真 夏

加 藤 良 一


 

 今年の夏は凄まじい猛暑が続いている。近年めずらしいほどの異常気象である。こんなときは家の中で静かにしているのが賢明にちがいないが、なにしろいろいろお声がかかるので休みの日はしょっちゅう出歩いている。
 7月後半から4回コンサートに足を運んだ。内容は合唱が3回、器楽が1回だが、それぞれに楽しめるものだった。あまり踏み込んだことを書く余裕はない、ほんのすこしだけ気がついたことをレヴューしてみたい。

春日部市民合唱祭
      
   春日部市民文化会館 7月18日(日)
ニューヨーク・シンフォニック・アンサンブル コンサート
      
   東京オペラシティホール 7月23日(金)
前橋男声合唱団 第3回演奏会
      
   群馬県公社総合ビル1階ホール 7月24日(土)
埼玉第九合唱団 第62回演奏会
      
   大宮ソニックシティ大ホール 7月25日(日)

 

 

春日部市民合唱祭  春日部市民文化会館


 春日部市合唱連盟は、昭和59年(1984)12月に発足、今年でちょうど20年目を迎えた。
 理事長の大岩篤郎氏は、埼玉県合唱連盟の副理事長でもあり、いくつかの女声合唱団と男声あんさんぶる「ポパイ」の指揮者をしている。
 22回目を迎えた今回の市民合唱祭は、春日部にとどまらず近隣の町からも出演する団があり輪がひろがっている。これは市町村の合併の流れとも大いに関係していることであろう。
 ポパイがミュージカル<ラ・マンチャの男>をこの合唱祭で歌うという情報を聞いたときから、これは見逃せないなと思った。<ラ・マンチャの男>は、かなり前にコール・グランツでも歌った(もちろん和風英語だが)ことがあり、いささか思い入れがあるからだ。果たしてポパイはどのような 演奏で楽しませてくれるのか、大いに興味が湧く。おそらくこの曲は、最近とみに実力がついてきたポパイにぴったり合っているにちがいない。やや気にはなったのは、まだ練習中の曲だから仕上が りがいまいちとの事前情報であった。

 ポパイのメンバーは、ロゴマーク入りの白いTシャツとコットンパンツ、白いデッキシューズ というセーラーマン・スタイルに身を包み、手にはホウレン草ならぬ楽譜を持って颯爽とステージに現れた。指揮者の大岩氏は客席から見えるようにロゴが背中についたTシャツを着ていた。ポパイが譜持ちで歌うのは珍しい。
 1曲目は“Man of La Mancha”、2曲目が“Dulcinea”という構成。“Man of La Mancha ”は、雄々しく振舞うドン・キホーテを歌い上げた力強い曲、かたや“Dulcinea”はドン・キホーテが心から慕うダルシネア姫──もちろんほんとうの姫ではなく、あくまでドン・キホーテが勝手にそう思い込んでいる あばずれ女性のことで、その理想の姫を歌った恋歌である。おそらく昔のグランツであれば、この順序は逆になるだろう。なるほど<ラ・マンチャの男>の曲集の中の順番は、ポパイが歌ったとおりだが、抜粋して2曲で一つのステージにするとしたなら、果たしてどちらがよかったか。
 “Man of La Mancha”は、ファンファーレのような前奏が Largo Maestoso でゆったりと始まり、3連符で駆け上がったところへ合唱がバーンと入る。歌詞には古語のような英語も混じっていて、短い音符にたくさんの言葉が詰め込まれている。歌詞を完全に憶えていないと、曲についてゆけない。今回楽譜を持っていたということは、このあたりがまだ不完全だということでもあろう。なかにはどう見ても楽譜を見ているというより、楽譜を読み耽っているのではないかと思わせる人もいた。
 こうなると音楽は停滞するし、指揮者がいくら頑張ってもなかなか声は飛んでこない。歌詞もところどころよくわからないところがあった。そうはいいながらも、リズミカルな曲だからフィナーレのフォルティッシモまでポパイらしくなんとか歌いきった。 どうやら楽譜がホウレン草の役目を果たしたらしい。

 さて、1曲目で盛り上げたあと、2曲目の“Dulcinea”は、一転優しく歌いかける曲。8分の6拍子と4分の3拍子が交差しながら、大きなフレーズでゆったり流れる曲だが、これも歌詞がわか りにくいところがあった。暗譜で歌ういつものポパイにはみられない演奏である。 未完成ではあったが、随所で聴かせるハーモニーはさすがに実力を感じさせるものがあった。楽譜が離れたときの演奏に期待し、今回の演奏がポパイ本来のものではなかったことを付け加えておこう。

女声合唱団メイフラワーを指揮した大岩誓子氏(右手前)

 大岩篤郎氏は、2005年に予定している男声合唱プロジェクトYARO会の第2回コンサートで指揮をお願いすることになっている。男声合唱への造詣も深いし、何よりも丹念な曲作りがよい。今後が楽しみである。


 

ニューヨーク・シンフォニック・アンサンブル コンサート  東京オペラシティホール


 音楽監督と常任指揮者を務める高原 守氏率いるニューヨーク・シンフォニック・アンサンブルNYSEは、1988年から毎年夏に日本でツアーコンサートを開催している。NYSEは、1979年にニューヨーク・メトロポリタン室内管弦楽団として発足、その後現在の名称に変わった。
 団員は、メトロポリタン・オペラ・オーケストラはじめ、ニューヨークを中心に第一線で活躍している演奏家で構成されている。NYSEは、ソロ活動にも意欲的でソロをフィーチャーしたレパートリーが多いという。
 高原氏は、国立音楽大学卒業後、渡米、レナード・バーンスタインの薫陶を受けている。氏のモットーは「生活の中に音楽を!」だという。NYSEは、日本の数多くの合唱団や合奏団とのジョイント・コンサートを実現しており、音楽教育にも積極的に 取り組む姿勢からもそのスタンスが読み取れる。

 今回のコンサートは、ベートーヴェンの「ピアノ、バイオリンとチェロのための三重協奏曲 ハ長調作品56」と「交響曲第7番 イ長調作品92 」というプログラムであった。ベートーヴェンばかりでは重過ぎないかと思われる向きもあろうが、三重協奏曲は、ベートーヴェン特有の愛らしさや優雅さなどもある曲なので思ったほどのことではない。この三重協奏曲はポピュラーな部類に入るのだろうが、筆者にとって聴くのは 今回が初めてであった。
 コンサートで一般的によくみられるやり方は、序曲などの短めの曲をまず演奏し、それが終ったところで、遅刻してきた人を入場させ、場内が落ち着いたところで本命の演奏に入るものだ 。しかし、この日のプログラムはいきなりコンチェルトから始まった。コンサートの最初の曲からコンチェルトだとしたら、遅刻してきた聴衆をどうやって入場させるのだろうかといらぬ心配をしてしまった。全曲終るまで待たせるつもりなのか。ところが、三重協奏曲の第1楽章のあとに入場させた (と、思った。前の方の席だったので後ろのことはよくわからなかったが、ざわついたのと指揮者が待っている様子だったからおそらくまちがいなかろう)。 すこしく違和感を感じた。
 演奏者にとっては曲の途中で集中が途切れるのが一番怖いはずだが、そんなことはものかと、伊藤恵Pf、ミッシャ・ケイリンVn、・サミュエル・マギルVcの三人のソリストは、息がよく合った競奏を楽しませてくれた。このような3種類の独奏楽器をオーケストラと調和させるのはかなりむずかしいものらしいが、ソリスト、指揮者ともによくまとめたといえよう。

 後半の「交響曲第7番」は、リストが「リズムの神化」、ワーグナーが「舞踏の賛歌」と評したほどリズムに特徴がある曲である。NYSEは、 管楽器もよいが弦楽器が素晴らしい。エネルギッシュかつ質の高いハーモニーでベートーヴェンの魅力を余すところなく表現していた。高原氏の指揮は派手さはないが、誠実で緻密に積み上げるような音楽作りをしている。


 
前橋男声合唱団 第3回演奏会  群馬県公社総合ビル1階ホール


  今年、前橋男声合唱団は創立15周年にあたるが、演奏会としては3回目である。年月の割には回数が少ないように見えるが、団にはそれぞれの事情があって、毎年それこそ定期的 に開催する団とそうではない団とがある。ちなみにコール・グランツも自分たち独自の演奏会は、まだ1回しか開いていない。
 この演奏会には、この団の団長がコール・グランツの森下智晴氏(バリトン)と大学時代の同級生だったことから、応援をかねてグランツのメンバー4人で聴きに行った。
  同団は、総勢13名とさほど大きな団ではないが、いいアンサンブルを聴かせる力を持っている。 プログラムは、<日本のうた>、多田武彦作曲・男声合唱組曲<草野心平の詩から>、 <Robert Shaw Choral Album>の3部からなっていた。今回とくに期待したというか興味があったのは、何と言っても「草野心平の詩から」がどう歌われるかだった。
 指揮者中曽根敦子氏は、日本女子大学合唱団の学生指揮者を務めた経験をもち、北村協一氏に師事した。団員は黒のタキシード(といっても、日本ではいわゆる礼服が一般的だが)なのに、指揮者だけが燕尾服でステージに現れたときはさすがに驚いた。
 第1ステージ、山田耕筰の「からたちの花」や「赤とんぼ」などを集めた<日本のうた>は、いわば発声練習のようなもの。メインディッシュに当たる第2ステージ<草野心平の詩から>になると、俄然歌い込まれていることを感じさせる演奏となった。第1ステージを「可」とすれば第2は「良」といってよいだろうか。終曲「さくら散る」は難曲といわれており、破綻をきたすことがたまにあるが、この団では逆にこれがよく歌えていたのは面白い。かなり時間をかけて仕上げたにちがいない。
 その勢いで入った第3ステージ<Robert Shaw Choral Album>は、しり上がりによく鳴りはじめた。ただヒヤリとさせられたのは、「大きな古時計Grandfather's Clock」ではネジが切れて、ほんとうに止まってしまうのではないかと心配したこと。あれが演技なのか表現なのか実力なのかわからないが、まじな顔で歌っていたし果たしてどちらでしょう。そして最後の「ヴィヴ・ラムールVive L'Amour」では、フォルティッシモでみごとに締めくくった。
 


埼玉第九合唱団 第62回演奏会  大宮ソニックシティ大ホール


 20年間正指揮者を務めた宮寺勇氏から田尻桂氏に代わって初の演奏会である。埼玉第九合唱団は、埼玉県屈指の合唱団で毎年暮にベートーヴェンの第九を歌い、夏にはその他の合唱曲をやっている。
 今回は比較的短めの曲を集めた3部構成となっていた。第1部、田尻氏の指揮による2台のピアノ伴奏による<唱歌の四季>(三善晃編曲)が終ったあと、舞台暗転のまま合唱団が退場し、田尻氏と高宮洋平氏によるラヴェルの<ラ・ヴァルス>が2台のピアノで演奏された。田尻氏は元来がピアニストであるから、そのお披露目といったところか。
 メインは、第3部のモーツアルト<戴冠ミサ>である。4人の若手ソリストは揃って芸大出身、個人的にはバリトンの原田圭氏が気に入っている。田尻氏にとって記念すべき演奏となった。
 余談だが、<戴冠ミサ>は昔、コール・グランツでもオンステするというので、かなりのところまで歌った経験がある。もちろん混声だから他の女声合唱団との合同だったが、計画性の悪さでポシャッてしまった恨みがいまでも消えない。
 では、田尻氏の音楽の作り方をみてみよう。風貌や話し方は繊細で優しそうにみえる。たしかにそうではあるが、意外に大胆で力強い面も合わせもっている。このあたりが、パワフルな指揮ぶりを外に向って爆発させる宮寺氏とのちがいだろうか。それやこれやから今回の選曲は無難だったといえよう。好演であった。

 同団の委嘱作品に、合唱とオーケストラのためのカンタータ<さいたまさちあり>という曲がある。詩人宮澤章二氏の詩に鈴木憲夫氏が曲をつけたもの。大きなスケールを感じさせる曲で、埼玉がこの曲のようなまちになればよいなと思わずにいられない。これを指揮者バトンタッチの意味を込めて宮寺氏が客演指揮した。オーケストラは東京芸術大学学生有志オーケストラ。
 宮寺氏の指揮棒には定評があり、とくに<さいたまさちあり>のようにドラマティックな展開がある曲にその力量をいかんなく発揮する。今回も熱の入った演奏だったが、思いのほか合唱団の声が出てこなかったのは心残りであった。合唱がオケに消されてしまったのである。歌詞が聴き取れないほどオケが出すぎていた。合唱も負けじと歌っていたが、かなり聞苦しい声も混じってしまった。悪い出来ではないが、もうひと工夫欲しかったところである。

 今年の暑さは尋常ではないが、8月上旬には浜松の花博会場で開かれる「関東おとうさんコーラス大会」に参加するため1泊で出かけ、下旬には「埼玉県合唱コンクール」がある。コンクールに出場はしないけれど聴きたい団がたくさんある。おかげでテニスをやる機会がめっきり少なくなってしまった。家人は、呆れたというか慣れてしまったというか、ただ温かく見守って(傍観して)くれている。
 

  (2004年 8月1日)