ヒトラーー最期の12日間      ドイツ映画  ヒルシュピーゲル監督

 

正式の題名はドイツ語で「UNTERGANG」、日本語では没落、破滅という意味になる。しかし、日本での映画興行に際しては、歴史家であり、この映画の監修者でもあるJ・フェストの著作 「ヒトラーー最期の12日間」(岩波書店発行)と同名の邦題に改題している。この映画はヒトラー女性秘書T・ユンゲから聴取した、ナチス幹部最後の言動を忠実に再現しようとしたものである。

 

1945年5月、ナチス総統ヒトラーは、厳重に装備された地下壕でソ連軍ベルリン包囲の砲弾爆発音におびえながら、女優エレナ、宣伝相ゲッペルス一家と共に自殺した。死体は連合軍の捜索を撹乱する為、直ちにガソリンで焼却された。ヒトラーの自殺を見届けたナチス幹部たちは、次々と地下壕で自殺するか または抜け道から脱出逃亡した。自殺を選んだ男達の最期は壮絶であったが、逃亡者の顔には一律に虚脱以外何物もない。ヒトラー女性秘書T・ユンゲは、地獄の虚脱より、巧妙に脱出し、ベルリン郊外の道を自転車で駆け去った。

 

最後に晩年の女性秘書T・ユンゲ本人映像が画面一杯に出てくる。「自分は最後までユダヤ人絶滅計画は知らなかった。しかし、殺された犠牲者の中に、親しい友人の名前を発見し、ああ もっと早く 自分は周囲の変化に関心を持っていたなら、ユダヤ人虐殺も気づくことが出来たであろうに」と述懐する。生前のT・ユンゲの証言を最後にこの映画は終わる。

 

この映画で最も印象強かったのは、映画館全館を響きわたらせる、砲撃の轟音である。これはすごい。臨場感満点。自分の眼の前で、砲弾が爆発し一瞬身を震わせる。こんなすごい状況は、映画館でないと絶対に実感できない。興奮する。

 

ナチスの歴史的位置付けはすでに多くの書籍で読み、自分なりに考えてきた。独裁者ヒトラーの自殺詳細については、すでに中学時代リーダーズダイジェストでも読んだ記憶もある。ヒトラーの焼却後の頭骸骨は、ソ連に持ち去られ、数年前テレビの画面にも映ったことがある。頭に銃弾の痕跡が残っていた。

 

この映画を見て考えたのは、死についてである。人生を生きる際し、自分を強者と認識し、強者の視点からのみ生き抜こうとしてきた人たちがいる。ナチス軍人はその一人だ。しかし、こうした強者にとっては死は恐怖であり、絶望にしか映らない。彼ら強者にとって、常に強くあるべき人間として人生を勝敗の視点からのみ生きてきた人たちには、死は憎むべき敗北:絶望以外の何物でもないし、目前に迫るこの死の恐怖を乗り切るのが、強者としての自分の勇気だとし、襲い掛かる死の恐怖に対面する。これが、強者として生きた人々の最後のなまの姿だ。

 

一方、我々人民大衆は、自らを常に弱者として自覚し生きてきた。我々にとって死は最後に訪れる自らの運命であり、これを素直に受け入れようと精一杯努力する。我々にとって、死は絶望ではなく、死は当然の順序である。死の訪れを自分の最後の順序として受け入れたとき、我々はささやかながら 弱者である自己の人生を肯定し、安堵し、静かに眠りにつくことが出来る。

 

ヒトラーにとっても、ゲッペルス一家にとっても、死は憎むべき、敗北であり、絶望であった。そして死に際して、強者であり続けた自分を、省みる余裕もなく、強者は絶望の中で、すなわち死の無念さの中で最期の混乱を迎え、絶命する。

 

自分は、自分の人生を弱者として生きてきた。出来ることならば、死に際して、死をこの有限世界からあの無限世界への昇華の瞬間として、安らかに受け入れ 死んで行きたいものである。    (2005年8月23日記)

 
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