K-37


死んだら死んだで生きて行くさ  天の詩人 草野心平


加 藤 良 一   2013年4月25日





 男声合唱曲の中でとりわけ名だたる詩人といえば草野心平(1903-1988)ではないでしょうか。蛙を題材にした詩をたくさん書いていることから 「蛙の詩人」 ともいわれていますが、枠に嵌らないスケールの大きさや宗左近をして 「宇宙の詩」 と言わしめるその宇宙的情感など、「天の詩人」 という冠がふさわしいでしょう。
 大きな顔にロイド眼鏡、ときには口髭をたくわえ、ぼさぼさの髪の毛。一見怖そうに見えるし、相手によってはとても怖い存在だったようです。そのことは、一時期心平さんが開いた居酒屋火の車」 で板前をやっていた橋本千代吉さんの著書 『火の車板前帖』 に詳しく書かれています。


 心平さんの私生活は、詩の世界とどこか通じるところがあったのかも知れませんが、相当無鉄砲で破茶滅茶、喧嘩っぱやく、酒豪といわれるほど酒を好み、居酒屋を開いたのも自分が飲みたいからだったのではないかとすら思われます。居酒屋といっても、間借りのちっぽけな店でした。1952年(昭和27年)のこと、白山通り沿い、初音町の電停そばでした。3年後には新宿武蔵野館裏に移りましたが、子供の病気などで翌年には閉店しています。
 初音町の店は、間口一間半、奥行き二間、つまり六畳間。土間にテーブル三つ、一尺二寸(36cmほど)のカウンターで仕切り、冷蔵庫代わりのアイスボックスなどをところ狭しと置き、その奥には寝泊まりする四畳半の座敷があるという間取り。十四、五人で満員盛況。出す料理も大したものはありませんでした。お品書きは新平さんが自分で決めて貼りだしたもの。天=特級酒、耳=一級酒、火の車=二級酒、鬼=焼酎、炎=ウイスキー、麦=ビール。この頃はまだ日本酒に級を決める検定制度があった時代なんです。もも=鶏の尻ッポ(尻壺)は、一羽から一つしか取れない貴重なるものである、とかなんとかいって得意げであったといいます。そのほかにも、ふつうではなかなか出て来ないような料理を出していました。そして、店先には勘亭流で 「火の車」 と大書した不釣り合いに大きな赤提灯が目立っていました。

 昭和27年 「中央公論」 に心平さんが書いた 「居酒屋 『火の車』 四十六夜」 というエッセイがあります。その中で心平さんは、長年、世の中で詩壇が占める地位の低さ、詩ではメシが食えない辛さを訴え、火の車はその経済的基盤とするために始めたというのです。

  「バカッ、なんてえバカだ! シンペイッ、お前はホントのバカだナ!」
  なにお、この野郎、てめえのほうがバカだっ、バカッと騒然たる雰囲気です。

 これは開店祝いの日、次から次へと押し寄せる客を放り出し、奥の座敷で心平さんが唐木順三さん(評論家、哲学者、思想家)、古田晁さん筑摩書房創業者)と大激論を展開しているのです。店内も酔客でごった返しワンワンしているところへ、心平さんが 「千代吉! ビール!」 と叫ぶ、誰が注文したものかも判らないのにとりあえず客から注文が出ると(一応店主として)取り次いでしまうから、板前の千代吉さんは伝票の付けようもなく、仕方ないので 「心平 ビール 正正正正…」 となり、アイスボックスからはどんどんビールが消えてゆくというアンバイ。こんな状況だから勘定も怪しいものでした。翌日、酒屋の支払い、肴の仕入れなどを差し引き、心平さんの生活費をちょっぴり引くと、もう残るものがなくその日の仕入れが覚束ない状態でした。

 心平さんの悪い癖で 「お前帰れ」 「銭なんかいらないから帰れ」 と料金を突き返して追い出したり、「外套も洋服もひっこ抜いて、裸になって帰れ」 とやっつけたこともあり、これではてんで商売にならないとぼやいていたようです。当然ながら店はうまくいきません。それにしても昔の飲み方は凄かったんですね。心平さんの逸話は他にも事欠かないほどありますが、キリがないのでこのあたりにしておきましょう。

 下に掲げた原稿は心平さんの自筆の詩(?)です。お世辞にも上手な字とはいえませんが、心平さんらしいと思いませんか。

 


 物事に拘泥せず、茫洋としていて、「死んだら死んだで生きて行くさ」 とうそぶきながら、生涯詩作に情熱を燃やし続けた詩人でした。
 心平さんの大きな宇宙を表現するには、やはり男声合唱がふさわしいと思います。それをもっとも的確に音楽にして、私たちに手渡してくれたのは他ならぬ多田武彦さんでしょう。代表作 『富士山』 をはじめ、『北斗の海』、『草野心平の詩から』、『』 など多くの作品があります。また、他にも多くの作曲家が手掛けています。

 まさに草野心平は、「死んだら死んだで生きて」 いるのです。

 



関連資料:  歴 程 (K-22)





   
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