることを思うばかりである。

 最近の定番の『君といつまでも』と『ダニー・ボーイ』を吹く。
 我が「この世」の名残かも知れない。

 夕方、NHK・FMを聞いていたら、「立川志の輔」さんがゲストの番組をやっていた。
アナログ・レコードがテーマのようであった。若い頃の彼は、なかなかの苦労人(?)だったようだ。コードを延ばすとスピーカーを離して設置できるステレオ時代を経験していた。

 ビートルズの音楽を聴いていたら、「コオロギが左から右に啼きながら行く」というので、思わずスピーカーの後ろにコオロギを探したという。
 彼の音楽のウンチクを「納得 納得 そうだ そうだ」と聞いた。

 落語より「ためしてガッテン」の方が親しみがあるが、いろんな人生の経験が彼の素敵な、しっとりとした「人間味」を醸し出しているのだねぇ。
 ついでながら、「試してガッテン」の 志の輔・文恵・まみ のトリオはピカイチだねぇ。それを支える裏方は大変な仕事だが。 

「機微に触れる」
という言葉がある。

「落ちぶれて 袖に涙のかかるとき 人の心の奥ぞ知らるる」
という言葉もある。

人生というものは、「カウントダウン」だということに気付くことが大事だぞ。


2016.4.24

 市会議員の投票日。投票所に詰めている市役所の職員や投票立会人の方たちは皆んな顔馴染みの人ばかり。三々五々とやって来る人たちも皆んな顔馴染みだ。何処へ行ってもそんなのだから、人間も「古手」になると隠れる所がない。だから、普段は家の中にすっ込んでいるのだろうか。

 昨夜まで走っていた選挙カーが今日はぱったり来なくなった。いや、もし来たら公職選挙法違反だったなぁ。随分昔、移動式の個人看板(ポスターを貼って安直に地面に突き刺す方式)が認められている頃、彼方此方に分散して設置されていたが、投票日になると、投票所の近くに移設して賑やかなものだった。そもそも、選挙ポスターの掲示板という物が公的に設置されていなかった。

 村の入り口には「張り番」がいて、夜ともなると焚き火をし、人の出入りを見張っていた。今は電話も普及しメールもあるから、出歩いて面会しなくても意思を伝える事が出来るので、「張り番」もなくなった。一見長閑な、そして熾烈な村形選挙だった。
 選挙カーがやって来なくなったら、村はまた藁灰に水を打ったごとく静まり返っている。時々野良猫が道を歩いているだけだ。

 熊本の地震は一向に収まる気配がない。気象庁はまだ警戒を続けるようにと呼びかけている。昔からの「経験(実体験)」に基づく「教訓」は伝えられているが、とっさに目の辺りにに起こると、それが実行出来ないものだ。

 祖父がよく言っていたのは、
 「地震の時は藪に逃げ込め」
  (竹の根が網のように地面に這っているから地割れがしないという)
とか
 「地震の時は火を消せ」
  (火事にならないようにという)
とか
 「地震の時は風呂場か便所へ入れ」
  (面積に対して柱の数が多いから潰れにくいという)
と言っていた。

 が、揺れている時にそういう行動はとれない。布団を被るか机の下に潜るのが精一杯なのだ。
「家の中の通り道や出入り口に物を置くな」「刃物を放置しておかないこと」とも言っていた。
 鉛筆などが床に転がっているとひどく叱られたものだった。
 「そらー!! という時に足に刺さったらどうするのだ!!」と。

 とっさの時には実行出来ない「教訓」もあるが、普段から心得ておけば「助かる」生活習慣もある。出入り口に物を置くということは、非常口を塞ぐ事と同じだ。地下街でそんな光景を常態的に見たので、たまりかねて消防署へ通報したのはもう10年も前のことであった。

 起こり得ることであったであろう事に対して「想定外の事でした」と言うのがTVでインタビューを受けている人の言葉だが、初めに「あり得ない」という立場で取り付くのではなくて、「もしかすると」という立場で取り付くと、「想定内」という枠がもっと広がる。そうすると、「対応」も用意しておくことが出来るのだ。安易に「想定外」という言葉を使うのは「逃げ口上」に過ぎない。
「経験」は最大最強の教師だが、如何せん、最大最強の「経費」が伴うのだ。

 投票所で出会った旧知の人が、「まだ続いていますか?」とSaxの事をいうので、「今は『ラデッキー行進曲』をやっていて、次は『ヘ調のメロディー』をしようかと思っている」と答えた。

 明日、「激甚災害」の指定になるそうだ。ご自分の目で確かめないと気が済まないらしい。「ご立派」です。
 「一将功成り 万骨枯る」
です。何処かの国の三代目さんを連想します。
 「三代目が家を滅ぼす」
と言われています。権力は世襲しない方が良いと思いますねぇ。
 ご用心 ご用心。


2016.4.19

 九州の熊本から大分にかけて大変な事になっている。被災地の方々には「かける言葉」が見当たらない。
 「安全なところに住んでいて良かった」という人がいるが、昔から「地震 雷 火事 親父」という言葉がある。日本列島は、何処で何が起こっても不思議ではないのだ。篠山市の消防署からも応援に出発した。市職員が南三陸町へも派遣されている。「一寸の虫にも5分の魂」だ。たとえ一掬いの土砂でも掻き出してくれるだろうと願わずにはいられない。

 「阪神淡路大地震」を思い出す。当時は町役場に勤めていて、この地震への対応の一端を担っていた。

 「良かれ」と思ってしていた事が、実は「そうではない」という事実も知らされた。むやみやたらの支援物資はかえって迷惑品であったし、良かれと思って献立をした「山菜握り飯」は、やがて「迷惑中の迷惑」になった。

 高齢者や乳幼児用の現場での二次加工が出来ないのだ。白い「お握り」も「塩」を付けて握ると、塩分規制をしている人にとってはちょっと困る。良かれとパックに詰めて、横にタクアンやお漬け物を添えると、その匂いが染み込んで・・・。
 断水の所に「カップ麺」を送っても、どうしたら食えるか?まで気が付かなかったのだった。

 物は集まって来たが、一方的な支援しか思いつず、「何をどのように」支援して欲しいかという現地の要望を確かめる事に気が回らなかった20年前であった。
「食べられれば良い」「着られさえすれば良い」ということで、今から思えばとんでもない物も寄せられて来た。

 そして鼻持ちならないのは「現地視察」にやって来る「お偉いさん」だ。その人たちの案内や説明にどれほどの余計な仕事が増えるかと・・・。現場で石ころ一つ持つでもないのに、プレスの効いた作業服に身を固めている人たちを見ると反吐が出る思いであった。
 知事が着れば「我も我も」と。作業服を着ねば「非国民」と思われないかという心理が働くのだろう。作業服一色に染まった県議会本会議の姿は誠に滑稽を通り越えて危惧の念を抱いたものだった。

 支援品→お土産 と単純な思考回路が思い出すのは、今から60年も前の禅宗坊主の達観した言葉だ。

 「粗末な物ですが・・・と言うような物はいらん」。「お口に合いませんでしょうが・・・と言うような物はいらん」と。

 「何かお土産を」と思うのは人の常であるが、やってはならないことがある。
「売れ残りの品物」、「賞味期限直前」の品物だ。人様に差し上げるべき物は、心を込めた物であるべきだと思うねぇ。

 要するに、廃品カツを再流通させたあの一連の事と、20年前に支援品として出て来た「脱ぎ捨てた肌着」を思い出すのだ。

 「昔は匂を嗅いで、『これはまだ行ける』と洗って喰ったものだ」
そうだ。
確かに、昔はそうだった。が、今となっては流通業者(?)が言うことではないわなぁ。

 次は健康に関して。

 「お元気そうですねぇ」
とか
 「お元気で何よりです」
などという「健康」に関する言葉は、気を付けて言わないと相手が不快になる。いや、私が時々不快に思っているのだ。

 些か健康に不安を持ち始めていると、
 「俺はそれほど不健康に見えるのかなぁ」と思い過ごしてしまうのだ。

 「お見舞い」や「お悔やみ」の言葉はよく選ばないと、とんでもない「失礼」な結果になってしまう。まさに「あなたの親切 私の不快」になるのだ。

  祖父がよく言っていたことを思い出した。
 お悔やみに行ったら、最後までちゃんと言うものではない。
 「『このたびは誠にムニャムニャムニャ・・・・』というものだ」と。
 高齢者が亡くなった時に喪主にかける言葉は、
 「『良いお世話が出来ましたねぇ・・・・」と言うものだ」と。
 世話をしなかった人に対しては、大変な当てつけになるので、Kをよく読むことが大事だが。

 そして「喪主の挨拶」は1行で良い。ダラダラ言うと、自分でも収拾が付かなくなる。それでなくても「付加価値」が一杯くっつけられているお葬式なのだから、とどのつまりに「蛇足」を付けることはない。

ついでに、

 「割り勘」の食事会で大食いをする馬鹿がおる。
 「お腹 大丈夫ですか?」
と言うのは、馬鹿の健康を心配して言っているのではない。
 「ちょっとは遠慮したらどうか。人の分まで喰うな、このバカタレ!!」
と言われているのだが、こういう馬鹿に限って、言われていることが解らない。
 ようするにKYそのもの。
 世の中にはKYが意外と多いものだ。
 そのKYにきちんと解説して言ってあげるのが良いのか、それとも言わずにほっとく方が良いのか?
 どっちでも良いが、迷惑を被るのは「そっち」ではなくて「こっち」だ。

 もう一つついでに。
 「とある会」で食事になった。飲み物代は個人で支払うことになった。レジに行列が出来た。あっ、これ、前回に書いた。が「再び」。
 まぁ、まことにみっともない光景であった。会計がまとめて払っておいて、帰りの車中で集金するとか、予備費で賄うとか。バスのチャーター料も高速代も駐車場代も随分かかった事だろうて。
 「個人の嗜好の物は個人で負担せよ」という理屈は良く解るが、全体のことは会費で賄っているのだから、当日不参加の会員には、「相当」する経費の割り戻しをするのであろうか? 
 多分そういう処理はしないと思う。
 と言うことになれば、「論理のつじつま」が合わないことになる。「単なるシミッタレの恥さらし」を展開したに過ぎない。

 「節約」することと「ケチ」とは根本が違うのだ。
 ♪ボロは着てても 心は錦♪
と言うぞ。

 また、年寄りの愚痴になった。


2016.4.13

 女性セブンの2016年4月21日号の記事がネットに紹介されていた。曰く「キレる老人」だ。

「高齢者の脳は、使っていない範囲がどんどん増えて行き、それに伴って脳の機能が衰えて行きます。それゆえ、物事に対する理解力が低下して感情的にイライラしやすくなる。一方で、老化によって、脳内の感情をコントロールする部分が縮み、怒りの感情を抑制することが難しくなります。理解力の低下と感情を抑制できなくなることが車の両輪となり、暴走老人を生むのです」と書かれていた。

 まことにその通りだ。自分で自分の行動や言動が解る。どうしてこんなに「キレる」のかと。祖父もそうであった。性格の遺伝かと思っていた。
 しかし、どうもそれだけではなくて、「老化現象」ではないかと気づき始めていた。どうも言動が尋常でなくなって来た。

 昨日今日と二日続けて幼稚園を訪問。1日目は入園式。今日はコミュニティ誌の取材。

去年の年少組の子供が私を覚えていた。
「変なおじさん」と私のことを言った。
が、私を覚えていてくれたことが嬉しかった。Saxのグループで幼稚園を訪問としたからかも。今年度も訪問することになっている。ただし、私は「生きているかどうか」が問題だが。

 今日の訪問で、今月の「コミュニティー誌」ができあがった。「小さきものは愛おしきもの」というがそのとおりだねぇ。

 ずーっと昔。と言っても百年も前ではない。

 幼稚園に通っていた男の子が担任の先生に一目惚れして、
「僕が大きくなるまで待っていてね。僕が大きくなったら先生と結婚するから」
と言ったという。

 その約束を守った男の子と、その約束を守った先生が何年も経て結ばれた。
歳の差は15歳ほどであったかも知れないが、その話を聞いてから、この事をずっと忘れない。

 子供の心というものは、小さい時に形成されると言う。人生の大事な先生は幼稚園の先生かも知れない。
 今日も訪れた幼稚園の先生たちはみんな生き生きとしていた。子供たちは毎日幼稚園に通うのがとっても楽しいだろうなぁと思った。


2016.4.11

 ♪1970年のコンニチワ~♪ と三波春夫が歌った。あれから46年。綾小路きみまろのネタになるなぁ。年寄り(現役リタイアした人)の「とある」サークルの4月例会があった。今月は「家族同伴」で、彼の「万国博覧会公園」へ行く事になった。欠席者もあり、単身者もあって総勢20人。

 大きな駐車場にくっついて正面ゲートが何んとなく記憶の彼方にある。ゲートの正面には岡本太郎のデザインによる「太陽の塔」がそびえている。もっとデッカイ物だというイメージだったが、最近は巨大なビルを見慣れてしまって、ちょっと背が低くなったのか?と思った。あの目玉の所に誰かがいて大騒動になった。

 水族館(?)を見学。「NIFREL」というものであった。仲間の一人が意味を尋ねたら、英語でもフランス語でもない。「日本語」であった。
 「~に触れる」をアルファベットにして表記したものだという。ペリカン、カバ、熱帯魚etc etc。鳥などは放し飼いだ。

 昼食は公園内の某ホテルの中のレストラン。が、従業員の行動線がイマイチだったねぇ。
 「昼食本体は会の経費で支払いますが、飲み物は各自で支払ってください」というから、レジが長い行列になって・・・。

 ちょっと遅い昼食を済ませて、「LaLaport」というショッピングモールへ行く。月曜だというが、子ども連れの若い夫婦を始め、客層の平均年齢が若い。こんなものが篠山にあると、就労場所が確保できるし、間接的にも税収が上がって良いかも知れないねぇと。が、高い空から見下ろすと、「ここ一点だけ」かも知れない。

 あちこち、かつての万博内を歩いた人はおよそ1万歩だったという。万博は遙かな記憶の彼方になってしまっていた。

 帰りのバスの中でウツラウツラとしながら気がついた。Saxの曲がり角に唾が溜まる。よくよく振り返って見ると、上手く吹ける曲はほとんど唾が溜まらない。下手な曲、自信のない曲ほどよく溜まる。唾がよく溜まるのは下手くそだという証明になるかも知れない。


2016.4.10

 桜が散り始めてライトアップを止めた。それでもたくさんの人が夜桜を楽しみにやって来た。昭和天皇即位式記念に植樹されたのだから随分長寿のソメイヨシノだ。が、今年もとうとう「遠山金四郎」になってしまった。
 それにしても、ウエブカメラではせっかくの「夜桜のライトアップ」もイマイチだった。ハレーションがきつくて・・・。

 境内の掲示板に今月の「言葉」が書いてある。これはもっぱら坊守の仕事だ。言葉の「是非」については住職がイチャモン?を付けているが。今月は、

 『あぁ けさも生きている いや 生かされている』という言葉が書かれている。

が、ちょっとひねくれて一文字だけ変えてみると、痛烈な風刺になるのだった。

 『あぁ けちも生きている いや 生かされている』と。
 
 その通りだねぇ。

「慎ましやかに生きる」ということと「ケチで生きる」ということとは全く違う。
「慎ましく生きる」には「優しい心根」が窺えるが、「ケチ」には「心が狭い」と。
「慎ましく生きている」人と一緒にいると、心がほのぼのする。
「ケチ」の人と一緒にいると心が荒(すさ)ぶ。

 よく言われた言葉に、「自己中」というのがあった。
 歳を重ねて老境に入ると、どうしても「自己中」になりかねない。気をつけているのだがなかなか。

「浪費のすすめ」を言っているのではない。「ケチ」は周りの人を不愉快にする。そして、その人に合わそうと心遣いをすると、全体のレベルが下がってしまう。

 何かしら、「壱番屋」→「ダイコー」→「みのりフーズ」という一連の報道を思い浮かべる。
 そういえば大阪の一流料亭と言われた「吉○」が、客の食い残しの「天ぷら」を次の客に出したとかということがあったわなぁ。

 時たま、不用になった物を頂ただかざるを得ないことが起こる。が、人様が「不用」になった物が役立った試しは無い。
 「キャベツの芯」、「魚のアラ」(ブリではない)、売れ残りの賞味期限の来た饅頭。
 ゴミ箱へ直行の品であっても。持って来る人がいるのは不思議だねぇ。

 人様に物をあげる時には、
 「これはとっても美味しかったので、お裾分けに持って来ました。」と言うようなことは出来ないものかねぇ。

 「お口に合わないと思いますが・・・」と。
 「口に合わん物はいらんわ!!」と言った禅宗坊主がおった。正解!!!だ。
 「お粗末な物で・・・」と言ったら、「お粗末な物はいらん!!」と言うたそうだ。

 「喰う物 着る物」は「嗜好品」と言って。それぞれ好みがある。如何に美味かろうと、歯のない者には「サザエの刺身よりも玉子焼き」の方が良いのだ。

 昨日、いつもは電車の窓から見ている景色の「気になる場所」へ実地検分のドライブに行った。が、実際に行って見ると、
 『手に取るな やはり野に置け 蓮華草』
だった。


2016.4.8

 午後からお医者へ行って常備薬を処方してもらおうと出かけたら、すっかり時間を間違っていた。突如3時間という「時」が出現した。

 小学校へ行って、運動場をベンツ(軽トラのこと)のケツにH鋼を付けて引っ張って走り回り、除草と整地をする。すっかり綺麗になった運動場を見ると気分が晴れる。いぶかしげに近所の人が見るが、何をしているかがわかって手を振ってくれた。

 天才棋士と言われている加藤一二三(76歳)さん。なかなかの人気者で、燕尾服を着こなしてオーケストラの指揮をやりとげた。彼の愛称は「ひふみん」という。

 今度はオペラ『女心の歌』に挑戦する様子をテレビでやっていた。7日の深夜、『アウト×デラックス』と言う番組の『ひふみんオペラに挑戦』と言うコーナーであった。

 燕尾服に身を固めてのオーケストラでの『運命』の指揮では、途中でずり落ちそうになったズボンをたくし上げながらの指揮はなかなか楽しいものであった。指揮者が少々間違っても、楽員はそれらしく演奏し、指揮者に合わせるのだからエライものだ。

 今回挑戦する「オペラ『女心の歌』」は、高音も歌わねばならないのと、歌詞を覚えるのが大変だ。1番は日本語、2番はイタリア語だ。本物のオペラ歌手が指導に回り発声を教える。

 前回に指揮を教えた先生が今度はピアノで教えて行く。「ナントカ出来るでしょう」と励ます。
 応援団は番組のレギュラーメンバーたち。マツコデラックスもやって来た。大きなカンペにカタカナで歌詞が書いてある。

 「大丈夫かいな?」と見ていたが、加藤氏は懸命に歌詞を覚え、メロディーを覚えようとがんばっている。

 何度も何度も上手く行かないところでつまずくが、それでも投げ出さずに、回りの皆んなは支え続ける。

 「ダメだ」などと「否定」はしない。「もうちょっとで行けるぞ!」と、「ひふみん」を励ます。

 その懸命な姿を我が身に引き比べて見ていると、ユーモラスというか、純真というか、なんとも表現は出来ないが、「頑張りなはれやー!」と思わず手に汗がにじむ。

 私などがSaxを始めたのは63歳から。今は72歳になってしまった。苦手な休止符は歳と共に重荷になる。16連符は指がもつれる。3連符も苦労した。

 ムード歌謡やJPOPなど、かつて歌って知っている曲のソロは、ナントカそれらしくは吹くことが出来るが、合奏になっているものは大変だ。
 主メロとは違う、およそ聞き慣れないバックで使われるメロディー(?)と、それを支えるため?の不規則な休止譜をこなすのは大変なのである。
 もはや異星の音楽に聞こえてくる。

 60代ならナントカ行けるかも知れないが、70の大代を越えると格段に付いて行けない。

 「遅れた」「早く出た」と言われると、音楽を楽しんでいるのか音楽に苦しんでいるのか解らなくなってくる。

 「メトロノームに正確に合わせていく事で全体がちゃんとした音楽になって行く」という理屈は重々わかっているが、歳がそのようには行かないのだ。
 遅れたり早くなっていることは本人が一番解っている。
 おまけに、時々迷子になる。

 「何処をやっとるのか?」と。

 先回りして待ち構えないと「オイテケボリ」になる。「間違った」というのは本人が一番知っている。

 そうして、私が躓く度に演奏が止まると、当の本人はトラウマが増殖し、ストレスが溜まる。カメラを飲んだら十二指腸潰瘍が出来始めていた。

 こんなつもりでやり始めたのではなかったのだが・・・と。

 今更セミプロ並みに吹けたって、どうせ後2年ほどだ。そのうち歯は無くなってアンブシャーも出来なくなるのは目に見えている。心筋梗塞・脳梗塞・白内障・歩行困難・健忘症・認知症と、想定されるものはいっぱいある。

 「あの爺さん 他の曲は無茶苦茶やったが、あの曲だけは楽しそうに上手に吹いたねぇ。あれで心残りは無かったろうなぁ」
 と言われて逝きたいものだ。

 年寄りは「上手になるまで命が持たないのだ」

 「この曲が素敵なので、この曲の通りに吹きたい」
と思ったから、『ダニー・ボーイ』の「マイナス・ワン」をウン万円の料金を払って耳コピーをしてもらった。

 「この曲にはフラジオが使ってあるので、そっくりそのまま演じたいからフラジオを出したい」
という願望があって一年間不ラジオに挑戦したのだった。

 『Loura』というのもあった。これも耳コピーを依頼した。これもウン万円のお礼になった。

 「ひふみん」の本番は1ヶ月後にやって来た。ホールを借り切って客席も満員だ。テレビ局が用意したのであろうが、お膳立ては用意万端。照明もPAもTVカメラも聴衆もぎっしりだ。
 ステージにはバイオリンとビオラの4人+ピアノがオペラ『女心の歌」の演奏を受け持っている。もちろんこのメンバーはプロフェッショナル。

 「ひふみん」は颯爽と燕尾服を着てオペラ歌手然として登場して来た。これぐらいの曲の演奏ともなると、ピアノの「譜めくり」さんもちゃんと付いていた。

 オペラの歌は、音程もリズムも、完璧とは言い難く、少々外れていた。いや、それは「想定内」のこと。「ひふみん」の専門は「将棋」。クラシックはお遊び。あくなき好奇心のなせるところなのだろう。

 小編成オーケストラのメンバーは、笑顔で歌に合わせて演奏をしていた。怪しげなイタリア語の歌詞もナントカ終わって、『この人この一曲』が皆の力で完成出来た。
 オーケストラの面々も弦を叩き、笑顔で握手をして「ひふみん」の努力を讃えた。

 今やっているラデッキー行進曲の3カ所ほどはユニゾンが来るので解るが、他の部分は、自分が何をやっているのか、とにかくリズムからはぐれないように、迷子にならないように付いていくのに必死である。

 楽しみなどとは縁の遠い事態になっている。最後の小節が「合った!」ということだけがささやかな快感になっているのだ。

 これでは「音楽」ではなくて「音苦」だ。

 私たちの練習は、傍目には大変滑稽な様相を示しているだろうなぁと思う。メトロノームに併せて全員が足拍子を踏んでいる。そんなバンドは見た事がない。

 メトロノームやカウントに頼っていると、それが「習い性」になって、いつまで経ってもそれをしないと演奏できなくなる。

 「1.2.3.4.」とやって大恥を掻き、「せーの!」とやって大恥を掻いたのだたよなぁ。

 私たちのグループはそれぞれがシルバー世代に入っている者ばかり。
 この歳になって、カルテットやクインテットを「ど素人」で組もうということが、どだい根本的に身の程知らずなのだからねぇ。

 それでも、「あの組曲は遅くて付いて歌えない」と言われたことだけは頭から離れない。今度は歌ってもらえるテンポで演奏したいものだ。

 私などはついつい足手まといになってしまう。それでもあの「ひふみん」は周りのプロフェッショナルの音楽家や、たくさんの応援団、スタッフたちに支えられて何とかかんとか本番をこなした。多少は楽譜からはみ出したり、音程が付いて行けなかったりもして、コンサートマスターがにんまりと優しい笑顔で合わせて行った。

 自分たちだけで月に2回の練習会を持っているだけでは「張り合い」も無かろうと思って、実力相応の所へ行って、「交流演奏」の営業活動をして来る。日程を調整し、曲目を調整し、交流時間のトークや交流の進行表もつくる。

 年寄りが楽しむ音楽は、きっちりしたものではなく、それ相応に楽しめたら良いのではないか。そして、もっと大事なのは、「こんな下手くそを辛抱して聞いて頂けることだ」という自分たちの構えだと思うねぇ。

 路上ライブをやっても、「投げ銭」どころか、追っ払われるのが関の山だ。


2016.4.6
 世の中の新年度が本格的に始動だ。
 市内の川土手の桜並木が満開になっている。隣の公民館の昭和3年植樹の桜の老木が、今年もあふれんばかりの花をつけている。2基のデッカイ水銀灯でライトアップ。

それなのに、村の中はワラ灰に水を打ったように静まり返っている。風流には縁が遠いのかなぁ。

 どうも政治には「金」が付きまとうねぇ。「身体検査」が不十分なのか、芋づる式に出て来るねぇ。
 「水清くして魚棲まず」というから、そういうことなのかねぇ。
 世界のリーダーとも言われる人も、タックス・ヘイブンを使って利益を上げているというから大したものだ。庶民はエッチラオッチラと「ふるさと納税」するのが関の山だ。

 地球を何度も回るほどのガソリンなんてのは、私には縁の無い話だ。

この時期、市長室が桜観賞のために市民に開放されている。で、このとき、市長さんはいずこにおられるのかは知らない。
 そんなに良い場所なら、年中、市民の観賞室として利用し、市長さんはどこかの隅で執務されたらいかがかと?

 〈突然「今日の格言」〉
  過去から学び、今日のために生き、未来に対して希望をもつ。大切なことは、何も疑問を持たない状態に陥らないことである。(アインシュタイン)

 この時代、「ステータスシンボル」というものは見直されて来ている。社長も会長も、トップに立つ人は、そろそろ頭の向きを変える時代ではないかねぇ。と。


2016.4.1

 新年度が始まる。とっくにリタイヤしているものの、世間では4月1日に環境が変わるので、何も用事が無いのにソワソワとするものですなぁ。何も用事が無い寺というのは、いわゆる世間の目で見ると「倒産寸前の寺」という事ですなぁ

 小学校の校長先生が満期退職。先の卒業式のあと、卒業生一同から校長先生への「卒業証書」が手渡された。微笑ましき光景であった。今日からは新しい校長先生になる。
 男性校長と綾小路きみまろの必需品はモーニング・コート。ノーベル賞受賞者と手品師は燕尾服〈テール・コートという〉だ。かつてのマジシャンの制服も今は押し入れの中だ。モーニング・コートなどは10回も着ただろうか・・。

 入園・入学式のお招きがあった。幼き者たちへの「ワンセンテンス・メッセージ」を、どう言おうかな?と思案する。入園式だから、真っ赤なジャケットを着て行こうか? 素敵な3人の先生たちとも出会える。「人生は出会い」だ。

 あちらの山も、こちらの山も、今年はたくさんの辛夷(「こぶし」)の白い花が咲いている。「丘」がない。丹波篠山は「山」ばかりなのだ。(このセンテンス、解るかなぁ? 千昌夫の歌を聞いてみなはれ!!)
 山がお爺さんになったようだ。辛夷の木が多いので、「白髪岳」と名付けられた山もある。

 桃の花も咲き始めた。桜は今にも弾けそうな蕾になっている。土曜の夜からライトアップを始める予定だ。
 ♪土曜の夜は お前を抱いて~♪ 解っかるかなぁ? Rats&Starの『To Naight』なんだけどなぁ。

 「歩きスマホ」が増えているねぇ。うっかり言うと「蜘蛛膜下出血」ほどに殴られるというから、世の中はどういう方向に行くのだろうか。校庭の「二宮金次郎」は、「歩き読書」は如何なものかと、とっくの前に倉庫の中へ移動している。飲酒を感知してエンジンがかからないキーが出来たという。歩きながらでは電源が落ちるスマホにすれば如何か?

 私などは老眼だから、あの小さな字は読めない。これからも「ガラケイ」で行く。話の最中にスマホをいじくるような失礼な事はしたくない。
 話の最中に、やたらメモる人が居る。意地悪く質問してみた事があった。「そのメモを読み返しますか?」と。
 案の定、「読み返すことはほとんど無い」と言われた。私などは、話を「パクろう」と思うからメモするが・・・。

 中学生の頃、授業の「板書」を丸写しにノートしていたが、あれは本当に身に付いていたのかどうかは疑わしい。
 鼻クソをほじりながら、「コイツ話が下手だなぁ」と先生の授業を聞いていた方が、余程アインシュタイン的ではなかっただろうか?
教科書に書いてある事をそっくり板書したって、どうと言うことはないと思うが・・・。
 目のウロコを引っぱがし、好奇心をそそる事が、その子の将来に役立つと思うよ。

〈突然の「今日の格言」〉
 「馬鹿も休み休み言いたまえ。名器を手にしたら名演奏家になれるのであるならば、私はすぐにでも注文する。」

 2億円もするストラディバリウスも、素人が弾けば「猫に小判」だ。
 金持ちであれば名演奏家になれるのかな?

 ついでに、
 政治家というものは、いつの世にあっても「批評」され「非難」されるのが通常なのである。
 批評や非難をした者を「統制」していくような姿勢は、「独裁国家」の姿である。
 「言論統制」という「メーターの針」の触れ具合を見ていれば、この国が何処へ行こうとしているかが、ほぼ推定出来る。


2016.3.31

 しばらくブログを止めた。削除した。が、反応は2人だけ。別に誰かに見てもらおうなどとは思っていないが。

が、暇つぶしに楽しんで居る人もいるらしい。


 3月末は侘しい。別れの季節だ。4月は出会いの季節だ。そうして時は過ぎていく。

 どうも最近の議員さんはおかしい。おかしいのは私であって、議員さんが正しいのか?

 「代議士の 竹馬の友は 肥を汲み」という川柳があったぞ!!

 なるほど、「産んだあなたに第一義的責任がある」と言うのはもっともらしい。
 しかし、「日本国憲法には、
  居住の自由、職業選択の自由、義務教育の保障、最低限の文化的生活の保障などなど、国民を保護する責任が政府にある事を謳っている。
 憲法を守らねばならない人たちが誰であり、憲法に守られるのは誰であるかということも憲法に明記されている。

 議員になる人は、もう一度「日本国憲法」を勉強してからになさっては如何でしょうかねぇ。
 「亡国の輩」にならないで欲しいものです。
 憲法改正を発議してはならないのは政権を執っている人たちであると憲法が言っていると解釈しているのですが・・・。

 テレビに映っているのを百も承知で、「誰が言った?」と??!!。
よくもヌケヌケと言うたものだ。
誰が言おうと、落書きであろうと、事実は事実だ。そんなアンタの月給を払っているのは私たち国民だぜー。
 「稔るほど 頭を下げる稲穂かな」というが、選挙の時だけ頭を下げても、もう通用しない時代がやって来ているぞ!!
 野党もしっかりさらせ!!


 「ワイマール憲法」というものは、民主主義を基本に据えた素晴らしい憲法であったが、アドルフ・ヒトラーは、この憲法の「国家非常事態条項」の規定をうまく使ってナチ独裁への道を付けて行った。ナチに対しての熱狂的な国民になるように仕向けて行った。
 日本の「憲法改正」をもくろんでいる某党は、まさにこの「国家非常事態条項」を挿入して、一人の人間に権力を持たせることが可能なように改正しようとしているのではないかと・・・。

 哲学の世界では、「性善説」と「性悪説」がある。仏教もそれらの説に成り立っているが、およそ親鸞の考え方は、どうやら「性悪説」であると理解している。「地獄は一定すみかなり」と、親鸞は「自身は地獄へ落ちていく人間である」と自分を見抜いたのだ。

 そもそも「民主主義」というものは「人間は何をするか解らない生き物である」という「性悪説」に立っている。「人間を信用しない」という立脚地から「民主主義」というものが成立している。「為政者」という者は「信用してはならない」のである。

 いったい「国語」をどういう具合に習って来たのか、あの「憲法の拡大解釈」などということ自体が「おかしい」のである。
 「言い逃れ」と「拡大解釈」と「脅し」(停波)と、関西電力の賠償のほのめかし(高浜原発の稼働停止の仮処分に対する見解)などは、もはや「おごれる平家」以上の「異常な事態」であることに気を付かせねばならない。

 ドイツが降伏して、連合軍はワイマールの収容所の中をワイマール市民に半ば強制的に見せた。悲惨なジェノサイド(集団虐殺)の証拠や、骨と皮だけになっている収容者を見せたのだ。

 ワイマールの市民たちは、「知らなかった」と顔を伏せて言ったという。「こんなことが行われているとは知らなかった」と。
 しかし、骨と皮になって、今にも息が絶えようとしている収容者たちは、「知らなかったはずはない。知っていたが、関わろうとしなかったのだ」と言ったという。
 この国(日本)が、かつてのナショナリズムに向かおうとしていることを、「知らなかった」では済ませられない。これほど情報が出ているのに、どうして、野次馬的な発言ばかりになるのか。「日本死ね!」が、いかに言葉は悪くとも、あの国会議員のヤジの低劣極まりなものとは比定すべきことではない。「ノドン=集団的自衛権」であれば外務省は何のために存在するのか?

 今のわずかに時間のスパンの中での電力原価と、何10万年も要する放射能の低減期にかかる経費をどのように比定するのか。

 自分の世代だけが享楽し、ツケを時代に押しつけるような生き様は、まさに「性悪説」そのものだ。「人を信用しなさい」というのが仏陀の教えだろうが、そういう風に教えねばならないということは、「人は信用できない存在である」ということの「裏返し」である。交差点の信号機の下に、「信号を守りましょう」という看板が立ててある。信号を守らない人がいるから立ててある。

 先日、「とある」審議会で、とうとう堪忍袋の緒が切れた。議事録作成のために録音されていたのは百も承知だ。審議会で出された意見をまともに聞こうとしない姿勢に、「おまえ等の組織は存在しなくても良い!」と。いや、現実はもっと汚い言葉であった。「対症療法」ではなくて、「体質改善」が行政に課せられたものである。

  私はいつも言う。「役所のために市民があるのか、市民のために役所があるのか」と。「首長のイエスマンでは、どんな間違った政治が行われるか安心できない。首長が必ずしも善人とは限らない」からだ。
 京大闘士だったカゲさん。どう思う?


 ユーチューブに出ているDCZというサックスカルテットがいる。そのうちの一人と出会うことが出来た。みんな庶民はがんばっている。丹波篠山から広島のDCZにエールを送った。