定年後の読書ノートより

街道をゆく19、中国・江南のみち、司馬遼太郎著、朝日文庫
以前に一度読んだ。何度読んでも面白い。私も上海、蘇州、杭州は好きな町。

特に杭州、西湖、白堤、蘇堤は忘れ難い。ところがどうしたことか、この紀行には西湖に浮ぶ柳並木が素晴らしい白堤・蘇堤の描写はどこにもない。残念に思う。きっと訪問した季節が良くなかったかも知れない

思い出せば、自分が始めて江南の地を訪れたのは5月の初めだった。丁度柳が目を吹いて、風にのった柳の芽が真っ白な大きな玉となって、道を踊りながら走り去っていく春のひとこまは、今も懐かしく思い出す。柳の芽の白い玉、これは中国の春の素晴らしい輝きだった

上海と蘇州、あんなに2つの都市は近いのに、語られている言葉は全然ちがう。蘇州の言葉を若い娘さんが話しているのを聞いていると、まるでささやくが如くという柔らかい印象。蘇州は美人が多い。司馬さんに言わせると、美人は本人の自覚から始るそうだ。

司馬さんは、次々と興味ある話題が飛び出してくる。日本に漢字が入ってきた最初は呉音だったそうだ。六朝文化は百済を通り日本に伝わった。最初は百済を通じて、呉音を教わった。倭も百済も中原江南に風流を学んだ。

やがて六朝が滅び、隋、唐帝国が興り、日本は長安から漢音を学ぶ。正月は呉音、正義は漢音である。日本では同じ正の字でも、音と訓の違いを使い分けている。

福建人を遠距離交易に巻き込んだのはアラビア人だろうと司馬さんは推定する。蘇州から福建人によって運ばれた絹織物がアラビア人によって西洋に運ばれた。この流れは陸に替って、海のシルクロードとなる。日本も律令制度の時代、官位のステータスとして、錦官服を大量に必要とした。当時、中国から大量の絹織物を輸入した。

蘇州は科挙全国最高得点者即ち状元が多く出たそうだ。この事実は、すそ野には膨大な知識層が学んでいたことを実証する。明朝滅亡に際して随分と多くの明人が日本国徳川幕府に亡命してきた。儒学者朱舜水、黄檗宗隠元そして岩国錦帯橋を設計した独立もそうだ。日本は亡命者に好意的だった。

話はまだまだどんどん広がり深まっていく。これが司馬さん街道をゆくを読む醍醐味である。

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