定年後の読書ノート

ケアを問いなおすー<深層の時間>と高齢化社会

広井良典(ちくま新書

プロローグ:ケアとは何だろうか

1、       超高齢化社会に入っていく日本にとって、重要な導きの糸となるのが、ケアである。人間とはケア(=引き合う孤独の力)する動物である。ケアはその過程を通じて、むしろ自分自身に力をあたえられたり、ある充足感、統合感が与えられたりする。

2、       本書は、ケアとはそもそも何かを考えていつものであり、ケアについては、臨床的・技術的レベル、制度・政策的レベル、哲学・思想的レベルの内容が論じられる。

第1章、  ケアする動物としての人間

1、       ケアの重要性は、人間が経験的に、素朴な形で昔から知っていたことであるが、ややもすれば、「知」に優位をおく近代科学の文脈のなかで、見落とされてきた。

2、       人間は「自我」「個体性」が発達した生き物である。動物の世界も利己的であるが、人間ほど「私」というものにこだわり、執着する傾向が強い生き物はない。

3、       生物の個体が生殖後ただちに死んでいくような単なる「子孫を残すための機械」ではなくなることが、この固体の「主体化」ということと実質的に重なっている。

4、       「親が子の世話をする」のは哺乳類一般に見られるが、人間の場合、「老齢期」が長いことから、「子が親の面倒をみる」ということが出てくる。これは人間固有の現象である。「高齢者ケア」は人間独自の問題である。

5、       「競争」を積極的に考える父性原理に対し、母性原理では「絶対的ともいえる平等感」ないし「一体感・共生感」である。母性本能では自己主張を強くしたりせず、全体のバランスを常に考えていく。

第2章:死は医療のものか

1、       死とはそもそもいったい何なのかという一番肝心の問題が論じられない。戦後の日本人は、とりわけ後の世代になるほど、「死に向き合っての、心のよりどころ」について一種の空白状態に置かれているのではなかろうか。

2、       ターミナルケアというと、アメリカやドイツではメディカルな傾向が強いが、イギリスではソーシャルサービスの伝統が強いので、医療ではなく福祉が引き受けている。

第3章:高齢化社会とケア

1、       生物の一生は、成長期、生殖期、後生殖期という3つに区分される。さまざまな生物の中で、生殖を終えた後の後生殖期が際立って長いところに人間の特徴がある。

2、       高齢化社会とは、人間の歴史の帰結として「後生殖期が普遍化する社会」ということになる。それは文字通り人間的な社会である。ここではケアが普遍化する社会である。

3、       日本では病院病床数168万に対し、特別養護老人ホームは23万人分である。迅速に「医療から福祉」への転換を図るべきである。

第4章:ケアの市場化

1、       最近の新聞は、経済関係の話題から非経済関係の話題に変わりつつある。経済の成熟化と高齢化の影響である。

2、       われわれはモノを消費するのではなく、いわば情報を消費する時代に突入しており、モノはそうした情報が込められた乗り物に過ぎないという見方が普及し始めている。

3、       モノの消費→エネルギーの消費→情報の消費→ケアの消費という重層的積み重ねが現代を表している。ケアという領域は、消費社会の最後に残された、最大の消費分野である。

4、       それまで家族の中で行われていた営み、あるいは家族が担ってきた機能を、次々に外部化してきたのが経済社会の歩みであった。教育も然り、老人の経済的扶養は、家族内から次々に外部化してきた。それを補うために整備されてきたのが、社会保障システムである。

5、       現在なを残されている高齢者の介護や、心のケアも外部化されようとしている。そもそも人間にとって家族がケアという関係の原型である。

第5章:ケアの科学とは

1、       科学革命が近代ヨーロッパを生んだ源泉であり、それに比べれば、ルネサンスや宗教革命などはヨーロッパのエピソードに過ぎない。

2、       近代科学というものは、圧倒的に物理学を中心に、あるいは物理学をモデルに展開してきた。

3、       医学は長い間、まったくの当て推量と粗野な経験主義に基づいてきた。非科学性こそが、これまでの医学に独特の魔術的性格や不可知ゆえの権威、あるいは職人芸的な属人性を与えた。

4、       現在の医療はあらゆる局面で、サイエンスとしての医療が、ケアとしての医療と出会い、反転を余儀なくされている。高齢者ケア、介護、長期ケア。老人の身体機能は不可逆的に低下していくものであり治療は本来的に無理である。

5、       ターミナルケアでは一秒でも長く生を持続させるという延命医療ということが、近代医学の帰結になっている。遺伝子治療は、治療技術の方が確立されるのは、数年先である。このため、治療なき医療である。

6、       医療:福祉:心理:教育といった諸分野を、異なる制度としてばらばらにとらえるのではなく、ひとつの視野の中で見渡すケアの科学が求められている。

第7章:<深層の時間>とケア

1、           老いと死をどのようにとらえるか。いったい人間にとってケアとはなにか。

2、           「直線としての人生イメージ」は、進歩や上昇に支えられ、人生は限りなく進歩成長を続けていくべき、上昇する線のようなものとしてイメージされる。こうしたライフサイクルイメージのみで、人はやっていけるのか。

3、           こうしたイメージでは、老いは不可避的にネガティブなものとなり、老いというものに正面から対峙するのが精神的にきわめて困難になる。このイメージは一秒でも生の時間を長くすることに絶対的な価値を与え、死を敗北とする延命医療と世界観を共有している。死そのものは不可避である以上、つまり敗北が避けられないものである以上、矛盾は増幅するばかりである。近代の産業化社会を支えてきたのはこの世界観、人生観であり、近代社会が死を封印したとも言える。

4、           「円環としての人生イメージ」は、生まれたときから大きく回ってまたもとの場所に戻るプロセスであり、自分が生まれる前は無であるから、死はある意味では同じ場所への回帰である。従って、老いや死ということも、直線としての人生イメージより受容しやすいものとなろう。このイメージの底には、さらにもっとも深層としての世界が存在している。

5、           われわれの日常は「カレンダー的な日常」に追いまくられているけれど、生は深層の時間に支えられ、はじめてエネルギーを得ることが出来る。深層の時間との直接的な接触と、それを通じて新しい力を得、癒される。

6、           私たちが、自分の自我の世界にとどまるかぎり、時間は限りなく直線としてのみ存在し続け、死はその先の端的な無、墜落としてしか存在しない。深いケアの関係こそは、そうした自分の自我の殻からいったん解き放ち、生がそこから生まれ出た場所である深層の時間へとわれわれを導く。ターミナルケアの本質とは、そのような魂の帰っていく場所を探し出し、共に確かめる営みにこそある。

エピローグ:

1、       死は、ケアのひとつの終わりでありまたひとつの始まりなのである。なぜなら、私たちの生は深いところで死とつながり、死者へのケアは、私たちの生を根底において支えているのであって、私たちは生の深部にある深層の時間を死者たちと共有しているからである。

2、       そしておそらく、私たちがこれから迎える高齢化社会は、死や時間や老いの意味とともに、そうしたケアの新しい意味を問いなおす時期であると思えるのである。