4/ 1〜 5/26 第22回ユーラシア大陸横断56日間
    (中国・カザフスタン・キルギス・ウズベキスタン・トルクメニスタン・イラン・トルコ)
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イラン国境に入る際には、女性は、頭にスカーフを被り、肌の線を露出しない長いコート類を着用しなければなりません。外国人観光客に、このような服装を強要している国は、イスラム諸国会議機構に加盟している57カ国の内、私の知っている限り、他にサウジアラビアしかありません。また、飲酒も禁止されています。パキスタン等の国では、5星ホテルのバーで飲酒が許されているのと比べるとかなり遅れている制度です。対外的には、あまりいいイメージを持たれていなかった上に、最近、アメリカが悪の枢軸国(イラク・北朝鮮・イラン)呼ばわりしたために、更に印象が悪くなりました。しかし実際は、北朝鮮・イラクのような独裁政権ではなく、政治的にも安定していて、アメリカが悪の枢軸国呼ばわりするのは全くの筋違いで、石油の利権が絡んだ言いがかりにしか考えられません。イスラムは教義的にいえば、他宗教には寛大であるはずで、外国人に対しては酒を解禁し、女性の服装もう少し開放すれば、イランのイメージアップを図れると思うのですが。
イラン入国後、コペト・タグの山々を下り、クチャンに出ると、広大な小麦・大麦・放牧地が広がっています。ここからマッシュハッドまでは、約100キロのアジアハイゥエーを走ります。最近では、検問を減らす政策が取られ、途中で止められることがなくった上に、道が拡張整備されたために、マシャッドまでは1時間ほどしか掛かりませんでした。
マッシュハッドは、イスラム教シーア派にとってはメッカに次ぐ、重要な聖地です。そのため、人口300万の町に、年間1500万人もの巡礼者がやってくると言います。
ここでちょっと、今、イラク戦争でもよく出てくるイスラム教のシアー派とスンニー派について説明しておきます。イスラム教を信仰する人は世界で12億人。その内、スンニー派が9割、シーア派が1割で、シーア派の大部分はイラン(人口の90%)とイラク(人口の60%)に住んでいます。それでは、その違いは何かと言うと、マホメットの死後、カリフ(マホメットの代理人)が4代続きますが、シーア派では、3代までを正統なカリフと認めず、4代目のカリフ(マホメットの従弟)アリーこそが、マホメットの血筋を継ぐと言うことで、第1代目としているのです。簡単に言えば、これだけの違いです。唯一絶対のアラーを信じるのも、コーランを教典と認めていることも同じです。「それだけの違い?」と思われれるかも知れませんが、そうなんです。我々、異教徒にはわかりづらいのです。
そのシーア派の聖地マッシュハッドは、817年にシーア派第8代目のイマーム・レザーがここで殉教したことにより聖地となり、16世紀のサファビー朝のもとで保護され、しだいに発展してきました。ちょっと話が脇にそれますが、今新聞を賑わせているイラクのナジャフは、初代のカリフ・アリーが埋葬された場所で、後にモスクと霊廟が建てられ、シーア派の最も重要な聖地になっています。また、同じイラクのカルバラには、殉教死を遂げた7代目フサイン(アリーの息子)の霊廟が建てられています。このように霊廟は、イスラム教徒にとっては、重要な巡礼地で、信仰の対象です。そのため、この聖地を巡って各派が争奪戦を繰り広げ、さらにはアメリカが介入して、混乱状態を引き起こしています(イラクの混乱のひとつの理由です)。
話をもとに戻しますと、イランの聖地マッシュハッドは、中心にイマーム・レザーの廟があり、その回りに6つのメドレッサ(神学校)、2つの博物館、図書館、4つの広場、12の門がある宗教施設の複合体になっています。総称は、ハラメ・モッタハル広場、通称ハラムと呼ばれています。ここに入るのは、外人であっても更に厳しく、女性は黒いチャドルを着用が義務づけられています(借用可能)。また以前、爆弾テロ事件があったため、入場時には男女別に手荷物検査、身体検査がおこなわれています。中に入ると、ガイドと共に、博物館や広場を巡っていきますが、残念ながら異教徒はイマームレザー廟の立ち入りが禁止されています。それでも遠くからですが、熱心に祈る人、時には泣き叫ぶ信者の姿をかいま見ることができます。日本では、イスラム教と言うと、危険というイメージがつきまといますが、世界の五分の一が信ずるイスラム教を自分の目で見、肌で感じてみるのは重要な事です。
イランでの観光客の服装
サラクスの町
マシャッドの町

参拝の女性達

イマームレザー病

マスジェツド

アホン
レザー・バザール

マッシュハッドからテヘランまでは、エルブルズ山脈の北を通るイラン北道と、南を通るイラン南道に分かれます。イラン南道は、キャビール砂漠の北側の道で、中央アジアと同じような荒涼とした景色が続くため、このツアーでは第5回以降、風景が異なるイラン北道を通っています。クチャンまではアジアハイウェーを戻り、広大な畑作地帯を抜けていきますが、シルバン付近を通過すると再び、がれきの山が見えてきます。更に高度を上げ、1200mほどの峠を越えると、突然木が生い茂るゴレッサン国立公園に入っていきます。この付近はエルブルズ山脈の北側のため、カスピ海からの湿った空気が山に当たって雨を降らせ、緑豊かな風景を形作っています。昨年は大雨が降ったため、約20キロに渡って道路が崩壊し、この時点でもあちらこちらに爪痕が残っていました。山を抜け、平野部が近づいてくると水田が広がってきます。イランというと砂漠のイメージですが、森林地帯も田園地帯もあるのです。この付近からカスピ海の周辺は、イランの穀倉地帯であり、その他果物なども多く作られる農業地帯になっています。イランのこの地方(他の地方は、ナンと呼ばれるパンが主食)では、日本と同様、米を主食として食べています。米は、パサパサですが、あつあつのご飯にバターや、時には生卵の黄身を混ぜたりして食べていますが、肉料理には非常によくあいました。バターの代わりにふりかけをかけるのが日本人の口に合うようです。
ゴルガンに宿泊した後は、カスピ海沿いのリゾート・チャルスに向かいます。途中カスピ海の沿岸を走るのですが、湖岸沿いの道路というわけではなく、また湖岸沿いのいい場所は、すべて別荘に占有されているため、カスピ海を見ながらの快適なドライブとはいきません。カスピ海は、言わずと知れた世界最大の湖でイラン・トルクメニスタン・ロシア・アゼルバイジャン・カザフスタンに囲まれ、標高は−28メートル(海面下)、面積は37万1000平方キロ、日本の総面積とほぼ同じ広さを持っています。塩湖で、キャビア(チョウザメの卵)が獲れることで有名ですが、最近は油田地帯として、更にはその利権争いで新聞を賑わせる事が多くなってきているようです。キャビアは、イランでも多く獲れるのですが、国内での販売は禁止されています。そのため、残念ながら親のチョウザメは食事のメニューに載っても、キャビアは出てきませんのであしからず。
チャルスは、テヘランの人々の行楽地のため、金曜日は多くの人で賑わいます。近くには、ロープウェーがかかるマドベン山があり、大勢の家族連れや若者のグループなどが、ピクニックなどを楽しんでいました。夏になるとカスピ海で湖水浴をする人で更に賑わうようですが、イランでは、男女の湖水浴場は分けられています。オリンピック競技も、女子の水泳などは放映しません。若い男女が一緒にピクニック・ハイキングをするのが、最大の娯楽のようです。
チャルスからは、エルブルズ山脈を越えてテヘランに向かいます。エルブルズ山脈は、東西1000キロの長さを持ち、大きな壁となって、カスピ海の湿気を遮っています。そのため気候は、山脈の南北で大きく異なっています。峻険な山道を登り、峠付近のレストランまで高度を上げると、標高は2500メートルにもなり、空気もひんやりとしてきます。秋には、木々が色づき、紅葉がすばらしとの事でした。峠に近づくと、付近の山々にはまだ雪が残っています。ここの峠越えも、昨年2車線のトンネルが開通して、ずいぶん楽になりました。長さ2キロのトンネルを越えると、山は緑をなくし、瓦礫の山になります。所々にシェルターが作られていることで、雪崩、土砂崩れが多いことがわかります。そんな灰色の山肌に、赤いポピー、黄色い野生のチューリップが花を咲かせていましたが、残念ながら狭い道のため停車して写真を撮ることができませんでした。運転手の「大丈夫、大丈夫。下へ行けばチューリップがたくさん咲いているところがあるから。」との言葉に期待をして行ってみると、そこはチューリップ畑。それでもイランで、色とりどりのチューリップが見られると思わなかったので、感激はありましたが。
ディジン・スキー場(イランにもスキー場があります)の近くを通り、アミール・カビール・ダムを過ぎるとテヘランに入っていきます。テヘランは人口650万人を擁するイランの首都で、北を通ってきたエルブルズ山脈が走っています。天気さえ良ければ、山脈の最高峰デバマンド山(標高5671m)が見えるのですが、ガイド曰く「世界で二番目に空気の悪い都市テヘラン」、当然ながら見ることはできませんでした。

ゴレッサン国立公園

水田風景

カスピ海

カスピ海付近の民家

マドベン山へ

青い目のイラン美女

チャルス峠越え

チューリップ畑

テヘランからシラーズまでは600キロもあるため、この旅で唯一空路を使い、テヘラン→シラーズ→イスファハーン→テヘランと移動しました。バス旅だけにこだわれば、シラーズ・イスファハーンは、省略してもいいのですが、どちらもイランを代表する遺跡であり、訪れてみたい世界遺産でも常に上位に位置するため、97年の秋からコースに組み込みました。
シラーズと言えば、ペルセポリス。ペルセポリスは、紀元前6世紀アケメネス朝ペルシャに因って作られた宗教的な都であり、紀元前331年にアレキサンダー大王に滅ぼされるまで、その栄華は続きました。後、アラブ時代に廃墟となり、1931年に発掘されるまでは地中に埋まっていたため、極めていい状態で保存されていました。建物の主要な部分は、レバノン杉等の木材で作られていたので、すべて炎上してしまいましたが、石の部分は2500前そのままの形で残っています。今まで辿ってきた中国・中央アジアのシルクロード沿いの遺跡は、ほとんどが土くれと化していますが、ペルセポリスは石の文化圏であったために、未だに当時のままの雄姿を留めており、その壮大さは見る者を引きつけます。ここに立つと、文化圏が土から石へと変わり、ヨーロッパ(ギリシャ・ローマ)の領域に脚を踏み入れたことを感じます。大きくシルクロードを東西に分けるとしたら、ペルセポリスがその分岐点になるのではないでしょうか。しかしギリシャ・ローマの文化は受けていても、ゾロアスター教の最高神アフラ・マズダや28カ国の使者のレリーフ、人面有翼獣神像や双頭の鷲の像など、独特のオリエンタルな文化も持ち合わせている点もペルセポリスの魅力です。高台には王墓があり、ここからペルセポリスを一望することができます。
15分ほど離れた岩山にも、ナクシュロッサムと呼ばれるアケメネス朝時代の4つの王墓があります。墓の様式は、ギリシャ十字型に彫り込まれた独特の形をしていますが、どこかヨルダンのペトラの神殿・墓に似たものを感じます。シルクロードを通しての文化の交流があったのでしょうか。墓の下には、ササン朝時代のレリーフも残っています。
市内に戻って、イランでは最も愛されている詩人ハーフェーズの墓や18世紀に造られたエラム庭園を見学します。

クセルクセス門

アパダーナの柱

アパダーナ東階段レリーフ

ペルセポリス遠望

ナクシュロッサム

エラム庭園

エラム庭園のばら

イランの子ども達

イスファハーンからシラーズまでは飛行機で40分ほど。イスファハーンは、「イランに来てイスファハーンに行かなければ、イランに来たことにはならない」と言われるほど、イラン人の誇りなのです。紀元後7世紀頃から、シルクロードの貿易の要衝として発展、1597年にサファビー朝がこの地を首都にしたことから、現在の町の基礎ができ、17世紀には「イスファハーンは世界の半分」と呼ばれるほどまで発展しました。イマーム広場は、縦510m、横163mの広さを持ち、その周囲をイマーム・モスク、シェイフ・ロトゥフォッラー・モスク、アーリー・ガーブ宮殿、バザールが東西南北を囲んでいます。広場を囲むイスラム様式の建築、青のドームだけを見るとサマルカンドのレギスタン広場を連想させます。しかし広場の規模、青のドームに描かれたアラベスク模様(アラビア文字、植物を図案化した幾何学模様)の繊細さを見れば、似て非なるものであることがすぐにわかるはずです。またサマルカンドのメドレッセ・モスクが宗教的な対象ではなく、ただの観光地になっているのと違い、イスファハーンは今でも礼拝に使用されている生きたイスラム建造物です。その違いは大きく、建物のかもし出す息づかいからして異なっています。
ザーヤンド川の北に開けたイマーム広場。そのザーヤンド川には、17世紀に造られた橋が10も架かっています。上下二重構造になっているハッジュ橋、、33のアーチを持ち、別名33の橋と呼ばれるスィー・オ・セ橋等々、それぞれに特徴を持っています。かつては、王が橋のテラスで宴をはったこともあったと言われ、今でも大勢の人が涼を求めて、川岸に集まってきています。特に夜は橋がライトアップされ、幻想的です。
イスファハーンの人口は170万人。大部分はイスラム教徒ですが、キリスト教徒のアルメニア人が1万人、ユダヤ教徒のユダヤ人も3000人住んでいます。17世紀にアッバース1世が優秀な職人や商人をアルメニアから呼び寄せ、イスファハーンに住ませました。そのためジョルファー地区には、12のアルメニア教会があり、今でもここに住居を構えています。イスラム教とキリスト教というと昨今では、対立しているイメージが定着していますが、このように共存している歴史も長いのです。それもそのはずで、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教は、共に一神教を信ずる兄弟の宗教で、コーランは旧約・新約聖書を踏まえて書かれているのですから。

イマーム広場

金曜モスク

シェイフ・ロトゥフォッラーモスク

イマームモスク

イマームモスク
33アーチ橋

アルメニア教会

イランの子ども達

イスファハーンからテヘランまでは飛行機で戻り、テヘランからは再びバスでアジアハイウェーを走り、ザンジャン経由で、国境の町タブリーズを目指しました。テヘランからザンジャンまでは330キロ、ザンジャンの手前にはスルタンモハメッド廟があります。紀元前14世紀のイルハーン国時代に造られ、ドームの高さは、イタリアのフィレンツェにある花の大聖堂、トルコのイスタンブールのアヤソフィアに継ぐ、世界で第3位の54mを誇ります。イルハーン国とは、チンギスハーンの孫フラグ(フビライの弟)が興した国です。フラグは、バクダッドに首都を置いていたアッバス朝を滅ぼし、シリアのダマスカスも平定し、後にモンゴルに戻ることなく、イランのタブリーズを都としてイルハーン国を建設(1258〜1353年)しました。イランが、モンゴルの支配下にあった歴史など、ほとんどの人が知らないでしょう。
ザンジャンからタブリーズへは、途中、ポル・ドフタール(17世紀建造、第二次大戦後ソ連軍が破壊)と呼ばれる橋を通過したあたりから、山越えの道になります。
タブリーズは、かつてイルハーン国の首都となり、シルクロードの要衝として栄え、サファビー朝の時代にも一時期首都にもなったことがあります。残念ながら往事の繁栄を示す、建造物は何も残っていません。国境に近い町いために、度々侵略を受け、更には頻発する地震の被害にもあったためです。わずかにバザールの賑わいで、当時様子を偲ぶことができます。
タブリーズから、バザルガン国境までは、天気が良ければノアの箱船が流れ着いたという伝説もあるアララット山を眺めながらの最高のドライブになります。今回は、その最高の天気に恵まれ、国境から150キロも離れた所からアララット山の雄姿を見ることができました。アララット山は、5165mの大アララットと3925mの小アララットからなっています。現在ではトルコに属していますが、かつてはアルメニア領で、アルメニア人の聖なる山になっています。
バザルガン国境は、標高約1500mの所にあり、美しいアララット山を見ながらの国境越えとなります。イラクが混迷を続ける今、アジアとヨーロッパを繋ぐ唯一の国境となっています。重要度が増した国境施設は、新しくなっていました。
アジア・ハイウェーはここで終わり、国境を越えると、ヨーロッパハイウェーと名前を変えます。いよいよ、最終目的地イスタンブールが近づいて来ました。国境の向こうは、酒の飲めるトルコです。

ケバブ

スルタンモハメッド廟

ザンジャンの町

ポル・ドフタール

国境への道

大・小アララット山

大アララット山

バザルガン国境
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