K-10-2



漢字を忘れはじめたあなたに

加 藤 良 一


 あなたは、ふだん手紙や文書をどんな手段で書いていますか。いまでは手紙を書くことは少ないと思いますが、もし書くとしたら、紙とペンですか、それともワープロですか。もし、いつもワープロでお書きになっているとしたら、たまに手で書こうとして漢字が思い出せない経験をしていませんか。
 加齢現象やもともと漢字を知らない人は別にして、とりあえず昔はスラスラ書けたのに今は駄目になったという人はけっこう多いのではないでしょうか。機械を使うことで文字が書けなくなるという状況は、きっと漢字文化圏に特有のものにちがいありません。なぜならアルファベットをもとにした言語、たとえば英語やイタリア語には、ワープロなどという機械そのものが不要なのです。文字の変換などせず、しゃべったとおりにそのままタイプライターで打てばいいだけです。

 ワープロについて、つい先日亡くなられた金田一春彦さんが面白い見解を示しています。日ごろ、いい加減に文字を書いている人間にとっては、朗報ともいえるものですのでご紹介しましょう。
 金田一春彦さんは、ワープロが盛んになればなるほど若い人が字を書けなくなるかも知れないけれど、しかし、漢字は手で書くときには、それほど正確に書かなくともよい字ではないかといっています。つまり、少しくらいのまちがいなら、あまり気にせずに書いたらよいのではないかというのです。漢字は、かなにくらべて画が混んでいるから書くのも覚えるのもたいへんということもありますが、大体の形でどの字か 見当がつくところに漢字の特色があるはずです。横棒の一本くらい抜けても、それとわかればよいのです。
 そのいい見本がワープロの文字です。よく見ると、画数の多い文字は、けっこう省略されていることがあります。その理由は、あくまでモニター画面に表示するうえでの制約からですが、読むうえではほとんど気になることはありませんし、人によってはそんなふうに省略さてれいることすら気がついていないかもしれません。もちろん、ワープロの文字も紙に打ち出されれば正確な文字になります。当たり前ですが、打ち出した字まで省略されていたのでは使い物になりませんからね。
 昔の人だって、漢字の書き方についてはけっこう怪しかったようです。かの文豪島崎藤村が、自分の全集の口絵に添えた自筆の序文がかなり誤字だらけだったそうで、「陽」「得」「達」の字が一本づつ画が足りなかったという話です。昔は草書や行書で書きましたから、細かいことなどどうでもよかったのでしょう。
 中国の簡略体にならって、めんどうな文字は略してしまうにかぎります。

(2004年8月26日)

 






   
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