そりゃないゼ Dr.
◇ 11.整形外科その4 〜駄目押し〜 ◇
──腰が痛い。
……そう、それは引っ越し準備の日々の中、当然のように訪れたもの。
何か持ち上げた瞬間にぐきっ★といったとか、そういうことではない。
日々の痛みが積み重なって、ある朝起きると、ヤバイくらい痛くなっていただけのこと。まず起きあがるのに苦労する。洗顔するのに苦労する。トイレに行って便器に腰を下ろすのに苦労する。
食事をして少し休めば、血行も良くなって多少は痛みも和らぐはず……と、引っ越し段ボールの中に囲まれて、そう思った。
思った……が、うまくいかなかった。
食事の後かたづけを済ませ、キッチンから居間へと戻ろうと体の向きを変える。その動きで、ぐきーん★と痛みが走る。
…………いけません。
これはいけません。こんなんで引っ越しの佳境を迎えていてはいけません。何と言っても引っ越しはすぐ翌日に控えているのだから!
というわけで、病院へ行く。近所にある整形外科。肩関節周囲炎と膝の打撲でお世話になったあの病院。こりてねぇ。でもしょうがないのである。総合病院はとにかく待たされる。半日がかりで行かなくてはならない。そんな暇があるものか。
「はい、こんにちはぁ〜〜。どうしましたぁ〜?」
微妙に語尾上がりの、妙な間合いとアクセントに出迎えられる。
「………………腰が痛いです」
「何か、重い物持ったりとかしましたかぁ〜?」
「…………引っ越しで」
「ああ、そう。そうね、ん〜引っ越しね。それはしょうがないですねぇ、ではまず横になって……」
様々な診察が始まるわけである。
仰向けになった私の膝を掴み、あっちに曲げこっちに曲げ。
そしてその度に。
「いててててててっ!」
「…………そこはそんなに痛くないです……けど、力入れられると痛いってば!」
「あ。そこは大丈夫。おげ、センセ」
そんなことを正直にお返事する私。
その後も診察は続き、レントゲンも撮る。
出来上がったレントゲン写真を見て、先生が言う。
「ん〜〜骨は大丈夫ですねぇ。ヘルニアも起こしてませんしぃ〜。しばらくすれば痛みはとれると思いますよぉ。薬も出しますからぁ〜」
……いや、何で痛いのかって具体的なことは教えてもらえないのですか。そうですか。
「えぇとですねぇ……第五腰椎と仙骨の間がやや狭いんですよぉ」
……いや、具体的過ぎてわかりませんが。
「これねぇ……今はただ時々痛いだけでしょうけど、将来的にヘルニアとか起こすかもしれませんねぇ。今のうちからちゃんとケアしないと。この第五腰椎と仙骨の隙間が狭いってのはそういうことなんですねぇ」
……いや、予告されても。なんですか。鮫の軟骨とか食えばいいんですか。
「とにかく。今日、治療しまして、薬出しますから。しばらく安静にしてましょう。寝るときの姿勢もこう……」
「いえ、ですから。引っ越しなんですってば。しかも明日。今日と明日は絶対、安静には出来ないんですよ」
「引っ越しの手伝いがあるのはわかりますけど、痛いでしょう?」
「ええ、痛いです。でも、手伝いじゃなくて自分の引っ越しなんです。独り暮らしで」
「……………………」
「……………………」
この先生の言葉を止めたのは、何度も通っていて、初めてかもしれないと思った。でも、存外に勝利感はなかった。ちぇ。
「…………そう、ですか」
「そうなんです」
「……じゃあ……しょうがないですねぇ」
先生が立ち上がる。
何ですか。魔法でもありますか。いぇーい、やったー! この痛みを嘘のように消してくれるのですね。そうです、それこそがアタクシの求めていたものですよ。
「とにかく、今日明日をどうにかしたい、と。わかりました」
わかっていただけましたか。
立ち上がった先生は、後ろの棚へ。
──そこに『魔法のもと』が入ってますか。
「じゃあ……嫌だろうけど、そこに横になってください、うつぶせで」
「はい」
……ん? 嫌だろうけど? いや、別に嫌じゃないけど……何?
「痛いとこ出して。そうそう。注射しますから」
がーん。
注射。
整形外科での注射。
血液検査以外での、整形外科での注射。
せ、せ、先生! それには嫌な思い出がっっ!!
「……ま、また痛い注射ですか!?」
「いやいや、痛くないですよぉ。はい、動かないでぇ〜〜」
ぷす。ちゅ〜〜〜〜〜。(心理的効果音)
「いたたたたたっっ!!」
「はい、動かない動かない」
「いや、痛いって先生!」
「痛くないよぉ。北白川さんは大袈裟だなぁ。前の関節注射に比べれば痛くないでしょぉ?」
「いや、確かに肩とか膝の注射のほうが痛かったですけど……こ、これも痛いってば!」
「ははは。ここに来たら痛い注射されると思ってるんじゃないですかぁ?」
……ホントじゃん。
けれど。
その日の夜と、次の日は確かに痛くなかった…………。
あれから2週間。今日の朝、ようやく、途中で手をつかずに顔を洗い終えることができた(遠い目)。
みなさんは知っているだろうか。腰を痛めると、洗顔する時の腰を折り曲げた姿勢が数秒しか保たないことを。途中で耐えきれなくなって、しゃがみ込むか手をつく羽目になるのだ。手をつくまでの時間が少しずつ長くなって、そうしてある日、手をつかずに顔を洗い終えることが出来る。そのことで治癒を知るのだ。ああ。わかりやすい。
とりあえず…………センセイ、ありがとう(幾分悔しげに)。
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