第16回阿蘇カルデラスーパーマラソン 
 (2005年6月4日 Am5:00 Start)

[思い]
 
阿蘇カルデラは、サロマ、秋田に次ぐ、歴史のある大会であり、今回16回目を数える。国内主要ウルトラマラソン制覇を目指し、年1回を目安に、旅行を兼ねて、各地を訪ねることにしている。主要ウルトラマラソンの定義というのは、特に決まっている訳では無いのだが、独断と偏見で、参加1000人規模100Km以上の大会をそれとした。制覇状況を整理すると..........
[完] 2000年 チャレンジ富士五湖117km、
[完] 2001年 歴史街道・丹後100km、
[完] 2002年 サロマ湖100km、
[完] 2003年 星の郷八ヶ岳野辺山100km、
[完] 2003年 四万十川100km、
[完] 2004年 北緯40°秋田内陸リゾート100km、
[完] 2005年 阿蘇カルデラ100km、
[予] 2005年 いわて銀河100km、
[予] 2006年 えちご・くびきの100km
 これ以外にも新しい大会が増えてきているがその頃まだ体力が残っているかどうか?

[出発]
 
さて、出発の時がやってきた。このところ、忙しさにかまけて、通勤ランもやってないし、体重もやや増加ぎみ、また、今回はカーボローディングにもまじめにとりくまなかった。なんとかなるだろう、という慣れからくる甘さがあったことが、レース中に証明される。熊本空港に着き、バスで受付会場まで行くことだけは認識していたが、詳細がわからず、キョロキョロしていたら、大会に参加するとみられる方から声をかけられ、彼ら(町田からの男女4人組)のレンタカーに便乗させていただくことになった。彼らは、会場から12〜13Km離れた青少年会館?とうかいう無料で泊まれるところを確保しているとのことだった。そこ経由で会場へ着き、受け付け手続きを、おっと、受付はがき忘れた、が、難なく手続きできた。ほっ! 車中の会話の中、彼らは、よく円海山の天園を抜け、江ノ島までジョギングしていること、中の一人が前回の秋田に参加していること、などなど、いろいろ情報交換をした。タイム的に私が一番早く戻ってくるだろうということで、完走パーティーの場所取りを任せられた。それぞれのゼッケンをパンフレットにしるしをつけ、健闘を誓いあって解散。  
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[ホテル]
 
会場から徒歩約5分のところに私の宿があった。部屋に入ると、同室の3人が既に入室済であった。各々、自己紹介をし、いままでの経験話など語り合った。この日は、サッカー・ワールドカップ最終予選バーレーン戦のTV中継があったが、起床は2時、なので、観ることはできなかった。しかも翌日は一日中走りまくっているので、結果はしばらくわからないが、たいした問題じゃないか。夕食を済まし、温泉に入って、明日の準備を行い、缶ビールを飲んで、8時ごろ就寝。1時頃、目覚めてしまい、あと1時間寝ようかと思ったが、寝られなかった。

[スタート会場]
 
3時〜3時30分の間に、スタート会場までのシャトルバスが出るので、さくさくと準備をすませ、同部屋の1人といっしょに一番バスに乗車した。スタート会場に30分ぐらいで着いてしまい、スタートまでまだ1時間以上もあったので、体育館で30分ぐらい仮眠をした。その後、ストレッチ、トイレ、水分補給を済ませスタート5分前にスタート地点へ。トイレの前の張り紙:初参加の皆さまへ、「22kmから始まる登り坂は、人が走れる勾配ではありません。勇気をもって歩きましょう!」てなことが書いてあったのが印象的だった。既にたくさんのランナーが集合していた。わたしは、前から20列目ぐらいのところに待機した。レースには目標を持って臨まないと、がんばれない、というのは、自分の持論でもあるが、今回ばかりは、事前に調査したコース概要を見る限り、計算がなりたたない、と思っていた。とりあえず、54分/10kmペースで入ろうと、そして、走りながら、目標を変更していこうと、いうことにした。

[前半戦]
 
スタートのガンが放たれ、薄暗い早朝の中、ゆっくりと走り出した。最初ちょっと下りにさしかかり、前方彼方に先頭から自分までのランナーの行列が目に入ってきた。それもつかの間、すぐにだらだら登りが、そして22kmまでは、どぉってことない、走りやすい起伏。しかもラッキーなことに、暑い暑いという予報も外れ、朝のうち、すこしだがポツポツと雨もぱらついた。うわさの22km地点がやってきたが、この時、右足裏にまめができているような痛みがあったが、がまんできないような痛さではなかったのであまり気にならなかった。がんばって、歩かずに登りきろう、と思っていたんだが、どんどん勾配がきつくなり、脚がパンパンになってきた。周りのランナーが次々に歩きだしたのを見ると、その誘惑にかられ、とうとう自分も歩きだしてしまった。頭上を見上げると、九十九折(つづらおり)に道が連なり、ランナーがゆっくり前進している様子がわかった。どうみても走っているランナーはほとんどいないなと。しかし、2.5kmあるこの急坂を全部歩いてしまうのは、能が無いので、走ったり歩いたりの繰り返しをしていると、ほどなく、峠を越えた。事前調査によれば、これ以外の難所は、勾配はこれほどでもないまでも、80Km地点以降にもう一箇所(約4.5Km)、あるはずである。それ以外は、通常のどこにでもある、上り下りの繰り返しだけだ。なんとかなりそうかなと思った。どっこい、下りは得意と思っていたはずが、今回ばかりは、逆になってしまった。最初は、下りでとばしてタイムを稼いでいたが、それを繰り返していくうちに、右足首の痛みがだんだんひどくなってきて、下りが苦痛に変わってきた。下りのスピードも落ちてきたのに加え、両膝にも痛みが出てきた。「やばいなぁ〜まだ半分もきてなのに、困った」、だましだましで、42.195km地点を4時間ちょうどで通過、50km地点を4時間45分で通過。着替えポイント、50.8km地点、カメラを取り出し、写真を一枚、係りのお姐さんにお願いして撮ってもらった。椅子にすわり、そばをご賞味していると、大歓声が沸き起こった。裸足のランナーのおじさんが到着したのだった。すごい、裸足で100kmも走ってしまうのか、正に野生人だ。5分ぐらい休憩をとり、再出発。
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[後半戦]
 
目標は、最低でもサブ10を、と考えていたが、右足首、右足裏、両膝、の痛みはますますひどくなり、6分/kmのペースを保つパワーは残っていなかった。ここで、目標をタイムから完走に気持ちを切り換えた。そうすることによって、気持ちは楽になったが、あまりにもペースダウンが激しく、11時間切りもやばい領域に入ってきたが、気にせず、前進するしかない。80km過ぎ、事前調査どおり、登り坂に入ったが、なぜか、下りより脚にはよいらしく、遅いながらもなんとか走れた。この坂を登りきると、絶景が待ち構えていた。すばらしいの一言、右も左も見下ろせば緑一面の草原、「天空の城ラピュタ」を彷彿させる、CGでの作品かと錯覚さえ覚える。88Km地点過ぎあたりから、極めつけの急勾配の下り坂が待ち構えていた。下半身全体が痛みでいっぱいだったが、歩かず、前進することだけを心がけ、一歩一歩痛みをこらえながらの走行となった。ここをさっそうと駆け抜けることができたら、どんなに気持ちいいことだろうと思いつつ、のろのろと下っていった。坂を下りきったところ、92km地点付近、携帯電話をしながら走っているランナーに追いついた。「よくもまぁ、電話しながら走れるもんだね。」と言うと、「これも活力だね」と、九州なまりのイントネーションで答えが返ってきた。ゴール後にわかったんだが、ゴールで待っている奥さんからの電話だったらしい。不思議不思議、平地になったら、痛みがすっかり感じられなくなり、なんか、調子がいい。調子がいいといっても6分/kmペースぐらいだと思うが。ここで、2〜3人抜いた。あと1kmのところで、信号待ちに合ってしまったが、そこのおまわりさんに「何時が制限時間かね?」と聞かれたので、一瞬、記憶が甦らず、「....7時だったかな?」と答えた。信号が青になって、再スタート後、よりによって警察官に嘘(正しくは6時30分)をついてしまったことに気づいた。頭も疲れているんだなぁ、とその時思った。なんとか、よれよれながらもゴール。10時間46分、反省いろいろだが、ゴールできたことに満足しなければいけないだろう。

[レース後]
 いつものように完走メダルを掛けられ、座り込んでいると、係りの女子高校生がチップを外しに来てくれた。完走証も持ってきてくれた。もらった飲み物を飲んでいると、あの携帯電話のランナーが奥さんとお子さん(坊主)といっしょに近寄ってきた。「たんぼに降りたら、もうついていけんかったよ」と、完走証を見ながら「おぉ去年より1時間も速よなった、よっしゃぁ〜」とガッツポーズ、家族みんなで喜んでいた。見ていて、笑みがこぼれてしまった。ここに温泉があって、自由に入れることを教えてくれたので、痛い脚を引きずりながら、荷物を受け取り、着替えへ。靴を脱ぐと血だらけだった、予想どおり、足裏の血豆が破れたのだろう。タオルでふきとり、温泉へ。シャツを脱ぐと、身体中擦り傷だらけ、こんなことは初めてだが、なんで、こんなに擦れたのかいまだに不明。湯船に浸かるやいなや、ギャァー、「いなばのしろうさぎ」状態である。
 完走パーティーが始まる前に場所取りをせねば、と最前列の場所を確保しておいたが、飲めど暮らせどあの町田の4人組は帰ってこない。同部屋の一人が批判していたっけ「制限時間1時間前に完走パーティーを始めるって、走ってるランナーに対して失礼だよ。やっとの思いでゴールしているのに、ビール飲んでわいわいはねぇだろう。」って。それは同感だ。6時半の制限時間が過ぎたが、まだ彼らの姿が確認できない。風も吹いてきて寒くなってきたので、団子汁を食って帰ろうと、列にならんでいたら、いたいた。私に手を振っている4人組、席がないので、外の芝生に陣取っていたらしい。団子汁を食いながら、レース談義を交わし、お世話になったお礼を申し上げて、解散した。
 宿に戻ると、同室の3人は既に帰っており、一人は、布団にもぐり寝込んでいた。後で話しを聞くと、二人は12時間代で完走、完走パーティーはパス、もう一人は、50.8Km地点(
着替えポイント)で痙攣してリタイヤ、もちろん完走パーティーはパス、とのことだった。

[帰路]
 
翌日、同室の一人(JALの技術職の方)と熊本空港までご一緒した。どうも、予約は無く、空きがでた便で帰るらしい。当然無料なんだろうな。わしなんぞ、往復4万以上も払ってるのに、ちょっと悔しかった。機内では、よっぽど疲れたのか、離陸から着陸まで爆睡。今回は反省の多い大会参加だった。「備え無ければ憂いだらけ」、新たな教訓を残し、せきぽんのウルトラ全国制覇の旅はつづく....

− 完 −