K-2

結果を出す

鈴 木 正




 
スポーツ選手が抱負を聞かれて、「厳しい練習を積んできたので、結果を出したい」と言う。これを聞いて私はかすかな違和感を持った。
 結果というものは、原因から引き起こされるものの帰着点であって、出るものなのである。たとえ、不成績に終わっても、結果は結果である。それを言うなら、「良い結果としたい」とか「成果を挙げたい」だろう。
 これはいずれ、誰かがその舌足らずの言い方を咎めて、正してくれるだろうと思っていたら、そのようなこともなく、NHKのアナウンサーが、ソルトレーク五輪で、「結果を出したい田畑選手…」とか「結果を出せなかった日本選手団」と言うに及んで、認知を得た感がある。
 こういう舌足らずの言い方や間違いは、昔は学校の先生や有識者が正してくれたものである。

 もうかれこれ40年近く昔の話であるが、私は「宮内庁御用達」をクナイチョウゴヨウタツと読んでいた。TVアナウンサーもそのように話していた。
 ところへ現れた故池田弥三郎慶大教授(懐かしい。思えば、氏が今をときめく慶大コメンテーター陣のさきがけであった)が、TV放送の中で「ゴヨウタツなどと言っていますが、ゴヨウタシと言うんですよ」と、どんぐり眼を三角にして言った。
 TVを観ていた私は、虚を突かれた思いがしたが、その物言いの激しさに「じゃあ、名利栄達はメイリエイタシとでも言うのかよ」などど反発しながらも、その正しきに従った。TVのアナウンサーも以後、間違わなくなった。御用達という言葉は今もよくTVに出てくるが、これを聞く度に私は、池田氏の顔を思い出す。

 かすかな違和感と言ったが、言葉のニュアンスは大切である。
 「古池 蛙飛びこむ 水の音」を勝手に「古池…」などと改変してはならない。これで名句も一等星から三等星の輝きに堕してしまう。しかして、この「」と「」の違いを説明するのは難しい。普段から言葉のセンスを磨いておくしかないであろう。日本語の潤いや香気は、実に、この微妙な言い回しにあることに気づく。

 私もごく最近、同窓会の報告書に「ご婦人方は、いよよ美しい」と書いたら、新聞紙上に出た時は「…いよいよ美しい」と変えてあって、その間延び感に、ちょっと苦いものを飲ませられたような気がした。

 いま、言葉はマスコミを通して奔流のように流れている。その中には当然、間違いもあれば、舌足らずもある。これを正す目的の〔日本語110番〕とでもいったものが、伝統ある日本語を守るためにあった方がいいと思うが、どうだろうか。



 2002年03月23日

  


   
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