オフィーリア





加 藤 良 一

2012年7月19日




 夏目漱石の 《草枕》 に、ミレーの 「オフィーリア」Ophelia という絵が出てきます。「オフェーリア」 ともいうようですが、この際それはどちらでもよいでしょう。ここでいうところのミレーは、「落ち穂拾い」 や 「晩鐘」 などを描いた、ジャン=フランソワ・ミレーではなく、サー・ジョン・エヴァレット・ミレーのほうです。

 オフィーリアはいうまでもなく、シェイクスピアの四大悲劇のひとつ 「ハムレット」 に登場する女性です。あらすじはつぎのようです。

 急死したデンマーク王の弟クローディアスが王妃と結婚し、王の座の跡を継ぎます。いっぽう王子ハムレットは、父である王の死と、母の早過ぎる再婚とで悩んでいました。そこへ従臣から父の亡霊が夜ごと城壁に現れることを知らされます。そして、亡霊に会ったハムレットは、父がクローディアスによって毒殺されたと告げられるのです。
 ハムレットは父のかたきをとるために狂気を装うことにしました。赤穂浪士の大石内蔵助が、仇討の意図を隠すため放蕩三昧をしていると見せ掛けたのに似ています。
 ここで有名な “To be, or not to be: that is the question.” というセリフが出てきます。訳すのが大変困難なセリフだそうで、劇の中では 「(復讐を)すべきかすべきでないか」 というようにもとれるけれども、最近の訳では 「生きるべきか死ぬべきか」 が多いといわれているようです。

 ハムレットの変貌ぶりを目の当たりにした宰相ポローニアスは、それは自分の娘オフィーリアへの恋が遂げられないことが原因だと思い込みます。父ポローニアスの命令でハムレットに探りを入れるオフィーリアでしたが、そっけなくあしらわれてしまいます。ここでまた有名なセリフが出てきます。“Get thee to a nunnery!”(尼寺に行け!)です。尼寺は、隠語で淫売屋を意味するため、ハムレットはオフィーリアに 「世を捨てろ」 だけでなく、「売春婦にでもなれ」 と罵ったことになるのです。ただし、この解釈については専門家のあいだでも意見が分かれているらしいです。
 やがてハムレットは、王クローディアスが父を暗殺したという証拠を掴みましたが、母である王妃と話しているところを隠れて盗み聞きしていた宰相ポローニアスを王と誤って刺し殺してしまいます。王女オフィーリアは度重なる悲しみのあまり正気を失い、やがて川に落ちて溺死してしまいます。

 
 このような悲劇の女王オフィーリアは多くの画家によって描かれています。中でも、ミレーの手になる 「オフィーリア」 は有名です。
 右の絵はドラクロワによるものですが、ミレーの細密画にくらべると雰囲気がまるで異なっているのが分かります。
(写真はすべてクリックで拡大します)

 以前─もう10年ほど前になりますが、この絵に描かれたオフィーリアがとても不思議な表情をしていると思ったので、漱石とグールド』(20023月)と題して、ひと言書いたことがありますのでご参照ください。


 ドレスを身につけたオフィーリアは、木々が生い茂り花々が咲く森の中、水草が繁茂する薄暗い川に仰向けに浮いて流されてゆきます。オフィーリアはうつろな眼差しを虚空に漂わせ、赤いくちびるは茫然と薄く開かれているのです。右手には赤と白の花をつかんだまま、静かに死を待っている──かどうかは曖昧なのでよくわかりませんが…。ドレスを着たままだからか、胸から顔にかけて水面からずいぶん浮き出ています。オフィーリアが首を起こしているのではないかと思わせるほどなのです。オフィーリアはもちろん死んだようには見えません。しかしあのまま浮いていたのでは死ぬこともできないし、いったいどうなるのか…。

(シェイクスピア 『ハムレット』第4幕7場より)
小川のほとりに柳の木が斜めに立ち、白い葉裏を流れに映しているところにオフィーリアがきました。
キンポウゲ、イラクサ、ヒナギク、それに口さがない羊飼いは卑しい名で呼び、清純な乙女たちは死人の指と名つけている、紫蘭の花などを編み合わせた花冠を手にして。
あの子がしだれ柳の枝にその花冠をかけようとよじ登ったとたんに、つれない枝は一瞬にして折れ、あの子は花の冠を抱いたまま泣きさざめく流れにまっさかさま。
裳裾は大きく広がってしばらくは人魚のように川面に浮かびながら古い歌をきれぎれに口ずさんでいました。
まるでわが身に迫る死を知らぬげに、あるいは水のなかに生まれ、水のなかで育つもののように。
だがそれもわずかなあいだ、身につけた服は水をふくんで重くなり、あわれにもその美しい歌声をもぎとって、川底の泥のなかへ引きずり込んでいきました。



 たまたま先日、NHK-BSで、オフィーリアの曖昧な表情の謎を解き明かすというドキュメンタリー番組がありました。私にとってはとても興味深いものでした。番組では、「オフィーリア」 の背景となった場所の特定や、オフィーリアの不可思議な表情がどのようにして描きあげられたかなどを実際にモデルを使って解明していきました。

 青々とした森や川などの自然の描き方は、イギリスに根付いたもので誰にでも受け入れられるものです。しかし、ここにはひとつのトリックがありました。クロヤナギは早春、ヨーロッパノイバラは初夏、エゾミソハギは真夏、ラシャカキグサは晩夏、とそれぞれ季節が異なった花を一緒に描き込んでいるのです。これらの花はイギリス国民に馴染みのある花、つまりイギリス人が思い浮かべる自然を一枚の絵に凝縮したのです。
 川の手前に水草が生えているということは、南側が開けた川岸で日光がよく降り注ぐ場所ということが分かります。その場所を発見したのは、バーバラ・ウェブという女性です。ロンドン郊外を流れるホグズミル川という、膝ほどの水深の浅い川でした。彼女によれば、ミレーが生きていたころはもっと大きな川だったといいます。
 絵が描かれた時期は冬だったため、ほんとうは水草など生えていなかったはずですが、ミレーは暗い川面に緑色の水草を配することで画面に明るさをもたらしました。試しにこの水草をコンピュータグラフィックスで削除してみると、とても寒々しいものに変わってしまいました。

 また、最大のポイントであるオフィーリアの顔をどう表現するか、これについてミレーは長いこと試行錯誤した形跡があります。
 「オフィーリア」の最大の謎である、あの曖昧な顔の表情はどのようにして仕上げられたものでしょうか。怯え、悲しみ、あきらめなどが複雑に入り混じった虚ろな表情はどこからきたのでしょうか。

 「オフィーリア」 は、185112月、エリザベス・シダー(愛称リジー)をモデルに雇って描かれました。体温ほどのお湯をはったバスタブを部屋に置き、そこへリジーは長時間浸かっていたのです。最終的に顔をどう描くか決まらずにいたところへ、たまたまリジーの兄が死亡してしまい、モデルは一時中断しました。兄の葬儀を終え、その後モデルに戻って来たとき、リジーは悲しみに沈みやつれた表情となっていました。
 真冬のことであり、バスタブの下からランプで温めながら描き続けていきました。あるとき、いつしかランプが消え、水温が下がりはじめ、胸まで浸かっていたリジーの意識がわずかに遠のきかけたそのとき、リジーの顔に呆然とした独特の表情が表れたのです。この一瞬をミレーは逃さず、夢中でデッサンを続けました。しかし、それが完成された絵に使われたわけではありません。

 番組では、実際にバスタブを用意し、女優に長時間オフィーリアと同じポーズをとってもらいました。残念ながらオフィーリアのような表情は現れませんでしたが、バスタブに長時間浸かっていると集中力が薄れ、眠気なども出て来てやや近い感じにはなったように思います。

 ミレーはまた別の機会で、たまたま遭遇した少女の葬儀に際し、両親に頼まれて死に顔をデッサンすることがありました。目を閉じた死に顔ですからとうぜん無表情でしたし、この顔をオフィーリアに使ったのでは、あまりに死を強く連想させてしまうと考えました。つぎに目を見開いた驚愕の表情も試してみたものの、やはりオフィーリアには馴染みません。

 このように習作から完成に至るまでに、大きくオフィーリアの表情は変化していったのです。けっきょく、完成した 「オフィーリア」 は、「死」 と 「生」 の入り混じった不思議であいまいな表情となりました。

 オフィーリアが仮に死んでいたとすれば、あのように顔が水面より高く出ていることはないでしょうし、花を持った手も水面上に出てはいないでしょう。また、生きていたとしたら、なぜ動かずに流れに身を任せているのか、などなど疑問がつぎつぎと沸いてきます。
 ミレーが意図したかどうかは分からないものの、川面に浮かんだオフィーリアはこれからどうなっていくのだろうかと 「鑑賞者の目の前で動き出して変化する」 と思わせるような表現を最後に獲得したのです。

 





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加 藤 良 一