兄の戦死の状況が判明
                      森山 正照

     


 先日は早速「上海丸」「妙義丸」の写真コピーを送って頂きまして、誠に有難うございました。出来も期待通りで、アルフォトの必要は有りませんので、ご連絡申し上げます。

 私の兄は鹿児島商船学校を昭和19年に卒業、三井船舶(株)に入社して「赤城山丸」に乗船していました。昭和20年の夏頃、南方海上で戦死したとの戦死公報と、白木の遺骨が帰って来ましたが、中には名前が書いた木札が入っていただけで、一切の説明も無く(戦中のため当然でしょうが)、どのような状況だったのかを知りたくて、気掛かりになっていましたが、偶々先日(7月29―8月2日)貴会が門司港で開催された展示会を新聞で見て早速行ってきました。

 そこで初めて「赤城山丸」と「上海丸」(上海丸は兄が商船学校時代に実習船として乗っていた船でした)の写真ならびに沈没の説明文などを見て、唯々感無量でした。頂いたコピー類は生存している親族に写しを送ることにしています。

 「妙義丸」は兄と一緒に「上海丸」で実習生として乗船した兄の同期の方が、卒業後乗られた船で有ることを、最近の鹿商船の同窓会報で知りましたので、その方に差し上げる積りです(その人は幸い命を長らえて居られます)。

 私も子供の頃から商船士官に憧れて、兄が卒業した年の昭和19年4月に、同じ鹿児島商船学校の航海科に入学しましたが、敗戦による日本船舶の殲滅の為、学校は廃校となったので私も退学し、その後はずーっと陸での生活を送っておりますが、数年前に鹿商船の同窓会の存在を知ったので、その後は情報入手に努めている次第です。
 以上お礼を申し上げ、今後のご活躍を祈念致します。

         (戦没船を記録する会会報第16(1997年発行)号より)

:写真およびその説明は事務局が付加した。