<コンサート・レヴュー>


 

  パンフルートの魅力
 


加 藤 良 一


 

 パンフルート奏者の大束晋(おおつかすすむ)さんとは 、ピアニストの魚水愛子さんのホームページでたまたま知り合いになったのがご縁である。パンフルートは、ゲオルゲ・ザンフィルの演奏でよく知られている楽器だが、ご存知だろうか。宮崎駿のアニメ「おもいでぽろぽろ」のバックにずっと流れていた音でもある。素朴で哀愁をおびた音色が郷愁を誘う楽器だ。「おもいでぽろぽろ」は、山形県の農村が舞台だったけれど、どこか日本とはちょっとちがう、行ったことはないが東欧のような雰囲気を感じたものだ。

 今回はじめて、大束晋さんのコンサートを聴く機会があった。タイトルは『スロバキアとルーマニア 〜中欧の風の心を聴く〜』。コンサートは、2004年4月14日、豊島区民センターの文化ホールで開かれた。大束晋さんともう一人スロバキアから来日したミラン・ルスコさんが、民族楽器フヤラやその他の珍しい笛も何種類か紹介した。どれもはじめて聴く楽器ばかりであった。
 

 

 パンフルートは、パンパイプなどとも呼ばれるが、ルーマニアではナイという。いたってシンプルな楽器で、葦の筒をいろいろな長さに切って一列につなげたものである。筒の下端は閉じられ、唇をあてる歌口のところは、斜めに削り落としてある。大束さんが使っている楽器は、みずからのお手製とのことだが、きれいに仕上げられていた。ピッチの調整は、筒の底に蜜蝋を流し込んで行う。ガラスコップを並べて音階を作るのに、中に入れる水の量で調整するのと同じである。そんな構造だからピッチをいちいち動かすことはできない。ピアノと合わせるのも容易なことではないだろう。すべては奏者の耳とテクニックにかかっている。

 民族楽器といえば、どうしても元東京芸術大学音楽学部の小泉文夫教授を思い起こしてしまう。小泉さんは、1983年、56歳の若さで夭折した民族音楽学者だった。その研究資料を集めた資料室が芸大に開設されているそうだ。多くのコレクションが寄贈されているらしい。
 小泉さんが亡くなられた翌年に出版された「小泉文夫フィールドワーク」(冬樹社 1984年)に、つぎのようなパンフルートの紹介文が載っている。パンフルートの魅力をとてもわかりやすく表現した文章だ。

 この笛は、かつて世界じゅうの民族が使っていたのですが、今ではみんな、こんな笛は使わなくなってしまったのです。(……) メロディを吹こうというのだったら、そのメロディに使うぶんだけ管を足さなければならない。そのために、こんなふうに管がふえていってしまったわけです。(……) 便利なものが出てくれば、当然不便なものはなくなる。不経済なものは忘れられる、これは自然の原理ですから、どこの民族も昔はこういうものを使っていましたけれども、いまだにこんなものを使っているのは、よほどの場合だけというふうになってしまったのです。
 ところが、不思議なことには、最近はこういうパンパイプ式の笛にふたたび注目する人が多くなってきました。本当をいえば、この笛は一つのメロディを出すのに、音が違うごとにいちいち管を替えていかなければならないわけで、まことにたどたどしい、まだるっこい笛です。でも、そのたどたどしいメロディとなめらかに動くメロディとは、本当は違うメロディなのです。たどたどしいものをなめらかにやったから、それでよくなったというものではないわけです。
 世の中、何でも便利になればそれでいいというものではないですね。(……) ですから、この笛のメロディを普通の孔のあいた笛で代用してきた人たちが、今、無意識のうちに昔のものに憧れを持つようになって、それでこういう笛がまた、リバイバルしてきているのです。 

 「そのたどたどしいメロディとなめらかに動くメロディとは、本当は違うメロディなのです。」 と仰るパンフルート好きの小泉さんが、大束晋さんの難曲に挑戦するチャレンジングな演奏を聴いたら、はたして何ということだろうか。
 


 


 大束晋さんのコンサートは、楽器の性格もあるだろうか、肩肘張らないリラックスした雰囲気が会場を満たしていた。スロバキアやルーマニアの方と思われる聴衆も何人かおられた。

 民族衣装をまとったミラン・ルスコさんが、なにやら長い棒や竹竿のようなものを脇に抱えて現れステージがはじまった。幕開けは、ガイディというバグパイプの演奏。ミランさんは、スロバキア語ではなく英語で楽器の解説をし、それを女性が通訳しながらステージは進められた。
 左の写真は、楽器の女王ともいわれているというフヤラである。一見ファゴットのように見えるが、ファゴットのようなリード楽器ではない。管は上から折れ曲がって降りてきている。楽器は腰のベルトに引っ掛けるようにして支える。音量はさほどないが、おおらかな音が身上だろう。これもじつに素朴な楽器である。穴はすべ前面に開けられているので、右手の親指が前に出ている点も面白い。多くの西洋の管楽器の親指の穴は、裏がわに開けられているからだ。奏法としてトリルを多用することが比較的多いと感じた。

 大束晋さんのパンフルートは、後半に演奏された。レパートリーは、バラエティに富んでいる。そもそもが民族楽器だから、東欧などの民謡などはとうぜんのこととして、さらにバッハの曲なども演奏するし、日本の曲もやる。ただし、楽器の性格上、音程が微妙に揺れることもあるが、これは古楽器などにもよくあることで、それで音楽が壊れてしまうというものではない。たとえば、キーがほとんどないリコーダーブロックフレーテ)やフルートの祖先フラウト・トラベルソなどは、クロス・フィンガリングという複雑な指使いでさまざまな音を出す工夫をしているが、それでも近代的な楽器のように完全にはいかない。微妙なズレが生じてしまうけれど、それを差し引いたとしてもそれぞれがもつ味わいは、捨てがたいものがあるのだ。

 演奏された曲のなかではやはり、バッハが聴き応えがあった。もしかしたら速いパッセージでは多少音を省略していた箇所もあったかもしれない(気のせいかな…)が、それは、雨模様の天気の影響か楽器のうえを唇がうまく滑らなかった─と演奏終了後にご本人が仰っていたことと関係があっただろうか。
 パンフルートの低音は、突き抜けるような高音とは正反対にあまりパワーがない。沖縄民謡 「てんさぐの花」 で、曲の中間部に柔らかなピアニッシモでそっと奏でる箇所があったが、ピアノが大きすぎたのでもっと抑えてくれと要求する場面もあった。しかしそれ以上に会場の空調の音のほうがうるさかったのは、ちょっと残念な気がした。古いホールだから仕方なかろうか。

 
大束晋さんは、今年ルーマニアに移住する決心をしたという。日本にはコンサートをやるために定期的に戻ってくるとも仰っている。詳しいことは大束晋さんのホームページをご覧願いたい。パンフルートの演奏も流されている。

 

(2004年4月19日)