映画 「少年期」を観て    原作 波多野勤子、 監督 木下恵介

 

この映画を始めて観たのは、中学3年、昭和29年だった。今回BSで再見し、あらためてこの映画は名作だと感動する。思えば高校入学後 波多野勤子著「少年期」を光文社版で読み、映画以上に面白かったので幾人かの親しい友人にも回覧した記憶がある。あれから50年、実は次男の岳父は東京大学で長く心理学を教えていた関係もあって、波多野先生ご一家とは親しい間柄にあり、「西川さん、あの少年期の映画に出てくる信州疎開中の波多野先生が一生懸命読んでおられた本は何だったと思いますか。実は先生から直接お聞きしたのですが、波多野先生は、あの当時 「資本論」ドイツ版を一生懸命読んでおられたのですよ」とお聞きしたことがある

 

この秘話をお聞きして、長い間自分の中にあった「少年期」像は、更に鮮明になった。

 

太平洋戦争の暗雲低く垂れ始めた昭和19年、波多野先生は大学を追われ、家族の安全を配慮し信州に疎開された。長男は当時開成中学通学中につき家族と離れひとり東京に残り、母勤子との間に切々たる手紙のやり取りが始まった。やがてこの母子通信は諏訪中学転校後も続き、この往復書簡が戦後「少年期」として出版され、ベストセラーになり、映画にもなったのだ。余談だが、この映画に出てくる3人の息子達はその後全員が東大に進むという秀才一家である。

 

さて、映画では戦意高揚の国民的好戦空気に反し、毎日書斎で本を読み続ける父を見て、少年は何故お母さんばかりが買出し、父は書籍に没入しているのか理解出来ない父を切々と母になじり続ける。母勤子は、息子の疑問に対し「お父さんの正しさは やがて歴史が証明してくれるのよ」と回答する。ここに「少年期」の最も素晴らしいストーリがあり、今も観るものを感動させる。

 

しかし、映画では、毎日本を読み続ける父のうしろ姿はどうも、心理学学者波多野完治であり、リベラリスト波多野完治ではない。しかし、実は当時波多野先生が密かに一生懸命学習されていたのは、国禁書のドイツ語版「資本論」であり、こういうキーポイントがこの映画では鮮明になっていない。もし先生の机上に積まれた洋書「DAS KAPITAL」の表紙横文字が大きく画面に写しだされていたのなら、この映画のストーリはもっとはっきり理解出来たであろうにと思うと残念でならない。

 

同じ時期、東大仏文科教授渡辺一夫先生は、フランス語で密かに日記を書いておられその日記の中で、自由を圧迫し、知識を押さえ込むファッシズムの凶暴さに抗し、自らの命を絶つことすら書き残されていることを思うと、当時の知識人は如何に苦しんでいたか、そして、ぎりぎりの線で自己の信念を如何に守り抜いておられたかが鮮明に見えてくる。知識人のこの強い信念の炎こそが、戦後60年 憲法改悪の動きにいち早く反対の火の手を揚げる良心の源泉になっている。世に言う 軟弱なるかな知識人 と。しかし、私は最後まで権力に屈しない強き知識人の勇気ある姿は、我々が謙虚に知識人の黙々たる姿を見つめている時に始めて見えてくるものだと思う。この映画は決して古くなっていない。新しい勇気を生み出してくれる新しい映画である。

 

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