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道楽探偵の夢のような一日
ごく普通のジーンズにごく普通のシャツ。多少女性的な作りはしているが、ごく普通の外国人青年のように見える。年齢は大学生くらいだろうか? 「……えーっと…あんた…誰?」 和己からの当然の質問に、金髪の彼はにこやかに答えた。 「ああ、私はこの汎用ロボット『は=4号』のマスターだよ。つまり、製作者ってわけだ。いやぁ、よかったよ、見つかって。搬送中に紛失しちゃってね、探してたんだ」 「…ああ、なるほど。わかった」 とりあえず、うなずいておくことにした。話に矛盾はさほど感じられなかったからだ。が、矛盾を感じないからと言って、疑問がないわけではない。疑問や質問なら、腐るほどある。だが、それをここで全て並べ立てるには、少々、状況が悪い。 マスターと名乗ったその男は、あらためて周りを見回して、小さく溜め息をついた。 「いやぁ…日本は狭い国だって言うけど、本当だったんだね。何も、こんなに狭い所に六人も七人も並ばなくたっていいじゃないか。おまけに座り込んでいる人間までいるし。こら、お行儀がわるいぞ♪」 「並びたくて並んでるわけじゃないんだがな」 そう答えながら、ふと和己は思いついた。自分が何故、そんなことを思いついたのかは分からない。ひょっとしたら、先ほどから、安っぽいヤクザ映画やら、出来の悪いSFやらを見せつけられて、思考がそういう方向に流れているからかもしれない。とにかく、その思いつきを口に出してみようかと、ふとそんな気になってしまった。 「…ひょっとしてとは思うけどさ。あんた、このロボット作った人だろ? ってことは、結構、いろんなこと出来そうだよな?」 「え? 私かい? そうだね、多分、出来ると思うけど…あまり難しいことは出来ないよ?」 「ああ、…いや…これが難しいことなのかどうか、俺には判断がつかないけど…ひょっとしたらさ、あんた、人間の記憶を操作したりとか出来る?」 それを聞いた金髪の男が驚いたように眉を上げる。その表情に、和己はなんとなく安心した。 「あ、そうだよな。出来るわけねえよな」 当たり前だよな、と和己が笑おうとした矢先に、マスターが口を開く。 「はっはっは。いやだなぁ。真剣な顔で言うから、どんなに難しいことかと思ったら…。そんなことか。出来るに決まってるじゃないかぁ。あっはっは。…で? 誰のだい? 君のじゃないだろ?」 ああ…そうか…出来るのか。 とりあえず、それに関する感想や何かも、意識の外に待避させることにして、和己は、悪党四人組を指さした。 「そいつとそっちのと…あ、そこで気絶してるのも含めて…全部で四人。俺と悠とそのロボットとゼン…ああ、ゼンってのはこの男な。んで、悠ってのはその隣。この四人に関する記憶を全部、こいつらから無くして欲しいんだけど?」 「おっけー! 拾い主さんのお願いだもんね。それに、たいした手間じゃないしさ」 気軽にそう請け負って、マスターはシギの首筋に手を触れた。 「☆△○○×? □△♪!」 再び、奇妙な響きの言葉をシギに向かって言う。その直後、シギの瞳から、淡い光があふれ出した。その光が、悪党四人の体を包み込む。 「□×☆!」 その言葉は終了の合図だったらしい。青みがかった淡い光は、嘘のように消滅した。そして、残されたのは、惚けた顔をした四人の男だ。それを見て、満足げにマスターが顔を上げる。 「どうだい? これでいいかな? 多分、もう少ししたら、正気を取り戻すだろうけど、その時には、君たちのことは一切覚えていないはずだよ」
◇ ◇ ◇ とりあえず居間へと、一行が移動する。飽和したような表情のまま、眉を寄せるという、ひどく複雑な顔をしているゼンと、とりあえず現実逃避をすることにしたらしい悠を連れて。 「………ねぇ…お腹すかない?」 悠が思い出したようにそう呟く。 その様子に呆れつつ、和己が尋ねる。 「…おまえ、今まで凍り付いてたくせに、開口一番それ?」 「………いいじゃん。…あ、ほら。もう七時だよ。シギが帰ってきたんなら、晩ご飯…」 「やっぱりおまえってさ…何があっても生き残りそうなタイプだよな。…うっわ、すっげムカつく。信じらんねぇ、この温厚な俺が」 「…オンコーね…」 とりあえずそう呟きつつも、悠はこの叔父のことを少し見直していた。和己が格闘技をたしなんでいたということは、あいにく聞いたことはない。だが、先刻の動きを見る限り、全くの素人というわけでもなさそうだ。ただ、格闘技うんぬんと言うよりは、単に喧嘩慣れしてるだけ、というほうが近い動きではあったが。 それでも自分を助けてくれたときの叔父はかっこよかったと、悠はあらためて思った。あの時は慌てるだけ、そしてそのあとは凍り付くだけで精一杯だったが、あの一瞬、この年若い叔父に見とれたことは確かだ。 ただ、たった今、隣で『オンコー』とか口走ってる叔父を見ると、見とれた自分に一抹の後悔がなきにしもあらずだが。 でもまあ、それは深く気にしないことにして、悠は新しい客に目を向けた。何やら意識をどこかに飛ばしたままらしいゼンは、先刻も見かけている。和己の友人で、どうやら今回の厄介ごとの張本人らしい。そして、シギの隣に立っている金髪の青年は……ついさっき現れた。どこか知らない場所から。何か知らない手段で。 視線に気がついて、青年──マスターがにっこりと微笑む。整った中性的な容貌に、悠は一瞬、見とれかけた。そして、慌てて頭を下げる。 その様子を見ていたマスターが、今度は和己に微笑みかけた。 「君が、これのマスターかい? 動力は? 『は=4号』と同じかい? なら…」 これ、と指さしているのは、悠だ。会話の流れを見失った悠が、呆然と叔父の顔を見上げる。 「あら、マスター、違います。悠さんはゼンマイで動いてるそうですわ」 にっこりと告げるシギ。その隣で和己がうなずいた。 「そう。動力源はゼンマイだ。三日に一回巻けばいい。ただ最近、凍り付くことが多くなったからな。メンテナンスでもしようかと思ってたところだよ」 至極まじめな顔でそう言ってのける。しかもそれを相手が信じるのだからタチが悪い。 「おお、すばらしい! あとで、内部構造を見せてもらえないかな?」 「ああ。あとでな」 微笑みあう和己とマスターに、視線をあわせないようにしながら、悠はぽつりと呟いた。 「…多分、何を言っても無駄だろうから、今の状態で反論するのはやめておくね。内部構造を見るためとか言って、分解されそうになってから反論するよ。今からやってても、体力の無駄使いのような気がするしさ」 楽しそうに語らいながら居間への扉を開ける和己とマスターには、多分聞こえていないだろう。そのことは、悠も承知していた。と言うか、承知せざるを得ないことを理解していた、と言うべきか。
「で? あんた、何者だ?」 全員がソファに腰をおろしたのを見計らって、和己が尋ねる。視線の先には、金髪の男。 「何者…とは? いやだなぁ、さっき言ったじゃないか。私はこの汎用ロボット…まあ、実はまだ試作段階ではあるのだがね。とりあえずこの『は=4号』の製作者、俗に言うマスターだよ」 はっはっはと、爽やかに笑いながら、青年はシギの肩を叩きつつ言った。 「いや…そういうことを聞いてるんじゃねえんだけど」 困ったように微笑みながら和己が呟く。その隣で、すでに悠は、現実逃避モードへ移行しかけていた。ゼンはとっくに放心している。 「ああ、名前かい? そうだね、私としたことが名前を名乗っていなかったな。…とは言え、こちらの言葉で発音するのは難しいな。…無理に発音してみるなら、バギャブル・ヴォグェッベヴェリ・ギュンヴォヴェァ・ンレッペ・リォゥン…と言うのが私のフルネームだが…そう、そのままじゃ長いし。名前のほうをとって、トニーと呼んでくれてかまわない」 名前のどこをとったら、トニーになるのか、そんなごく普通の問いは、誰の口からも発せられなかった。それ以前に、どこからどこまでがファーストネームなのかすら分からない。更に言うならば、こういう名前を日常に発音するような者が、いくら試作品とはいえ、ロボットに『は=4号』と名付けるセンスもわからない。ただ、それを問う人間がここに居なかったことだけは確かである。 「トニー…ね。わかった。…で、トニー? このシギ…えーっと、あんたの言う『は=4号』は、あんたが落としたのか?」 「ああ、そうだ。いや、ここに落とすつもりはなかったんだけどね。もともと、これはまだ商品じゃないんだよ。試作品…というか、この惑星の言語プログラムと、外見、行動のパターン分析のために作っただけだから」 さらりとマスター・トニーが言う。表情を変えずに、和己が聞き返す。 「……この惑星?」 「ああ、地球さ。私の惑星とこの地球とはまだ交流がないから、作るのは早いって研究者仲間には言われてたんだけどね。でも作りたくなってしまったものはしょうがない。天才のやることは、時として凡人には理解されないものなんだ」 「ふ〜ん……」 無表情にうなずく和己の脇腹を、隣に座っている悠がこっそりとつつく。 「…ね、和兄…ねってば」 「…なんだよ?」 「警察と病院…どっちに電話したらいい?」 現実逃避モード一歩手前で、悠が呟く。それを聞いて、和己がにっこりと微笑んだ。 「悠……往生際が悪いな。いいか? シギはロボットだぞ? 今、この地球上で『んな技術がどこにあるかぁっ!』ってくらいのロボットだぞ? しかも…おまえもさっき、見てただろ? このトニーとか名乗る男はいきなり、何もない空間からひょいっと出てきたんだぞ? 今更、異星人ですって自己紹介されたぐらいでビビってんじゃねえよ。ケツの穴の小せえ奴だなぁ?」 「まあ、さすが、和己さんは理解が早くていらっしゃる」 至極のんびりと、シギが笑う。その言葉にトニーもうなずいた。 「そうだなあ。私は交流のない惑星に来たのは初めてだけど。今まで噂に聞いていたような反応とは違うね。みんなは、交流のない惑星ではたいてい、信じてもらえないとか、説明に時間がかかるとか、果ては、あ〜んなことやこ〜んなことや、到底、筆舌に尽くしがたいようなヒドイことをされるとか…そう言っていたんだけどね」 よかったよかった、と、トニーとシギがうなずきあう。 「和兄…やっぱりさぁ……そろそろ現実逃避していいかな?」 悠がぽつりと呟いた。和己が肩をすくめる。 「いいけど? ただ、現実逃避しても、現実は変わらねえけどな。それでもいいんなら好きなだけしてろ。そういえば…さっきからゼンも静かだな」 ふと思いついて、少し離れたところに座っているゼンを見る。 「ゼンさんも…現実逃避してるみたいだけど。多分、僕より早く」 悠が言い添える。それを聞いて、和己がゼンに声をかける。 「おーい、ゼン? 大丈夫か?」 「………え?」 ぼんやりと、ゼンが顔を上げる。 「いや、だから。大丈夫か? なんか、ぼんやりしてるけどさ。とりあえず、ヤクザなお兄さん達は片づいたぞ?」 「あ、ああ。それは…よかった……けど…これって一体?」 ぼんやりと、それでもゼンは、説明を求めてきた。和己がそれに応じる。 「いや、このシギは、実はロボットだったんだな。超高性能らしいけど。そんで、この金髪の男は、シギを作ったマスターで、名前はトニー。どうやら、地球の人間じゃないらしいけど」 ごく簡単な、だがしかし当を得た和己の説明に、トニーが付け加える。 「そういうことだね。まあ、君たちの言うところのUFO…未確認飛行物体ってやつ? それは最近使ってないから、あまりわかりやすいとは言えなくてすまないけど。最近は、直接次元を移動することにしてるからさ。そのほうが燃料代も節約できるしね。それに、UFOなんかに乗ってきちゃったら、駐車場に困るじゃないか」 あくまでも爽やかに。あくまでも微笑みながら。 「………ああ……なるほど」 機械的にゼンが呟く。そんなゼンを見ながら、和己はふと思い出した。 「そういやさ、おまえが送ってよこしたデータ、あれって何なんだ?」 それのせいで、歓迎したくはない状況に追い込まれた割に、データの内容そのものは知らなかった。せめて、どんなものなのかぐらいは知りたい。 現実的な話題が出てきて、とりあえず、ほっとした様子でゼンが答える。 「ああ、さっき言ったろ? ハッキングしてて偶然拾ったデータなんだけど。あいつら…さっきのヤクザどもは、高坂組っていう、あまり大きくはないけど、とりあえずそういう組織の人間でさ。オレが拾ったデータってのは、高坂の組長の息子のデータだよ。その息子が裏口入学したっていう証拠のデータ」 その答えを聞いて、和己があからさまに肩を落とす。 「……なんだ、そんなくだらねえモンか」 「うん、くだらねえモンなんだ。金にもなりにくいなと思ってたんだけど…リスクだけはあったみたいだな」 ゼンが呟く。和己は小さく肩をすくめた。 「ま、手下を四人くらいしか送り込んできてないんだから…たいしたことねえと言えば、たいしたことねえけどな。向こうも命まではとろうとしてないみたいだったし。いざとなったら、金で解決しようかと思ってたけど」 和己が無造作にそう言い捨てる。なんとはなしに、居間に集っている面々を見て、軽く両手を広げてみせた。 「なんだか…うやむやのうちに、問題は全て解決したみたいだな。もう、これ以上の問題は起きないだろ?」 それに答えたのは、トニーだった。爽やかに笑いながら、口を開く。 「ああ、問題が解決したようだね。それはよかった。まあ、どんな問題だったのかは良くわからないけどね。…ああ、そうだ、ガムテープを貸してもらえるかな?」 「……何に使うんだ?」 答えの予測はついていたが、和己は敢えて聞いてみた。 「『は=4号』の傷を修復しようと思って。ほら、首筋に傷がついただろう? まあ、そのおかげで、私はこれの居所が掴めたんだけどね。大丈夫、ガムテープで傷口を密着させれば、外皮に含まれているバイオチップ搭載のナノマシーンが傷を勝手に修復するから。一日あれば、元通りだ」 予想通りの答えにうなずきながら、和己は居間の片隅においてあったチェストからガムテープを取り出してトニーに手渡す。バイオチップだのナノマシーンだの…。そういう単語は聞き知っている。だが、実用化されているという話はあいにく聞いていない。それに関していくつか尋ねてみたくはあったが、彼らが、地球にとっては一〇年以上先の技術を手に入れているなら、さほど問題にするべきことではないだろうと納得する事にした。 「傷がつくと…居所がつかみやすくなるのか?」 代わりに、別の点について、質問してみる。 「ああ。そうだよ。本体が発している微弱な電波が、外皮の傷部分からだと、つかみやすくなる。外皮に包まれたままだと、電波そのものがデリケートなせいで、こっちでは受信しにくいんだ。ただでさえ、地球上では、エリュートが薄いしね」 「……エリュート?」 和己の問いに、首筋にガムテープを貼り付けながらシギが答える。 「空気中の成分のひとつです。ロボットに特有の電波…SRA電波って言うんですけど、それを伝えやすくするのがエリュートです。……こちらでは、一般常識じゃないんですか?」 不思議そうに聞き返すシギに、和己は曖昧な微笑みを返すに留めた。そうして、現実逃避しているらしい悠に話題を振る。 「…悠、覚えておけよ。エリュートとSRA電波だってよ。…今度の試験に出るかも知れねえぞ?」 「出るわけないじゃん…」 反射的にそう呟いたあと、悠がふと顔を上げる。目の前にはシギとトニー。顔立ちは作り物めいているほど整った(片方は紛れもなく作り物なのだが)二人を見て、悠は大きな溜め息をついた。 「あ? どした?」 さも不思議そうに和己が尋ねる。ぐりんっと、音がしそうなほど勢いよく、悠が首をまわして和己を見上げる。 「和兄っ! 和兄は何とも思わないのっ!? 僕…僕…今まで現実逃避してみたけど…でもっ! やっぱり、納得いかないっ!」 目にうっすらと涙すら浮かべつつ、悠が力説する。飛び散る唾から逃れようと、体を引きつつ、和己が投げやりに答えた。 「……しかたねーじゃん」 「しっ……しかたないって!」 「だって……他に納得のしようもねえしよ」 「ダメだ……やっぱり…和兄は違うんだ…。僕にはダメだぁっ! だって…シギが…いくら首にガムテープを貼ってようと、目からビームとか出そうと…だって…だって……」 泣き笑いの表情のまま、悠はただ、『だって』を繰り返し続けた。 それを見かねて、和己が口を開く。 「なぁ、トニー? あんたも落とし物は見つけたみたいだし、シギも落とし主が見つかった以上は、ここにいる必要性はなくなっただろ? どうだろう? この馬鹿と…あと、あっちでまた放心し始めてる男の精神的健康を守るために、そろそろ帰ってくれないかな?いや、俺としてはさ、このまま悠が混乱しまくって、試験がうまくいかないなら、おおっぴらに禁煙解除ができて都合はいいんだけど。…でもまあ…このままってわけにもいかねえだろ?」 それに応じて、トニーが朗らかに笑う。 「いいとも! 無用な混乱は避けたいしね。まあ、そのゼンマイ仕掛けの物体を分解したい欲望はあるが…どうやら、メンタルな部分がデリケートなようだ。今回はあきらめよう。さあ。それでは、空間を開いて帰ることにしようか、は=4号!」 「はい、マスター。…和己さん、悠さん、ゼンさん、お世話になりました」 シギが、にっこりと微笑んで、優雅に頭を下げる。 「悪いな、何のもてなしもできなくて。今のうちなら、こいつら二人とも、『夢の中の出来事』として片づけそうだから」 「ああ、それが出来るのは地球の人間の長所らしいね。それでは、これで失礼するよ。世話になったね。さっき出てきたところから、また入り口を作ることにするから。…おっと、見送りは不要だよ。はっはっはっ!」 あまり意味のない笑いを残して、トニーはシギを連れて玄関へと向かった。見送り不要の言葉通り、和己はソファに座ったまま、手を振る。 「じゃな」
二人が立ち去って、しばらくののち。手持ちぶさたな和己が新聞を五ページほど読み進めた頃、悠がふっと我に返った。 「……和兄?」 「んあ?」 「………夢だったんだよね?」 どうやら、独り言に近いらしいとみて、和己は返事をするのをやめた。読んでる途中だった新聞記事の続きに目を走らせる。 「昨日と今日の出来事はさ…ほら、夢だったんじゃない? ……あったりまえだよねぇ?ロボットとか異星人とか…夢に決まってるじゃん! 休みなのに試験勉強なんてするから、僕、疲れてたんだよ、きっと! そうだ! 夢だったんだ! あ〜あ、安心したなあ」 明後日の方角を見ながら、悠はそう自分に言い聞かせた。 (映画とか小説とか、そういうフィクションの世界と混ざっちゃっただけなんだ、あたりまえだよね、現実にそうそうロボットとか異星人とかビームとか背中にファスナーとかあるわけないじゃん。ばっかだなぁ、僕ったら。日々の和兄との生活で、ストレスでも溜まってたのかな。きっとそれのせいで白昼夢とか見ちゃったんだな、うん、きっとそうだ) 心の中で、更に自分に言い聞かせる。そうして、悠のその考えを読みとったかのように、今まで放心していたゼンがぽつりと呟いた。 「……そっか……夢だよな…白昼夢だ…」 「…そうか。動物園では猿の赤ちゃんが…」 新聞に目を向けたまま、和己が呟く。 「さってと! そうと決まったら、お腹すいちゃった! え〜っと…晩ご飯は…あ、あれ? え〜〜〜っっと…なぜか…そう、なぜか、買い物は済んでるんだよね。もう、ホント、いつの間にって感じだけどさ。そしたら、ほら、和兄、作ってよ」 「あ、ああ。そうな、晩メシな。そう…え〜っと…なぜか…本当になぜかは分からないけど、3人前あるみたいだから、オレもごちそうになっていいかな、和己?」 悠とゼンは同じような表情を…にっこりと笑いながら冷や汗を流すと言う、複雑な表情を浮かべて、和己に話しかけた。 動物園の記事を読み終わったらしい和己が、小さく溜め息をついて、新聞を閉じる。そして、ソファから腰を上げながら言った。 「………おまえら…似てるかもな」
◇ ◇ ◇ 「……あれ?」 「…どうなさいました、マスター?」 見送り不要!と朗らかに玄関を出てきた二人は、深津探偵事務所の小さな看板の下で立ちつくしていた。 「え〜っと…鍵が……」 快活に話すトニーには珍しく、語尾がすっきりしない。シギが、きょとんとその顔を見上げる。 「はい?」 「だから……ほら……」 「鍵…ですか?」 「ああ…いやだなぁ…私としたことが、泊まり慣れないオートロックのホテルに泊まった中年オヤジのようなことをしてしまったみたいだよ。はっはっはははは…はぁ…」 「……と、申しますと」 よく分からないでいるらしいシギに、トニーが説明する。 「ほらぁ。よく見るじゃないか、気軽に浴衣で廊下に出たりして、そのあと部屋に戻れなくなって、浴衣でロビーに行くしか手段のなくなった田舎者を! もちろん、浴衣を着ているだけマシだけどねぇ。バスタオル一枚でそんな目に遭った日には、もう、知り合いに見られたら自殺しかねないよね」 わずかにうつろな雰囲気を漂わせて、トニーが笑う。 「いえ、ですから…それが、今の私たちの状況に何か?」 「……ふっ…そう。それは、いい質問だ。説明しよう。空間をねじ曲げて、私は移動してきた。そして、その空間を開くためには、キーが必要だ。向こうからも、そのようにして、空間を切り開いてきたのだからね。もちろん、空間そのものを開けっ放しにしておくわけにはいかないから、手を離せば空間は自動的に閉じる。そして、キーがないと再び切り開くことはできなくなるわけだ。…ここまで理解したかな?」 「と、申しますと。マスターはキーを持ってくるのを忘れてしまって、こちらから空間を開くことが出来ない、とおっしゃるわけですね? そして、UFOで来たのならともかく、空間を直接移動してきたからには、乗り物が手元にないので、帰る方法がないと」 理解できたことが嬉しいらしく、シギはにこやかにそう答えた。トニーが微笑みを浮かべてそれにうなずく。 「そうだ。一を聞いて十を知る、そういう洞察力はこれからも役に立つね。おまえはなかなか優秀なロボットだな。製作者としても鼻が高いよ。とりあえず…今、君が僕のヒントによって、完璧な論理展開によって結論づけたように……ま、そういうわけだ」 「…どうするんですか。これから?」 「……ふふん。取るべき方法はいくつもあるが…まぁ、そのなかで、もっとも確率が高く安全で、スピーディーなものを選択しようか?」 「……それは、ドアの内側に戻るってことでしょうか? それ以外の選択肢が、あいにく思いつきませんが…?」 相変わらず、のほほんとシギが言う。立てた人差し指を軽く顎に当てて。 「そうだ。そのとおり! まぁ、そのうちこちらで材料を集めて、乗り物を作るなり鍵を作るなりするから、それまでここに置いてもらおうと思うのだが、おまえに異議はないかな?」 至極まじめくさった表情で、重々しくトニーが告げる。シギはにっこりとうなずいた。 「ええ、異存はございません。…ですが…」 ふっと、何かを思いだしたようにシギの表情が陰る。それを見たトニーは、ややおおげさに、肩をすくめて見せた。 「どうした? この完全無欠な計画を実行するにあたり、何か問題でもあるというのかな?」 「いえ…私はロボットですからともかく…マスターは食事を必要といたしますよね? 先ほどのお夕食の材料……一人分、足りませんが…」 「なぁんだ、そんなことか。そのくらい、かまわないさ。おかずはいろいろと融通してもらえばいいしね。いざとなれば、ふりかけがあれば、私はそれで満足だよ。…よし、そうと決まったら…『は=4号』! いや、ここではシギと言うのか? じゃあ、シギ! そこのインターホンを鳴らすがいい!」 「はい♪」 そうしてシギは、インターホンのボタンにその白い指を伸ばした。
そして、三週間後、和己は禁煙から解放されことになる。
── 了 ──
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