資本論第2巻講座 第2回 5月15

資本循環とはなにか  資本論第2巻第1篇第1章 貨幣資本の循環

(宮川先生の講義より)

国際競争力に響く を 口実にする 賃上げ抑制論


物価下落の逆指数である実質賃金上昇は経営を圧迫するか?

物価下落による労働者の手元の名目貨幣賃金の、物価下落による「実質上昇」は、賃金収入の側の循環運動に属すること、つまり、労働者にとって従来の賃金で使いかってにゆとりが出来たことの循環運動に属する事。資本の側の経営事情、資本循環事情とは切り離されている。

⇒企業外での個人消費生活に資本が口出しするのはよけいなお世話だ。


デフレ下の名目賃金不変は経営拡張を萎縮させるか?

経営方針は所与の賃金水準を前提に人件費計上されるもので、業績向上のために多様な要因、条件による様々な手立てが尽くされる。

⇒ 人件費要因だけをことさら針小棒大に取り上げるのは論理的詐欺・トリックだ


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(以下独学ノートより)

資本家は、貨幣でもって、労働力と生産諸手段を購入する。労働力の購入は、労賃の形態で、すなわち剰余労働を含む労働総量の価格として、支払われる。生産諸手段は、この労働総量を吸収するのに充分でなければならない。生産資本は、労働力の価値と、生産諸手段の価値である。これは貨幣資本である。労働力は販売されることによって、生産諸手段と結合されるやいなや、労働力も、生産諸手段とおなじように、その買い手の生産資本の1構成部分をなす。奴隷の売買も、その形態から見れば、商品の売買である。しかし、奴隷制が実存しなければ、貨幣はこの機能を果たしえない。 資本主義的生産は、商品および剰余価値を生産するだけではない。それは、賃労働者階級を、拡大再生産し、直接的生産者の圧倒的大多数を賃労働者に転化させる。 労働力の剰余労働は資本の無償労働であり、それゆえ資本家のために剰余価値ー彼にとってなんらの等価物も費やさない価値ーを形成する。それゆえ、生産物は商品であるだけではなく、剰余価値を身ごもった商品でもある。 資本とは、資本運動のことである。資本がさまざまな段階で身につけるーそして循環の繰り返し中にあるいは身につけ、あるいは脱ぎ捨てるー様々な形態、これが資本である。 資本は商品流通の部面から出て、生産部面に入りこむ。流通過程での資本機能は、過程の内容で生ずる変化ではない。価値は大きさの変化をこうむるのではなく、形態変換をこうむるだけである。 貨幣資本の循環は、産業資本の循環のもっとも一面的な、それゆえもっとも適切でもっとも特徴的な現象形態であり、産業資本の目的および推進的動機ーすなわち価値増殖、金儲け、および蓄積ーが一目瞭然に表されている。


不破さんの「ガイドブック 「資本論」全3部を読む」によれば、第2部のテーマは、恐慌にあるという。そこで、恐慌に関連するであろうところを、意識しながら読んだ。第1章貨幣資本の循環、第3節 第3段階 W’−G’ に、下記の如き記述があり、注意して読んだ。

G−W第1段階では、資本家は使用物品を本来の商品市場および労働市場から持ち去るが、第3段階W’−G’では、彼は商品を投げ出す。貨幣資本の循環は、決してG’では始まりえず、Gではじまいうるだけである。資本価値の前貸し形態として始まりうるだけである。G’が資本流通と剰余価値流通との2つの流通に分裂する限りは、したがって両部分が単に量的にのみでなく質的にも異なる機能を果たし、Gがgとは別の機能を果たす限りでは、確かに機能的意義を獲得する。貨幣資本、商品資本、生産資本の3資本は、産業資本はこれらの機能形態のすべてを3つともつぎつぎにとるのである。もし生産局面で停滞すれば、一方の側には生産諸手段が機能しないで横たわり、他方の側には労働力が商業しない状態におかれたままである。もし最後の局面W’−G’で停滞すれば、売れないで山と積まれた商品の流通の流れをせき止める。(原58p)


使用価値ではなく交換価値が運動の規定的自己目的であることを表す。価値の貨幣姿態が手でつかみうる自立的な価値の現象携帯であるからこそ、その出発点および終結点が現実の貨幣である流通形態G・・・・G’は、金儲け、すなわち資本主義的生産の推進的動機を、もっとも明白に表す、生産過程は、金儲けのための避けられない中間の環ー必要悪ーをしてのみ現れる。(それゆえ、資本主義的生産様式のすべての国民は、周期的に、生産過程の媒介なしに金儲けをなしとげようとする思惑(投機熱)に襲われる。(原62p)