最近観た 映画

実録・連合赤軍   あさま山荘への道程   若松孝二監督   2007年製作

「連合赤軍・あさま山荘への道程」を名古屋シネマスコーレで観た。3時間10分、途中何度か、耐えられなくて退場しようかと苦しんだが、兎に角 最後まで観るには随分と忍耐が必要だった。


映画は、幾つかのニュース映画から始まる。1960年安保反対国民運動、羽田闘争、樺美智子さん国会内で虐殺、沖縄返還闘争、新宿駅を占拠した三里塚闘争、同じ時期 中国で始まった文化大革命、社会が騒然としてくる情勢下 連合赤軍はどの様な経過をたどって結成されたかが説明される。しかしそのナレーションは、当時の学生運動を正しく解説しているとは思えない。当時の学生運動は、学生の統一が必要だと主張する代々木派と、日本帝国主義打倒には、先鋭勢力が必要だと主張する反代々木派との対決が底流にあり、お互いを誹謗しあっていた。そして多くの学生は、ゲバ棒を握る過激派学生に対し、鋭い批判の目を向けていた事実を、映画はきちんと報告せねばならない。映画は学生運動に参加してくる学生達の純真な横顔を先ず写し、やがてその純真な横顔が、過激な内ゲバ闘士に変化していき、機動隊との激突の中で、さらに険しいものに変貌していく表情を忠実にとらえている。連合赤軍学生達は、「山へ行く」と称して、厳寒の群馬山中にとじこもり、過激な軍事教練を重ねていく。


軍事教練なるものは、革命、革命と絶叫しながら、如何に組織の規律を高め、自己を組織に忍従させ、革命戦士として厳格な士気を保持できるかの耐久レース。やがて規律を破った者を、裏切り者、落伍者と烙印し、総括という名の壮絶なリンチが始まり、時には死刑という名の、同志殺人にまで発展し、悲劇のあさま山荘終末へとドラマは追い詰められていく。


この残酷な限界状況の下で、学生達の無謀な論理と生き様に、観ている我々は耐えられなくなり、何度か映画館を出ようと出口を探し求めた。


3時間10分の疲労の末、我に還って、先ず、頭に浮かぶのは、ハネアガリ学生達の自己陶酔的挙動に意味不明な怒りを実感した。同時に彼等は何故あんな泥沼に自らはまり込んで行ったのか、その謎を自分なりにはっきりしておきたいと思った。


自分は真っ先に3つの学生群、すなわち連合赤軍学生群とオウム真理教学生群、そして中国文化大革命下の紅衛兵学生群、この3者に共通する近似点は何であったかを整理したかった。


僕の結論はすでにはっきりしている。

彼らが使っている言語表現にその全ての落とし穴があった。連合赤軍の彼等の間に交わされている言語は、文字通り、ラジカルで、抽象的で、観念的、図式的であった。ひとつの言葉に精一杯、幾つかの意味を含ませて、激しく、刺激的に、高飛車に言葉を相手に突きつけているが、その意味するところは、全く本人すら判っていないほど、不明確である。しかし、その語られている言葉の無意味さを、参加者の誰も、正すことすら出来ない。裸の王様は、いきり立って会議の全てを牛耳って隊員に激怒しているが、あまりにも奇怪なその裸の王様の醜さに 唯一言、「馬鹿な学生」と 映画を観ながら苦笑するのは僕一人だけだろうか。「帝国主義者の仮面を粉砕し、わが戦列は、武器を手に、果敢に彼等権力の狡猾なる権力構造を粉砕し、ここに党と労働者の栄誉をかけて、最終勝利を勝ち取る為に、我々は決起する!」「異議なし!」。一体ご本人達、話している言葉の内容をきちんと理解して「異議なし」と応えているのか!彼等は言葉の呪縛から、自己を解き放つ理性すらも失っているのではないか。


トヨタでは、レポートの作成方法をTQC教育の一環として、全社的に取り組んでいる。その際、最も力を入れて教育するのは、レポート作成の過程で、あらゆる意味をひとつの言葉に絡ませて表現することを徹底的に厳禁させる。ひとつの言葉に幾つかの意味を含ませるレポートは団子レポートと称し、徹底的に書き直しさせる。誰が読んでも、ひとつの言葉には、ひとつの意味しか含ませてはならない。大学出たばかりの新入社員には、こうした具体的な、平易なレポートを書くことは大変だ。しかも、その単純明快な、レポートつくりが出来るまで、新人達は徹底的に再教育される。学生時代、抽象的、観念的、哲学的な文書に慣れ親しんできた学生達が、この教育に耐えるには、並大抵の努力では追いつかない。何度も、何度も泣かされる。しかし、この苦痛に耐え抜いた者は、あの観念的、抽象的な言葉使いが、如何に内容空虚で無味乾燥であるか身に凍みているので、その後は、空虚な抽象的、観念的表現を使った文書を見ても、嫌悪感すら感ずるようになっている。


あさま山荘に向かった学生達は、最後まで、あのラジカルな観念的言語の呪文から自分を解放することは出来なかった。それは、中国の文化大革命でも同じであった。「造反有理」などと、毛沢東が唱えた一言が、一体何を意味するのか理解せず、片っ端から貴重な文化遺産を破壊していった紅衛兵の無謀な若者達、オウム真理教の得たいの知れないオジさんの妙な抽象言語にそのまま酔って、夢中になり自己を見失っていた学生達。


若者達は何故あの泥沼にはまり込んでいったのか、多くの学者達は、その後様々な角度から解析しているが、僕は唯、若者達が使っていたあの言語にこそ、若者を狂わせた魔術が隠されていると今も信じている。


この文章を読まれた貴方ご自身はどうお考えですか、貴方のご意見をお聞かせ下さい。

ここをクリックすると 表紙に戻れます