M-123


コール・フリューゲル に聴く東北への思い


齊 藤 弘 子

2014年6月22日





 私は合唱に関しては全くの素人です。合唱未経験ですし、歌うことは苦手であり、嫌いです。カラオケなんてとんでもない! ひたすら逃げます()
 こんな私がふとしたきっかけで、男声合唱を聴くようになって5年。日は浅いのですが、男声合唱は大好きです。とにかく好きです。もう ぞっこんです。感想といえるほどのものではありませんが、思いの丈をお伝えします。

 六大学OBの演奏会は必ず聴きに行きます。また、多田武彦さんの組曲が聴けるとあらば、どこへでも参じます。
 そんな中で、私が最も惹かれている合唱団は いらか会 です。それともう一つは トンペイ・メモリアルズ です。両団とも、私が平均年齢になるかと思います。

 私が、大学生の演奏会に伺ったのは、今回で二度目。そう、2013年の早稲田大学コール・フリューゲル第59回定期演奏会も聴かせていただいたのでした。
 世の中にはかなりの数の楽器がありますが、やっぱり最強の楽器は歌声だと思うのです。素晴らしい声質と歌唱力を授かった人生って、どんな感じなんだろうと憧れます。心底羨ましいなぁーって思います。羨ましい以外の言葉がない。心から尊敬します。その歌の上手い人が何十人も集まって歌うのですから、どうしたって圧倒されます。生で見て聴いた時のインパクトは凄いものがあります。合唱を聴くといつも泣いてしまう。明るい曲でも...です。なんといいますか、直接心に訴えかける力があるのですね。最高のライブパフォーマンスなのではないでしょうか。合唱の奥深さに魅了されています。
 この度の演奏会は、魅力的な内容が盛り沢山で、しみじみと深く味わわせていただきました。すべて初めて聴く曲ばかりでした。
 開演前にパンフレットを拝見し、第3、第4ステージの内容に愕然としました。

 水 命 海 東北 という文字を見れば、どうしたって、あの震災、津波を想起せずにはいられません。

 実を申しますと、私の父は、あの3.11の二日後、313日に83歳の生涯を閉じたのです。そうなのです!ちょうど、いらか会の演奏会が行われている時に、駒込の自宅で息を引き取ったのでした。まさか、まさか、こんなことになるとは...。私のバッグの中にはチケットが入れられたままでした。
 震災が遠因でした。仙台は父が学んだ地でもあり、所属した部隊の兵舎があった場所でもありました。テレビが刻々と伝える地獄絵図のような津波の映像を見、ショックのあまり何も食べることができなくなり衰弱し、あっという間に眠るように逝ってしまったのです。
 続く余震、計画停電も行われ、交通機関も混乱していた中で、次の日、家族だけでひっそりと送りました。あまりに寂しい旅立ちをした父。その父への鎮魂の想いを胸に、皆様の演奏を聴かせていただきました。


前置きが長くなってしまいましたが、まず、第1ステージをお聴きして思ったことをお伝えします。
 水のいのち は、有名な曲だと聞き及んでいましたが、その割には一度も聴いたことがありません。ようやく念願叶って、聴くことができました。

 『水』 『人生』 の重ね合わせは、理屈抜きに受け入れられますね。

 水が雨として降り、川を下り、海に流れ、再び空に昇っていくという変転は、人の一生を表しているようでもあります。音楽に乗せた詩の言葉を聴いていると、びっくりするくらいすべての言葉が、その自らが持つ生命力、存在感を発揮するのです。
 この作品の詩の言葉は平易で、同音異義語に悩むこともなく、スッと心に入ります。ところが、この作品、含蓄があり、奥深い。哲学的であるかもしれません。私も、演奏をじっくりと聴かせていただきました。

まず の演奏です。
 暗い空からいつ止むとも知れない水滴が落ちてきて、間断なく降りしきると、とかく暗い気持ちになりがちですよね。
 しかし、演奏を聴いてみますと、皆様のハーモニーは、詩情たっぷりで、抑制が効いていて...それでいて、限りなくやさしく包んでくれるような、ジーンと心に滲み入るような歌声でした。
 許しあえぬものの上にも降りしきれ、と歌われると、私自身の生き方を問われているように聞こえて少々心が痛みました。いかなる状況の者にも降り注ぐ雨だと思うと、それは天の慈愛のようにも感じられ、胸にじんわりこみ上げるものがありました。

   〜なお ふみ耐える根に

 ここを聴いた時には、三月会様の 〜すべての圧力に耐える球根】 という、あのハーモニーが思い起こされ、重なりました。

次は 水たまり です。
 雨が降ると傘をさしながら水たまりを見ます。雨のしずくが水たまりの中で跳ね上がり、波紋を作り出します。どこにでもあるため、一見、価値のないように見える水たまりですが、この詩が表現している内容はとても深いですね。
 流れるすべもめあてもなく、ただ黙ってたまるしかない、そしてやがて消え失せてゆく水たまりを 【わたしたちに肖ている】 と歌われます。水たまりと人間を重ね合わせて表現しているのですね。

 私自身を振り返ってみると、生きてきた中で、後悔することや反省することがたくさんです。傷つけてしまったであろう人もいます。水たまりの中に、自分のすべてが内包されているかもしれません。そしてさらに、水たまりの泥に人間社会の醜さを映して歌われます。

  そんな人間に生きる価値はないの?
  より良く生きようと願ってはいけないの?
  美しい心に憧れてはいけないの?

と問うているようにも聞こえます。

   〜うつした空の青さのように澄もうと苦しむ小さなこころ うつした空の高さのままに在ろうと苦しむ小さなこころ

 このハーモニーが胸に深く深く響きます。
 私は、気づいたのです。空はどこまでも青いではないか、と。
 小さな浅い水たまりであったとしても、映る空は無限であると。
 無限...ここに救いを感じて、少しホッとした私でした。

について、お伝えします。
 いきなり、怒ったような苛立ち、疑問、問いかけのようなものから始まるのですね。

   何故さかのぼれないか 何故低いほうへゆくほかはないか

と歌われます。

 聴きながら、私も考えていました。もしかしたら、人は、生まれる時に、人生という川の一番上流付近にぽとりと投げ込まれるのではないか。そんなイメージが浮かびます。
 子供時分、上流を生きているうちは、川の流れもそれほど激しくなくのんびりと流されていきます。しかし、楽ばかりが続くわけはなく、不安な時期もあります。川の流れにビクビクしたり、不安な気持ちを払拭しようと必死になる。ある時は流れていくことへの不安から川岸に掴まってしまったり、濁流に飲み込まれて慌てふためいたり、無駄な力を使って、浮かび上がろうともがいたり。
 でも、決して遡れはしない。怒り、苛立っても戻れないと言うのですね。
 私は、すでに川の長さの四分の三あたりまで流れてきました。この先、どんな流れに遭遇するのかと不安です。

 演奏にジッと聴き入ります。

   川は何か 川は何かと問うことを止めよ

と歌われます。
 それは、つまり、川に流されながら、自分の身に起こることをそのまま受け入れよ、ということなのだろうか...。(導いて下さっている方がおられるよ)と、一瞬そんな声が聞こえたようにも思いました。

の感想です。
 ハミング、ピアノの旋律から、たゆとう大きな海、凡てを堪えて受け入れていく海のさまが浮かびます。
 『海』 はこの地上における 『水』 の終着点というのでしょうか。
 人として生まれ、渦巻き、もがき...しかし、やがて人は

   そなたの中の一人の母をさしてゆく

と歌われます。
 私はここで、ふいに 『海よ、僕らの使ふ文字では、お前の中に母がゐる』 という言葉が頭をかすめました。父が愛読していた三好達治の詩の一節です。
 帰結点で、母なる海がその死を受け止めてくれると思えば、心が安らかに充たされるようにも思います。

   見なさい これを見なさい

というリフレインがひたひたと胸に迫りました。

終曲 海よ の感想です。
 最後にふさわしく感動的な曲、名曲だと思います。
 前半は、深海を思わせるような暗い曲想ですが、だんだんと切なさに変わり...最後には水のいのちが空の高みに昇り詰めて幕を閉じるのですね。

   億年のむかしもいまも そなたはいつも始まりだ

 ここを聴いた時は、堰を切ったように涙がどっと溢れました。今も、この言葉、ハーモニーが耳から離れません。
 
 やはり、どうしても、思いは3.11へ辿り着きます。
 あの大津波によって、一瞬のうちに海に流されてしまった方々、その遺族の方々に思いを致します。その命の終わりをどのように受けとめられたのか、と。理不尽に岸辺にうち上げられた命を思う時、ただ立ちすくむばかりの私です。人の悲しみに際して、あまりに無力な人間です。
 気持ちのこもった言葉、心に届く一言を...と思っても行き詰まります。どんな言葉も心に痛いのでは...と。しかし、人の言葉を乗せた音楽というのは、一人ひとりの心に寄り添い、語りかけをしてくれることに気づくのです。
 歌は、人の私生活に踏み込まず、距離を置いて語りかけることができるのです。
 空の彼方に吸い込まれるように消えていった幾多の 『水のいのち』 に思いを重ねます。

   億年のむかしもいまも そなたはいつも始まりだ

 終わりではなく 始まりだ と歌われるのです。再生の源だと言っているように聞こえます。なんて強いメッセージでしょう。昇天しても、きっときっと、『新たな水のいのち として生まれてくるに違いない。雨粒にも、そのいのちの存在を感じることができる。そう思わせて下さる曲、演奏でした。

 人の思いも巡り巡って、繋がっていくようです。指揮をなさる清水 先生の背がそう語っていらっしゃるように感じられました。
 還暦の 『還』 『かえる』 『もどる』 という意味ですよね。暦が一巡して、二度目の誕生日を迎えられた記念すべき時に、この 水のいのち を選ばれたフリューゲルの皆様は素晴らしい贈り物をなさいました。
 先生は、なんてお幸せな方なのでしょう。

最後のステージ 東北の舟歌 は、あの悪夢の日が甦り、少し辛いものがありました。
 しかし、《希望 は、たいへん力強い詩ですね。一語一語が心に滲みて、神々しくさえ響きました。

 『負げでたまっか!』 という声が聞こえてきそうな気がしました。

 川に、焔に、雲に、嵐に、そして人の心に 『ことば おもい さとし いさめ のぞみ』 があると歌われるのを聴いた時、健気な方々のご苦労が偲ばれて、ウルウルとなりました。
 一歩、またもう一歩と歩き出そうよ...そんなメッセージを込めて、この曲を被災地に届けたくなりました。


 フリューゲルの皆様の演奏は、若々しく、ひたむきで、一途なものが感じられます。それはもう、私が失ったものかもしれません。瑞々しさ溢れるハーモニーを存分に楽しませていただきました。

 



      

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