M-122
合 | 唱 | に |
魅 | せ | ら | れ | て |
齊 藤 弘 子
2014年6月7日
2014年5月24日、男声合唱団なにわコラリアーズの演奏会を聴きに紀尾井ホールへ。
プログラム最初のトルミスの合唱曲については、2012年夏、関根盛純さんのブログ<合唱道楽 歌い人>で紹介されており、知っていましたので、興味深く聴かせていただきました。
「何故? どうしてなの?」 と狼狽え気持ちが焦ります。顔に火照りを感じます。でも、響きが浮遊するばかりで、私の心に入ってこないのです。拍手が遠くに聞こえます。
続いて信長貴富作曲 「虹の木」 の演奏が始まりました。詩集 『詩の樹の下で』 は、東日本大震災後、書店に平積みされていたのが目にとまり、即、購入。一心に読み、最後の詩である<虹の木>は、涙で文字が読めなくなるほど感動したのです。しかし、しかし、またもやステージから何も心に届かないのです。いったいどうしたというのか….。
じっと耳を傾けても、空しさに襲われ、首すじに汗が流れるばかり。音楽は、演奏者と聴衆が情の絆を確認し合うものだと思ってきました。事実、過去に72回聴いた男声合唱の演奏会において、私は、必ずや感動の涙を流してきたのです。
ここで、ハッと気づきました。
この演奏会はひょっとすると、私が来るべきところではなかったのだと。私は “ど” が付くほどの合唱素人なのです。私のような者を対象とした演奏会ではないのだと。そう思った途端に孤独感と疎外感が私の心に押し寄せ、居たたまれなくなりました。そこで、第5ステージが始まる前に、会場を出ました。まさしく 「馬の耳に念仏」 であったのでした。
予定より早く帰宅した私に、夫は言いました。「なんだ、ずいぶん早いじゃないか。」
私がワケを話すと夫は申しました。「歌い手と聴き手のレベルが合っていないと音楽は成立しないんだよ。これは、芸術一般に言えることだけどね。」 と。
私は夫の言葉に打ちのめされました。正当すぎて返す言葉もありません。これは、他人ではない、夫だからこそ言ってくれた言葉だと受け止めました。私の心の中は惨めさでいっぱいでしたけれど。
翌5月25日は、女声合唱団ぴゅあはーとのコンサートでした。今回で3回目。
前日のショックを引きずっていた為か、時間を間違えて、開場時刻の1時間も前に着いてしまいました。そういえば、昨日、指揮者の山脇卓也さまをお見かけしたんだったな….とふと思います。ワクワクと待って、ようやく開演。
ステージに並ばれたメンバーのお顔ぶれが去年と変わっています。特に、ソプラノで一番印象に残った方がいません。“カスミ草” になれない人は去って行くのかな….と、余計なことが頭をよぎります。
まず最初のステージ 《〜魅惑のぴゅあWorld〜》 で演奏された4曲、すべてが心に響きました。中でも 「On
suuri rantas autius」 はとりわけ。冒頭のソロから胸が締め付けられます。訳詞を見なくても、いつとはなしに、涙が流れてきます。ハーモニーだけで泣かせる、ジーンと心に沁み入るものがありました。
次の曲 「Mendian Gora」 にも感動しました。穏やかに聞えるメロディの奥底に流れる悲哀が伝わってきました。悲哀とともに光も。
「O-YO-YO」 は、楽しい曲ですね。思わずボディパーカッションに見入ってしまいました。Clapは4種ですかしら? これはどんな内容なのかしら、と思わず訳詞を見ると….もう、まさか….という言葉が。驚きながら、でも、何度でも聴きたくなるほど惹かれます、この曲。
第2ステージはTomas Luis
de Victoria他の宗教曲。普段聴くことがまったくない音楽です。心を澄ませて響きに浸ります。心を無にして、ハーモニーが奏でるサウンドそのものを楽しみました。
第3ステージ、三善晃編曲 《唱歌の四季》。唱歌というのは、故郷を遠く離れて暮らす人々が、夕暮れに、両親、兄弟はどうしているだろうか….と物思いに耽り、ちょっとセンチメンタルになる、そういう歌なのだと思います。日本人の琴線に触れるものがありますね。美しい田園風景や四季の移ろいがメロディとともに浮かび上がりました。同時に、そこに生きる人々の営みもが映し出されるように感じました。
最後の第4ステージは、信長貴富編曲 《東北地方の三つの盆歌》。盆踊りといえば、夏祭りの代表格ですね。太鼓や笛の音にのって、やぐらを囲んで輪になって踊った….そんな子供のころが蘇ります。夏を彩る盆踊り! 日本の風物詩! その盆踊りの世界をステージで見せて下さいました。浴衣姿が艶やかでしたよ。盆歌をこんなにジックリ味わったのは初めてです。演奏形態が非常に面白いですね。旋律を歌う人、あいだに合いの手を入れる人。また、音頭取りが歌い始めるとそれを真似しながら徐々に声を揃えていく。歌詞も洒落混じり。本当に楽しめますね。
太鼓の音の魅力にも、あらためて気づかされました。シンプルでありながら、お腹に低音が響く、独特の波長がありますね。耳から受けるのではなく、全身でその波長を受け止める感じです。ステージで踊る姿を見るというのも、いいものですね。聴いて楽しみ、見て楽しませていただきました。楽しさの中に、ちょっぴり切なさも漂います。何故でしょうね….。それはね、帰省した人々もこれが終わって帰って行くという別れの寂しさ。それと、過ぎ行く夏を惜しむ気持ちがあるからですわ、きっと。
『がんばろう! 東北!』 心の中で念じました。
最後に、アンコールで演奏された信長貴富先生の 「せいいっぱい」 という曲。この曲には涙が溢れました。同じ信長先生に 「一歩ずつ」 という曲がありますが、この曲もとても好きです。この二つの曲に共通するのは、弱き者、ささやかな者、片隅の者、日陰の者への温かい眼差しです。注がれているのは、紛れもなく、この私という存在。こんな私ではありますが、一歩ずつ、せいいっぱい頑張ってみよう….そんな気持ちで、会場を後にしました。