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20年ぶりの沖縄




荒 川  滋

2013年4月2日



 4月28日(日)を「主権回復の日」として、今年から政府主催の記念式典が開催されます。
 かつて、本土の捨石として、わが国で唯一悲惨な地上戦のあった沖縄では、この日を「屈辱の日」としています。
 2月の「すみだ5000人第九」でも沖縄の人たちと話しましたが、私はありのままの現地を見て、現地の人の叫びを聴くために、20年ぶりに3度目の沖縄訪問です。
 私が初めて沖縄へ行ったのは、45年前の琉球行政主席選挙の時で、まだパスポートの要る時代でした。その後、幸い復員はしましたが父の激戦地・八重山の小浜島を訪ね、そして今回です。
 その間、沖縄はどのように変貌したのでしょうか。
 
 13年前の定年退職時、再就職までの20日間に「慰霊の旅」として広島・長崎・沖縄の3ヶ所訪問を計画し、広島・長崎は予定通りでしたが、とうとう沖縄だけには行かずじまいでした。
 今回の行程は、3月26日(火)~28日(木)の2泊3日で、1日目「ひめゆり学徒隊」の生き残りによる沖縄戦の体験談を聴いたあと、2~3日目には、オスプレイ配備の普天間基地や、ひめゆり学徒が死者の埋葬や重傷者を介護した糸数ガマなど12ヶ所をまわる、ハードな「戦跡・基地めぐり」です。
 
 名護漁協が埋め立てに同意する中、普天間の辺野古移設やオスプレイの配備をめぐって、現政権と沖縄の間に深刻な溝が広がっています。ふるさとの「美ら海」など自然の宝庫は護りたいし、かといって漁業補償という名の下、巨額の札束攻勢には目がくらむということで、思い通りに事が運ばない「ウチナーンチュ」の苛立ちと複雑な想いに、改めて沖縄の苦しい実情を痛感します。
 宮崎空港周辺でも、不発弾処理のニュースを聞くことがありますが、今も地中に無数に眠る不発弾対策のため、沖縄では自衛隊の不発弾処理班が年間に800件も出動するという現実に、今も残る地上戦のつめ跡を甚く感じます。全てを処理するには、今後40~50年かかるともいわれています。
 「意地ぬ出らぁ手引き、手ぬ出らぁ意地引き(腹が立ったら手を引け、手が出そうなら心を静めなさい)」というこの沖縄の格言に、非暴力の精神を心に刻み付けます。
 
 今回、ぎっしり詰まったスケジュールの合間に、2日目の夜、時間を割いて沖縄男声合唱団の宮城団長さんに会って情報を交換しました。
 沖縄男声合唱団さんには、3月30日に琉球交響楽団との演奏会を控え、また4月末にはパリへ演奏旅行をされるという、その練習で連日ご多忙の中、都合をつけて会ってくださいました。
 これで私の交流も、ようやく北海道から沖縄まで男声合唱の絆で結ばれたことになります。
 
 フルトン男声合唱団にお世話になって16年、たま~によそへ行っては勝手にフルトンの名を騙っています。このごろ物忘れがひどい上に慢性の持病を抱えながらも、惰性で流れる暮らしの中に、おかげさまで今のところはどうにか、食事ものどを通り排尿排便などが自分で出来るという、至極当たり前のようなことがどんなに有難いことなのか、つかの間の幸せを実感しています。






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