感動のTVドキュメント

二人の旅路  日中激動を生きた京劇夫婦  201131BS-Hi ハイビジョン特集  

このTVを観た後、一夜興奮して眠れなかった。涙がとめどもなく流れ、枕をぬらした。

1945年8月6日、麻里さんの両親は敗戦直前の上海で結婚した。父は東京大学卒業、三菱商事武漢に勤めるエリート社員、母は裕福な20歳の中国人美女、しかし7日後日本の敗戦、1946年父は強制収容そして日本へ強制送還、その後は消息不明、中国人の母も日本人と結婚した罪で2年間の投獄、柴田麻里さんが10歳になった時、母は人々から素性を隠し中国東北部の貧農へ再婚、その後、柴田麻里は柴麻里と中国名に改名し、京劇女優になった。

しかし、あの文化大革命の真っ只中、麻里は日本人の子であることが暴かれ いじめられ、傷つけられ、紅衛兵にも選ばれる事はなかった。そんな苦しみの中で、京劇名優梁さんと出会い 恋愛・結婚。しかし、2人は一緒に住む事も許されず、3年間の別居。再び、麻里は素性を隠すように、西の果て、遼寧省に移り 夫婦で京劇に徹する。

夫 梁さんは 国家1級演劇家として、将来を期待されたが、日中国交回復後、中国残留孤児として妻の麻里さんは、京劇仲間から「日本に帰れ」と、苛められ 激しい追い出し環境に耐え切れず、とうとう2人は日本に住む事になる。そんな中、父はウルグアイで亡くなったと知る。

もう日本での親族発見も叶わず、福岡市の残留孤児仲間と一緒に住むうち、柴田麻里さんは身体を壊し、始めた中華料理店も閉店に追い込まれ、日本政府の僅かな援助金で、貧しい2人の生活は続く。そして昨年、麻里さんの母親は亡くなり、母の散骨と、梁さんの京劇記念講演の為、再び遼寧省に向う。

2人の長い、辛い人生を象徴するような、大地を走る列車の窓から見る夕焼けの空は遠く霞んでいた。あの日中激動の下に、押しつぶされていった2人の人生、なんて哀しい人生だ、しかし誠実な夫と、美しい妻の愛情は今も、2人の人生を 格調高く 結びつけている。美しい2人の後姿はいつまでも忘れられない。素晴らしいハイビジョン特集であった。

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