富士山に集う



2003年
12月21日 組曲 「富士山」 をどう歌うか 【多田武彦先生のコメント】
12月16日 今回の演奏は永久保存版ですね 【多田武彦先生のコメント】
12月13日 富士山に集う
 





 

組曲「富士山」をどう歌うか

【多田武彦先生のコメント】

 

加 藤 良 一 (男声合唱団コール・グランツ)

 

 前回は多田武彦先生にYARO会の演奏を誉めていただいた話しをしたが、今回はさらに踏み込んで楽曲の解釈や演奏の仕方についてお伝えしたい。 多田先生は、電話口でいつも歌いながら、ここはこうだと説明してくれるのでたいへんよく理解できるが、それを言葉に置き換えるのはなかなか容易なことではない。音楽を言葉で表すことの困難さはいまさらいうまでもないことで、どこまで適切にお話できるかいささか心もとない。言葉が足りない部分は感性で読んでいただく か、紙背を透かしていただくとか、あるいは行間から読み取っていただくことを期待したい。
 今回は電話でのやりとりだから細かいところまで触れてはもらえず、とくに気の付いたポイントのみというところであろうか。触れていない箇所は何もなかったということにはならないので、 念のため。

 

1.作品第壹 (第一) Moderato
 18小節目から m eno mosso(平均にゆっくりと) で入る「夢見るわたくしの富士の祭典」の部分では、トップテナーの柔らかく伸ばされたD () にセカンドテナーとバリトンが3連符の上行音階でメロディを乗せてゆく。この形はほかにも83小節と113小節に出てくるが、 ここは草野心平の詩にもとづいて変化をつけてある大切な箇所である。しかし、それぞれの味わいのちがいを適切に表現してくれる人は多くない。その点、YARO会の演奏ではちがいがよく表現されていて作曲家としてはありがたい演奏だった。 小高先生はよく理解してくれている。

 

2.作品第肆 (第四) Moderato
 この曲は全体的に及第点である。とくに言うことはない。

 

3.作品第拾陸 (第十六) Allegro vivace
 Andante から Moderato に変わって42小節からはじまる「上天に金隈取 (
きんくまどり) の雲一点」は全部で4回繰り返されるが、大方の合唱団ではこの箇所でワッと騒いでしまう。騒ぐとは、つまり声を張り上げて歌ってしまうということ。この部分は、 黒富士の背景に夕陽が落ちてゆき、刻々と空の色が移ろってゆくさまが 表現されている。元気よく歌ってしまっては、陽が落ちてゆく最後の輝きの叙情性が掻き消されてしまう。

 その点YARO会の演奏は、富士の最後の輝きとでもいうべき「上天に金隈取の雲一点」が残る風景をみごとに歌っており、叙情性がよく出ていた。

 

4.作品第拾捌 (第十八) Allegretto con fuoco
 この曲は組曲のなかでもっともむずかしい曲である。
 出だしの「まるで紅色の狼煙のように」の部分は「語り」 だから、あたかも謡曲のように語るべきところであり、軽やかにさらっと歌うところではない。続く13小節から「豊旗雲は満々と燃え その下にズーンと黙
(もだ)す 黄銅色の大存在」で景色地形を説明している。

 

 そのあとに続く22小節「まぶしいぬるい光に浮かぶ数数の」は、あたかも金管楽器のような輝き brillante をもって歌うようにパッと変らなければいけない箇所であるが、いまひとつその輝きが出ていなかった。さらに26小節からはじまる「豊旗雲のその下の 地軸につづく黄銅色」から最後にいたるまでがメロディであり、とうとうと歌う箇所となっている。

 この曲はこれら四つの組み合わせで作ってあるが、残念ながらこれをマスターする合唱団はすくない。詩の読み込みが足りない からである。YARO会は、声はみなしっかりしていただけにもったいないことだ。

 

5.作品第貳拾壹 (第二十一 宇宙線富士) Allegro assai
 この曲は明るく歌ってよい。しかもあまりゆっくりでなく。冒頭の「平野すれすれ 雨雲屏風おもたくとざし」は f で速く Allegro assai と指示してある。あたかもチューバやトロンボーンが吹くように低いところからじょじょに高まってゆくと、音として面白いものとなるのだが、詩にとらわれ過ぎると終曲としての妙味がなくなる。ここを失敗する人はけっこう多い。合唱は詩と音楽の複合芸術だからどちらか一方に傾きすぎてもいけない。今回はやや詩に傾きすぎたきらいがある。
 終曲ものっぺりやられると聴いているほうはいやになる 。そこで終曲はストラビンスキー的に作ってあるのだが、YARO会の演奏は草野心平の詩に寄りかかり過ぎたと思う。

 15小節から「その絶端に」を繰り返し、ff の「いきなりガッと」までゆき、ガラリと雰囲気を変えて「夕映えの富士」と宗教的な敬虔さを表してある。ここは一気に駆け下りる感じがよい。そこから40小節「降りそそぐそそぐ 翠藍(すいらん)ガラスの大驟雨(だいしゅうう)」へ入るとエンディングが決まる。
 よく失敗する例として70〜71小節「夕映えの富士」でリタルダンド(だんだん遅く)して しまう箇所がある。YARO会はここで poco rit. (わずかに遅く)していた。むしろここはインテンポでもっていって、73小節「降りそそぐそそぐ」でちょっと遅くするだけでよい。そうでないと二重に遅くすることとなり、あとの意味がなくなる 。指揮者や歌っている人はリタルダンドしたくなるのかも知れないが、それでは音楽がダレてしまう。

 poco rit.するのは、そのあとが駆け上がるような流れになっている場合が多い。ベートーヴェンの五番や九番の最後のようなケースがその例である。

(2003年12月21日)

 


 



今回の演奏は永久保存版ですね

【多田武彦先生のコメント】

 

加 藤 良 一 (男声合唱団コール・グランツ)



先日、作曲家の多田武彦先生にYARO会のジョイントコンサートを録音した2枚組CDをお送りしたところ、昨日早速ご感想をお聞きすることができた。電話で40分ほどの話しだったが、良い点悪い点それぞれについてご意見をうかがうことができた。

多田先生によれば、先生が知るかぎり今年は全国で10回くらい「富士山」の演奏があったそうだが、そのなかでもお世辞抜きでまちがいなくベスト3に入る傑出した演奏だったとのこと。その理由は、まず声が良いこと、そして曲を正しく理解して丹念に創り上げて歌っていたことなどがあげられる。もちろん課題もいくつかあるが、それらを総合してもよい演奏だったとのこと。

埼玉会館は古くて響きがすくないからちょっと心配している、とあらかじめお伝えしてあったことに触れて、みなさんは埼玉会館は響きがすくないと心配されるが、録音状態を聴くかぎりそんなことはない、むしろよくとれているといってもよいほどの出来である。むかし関学がよく使っていたはずで、けして悪いホールではない。
 マイクは、舞台前方、指揮台よりもやや客席寄りに左右一対に置かれていた。高さは床から1メートルほどだった。多田先生の見立てでは、マイクの設定やミキシングの具合をみても、ホールの特性を考慮できるかなりの人が録音したはずだという。埼玉会館は響きはたしかにすくないかもしれないが、その分へんな残響がなく音響的にはよいホールである。記録としてはたいへんよい状態であり、今回のCDは永久保存版じゃないですか、とうれしいことを言っていただいた。

多田先生は、まず「富士山」を聴き、それから5団体の演奏を順次チェックした。各合唱団ともさまざまな特長があり、長所短所についてちょっとしたコメントをいただいた。全合唱団に共通しているのは、まず声がいいということで、この点はあるていど自信のようなものがあったが、あらためて指摘していただけるとやはりうれしい。
 各団をひとことでいえば、ドン・キホーテはそこそこ声は出ているが日本民謡としてはもうひと工夫ふた工夫の余地がある、イタリア歌曲を歌ったイル・カンパニーレは声はよいが、ピアノがじつに光っているので歌がついて行っていない、コール・グランツは声がいいとはいえないがハーモニーは5団のなかでもっとも良かった、ハーモニーをわかっている人が多いのだろう、ポップスのメンネルA.E.C.は声のいい人がいるがポップスとしてはいま一歩、シーシャンティを歌ったあんさんぶる「ポパイ」は声のいい人が集まっているだけに、シャンティものの歌いかたをマスターするともっとうまくなる。

けっきょく「富士山」がうまく仕上がったのは、これらの合唱団がそれぞれの良さを持ち寄った結果で、ひじょうに良い答えが出たといえる。結果はじつに理路整然としている。一体化した演奏の答えがきちんと出たものである。

多田先生の話は、さらに「富士山」の内容に踏み込んでいった。いつものことであるが、楽曲の説明になるとご自身で歌いながら具体的に話されてゆく。今回はこちらも一所懸命取り組んだ曲であるから、お話のすみずみまでよく理解でき、あらためて「富士山」のむずかしさ楽しさを思い知ったところである。

(2003年12月16日)





富 士 山 に 集 う

加 藤 良 一  (男声合唱団 コール・グランツ)

 

 YARO会は、たいへん多くの方々の力が結集されたプロジェクトである。
 代表はいうに及ばず、指揮者、副指揮者、ピアニスト、技術系スタッフ、マネージメント系スタッフなど、みなの力が結集したからこそ仕上げることができた。そもそも5団体の何ら関係のない合唱団が集まってひとつのことをやろうということ事態容易なことではないはずだが、そこは男ならではの世界である。役割分担から始まって、進捗管理、合意の取り付け、 そして実施へと作業がスムーズに進められた。もちろん予想されたトラブルらしきものがないわけではなかったけれど、それとて合理的友好的に解決していくことができた。

 さて、ここではこれまであまり人目に触れることがなかった方々の活躍振りを紹介したい。YARO会の運営陣は大きくふたつに別れている。ひとつは合唱そのものにかかわる技術的な仕事を受け持ち、もういっぽうは、その合唱を実現させるためのもろもろを担当するいわゆるマネジメント係りである。
 技術系は、選曲、ステージ構成、実際の指揮指導など音楽に関する専門的技術や指導力が要求される。かたやマネ系の仕事は、音楽を完成させるために必要な環境作りが中心となる。会場や日程の設定、プログラム作成、チケット作成や販売、著作権の申請、予算管理、果ては昼飯の心配やら打ち上げの手配まで際限がない。有り体に言えば何でも屋なのである。気が利いていて何でも先回りしてそつなくこなせる人材でないと務まらない。
 プロのアーティストのマネージャは、契約のなかでかならず「アゴ・アシ・マクラ」がどうなっているか確認するという。いわゆる業界用語だが、アゴとは食事のこと、アシは文字どおり交通手段、マクラはホテルなどの宿泊手配を表している。つまりステージの上以外のすべてがマネ系の担当なのである。うまくいって当たり前、混乱させでもしたら白い目で見られてしまう。そんな辛い仕事を引き受けるような奉仕精神に富んだ奴がいるかと思われるかもしれないが、世の中広いもので、YARO会には自慢すべき優秀なマネージャが二人もいるのである

 一人は事務局担当のメンネルA.E.C.森浩さんで、この人はYARO会立ち上げまでに中心的な役割を担ってきた。その森さんと二人三脚で推進エンジンとなった人が,広報担当のあんさんぶる「ポパイ」関根盛純さんである。お二人とも合唱に造詣が深いうえに、所属合唱団において欠くことができない歌い手でもある。
 100人近いメンバーをいかに快適に練習させるか、練習のあとの飲み会をどこにするか、出された難問珍問をどう処理するかなど、歌って帰るだけの人にはわからない縁の下の地味な仕事は、けっこうたいへんなものなのである。しかし天与の才能とでも表したらよいのか、本人たちはあんがい楽しみながらやっている節もある。ついついそれに甘えてお任せしてしまう。
 森さんの主な任務は、業者対応、スタッフ手配等の係り、練習会場の手配や本番会場埼玉会館における段取りであったが、本番が終わった会場で最後まで後片づけに奔走していたので、隣りのビルの打ち上げパーティ会場へはずいぶん遅れて現れた。
 さて、もう一人の関根さんは、チケットやちらし等印刷物作成にずいぶん苦労された。持ち前の慎重かつ緻密な神経をすみずみまで行き渡らせて、ちらし、プログラム、チケットなどに才能をいかんなく発揮してくれた。この陰には、じつはもう一人忘れてはいけないスタッフがいる。その人は、デザインの仕事(鰍vAY企画事務所)をされている山岸勝信さんである。あんさんぶる「ポパイ」の所属だが、残念ながら仕事の関係で本番ステージに立つことはできなかったが、とにかく信じられないくらい損得抜きでデザインから印刷まですべて破格の値段で対応してくれた。YARO会のチケットのひとつとっても、その気合の入れようが窺われようというものである。ご覧いただければわかるが、チケットというよりすでにそれだけでチラシの内容を備えているという豪華版である。

 

(2003年12月13日)

 

 


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