M-97


コンサート
時間 え る
加 藤 良 一     2010年11月1日

 2008年の「男声合唱プロジェクトYARO会コンサート」に知人を招待したときのこと。始まる時間は分かるが、何時に終るのかと質問され一瞬返答に困った。その人はふだんコンサートからは足が遠のいているので、自然にわき出た疑問なのだろう。ふつうコンサートでは開演時間は書くけれど終わりは書かないんです、それにアンコールなどで時間がどうなるかもわからないし、とその場を凌いだものの、そういえば、どこのコンサートでも終演時間をはっきり書いていないことにあらためて気がついた。
 これまで何の不思議も感じなかったが、確かにコンサートに足を運ぶ人にとっては不親切なことだと思う。終演時間がわかれば、その後どこそこへ寄ってから食事して、と計画が立てられ、安心してコンサートに行ける。それなのになぜはっきり書かないのだろうか。今さらながら不思議である。プログラムから勝手に推定せよということだろうか。これまで何度もコンサートを開催してきたが、一度も疑わずにきてしまった。
 主催者は、当然のことながら、綿密にタイムスケジュールを組んで、本番当日はステージマネージャー(舞台上の進行を仕切る人)に全体運営を委ねているから、よほどのトラブルでもないかぎりほぼ予定時間に終るもの。だから、およそ何時に終了しますということくらいはチラシやチケットに書くこともできるはず。それをしないのは、聴衆の側よりも主催者本位の発想になっているということかも知れない。


 20092月、大阪城ホールで開かれた「好きな人と、好きな楽器で、好きな音楽を。」をメインテーマとした<夢限コンサート2009>は、なんと6時間に及ぶものだったという。1団体の持ち時間はわからないが、27団体(約830名)が出演し、途中に長めの休憩時間があったにせよ、午後3時開演で終演は夜の9時というマラソンコンサートである。予定より1時間も遅れたというから、運営上の不手際もあったかもしれない。参加者には小さな子どもたちも多かったようだから、帰宅時間を思うといくらなんでも3時から9時は長すぎる。もっとも、飽きてしまった子どもたちは、その辺を走り回っていただろうけれど。

 一つのコンサートではないが、合唱祭のようなたくさんの団体が参加する催しでは長くなるケースが多い。2009年度の埼玉県合唱祭を例にとると、5日間にわたって行われたが、それぞれ前後半の二部にわけ、原則として自分の出演する部はすべて聴くことになっている。つまり演奏が終わっても帰れない。日によって若干ちがいはあるけれど、ある日の第1部、出演団体数は28、午前10時にスタートし終了は午後2時過ぎ、計4時間だった。第2部は27団体、休憩のあと午後7時頃までかかっている。演奏時間は8分以内と厳しく制限されているので、ほぼ時間通りに進むが、それにしても4時間はきついものがある。<夢限コンサート2009>といい勝負だ。

 こんなことを考えていたとき、そのものずばりの話題が『音楽の友』に掲載された。シリーズ「オントモ評議会」という座談会記事である。その議論を踏まえてすこし考えてみたい。

 <夢限コンサート2009>のような6時間もかかるのは例外として、現在、コンサートのスタイルとしては2時間前後というのが一般的ではないだろうか。現に大部分のコンサートがそれを意識したプログラム構成となっているように思われる。 「オントモ評議会」によれば、2時間はひとつの理想形かもしれないが、それに囚われて、マーラー1曲でいいものを、それだけではちょっと短いかなと余計な心配をして他の曲をくっつけたがために長くなり過ぎてしまうケースがあるという。それは私もたまに感じることがある。第九の前に序曲をやるのもこのことと通底しているのではないか。逆に、ピアノ・リサイタルで2時間は長すぎる場合もある。長さには多様性があって、一人ひとりのニーズにあったコンサートが選べたらよいのにともいっている。
 平日の昼間にやるのであれば、対象者がそれなりに限定されてくるので、演奏時間も短めにして親しめる曲を選ぶなど、もっと多くの人のライフサイクルに合わせた企画を考えることも必要だろう。いっぽう、平日の夜や休日の場合は、開演時間や所要時間も含めて平日の昼間より幅があるだろう。たとえば、平日の仕事帰りにちょっとしたコンサートを聴けるような企画もほしい。1時間ほど音楽を楽しんで早めに帰宅するということができれば楽である。私が平日の夜にコンサートに行く場合は、前半だけ聴いて帰ってくることもたまにある。ただし、メインは後半にあるから、それを逃したくないときは最後まで聴くが。もっとも、主催する側からいえば、準備や経費などは演奏が1時間でも2時間でもさして変わらないのに、価格だけ安くするというのは経済的に厳しい面があるのもうなずける。


 新日本フィルハーモニー交響楽団は、20099月のシーズンから、土日祝日のトリフォニーホールでの開演時間を15時から14時に早めた。16時に終ればその後の時間が有効に使える。聴きに行くコンサートの開演が午後早い時間だと、午前中はけっこう半端で単なる待ち時間のようになってしまうから、早くはじめて早く終るのは来場者にとって親切な場合もあるだろう。ただし、人それぞれ求めるものやライフサイクルが違うから、バリエーションが多いほうがありがたい。東京交響楽団は、土曜が18時、日曜は14時開演だが、これはホールの貸出し条件が、午前・午後・夜間に区分されていることが多いためで、区分貸しではなく時間貸しになればもっと幅が出てくるかもしれない。しかしいっぽうで、そのような時間貸しをするとコマギレになりすぎて、経営上問題が出るだろうことは難くない。


 200812月、男声合唱プロジェクトYARO会が埼玉会館大ホール(1,315席)を使ってジョイントコンサートをやったときは、9時〜17時までの午前・午後2区分で13万円ほどかかった。これは入場料1,000円だったからで、もっと高ければそれに連れて高くなる。YARO会では17時までに完全撤収するために開演を1330分とした。終演は1620分だった。けっこうぎりぎりのスケジュールである。それにしても来場された方を3時間近く拘束しているのはちょっと長かっただろうか。YARO会は男声合唱5団体がそれぞれのステージを持つやり方をとっているので、どうしても長めになってしまう。今後の課題である。


 開演時間は列車の発車時刻のようにぴったりはいかないものだろうか。一般にコンサートは時間通りきっちりとは始まらないものと思われているようで、少々遅れるのは当たり前と思う人のほうが多いだろう。35分押しはふつうである。それでも10分も遅れることはほとんど経験したことがない。なぜ遅れて開始するかといえば、出演者の都合の場合もあろうが、ほとんどはひとえに遅刻者を一人でも多く入場させるための親心である。その裏には、演奏中は出入りさせないという演奏者と聴衆への配慮があり、クラシカルなコンサートでは常識である。そうでない場合もけっこうあるが、それはあくまで主催者の考え方であって、一概に否定し切れるものでもない。個人的には演奏中の出入りは厳禁としたいほうである。以前、ちっちゃな子どもの入場で経験したことをこのホームページの音楽・合唱コーナーに「意欲的な取り組み 埼玉中央フィルのショスタコービッチ5番を聴く」と題して書いたことがあるので、ご参考までにご覧願いたい。(過去ログ2002年5月26日:音楽・合唱コーナーの下のほうで探しにくいかも知れません。悪しからずご了承下さい。)
http://www.max.hi-ho.ne.jp/rkato/Document/music/musictop.htm



いつのことだったか記憶が定かではないが、日本でのバーバーショップ・コーラスの草分け菅野哲男さんが、アメリカのチャンピオン・グループACOUSTIX(アクースティックス)を招聘したときのことだった。東京公演の開演時間が(昼か夜かどちらだったか忘れてしまったが)、5分とされていた。ぴったり時ではなく半端な「5分開演」はユーモアかなと思っていたところ、みごとに定時きっかり幕が上がったのには驚いた。なるほど、これでいいんだ、菅野さんらしいと妙に感心したものだった。
 5分」はまるで列車の時刻表だが、考えてみれば、列車や飛行機の出発時刻に遅れたら乗れないのは当然のこと、ドアーが閉まってしまうのだから誰も文句を言う人はいない。それが、どうしてコンサートだと平然と遅れてやって来て、入れさせないのは主催者が悪いかのような態度をとる人がいるのだろうか。しょせん遅れる人は何時に設定しようが遅れてくるにちがいないのだから、定刻にスパッと始めるほうが気持ちがいい。それに、くれぐれも忘れてはいけないのが、ちゃんと定刻までに来て待っている大多数の人のことである。

(この小文は‘Blogシュンポシオン’に3回にわけて掲載していたものだが、あらためて整理し一つにまとめたものである。)