66歳の読書ノート

座談会 昭和文学史 プロレタリア文学
 井上ひさし、小森陽一、小田切秀雄、島村輝、集英社

座談会は井上ひさし、小森陽一に加えて、小田切秀雄、島村輝の4氏。「プロレタリア文学」とは、すでに死語となっているが、無産者、労働者の文学という意味。文学史上の言葉であり、1921年雑誌「種蒔く人」に始まり、1934年「プロレタリア作家同盟」の解散で終わる13年間をいう。

この運動には、それぞれの人の関わり方によって関係度は違うが、近代文学とプロレタリア文学との関わりを先ず明確にせねばならない。特に文学の側からの社会改革への関わりを明確にすること。

ここに前衛の問題が浮かび出てくる。1922年非合法下の日本共産党成立が大きな時代背景となる。ごく少数の神秘化された存在。

「種蒔く人」の後継誌「文芸戦線」が築いた1924年から1932年までの8年間の役割は大きい。インテリの築いた啓蒙運動。そして小林多喜二の登場。共産党の公然たる登場。大きな衝撃だった。

闘う運動の中で小林多喜二の実践は重要だ。当時の抵抗運動のすごさを大衆に初めて明らかにした。その中心には前衛・日本共産党があった。

この本の資料として、小林多喜二の拷問で殺された姿態の壮絶な傷跡や、多喜二の母セキが多喜二の遺体を抱きしめる悲痛な写真を眼にするだけで、プロレタリア文学というものが如何なる歴史をたどったか、読者にはもう言葉は要らない。

その多喜二を導いたのは、蔵原惟人の指導理論「プロレタリア・リアリズムへの道」であった。しかしプロレタリア文学における「愛情の問題」「女性の人権」「性愛の問題」における時代の限界性は今日では大きな批判的対象のひとつである。

中野重治、徳永直、葉山嘉樹、林房雄等が取り上げられているのに比し、宮本百合子、宮本顕治の2人がこの座談会では多く取り上げていないのは、出席者小田切秀雄のせいかなのか、少し残念に思う。

最後に小田切の次の言葉が転向に関して、考えさせるテーマを投げかけている。

「一般に転向というと、心ならずも屈してまったく別な方向に移るという場合が多かったけれど、実際は、有効なきちんとした移り方があるはずだ、ということが十分自覚されないままできた、そこに悲劇が生じた。弁明から自己肯定、居直りというものをとりあげたのは、中野重治だけだった。その背後には、国家権力による過酷な弾圧に屈し、人間としての普遍性を捨てて、日本固有の農本主義と素朴な天皇崇拝をくっつけた日本人全体の集団転向があった。」

最後に、当時のプロレタリア文学の発掘はまだまだこれからだとする井上ひさしの発言は注目したい。

 


ここをクリックすれば表紙に戻れます。