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日本語の大家逝く

金田一春彦さん逝去

             加 藤 良 一   
2004年5月19日

きょう(2004年5月19日)、国語学者の金田一春彦さんが亡くなられた。91歳だった。
 金田一さんは言語学者・金田一京助さんのご長男で、東京大学国文科卒。東京外国語大、京都産業大、上智大教授などを歴任した。日本語アクセントに関する研究の第一人者といわれている。

金田一さんとは以前一度だけお会いしたことがある。それは199012月に埼玉会館で行われた「第2回下総皖一音楽賞授賞式」の記念式典だった。そのとき、われわれ男声合唱団コール・グランツは、女声合唱団ヴォーチェ・ビアンカとともにこの式典に招待されて演奏した。下総皖一(しもふさかんいち)は、東京芸術大学で教鞭をとるかたわら、「花火」や「たなばたさま」などひろく親しまれている童謡の作曲も手がけた作曲家である。出身地は、埼玉県大利根町という筆者が住む栗橋町の隣り町である。招待演奏をしたのは、当時男声合唱団コール・グランツの指揮をしていた鎌田弘子先生(現顧問)が下総皖一の弟子だった関係からだ。ちなみに作曲家の團伊玖磨も下総皖一に和声学を学んでいる。

この音楽賞でわれわれは何回か演奏しているが、第2回目のゲストとして金田一さんが出席されたとき、レセプションの席ですこしだけお話したことがある。といっても簡単な挨拶くらいではあったが。金田一さんはその当時足の具合が悪かったようで、杖を頼りに歩いていたと記憶している。ひょうひょうとした好々爺という印象だったが、ことばの研究に関しては、ユニークな着想で体系的に展開しながら、けして堅苦しくならず、説得力のある論を主張していた。

 金田一さんの著書は、気楽に楽しみながら日本語を知ることができるので、ワイフとはじめてヨーロッパ旅行をしたとき、長すぎる飛行機の時間のかなりを上下2巻からなる大部の主著「日本語」を読みながら過ごしたものだった。

 




   
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