◆合唱団お江戸コラリアーず第12回演奏会
文京シビックホール 大ホール
2013年8月4日(日)

お江戸コラリアーずは、数々のコンクールで上位入賞を果たすなど、一目置かれる人気男声合唱団。
この合唱団は、1998年、「なにわコラリアーズ」の関東メンバーによって設立されたもので、音楽監督である伊東恵司氏の「関西が ナニワ やから、東京は お江戸 でしょ」という一言から「お江戸コラリアーず」と名乗ることになったそうです。
今回は、お江コラメンバーのOさんからご招待を頂き、文京シビックホールへ向かいました。
シビックホール(1,800席)は地下鉄大江戸線春日駅から地下で直結していて便利です。地下の連絡通路にたどり着いたのがちょうど開場時間の13時15分、ところがそこからすでに相当の聴衆が並んでいました。ホール入口は地上1階です。開演45分前だというのに大変な盛況振りが見てとれました。聞くところによると入場者は1,600人以上だったとか。(左の写真は河野龍也氏撮影)
◆第一ステージは、<El Mare Pacificum~ぐるり太平洋ひとめぐり>と題するアラカルト。曲の紹介やメンバーの出身地分布を紹介しながら進めるMCが入ったお楽しみステージ。
松下耕作曲「Everyone sang」で幕を開け、「El calbón」(コロンビア)、「Sometimes I feel like a motherless child」(アメリカ)、「Ummah, Sallih」(フィリピン)、「Muttaburra Ⅱ」(オーストラリア)、「Ka Hia Manu」(ポリネシア)と、昨今話題のTPPを意識したわけでもないでしょうが、同じ太平洋を囲みながらも様々な文化圏からなっていることが感じられるステージでした。
「Ummah, Sallih」はフィリピンの作曲家パミントゥアン氏John Augst
Pamintuanの作品。作曲家自らリハーサルにも加わって指導したとのこと。演奏後、指揮者の村田雅之氏から、紹介され立ち上がって聴衆の温かい拍手を受けていました。
◆続く第二ステージは、メンデルスゾーンの<Vier Lieder Op.75>。これは「Der frohe Wandersmann」(陽気なさすらい人)、「Abendständchen」(夕べのセレナーデ)、「Trinklied」(乾杯の歌)、「Abschiedstafel」(別れの宴)の四曲からなる曲集で、作曲者の死後、1849年に出版されたもの。
このステージはドイツ語ということもあるでしょうが、ほとんどのメンバーが譜持ちで臨んでいました。第三ステージに相当のパワーと時間を費やしたはずでしょうから、無理からぬところでしょうか。しかし、それにもかかわらず、元々実力者の集まりですから、しっかりした発音に基づいて、男声独特の柔らかさを醸し出していました。
◆休憩のあと、ステージは一変し、後部の反響板を上げ、非常灯も消した黒一色の背景となり、ソリストが天井から差し込むスポットライトの中に浮かび上がってきました。スモークと照明を効果的に使って戦争のイメージを作り上げた第三ステージのはじまりです。

(写真は山口敦氏撮影)
信長貴富作曲「男声合唱とピアノのための Fragments-特攻隊戦死者の手記による-」に斎藤千津子氏が演出を付けたものです。指揮者の山脇卓也氏は、客席に降りた下手側の通路に指揮台を構え、ピアノは同じく下手側に寄せられ、ステージをフル活用したダイナミックな動きのある演出となりました。
この「Fragments」は、特攻隊戦死者の手記をテキストとした作品。若者が戦争に殉じる様子はたびたび悲劇的に描写されるが、作曲者はそこに「戦争の悲劇化は美化ではないか」と一抹の不安を抱き、特攻隊員の内なる声を描こうとしました。
あんまり緑が美しい 今日これから 死にに行く事すら 忘れてしまいそうだ
「はっきり言うが俺は好きで死ぬんじゃない。何の心に残る所なく死ぬんじゃない。国の前途が心配だ。いやそれよりも、父上、母上、そして君たちの前途が心配だ。…」
ステージいっぱいに繰り広げられる100人近い大編成の合唱。感動的というと語弊があるかも知れない。しかし衝撃的な作品であることにはまちがいない。メンバーの迫真の演技も含め、ただ単にきれいな音楽だけが音楽ではないことを知らしめてくれたステージでした。演奏後、会場におられた信長さんはステージに上がり、演出家とともに聴衆の盛大な拍手に迎えられました。
※ ここで、ちょっと横道にそれます。先ほどピアノをステージ下手に寄せたと書きましたが、ステージの上下の呼び方は外国と日本では正反対になります。日本では客席から見て左を下手といい、これを「ピアニッシモ」と呼びます。ピアノを置く方をシモというからピアニッシモ、おやじギャグでした。
◆そして、最後の第四ステージは、客演指揮に須賀敬一氏を迎えての髙田三郎作曲「水のいのち」です。さすがに長いあいだ歌い継がれてきた曲だけに、全員(多分…)暗譜でした。私自身は「水のいのち」を混声でしか歌ったことがなく、いずれ男声でも歌いたいと願っている曲の一つです。クリスチャンである髙田三郎氏が、生命の起源でもある水をテーマに、壮大な世界を描いたもので、その清冽さや優しさ、そして厳しさ、力強さに思わず聴き入ってしまいます。
降りしきれ 雨よ 降りしきれ すべて 立ちすくむものの上に また 横たわるものの上に
地上に降り注ぐ「雨」、静謐な情景が目の前に現れ曲がはじまります。その雨が「水たまり」となり「川」を作り、「海」へとたどり着く。そしてすべてを包み込む海を称える「海よ」の5曲で終わります。詩を書いた高野喜久雄氏は仏教徒にして数学者、クリスチャンの作曲家との出会いがこのような名曲を生み出したという不思議さに打たれます。水がこの大地と空のあいだを巡る。これは、エネルギー保存則に基づく自然現象ですが、篤信家の作曲家には神の創造された世界と映っていたのでしょう。輪廻転生の現れということでしょうか。
須賀敬一氏は自身のFacebookに次のようなコメントを残しています。
「水のいのち」第4楽章「海」ダブルコーラス、終曲「海よ」をどうするか? その両方を活かし、不要の動きを少なくするため、4楽章のダブルをTTBB・BBTTのように配し、終曲「海よ」ではその間隔(・)を詰めるだけ、TTBBBBTTの形で演奏しました。そのため終曲はステージの両外側にT1が、真ん中にB2がドンと居座る形となりました。基本的にはTTBBの形で演奏されることが構想されたはずの男声版。客席に違和感が無かっただろうか、気になるところです。お感じになることがあればお聞かせ願いたく存じます。
聴衆としてちょっと戸惑ったのは、休憩があるのかないのか分からなかったことです。プログラムにもとくに書かれていないし、何のアナウンスもないから果たしてどうしたものか悩みました。常識的には4ステ構成なら、第二ステージが終わったところで休憩が入るものです。しかし、何も言われないと、トイレへ行ったり、ホワイエで軽く何か飲む時間があるのかどうかと不安になってしまいます。実際には適当な休憩がありましたが…。
次回、第13回の演奏会は、2014年8月3日(日)、文京シビック大ホールで予定されています。目玉は松下耕作曲「静かな雨の夜に」の男声版委嘱初演でしょうか。大いに期待が膨らみます。
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