落語と音楽のコラボ 死神


                                     加 藤 良 一




 落語に伴奏音楽をくっつけたらいったいどうなると思いますか。もちろん出囃子などなく、映画音楽みたいにストーリーの流れに合わせて効果的に音楽を盛り付けるとどうなるか興味が沸きませんか。そんなちょっとユニークな企画があります


 それは「創遊・楽落ライブ ─音楽家と落語家のコラボレーション─」SOYU RAKURAKU LIVEと題するもので、これはステージといったらよいのか寄席と呼んだらよいのか、さぁてどちらでしょうか。

 ときは平成二十二年六月、高座はクラシック音楽のメッカ東京文化会館小ホール。木戸銭が安いこともあってか平日のまっ昼間にもかかわらず八割以上の入り。木戸銭って何だ?なんて野暮なことは聞かないでくださいよ。ところで、なんで私が平日の昼間にそんなところにいるのかって。それはまぁ本題とは関係のないことですのでとりあえずこっちへ置いといて、主催は東京文化会館と日本芸能実演家団体[芸団協]、落語芸術協会などが共催でした。

 そもそも「創遊・楽落ライブ」が初めて開かれたのは200612桂歌春の「たらちね」に作曲家青島広志が即興でピアノを弾いたり、パーカッションなどの伴奏とともにテナーの小野勉が歌で合わせました。長い東京文化会館の歴史上、落語を上演したのはこのときが初めてだそうです。

 平成二十二年六月の主役は真打の三笑亭夢太朗、対する音楽はアコースティックギターの成川正憲とウッドベースの板谷直樹が組む六弦倶楽部+フルートの春名正治というトリオ。演題(だしもの)は、前半がオリジナル曲を中心としたミニコンサート、後半が古典落語の名作死神』という構成。作曲・編曲は山移高寛。

 『死神』は奇抜な発想で練られた噺で、まあ気楽に聞いていられる落語です。
 今にも死にそうな重病人の枕元にいる死神を、奇妙奇天烈な呪文「アジャラカモクレン、キューライス、テケレッツの パッ!」で追い払って、病気を治し大儲けする男の話です。いろいろなパターンがあるようですが、大まかなストーリーは次のようなものです。

◇貧乏人の子沢山な男、また新しい子供が生まれることになったが、その子の名付け親を頼む金もない(その昔は子供の名前を銭を出して付けて貰ったようです)。口やかましい女房から「甲斐性なし!」と家を追い出され、思い余って身投げしようとすると、そこへ死神が現れ、助け舟を出す。

◇重病人の枕元に死神が座っているときは寿命だから諦めろ、足元に居たら呪文を唱えて拍手をポンポンと打て、すると死神が追い払われて病気がたちまち治る、だから医者をやれと助言する(病気が治る死神の位置は、噺家によって逆の場合もある)。

◇死神の言う通りにやると病人が治り、瞬く間に評判を呼んで江戸唯一の名医となる(枕元のときは、こりゃ寿命だからダメだと言って帰ってしまうと、その通り病人は死んでしまうので、すごい()立てだとさらに評判を呼

◇お陰で大金持ちになったので、うるさい女房を追い出し、若い女を連れて西のほうへ遊山に出かけるが、すぐに財布が底をつく。

◇スッカラカンになって江戸へ戻り、ふたたび医者を始める。しかし、昔の評判もどこへやらまったく声が掛らない。

◇そこへ江戸で三本指に入るほどの商家の大番頭が訪ねて来る。じつは旦那様が重い病に臥しているが、名医と言われるほどのところへすべて行ってみたものの、手が付けられないと断れたのでなんとか助けてくれ、金はいくらでも出す、店を立て直すまでの三か月でいいから助けてくれと懇願する。

◇病人を訪ねて行くと、枕元に死神がデンと座り、早く()け、早く逝けと病人を睨みつけている。こりゃダメだと諦めて帰るが、店の番頭から何とかしてくれと矢のような催促。三月でなくてもいい、二月いや一月でいいから頼むお礼のほう五倍十倍と増えてゆく。貴方様のお知恵で何とか助けてください、と。

◇そうこうするうちに、死神も病人がなかなか逝かないので疲れ果て、いつの間にやらコックリコックリ居眠りを始める。

◇ない知恵を絞っているうちに一計を案じた医者は、店の若いもんを集めさせ、死神が眠り込んだすきに、合図で布団の上下をザーッと入れ替えさせる。枕元に座っていた積りの死神、騙されていつの間にやら病人の足元に。そのすきに「アジャラカモクレン、キューライス、テケレッツの パッ!」 またたく間に死神は消え去り、病人はケロッとした顔で起き上がる。いい気分だ、おいお茶をおくれ。

◇大枚を手にした医者は、またいつものように遊び呆けて朝帰り。その道すがら死神が現れる。おい、ひでぇことをしてくれたな、こっちへ来いと冥途へ連れて行かれる。

◇そこには数えきれぬほどのローソクが灯っていた。ボーボー威勢よく燃えるもの、炎が小さくなって今にも消えそうになったかと思うと再びなんとか盛り返すもの。長いローソク、短いローソク。

  「へぇー、ずいぶんたくさんのローソクがありますね。」
  「これは何だと思う?」
  「はあ? ただのローソクじゃないんですか?」
  「これはみんな人間の寿命だ。」
  「えっ。するってぇとこのもう燃えつきそうなのは、もうすぐ死んじまう奴だってことですか? 可哀そうにね。」
  「ようやく分かったか。おめえの目の前のそのローソクがお前だ。」

 ここでギターがジャーンと入り、フルートがヒュルヒュル、ボーボーと次第に緊張感を高めてゆく

  「ヒャー、待って下さいよ。もう消えるじゃないですか。そんな…殺生な。なんとか助けて下さい。お願いします。…ねえシーサン。」(シーサンは死神の愛称)
  「しょうのねえ奴だ。じゃあ、一度だけ助けてやろう。」
  「ありがてぇ。もう二度と悪さしませんから。」
  「隣りの消えているローソクにお前の火を移せ、そうすりゃ生き延びられる。早くしねぇと消えちまうぞ。」
  「ハ、ハイ。いますぐやります。やりますよ。」

 ところが気が動転しているのでいっこうに手元が定まらない。手がブルブル震えてどうにもならない。脂汗を滴らせながら何度もしくじってようやく火が移せた。これでひと安心。「あぁー、よかった。」
 と思った矢先、汗が炎に……。
  ジュー
 

 三笑亭夢太朗って噺家はなかなか力のある芸人です。声色の使い方、表情、しぐさ、間のとりかた、さすがに真打です。夢太朗師匠は川柳もむようですが、マクラに出てきた川柳が面白かったですね。ちょうど高座──いやコンサートかな、この際どっちでもいいか、とにかくその日がちょうど夏至に当たっていましたので、夏に因んだ川柳を披露しました。ちょっと前にナントカ百合子さんという環境大臣がクールビズを提唱しましたけれど、それをヒントに一句。

   クールビズ 唱える大臣 厚化粧


 さて、落語にとって「落ち」はとっても大切なもので、これが面白いと、終り良ければすべて良しという按配になります。「落ち」は「下げ」ともいいますが、有名な『死神』の落ちは身振り手振りで表す「しぐさ落ち」というものです。細かいことは、「ことば」欄の『テケレッツのパK-13に書いてありますので、ついでがございましたらごらんください。

 落語と音楽を重ね合わせるのは、で見ている以上にむずかしいかも知れませんね。作曲家は落語の台本を読み込み、実際に落語を聞いてから効果音楽を作曲しますが、ところが落語はいつ横道にそれるかわかりませんから、そんなアドリブにもついてゆけるようにしなければなりません。

 いっぽうで噺家にしてみれば、ほんとうなら客の反応を見ながら寄り道したり、間を置いたりするんでしょうが、作曲家や伴奏者は、最初に決めたとおり落語を喋ってほしいわけです。できることなら楽譜どおりにやってもらいたいわけですが、噺家にそんなこと言ったってたぶんムリでしょうから、台本にそれらしきト書きを入れて調子を合わせてもらうくらいしかやれないでしょう。客のほうは、噺が横道にそれる、これがまた面白いわけですが、音楽を付けるほうは気が気じゃないことだと思います。

 どこで、“ジャーン”と音を出すか、そのきっかけになる言葉は最低でも段取りどおりに喋ってくれとか、伴奏しているあいだは落語のテンポを変えるなとか、いろいろやりとりがあったことでしょう。噺家の立場になれば、ふだんどおりの自分流でやらないと調子が出ねぇと文句のひとつも言いたくなるところをグッと堪えて、台本どおりにやるわけです。たぶん。


 201012月の「創遊・楽落ライブVol.14」は春風亭昇太でしたが、油断して前売りを買わずにいたら売り切れてしまいました。昇太はテレビによく出るので人気が高いんですね。ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロの三人の美女の伴奏でしたが、相変わらず女性には縁遠いようで。


                                                 2010年1月4日






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