K-40




 

自己本位の焦熱地獄


 




加 藤 良 一


2016年3月22日

 



 

 松原 正という凄まじいばかりの論客がいる。早稲田大学名誉教授、評論や戯曲も書く。昭和4年生れというから、今年で87歳を迎える。


 松原氏の『夏目漱石』(地球社)を読んだ。この本は、すべて旧仮名遣いで書かれていて、けっこう読みにくいし、非常に難しい漢字もたくさん出てくる。たぶん印刷社もたいへんであったろうし、読者のことを考えてもなかなか取っ付きにくい本になったと思うが、いまだに敢えてこのような書き方に拘っている理由は何であろうか。


 旺盛な批評精神に基づいた歯に衣着せぬ時事評論、政治倫理の空念仏を嗤い教育論議の知的怠惰を批判、人間は正邪善悪を気にせずにいられずそれゆえ戦争はなくならないとする戦争論、「悪しき天皇も天皇か」という凡百の天皇論が素通りする問題をも回避せず、天皇を戴かざるをえないゆえんを説く類例なき天皇論、政治に対する文学の優位を信じられなかった二葉亭四迷、芥川竜之介、三島由紀夫、中野重治を論じ、大江健三郎の欺瞞を批判する文学論など、徹底した批評精神を発揮している。
 ほかに『続・暖簾に腕押し』、『戦争はなくならない』、『自衛隊よ胸を張れ』、『天皇を戴く商人国家』、『文学と政治主義』などを出版しているらしいが、どれもまだ読んでいない。



 『夏目漱石』を読んで真っ先に浮かんだ印象は、ここまで明快な文芸評論を展開する人はこれまでお目に掛かったことがないということであった。
 日本人は、自分の信念を持ちあわせず、漱石の台詞を借りれば「全く他人本位で、根のないうきぐさのように、其所(そこ)いらを」漂っているという。漱石は「国民の圧倒的多数」がどう考えようが、己が正しいと信じることだけを行おうとした。つまり自己本位を貫こうとした、と松原氏はいう。


 漱石と並べてよいものかどうかわからないが、以前イタリアT部サッカーリーグ・セリエAに移籍した中田英寿ジコチュー(自己中心的態度)は、差し詰め現代版自己本位に相当するにちがいないとつねづね考えている。NAKATAは、あくまで己の判断と意思を主張したがために、ジャーナリストや関係者から批判されたりしたが、己の信じる道を邁進した結果、セリエAでの成功を獲得した。彼は小さな日本のフィールドでの活動に満足することなく、つねに世界のトップレベルを目指して自己中心的存在を堅持している。



 『夏目漱石』に、漱石の自己本位を物語る逸話として、つぎのような話が紹介されている。
 明治44年、文部省は漱石に文学博士号を授与することにしたが、漱石はこれをあっさり辞退したそうだ。辞退の理由は、つぎのようであった。

 当時の学位令には褫脱(ちだつ)〔剥奪の意〕の箇条はあったが、いっぽうで辞退の箇条がなかった。つまり、文部省が学位を剥奪することはできても、学位などいらぬと辞退することは想定していないということである。漱石は、その不条理を怪しまぬ文部省の迂闊を咎めざるを得なかったからだという。

 学位令のうちには学位褫脱の箇条があるそうですが、授与と褫脱が定められて居ながら、辞退に就いて一言もないのはちと変だと思われます。それじゃ学位をやるぞ、へい、学位を取り上げるぞ、へい、と云うだけで、此方は丸で玩具同様に見做されているかの観があります。褫脱と云う表面上不名誉を含んだものを、是非共頂かなければ済まんとすると、何時火事になるか分からない油と薪を背負わされた様なものになります。大臣が認めて不名誉の行為となすものが必ずしも私の認めて不名誉となすものと一致せぬ限りは、いつ何時どんな不名誉な行為(大臣のしかと認める)を敢えてして褫脱の不面目を来さないとも限らないからです。

と、漱石は『博士問題の成行』に書いているという。

 松原氏は、漱石が博士号を辞退した理由は、文部省の知的怠惰を咎めることが目的だっただけではなく、かねてより文士に学位なぞ無用の長物だと信じていたからでもあるとしている。
 それゆえ「漱石とアーサー王伝説」なる論文で慶応大学から学位を授けられた江藤淳を、あの世の漱石はさぞ苦々しげに眺めているに相違ないと断言する。

 漱石は、文学は専門知識を必要とするような学問ではないし、文士は学者ではないともいう。
 松原氏は、

 「悪しき批評家の常だが、江藤は批評対象を正確に見ていない」、「江藤は不具の不具の最も不具な発達を遂げた学者であり、そういう学者が学位を欲しがるのに何の不思議もありはしない」

と手厳しい。

 学者に限らず、全うな男は仕事の悩みを妻子に打ち明けはしないし、ソクラテスがいっているように、「ペリクレスは賢者だったが、その徳を倅に伝えられなかった」そうだ。漱石もまたその天才を妻子に伝えられなかったから、次男伸六も『父・夏目漱石』の中で、次のような凡庸な文章しか綴れなかったと紹介している。

 実際に、父に博士号を拒否する自由があったとすれば、当然文部省にも、父を博学の識者として、これを博士と認定する自由はあった筈で、この点からおすと、一般の人々までが、父親を飽くまで博士でないと思い込むのは、寧ろ客観的事実を無視した、単なる迎合とも思われた。


 漱石の自由と文部省の自由を同列に扱う次男伸六の感覚は、何とも理解出来ないものである。 
 歯に衣着せぬとはまさに松原正氏のためにある言葉である。いちど氏の著書を紐解かれることをお薦めする。






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