大間の神社仏閣

稲荷神社(大間

 百滝稲荷大明神と称し、稲蒼魂命を祭神として、8月10日を例祭日とする(天妃神合祀以前は例年3月10日孟秋10日であった)。元禄9年(1696年)7月勧請し、御輿渡御の始まりは寛政9年(1797年)で荘厳を極めたと伝えられる。明治15年(1882年)5月23日天妃神、7月23日金比羅神を合祀し、翌16年この地に奉還した。 天妃神は元禄9年7月23日名主伊藤五左衛門が海上の危難を救助された御神徳を尊崇し、薩州野間の神を遷したもので船魂守護神としてひろく崇敬信仰を巣めている。祭神 奥津島姫命。
例祭日 4月3日
春日神社(奥戸
 寛永の頃奥戸と越後との交流深く飛騨高山より越後を経て十一面観世音を勧請し若宮観音として寛永16年(1639年)8月17日現在地に廟堂を建立した。貞享3年(1683年)8月15日廟堂を御宮造りに新築別当として山伏金剛院が管理する。享保2年(1717年)3月春日大明神(天児屋根命)を勧請し現在地の下方に奉祀した。文化十年(1812年)8月15日臭戸若宮観音正面下に稲荷の社が建立された。文化13年(1815年)若宮観音堂全焼、御神体古記録全部を焼失した。 文政2年(1819年)長弘軒鎮守下北札所22番十一面観音が若宮観音と同じ十一面観音であつたのでこれを勧請し新築再建し、下方にあつた春日大明神を合祀した。明治2年(1869年)神仏混合廃止令により春日大明神を祀ることとしたので十一面観音を長弘軒に返し春日神社となつた。祭神 春日弁天大神 例祭日 4月3日
海雲山・長弘寺 (奥戸)「曹洞宗」
宝永元年(1704年)佐井・長福寺五世禺学玄智和尚の末庵として今の大間町奥戸に長弘軒を開いた。現在の寺は昭和l4年畑山弾随和尚の代に建てられたものだが、長弘寺に昇格したのは昭和14年10月28日だから現在の古畑霊泉住職が事実上の開山といえる。本堂玄関に賞怒の表情もすごい仁王像が二体あり口を開けている方が密逍金剛、また口を閉じているのは那羅延金剛である。仁王尊というのもこのためである。ご本尊は釈迦牟尼仏であり下北33番巡礼所の22番と金比羅様が祭られている。
梅香山・崇徳寺 (奥戸)浄土宗
 寛永2年(1625年)諸国行脚をしていた閑徹和尚が奥戸に寺院がなく村民は困惑していたので、さっそく盛岡市油町にある大泉寺に行き住職梅山上人に相談、上人はこれに同意して南部藩へ請願した。藩では快く堂宇建立の用材費用を寄進大泉寺の末寺として崇徳寺が奥戸に建立された。明治42年4月に出火全焼、当時奥戸の網元岩泉米八により明治44年10月に復元された。昭和18年4月再び出火全焼し代々継承されて来た古記録書、宝物を全べて失ってしまった。ご本尊は阿弥陀如来。
林清山・信願寺(奥戸)「浄土宗」
明暦二年(1656)良専上人によって開山された。藩政時代建立されたのもで、奥戸が木材,海産物の積み出し港として栄えていた背景があった。本堂に鎮座する岩船観世音は,往時海運業に関係した者が寄進したとみられ,永禄の隆盛をしのばせている。いまも年一回,多くの地元漁民が海上安全,豊漁を祈願する祭礼がつづいている。 また,昭和六十年二月より建設中の本堂・大広間・位牌堂・庫裡が同年八月に完成した。同年九月九日には晋山式と落慶法要が盛大に行われ,この模様がNHKテレビにおいて全国放送された。また,水子地蔵も昭和六十年九月に本堂内に安置され,翌年八月までには境内整備・地蔵小屋の設置等全ての工事が終わり,新しい寺に生まれ変わった。
法香寺 (大間)「真宗大谷派」

 大正9年5月佐井・法性寺の住職石沢寂良和尚は当時大間在住23戸の壇信徒のために法性寺附属大間説教場を開き真宗大谷派大間教会として発足した。寺名は縁故関係にあるむつ市田名部徳玄寺の石沢寛住職が名付けた。ご本尊は阿弥陀如来。寺宝として法性寺からお迎えした江戸初期の作と思われる聖徳太子立像(20cm)がある。
大澗山・福蔵寺 (大間)「曹洞宗」

 宝暦4年(1754年)に佐井・長福寺八世水月満江大和尚により地蔵庵として開山され、昭和18年長福寺九世法池和尚の時に福蔵寺に昇格した。福蔵寺は一世大活亮禅、二世活道亮順、三世義学蘇真、四世天真学明と続いている。ご本尊は釈迦牟尼仏、周囲に薬師堂(大正10年建立)地蔵堂(弘化4年)竜神堂(万延2年)がある。
松尾山・円融寺 (大間)「日蓮宗」
 函館市実行寺十七世伝尾日融和尚の祈祷は、当時大間では有名でその祈祷を通して日蓮宗信徒が増え昭和2年日蓮宗大間教会所が建てられその後松尾日融和尚により円融寺として聞山された。ご本尊は曼陀罹、その他に開祖日蓮の座像がある。二世春海和尚次いで融一和尚が去る43年に三世を継いだ。寺宝として村松御所日栄のものと仏えられる袈裟がある。また毎年4月8日鬼子母神の祭礼が行われる。
無量山・阿弥陀寺 (大間)「浄土宗」
 元禄元年(1588年)浄士宗阿弥陀庵として喜徹和尚により創立された。当時は佐井発信寺の末庵として不断は住職がおらず、法事や葬式があれば佐井から和尚が出向いて来ることになっていた。学制発布以前寛政年間より阿弥陀寺で寺小屋が開かれ、和尚が読み書きを教えていた。下北33番巡礼札所21番が本堂長縁左端の堂型お厨子にある。ご本尊は阿弥陀如来、三百年前に製作されたと言われる。
大間町教育委員会 編集
「大間町沿革史年表」より抜粋