定年後に読む資本論
14革命の都パリー革命家としての出発、一橋大良知力著、有斐閣
1843年マルクスは、新妻イェニーとパリに住む。マルクスが人生の針路を定めたのはこの時期でした。

パリでのマルクスは、共産主義者達と実践的な関わりを持っていきます。ルーゲと共に始めた「独仏年誌」は、財政的破産に追い込まれ、ドイツの友人からのカンパでパリ1年3ヶ月を過ごす。当時パリには、ドイツからの出稼ぎ労働者10万人が働いていました。ドイツ人労働者と亡命知識人で結成した秘密結社義人同盟は、1839年のブランキスト蜂起で壊滅的弾圧を受けましたが、左派分子は再起し、パリ、スイス、ロンドンにそれぞれ活動の場を移します。マルクスは、彼等を通じて、人類全体の運命の担い手としてプロレタリアートの存在を身近に実感する。この頃、ドイツ国内でも、シュレーゼンの織布工暴動が、ドイツにおける革命運動血の序幕を告げる。

シュレーゼン織布工暴動のルポルタージュを書いたのが、後にマルクスが「資本論」を捧げたブォルフである。

マルクスはパリ時代に、経済学だけでなく、プロレタリアートこそが、人類の普遍的苦悩を身に受けた身分であり、ドイツの革命の心臓であるとの方向性はつかみますが、社会が内部から変革していくための客観的条件は何か、それをフランス革命の中から学ぼうとします。

ここでマルクスは、ここで、政治的な国家、政治的普遍性が確立され、すべての公民は政治的に平等であり、同権であるとする国家の中に理想を求めるルーゲと対立していきます。ルーゲにとっては、シュレーゼンの暴動も、部分的困窮の表れにとどまり、普遍的問題とはならないのです。マルクスは社会革命の視点から、ルーゲを批判します。マルクスは国家は公生活と私生活の矛盾、普遍的利益と特殊利益の矛盾に基礎をおいている、つまり近代国家の基礎にはブルジョア社会の分裂が横たわっている。労働者は働けば働くほど、自分が隔絶されていく産業共同体こそ、深刻で普遍的な問題だと考えていきます。

マルクスにとっては、ドイツが非政治的な国家であればあるほど、ドイツにとっては社会革命が古典的使命として映ったのです。

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