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ピエール・フルニエのこと






加 藤 良 一


2002/3/23
 




 初めての給料で買ったレコードは、ピエール・フルニエのバッハ「無伴奏チェロ組曲全集」だった。もうずいぶん昔の話しである。ドイツ・アルヒーフの三枚組で、値段は覚えていないが、安くなかったという印象だけは記憶に残っている。布張りの立派だが、落ち着いたデザインの化粧箱に入っていた。組曲全六曲とも1960年に録音されたものである。レコードのコレクションはそんなに簡単には増やせなかったから、慣れない楽譜を開きながらとにかく何度となく 繰り返し聴いた。
 世界的なチェリストの一人であるピエール・フルニエは、ドイツ軍がパリを占領した際にパリに残って民衆と共に耐えたという気骨の人でもある。フルニエは、フルトヴェングラーと同じように、ナチス支配下の母国フランスに積極的に残って活動した。ただし、フルトヴェングラーとはナチスに対するスタンスが異なっていたことは、多くの人が知るところであろう。

 父は軍人でのちにコルシカの総督にもなったひとである。ピアニストの母から音楽の手ほどきをうけ、17才のときに一等賞でパリ音楽院を卒業している。
 丸山眞男が、「フルニエという人はフランスのエスプリが人間の形になったような、文字通り純粋なフランスの芸術家だが、不思議なことにドイツ音楽がいい。バッハ、ベートーヴェン、ブラームスが絶品である。しかも、共演者が皆ドイツ語文化圏 のピアニスト――シュナーベル、ケンプ、バックハウスといった巨匠ばかりで、それが皆『決定盤』といわれる名演になっている。」と、あるエッセイに書いていることを中野雄が著書「丸山眞男 音楽の対話」で紹介している。

 フルニエがフランスのエスプリを体現しているといわれると、なるほどそんなものかと思う。フランス人のチェリストが、チェロ音楽の最高峰を目指そうとしたら、そこにバッハがあった。小宇宙を形成するともいわれる「無伴奏チェロ組曲全集」が聳えていた。フルニエは、それをフランス人だからこその、流麗で知性溢れる演奏としてバッハを完成 させていた。
 聞くところでは、チェロはバッハの時代にようやく独奏楽器として使われはじめたくらいだったそうだ。そんな楽器の汲み尽くせぬ可能性に気づいて、他に類例をみない音楽宇宙を創り出してしまったのである。これを天才といわずして何というべきか。
 「無伴奏チェロ組曲全集」は、バッハの二番目の妻アンナ・マグダレーナの書いた写譜本によって今日に残されている。第一番から第六番まで全六曲から構成され、各曲ともにプレリュード(前奏曲)から始まり、順次さまざまな舞曲へと展開してゆく。

 はじめての給料で買うレコードは、絶対にバッハ以外ないと決めていた。バッハのなかでも管弦楽曲や宗教曲ではなく、まず 「無伴奏チェロ組曲全集」からスタートしようと考えたのは、狭い部屋に大きな音楽はとりあえず収まりきれないと感じたからだが、その後コレクションは次第に大きな演奏に移っていった。
 「無伴奏チェロ組曲全集」のレコードを買うとしたら誰の演奏がいいだろうか。いろいろ調べたあげく行き着いたのがフルニエだった。最初にレコードに針を下ろした瞬間、フルニエを選択したことはまちがいではなかったと確信した。フルニエの演奏は、端正で、かつ音符の隅々までゆるがせにしない技巧 と誠実さがあり、そして洗練された風格が備わっていた

 当時の再生装置は、デンオンのダイレクトドライブ・ターンテーブルに、グレースのアーム、カートリッジはオルトフォン、アンプはオンキョーのインテグラという組み合わせだったが、 その時はまだスピーカーを買う余裕がなかったので、半年間ほどはヘッドフォンだけで我慢して聴き続けていた。
 いまではこれらの名器も老朽化してしまったので聴く機会などないが、たまにレコードを引っ張り出してはカビがつかないように拭いている。

 

 

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