定年後の読書ノートより
29、2月革命のなかでー新ライン新聞、東北大服部文男著、有斐閣
1848年2月パリに革命が起きる。マルクスは共産主義者同盟の指導者としてブリュッセルからパリに入る。マルクスは「ドイツにおける共産党の諸要求」なるチラシを作り、「共産党宣言」と共に、ドイツへの活動を開始する。しかし、ここではあくまでブルジョア革命の推進であって、民主主義的変革には、広範な人民大衆の運動との結合が不可欠でした。協会の設立と日刊新聞の発行に力をいれました。しかし当時は全ドイツ的規模で労働者政党を樹立することは不可能でした。マルクスが力を入れたのは、民主主義運動と直接に組織的に結びつき、その中で科学的社会主義の理論を労働者階級の中に持ち込む「新ライン新聞」を創刊しました。

1848年6月パリ労働者蜂起は、労働者の敗北に終りました。プロイセン政府は反革命に勝利し、「新ライン新聞」弾圧を始めました。マルクスは、資本主義的搾取の仕組みをプロレタリアに認識させるため、「賃労働と資本」を執筆しました。

マルクスはエンゲルスと共に、自由主義的ドイツ憲法の実現を要求しました。マルクスはドイツからもパリからも追放され、遂にロンドンに亡命しました。

マルクスはここで、「中央委員会の同盟員への呼び掛け」を出し、今回の敗北は大ブルジョアジーの裏切りにあり、新しい革命では、小ブルジョアジーの裏切りがあろうと指摘しました。しかし、この段階ではマルクスは革命はすぐに起きるものと考えていました。新しい革命は新しい恐慌につづいて起きるであろうと考えたのは、50年夏以降です。

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