定年後の読書ノート
私たちはどのような時代に生きているのか、辺見庸:高橋哲哉、角川書店
この対談は、1999年9月に東京新聞に12回のシリーズで連載された。当時辺見庸は、「1999年問題」として、第145通常国会で成立した「周辺事態法=ガイドライン関連法案」「盗聴法」「国旗・国歌法」「改正住民基本台帳法」に強い危機感を持ち、「堤防の決壊」という言い方を使って安保容認、改憲論議が市民権を得たと表現していた。

辺見庸曰く、今という時代に非和解的であるためには、ある種の執拗さ、頑固さが必要ですと。時につらくこともあるけれども、群れないほうがいい。そして辺見庸は、この本の最後・あとがきに、1938年「ペン部隊海軍班」として、日本から中国に出発した吉屋信子、浜本浩、佐藤春夫、菊池寛、吉川英治の写真を見ながら、なんだかみんな、晴れがましく、誇らしげな顔というより、喜色満面のように見える、ここには苦悩も、葛藤も翳りも彼らの顔にはないと言い切る。これが歴史というものではないかと辺見はいう。つまり、危機は、おおむね、実時間にあっては、はっきりそれと人に意識されない。それどころか、人は危機をさらに醸成していたりする。人は一般に愚劣な国歌的高揚にまったく無抵抗である。と。

いわく、資本主義はいわば、社会主義という敵がいてこそ存在可能だった。いまや資本主義はボロボロだ。資本主義は、ただ目的もなく自己増殖する本来の醜悪な姿をあらわにしている。

いつの間にか産業資本を金融資本が制圧し、つまり虚業が実業を席巻してしまい、社会の全域で道徳感の根本的退廃をもたらしている。そこに「修身」だの「日の丸・君が代」だの国家主義的価値観をもちこんだって、無理だ。なじまない。根源的には反倫理的でしかない投機を、“善”なることのように語るのがこの消費資本主義だ。グローバリゼーションとはこういうものです。と。

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