略 歴



多 田 武 彦 記

201428


 1930
(昭和5年)

1122日、大阪市南区(現在の中央区)に生まれる

 祖父が創業期の松竹株式会社の役員をしていた関係で、初孫の私にも将来、興業の仕事を継がせようと考えたらしく、私が小学2年生の頃から歌舞伎、映画、各種演劇、浪曲、寄席芸能、邦楽、演歌、民謡などの見聞を命じた。 


 1943
(昭和18年)

大阪府立今宮中学校(現在の今宮高等学校)に入学

 小学校時代に興味を示し始めた歌舞伎や映画等にも、ますます深入りし、また戦後急速に拡がった西洋音楽にも関心を持ち、将来は映画監督となりミュージカル映画の作制を志し、作曲や指揮に必要な「和声学と楽式論」の習得を独学で始めた。


 1947
(昭和22年)

旧制の大阪高等学校に入学

 旧制中学は5年で卒業だが、中学4年の修了段階で運良く旧制の大阪高等学校に合格した。入学直後合唱部に勧誘され入部したものの、合唱の良さはよく解からなかったが、1949年(昭和24年)、関西学院グリークラブ50周年記念合唱音楽会を聴き、水墨画のようなア・カペラの男声合唱の美しさに感動し、人間の声だけでこんなに素晴らしい音楽が出来るのか、と驚嘆した。


 1950
(昭和25年)

京都大学法学部へ入学

 直ぐ京都大学男声合唱団に入団。その年の秋には、先輩の指示で指揮者となった。直後の関西合唱コンクールでは、京都大学男声合唱団が初めて三位に入賞、翌年には二位に入賞した。この年の12月に大阪で「作曲家・清水脩作品発表会」が開催されることになった時、京都大学男声合唱団が前座を務め、清水脩の名作である男声合唱組曲『月光とピエロ』を歌ったのを機に清水脩先生との交流が始まった。

 しかし、私が大学を卒業する前年の1952年(昭和27年)は、朝鮮戦争終結後の不況に加え、学制改革に伴う旧制・新制大学の同時卒業を翌年に控えて、就職戦線は大変な状況にあった。「弟三人が未だ学生であるのに、長男が就職浪人にでもなっては…」と危惧した両親の説得もあって、就職試験を手当たり次第に受け始めた処、運よく富士銀行(現・みずほフィナンシャルグループ)への採用が決まった。


 「就職先決定の報告と、それまでのご指導のお礼かたがた、卒業を期に、就職の報告かたがた、この機に音楽もやめる」意向を清水先生に伝えに参上した処、「日曜作家としてア・カペラの男声合唱曲を少しずつ作書いていったらどうか」と勧められ、日曜作家としての作曲活動が始まった。


 1960
(昭和35年)

男声合唱曲 「雨の来る前」 が全日本合唱コンクールの課題曲に入選

 銀行に入行してみて驚いたのは、同期生の大部分が「俊秀で、スポーツマンで、体力があって、酒にも強い」ということだった。これらのすべてに劣性の私には、とても勝ち目はないと気が付いたとき、私は「人が望まない仕事」「何か人助けになる仕事」を探し始めていた。


 1963
(昭和38年)
混声合唱組曲 『京都』 で芸術祭に参加、文部大臣奨励賞を受賞

 医療に従事する人たちが、予防医学と治療医学を駆使して病人を助けるのと同じように、何らかの原因で業績不振になった企業に対しても、問題点の早期発見と適切な措置を実施すれば倒産しなくても済む。倒産がなければ、従業員とその家族は路頭に迷わなくて済むと考え、銀行勤務期間中は、会社再建のエキスパートとなり、多くの融資先や出向先の会社を、人員整理することなく、救済または再建することができた。

 お陰で、学生時代苦手だった六法や労働三法を勉強し直すことが出来たし、企業会計原則、財務諸表規則、証券取引法(現・金融商品取引法)、法人税法等にも強くなった。また独自の「財務分析手法や長期計画手法」も開発出来、実践的行動力に長けた多くの有能弁護士のかたがたから「実践的判断力や実践的推進手法」を学ぶことが出来た。

 これら「多田メソッド」は平成の時代に入ってからの不況の際、国内外の経営者、経営コンサルティング、経営評論家の要望に応えてきた。特に諸外国のかたがたとは、京都、奈良の神社、仏閣、名庭を案内し、親交を深めることも出来た。

 これらのことが切っ掛けとなって、諸外国の人たちから、西洋音楽について多くの事柄を聴取出来ることになろうとは思いも寄らなかった。このうち、西洋音楽に特に詳しいドイツ、オーストリア、イギリス、フランス、ロシア、アメリカの各国の人たちから次あげるような事柄を聴くことができた。

  1. 西洋音楽の歴史
  2. 幼少時から讃美歌や民謡に聴き耳を立てて、自然に音楽の基本を習得するという話
  3. 建築と同様、作曲家=設計者、指揮者=棟梁、演奏者=名工の三位一体による名演奏への道
  4. 各国の超一流指揮者、演奏家、交響楽団などの特長や練習方法
  5. 指揮者の方を見るよりも、一人ひとりが自ら演奏しながら、同時に共演者の演奏に聴き耳を立てて、全体のアンサンブルを確立してゆく見事さ
  6. 西洋音楽の構築性主要4項目(リズム、メロディ、和声学、楽式論)と装飾性主要四項目(デュナーミク、アゴーギク、フレージング、コロリート)の駆使
  7. 声楽の場合は「声区の移動」についての知識と技術の習得の重要性


 2014
(平成26年)

83歳の今日までに100近くの合唱組曲を創作

 生来の虚弱体質の上、主治医からは長距離の移動や長時間の講演などを禁止されており、男子平均年齢からすると余命いくばくもないので、唯一主治医から許された合唱作品の創作のほか、これまでの経験をもとに下記のようないくつかの提言やテキストなどを書いている。


 

 西洋音楽の指揮に関する提言

 アンサンブル上達のための練習方法

 合唱音楽に関する効率的練習方法(第三版)

 山田耕筰先生からの薫陶

◆ 話し方の基本






多田武彦<公認サイト>Topへ       Home Pageへ