<コンサート・レヴュー>

椿 姫 決 算 書
 

加 藤 良 一


「泰平のねむりをさます上喜撰 たった四はいで、夜も眠られず」と狂歌にも謳われた、ペリー提督率いるアメリカの黒船四隻が、浦賀に来航したのが嘉永六年六月三日である。同じ時期の海外ではどのような出来事があったかというと、パリに鉄の塊であるエッフェル塔が建てられ、古い時代から新しい時代への転換期に差し掛かっていた。期を同じくして日本でも開国に踏み切ったというわけである。
 嘉永六年つまり1853年は、ヴェネツィアにおいてある意欲的なオペラの初演があった。それは当時、売れっ子だったヴェルディの《ラ・トラヴィアータ(椿姫) 》だった。初演は、フェニーチェ座で行われたが、ヴェルディは大失敗だったことを認めている。いろいろ理由はあるようだが、肺結核でいまにも死ぬ運命にある主人公ヴィオレッタ役の歌手が、そう簡単には死ぬようには見えないほど太っていたとか、そもそもオペラの主役に高級とはいえ娼婦をもってくるとは何ごとかといったことのようである。
 このオペラの外してはいけないポイントは、「高級娼婦」である。これがキーワードである。そのことを忘れて観ていると、かなりトンチンカンなことになってしまうのでご注意あれ。

 さて、ときは平成十五年九月十五日、チェコ国立プルゼーニュ歌劇場 The J.K.TYL Theater in Pilsen のオペラ《ラ・トラヴィアータ》が大宮ソニックシティ・大ホールで行われた。 このオペラについては、このページの上に掲載している(M-34)La  Traviata にも関連した話を書いてあるので参考にしてもらいたい。
 オペラをホールで聴く機会は少ないが、とりあえず今回で3回目となった。簡単に聴けないのは、チケットが高価だからにちがいないが、このことに関してはのちほど触れることにしよう。

 大宮ソニックシティ・大ホールは約2500席あるが、最前列の客席8〜9列を外して作った地下部分がオーケストラ・ピットとなっていた。われわれ夫婦の席は前から13列目 (実際には4列目に当たる)だったこともあり、オケの姿はほとんど見えず、ベースの頭や、たまに高く振られた指揮棒が見えるていどだった。ピットの中は下手(舞台に向かって左側)に地下から出入りする口があり、そこから指揮者が出てくるが、われわれには見えず、うしろ の聴衆が拍手するので登場に気づくくらいであった。
 今回の公演は“ボヘミア・オペラ”と題され、8月から10月まで全国で《椿姫》、《蝶々夫人》、《売られた花嫁》を演奏するものである。長丁場のため、主役のヴィオレッタ・ヴァレリー(ソプラノ)と恋人役アルフレード・ジェルモン(テノール)はトリプルキャストで、われわれが聴いた ソニックシティが《椿姫》では最終公演となっていた。ヴィオレッタ にはクリスチナ・ヴァシレヴァー(写真)、アルフレードはプラメン・プロコピエフがそれぞれ出演した。

 ヴィオレッタ役の有名どころとしてはあのマリア・カラスが上げられる。1956年カラスが死去してから、スカラ座での《椿姫》は一度も成功せず、カラヤン指揮でフレーニがヴィオレッタを歌う豪華キャストのときも、第1幕のアリアの高音が出ずに大失敗に終ったという逸話が残っている。それが1992年のムーティ指揮とファブリッチーニ主役の公演まで、28年間もスカラ座では《椿姫》を上演しなかったとのことである。

 そんな大役をみごとこなしたクリスチナ・ヴァシレヴァーは、ブルガリア生まれチェコ育ちで、ソフィア国立コンセルヴァトワール、同大学院を卒業している。ドイツなどの歌劇場でソリストとして研鑽を積んだ。写真は髪が短いが、現在はもっと長くしており、容姿からしてもヴィオレッタ役にうってつけだった。
 ヴィオレッタ役の声質としてはリリコ(叙情的な)であるが、第一幕はアジリタ(軽快さ、すばしこさ)のできるリリコ・レッジェーロ(軽く優美な)、第二幕ではドラマティックなリリコ、第三幕ではピアニッシモを歌えるリリコと三種類の声が求められるという。
 クリスチナ
はドラマティックな表現にも素晴らしい演技力を発揮し、ピアニッシモでもじゅうぶんに聴かせるだけの力量があった。比較するのもへんだが、召使役やその他の合唱団の女声とは完全に一線を画していた。

 いっぽうのアルフレードプラメン・プロコピエフは、ブルガリア音楽芸術大学卒業後、ブルガリア国立ソフィア・ヴァルマ歌劇場に入団、その後、プラハ国立歌劇場、プルゼーニュ歌劇場、スロヴァキア国立劇場でソリストとして活躍している。ひげを蓄えたやや小太りで、容姿からすると(あくまで想像だが、写真を見るかぎり)もう一人の降り番だったテノール、アレシ・ブリスツェインのほうがしっくりするのではないかと感じた。アルフレード役 の声質としては、リリックできれいな声のテノールがよいとされていて、歌唱難度はさほど高くないらしい。そんなことからのキャスティングかもしれないが、プラメンは高音が 必ずしもすっきりと抜けない声で、ややこもりがちであった。軍配はクリスチナに挙げざるをえない。
 それに引き換え、アルフレードの父親ジョルジョ・ジェルモン役をつとめたイジー・ライニシュは聴き応えがあり、朗々と響くバリトンは安心して聴いていられるものだった。調子が悪かったのかどうか、医師グランヴィル役のバス、トマーシ・インドラはいまひとつ乗らない歌唱 だった。

 ヴィオレッタのサロンで行われる夜会の場面で歌われる有名な『乾杯の歌』は 、じつは怪しい歌なのである。冒頭キーワードは「高級娼婦」であると書いたが、とうぜん夜会は一夜をともにする女性を物色する場所だ。『乾杯の歌』はオペラとは切り離されていろいろな場所で楽しまれている曲だろうが、おそらくこんな背景を知ったら、まさか結婚式の披露宴で流すことはできまい。

 さて、ここらですこし見方を変えて、日本におけるオペラの位置付けとか、なぜ日本にオペラは定着しないのかという角度から考察してみたい。 日本ではオペラはまだまだ定着していないし、金食い虫の“芸術”としてたくさんの課題を抱えて青息吐息の状況にある。
 そうは言いながら、はじめに断っておくが、ぼくはオペラを論じるほどオペラを聴いても観てもいないし、正確な知識を持ち合わせているわけでもない。ただ、素朴に一人の日本人として感じることを書かせてもらうだけである。
 冒頭、オペラを「簡単に聴けないのは、チケットが高価だから」と書いた。ちなみに今回のチケットはS席が12,000円だった。 これを安いと思う人はかなりオペラに好意的な人である。ふつうはオペラに12,000円も出さないだろう。 なぜだろうか。日本人が海外のオペラを観る必要などなかろうという意見もあるだろうし、その前に日本の芸術や芸能をもっと大事にせよとの声もあろう。

 『オペラ・チケットの値段』という本がある。著者は、東京バレエ団の創設者・主宰者である佐々木忠次氏。日本のオペラが高いのは、国の文化政策の悪さの現れであり、ただ新国立劇場のようなハコだけを作ってことたれりとする見識のなさにあると氏は批判している。ヨーロッパでオペラのチケットが安いのは、国が財政援助をしているからで、専属のオーケストラなどもあり、チケットを安くしても成り立つようにできている。つまり質の高い芸術を安く国民に提供することが国の政策なのである。
 氏はまた、日本の問題点として、国が民間の文化事業に対しいろいろな形で妨害をしかけてくることにも噛みついている。ここで「国」といってはいるが、具体的にはその分野の大物と目される実力者であり、個人あるいはそれらの集団にすぎない。また、場合によっては芸術や芸能そのものを正しく理解しない官僚が牛耳ることの非を指摘しているのである。

 また、先日の日経“文化往来”欄に掲載されていた『ひろしまオペラで日韓の歌手競演』にも、日本のオペラ事情の一端が紹介されていた。日韓競演とは、《蝶々夫人》の上演にあたり、韓国人歌手を採用しダブルキャストにしたことを指す。東京から歌手を呼ぶより韓国のほうが近いし、 オーディションにより優秀な人材を集められる利点がある。
 日本のオペラ団体では、残念なことに出演者にチケットのノルマがあり、自分で割り当てを売りさばかねばならない。ところが、ひろしまオペラではノルマなどないという。ちなみにS席が8,000円である。

 オペラ上演には、果たしてどれほどの金がかかるものなのだろうか。1980年代だからちょっと古い情報(澤木和彦著『オペラ 上手なきき方、楽しみ方』より)だが、ジョルジュ・ビゼーの 《カルメン》をやったらどうなるかまとめたものがあるので参考までにみてみよう。
 この例は、場所が日本か海外か定かではないが、整理すると総支出締めて3,310万円である。 現在ではもっと高くなっているのだろうか。

科 目 金額 比率
 会場費 200万円  6.0%
 (ホール、リハーサル室、付帯設備使用料)     
 照明費 100万円 3.0%
 大道具 800万円 24.2%
 小道具 140万円 4.2%
 衣装 400万円 12.1%
 舞台関係 70万円 2.1%
 ソリスト・合唱出演料 400万円 12.1%
 オーケストラ出演料 400万円 12.1%
 その他スタッフ代 220万円 6.6%
 広告・宣伝 400万円 12.1%
 雑費 180万円 5.4%

合 計

3,310万円  

3千万円もかかる《カルメン》にくらべると今回の 《椿姫》は、かなり簡素というか質素というか良く言えばシンプル、悪く言えば安普請だったから、舞台にかけた費用はたかが知れているはずだ。全部で3幕4場だが、基本的な大道具は同じものを使用する超経済的舞台。舞台には、後方から前に向けてゆるやかなスロープが設えられている。そのスロープは舞台の大部分を占めるほどに大きい。それが第1幕パリのヴィオレッタの 華やかなサロンにも、第2幕ヴィオレッタとアルフレードが結婚して移ったパリ郊外の家にも、第3幕ヴィオレッタが最後の息を引き取る部屋にもなる。ソファがベッドに変わったり、椅子が少し変わるくらいのもので 、舞台装置としてはあまり変わり映えしないものだった。
  衣装も19世紀の華やかなパリ社交界にしてはずいぶんと現代的なものを身に付けていた。それも演出だといえばそれまでであるが。出演者の総数も多いとはいえないし、どうみても<カルメン>の数分の一 の費用しかかけていないように感じた。もっとも、金をかけないことと演奏の出来栄えとは必ずしも直結しないはずだが、オペラの楽しみは視覚的な舞台装置にもあることを考えると総合的には見劣りがするといわれても仕方なかろう。

コンサート・レヴューにしては、ずいぶんあらぬ方向へ来てしまったが、思いつくまま気ままに書くとこんなことになってしまうという見本である。

 (2003年9月21日)