定年後に読む資本論
17疎外された労働―経済学哲学草稿2、福島大畑孝一著、有斐閣
マルクスは経済学・哲学草稿の前半で、私有財産や労働と資本と土地の分離という国民経済学の諸前提に基いて、社会全体が所有者と労働者という2階級に分裂し、その労働者がみじめな商品になることを明らかにしました。ところが国民経済学は、その事実をそのまま受け容れてしまうので、私有財産の本質を解明しません。

マルクスは私有財産を生み出すもの、私有財産の主体的本質は労働であり、人間の活動であるととらえました。国民経済学は、私有財産の本質としての労働を、人間の活動の在り方として問いなおすことはせず、そのまま受け入れます。つまり、人間の労働を、人間活動の本来のあり方とみなします。私有財産を批判することなく受け容れるのです。

マルクスは、その労働をまさに疎外された労働ととらえ、それを人間活動本来の在り方ではなく、非人間的な在り方とみなしました。

だからこそ、私有財産を、人間を疎外し非人間化するものとして批判したのです。つまりマルクスは、国民経済学が事実としてとらえた私有財産の本質の労働を、人間活動本来の在り方からとらえ直し、それを疎外された労働としてとらえることによって、私有財産を、したがってそれが支配する市民社会を根底から批判できたのです。私有財産の主体的本質としての疎外された労働を4つの点で解明していきます。

最初が生産物の疎外、資本主義的生産のもとで、商品=私有財産となった生産物に対する、商品となった労働者の在り方。生産物は生産者から奪われて、他人のものとなり、生産者の自由とはなりません。対象を生み出すことが、対象を失いそれに隷従することになるのです。

対象化された労働者の力が対象のものとなって、労働者に対立するようになります。このように生産物と生産者との対立し背反した関係こそ、生産物の疎外です。労働の疎外は、労働者にとって労働が疎遠な活動になること、これは労働の疎外を引き起こす自己疎外という人間の在り方の2つの側面です。

この疎外された労働を、人間の類としての本質的な在り方からとらえ直したのが類的存在からの疎外です。類的存在からの疎外というのは、人間の本質的な在り方からの疎外のこと、私有財産が疎外された労働を生み出すばかりではなく、まさに自分の生み出したものによって生み出されるともいえる。

草稿の国民経済学批判は、国民経済学が前提とする私有財産を人間疎外の観点から批判する点では、エンゲルスの国民経済学批判大綱と共通していますが、その人間疎外が、大綱では商業における利己的な人間の在り方であるのに対し、草稿では資本主義的生産のもとで、生産物と労働から疎外される労働者の在り方だった。

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