K-7-2

 

日本語を乱しているのは誰か?

加 藤 良 一 




 

 近頃 “日本語が乱れている” という話題が盛んになってきた。
 日本語にかぎらず言葉が乱れるとはどういうことだろうか。言葉の乱れは日本語に特有のものなのだろうか。このテーマは、若者の“言葉の乱れ”を年長者が憂うという構図が一般的であるが、果たして言葉を乱すのは若者なのだろうか。

 じつは個人的には、若者よりむしろ年長者の “言葉の乱れ” のほうが気になってしかたがない。ある意味で若者が言葉(語彙を含めて)をよく知らないのは理解できる。しかし、年長者がきちんとした言葉を使えないことは、かなり大きな問題を含んでいる。若者のあいだで流行るいわゆる “乱れた言葉” は、しょせん一過性のものであり、大部分は消えてなくなる。残るのはほんのわずかである。残ったものは、どこかに一定の普遍性が備わっていたということであり、言葉はこのようにして生成変化していくものであろう。

 『月刊 言語』2002年8月号 (大修館書店)は <日本語は乱れているか!?> と題する特集を組んでいる。副題が、“ことばの変化と価値判断” となっている。

 言葉の乱れを問題にするまえに、「日本語は意欲を失っている」 と、日本人の言語に対する姿勢が消極的になっているとの鳥飼玖美子氏(立教大学)の主張は、よく理解できる。つまり、言語の一大目的であるコミュニケーションが、じつは希薄になっているという。たとえば身の回りにいくらでも見出せる“言葉の短縮化”は、文章が短文と感嘆詞の組み合わせですませられてしまう原因となっている。その結果、筋道を追った議論より 「ウッソー、まじ!?」 でコミュニケーションが終わってしまう。言葉を探し、言葉を使って自己表現して他者との関係性を構築するという作業に対して、はなはだしく意欲がなくなっている。

 また、小林千草氏(成城大学短期大学部)は、言葉の乱れを指摘するにとどまって 「“乱れ” を補う美しいことばが提供されないことこそ “乱れ” です」 と主張する。「ことばの進化は止めれない」 イアン・アーシー氏(翻訳家/作家)、「人類最大の差別たる 『英語』 帝国主義と日本語」 本多勝一氏(ジャーナリスト)、「方言とことばの乱れ─イッコウエの普及─」 井上史雄氏(東京外国語大学)、「〈新・接客表現〉はことばの乱れか変化か」 飯田朝子(中央大学)など、それぞれの著者の立場からさまざまな主張がなされている。
 ふだんからことばに気をとめている方には、これらのタイトルを見ただけで内容がある程度推察できるのではなかろうか。

 小谷野敦氏(東京大学)は、「増殖する誤日本語 『至上命題』 」 のなかで、外来語を日本語に訳さ ずに訳のわからないカタカナを使う風潮を批判している。氏自身は“電子メール”を“電便”というそうだ。全体としての主旨はわかるが、“電便”などといわれるとかえって迷惑する。もうすこし融通がきいてもよいのではないか。

(2002年8月18日)







   
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