定年後の読書ノートより

共産主義的人間、林 達夫著、中公文庫

1951年「文芸春秋」に掲載。チェコ事件はもとよりスターリン批判より6年前にこの論文が発表されたという時系列をまず認識したい。本文の主内容は、自国ナショナリズムを強調する一方では同盟諸国のナショナリズムをますます否定し自国優先するソ連には民主主義がない。民主主義を否定する社会主義なんて、信用できるものではないというのが林達夫氏の論理。

氏を評して、当時の日本の社会的状況、知的戦場十字砲火の真っ只中にさりげなく散歩に出るような、したたかさ、知的柔軟性を巻末評者は絶賛。ここではもう少し、林達夫氏の論理をまとめたい。

 

どぎつい政治的宣伝というものは、たといその中に幾分の正しさを含んでいても、やりきれない心理的攻撃である。真の民主主義は、理性的判断を必要とする。ブルジョア社会の観察や批判にかけて実に鋭い切れ味を示す共産主義者にして、事、己の陣営のこととなると大甘な評価能力しか発揮できないのは何故だろう。科学技術史まで自国賞賛に書き換えるソ連にして、チェコの愛国者崇拝を徹底的に誹謗する同盟諸国軽視、無視のイデオロギーはどこから来るのか。スターリン崇拝は正に宗教化している。万年非常事態を叫び続けるソ連こそ帝政的社会風土ではないのか。かって野呂栄太郎の如き共産主義的人間と現今の政治ボス型共産主義的人間とは雲泥の差がある。政治ボスが君臨するクレムリン。

共産主義者というものは、一旦政権を獲得すると、それから先は彼に反対することは犯罪であるとする人種なのか。もしそうならばそこには人間の最も人間らしいものはない。抽象的人民の愛の為に働き献身することはたやすいが、普通の人間の重要さを尊重し、生きた市民の幸福と安泰を具体的にはかることはいかに至難の業であるか。我々は、何十万の秘密警察の鬼の手先どもが、最も典型的な共産主義的人間のタイプであるという厳たる事実に深い関心を払わねばならない。

 

以上の如き林達夫氏指摘の世界情勢をやがてソ連すらも自認するようになったが、1951年当時の進歩的知識人と言われる人々はどのように林達夫氏を評価していたのだろうか、興味深いところである。

 


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