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映画「プラトーン」を観て       BS1    2・12放映

TVで 映画[プラトーン」を始めて観た。3年前に 矢張りベトナム戦争をテーマにした「地獄の黙示録」という映画を観た記憶はあるが、この映画「プラトーン」も そして「地獄の黙示録」も 映画のストーリも 俳優も 監督も 自分には全然関心がないし、興味もない。しかし あの密林の奥深くアメリカ兵士がベトコンを相手に戦っていたという事実を映像であらためて確認し、むしょうに興奮し、何か書きたくなった。


まさに、アメリカ青年にとってはベトナム戦争は地獄であった。アメリカには何の正義があったのか。共産主義拡大を阻止するドミノ理論に基づき、ベトナムで叩かねば、世界中が共産化するっての恐怖なのか。一体そんな屁にもならない理屈を権力側がいくら振りかざしたって、誰がまともに信じ、馳せ参ずるものか。誰もが 「俺達は何故戦わなければならないのか」 と自問し、苦しんだに違いない。


この映画「プラトーン」では「戦争は、敵との戦いだけではなかった。我々の中との闘いだった」と 主人公が最後につぶやくが、この映画のテーマは 結局そんなところにあったのかも知れない。「中」とは、内部とも、仲間とも、自己とも、如何様にも受け取れる。


何の為のベトナム戦争なのか、こんな初歩的な問いすら、ベトナム戦争に関する限りは成り立たない。従ってベトナム戦争の映画を作るのも、極めて難しいと思う。アメリカには全然正義も、哲学も無かった。誰がアメリカの正義や哲学など信ずるものか。アメリカの正義や哲学など、映画のテーマにも出来ない不合理な理屈に過ぎなかった。屁理屈とはこのことだった。


しかし、密林の奥深く、暑さと、湿気に悩まされ、何処から敵の弾が流れ飛んで来るかと、常に恐怖の中にあり、アメリカが頼れるものは正義ではなく、物そのものしかなく、兵士の集団恐怖心を刺激し、仲間が殺されたから、敵を殺すという報復論理だけを頼りに、資本主義で積み上げた無限の物量だけに頼って、敵への報復心をかてに、誰もが敵に銃を向けるだろか。そんな正義が貫けない泥沼戦争では、殺す相手は、兵士のみならず時には民衆であり、何も知らない婦女子が的になるのだ。アメリカ青年達は本当に苦しかったに違いない。良心や、哲学なんて、もうアメリカ青年には全然持てなかったに違いない。アメリカ青年の哀れさに同情さえしたくなる。馬鹿なアメリカ。憎むべきアメリカ。しかし、今もアメリカ兵士は沖縄に居て、沖縄市民に乱暴の限りを尽くす。


もし、自分がアメリカ青年だったら、戦争に反対し戦線から離脱する勇気があるだろうかと疑わしくなる。戦争に反対するのは難しいだろうな。しかし、自分はベトナムで銃を取ること、すなわち自己の行動正当化など絶対にできない。アメリカは間違っていると常に心の中で叫び続け、銃を握ることなど出来ない。


いま、日本国憲法第9条を改定し、日本軍をアメリカの手足として戦争に引き込むことを権力側がうごめいている。この映画を観て、戦争に真正面から抵抗出来ない自分ならば、せめて、憲法改悪阻止に自分の生涯をかけて闘い続け、戦争を食い止めなければと思う。これからも憲法9条を守る闘いには大いにカンパをして、憲法擁護の闘いを支援したい。憲法擁護の集いには積極的に参加していこう、自分は戦争が起きたら、もう手も足も出せない弱い人間なんだから。せめていまこそ絶対に戦争反対を掲げて頑張るのだ。憲法を守り、戦争に反対しよう。

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